弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
朝鮮・韓国
2020年9月 1日
元徴用工和解への道
(霧山昴)
著者 内田 雅敏 、 出版 ちくま新書
2018年10月30日、韓国大法院(日本の最高裁判所にあたる)は、戦時中、日本製鉄で強制労働させられた韓国人元徴用工が損害賠償を求めた裁判で、会社に賠償を命じる判決を言い渡した。その後、三菱重工についても、同じような判決がなされた。
徴用工は、戦前に日本の植民地下にあった朝鮮半島から多くの人々が日本に連れてこられ、鉱山、炭鉱そして工場で過酷な労働に従事させられた人々のこと。初めは募集、官斡旋(あっせん)、そして国民徴用令による徴用となったが、形式の違いはあっても実態として強制労働だった。
私の父も三池染料の徴用係として朝鮮半島から徴用工を連れてきたと生前に語り、驚きました。
日本社会では、この大法院判決を安倍内閣を先頭として「ちゃぶ台返し」として非難する人々がいる。それは、1965年6月の日韓基本条約・請求権協定で決着ずみだという。しかしながら、実は日韓請求権協定で放棄されたのは、国家の外交保護権であって、個人の請求権まで放棄されたわけではない。
ところが、日本のマスコミの多くは、そこを区別せず、避難の大合唱に加わっています。
たしかに、1961年12月に韓国政府が8項目12億2千万ドルを日本政府に要求したなかには、徴用工についての賠償として3億6400万ドルがふくまれていた。これに対して日本政府は、元徴用工に対する賠償を否定しながら、12億ドルの要求を3億ドルに値切って政治決着させた。なので、韓国政府としては、請求権協定のあとは日本政府に元徴用工についての賠償は求めていない。
なるほど、そういうことだったんですね...。
そして、日本の国会では、個人の請求権が消滅していないことは繰り返し、政府答弁で名言した。
「これは、日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということ。したがって、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない」(1991年8月27日、柳井俊二・外務省条約局長)
河野太郎外務大臣も、最近の国会で、個人請求権が消滅していないこと自体は認めた(2018年11月14日)。
ところで、同じように強制連行された中国人元徴用工について日本の裁判所は時効だ、除斥期間を過ぎているとして請求棄却して大きく批判された(1997年12月10日、東京地裁判決)。この判決を原告側が控訴したところ、東京高裁(新村正人裁判長)は和解を勧告し、2000年11月29日、和解が成立した。そして、その後も、2009年10月23日、西松建設広島安野の和解、2016年6月1日の三菱マテリアル和解と続いた。ただし、鹿島建設が和解において法的責任を認めたわけではないとしたことから、日中間で、いくらかゴタゴタが起きた。
責任といっても法的責任と道義的責任がある、また三菱マテリアル和解のときには「歴史的責任」と表現された。そして、原告側が被告の主張を「了解した」というのも、承認・了承ではないということなのだが、その差(違い)は微妙なところだ。
この本によると、朝鮮人元徴用工との裁判で新日鉄や日本鋼管、そして不二越が和解に応じて、解決金200万円、410万円、3000万円を支払ったことも紹介されています。
判決だけでなく、和解による解決金支払いという決着もありうるわけです、
そのとき、最高裁判所に「付言」があったことの意義も著者はきちんと評価しています。
最後に、裁判官の苦悩を少し紹介します。
2006年3月10日の長野地裁・T裁判長(この人だけ、なぜか実名ではありません)
「和解が成立できなかったことを残念に思い、お詫びします。自分は団塊の世代で全共闘世代に属するが、率直に言って私たちの上の世代は随分ひどいことをしたという感想を持ちます。裁判官をしていると、訴状を見ただけで、この事案が救済したいと思う事案があります。この事件も、そういう事件です。一人の人間としては、この事件は救済しなければならない事件だと思います。心情的には勝たせたいと思っています。しかし、どうしても結論として勝たせることができない場合があります。このことには個人的葛藤があり、釈然としないときがあるのです。最高裁の判決がある場合には、従わざるをえません。判決を覆すには、きちんとした理論が立てられないとやむをえません。この事案だけに特別の理論をつくることは、法的安定性の見地から出来ません...」
2007年3月26日、宮崎地裁・徳岡由美子裁判長
「当裁判所の認定した本件で強制連行・強制労働事実にかんがみると、道義的責任あるいは人道的責任という観点から、この歴史的事実を真摯に受けとめ、犠牲になった中国人労働者についての問題を解するよう努力していくべきもの...」
2005年3月7日、福岡高裁宮崎支部・横山秀憲裁判長
「被告弁償によって解決すべきであると判断した。当裁判所も和解に向けた努力をしてきたが、現在に至るも解決できず、判決することになった。今後とも、関係者の和解に向けた努力を祈念する」
2009年11月20日、仙台高裁・小野定夫裁判長
「強制労働により、きわめて大きな精神的・肉体的苦痛を被ったことが明らかになった。その被害者らに対して任意の被害救済が図られることが望ましく、これに向けた関係者の真摯な努力が強く期待される」
大変、時宜にかなった、すばらしい内容の新書です。広く読まれることを心から祈念します。あわせて、著者の今後ひき続きの健筆を期待します。
(2020年7月刊。880円+税)
2020年5月 2日
あやうく一生懸命生きるところだった
(霧山昴)
著者 ハ・ワン 、 出版 ダイヤモンド社
韓国で25万部も売れてベスト・セラーになった本です。
イラストレーターになって、しゃかりきにがんばったこともある著者が、ある日、ふと、いったい自分は今、ここで何をしているんだろう...と振り返ってみたのです。すると...。
必死に努力したからといって、必ずしも見返りがあるとは限らない。
必死にやらなかったからといって、見返りがないわけでもない。
人生とは、実に皮肉なものだ。
2000年代の初め、テレビで有名女優がカード会社のCMで、こう叫んだ。
「みなさーん、お金持ちになってくださーい」
私はテレビを見ることはありませんが、日本のテレビでこんなCMが流れるとは、とても思えません...。この「お金持ちになってください」という言葉は、韓国では、またたく間に国民的流行語になった。それ以降、韓国では、「お金持ちになろうフィーバー」が吹き荒れた。そして、韓国は、お金が最高という、物質万能主義社会になった...。そういうものなんでしょうね。
ほかの選択肢はないと妄信(もうしん)してしまうのは、いかに愚かなことか...。
世の中、そして人生は、決して一筋縄ではいかない。世の中のすべてが自分ひとりで解決できるレベルの問題ではないからだ。
理想どおりにならなくても人生は失敗じゃない。人生に失敗なんてものはない。
自分が自分の人生を愛さずして、誰が愛してくれるだろうか。自分の人生だって、なかなか悪くないと認めてからは、不思議とささいなことにも幸せを感じられるようになった。
幸いにも、万人ウケしそうなものをやっても結果は変わらない。
結果なんか分からないのだから、自分の好きなことをやったほうがいい。
「一生懸命がんばります」と言うとき、嫌いなことを我慢してやり遂げるという意味が含まれている。つまり、楽しくないのだ。
だから、一生懸命に生きるのは、つらい。それは我慢の連続だから。同じ人生、どうせなら「一生懸命」より、楽しく、のほうがいい。
天才は努力する者に勝てず、努力する者は楽しむ者に勝てない。
つまるところ、人生は一回こっきり、あまり肩肘張らず、ゆったり気分で、1日を過ごしたい。たしかに、そんな気にさせてくれる本でした。
(2020年3月刊。1450円+税)
2020年4月 3日
夜は歌う
(霧山昴)
著者 キム・ヨンス 、 出版 新泉社
民生団事件、すなわち1930年代の中国・満州を舞台として、そこにいた朝鮮人の民族主義者(独立派)、共産主義者と中国共産党のあつれきをテーマとする小説です。民生団事件は中国共産党の恥部、暗黒の歴史の一つと言えるものですが、それが小説とし再現されています。これは大変重たいテーマですが、単なる歴史解説書とか弾劾本ではなく、じっくり読ませる小説となっています。
当時の満州は、もちろん日本が支配していました。そして、日本軍は現地の討伐軍を配下としながら、抵抗勢力を野蛮に武力でもって鎮圧していくのです。
日本軍の指揮する討伐隊は住民50人あまりを集団虐殺し、村に火を放った。
満鉄調査部には東京帝大卒で、共産主義者として活動していたところを逮捕・起訴され、転向して日本を逃れてきたという人間もいた。これは歴史的事実です。
1933年1月26日、コミンテルン駐在の中国共産党代表団は、満州の共産党員へ「1.26指示書簡」を送った。すなわち、日本軍の討伐によって深刻な危機に瀕していた抗日闘争の情勢からみて、各民族間の葛藤こそが根底的な問題であるとみなし、日本に対抗しうる統一戦線の結成を要求した。
抗日民族統一戦線の樹立は、抗日という目標のもと、各派、各党、各民族を結合するものであると同時に、いったん抗日民族統一戦線に加わった者は、右傾、派閥主義、民族主義といった名目で、いつでも粛清されうることを意味していた。そして、派閥主義とならんで民生団が指導部に入りこんでいるとして粛清の対象となった。
満州の北間島は朝鮮人を主体とする抗日武装勢力が活動していたのに、中国人幹部が乗り込んでくることになったのです。民生団は日帝のスパイ組織であり、朝鮮人共産主義各派は、この民生団の片腕だと決めつけられ、粛清の対象となっていきました。民生団とみなされた元朝鮮共産党のメンバーに対して自白が強要されたのです。
党組織、革命政府、遊撃隊、群衆団体の70%が民生団員と認定され、6ヶ月もしないうちに、60余名のなかで生き残ったのは、わずか1人だけという大惨事が起きた。
なかには、一族を連れて逃げる党員もいた。遊撃区の人民はほとんどが朝鮮人だったので、逃げるのは100%が朝鮮人だった。当然、彼らは民生団とみなされ、捕まると拷問され自白を強要されて処刑された。
著者は、まだ50歳の若さですが、現代韓国文学の第一人者とみられています。詩人としてデビューし、たくさんの話題作を出しているとのこと。
日本語に訳されたものもあるそうですが、私は初めて読みました。しっかり考えさせられる小説です。
(2020年2月刊。2300円+税)
2020年3月18日
追跡・金正男暗殺
(霧山昴)
著者 乗京 真知・朝日新聞取材班 、 出版 岩波書店
2017年3月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で金正男は毒物VXを若い女性から顔に塗られてたちまち失神し、まもなく死亡。その様子が空港内の監視カメラに逐一とらえられています。監視カメラは犯罪を予防する効果はありませんが、このように犯人の追跡と真相究明にはかなり役に立ちます。
金正男は、襲われた直後はまだ空港職員に話すことができた。
「女たちに襲われた」「見知らぬ女だった」「一人の女は後ろから飛びついてきた」「もう一人は目を触ってきた」
やがて、金正男はカウンター横にへたり込み、口から血や泡を吸出しはじめた。ストレッチャーに乗せられたときには白目をむいて、額には汗が吹き出していた。涙や唾液も止まらない。歯を食いしばり、激しくケイレンする。ついに、2時間後、死亡が確認された。
金正男は、殺される4日前、ランカウィ島のホテルでアメリカCIAの男性と2時間にわたって話し込んでいた。この本によると、金正男が、アメリカやフランスの情報機関と接触していたのは事実のようです。
司法解剖所見によると、金正男は46歳で、体重は96キロあった。
金正男はフランス語が堪能で、最近、北朝鮮で復活した金敬姫(金正日の実妹で粛清された張成沢の妻)がフランスのパリで病気療養しているところに見舞いのため顔を出していたようです。
では、実行犯の女性2人はどんな人間だったのか...。
一人は、ベトナム人の若い女性(28歳)。アイドルを夢見ていて、ハノイ市内のナイトクラブで働いていた。そこへ、いたずら番組の撮影に誘う韓国人の男が登場した。ハノイの空港で旅行客にいたずらする場面をしたりして訓練され、本番に向かった。つまり、この女性は金正男を暗殺するとはまったく思わず、あくまでタレントとして「いたずら番組」に出演していたつもりだった。1回1万円ほどの謝礼が支払われていた。だから、金正男に向かって「いたずら」をしたあと、トイレでVXのついた手を洗って、タクシーに乗り込み、ホテルに戻った。それから、いつものようにスマホで友だちに報告している。
このような「犯行」後のノーテンキな行動は人殺しの実行犯とはとても思えない。
猛毒VXも15分以内に手を洗えば、VXによる中毒症状が出なかったとしても不思議ではないというのです。
もう一人はインドネシア人の女性(25歳)。マレーシアで性風俗マッサージ店員として働いていた。そこに「日本人」男性が「いたずら番組」への出演を誘った。昼間に数時間の撮影につきあうだけで、1万円もらえるという、うまい話だ。
このインドネシア人女性も「犯行」のあとホテルにいて、警察が踏み込んだとき、何の容疑をかけられているのか驚いた。
教育役となった北朝鮮外務省に所属する32歳の男性はインドネシアの北朝鮮大使館につとめていた。もう一人の教育役は、北朝鮮外務省に所属していて、こちらも32歳で、ベトナムの北朝鮮大使館にいた。
指示役は、国家保衛省に所属する56歳の男性と、54歳の男性の二人いた。
支援役としては、北朝鮮大使館の2等書記官(44歳)と、北朝鮮国営航空会社「高麗航空」職員(37歳)もいる。
指示役などが北朝鮮に逃げ切るまでの時間稼ぎのため、素性の分かりにくい外国人を実行犯に選び、殺さずに生かしておいたのではないかというマレーシアの警察官のコメントが紹介されています。なるほど、と思いました。
金正男暗殺はスタンディング・オーダー(継続命令)だったといいます。つまり、必ずやり遂げなければならない命令だったのです。
北朝鮮(金正恩)は、金正男を暗殺することによって、正男だけでなく、正男に連なる脅威も排除した。「第二の正男」となりうる正男の息子(ハンソル)や、ハンソルを利用しかねない国々、反体制派の動きを牽制した。
金正男に人前で毒を塗り、監視カメラに一部始終を撮らせ、もがき苦しむ臨終の様子まで見せつけた暗殺劇は、正恩体制に刃向かう者を威嚇する、見せしめの「公開処刑」だった。
この総括を読んで、私は、はあ、そういうことだったのか...と、深くうなずいたのでした。
(2020年1月刊。1900円+税)
2020年1月29日
知りたくなる韓国
(霧山昴)
著者 春木 育美、金 香男ほか 、 出版 有斐閣
隣国について、私たちは意外なほどよく知っていません。知らずに「嫌韓」に乗せられてしまうなんて、愚かなことです。
日本と韓国の違いと言えば、なんといっても徴兵制です。男子は19歳になると、兵隊にとられます。兵隊の訓練というのは、要するに効率よく人殺しできるマシーンになるように人間を改造することです。私には、とても耐えられません。良心の呵責なく大量殺人を遂行することが兵隊(軍人)の資質として求められます。大量の「敵」を殺したらナポレオンのような英雄なのです。ところが、「敵」といっても、実は家族もいる人間なのです。
韓国の人口は5100万人。人口の20%の1000万人がソウルに住んでいる。そして、韓国人口の90%が都市部に住んでいる。
韓国の持家率は50%台。賃借するとき、月々の家賃は免除させるかわりに「チョンセ」という保証金を預ける。ソウル郊外でも1000万円が相場。2年契約で、契約満了すると、保証金は全額戻ってくる。家主は、預かった1000万円を金融機関に預けて利子を得る仕組み。
財閥は韓国の誇りであると同時に、社会的批判の対象もある。サムスンなどの財閥は、羨望の対象であっても愛されてはいない。社会への利益の還元が十分でないとみられているからだ。
韓国のインターネット普及率は90%台。全国民の3分の2をこえる人々が「ネチズン」と自称している。
家族の小規模化がすすんでいる。3世代家族は1969年に27%だったのが2015年には5%へと大幅減少。1人暮らしの単独世帯や夫婦2人だけの家族の増加が著しい。
韓国では結婚後の新居を用意するのは男性側が、家財道具は女性側がそろえるのが慣例。このほか、男性側の親と親族に物品(婚需)を贈る習慣もある。
韓国では、結婚しても夫婦別姓。日本では近親婚の禁止のため3親等以内は結婚できないが、韓国はそれより広い8親等まで結婚できない。また、「同姓同本不婚」の原則がある。姓と本貫を同じくする血族内での結婚を禁止する制度。
韓国の高齢者10人のうち8人は年金をもらっていないか、月の受給額が2万円ほど。貧困は深刻で、自殺者も多い。
韓国の学校は2学期制で、小学校から高校まで学校給食がある。中学・高校では部活動はなく、勉強が優先される。大学に入るための「修能」は一発勝負。大学進学率は70%をこえる。
こうやってみてくると、日本との違いはかなり大きい気がします。似たような顔をしていても、お互い生活習慣は大きく異なります。これは、いいとか悪いとかの問題ではありません。みんな違って、みんないい。この金子みすずの精神をもっと大切にしたいものです。
(2019年8月刊。1800円+税)
2019年9月19日
徴用工裁判と日韓請求権協定
(霧山昴)
著者 山本 晴太、川上 詩朗、 殷 勇基ほか 、 出版 現代人文社
いま日韓関係は最悪の状況になっています。安倍政権は全部、韓国が悪いと放言し、日本のマスコミも「大本営発表」をうのみにして韓国バッシングのキャンペーンをひたすら続けています。
でも、本当にそうなんですか・・・。少し頭を冷やして、日本と韓国、戦前の朝鮮半島を日本が植民地支配した実際を考えてみませんか・・・。
先日、山本晴太弁護士(福岡県弁護士会)の講演を聞く機会があり、その折に本書を買い求めました。長いあいだ韓国の徴用工問題について原告代理人として裁判をたたかってきた弁護士ですので、その歴史的また法律的解説はきわめて明快でした。
徴用工というのは、結局、日本政府の方針のもとで日本企業が朝鮮半島から日本へ連行してきた労働力として無理やりはたらかせていた人たちのことです。大牟田市では三池炭鉱だけでなく、三池染料(今の三井化学)などでも働かせていました。私の亡父も労務係長として京城の総督府で話をつけて500人の徴用工を引率してきた一人です。悪いことをしたとは思っていませんでした。
徴用工といっても、法的には、募集と官斡旋(あっせん)、徴用の3段階がある。この3つにどれだけ実質的な違いがあるかというと、実はほとんど同じ。募集と官斡旋は、事実上拒否できない「物理的強制」が多く用いられた。徴用は物理的強制だけでなく、拒否すると刑罰を科せられる法的強制が加えられた。
1965年6月の日韓請求権協定では、日本が韓国に対し、無償3億ドル、有償2億ドルの合計5億ドルの経済支援を行うこととし、両国と国民のあいだでは請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決した」(協定2条)とされている。
日韓会談がなされていたころの1953年10月、日本側首席代表の久保田貫一郎は、「日本は36年間(の植民地支配のなかで)、鉄道を敷き、水田を増やし、ハゲ山を緑の山に変えるなど、多くの利益を韓国人に与えた。日本が進出していなかったら、韓国は中国かロシアに占領され、もっとミゼラブルな状態におかれたことだろう。日本によって植民地支配されたこと、韓国が日本に併合されたことについて、韓国は日本に感謝すべきだ」とテレビの前で放言した。
なるほど、高速道路、新鋭製鉄所の建設、ダム建設など、韓国の高度経済成長に日本の経済支援は貢献しました。とはいっても、そのとき経済支援のお金は実のところ日本企業にリターンしていたのです。そして、韓国はアメリカ軍のベトナム侵略のもとで派兵に踏み切ったので、7年間で10億ドルほどの経済援助(特需)を得ていたし、こちらのほうが金額は大きい。
また、被徴用者に対して、韓国政府は死亡者1人につき30万ウォン、総額37億円を支給した。これは、日本の「賠償金」から支払われたものではない。
外交保護権なるものは、国民が外国から不当な扱いを受け、その被害が相手国の裁判などで救済されないようなとき、最後の手段として被害者の国が相手国に賠償を要求する権利のこと。日本政府は、ながいあいだ国家として有する外交保護権は放棄したが、個人請求権は放棄していないという見解を表明してきた。ところが、2000年ころ突如として個人の権利は消滅していないが、裁判による請求はできなくなったという見解に変わった。そして、それを2007年4月27日の最高裁判決は無批判に受け入れた。いつものことながら、司法による情ない行政追随判決です。
韓国の大法院(日本でいう最高裁にあたります)判決が2018年10月30日に出ましたが、実はこれは2012年5月24日の大法院判決と基本的に同旨なのです。すなわち、植民地支配と直結した不法行為による損害賠償請求権は日韓請求権協定の対象とはなっておらず、個人の損害賠償請求権はあるとしました。まったく無理のない判決です。韓国政府が大法院の判決がおかしいなど言えるはずもありません。
中国の徴用工問題については、最高裁判決のあと、その趣旨も生かし、日本企業がお金を支払って無事に和解で解決しました。日韓の徴用工問題にしても同じような決着の仕方を考えたらよいのです。ところが、安倍首相も菅官房長官も、ひたすら「韓国が悪い」「韓国に全責任がある」かのように言い募って韓国を敵視する世論をあおるばかりで、ほとんどの日本のマスコミがそれをたれ流しています。
判例解説が中心なので、少々よみにくいところもありますが、いまこそ大いに読まれるべき本です。どうしてこうなったのか、日本人は戦前の植民地支配にまで立ち返ってきちんと反省すべきだと思います。
(2019年9月刊。2000円+税)
2019年9月 3日
星をかすめる風
(霧山昴)
著者 イ・ジョンミョン 、 出版 論創社
この小説の主人公と言うべき詩人の尹東柱は、1917年に中国東北部(旧満州)に生まれた。中学生のころから詩を書いていて、ソウルの延世大学(当時は延嬉専門学校)文学部に進学し、日本に留学して立教大学そして同志社大学で学んだ。同志社大学の学生のとき治安維持法違反で逮捕され、福岡刑務所に収監中、1945年に27歳の若さで獄死した。戦後、詩集は韓国でベストセラーとなり、全詩集『空と風と星と詩』が出版されている。
この小説は福岡刑務所の残忍な検閲官として活動している杉山という看守とともに働く若い看守兵の目を通した形で進行する。なかなか凝った仕掛けの多い小説になっています。
刑務所は、あらゆる人間群像の集合場所だ。囚人は思想犯だったり、暗殺者、詐欺師、逃亡者だった。
彼らの目には絶望が、そうでなければ陰謀が漂っていた。彼らは互いに騙し騙され、その二つを同時にやったりした。唯一の共通点は、みな潔白を主張することだ。もちろん、それは嘘だった。
刑務所も人が生きる場所で、人が生きる場所には、どこでも往来があるものだ。まともな商売人は、死さえも売り買いするものだ。
どうせ片方にゆだねるのなら、希望に賭けろ。絶望に賭けても、残るものは、もっと大きな絶望だ。商売は、うまくいくだろうという側に賭けるほうが、利益が多く残るものだ。
言葉と文章という手綱を両手に握り、検閲の刃物を避け、囚人たちの切々たる思いを乗せて文章にした。
ある本を読んだ人は、その本を読む前の人ではない。文章は、一人の人間を根こそぎ変化させる不治の病だ。文章は骨に刻まれ、細胞の中に染み込み、子音と母音はウィルスのように血管のなかを流れ、読む人に感染する。そして、本や文章なしに生きられない中毒者で、依存症になる。
いやはや、まったく私のことですね、これって・・・。
いちばん大事なのは、最初の文章。最初の文章がうまく書けたら、最後の文章まで書くことができる。たしかに、書き出しの文章には、いつも頭を悩まします。
星をかぞえる夜
季節の移りゆく空は
いま 秋たけなわです。
わたしは なんの憂い(うれい)もなく
秋の星々をひとつ残らずかぞえられそうです。
胸にひとつふたつと刻まれる星を
今すべてかぞえきれないのは
すぐに朝がくるからで、明日の夜が残っているからで、
まだわたしの青春が終わってないからです。
星ひとつに 追憶と
星ひとつに 愛と
星ひとつに 寂しさと
星ひとつに 憧れと
星ひとつに 詩と
星ひとつに 母さん、母さん
(2018年12月刊。2200円+税)
2019年8月28日
北朝鮮外交秘録
(霧山昴)
著者 太 永浩 、 出版 文芸春秋
イギリスの北朝鮮大使館の公使だった著者は、妻と2人の子どもとともに北朝鮮を脱出することができました。大変な決断だったと思います。
いわば北朝鮮のエリート層の一員だった著者は、北朝鮮は封建社会どころか、奴隷社会にまで退行したと厳しく糾弾しています。
北朝鮮には憲法より上位の法がある。金日成・金正日・金正恩という三代の「お言葉」、「堂の唯一領導体系確立の10大原則」、「朝鮮労働党規約」という首領と党の政策だ。
北朝鮮は、国全体が金正恩一族のためだけに存在する奴隷制国家だ。
金正恩が一番恐れているのは真理の力だ。
北朝鮮の平均寿命は女性が73.3歳、男性は66.3歳だ。韓国と比べると、それぞれ11.3歳と11.7歳も短い。
この本のタイトルにもなっている「3階書記室」というのは、書記室が3階建ての建物を使っていることから、こう呼ばれている。金正日の執務室のある建物が3階建てだった。3階書記室とは、大統領秘書室みたいな存在だ。党中央庁舎は、中央党の幹部も近づけない完全な立入禁止エリアだ。
北朝鮮は、金一族という「神」と、いくつもの下部組織とのあいだの縦のつながりだけが存在する社会だ。横のつながりは、ほとんどない。省庁間の協議というのはない。
外務省は外務省、党国際部は党国際部で、それぞれ金正日に報告する。
党中央組織指導部がどんなに強大な権力をもっていても、対外政策については手をだせない。党組織の生活を管理する組織指導部と宣伝煽動部は、北朝鮮の体制が形づくられた日から今日まで、北朝鮮社会を動かす二大軸だ。
北朝鮮の権力に序列には意味がない。北朝鮮では、当該機関や傘下機関の人事権、表彰権、処罰権をもっているかどうかで権力が決まる。
金正恩が恐怖政治に頼りはじめたのは、コンプレックスのせいだ。金正恩は、自分の生年と学歴、生母などを公式に発表できないでいる。生母の高英姫は元は在日朝鮮人で、万寿台芸術団の舞踏家として活動していた。そのうえ、高英姫の父親は日本軍の協力者として働いていたと韓国では報道されている。
金正恩は、自分の家族の出自や経歴が北朝鮮の体制の不安要素であることをよく理解している。
北朝鮮の権力機構にいる人間にとって、一番重要なことは、金正日や金正恩が突発的に下す指示を無条件に執行しないということだ。厳密に計算したあと、たとえ遂行する場合でも、金正日に文書を作成して裁可を受けておく。こういう問題が起きるかもしれない、別の対応もありうる・・・と。無条件に執行すると、結果が良くなかったときには責任をとらされる。党除名と失職、下手すると処刑(銃殺刑)だ。
北朝鮮の政治の意思決定過程がよく理解できる本です。私は、朝鮮半島の平和的統一を心から願っています。
(2019年6月刊。2200円+税)
2019年4月 4日
82年生まれ、キム・ジヨン
(霧山昴)
著者 チョ・ナムジュ 、 出版 筑摩書房
読んでいて切なくなるストーリー展開です。これは、隣国の話というより、私は日本の話だなと思いながら読みすすめていきました。
たしかに、チョンセとかチュソクとか、日本と風習・習慣が違うところがあります。でも、「ママ虫」というあたり、また、東京医科大学入試での男子ゲタはかせ慣行のように女性があからさまに差別されているところは本質的に同じです。家庭内でも男性優先で、女性はあとまわしというのも、日本全国で最近まで(今もかな)ありましたよね・・・。
親の給料は、兄や弟の学費に使われ、女の子はあとまわし。一家を盛り立てるのは男の子であり、それが一家全員の成功であり、幸せだと考えられていた。娘たちは、喜んで男の兄弟を支えた。
日本も同じです。私自身も男3人は大学に行き、姉の一人は高卒で就職しました。
海苔巻きの具には、たくあんが必須で、これが抜けると大失策というのも日本人には分からない習慣です。
2014年、韓国の既婚女性5人のうち1人が、結婚・妊娠・出産・幼い子どもの育児と教育のために職場を離れた。
秋夕(チュソク)は、1年でもっとも重要な祭礼の日で、里帰りして先祖の墓参りするのが恒例。
3番目以降の子どもの性は男児が女児の2倍以上だった。要するに、女児だと判明すると妊娠中絶する親が多かったということ。
韓国では、基本的に高校受験がなく、地域の高校に割り当てられる。これは、知りませんでした・・・。
女性は、能力が劣っていたらダメ、優れているのもダメ、その中間だと中途半端だからダメだと言われる。
「味噌女」とは、家族や恋人に経済的に依存しながら、ブランド物を買ったり、高いスタバのコーヒーを飲んだりする。見栄っ張りの女性をおとしめて言う、2005年ころの流行語。
韓国は、もっとも女性が働きづらい国。男女の賃金格差がOECD加盟諸国のなかでもっとも大きい国だ。日本もあまり変わらないのではありませんか・・・。
韓国の戸主制度は2008年に廃止された。もはや韓国に戸籍はなく、人々は自分ひとりの登録簿だけで問題なく暮らしている。ふむふむ、なるほど、ですね。ただ、結婚のとき、同氏(姓)の人と結婚しないという点は、今はどうなっているのでしょうか。
韓国で100万部という驚異的なベストセラー小説となったものが日本でも出版されたのです。女性の不屈なたたかいはまだまだ当分続くことでしょう。私たち男性も、そのたたかいをしっかり支える必要があることを切々と痛感させてくれる本でした。ベストセラーの名に恥じません。
(2019年2月刊。1500円+税)
2019年3月20日
麦酒とテポドン
(霧山昴)
著者 文 聖姫 、 出版 平凡社新書
北朝鮮の人々の生活の実情に迫った貴重なレポートです。
著者は朝鮮総連機関紙の朝鮮新報記者をしていて、拉致事件を北朝鮮が認めたことから嫌気がさして職場をやめ、大学で学び直したあと一般ジャーナリストになったのでした。
平壌には、2度も特派員として住んでいましたし、在日コリアン2世として朝鮮語にも堪能ですから、現地取材も容易にできたのです(といても基本的に案内員が同行)。
平壌市内にも市場経済の大波がひたひたと洗っている状況がよく分かります。
合法的な農民市場があり、非合法的な「キルゴリ市場」(露店)が全国各地にある。これらの市場では、工場や企業所に出勤せず、おのおの自家製のパンや麺類などを売って稼ぐ人々がいる。
1990年代の経済危機に直面した金正日政権は、市場をつぶすのではなく、これをいったんは容認し、供給システムが正常化するまでの代替手段として利用する現実的な政策を選択した。
2010年に北朝鮮に訪問したとき、従業員の食糧を自力で解決する企業所や工場が増えていた。そうしなければ、従業員が離れてしまうのだ。
市場が「必要悪」として欠かせないものと認識されていた。
路上の市場は、メトゥギ市場、つまりバッタ市場と呼ばれていた。ときに取り締りの警察官が来ると店の売り子たちがとんで逃げていく様子がバッタに似ているということ。それでも、また舞い戻って市場を再開して商売を続けるから、チンデゥギ市場、ダニ市場と呼ばれるようになった。このダニはたくましさの象徴であって、悪いイメージはない。
貧しい人々の多い北朝鮮でも、新興富裕層が台頭してきている。
いったい、どんな人々なのでしょうか・・・。
2013年4月、北朝鮮政府は不動産の売買を公的に認めた。そのため不動産価額が4年前の10倍にはね上がっている。
北朝鮮には、公式的には「私企業」は存在しない。しかし、個々と細々と商売している非公式の個人事業主は存在する。
北朝鮮の経済は、もはや厳格な社会主義計画経済ではない。
社会主義企業責任管理制なるものが導入されて、すっかり変わった。農業においても、集団で所有する農地を農家が分割して個別に請け負う。集団への留保分を除いて、残りすべては農家が自由に処分してよい。これは、限りなく個人農に近づいたということ。
現在、北朝鮮には経済特区が24ヶ所ある。全通に設置されている。中央クラスの特区が5ヶ所、地方クラスの特区は19ヵ所。
北朝鮮は世界各国に労働者を派遣している。それは23ヶ国に及ぶ。中国、ロシア、カンボジア、ベトナム、ポーランド、クェート、アラブ首長国連邦など・・・。このように労働力は貴重な外資獲得手段になっている。
北朝鮮の大同江ビールは、韓国のビールよりうまいとの定評がある。
北朝鮮で停電は日常茶飯事で、懐中電灯は生活必需品だ。そして、都市型アパートの10~15%がベランダや窓にソーラーパネルを取りつけている。
金正恩とトランプ会談がシンガポールそしてベトナムで実現したことを、私は心からうれしく思っています。まだまだ実のある成果はでていませんが、こうやって直接話し合っている限り、戦争行為が当面ないことは間違いありません。イージスアショアなんて、まるで無用です。
北朝鮮の人々の生活実態をしっかり認識し、彼らのプライドも尊重して交渉を続けることこそ真の平和は生まれると確信しています。とてもいい本でした。
(2018年12月刊。840円+税)