弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

朝鮮・韓国

2012年11月 1日

兄・かぞくのくに

著者   ヤン ヨンヒ 、 出版   小学館 

 切ない話です。映画は残念ながら見ていません。近くて遠い国、北朝鮮と日本とは案外、身近な関係にあります。
 戦後、朝鮮総連は地上の楽園の地である北朝鮮への帰国をすすめました。そして、日本政府は、「厄介者扱い」として、それを後押ししたのです。
 そして、北朝鮮は、実は地上の楽園どころか、今もって国民が腹一杯食べられるのが理想の国のままというのです。飽食の国、日本では想像もできない事態です。
 でも、そんな北朝鮮にも人々は真剣に生きているのです。
北朝鮮の国民は3つの階層に分けられる。一つ目は、北朝鮮の建国当時に労働者や貧農、愛国烈土の家族だったものや、朝鮮労働党員からなる「核心階層」。二つ目は、知識人、民族資本家、中農、商人からなる「動揺分子」。彼らは、「要監視対象者」として当局よりマークされる。三つ目は、「敵対分子」。解放前の地主やキリスト教信者、親日家や親米家がこれに入る。彼らは「特別監視対象者」だ。
 日本からの帰国者は、長く「動揺分子」と見なされてきた。自らも望み、祖国も望んでいると信じていた「帰国者」は、北朝鮮から見れば、資本主義の思想や堕落した生活を持ち込む反乱分子だった。ちょっとでもおかしな行動をとれば、即「敵対分子」のレッテルを貼られた。相互を監視しあわせることで、北朝鮮の人々のあいだでは、常に疑心暗鬼の感情がはびこっていた。
 出身成分が低い帰国者は結婚相手として人気がなかったが、経済的には激しい貧富の格差がある状況のなかで生きのびていかなくてはならないため、「日本から定期的な仕送りのある帰国者」は縁談に困らない。
 そして、キム・ジョンイルが帰国者である高英姫(コウ・ヨンヒ)を正妻に迎えたことはセンセーションを巻き起こした。
帰国者を帰国同胞といい、略して、「帰胞」、キポ。朝鮮語で「キポ」というと泡という意味。帰国者は泡のようにすぐ消える。すぐ消せる存在だ。自分たちが見下し、蔑むために「キポ」と呼んだ。そして、帰国者のほうは、北朝鮮より進んだ国から来たという自負がある。だから、現地の人のことを原住民の「原」といって、「ゲンちゃん」と呼んでバカにした。
 うむむ、なかなか人間感情というのは複雑で、錯綜していますよね。
北朝鮮に持ち込む品物に「メイド・イン・コリア」のタグがついていると即没収される。ところが、メイド・イン・USAもメイド・イン・ジャパンも許される。公式には韓国は最貧国ということになっていて、質のいい工業製品をつくっていることが、メイド・イン・コリアの品物を通じて公然の事実となることを北朝鮮当局が恐れての措置。もちろん、北朝鮮の人々も韓国が裕福な国であることは誰でも知っていること。
 日本から北朝鮮に行くには、朝鮮総連の許可がいる。少なくとも渡航希望の1ヵ月前に総連に申請を出さないといけない。費用は20~30万円、北朝鮮に家族のいる訪問者は1回、1人あたり総計100万円をもっていくのが相場だ。家族に渡すお金のほか、担当幹部に渡す袖の下(賄賂)がいる。万景峰号に100人乗っていくとして、1人段ボールを20個もっていくので、2000個の段ボールとなる。そして、荷物検査で一日つぶされる。
 北朝鮮では、住居は政府から支給される建物になっている。アパートが足りないため、独り暮らしは基本的に認められない。毎日、水が出るアパートはほとんど不可能に近い。
三人の兄たちが北朝鮮に渡り、妹だけが日本に残った。
 そのとき、兄たちは、歯向かえなかった。父に歯向かえなかった。あのとき、学校にも、組織にも、親にも歯向かえなかったばかりに、もはや絶対に歯向かうことが許されない地で生きていくことになった兄たち・・・。その兄は、決して愚痴らない。
本当に胸の締めつけられる思いです。妹の感じる切なさがじわーんと読み手の胸に迫ってきます。
 エリート校に入った子どもは、マスゲームの動員対象から外され勉学に専念できるというのをはじめて知りました。
(2012年7月刊。1600円+税)

2012年9月 5日

路上の信仰

著者   朴 炯圭 、 出版    新教出版社 

 激動の韓国現代史を生きたキリスト者の証言とオビに書かれていますが、この本を読むとまさしくそのとおりで、心の震えるほど感動していました。こんな気骨のあるキリスト教のリーダーがいたのですね。なにしろ、何回も警察に捕まっては刑務所に入れられ、教会堂での礼拝が当局に妨害されたら、なんと警察署前で6年間も路上礼拝を続けたというのです。まさしく信念の人です。信仰を実践し続けた不屈のキリスト者です。
 『世界』に連載されていた「韓国からの通信」の裏話も紹介されています。この「通信」は1973年から1988年まで15年にわたって続いたものです。KCIAがやっきになって犯人探しをして、妨害しようとしたのですが、果たせませんでした。
 著者の「TK生」が誰なのか、ずっと謎でした。これは、キリスト教のNCCKが金観錫牧師を中心として、徹底した安全対策を講じて資料を日本に送った。送ったのは主として宣教師ときに外交官郵袋や米軍の軍事郵便も利用した。これを日本で呉在植先生のところに集め、池明観教授が原稿をかいた。それを、『世界』の安江編集長が自らないし夫人によって書き写して植字工に渡した。並々ならぬ注意が払われたのですね。15年間、よくぞ続いたものです。
 王に直言し、民衆の堕落を告発し、またそのため、ときには犠牲を受けるのが旧約聖書の予言者の伝統である。キリスト教の牧師として監獄に行くのは、聖書からすると当然のこと。旧約の時代から予言者たちは絶えず監獄に出入りするのを当然のことと考えてきた。聖書の伝統は、キリスト教が何か哲学的、仏教的な空の思想というが、世を捨てて山中にこもり神秘境にひたるというか、脱世俗的な宗教ではなく、少なくともキリスト教の正しい伝統は世俗の中に入っていき、この世の問題に関与し、その時々に神の意を明かし、それに背くものに対しては直言する。そのような伝統がある。
 なーるほど、これはよく分かる話でした。
 韓国の民主化闘争の過程においてキリスト教を信じる人々の力は大きかったと改めて認識させられた本でした。
(2012年4月刊。2381円+税)

2012年4月26日

サムスンの真実

著者   金 勇澈 、 出版   バジリコ

 著者は私よりひとまわり年少の韓国の弁護士です。特捜部検事をつとめたあと、サムスンに入り、会長秘書室で7年間、財務チームと法務チームに所属し、裏金作りと賄賂渡しという汚れた仕事をしていました。そして、弁護士になって良心の告白をし、サムスンの不正を世に知らしめたのでした。ところが、いわば生命がけの告発も不発に終わり、サムスンは今もなお韓国政治を牛耳る巨大な存在として君臨しています。
 韓国法曹界に対する違法なロビー活動の実態には刮目せざるをえません。
 モチ代検事リストというのがある。賄賂をもらった検事たちの名簿である。
 ところが、サムスンから賄賂を受けとっていた公職者は失職するどころか、要職に就いていった。これはとくに今の李明博政権になって、さらにひどくなった。
 大韓民国は民主共和国ではなく、サムスン共和国である。
大韓民国の主権は1%の富裕層が握っており、法は1万人に対してのみ平等だと言われている。権力層に顔の広い大物の前では無力になるのが韓国社会だ。人々は何か問題が起きると、まず人脈を探して解決しようとする。原理、原則では、不可能なことも、人脈を使えば解決できるという後進的な文化がある。
 検察庁の部長は、後輩検事の捜査を督励するのではなく、上司の意向を尊重し、捜査を妨害する役職だ。そして、血気盛んな後輩たちを意のままに操る部長になるためには、スポンサーとなる後ろ盾が必要だ。ときには豪勢な場所で部下たちを飲み食いさせてこそ、本物の部長を言われる。
ある地域の判事、検事、弁護士はみな同窓生で、それを理由として普段から頻繁に酒席をともにしていた。弁護士は、判事と検事を盛大に接待するのが当たり前になっている。これは日本では、ありえないと弁護士歴40年になろうとする私は確信しています。
 相手方の弁護士を買収したり、担当裁判官を買収する。判事を買収するのは当たり前と思われている。だから、今回は我々サイドの判事だ、ところが相手サイドの判事に変わった、などという報告があがってくる。うひゃあ、日本ではそんな話を聞いたことがありません。もちろん、権力に弱い判事はいるのですが・・・。
 裏金はサムスンの系列会社でつくり出す。そして、借名口座で裏金を管理する。テーマパークの無料利用券や衣料商品券を現職の検事に渡したことがある。
 初めは、ちょっとしたものを贈る。これを受けとる鈍感が大きな不正へとつながっていく。慣れたら、結局、賄賂も受けとるようになる。たしかに、慣れは恐ろしいですよね。
公職者に一度お金を渡すと、ずっと渡し続けなければならない。後になってお金を渡すのをやめたら、相手は不快に思い始める。
 恥も数を重ねると、何とも思わなくなる。不正なお金を渡す側も、もらう側も同じだ。公職者がサムスンからはばかることなくお金をもらう背景には、サムスンのお金は安全、もらって危険がないと言う意識があった。彼に賄賂をもらって公職から追放されても、サムスンが職場を用意してくれる。
サムスンに不利な判決を下した判事は、私は反企業的な法曹人ですと宣言したも同然、反企業的な法律家だという噂が流れると、韓国社会の主流から一瞬のうちに排除される。うへーっ、そこまでなんですか・・・。
 今では、サムスンが、政府、司法、議会の上に君臨している。大統領といえども簡単には接することのできない巨大権力だ。
 サムスンの不正を告発した著者は、左翼共産主義者だと非難されたそうです。しかし、むしろサムスンこそ資本主義の市場経済体制を脅かしていると反論しています。まったく同感です。韓国の繁栄の裏側を鋭く告発した本だと思いました。
(2012年3月刊。1800円+税)

2012年4月 8日

「父・金正日と私」

著者   五味 洋治 、 出版   文芸春秋

 先日亡くなった金正日の長男である金正男にインタビューした本です。かなりホンネが伝わってくると思いながら、興味深く読みすすめました。
金正男はディズニーで遊ぼうとして偽のパスポートが発覚して、制送還されて日本で有名になりました。日本には5回来たことがあるそうです。新橋の第一ホテルに泊まり、新橋駅ガード下のおでん屋で飲食したこともあるといいます。
金正男はヨーロッパ(スイスなど)に留学して、「完全な資本主義青年」になったため、金正日から警戒されたと本人が語っています。さもありなん、ですね。
 金正日は、子どもたちが国際的な見解をもつことを希望しながらも、金正男以外の子どもの留学期間を短縮し、留学先で友人と自由に交際できないよう厳格に統制したといいます。なるほど、それもありうるでしょうね。独裁者は孤独でしかありえないのです。
 金正恩が権力を承継したことについて、金正男は、「2年ほど後継教育を受けただけの若者が、どうやって37年間続いてきた絶対権力を受け継いでいけるのか疑問だ」としています。
金正恩は単なる象徴となり、これまでのパワーエリートが実権を握るだろうと見通している。
 正男は「三代世襲」に反対しています。そして、実は世襲については金正日も反対していたことがあると言います。ところが、北朝鮮の内部的な特殊事情から、父の金正日は「三代世襲」せざるをえなかったとみているのです。これもまた、さも、ありなんです。
権力世襲は、物笑いの対象になるし、社会主義の理念にも符合しないと正男は断言する。いまの北朝鮮の経済実情は、とても経済強国に到達したとは言えない。住民を、もう少しよく食べられる生活をさせる政治にしてほしい。こう金正男は著者に語ったとのことです。
 正男は、フランス語、英語のほかロシア語が出来る。中国語や日本語も少しは話せる。
北朝鮮の内情を少しばかり肉声で知ることができました。
(2012年2月刊。1400円+税)

2012年3月29日

儀軌、取り戻した朝鮮の宝物

著者   慧 門 、 出版   東國大学校出版部

 日本が戦前、帝国日本として朝鮮半島を植民地として支配していたとき、朝鮮の貴重な文書を勝手に運び出したようです。しかも、その貴重な文書のなかには、なんと日本軍が朝鮮の皇后を虐殺したあとの葬儀を記録したものがあったというのです。これを知れば、日本が一刻も早く韓国に返還すべきは当然です。ところが、この返還にあたって韓国の人々の求めにもっとも協力したのが日本共産党の国会議員でした。かつて反共法まであって、反共産主義が徹底していた韓国の人々は複雑な気持ちで共産党の国会議員の助言を受け入れたとのことです。
 日本共産党って、こんな国際交流活動にも力を入れているんですね。偉いものです。民主党の議員もいくらかは関与したようですが、残念ながら共産党の比ではありませんでした。政権与党になると、こんなにダメになってしまうものなんでしょうか・・・・・。
 朝鮮半島の歴代の各王朝は、国家の大小行事を文書または絵で記録して残した。朝鮮王朝も、王室の行動を詳細に記録した。儀礼手続が反復する宮中行事を効果的に進行するため、すべてを文字と絵で製作し、後代に典範として残した。これを朝鮮王室儀軌という。
 福岡の櫛田神社には、韓国の明成皇后を刺し殺したときの日本刀が保管されている。全長120センチ、刃の長さ90センチ。木製の鞘(さや)には、「一瞬電光刺老孤」と書かれている。17世紀の江戸時代に忠吉という匠人がつくった名剣、肥前刀である。この刀は明成皇后の寝殿に乱入した3人の日本人の一人である藤勝顕が櫛田神社に保管を依頼した。
 王妃は殺害されたあと、裸体で局部検査までされたという。平常時には、男性に顔すら見せなかったのに、死んで異国(日本)の男子らの前に裸体をさらしたのである。
ほとんどの日本人はこの明妃殺害事件を知りませんよね。でもこう考えてみてください。日本の皇后に朝鮮の兵士と壮大たちが武器を持って突然乱入し、皇后を殺害し、その遺体をその場で焼却してしまったとしたら、同じ日本人として、下手人の朝鮮人ひいてはこの件とは何の関係もない朝鮮人に対してまで敵意をもつのは必然ですよね。加害者は忘れても、被害者は忘れないものです。
 「朝鮮王室儀軌」は、王室の主要な儀式という行事の準備過程など詳しく記録し、絵画も入れて制作された文書である。朝鮮時代の儀軌は通常は同じものを8部ほどつくられる。王の閲覧のために、高級材料で華麗につくる御覧用と、関連する官署と地方史庫に所蔵しておく分上用に分けられる。
 この本には、伊藤博文を暗殺した犯人である安重根も紹介されています。
 安重根は今でも朝鮮半島では英雄です。
 それにしても良かったですよね、朝鮮半島の貴重な書物が日本から本来あるべき故国に「返された」というのは。
(2012年2月刊。1800円+税)

2011年11月20日

北朝鮮に潜入せよ

著者  青木  理     、 出版  講談社現代新書   

 韓国に潜入してきた北朝鮮の工作員については、これまでも多少の知識はありました。その典型が1968年1月に起きた青瓦台襲撃事件(1.21事態)です。私はこのとき大学1年生です。まだ、東大闘争が始まる前で、平穏な寮生活を楽しく過ごしていました。
北朝鮮の特殊部隊「124部隊」に所属する武装工作員が南側に侵入し、青瓦台までわずか1キロという至近距離に迫った。生け捕られた一人は「朴正熙の首を取りにきた」と目的を語った。
 これに対して朴大統領が報復を考えた末に起きたのが映画『実尾島』で有名となった実尾島事件である。同じく31人から成る「684部隊」は過酷な猛訓練を経て北朝鮮に潜入することになった。ところが、世界情勢の変化により朴大統領も報復を断念する。そうなると、「684部隊」の存在自体が不要となる。隊員の不満が爆発して大惨事が発生した。
 私もここまでは知っていました。しかし、韓国軍も北朝鮮へ多くの「北派工作員」を隠密裡に送り込んでいたのでした。朝鮮戦争後に北派されて失踪死亡した工作員は7726人にのぼる。50年代の北派工作員は、朝鮮戦争の延長線上にあり、北朝鮮出身者が大半を占めていた。そして50年代の工作員の9割は任務から帰還できなかった。60年代に北派工作員となったのは、貧困にあえぐ孤児や前科者・不良・無職の若者たち。軍が高額の報酬をえさとして騙すようにして誘引していた。60年代、2000人以上の北派工作員が死亡・行方不明となった。ところが72年の共同声明のあと、北派工作は劇的に減少した。「諸君たちは国家のため任務に就く。諸君は契約を破るかもしれないが、国家は破らない」 
 このようにして工作員は契約書を書かされた。しかし、国家は契約書を交付しなかった。そして、「国家は裏切らない」というのは大嘘だった。そうなんですよね。国家を構成する個々の公務員は異動してしまうと、前任職場の言動にはまったく何の責任もとらなくなるものです。また、責任の取りようもありません。なにしろ無縁なのですから。これは、今の福島第一原発事故で放射能対策に現場であたっている人にもあてはまってしまう危険があります。放射能によるがん発生が、確率が高まるというものである以上、国は素知らぬ顔をしてしまう恐れは大きいのです。
 国家の非情さも明らかにしてくれる本でした。
(2006年4月刊。740円+税)

2011年10月 1日

KARA、少女時代に見る韓国の強さ

著者   朴  倧玄 、 出版  講談社α新書

 テレビを全く見ませんし、歌謡曲を聴くこともない私ですが、活字を通して、いま日本で韓国の少女そして男性芸能人が大いにもてはやされていることは知っています。その秘密を知ろうと思って読んでみました。
いやあ、韓国人って芸能人を育てるのに長い時間そして莫大な手間とひまを(もちろんお金も)かけているのですね。驚いてしまいました。
 そして韓国の高校生の唯一の楽しみが遠足であり、そこでクラス対抗の歌と踊りを披露して日頃のウサ(ストレス)を発散させるというのです。日本以上に韓国では苛烈な受験戦争がまかりとおっているとのこと。韓国は日本以上の学歴社会。試験は年に1回だけで、応募できるのも3校まで。高校から大学に持ち上がるシステムはない。
韓国では、人気のある歌手の踊りを男女を問わず、すぐに「ものまね」する。それもお笑いまじりでやって、大喝采を受ける。
芸能事務所の練習生期間は長い。たとえば少女時代のユナは5年2ヶ月をそこで過ごした。うひゃあ、5年あまりもの練習生なんて、とても信じられません。よくぞ若いなか我慢したものです。
少女時代には、短くても3年、長いものは7年もの練習生時代を送ったメンバーがいる。韓国では、芸能事務所の練習生が1000人いて、そのなかで実際に歌手としてデビューできるのは、毎年4~5グループ、20~30人ほど。これは厳しい選抜ですが、スターになるには当然のことなのでしょうね。
 韓国には、芸能人になりたいと思う子が、日本以上に多くいる。芸能事務所が練習生一人にかける費用は、トレーニング費、車両維持費まで含めると、毎月15万円。整形・美容に要する費用まで含めると年間250万~290万円。練習生の平均を5年とすると、一人あたり1500~2200万円かかる。すごいですね。元を取り戻したくもなりますよね。
東方神起がデビューするまで、練習生一人当たり145万円の費用がかかり、平均の練習期間が5年だとすると一人3700万円が投資された。
宿舎購入費、CDやミュージックビデオ、衣裳などの制作費をふくめると、デビュー前に1億4000万円ほどかかった。それにマーケティング費用までかけたら、東方神起は5億 9000万円のプロジェクトだった。そして、5年間の売上高は36億円。それまたすごいですね。
日本ではAKB48のようにデビューしてから人材を徐々に育てていく。韓国では、莫大な投資と練習生時代に厳しい競争をくぐり抜けてアイドルが生まれてくるので、すでに踊りも歌もうまい。
 韓国のアイドル・グループの多くは、練習生時代だけでなく、デビューしてからもひとつのマンションで合宿生活を送る。この合宿生活こそ、世界で活躍するパワーの源となっている。
日本人は、電車やバスの中でも本を読む。韓国人は、日本人ほどには本を読まない。韓国人は、女も男も整形手術を平気で受ける。韓国では普通にスターは自分の肉体を見せ、ファンと視聴者はそれを見ながら喜ぶ。
似てるようで違いのたくさんある韓国について知ることができました。

(2011年5月刊。838円+税)

2011年5月25日

韓国の徴兵制

著者   康 熙奉   、 出版   双葉新書

私は日本に徴兵制がなくて良かったと心の底から思っています。それは何より憲法9条があるおかげです。青春まっただなかの貴重な2年間をあたら絶対服従、上命下服、暴力の横行する、合理的思考の通用しない組織の一員として毎日、人殺しの技術を叩きこまれ、殺人マシーンをつくり変えるなんて、とんでもない人生のロスではないでしょうか。
韓国の若者も除隊後、次のようにしんみりと語っています。
私たちは軍隊に行って、一日中、人をどう殺すかということを教えられる。どこをやれば致命傷になるか、そんなことをずっと学び続ける。これは、とても怖いことだ。自分も一発で殺されるおそれがあるわけだ。
次は別の若者の話です。
もう二度と行きたくない。軍隊で学ぶことは何一つなかった。だから、もう一度行けと言われたら、絶対に逃亡する。地の果てまでも逃げて、逃げて、逃げまくってやる。
さらに別の若者の感想です。
軍隊生活は思い出したくないほど厳しかった。とにかく上官からの体罰が厳しく、血を吐くほど殴られた。軍隊のなかで一生懸命に生きていこうとしているのに、なんで人間以下の扱いを受けなければならないのか。悩み、死にたいと思った。軍隊は自分には耐えがたい場所でとても我慢できないと絶望していた。
ところが、やがて部下をもてるようになると少し気持ちが変わってきた。殴られるだけでなく、自分が殴れる相手ができたら、平気で部下を殴るようになった。部下を殴ることに徐々に快感を覚えていった。軍隊では人を殴ることが平然と許される。人を殴る快感を一度覚えてしまうと、やみつきになる。
人生で一番大切な時期に2年間も軍隊で理不尽な経験をさせられるのは、その個人にとってのマイナスだけではなく、国家的なマイナスだ。つくづくそう思う。
まったく同感です。多感な創造力あふれる青年時代に理不尽な暴力で鋳型にはめ込むなんて、およそ人類の英知を奪う暴挙としか言いようがありません。
韓国でも徴兵制の期間が次第に短くなっているようです。アメリカではベトナム戦争当時は徴兵制でしたが、金持ちと権力者(有力者)の子弟は兵隊にとられることなく、万一とられても前線に送られることはほとんどありませんでした。今の韓国でも、かつてのアメリカのような脱け道があるようです。軍隊が必要悪として、その存在を認めたとしても、やっぱり志願制ではないと士気もあがらないのではないでしょうか。
(2011年2月刊。800円+税)

2011年4月12日

韓国映画史

著者 キム・ミヒョン  、  出版  キネマ旬報社   
 
 私は「冬のソナタ」はみていませんが、韓国映画のファンの一人です。つい先日は、『戦火の中へ』 をみました。「ブロックバスター」という言葉があるそうです。1999年の「シュリ」や「JSA」「シルミド」「ブラザーフッド」などを指すようです。1000万人の韓国人がみたというのですからすごいものです。私ももちろん、みんなみています。なにしろ、人口
4700万人の韓国で1000万人の観客というわけですから、15歳以上の人口の27%がみたということです。これって、4人に1人以上の割合ですよ。すごいことです。
「シルミド」「ブラザーフッド」は、それまで劇場に足を運んだことのない40代、50代を新たな観客として呼び込んだからこそ可能となった。
「ウェルメイド映画」という言葉もあるそうです。こちらは、「よく出来た映画」という意味です。「JSA」も「ブラザーフッド」もウェルメイド戦争映画だということです。同じく「大統領の理髪師」もよかったですね。
「トンマッコルへようこそ」は素晴らしい映画だと思いました。韓国(朝鮮)戦争を扱っているのですが、深刻なテーマでありながら笑わせます。これが新人監督のデビュー映画だと知って驚嘆しました。韓国の映画人の底力というか、層の厚さを思い知らされます。
韓国映画と言えば、私はなんといっても「風の丘を越えて~西便制」を必ず挙げます。この映画には本当に心揺さぶられ、全身の皮膚が奮い立つ思いに駆られました。
この映画の興行の成功が一つの歴史的な事件でありえたのは、都市化によって消費社会へ急激に移行しつつあった当時(1993年の上映)、全羅道(チョハラド)という地域を舞台に、パンソリという失われた伝統へのこだわりと憐れみがこめられていたからである。
日本の歌謡曲の原点ともいわれているパンソリの圧倒的な迫力に、みているだけで手に汗を握って、つい身を乗り出してしまいました。まだみていない人には、DVDを借りて、ぜひご覧ください。人生を考えさせてくれる心揺さぶる最良の映画の一つです。ソウルだけで104万人韓国全土で220万人がみたというのも、うべなるかな、です。
私がみていない映画で、ぜひみてみたいのが「太白山脈」(1975年。この本では反共映画だと決めつけられていますが・・・・)、「南部軍」(1990年、智異山のパルチザンを客観的に描写しようとした)、「ホワイト・バッジ」(1992年。ベトナム戦争に派遣された韓国軍のベトナムにおける戦いを描いたもの)です。いずれも日本語版のビデオが入手できたら、ぜひみてみたいと思いますが、なかなか大変のようです。
 韓国映画は政府による反共政策の下で露骨な統制・検閲のなかにあっても、なんとか生きのびてきただけあって、そのタフさはすごいものです。そして、クォーター制という韓国映画保護政策もプラスに働いています。470頁もある大部な、しかも高価な本ですが、写真もたくさんありますから、楽しくなつかしい思いを胸にして読みすすめていきました。

(2010年5月刊。4200円+税)

2011年3月 4日

韓国戦争(第五巻)

著者  韓国国防軍史研究所、  出版  かや書房 
 
 1950年6月25日、金日成の指示で人民軍が南侵して韓国戦争が勃発した。1951年6月、戦争1年目で戦線は膠着した。このとき、中共軍は6コ兵団19コ軍55コ師団77万人、人民軍8コ軍団27コ師団34万人計112万人。中共軍が主力であり、西部と中部の主要な戦線は中共軍がすべて担当し、人民軍は東部戦線の一部だけを担当していた。これに対して国連軍は、アメリカ軍3コ軍団7コ師団25万3千人、韓国軍1コ軍団10コ師団27万3千人。その他の国連軍が2万8千人。そして、海も空も国連軍が絶対的に優勢で、制海権も国連軍が制空権も掌握していた。 
 人民軍は、ソ連空軍によって訓練を受けた中国空軍と北朝鮮空軍の前線配置を急いでいた。マッカーサー将軍は1951年4月11日にトルーマン大統領から解任され、後任はリッジウェイ将軍が国連軍司令官として着任した。そして、中共軍の春季攻勢にあって、一時は危機的な状況に陥ったが、中共軍の人海戦術を火力の優越によって撃破して戦場の主導権を掌握し、1951年5月末には三たび38度線の回復に成功した。
 開城(ケソン)での休戦会談について、毛沢東はスターリンに電報を打ち、スターリンが毛沢東に返信した。休戦会談は、スターリンと毛沢東の指示と承認のもとにすすめられた。スターリンは会談の主管責任を毛沢東に付与し、スターリン自身は幕の後ろから指導し、統制する役に徹していた。共産軍側の実質的な権限は中共軍が握っていたが、形式的には北朝鮮の代表が主席に任命された。休戦会談は当初は共産軍の陣営内の開城で始まり、次いで、板門店に移った。
 休戦会談では、2時間11分も双方が沈黙したまま睨みあったということもあった(1951年8月10日)。うへーっ、これってすごいですよね。にらめっこしましょ、笑ったらダメよ。というのは、つい笑ってしまうものですが、ひたすら腕組みして睨みつけたというのですから、双方とも人間わざありませんね。これもそれまでに何十万、何百万人という人々が死んだということが背景にあったのでしょう。平和なときには、ありえない情景です。
開城での休戦会談は1951年7月10日に始まったが、これによる戦線の小康期を利用して共産軍側は防御線を三重に編成するとともに、国連軍の空爆や砲撃にも直撃弾でなければ耐えうるように有蓋化、掩体化をすすめた。さらに、野砲や高射砲などの火器と装備の前方推進に努めた。
 1951年8月、国連軍と共産軍とのあいだで激烈な陣地戦が展開した。8月から9月にかけての血の稜線の戦いでは、国連軍は戦死326人、負傷2032人、行方不明414人、あわせて2722人の損害を出した。これは1コ連隊に相当する規模。これに対して、人民軍の損失は1万5000人に達する。人民軍は、寸土を譲らない強い意思と人命の損耗をかえりみない抵抗を行ったため、彼我の戦意の決戦場となって多くの人命が失われた。小さな山をめぐって、双方が激しく戦い、取っては取りかえされ、また突撃して奪い返すという激烈な戦いが連日続いた。これは、少しでも休戦の条件を自軍に有利にしようという思惑からの戦闘だった。
 このときの戦闘の推移が詳細に述べられています。双方とも多くの将兵が将棋の駒のように使い捨て同然に死んでいったのでした。ああ、無情。亡くなった人は、さぞかし残念なことだったでしょう。たくさんのことをやりたかったでしょうに・・・・。
1951年の時点で、中共軍は64万2千人、人民軍は22万5千人。国連軍はアメリカ軍が33万人、韓国軍が47万人。共産軍は、高地を占領すると、直ちに塹壕を掘り始めた。強力な地下塹壕に兵員と装備を収容した。そして、トンネルを縦横無尽に展開した。
 1951年冬の極寒のなかでも人民軍は耐えられた。むしろ補給が相対的に良好な国連軍の方に、多くの凍傷者を出した。人民軍が耐えられたのは先天的な順応性と苦労と欠乏に耐えることのできる精神力、そして厳格な規律のためだった。
 休戦会談の主要なテーマの一つが捕虜交換だった。国連軍は13万人あまりの捕虜の名簿を共産軍に渡した。そして共産軍側は、1万人余りの国連軍捕虜の名簿を示した。なんと、そのなかに日本人も3人ふくまれています。日本人が掃海艇に乗っていて戦死したというのは聞いていましたが、捕虜になった日本人もいたのですね。
 そして、巨済島にある捕虜収容所で、暴動が起き、ついには収容所長(ドッド将軍)が拉致されてしまったのです。
 天神で、韓国映画『戦火の中へ』をみました。開戦直後の浦項(ポハン)で学征兵71人が人民軍と戦った実話にもとづく戦争映画です。
 お母さん、僕は人を殺しました。敵は脚がちぎれ、腕がちぎれてしまいました。あまりにもひどい死に方でした。いくら敵とはいえ、彼らも同じ人だと思うと、それも同じ言葉と同じ血を分けた同族だと思うと、胸がつまり、重くなります。
 お母さん、なぜ戦争をしなければならないのですか?
 韓国人は共産軍の兵士を頭にツノがある化け物だと思い込んでいたのですが、実際には自分と同じような人間であることを知ってショックを受けたのです。また、少年兵も戦場に銃を持っていたのでした。
すさまじい戦争アクション映画でした。戦争だけは起こしてほしくない。人が人を殺すなんて、絶対にあってはならないと思わせる、切ない映画でもありました。
 
(2007年6月刊。2500円+税)

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