弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

朝鮮・韓国

2023年3月10日

性売買のブラックホール


(霧山昴)
著者 シンパク・ジニョン 、 出版 ころから

 コロナ禍のなか、韓国では性風俗店(遊興酒店)を訪れる客が3ヶ月で600万人以上いた。
 韓国の性売買は、日本とからみあった歴史的な脈絡のもとで形成された。日本と韓国は、いま、政治・経済両面で競争・対立関係にありながら、性売買と女性の人権問題では相互伝存的で共生関係にある。
 韓国の男性たちは、日本製のAV(アダルトビデオ)やアダルトコミックを見て育ち、日本のアダルトものに出てくる「アーン、キモチイイ」という表現は、韓国の小学校の教室でも流行語になっている。
 韓国の現状は、「売春をすすめる社会」だ。1980年代、1990年代には中年男性の突然死が多かった。それは、ビールをウィスキーで割った「バクダン酒」、そして買春が仕事と社会人生活と男性連帯のスタンスダードな価値観だったから。そこで踏んばれない者は死ぬか追い出されて、連帯から脱落した。この生き残り戦略から生まれたウップンは、男性連帯に向かうのではなく、性売買女性に向かった。
 1961年に制定された「淪落行為等防止法」は、主として売る側の女性に対して、道徳的な烙印を押す性差別的な用語が使われた。
 2004年の「性売買防止法」では、「販売」する女性の自立性が強調され、性売買を成り立たせている社会的構造を見えなくしている。
 遊興酒店は、「ルームサロン」、「テンパー」、「フルサロン」などと呼ばれ、韓国のいたるところにある。
 性売買産業の事業規模は、2002年に24兆ウォンだったのが、2007年には14兆ウォンへ縮小したとみられた。しかし、本当は、2015年に37兆ウォンあるとみられた。国内総生産(GDP)の4.1%水準(2002年)もある。
 2015年、韓国の性売買市場は12兆ウォンで、世界第6位。2019年の調査では、韓国男性の10人に4人が性を買った。2018年、ウェブサイトに登録された性売買業者は2393ヶ所もあり、これは全国の高校の数よりも多い。
 日本人のキーセン観光が盛んだったのは、1965年から1978年まで。日本人観光客は海外からの客の62%ほど、そのうち男性が9割を占めた。1988年のソウルオリンピックのときには、韓国のキーセン観光が大々的に宣伝された。
 韓国は、接待費に年間10兆ウォンを支出している(2018年)。この大半が遊興酒店とゴルフ場。
 性売買をともなう男性中心的な食事と接待の慣行は、女性にとって、もうひとつのガラスの天井として作用する。
 女性が性売買に「同意」するというのはフィクションにすぎない。客は安全な人間なのか、性病や各種の感染症はないか、サディスティックな傾向はないか、危険な薬物や道具を使おうとしないか...。女性の側は絶えず心配している。
性売買の女性は寝そべっているだけで、買春者が射精すれば終わりだろうと考えるのは、あまりにも性売買の実態を知らない、実情を無視している。
性売買女性の6割がPTSDに、4割強が複雑性PTSDと診断された。低年齢で性売買に入り、性売買の期間が長いほど、その深刻さは増していく。
日本でも、1年間に5千人の少女がJKビジネスを経験したとみられている。
性売買を抜け出し、自分自身に責任をもつということが、社会的リソースの不足している彼女たちにとって、どれほど大変なことか...。日本と韓国で共通するのは性売買への入り口にいる女性の社会的経済的地位の低さ。
性売買以外の暮らしが可能になったあとになって初めて、自分の性売買経験は人権侵害であった、性搾取であったと気がつく女性がほとんど...。
韓国に性売買性産の実情、そして、それが日本のそれと密接に結びついていることを改めて知らされ、本当に勉強になりました。広く読まれるべき本として、強く一読をおすすめします。
(2022年5月刊。税込2420円)

2023年3月 2日

人類学者がのぞいた北朝鮮


(霧山昴)
著者 鄭 炳浩 、 出版 青木社

 とても興味深い、刺激的な本でした。韓国の人類学者が北朝鮮に何度も出向いて、現地の人々との対話をふくめて、北朝鮮の人々をじっくり観察した成果がまとめられていて、よく理解できました。そして、北朝鮮の「金王朝」が簡単には崩壊しない理由もよく分かりました。
 北朝鮮の社会では、個人は体制と首領から自由になることができない。現在のような生半可な外からの圧力は、危機意識を土台とする信念体系に適度な現実味を与え、裏付けるだけ。下手な物理的攻撃は、部分的に社会体系を破壊して狂乱を呼び起こすことはあっても、外部侵略に対する抵抗を基盤にした象徴的な信念体系の正当性を強化させるだけになるだろう。
北朝鮮が本気で破滅を覚悟すれば、長射程砲と短距離ミサイルだけで韓国の情報通信網は破壊できるだろうし、各地の原子力発電所も狙われたら、原発事故以上の大惨事を招いてしまうことは容易に想像できるだろう。
 韓国社会は細かく有機的に繋がっているので、部分的に破壊されただけでも深刻な打撃を受けるが、北朝鮮のような比較的独立した単位で動く社会は、外部からの攻撃だけでは崩壊しづらい。
 大飢饉の時代に全国的に出現した「ヤミ市場」は、以前からあった「農民市場」が危機によって飛躍的に広まったもの。ヤミ市場と市場は女性の空間。そこの80%以上が女性から成る。
週1回ある「生活総和(総括)」は、みなが絶えず自己検閲し、お互いの日常を相互監視する効率的な統制方式。生活総和は、北朝鮮の人々の心と行動パターンに強い影響を及ぼしている。カトリック教の「懺悔」にも似た一種の「告白の文化」と言える。
 北朝鮮では、中国文化大革命もなく、カンボジアのクメール・ルージュの無理な社会実験もなかった。金日成と金正日は、文化伝統と歴史的伝統を強調した。過去の儒教的な特性を改めて強化している。
 北朝鮮の権力世襲は、儒教国家の「道徳的模範」を示し、王位継承に似た徳目を強調することによって成し遂げられた。北朝鮮の建国初期には、金日成というカリスマ指導者を父とみなす個人崇拝から始まった。しかし、長男である金正日に権力が世襲される過程で朝鮮の儒教的家族概念が融合し、嫡子相続の論理が強調されることになった。金正日の三男である金正恩に権力を承継する段階では、「白頭血統」という「革命の宗家」を強調することで、家内(一族)への忠誠を主張した。朝鮮王朝時代の両班(ヤンバン)の家の門中(家門)概念を国家体制のなかで制度化したもの。首領は、革命の最高「脳首」とも表現される。国家と人民に「政治的生命」を与える存在だから。首領なしの革命はありえず、国家も人民もない。
現地の実情をふまえた、大変深い分析がなされていて、とても勉強になりました。
(2022年10月刊。3200円+税)

2022年12月28日

あの夏のソウル

(霧山昴)
著者 イ ヒョン 、 出版 影書房

 1950年6月25日、朝鮮戦争が始まった。
 私も大学生のころは、なんとなくアメリカが先に北朝鮮に仕掛けた、あるいは故意に隙(スキ)を見せて北朝鮮軍を引き寄せて始まった戦争ではないかと疑っていました。でも、今では金日成が毛沢東の反対を押し切り、スターリンから同意を取り付け、その援助を受けて「赤化統一」の名のもとに南侵して始めた戦争だというのが歴史的事実として動かない事実となっています。だから、当初、北朝鮮軍はたちまち南下して、釜山あたりだけを残して韓国の大半を占拠した(できた)のです。
 朝鮮戦争で残念なのは、双方とも民間人を相当に虐殺しているということです。刑務所に収容されている人を虐殺したり、避難中の人々を殺害したり、どちらの陣営もしているということです。この本(小説)にも、その事実が反映されています。悲しい現実です。武器を持った内戦というのは、なかなか歯止めがきかないものなのでしょうね...。
 北の人民共和国は、地主と親日派の人々を厳しく断罪した。
 南のほうも、アカは裁判なしで処刑し、道にさらして当然...。
 北朝鮮軍が侵攻してくるとまもなく、首都ソウルは陥落寸前となった。李承晩大統領は、ラジオでは首都ソウルを死守すると言いながらも、いち早くソウルを抜け出した。いつの世も、いつの支配者も、国民を置きざりにして、我が身の安全が最優先なのですよね...。
 ソウルには、「われらの偉大なる指導者、金日成将軍万歳。朝鮮民族の親愛なる友、スターリン大元帥万歳」というスローガンが大書された。
 ところが、まもなくアメリカ軍に制空権を奪われ、ソウルもいたるところにアメリカ軍の爆撃機が爆弾を落としてまわっている。
 そしてアメリカ軍が仁川に上陸したあと、戦局は急転回し、北朝鮮軍は、ほうほうの体で後退していった。
 去年の夏に避難しないでソウルに残っていた人たちは、国家反逆罪の嫌疑がかけられた。「日常生活を送ってください」という韓国政府のことばを信じてソウルにとどまったというのに、それ自体で疑われる理由になった。
 生きるために人民軍に協力したのであれ、信念をもって参加したのであれ、人民共和国の世で明るい太陽を見て息をしていたという理由だけで、アカという疑いをかけられた。アカだと目をつけられたら、それだけで、その場で命を失った。裁判を経て処刑される人たちは、それでも死を準備する時間くらいは持てるのだから、まだましと思えるほどだった。
 朝鮮半島に生きる人々にとって、戦争は歴史ではなく、日常である。この言葉は重たいです。朝鮮戦争のなかで翻弄される学生たちの悲惨な状況がよく描かれていて、他人事(ひとごと)とは思えませんでした。
(2019年3月刊。税込2420円)

2022年9月28日

韓国軍はベトナムで何をしたか


(霧山昴)
著者 村山 康文 、 出版 小学館新書

 アメリカのベトナム侵略戦争は私の大学生のころのことです。アメリカ兵の5万5千人もの戦死者の多くは私と同世代でした。もちろん、ベトナムの若者たちも多く殺されました。ベトナムの若い女医さんの従軍日記『トゥイーの日記』は涙なくしては読めません。
 そして、アメリカ政府の要請にこたえて韓国軍もベトナムに出兵したのです。アメリカ軍以上に韓国軍は凶暴だとベトナム人から恐れられ、嫌われていたようです。
 なぜアメリカの要請に韓国政府がこたえたのか。それは、その見返りにアメリカから多大な経済援助を受けたことにあります。そのおかげで韓国経済は急速に立ち直り、目ざましい経済発展につながったのでした。これは、日本が朝鮮戦争で大きく復興したのと同じことです。
 今、ロシアの無法なウクライナへの侵略戦争が続いていますが、ウクライナへの強力な軍事援助のおかげでアメリカの軍需産業は大変な好景気にあるようです。戦争は多くの市民にとって、最大の人権侵害ですが、一部の戦争商人にとっては、絶好の金もうけになるというわけです。いやですね、そんなこと...。
 韓国軍は、「きれいに殺して、きれいに燃やし、きれに破壊する」というスローガンのもと、「ベトコン」の捜索・掃討作戦を展開していった。
 ベトナムには「ライダイハン」と呼ばれる、ベトナム人と韓国人とのあいだに生まれた人々がいる。韓国兵というより韓国人労働者とベトナム人女性とのあいだで多くは生まれたようだ。
 2011年10月に韓国の亀尾市体育館で開催された「ベトナム参戦47周年記念」式典には、ベトナム戦争に従事した元兵士ら1万4千人が参加した。そこでは、我々は京釜高速道路やソウル地下鉄はもちろん、韓国人の生活水準の向上に貢献したことが強調された。なるほど、それは事実なのでしょう...。
 韓国軍がベトナムで何をしたのかについて、アメリカ軍と違って従軍記者がいなかったので、証拠となる写真などの記録がほとんどないのが特徴。ベトナムで韓国軍の残虐な民間人殺害を現場まで出向いて調査した「ハンギョレ」新聞の記者に対して、ベトナムに参戦した元軍人らが「虚偽、捏造(ねつぞう)」として名誉毀損罪で告訴した。これに対して、記者たちについて「民主社会のための弁護士会」(民弁)所属の弁護士たちが弁護したとのこと。
 日本でも、「南京事件」について「大虐殺なんて、なかった」という右翼たちの攻撃があった(ある)ことを思い出します。「30万人」が虐殺されたかどうかはともかく、大量の民間人を日本軍が虐殺したことは日本の皇族も認めている歴史的な事実なのです...。どこの国にも自国の負の歴史を認めたがらない人々が少なからずいるというわけです。
 でも、歴史の真実に目をそむけてはいけないと思います。子どもたちに語り継げないような悪いことを繰り返してはいけないからです。
(2022年8月刊。税込990円)

2022年6月 2日

搾取都市・ソウル


(霧山昴)
著者 イ・ヘミ 、 出版 筑摩書房

いやあ驚きました。文在寅前大統領は平和問題でがんばったと思っているのですが、「住宅政策のまずさ」から、現在の尹大統領が誕生したと聞いています。その韓国の貧しい住宅事情の一端が暴露されている本です。2019年5月、そして10~11月に「韓国日報」に連載された記事をもとにしています。
「ホームレスと住居の境界線」と言われるほど劣悪な環境にあるチョッパン街に蔓延する建物オーナーによる略奪的な賃貸業を暴露する。また、若さと未来と担保に若者を住宅貧困状態へと追いやるオーナーたちの集団的利己主義を検証している。
「考試院」とい言葉が真っ先に登場します。司法考試(司法試験)を受験する学生が泊まり込みで勉強する場所だったが、今は、保証金なしで入居して暮らせる最低ランクの住宅を意味している。
考試院の中にも階級があり、その目印は「窓」の有無。チョッパンでは、家賃に水も電気代も全部が入っている。でも、大家は電気をバンバン使わせてくれるわけじゃない。ストーブは、電気代がかかるので使わせてくれない。
チョッパンとは、部屋をいつくかに小さく分けて、1人または2人が入れるように作った部屋のこと。フツー、3平方メートルほどの小さな部屋。一般に保証金は不要で、月決めの家賃を支払う。ソウル市だけでも3万3千人ほどがチョッパンに暮らしている。
チョッパンには、法律で定めた最低住居基準は無力だ。というのも、チョッパンは、家でない非住宅に分類されている。法的にも政策的にも、きちんとした定義がない。チョッパンは各種法制度の盲点となっている。
非住宅に居住する世帯数は、2005年に5万7千世帯だった。10年後の2015年には39万3千世帯と、7倍へ急増した。このうち82%がチョッパンと考試院で暮らす人々だと想定される。貧しい者がソウル暮らしをやめないのは、それなりの理由がある。
チョッパンは炊事が難しいので、インスタント食品ですます人は多い。
チョッパンの住民の4分の1は、この1年のうちに自殺を真剣に考えたことがある。
チョッパン街は女性にとって暮らしにくい環境。女性のホームレスは、大部分がホームレス施設に入ることを選び、チョッパンに入るのを選ぶことは、ほとんどない。
トイレも台所もないチョッパンの家賃は1坪あたり25万ウォンになる。坪あたりで考えると、普通のマンションの5倍。
家賃は現金で支払われるので、オーナーは税金を支払っていない。チョッパンの大半は、「無許可」なので、税金を納めることもない。オーナーたちは、家賃を突きに400~500万ウォンも受けとっているので、むしろ再開発を望まない人が多い。
家賃は月に20~30万ウォンで、この中から撞き10~15万ウォンを実際の所有者(オーナー)に送金する。残りは中間管理人の利益となる。
チョッパンの坪あたりの平均賃料は18万2550ウォン。ソウル全体のマンションの平均賃料3万9400ウォンの4倍をこえる。
0. 5~2坪ほどの狭い部屋には、キッチンもシャワーもトイレもついていない。
多くのチョッパン住民は路上に放り出されないように、ひっそりと暮らしている。
国民の血税によって貧困層に提供された福祉が、結局は家主の懐に流れていってしまう。これは大きな問題だ。
オーナーにとって、チョッパンから入ってくる賃料は毎月の現金収入になる。チョッパン経営は、多くのオーナーにとって、「脱税手段」として利用されている。毎月の収入が100万ウォンになるオーナーがいる。
ソウルで1人暮らしの若者の住居貧困率は、2005年に34%なのが、2015年には37%に上昇している。いまや、学生街がチョッパン街になっている。「ミニワンルーム」、「超ミニワンルーム」という宣伝文句は要注意ということ。
日韓の若者の「住まい」をめぐる状況には、驚くほど共通点が多い。日本の若者たちも窓のない部屋に押しこめられている。それが国全体にとって、どれだけ損失になっていることか...。住宅問題の日韓の相違点と共通点をあげて確認し、鋭く問題提起している好著です。ぜひ、ご一読ください。
(2022年3月刊。税込1870円)

2022年5月13日

韓国カルチャー


(霧山昴)
著者 伊東 順子 、 出版 集英社新書


お隣の韓国を知るということは、実は、日本をよく知ることでもあるということを実感させられる本(新書)です。
韓国には、小学校から大学までのエスカレーター校はない。日本の慶応大学には、小学校(幼稚舎)があり、内部進学のルートがある。早稲田大学も同じ。韓国には、この内部進学という制度がない。日本の早慶とたとえられる高麗大学と延世大学にはエスカレーター式の附属高校はない。
日本の都会にみられる熾烈(しれつ)な中学受験はないし、東大にごっそり入る中高一貫の男子校もない。医学部も韓国では、他の学部と大きな差はないので高学費を理由として、私大医学部をあきらめる必要はない。逆に、日本以上に倍率が高いので、韓国では医者の子どもも医者にはなれない。日本によくある親子二代続きの病院も韓国にはない。韓国の大学入試は、機会的等、フェアな競争が大前提。
日本の東大の入学者の8割は男子学生だが、韓国のソウル大学では4割強が女子学生。
韓国で「 S K Y 」の意味は特別。ソウル大学(S)、高麗大学(K)、延世大学(Y)のこと。韓国では、この3大学の地位が突出して高く、雲の上の存在。
日本人が考える何倍も、韓国社会においては「学歴」の価値は重い。
韓国の財閥は伝統貴族ではない。彼らは経済活動に成功した人々であり、さらに重要なのは、その経済活動が現在進行形であること。この躍動感こそが韓国の財閥の魅力。国民に夢を与え続けている。
財閥ファミリーがすることを一般富裕層が追いかけ、さらに普通の人々もそれに刺激される。財閥は企業体として韓国経済を牽引するが、それ以外の面でも韓国社会に与える影響力はすさまじく大きい。
韓国の財閥ファミリーは、過去の身分制とはつながっておらず、創業者の多くは自らの力で成功した起業家。韓国では、財閥ファミリーは「公人」扱いされている。
韓国人には徹底した水平思考があり、財閥ファミリーは「別世界」などと分けてしまうことはない。
韓国の人口は5,000万人(北朝鮮は2,500万人)。海外同胞は700万人。ピーク時は毎年3~4万人がアメリカの永住権を取得していた。その結果、1970年当時は8万人だった韓国系移民が1990年代には100万人をこえていた。
首都のど真ん中に、かつては広大なアメリカ軍基地があった。今は、国立中央博物館や龍山家族公園になっている。
今では、アメリカ軍基地の中に、韓国人が憧れるようなものは何もない。
韓国人にとって、ベトナム戦争は非常に重い記憶である。日本は憲法9条のおかげで自衛隊の海外派兵は当時できませんでした。盛んだったベトナム反戦運動がそれを与えていたと思います。しかし、韓国軍はベトナムに派遣され、大勢の韓国人が戦死し、負傷して帰国してきたのです。ところが韓国経済は、それで立ち直ったと言われています。朝鮮戦争が日本経済に好景気をもたらしたのと同じですね。
私の孫たちも韓国に住んでいますが、学歴競争に巻きこまれず、のびのびと育ってほしいと願うばかりです。
(2022年1月刊。税込946円)

2022年3月12日

人生を変えた韓国ドラマ


(霧山昴)
著者 藤脇 邦夫 、 出版 光文社新書

私は韓流ドラマはまったくみていませんので、この本で紹介されているドラマもみたものはありません。でも、今や韓流ドラマは日本だけでなく、インターネットを通じて全世界に流れて流行しているというので、その謎を知りたくて読みました。
「冬のソナタ」が日本で大人気になったのは20年ほど前の2003年ころ。第一次の韓国ドラマブームが起きた。第二次は、2011~2015年。2016年から第三次ブームが起きて、アメリカドラマに匹敵するようになった。そして、第四次は、2019~2021年、「愛の不時着」、「梨秦院(イテウォン)クラス」、「賢い医師生活」が登場した。
韓国ドラマは日本のドラマよりずいぶん先を歩いていて、21世紀中に日本が韓国に追いつくのは、もはや不可能な状況にある。
韓国ドラマとアメリカドラマは、視聴ソフト・コンテンツとしては、ほぼ同一線上にある。
韓国ドラマのすべてが傑作ではないが、その打率は6割強に達している。これは、驚異的なクオリティの高さ。
「冬のソナタ」は女性に受けたが、「チャングムの誓い」は男性にも受けた。また、50代中心から、40代~60代にまで幅が広がった。
日本のドラマが停滞しているのは、制作のスタッフ、演出、脚本、俳優が劣っているからではない。広告スポンサーのつくドラマの企画が20代、30代の若い女性向けしか求められていないから。企画がこのように硬直しているからだ。
そして、韓国ドラマは、2億人の視聴者を保有するネット配信による全世界同時公開だ。
アメリカドラマは、シナリオライター集団からのアイデアで全体のコンセプトを決定していく。
これに対して韓国ドラマは、一人の脚本家が単独で書く傾向が強い。
韓国ドラマには、メロドラマの通俗性をさらに強固にするため「復讐」の要素が付加されるという特有の傾向がある。
韓国ドラマほど、日本人(とくに女性)のメンタリティに自然に浸透した映像文化は他にない。なんといっても企画の斬新さと脚本が大切。
韓国ドラマの日本リメイクは、可もなく不可もなくというのがほとんど。ところが、日本ドラマの韓国リメイクは、みんな成功している。韓国俳優が演じて、演技に深みが出ている。
日本では、不倫と復讐ドラマは、一般的な支持が得られない。
年齢・性別を問わず、韓国は世界有数の俳優大国。生活力旺盛で、感情表現の豊かな俳優が多く、たとえば患者を演じる俳優たちの感情過多で、過剰なほどの喜怒哀楽の振り幅は、ドラマに不可欠。日本の視聴者にとって韓国ドラマが新鮮だったのは、ドラマ内の人間の喜怒哀楽の感情表現が素直で、しかも生(なま)で、ストレートだから。
人物造形も善悪の二項対立が分かりやすく、基本的な筋立ても理解しやすいので、親近感が自然と湧いてくる。これに音楽効果もあり、全身で感じる「何か」があって、「心に沁(し)みる」のだ。
韓国ドラマはまるでみていませんが、韓国映画はかなりみています。本当にいい映画が多いと思います。人間社会の現実を見て、改めて考えさせられるようなもの、政府にタテついて堂々とモノを言うようなものが少なくありません。みなさん、ぜひ映画もみてください。
(2021年11月刊。税込1320円)

2022年2月18日

朝鮮通信使の道


(霧山昴)
著者 嶋村 初吉 、 出版 東方出版

江戸時代は鎖国していたということになっているけれど、実際には海外に向かって4つの口をもち、朝鮮と琉球とは通信の関係を保持していた。4つの口とは、琉球、出島(長崎)、対馬、松前(北海道)。江戸には、朝鮮通信使、琉球使節、出島の阿蘭陀(オランダ)カピタンが参府し、徳川将軍に海外の情報をもたらした。
江戸時代の朝鮮通信使は、薩長12(1607)年を皮切りに、文代8(1811)年まで12回、来日した。そのうち3回目までは回答兼刷還使(さっかんし)といって、秀吉軍によって日本に拉致・連行された朝鮮人を連れ戻すことを主目的とした。
通信使一行は漢城(ソウル)の王宮で国王から励ましの言葉をいただき、江戸城での図書交換のため8ヶ月から1年2ヶ月をかけて往復した。
通信使一行は、三使(正使、副使、従事官)を筆頭に300人から500人、国内一流の人材が抜擢された。迎える幕府側は年間予算100万両をこえる巨額を投入した。
朝鮮通信使が来日すると、宿泊先には求画求援の人波が押し寄せた。朝鮮の先進文化を学ぼうとしたのだ。また、庶民のあいだでは、「朝鮮人の家を得ておけば願い事が必ずかなう」という噂がたち、人々が宝を求めるように集まった。
通信使は、異文化に接触できる江戸時代最大の外交イベントで、使節が行く沿道には、人垣ができた。異国の風俗、音楽、舞踊を縁日を楽しむように民衆は鑑賞した。その影響は、牛窓(岡山県瀬戸内市)の唐子踊り、三重県の分部町や東玉垣町の唐人踊りなど、現在も継承されている。
そして、朝鮮通信使は、日本の技術の優秀さを認め、評価した。
著者は、この朝鮮通信使のたどった道を実際に歩いたのです。
ソウルが外国軍によって占領されたのは史上2回ある。豊臣秀吉の朝鮮侵略と中国・清軍の侵攻の2回。
朝鮮で開化思想をもっともはやく受け入れたのは中人階級だった。医術・天文・通訳のような技術職の人々である。両班でも商人でもない。官職についても一定以上の昇進はできず、四・六品以上には昇れなかった。
両班(やんばん)とは、高麗、朝鮮王朝時代、官僚を出すことができた最上級身分の支配階級。両班の本来の意味は、朝廷で儀式があるとき、そこに参席しうる現職の官僚を総称するものだった。両班は婚姻関係を通じて結合するとともに、学問を通じて結びつきを深めた。
釜山には「草梁倭館」があり、対馬藩士が交代で400人から500人も詰めていた。その面積は10万坪で、これは長崎・出島の25倍もの広さ。江戸の中期には、雨森(あめのもり)芳洲(ほうしゅう)、後期には、小田幾五郎が倭館につとめた。
秀吉の朝鮮侵略のとき、朝鮮軍のほうに投じた日本人の武将がいました。降倭と呼ばれています。そのなかでは「加藤清正の鉄砲隊長」だった沙世可(さやか)が有名ですが、その14代目の子孫がいるというのには驚きました。全在徳さんです。慶尚道の大邱(てぐ)に住んでいます。
朝鮮通信使が日朝交流の点で果たした役割はとても大きかったと改めて思いました。
(2021年11月刊。税込1980円)

 水曜日の午前中、雪がチラホラ降ってきましたが、すぐにやみました。
 いま庭は紅梅が満開です。今年はなぜか隣の白梅が咲いてくれません。
 庭のあちこちに白い水仙が咲いています。ところどころ、正月に植え替えた黄水仙が可憐な花を咲かせています。私はキリっと自己主張する黄色の黄水仙がお気に入りなのです。

2021年11月26日

ベトナム戦争と韓国、そして1968


(霧山昴)
著者 コ・ギョンテ 、 出版 人文書院

アメリカがベトナム侵略戦争をすすめていたとき、韓国軍もベトナムに派遣され、ベトナムの人々と戦いました。韓国軍の兵士が5千人も亡くなり、1万人あまりが負傷したのですが、ベトナムの人々を5万人も殺したとのこと。
そのなかで、アメリカ軍がソンミ村で罪なき市民を大量虐殺したのと同じように、韓国軍も平和な村へ進攻して、何の罪もない非武装・無抵抗の村人たち(年寄りと女性・子どもがほとんど)を大量に虐殺したのでした。この事件は直後にアメリカ軍が駆けつけて証拠写真を撮り、アメリカ軍のウェストモーランド司令官が正式に書面で韓国軍に調査を要求したことで表面化しました。
1968年2月12日、ベトナム中部のフォンニャット村で74人の村人が虐殺された事件です。この本は、なぜ虐殺事件が起きたのかを、当時の韓国社会の状況、ベトナム戦争の実情、そして加害者である韓国軍元兵士、被害者のベトナム人遺族と生き残った人々へのインタビューによって多面的に構成されていて、とても読みごたえがありました。
韓国軍によるベトナム戦争時の民間人虐殺の犠牲者は9千人にのぼるといいます。韓国人兵士はベトナムの子どもたちに優しく接していたという報道があります。恐らくそれも本当のことでしょう。でも、ひとたび戦場に投入され、殺すか殺されるかの極限状況に置かれたら、タガが外れてしまって「動くものは皆殺せ」とばかり何も抵抗していない民間人に発砲していったのでしょう。恐ろしいばかりです。
1968年2月1日、南ベトナムの治安局長のロアン将軍がサイゴン(ホーチミン市)の街頭でベトコン将校の頭にピストルをつきつけて即決処刑した。この場面はあまりに有名です。何ら尋問することもなく、裁判によらず、カメラマンなどのマスコミもいる面前でベトコン容疑者の頭に向かってピストルを撃って殺すとは...。野蛮な行為そのものですが、それはベトナム戦争の本質をずばりあらわすものでもありました。
このときのテト攻勢によって、アメリカ大使館はベトコン特攻隊(19人)によって6時間も占拠されています。
このテト攻勢は、ベトコンと北ベトナム軍は3万人もの犠牲者を出し、軍事的には失敗したと言われている。しかし、政治的にみると、アメリカ国民のベトナム戦争に対する見方を根本的に転換させたという点で大きな意義があったことは間違いなく、軍事的失敗を上回る大きな成果を上げたと評価されています。私もそう考えています。なにしろ、強大なアメリカ軍の象徴であるアメリカ大使館がベトコンによって半日ほども占拠されたのですから、ベトコンの不屈の力をアメリカ国民に見せつけることに成功したのです。このあと、アメリカ国内にはベトナム戦争の行方に疑問をもつ国民が増え、ベトナム反戦運動が大きく盛り上がりました。私も大学2年生でしたが、ベトコンってすごーい、と驚嘆したことを今でもはっきり覚えています。
ちなみに、ベトコンというのは、アメリカ軍が南ベトナム民族解放戦線(NLF)を「ベトナム共産主義者」と軽蔑して表現するコトバです。日本でも韓国でも、マスコミが普通に使っていました。私も日常用語として深く考えもせずに当時は使っていました。
このロアン将軍は、3ヶ月後の5月5日に、ベトコンの狙撃手に狙われ足を撃たれたが、命だけはとりとめ、サイゴン陥落後にアメリカに渡って、1998年7月、68歳で亡くなった。
1968年1月21日(日)、北朝鮮の特殊部隊員31人が韓国の首相官邸である青瓦台を襲撃した。この襲撃は失敗に終わり、31人のうち1人だけが投降し、残る1人が北朝鮮に逃げ帰ったものの、残る全員が死亡した。
北朝鮮はベトナム戦争を支援するため、ミグ戦闘機とパイロット87人を北ベトナムに派遣した。うち14人が戦死したという。地上軍の派兵はしていない。
1月21日の青瓦台襲撃は、北朝鮮にとって、「南朝鮮革命」攻勢の一つであり、ベトコンへの側面支援でもあった。
朴大統領は北朝鮮への報復爆撃をアメリカに求め、ジョンソン大統領はそれを拒絶した。
「シルミド事件」は、このあとに起きた悲劇なんですよね...。
青瓦台襲撃事件で唯一生き残ったキム・シンジョは北朝鮮軍の特殊部隊の厳しい訓練状況を暴露した。その結果、韓国軍は服務期間が延長され、訓練内容も厳しいものに変えられた。
ベトナムに派遣された海兵第二旅団は4800人。対する敵兵力は8700人と想定されていた。これは北ベトナム軍第二師団7400人とベトコン地方軍1300人を加えたもの。
フォンニャット村はベトコンの解放区で、村長もベトコン。村の人口300人で、遊撃隊80人が活動していた。ベトコンの遊撃隊員は狙撃と監視が主たる任務であり、中隊規模の敵兵力に対峙するのは山中に身を隠す正規軍の役目だった。
韓国軍の海兵第二旅団は空軍に負けてはならなかったし、ベトコンに負けては、さらにいけなかった。
アメリカ軍司令官による調査要求に対して、韓国軍は、ベトコンが韓国軍偽装用の軍服を着て残虐行為をして、責任を転嫁して韓国軍についての悪宣伝に利用したものだと弁明した。
たしかに、朝鮮戦争のとき、韓国軍兵士が人民軍の服装をして北進し、人民軍の後方を攪乱することがあった。そのときの部隊長がベトナムに派遣された韓国軍司令官チェ中将だった。なるほど、自分の体験をもとに偽装事件をデッチ上げようとしたわけです。
戦争中に敵の軍服を着用して偽装するのは、ときにあったようです。第二次大戦中、ナチス・ドイツ軍がヨーロッパ戦線(たしかアルデンヌの森)で偽装してアメリカ軍の部隊を攪乱したことがあったと思います。
それにしても、ベトナムでベトコンが韓国軍兵士に偽装して村民を大量虐殺したというのには無理がありすぎます。わずかながら奇跡的に生存者もいたのですから、同じベトナム人が韓国軍兵士に偽装していたら、すぐに見破ったはずです。
ベトナムには自由射撃地帯と射撃統制区域があり、フォンニャット村は、何でも自由に撃ってよい自由射撃地帯ではなかった。なので、韓国軍の村民虐殺は許されることではありませんでした。しかし、韓国軍は兵士の士気低下を恐れて何も処罰しなかったのでした。
朴大統領が青瓦台襲撃事件の報復として対北軍事報復しようというのを、アメリカのジョンソン大統領は断固として阻止した。それは、北朝鮮の思うつぼにはまるだけのことだと考えたからです。
1968年2月というと、私が大学1年生の終わりころのことです。この年の6月から東大闘争が始まっていますし、ベトナム反戦のデモや集会にしばしば参加して、声を枯らしていました。1968年の1年を複眼的にみることのできる、いい本です。一読を強くおすすめします。
(2021年8月刊。税込3960円)

2021年11月 2日

長東日誌


(霧山昴)
著者 李 哲 、 出版 東方出版

私と同世代で、まったく同じ時期に東京で大学生活を過した著者が韓国の大学で勉強中に「北」のスパイとして捕まり死刑判決を受け、13年間の獄中生活を送った記録です。
この13年間というのは1975年から1988年までのことです。著者の27歳から40歳までですから、私は故郷にUターンして弁護士をしていました。
そして、著者は2015年に無罪判決を受け、さらには2019年6月、来日した文在寅大統領から大阪で国家を代表しての謝罪を受けています。それを受けてこの本にしたとのこと。いやあ、本にしていただいて良かったです。韓国の民主化運動の重たさが実感としてよくよく伝わってきました。
なにしろ、日本でアルバイトの仕事をしていた時期、そのアリバイもはっきりしているのに、北朝鮮に渡って指令を受けて韓国でスパイ活動していたという「自白」をさせられたのです。その「自白」にもとづいて死刑判決を受け、獄中で、処刑の日がいつに来るかビクビクして過ごしていたというのです。
韓国の死刑囚は、24時間、ずっと手錠をかけられているというのを初めて知りました。行動の自由を奪って、自殺を防止するという狙いもあるようです。
著者は1948年10月生まれで、人吉高校から中央大学理工学部に入学。そこで、コリア文研に入った。そのころ、北朝鮮は輝いているように見えた。
映画「キューポラのある街」(吉永小百合が上演)でも、北朝鮮が魅力的な国だという前提で、北朝鮮へ帰国しようという人々の話が出ていました。今のように、貧しい、ひどい独裁専制国家というイメージはなかったのです。
著者は韓国に渡り、高麗大学に留学しました。そして、婚約者となる女性に出会うのです。ところが、結婚式の直前の1975年12月11日、著者はKCIAに捕まります。拷問の始まりです。結局、耐えられず、求められるまま、すべてを「認める」のでした。
それからはドロ沼。北に行ってスパイ教育を受けたとか、調書の上では誰がみても完全な「北のスパイ」になったのです。KCIA(中央情報部)の地下室は、人間を人間ではなくならせる悪魔の空間であり、ある日突然連行された無防備な人は拷問の専門家である彼らには、いとも簡単に料理できる獲物だった。
検事は求刑のとき、こう言った。
「李哲のような人間は社会にとって極めて危険。なので、社会から永遠に抹殺しなければならない。よって死刑を求刑する」
同じく捕まっていた婚約者には懲役10年が求刑された。そして、一審判決は著者に死刑、婚約者に6年の実刑判決。次の二審判決も、著者に日本にいたことのアリバイが証明されても、変わらず死刑判決でした。婚約者のほうは3年6ヶ月の実刑に減軽。1977年に上告棄却で著者の死刑が確定した。その年の12月、著者は洗礼を受けてカトリックの信者になった。
刑務所の中の生活の大変さが、かなり伝わってきます。
著者も次第に元気を取り戻していき、職員の暴力に耐えるようになっていきました。
「あんなに殴られて、痛くないのですか?」
「変なこと言いますね。生身の人間ですから、痛くないわけがありません」
身体の節々が疼(うず)いて動くのも不自由だったが、心の中で大声で叫んだ。
「勝ったぞ!」。初めての勝利の味をかみしめていた。傷だらけの勝利だ。勝利したという思いで、心は爽やかだった。勝利するためには、傷を負うことも実感した。
いやあ、実に痛そうな勝利です。下手に生きようとするから負けるのであって、死のうと思ったら勝てるのだ。貴重な悟りを得た、と言います。大変ですよね...。
大邸七・三一事件は1985年7月31日に起きた。地下室で著者ら18人がひどい暴行を受けた。これに対して、断食闘争を始めた。
刑務所内でたたかう有力な手段・方法に断食するというのがあるのですね。イギリスでもアイルランド独立闘争の闘士が刑務所内で断食闘争を始め、ついに餓死してしまうというのがありましたよね。ただ、これも、外部と連絡をとって、社会に知らせるというフォローがないと容易に勝てるものではないとのこと。
ところが、ここで、著者の婚約者が大きく動くのです。すでに刑務所を出ていたので、著者への面会に来ていて、また、外部の教会も動かしたのでした。韓国では、日本と違って教会の力は大きいようです。婚約者は、まさしく猪突猛進して、世の中を突き動かしました。ついに保安課長が土下座し、次に副所長が泣きを入れ、勝利したのでした。断食闘争が勝利をおさめるという画期的な成果をおさめたのです。
1988年10月に著者は出所に、婚約者と13年遅れの結婚式をあげます。場所は明洞聖堂、結婚ミサは金森煥枢機郷。そして、結婚式のあとは、3000人の参加者による明洞一帯の結婚式デモ行進。横断幕を先頭に、鼓手たちが太鼓を叩きながら進む。新郎新婦と母親と牧師夫妻を乗せた花飾り車が続き、そのうしろから多くの祝賀客が続いて行進する。明洞聖堂の街中を一周して明洞聖堂に戻って解散。
いやはや、こんなすばらしい結婚セレモニーなんて聞いたことがありません。
そして、1989年5月に著者は日本に戻ったのでした。
日本と韓国の深い関わり、そして韓国民主文化闘争の苦労をまざまざと知らせる貴重な良書です。心ある日本人に広く読んでほしいと強く思いました。この本を読んだ翌日、毎日新聞に大きな記事になっていました。
(2021年6月刊。税込3850円)

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