弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
中国
2019年3月29日
日本の「中国人」社会
(霧山昴)
著者 中島 恵 、 出版 日経プレミアシリーズ
中国人の旅行客をよく見かけます。春節のころは、とくに目立ちました。大型客船(クルーズ)からの団体旅行の人たちというより、家族連れが多かった気がします。
日本の景気は彼らの「爆買い」にかなり支えられていますよね。天神や川端の商店街のあちこちにドラッグストアーが乱立していて、大丈夫なのかしらんと余計な心配をしています。
この本を読むと、今や100万人近くの中国人が日本に住んでいるそうです。そして、タワーマンションの最上階を自宅用として中国人が買っているとのこと。上海のマンションより安いから買っているそうで、単なる転売・投資(投機)目的ではないようです。
そして、中国人といっても、広い中国ですから、実は言葉も習慣も民族までも大いに違うのですから、トラブル発生は必至です。
埼玉県川口市の芝園団地は、中国人がもっとも多い団地。4500人の住民のうち2300人が中国人。横浜市立南吉田小学校は、全校児童740人のうち、中国人が307人を占める。4割だ。この学校では、休み時間は何語を話しても自由、にしている。
東京都内には20万人の中国人が暮らしている。
日系ブラジル人の多い愛知県豊田市の保見団地。インド人が多い横浜市の霧が丘グリーンタウン。多国籍の人が多い横浜市の公営住宅いちょう団地。
富裕層の中国人が、自宅用としてタワーマンションを購入している。最上階は「風水がいい」として好まれる。
北京や上海では、富裕層、中間層、低所得者層は、それぞれ住居エリアが分かれている。中国では、いい学校がある地区にあるマンションを「学区房」と呼ぶ。いい学校とは、政府が資金を重点的に投入していて、「重点校」と呼ばれる。多くの人が重点校に子どもを入れようとするため、その学区の不動産は異常なほど値上がりする。中国ではマンション価格が高騰していて買えないけれど、日本でなら、自分の家が手頃な価格で買える。
日本には中国系企業が316社あり、アメリカ・ドイツに次いで3番目だ(2016年)。とくにサービス業の増加が顕著だ。
那三届(ナーサンジェ)とは、1978年から3年間に大学に入った人たちのこと。文化大革命が終って、とくに競争が激しかったので、「那三届」世代は一目置かれている。
「老三届」は、文化大革命が始まった1966年から68年に高校生だった人をさし、不運な時代を意味している。
私は1967年(昭和42年)に大学生になりましたので、この不運な「老三届」世代になります。でも、中国とちがって、大学には(途中、長いストライキもありましたが・・・)ずっと通えました。
中国にいる日本人は、12万4千人。在日中国人の6分の1でしかない。中国の10都市に11校の日本人学校がある。
中国では、魅力的な投資先がなかなか見つからない。すでに中国への投資をし終えたので、日本に目が向いている。とにかく、余剰資金があるので、日本企業に投資し、技術を買いたい。何でもいいので、お金を使いたい。そんな相談が多く寄せられている。
うひゃあ・・・、そ、そうだったんですか・・・。すごいことですよね、これって・・・。日本と中国の密接な関係を再認識させられました。それでも、「中国」の軍事的脅威なるものを真面目に心配している日本人が少なくないのが、私は信じられません。
(2019年1月刊。850円+税)
2019年1月11日
中国と日本、二つの祖国を生きて
(霧山昴)
著者 小泉 秋江 、 出版 集広舎
日本人の母と中国人の父とのあいだに1953年に生まれた著者の壮絶な生涯を克明に書いた本です。
日本人の母親は日本で教員をしていて、家庭の都合もあって中国に渡り、教員をします。そして、戦後、国民党軍の軍医をしていた父親と出会ったのです。
ところが、戦後に生まれた新生中国で医師の子として伸び伸び育った日々はわずか。「大躍進」運動の下での飢餓、そして文化大革命の嵐のなかで一家は離散させられ、幼い著者も日本人スパイの汚名を着せられ、打倒の対象となるのです。
著者を糾弾する紅衛兵は、ほとんど顔見知り子で、いじめる理由はない。ただ面白がってやっているだけ。大っぴらに批判できる対象がいるのがうれしくてしかたない。
著者は厳しく追及されたものの、まだ助かった。ところが、教師たちには命を落とした人も続出した。日本人の母は、かばう人がいて糾弾の対象とならなかった。しかし、中国の国籍をとった日本人は厳しく糾弾された。母親は糾弾されないのに、その娘は糾弾される矛盾に著者も気がつき、おかしいと感じていた。
著者は、父も母も何も悪いことはしていないと確信していたので、迫害される理由は理解できなかった。表面的には自己批判するものの、絶対に生きのびてやる、ここから抜け出してやると、ひたすら考えていた。
それにしても、わずか10歳あまりの少女を糾弾し、吊し上げる社会風潮はあまりに異様です。「文化」大革命といいますが、ちっとも「文化」的なことではありませんでした。日本でも一部の文化人が「文化大革命」を大いにもち上げていましたが、恥ずかしい限りです。まあ、実態(実情)は知らなかったでしょうから、しかたのない面もあるとは思いますが・・・。
そして、文化大革命が終わって学生は貧しい農村地帯へ追放(下放)されます。体重40キロもない少女(著者)がレンガ造りの現場で、60キロものレンガを背負って運ぶ仕事に就いたのでした。そして、食事は満足にとれなかったのです。よくぞ、こんな苛酷な状況で生きのびたものです。生きようという意思がすべてを克服したようです。
なんとかして日本にやって来ます。表向きは半年で中国に戻ることになっていましたが、著者は戻る気はありませんでした。それでも、日本で暮らすのも大変なことです。著者は夜間中学に通って日本語を学び、なんとか会社に雇ってもらって仕事をするようになりました。そこでも苦難の日々が続くのです。
いやはや著者の不屈の精神力には圧倒されます。半日かけて一気に読み上げましたが、なんだか元気をもらった気がします。 病気ともたたかっている著者の今後のご健勝を心より祈念します。いい本でした。ありがとうございます。
(2018年9月刊。1500円+税)
2018年12月19日
中国はここにある
(霧山昴)
著者 梁 鴻 、 出版 みすず書房
中国の農村の実情をよく伝えている本だと思いました。
農村から多くの男性が都会へ出稼ぎに行く。そして、年に数回、故郷の村に帰ってくる。すると、農村の生活はいったいどうなるのか・・・。
男性は故郷を離れ、1年に1回、多くて2回戻るだけ。その帰郷期間はあわせて1ヶ月にも満たない。彼らは、みな、まさに青春期あるいは壮年期であり、肉体的欲求のもっとも旺盛な時期でもある。そうであるにもかかわらず、長期にわたって、一種極度に抑圧された状態にある。
農村の道徳観は崩壊寸前で、農民工は自慰か買春で肉体的欲求を解消している。こうして、性病、重婚、私生児など多くの社会問題が引き起こされている。
農村に残った女性の多くも自我を抑圧しているため、色情狂、浮気、近親相姦、同性愛といった現象が起きることもある。これらは、農村のヤクザ勢力が暗躍する土壌を提供している。
「性」の問題がおろそかにされているということは、明らかに社会の農民に対する深い蔑視を呈している。政府やメディアは、インテリをふくめて農民工の問題について検討するとき、お金、待遇の問題のみで、「性」の問題に触れることはほとんどない。なぜなのか。中国の多くの農民には、お金を稼ぎ、かつ夫婦円満な生活を送る権利などないというのか・・・。
家を建て、子どもを学校にやるには、やはり出稼ぎだ。農村で仕事をするには、本のとおりにやったり、条例のとおりにやっても絶対にうまくいかない。
中国の政治体制において、村支部書記というレベルは非常にあいまいな政治的身分である。村支部書記は、国家幹部には属さず、いつでも農民に戻れるが、国家の政策を執行する重大な責任を負っている。
1980年代中後期から、1990年代末期まで、鄧小平の南巡講話以降、中国では市場経済がしだいに形成され、産業構造や就業形式にも変化が生じた。それ以前は、ずっと「土地」が主だったが、今は「出稼ぎ」が主で、社会全体が激動し、変化した。出稼ぎで賃金を得るようになり、家庭は小型化し、分散した。
2000年前後の趨勢(すうせい)が今も続いていたら、おそらく農村に危機が生じていただろう。農村は崩壊寸前だった。農民の負担は重く、情況はひどく、感情も高ぶっていた。今はずいぶん良くなった。お金を払う必要も、税金を払う必要もなくなり、そのうえ農業をやれば補助金がもらえる。
農村の文化理念に変化が生じ、新たな情況がもたらされつつある。第一に、農民の子どもは大学に進学したところで希望はない。今は大学に行っても活路がなく、たいして役に立たない。第二に、長期間の出稼ぎのため、家庭教育が失われている。第三に、思想信条の新たな危機がどんどん増え、宗教信仰が曖昧模糊としている。第四に、出稼ぎ労働者たちは低い訓練レベルのため相変わらず最底辺の仕事をしている。第五に、農村のインフラがどんどん劣化している。第六に、新しい情勢のもと、末端幹部の資質が低下している。
家庭の内部も変化している。かつては父母が日常生活を通じて子どもに行動の規範を教えていたが、今や祖父母あるいは親戚が代わりに教えるようになり、父母と子どもの関係は金銭関係に置き換えられた。
村の学校が閉鎖され、名望家の年寄りは、村の精神の指針であり、道徳的な抑制だった。その死亡により、文化的な意味での村は内部から崩壊し、ただ形式と物質としての村が残るだけとなった。この崩壊が意味しているのは、中国のもっとも小さい構成単位が根本的に破壊され、個人が大地の確固たる支えを失ったということ。
村の崩壊は、村人を故郷のない人間に変えた。根がなく、思い出がなく、精神の導き手も落ち着き先もない。それが意味しているのは、子どもが最初の文化的な啓蒙を失い、身をもって教えられる機会と、温かく健康的な人生を学ぶ機会を失ったということである。
農村は、単なる改造の対象ではない。私たちはそこに、民族の奥底にある感情、愛着、純朴さ、肉親の情などを見出すことができる。それを失うと、実に多くのものを失うことになる。
中国の農民は、政治生活にあまり関心をもっていない。政治、権利、民主というコトバは縁遠い存在だ。
国家、政府と農民とのあいだは根本的な相互作用、つまり理解・尊重・平等という基礎のうえに打ち立てられていた相互作用が欠けている。
この30年間で、農民は国家の主人公とはならなかったばかりか、逆に民衆の認知のなかで、負担、暗黒、落伍の代名詞にあてはまった。
農村人口の流動性の極端な高さが、民主政治を推進できない重要な原因になっている。家を出てお金を稼ぐことが第一の意義で、土地はもはや農民の重要な収入源ではなく、「命綱」でもない。出稼ぎのおかげで、農民たちはお金を稼げ、また地方経済を引き上げることができる。しかし、その背後には、人生の悲しみや喜び、消耗した生命がどれほどあることか。
中国の農村のかかえる深刻な実情をよくよく掘り下げたレポートだと驚嘆しつつ読了しました。
(2018年9月刊。3600円+税)
2018年12月11日
中国経済講義
(霧山昴)
著者 梶谷 懐 、 出版 中公新書
観光地に大勢の中国人観光客を見かけ、その爆買いで日本経済が支えられているというのに、日本人のなかに反中国感情が根強く、しかも広がっていることを私は大変心配しています。
今にも中国が日本(の島)に攻めてくるように錯覚している日本人が少なくないという報道に接するたびに、私は呆れ、かつ恐れます。
現実には、中国側から見たら、日本の軍国主義復活こそ危惧していると思います。日本が航空母艦をつくったり、アメリカのF35戦闘機(1機100億円もします)を100機も購入するというので、トランプ大統領が安倍首相を称賛したり、もはや専守防衛ではなく、海外へ戦争しに出かけようとする日本の自衛隊、そして軍事予算が5兆円を突破してとどまることを知らないという状況では、中国側の心配こそ根拠があります。
この本は、中国経済が今にも破綻しそうだというトンデモ本を冷静に論破しています。
久しく中国に行っていませんが、いま上海には4万人の日本人が住んでいるとのこと。上海に行くと、ここが「共産圏」の国だとは絶対に思えません。日本以上に資本主義礼賛の国としか思えません。
中国経済は表の顔だけでなく、裏の顔までふくめてトータルとして評価し分析する必要があると痛感しました。
現在の中国の政治経済体制は、権力が定めたルールの「裏」を積極的にかく、民間企業の自由闊達さを許容するだけでなく、それがもたらす「多様性」をむしろ体制維持に有用なものとして積極的に利用してきた。
中国のように確固たる「法の支配」が不在な社会で、民間企業主導のイノベーションが生まれてくるのは、権威主義的な政府と非民主的な社会と自由闊達な民間経済とが、ある種の共犯関係にあるからだ。
「一帯一路」といっても、そこに何かのルールや、全体を統括する組織などの実体が存在するわけではない。一帯一路とは、そもそも成り立ちからして捉えどころがないもの。一帯一路が中国を中心とする経済圏としてアメリカや日本に脅威を及ぼす存在になっていくという見方に、それほどの説得力があるわけでもない。
中国で生産する日系企業の売上高の増加にともなって、日本からの中間財の輸出が明らかな増加傾向にある。WTOに中国が加盟した(2001年)あと、中国が日本をはじめ韓国、アセアン諸国から中間材を輸入し、最終製品をアメリカやEUに輸出するという東アジア域内での貿易・分業パターンが次第に強固になってきている。
中国は液晶パネルや半導体、電池といった電子部品や特殊な樹脂や鋼材などの供給は、その多くを日本製品に頼っている。つまり、製造業とりわけ中間材の製造において、技術・品質面において、日本企業が優位性を保っている分野が、まだかなりの部分を占めている。今までのところ、日本と中国との経済関係は、多くの産業において、競合的というよりも、むしろ補完的な関係にある。
現在の中国では、テクノロジーの進歩によって、ある部分では、日本よりもずっと進んだ、これまで誰も経験していない情景が広がっている。「まだらな発展」ともいうべき状況が、社会の矛盾とともに、独特のダイナミズムも生んでいる。
アリババの画期性は、信用取引が未発達な社会で、取引遂行をもって初めて現金の授受がなされるという独自の決済システム(アリペイ)を提供し、信用取引の困難性というハードルを乗り越えた点にある。
矛盾にみちみちた国でありながら、その矛盾をダイナミックな発展につなげているという分析・評価は私にとって新鮮で、とても面白い本でした。
(2018年9月刊。880円+税)
2018年11月25日
文字講話、甲骨文・金文編
(霧山昴)
著者 白川 静 、 出版 平凡社
2004年から2005年にかけての著者の講話が文字になっています。
甲骨文というのが写真で説明されていますが、よくぞ、今の漢字にあてはめたものだと驚嘆します。よほど漢字の成りたちを知らなければ解説できないと思いますが、さすが大先達は、軽々と文章を読み解いていきます。
日本の古代王朝では、あまりにも近親婚が多い。天智天皇の皇女4人が天智天皇の弟の天武天皇の妃になっている。兄の娘を弟が4人とも嫁にもらうというのは、明らかに異常な状況だ。
しかし、殷(いん)の皇位継承も似ていて、系統法には、これら二つのクラスに分けられる。要するに、相互に交替しながら継承するという形式をとっている。
第一に、殷王朝は、わが国と非常に親縁の関係にあった。
第二として、殷王朝は子安貝を非常に貴重な宝として用いた。子安貝は、生産力の象徴だった。
入墨の風習があったのは、中国では沿海民族だけだった。
戦争のときには、女シャーマンが前線に3千人ほど、ずらりと並び、呪力のかけあいをする。
目は非常な呪力をもっているので、目の威力で敵を感服させる。
文字は、古代においては、まことに神聖なものだった。
よく分からないなりに、漢字の源流を眺めました。それにしても、シャンポリオンがヒエログリフを解説したほどのものではないのかもしれませんが、大した偉業です。
(2018年2月刊。1300円+税)
2018年6月17日
日本人は知らない中国セレブ消費
(霧山昴)
著者 袁 静 、 出版 日経プレミアムシリーズ
日本人と中国人の生活習慣の違いを知っておくのは必要ですよね。
たとえば、日本人にとって、レストランに入って、氷の入った水をコップでウェイトレスが持って来るのは当然のサービスです。ところが、中国人は熱いお茶を飲むのを習慣としているため、氷水なんて飲みたくない。
日本人はホテルや旅館で角部屋にあたると大喜びする(見晴らしがいい)が、中国人は、鬼(幽霊)がいるのを心配して嫌う。
日本人は白いお米のご飯がないと物足りなく感じるが、中国人は、ご飯は外食で食べるものではないと考える。なので旅館が夕食前に小腹の足しにおにぎりを出しても中国人は喜ばない。
日本人は今でも店で現金支払いを好む人が多い。中国人はスマホ決済一辺倒。
中国人はウィーチャットを偏愛している。中国人はウィーチャットで自分を高く売りつけるように努める。日本人の多くはそんなことはしないし、したくない。
中国人は、子どもを学校に上げると、競ってPTAの役員になりたがる。子どもが学校でいい扱いを受けるために親は必死になる。日本ではPTA役員の希望者が少なく、いつだって押しつけあいで決まる。
知っておいて損のない話だとおもいます。みんな違って、みんないい。金子みすずの世界です。
(2018年2月刊。850円+税)
2018年5月27日
13・67
(霧山昴)
著者 陳 浩基 、 出版 文芸春秋
妙ちきりんなタイトルの本です。13とは2013年のこと。香港の雨傘革命前夜です。67は1967年、香港で反中ではなく反英暴動が勃発した年です。関係ないけど、私が大学に入った年でもあります。
いわゆる警察小説です。腐敗した警察官を内部にかかえる香港警察のなかにいて、事件の犯人を推理していくところは本格派の推理小説です。したがって、グリコのように一粒が二度おいしい本になっています。
どんな悪事でも、賄賂さえ払えば、警察官は片目をつぶった。非合法の賭場や売春、薬物販売などを警察が捜査・摘発したときも、それは悪を一掃するためではなく、マフィアから金を得るためだった。警察にお金を払えば、期限付き許可証を買ったも同然で、しばらくは警察が邪魔することはないという仕掛けだ。
犯罪者は、買収した捜査員が上司に顔向けできるように刑務所に行ってもよいという仲間を定期的に差し出し、身代わりにする。こうやって暴かれる麻薬取引や賭博行為が実際に行われているものの氷山の一角なのは言うまでもない。
最前線の取締りが出来レースなのだから、警察上層部はまったく目隠しされた状態で治安が悪化しているなど、つゆ知らず、むしろ部下たちががんばって犯人をひとり挙げたと喜ぶ始末だ。警察に入れば、その一員となる、すると、どんな真正直な人間でも、まっすぐ胸をはって生きていくことはできない。
どんなに自分の力を買いかぶった自信家であろうと、いったん「船」を押しとどめようとすると、あっという間にいびられ、爪はじきにされ、警察組織で孤立無援となって、その先に出世のチャンスはない。
あまりに面白くて、車中で夢中になって読みふけってしまいました。
(2017年9月刊。1850円+税)
2018年5月26日
1967、中国文化大革命
(霧山昴)
著者 荒牧 万佐行 、 出版 集広舎
私が東京で大学生になった年(1967年)の2月、中国各地の状況を活写した貴重な写真集です。2月ですから、私は大学受験の直前ということになります。中国で大変なことが起きているという報道はありましたが、その実態は紹介されませんでしたし、解説記事もほとんどありませんでした。なにしろ竹のカーテンのなかで何が起きているのか、情報が伝わってこなかったのです。
この本で紹介されている写真を眺めると、北京でも上海でも、どこでも中国の各地で大勢の人々が路上にあふれ出てきていて、口々に何かを叫んでいます。
今では、文化大革命とは、文化革命なる美名をかりた毛沢東による権力転覆策動、独裁者としての自らの復権運動を本質とする権力闘争であることが歴史的にはっきりしています。しかし、この文化大革命のなかで三角帽子をかぶらされて街頭をひきずりまわされた多くの人々が無惨な死に追い込まれてしまいました。文化大革命終結後になんとか復権できた人は少ないし、きわめて幸運だったのです。
それにしても、街頭の壁一面に貼り出された壁新聞のボリュームには圧倒されてしまいます。人々が必死に手書きで壁新聞(大字報)を書いて貼り出したのです。そして、人々はそこに何が書かれているのかを読んで時勢(時流)を感じとっていました。
毛沢東語録をかかげながら、ふたてに分かれて激しく武力抗争するという事態が中国全土で進行していきました。やがて、それは毛沢東支配そのものをも脅かすほどになり、毛沢東自身がブレーキをかけ始めたのです。
このころ、日本にも文化大革命を礼賛する人が多数うまれました。毛沢東主義者と呼ばれる人たちです。その人たちは日本でも暴力を賛美して、社会を混乱させました。
やっぱり暴力からは、決して、まともな文化は生まれません。つくづく私はそう思います。貴重な写真集の頁をめくりながら改めて中国の文化大革命の悲惨さを実感しました。
(2017年11月刊。2500円+税)
2018年4月29日
出土遺物から見た中国の文明
(霧山昴)
著者 稲畑 耕一郎 、 出版 潮新書
中国の古代文明が次々に地下から発掘されていて、その素晴らしさに圧倒されてしまいます。この本で紹介されている、いくつかは幸いなことに私は現地で拝観させてもらいました。
なんといっても、第一番にあげるべきなのは、秦の始皇帝の兵馬俑です。福岡市の博物館などの特設展で見たこともありますが、現地に行けば、口を開くことができないほど、(いえ、開けた口を閉じることを忘れるほど)圧倒され、感嘆のきわみに陥ってしまいます。なにしろ想像を絶するスケールです。東西230メートル、南北62メートル、6000体の実物大の将兵が地下で並び立っているのです。
日本ファーストなんて馬鹿げたことを言っている日本人は、これを現地で見てから死んでほしいものです(日光を見ないで死ねないのモジリです)。
曾候乙墓(そうこういつぼ)も、信じられないほどの見事さです。古代中国の音楽そして舞踏が、いかに発達していたかを十分しのばせてくれます。武漢の北側の湖北省から出土しました。紀元前433年ころに亡くなった曾国の君主の墓から出土した巨大な楽器です。長さ7.48メートル、高さ2.65メートル、総重量5トンというものです。
我が家には、感動のあまり現地で買い求めたミニチュアの楽器が今も飾られています。
四川省広漢市で発掘された三星堆(さんせいたい)は、残念ながら現地で拝んでいませんが、まことに奇妙な顔と眼をした青銅製の仮面です。黄金のマスクをした青銅の人頭像は、まるでピカソの抽象画を形にしたかのようです。
中国では、地下に埋もれている遺跡を慎重に発掘し続けているようです。現代人の好奇心を満足させるために掘りあげるだけなら簡単なことだけど、その科学的分析ときちんと永久保存するためには、最適の環境を保証する場所と最新の技術が必要だというのです。なるほど、と思います。
日本でも高松塚古墳などの保存には苦労しているわけですし、なにより「天皇陵」の発掘を少しずつ慎重にすすめていくべきだと思います。「日本民族」のルーツを探るのは国家の使命の一つなのではないでしょうか。いつまでも「タブー」であってはなりません。
(2017年11月刊。899円+税)
2018年3月 8日
最後の「天朝」(下)
(霧山昴)
著者 沈 志華 、 出版 岩波書店
北朝鮮で金日成が党内で静粛を強めて絶対的独裁体制をうちたてることができたのは、毛沢東が金日成への懐柔政策をとったことにも起因している。なるほど、そういうことだったんですね。
北朝鮮内の中国派は毛沢東のうしろだてをあてに出来なくなった。かつて延安で中国共産党と肩を並べて戦い、その後、逆境のなかで中国に亡命した数多くの朝鮮人幹部は、中韓関係改善の犠牲になった。これを背景として、中国義勇軍は朝鮮から撤収していった。
1953年7月に朝鮮戦争が休戦したとき、中国義勇軍は北朝鮮内に120万人いた。1957年末でも30万人いた。1958年に中国義勇軍が完全撤収したが、その最大の恩恵を受けたのは金日成だった。金日成は党内のライバルの一掃に成功し、10万人の「敵対・反動分子」を追放した。そして、金日成に対する個人崇拝が復活した。
中国で毛沢東が大躍進をうたったとき、金日成は朝鮮で「千里馬」運動を打ち出した。1958年のこと。毛沢東は、「大躍進」を金日成から絶賛され、全力で追随されたことから、他の諸国からの反響が乏しかったこともあって、金日成を完全に見直した。それで、北朝鮮の「千里馬」を支援した。
「大躍進」の実体はひどいものだったので、彭徳壊が批判したところ、毛沢東は激怒した。
中国とソ連が対立するなかで金日成をどちらが取り込むか、また、金日成はどちらにつくかという問題が起きた。フルシチョフは、毛沢東が金日成を批判した会談記録を金日成に見せた。その結果、金日成は、もう二度と中国人を信用せず、再び中国に行くことはないと断言した。北朝鮮を一段と抱き込むため、フルシチョフは金日成からの経済要求の大半を受け入れた。1960年6月、中ソ論争がピークに達したとき、フルシチョフは、中国共産党を孤立させるため、金日成をモスクワに招いた。
中国にとって、1960年から62年はもっとも苦しい時期だった。ベトナムへのアメリカの侵略がエスカレートしていて、ソ連との関係は悪化し、国内の経済生活はどん底の状態にあった。そのなかでも北朝鮮には援助を与えていた。
毛沢東は北朝鮮に対して領土面でも譲歩した。北朝鮮では、金日成の息子である金正日は白頭山の密営で生まれたとされてきた。真実はソ連領内で出生したのだが、あくまで白頭山神話が必要だった。このとき、毛沢東は、金日成に大きく譲歩した。毛沢東は、当時の中国が経済的な苦境にあったことから、世界の社会主義陣営のなかで孤立しないよう朝鮮の支持を取りつけたからである。
中国で毛沢東が文化大革命を発動すると、金日成も、それをまねて、金日成に対する大規模な個人崇拝運動をすすめた。ところが、金日成は、文化大革命そのものには抵抗し、批判するようになった。
1971年7月、ニクソン大統領の特使としてキッシンジャーが極秘に中国を訪問した。米中接近は北朝鮮にとって大変なショックだった。金日成は、ニクソンの訪中は勝利者の前進ではなく、敗北者の細道だと評した。アメリカ帝国主義が泥沼にはまって、哀れだというのである。
毛沢東と金日成という二人の独裁者の駆け引きの過程が生き生きと分析されている本格的な研究書です。
(2016年12月刊。5800円+税)