弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

朝鮮・韓国

2015年8月20日

北朝鮮の核心

(霧山昴)
著者  アンドレイ・ランコフ 、 出版  みすず書房

 北朝鮮の金正恩政権がいつまでもつのか、大勢の人が心配しています。もちろん、私も、その一人です。
 張成沢の電光石火の処刑には驚かされましたが、その後も副首相などの処刑が相次いでいるというニュースが流れています。
 いったい、なぜ時代錯誤のような政権が今もなお続いているのか、北朝鮮国内には抵抗勢力はいないのか、不思議でなりません。
 でも、日本も今の自民党を見ていると、同じようなものですよね。多くの国民の意見を無視して戦争法案の成立を強行しようとする安倍首相に対して、あれだけたくさん自民党議員がいるのに、ごく少数の議員を除いて、誰も公然と反対意見を述べれらないのですから。
 北朝鮮だと、それこそ銃殺されるか、強制収容所送りなのでしょうが、日本の自民党議員は自民党公認を得られないかもしれない、だから次は国会議員になれないかもしれないというだけで、安倍首相に文句の一つも言えないのです。情けなさすぎます。
 北朝鮮の指導層は、大国の足並みの乱れを最大限に利用している。理性を欠く国にできることではない。指導層は自分たちが何をしているのか、実際には、完全に分かっている。頭がおかしいわけでも、イデオロギーの虜(とりこ)になっているのでもなく、むしろ冷徹な計算のできる有能な人々である。現代世界で、もっと非情なマキャヴェリ思想の実践者といえる。
 1990年ころ、国内事情の事態が悪化したとき、エリートたちと金一族は改革を避けることにした。国と自民民を支配しつづけるためだ。別の方向に舵(かじ)を切るのは自殺に等しいと考えている。
10万人近い在日朝鮮人が北朝鮮へ「帰国」した。この帰国者たちは、特権を有すると同時に差別されているという奇妙な立場におかれた。1990年代はじめまで、日本からの送金は、北朝鮮にとって、大きな収入源だった。
朝鮮戦争では、平和条約は結ばれていない。1953年に調印されたのは、あくまで休戦協定にすぎない。
 1968年に、北朝鮮は1月と秋に2回、韓国に特殊部隊を送り込んだ。1月には31人が大統領官邸を襲撃しようとした。秋には120人規模で韓国の東海岸に上陸し、失敗した。
 1983年、ビルマのラングーンで韓国の大統領暗殺未遂事件が起きた。
 1987年1月、韓国の旅客機が空中で爆破された。1988年のソウル・オリンピックを妨害する目的だった。
 北朝鮮の社会には、厳然たるカースト制度がある。核心階層、動揺階層そして敵対階層である。この成分は、男親を通じて受け継がれる。
北朝鮮は収容所国家である。2012年の推計によると最大12万人が収容所で生活している。
2008年、北朝鮮の平均寿命は69歳。乳幼児の死亡率が低いのは、政府が個人のプライバシーに踏み込んで全国民を管理しているから。
 北朝鮮のインフラは、植民地時代末期から、ほとんど変わっていない。農業ほど、ひどい打撃を受けた分野はない。
 北朝鮮の平均月給は1995年から2010年まで、2~3ドル。しかし、実際の月収は25~40ドル。庶民の大半は、収入の多くをインフォーマルな経済活動によっている。
中朝間の国境警備は、今ほとんど機能していない。警備兵にリベートを払って、密輸業者が活躍している。
 北朝鮮を脱出して中国に隠れている人々は、常時1万人以上はいるとみられている。
韓国在住の北朝鮮難民の平均所得はわずか1170ドルで、韓国人の平均給与の半分でしかない。
 北朝鮮出身の学生には、韓国の大学で前提とされる基本的な知識やスキルがなく、この点で、韓国人学生に差をつけられている。
 北朝鮮のトップエリートとヤミ市場の流通業者は、根本のところで利害を共通にしている。しばらくのあいだ北朝鮮が分断国家として存続することを望んでいるのだ。
 北朝鮮の指導層は、はじめに危機をつくり出して緊張を高め、危機の生じる前の状態に戻す見返りに交渉相手から金銭と譲歩を引き出す。これに長けている。
 中国政府が何より恐れているのは、北朝鮮に内部崩壊が発生することで引き起こされる情勢不安定。難民の大量流入、大量破壊兵器の拡散である。そして、それは中国国内に何らかの社会不安を誘発する心配がある。
 中国政府の立場では、分断状態が続くことには、いくつもの利点がある。その一つが北朝鮮の鉱物資源を中国企業が安く手に入れることができるということ。
 北朝鮮のエリートは、政権が崩壊したら、敗者として処刑されるか、リンチで殺害されるという恐怖をいだいている。このようなエリートは、家族をあわせても100万人から200万人ほどで、全人口の5~7%にすぎない。しかし、彼らは武器を扱えるし、組織を掌握している。
長い目で見れば、北朝鮮の政権は持続不能だ。統一後の混乱に今から備えておく必要がある。北朝鮮の金一族に協力したことについて、一切を問わないようにしないといけない。   
とても説得力のある本でした。北朝鮮が今にも日本に攻めてくると真面目に心配している人には、ぜひ読んでほしい本です。北朝鮮は、それどころではないことが、よく分ります。
            (2015年6月刊。4500円+税)

鳥カゴのなかの幼鳥は、羽を広げることはできるし、少しは飛べる。あと何日かしたら自由に飛べるだろう。その直前にヘビに狙われて、巣から追い出されたわけだ。
 夕方暗くなるまで、ヒヨドリの親たちはうるさく鳴いていた。幼鳥たちも小さな声で応じている。
 夜は家のそばに置き、フタをしてふろしきで覆った。ヘビもいるけれど、猫が入ってくる。
 朝になった。鳥カゴのフタをはずして庭に置いてやる。親鳥が鳴いているのを聞いて、大きな幼鳥は鳥カゴを飛び出し、スモークツリーの枝にまで上がった。
 小さい方の幼鳥は鳥カゴのなか。親鳥は鳥カゴの中までなかなか入らなかったが、ついに餌を与えた。
 これで、なんとか大丈夫かな、、、、。

2015年8月18日

戦争ごっこ

(霧山昴)
著者  玄 吉彦 、 出版  岩波書店

 済州島四・三事件を子どもの目を通して自伝的小説です。
 戦前、数えで7歳になって小学校に入った。牛をたくさん飼っているので、村の人たちからは金持ちの家だと言われている。
 叔父は、漢文の本をたくさん読んだ長老として尊敬されている。
 叔父に召集令状がきた。家の中に雰囲気が一変した。ぼくは、叔父が兵隊になるのがこの上もなくうれしかった。ところが、他の人はそうでもないのが不思議だった。
 ぼくたち子どもは、戦争ごっこをした。日本兵と米軍とに別れて戦う。戦いは、いつも日本軍が勝った。
 ぼくは、日本の兵隊も死ぬということが理解できなかった。銃もある。刀もある。大砲もあるのに、死ぬなんてバカなことがあるものか。
 5歳上の兄がぼくの頭にげんこつを喰らわして叱った。
 「兵隊になるって?人を殺す兵隊になるというのか。このバカ!」
 叔父が戦死した。叔父は米軍のやつらと戦って死んだ。本当に立派で勇敢な人だと心から思った。
日本が戦争に負け、われわれが植民地支配から解放されたその時、ぼくは数えの8歳だった。それまで、学校では日本語ばかり勉強してきたので、ハングルはまったく知らなかった。
父は町長になった。ある晩、若い男たちがやって来て、父を連れ出した。父は帰って来なかった。二日目、村はずれの海岸の崖下の岩のあいだに死体で発見された。両手をしばられたままだった。
 パルチザンの襲撃で家を失った村人たちは、焼け跡に急場しのぎの風よけをして数日をすごした。やがて、派出所と小学校を中心にして、石で城壁を築きはじめた。
 山から下りてきたパルチザンは村を襲撃し、おおぜいの村人を殺した。討伐隊にとらえられたパルチザンザンたちは、学校や村はずれの海岸で処刑された。
 ぼくら子どもたちは、またもや戦争ごっこに熱中した。ゲリラを捕まえて処刑する戦争ごっこは、1年生にのときにやっていた米軍と日本軍の戦争ごっこより面白く興味をそそった。ぼく自身が父を殺されてパルチザンに憎しみをもっていたからだ。
 パルチザンは、本当にぼくの敵だったから、遊びといえども、やつらと戦って勝つと、気持ちがよかった。共産ゲリラによって家を失い、家族を失った子どもたちは、ゲリラを討伐する戦争ごっこに熱中した。ぼくらの戦争ごっこは、実際に起こりうる事件だった。
 「戦争って、だれが起こすのかしら?」
 「人間だろう」
 ぼくは、ためらうことなく答えた。
戦争中には、ぴりぴりして、浮き足立っている人々がいた。
 戦争に行った叔父やそれを見送った村の人たち、四・三事件のときの近所の人たちの目つきもそうだった。人が起こした戦争で人が死に、家を失い、故郷を去り・・・。
 戦争が、どのような状況で起きるのか、そして進行していくときの社会状況を生々しく再現した小説です。いま、安倍首相と自民・公明の両党は日本と世界の平和を守るためと称して、嘘八百を平気で並べ立て、国民をだまして戦争へ駆り出そうとしています。
 弁護士会は、多くの憲法学者、歴代の内閣法制局元長官などとともに、この憲法違反の安保法制法案の廃案を目ざしてがんばっています。ぜひ、一緒に声をあげてください。
(2015年3月刊。2700円+税)

巣から何かが落ちてきました。
 ヒヨドリの幼鳥です。あっ、子育て中だったんだ、何があったのか。幼鳥は、地上の草むらで鳴いている。どうしよう・・・。
 まだ2羽のヒヨドリはうるさく鳴いている。あれれ、巣からヒモがぶら下がってきた。えっ、ヘビだ。ヘビ。ヘビが木の枝にぶら下がって、口には、もう1羽の幼鳥をくわえている。緑っぽい、白いヘビ。そして、揺れたあげく、どさっと落ちた。
 きっとアオダイショウだ。あーあ、2羽目の幼鳥は食べられてしまったな。
 一羽目の幼鳥が地上で鳴いているのを見つけた2羽のヒヨドリは、近くを飛びまわる。
 このままにしたら、2羽ともヘビに食べられてしまう。それも可哀想。とりあえず、ダンボール箱にその幼鳥を入れてみた。
 すると、ヘビが落ちた草むらで何かが動いた。もう一羽も助かったのだ。

 

2015年8月13日

なぜ書きつづけてきたか・・・

(霧山昴)
著者  金 石範・金 時鐘 、 出版  平凡社ライブラリー

 済州島三・四事件について、その当事者でもある二人の文学者による真摯な対談集です。読みごたえがあります。
 1946年、北朝鮮では金日成が主導権を握った。そして、信託統治に賛成するのか反対するのか、意見が分かれた。これは、金日成と朴憲永との主導権争いでもあった。信託統治というのは、北朝鮮のさまざまな勢力のいわば民主的な妥協のもとで成り立つ「臨時政府」の樹立を目ざすわけなので、もしこの「臨時政府」が成立したとすれば、金日成は、その臨時政府の指導者のなかの単なる一人になってしまう。実際にも、当時のソ連は、金日成を朝鮮延滞の指導者というより、軍事指導者のあたりが適当だと考えていた。
 左派勢力のなかで、賛宅か反託かは、金日成と朴憲永の指導権争いの意味を持っていた。済州島の島内は、はっきり反託に固まっていた。アメリカとソ連という二代超大国が角突きあわせるなかで、アメリカ軍と民衆が限られた地域で衝突したのは済州島しかない。
「北」の改革がもう少しゆっくりした変革だったら、あれほど「共産主義」を嫌いにならずにすんだかもしれない。「北」の改革は、問答無用式に民族反逆者を処断し、土地を没収し、地主を追放してしまった。
 四・三事件が起きたのは1948年のこと。私が生まれた年のことです(私は12月生まれ)。4月の段階では、せいぜい長くて半年で終わると思っていた。本土からすぐにも援軍が来ると期待していた。南労党支部の軍事委員会が本土の国防警備隊とつながっていて、呼応した軍隊が反乱を起こして救援に来てくれるという説明がなされていた。
 たしかに軍隊の反乱は起きたのです。そして、例の朴正熙(元大統領)も、当時は南労党の軍事委員だったのです(危うく死刑になりそうになったのでした)。
 四・三蜂起のあと、4月28日には、武装蜂起隊のリーダーである金達三と第九連隊の金益烈連隊長とのあいだで和平合意が成立した。
組織というものは、動いているうちは強いけれど、ひとたび停滞して内部が割れ出すと、まったく無力になる。もっともおぞましくなって、誰も、みんなを信用できなくなる。
一人の赤色容疑者のために村をまるごと焼き尽くすという惨烈な殺戮が広まると、かえって「山部隊」に対する怨嗟も広まっていった。
四・三事件のとき殺戮した側のほとんどが、その後、個人的な栄達を手にして韓国社会での名士に成り変わった。そういう殺戮者が正義であるということは正さなければならない。
 四・三事件を平定した権力者たちは、誰が何と言おうと、殺戮者であることは間違いない。
今やカジノがあるので日本人にとっても有名な島である済州島で1948年に起きた悲惨な歴史的事実を、当事者の対談によって掘り起こした貴重な本です。
(2015年4月刊。1400円+税)

2015年1月20日

降りられない船

著者  ウ・ソックン 、 出版  CUON

 昨年(2014年)4月16日に起きたセウォル号の沈没事件についての本です。
 私は、この事件について、残念でたまりませんでした。ニュースを読みながら、無念の涙を流してしまいました。だって、前途有為の高校生が300人近くも一挙に亡くなってしまったのですよ。信じられない大事故です。
 どうして、こんな大事故が起きてしまったのか、ぜひとも知りたいところです。
 このセウォル号は、韓国の前は、鹿児島と沖縄のあいだで運行していた船だったのですね。そして、韓国で船体が大幅に改造されています。
 船体の後部が増築されたため、本来なら左右をつないでいた船体後尾の甲板は、新設されたサンドイッチパネルの壁で最初から塞がれていた。残りの非常口も施錠したまま運行する習慣のため、開けることができなかった。
 セウォル号の船体が完全に傾いてからは、ドアは開かなかった。すでに海水が入り込んで傾いた船体から海に飛びこみ、水面下へ泳いで出て行った数人だけが最後に生きて戻った。船長以下の船員は脱出しています。
 高校生は、「じっとしているように」という船内放送の命じるままに、じっとしていたのです。これを書きながら、私は無念の涙が止まりません。いったい、この船内放送は、誰が、何のために出したのでしょうか・・・。
 この6千トンを超えるセウォル号の船長は、契約職であり、契約して1年にも満たなかった。
 もちろん、船長の責任は重いと私も考えます。現に裁判で重い有罪判決を受けました。しかし、問題は船長の個人的な資質にあったというのではないということです。
 セウォル号は済州島に行く船だった。済州島にいくのに簡単なのは飛行機だ。格安航空便もある。ところが、高校生が修学旅行で済州島に行くのを船で行くように行政がすすめていた。なぜか?
 1万トン以下のフェリーは、石油の高騰と交通手段としての競争力の低下などで居場所がなくなっていた。そこで、高校生の修学旅行が、教育当局の勧誘によって、カーフェリーに集中した。そして、この修学旅行生によって、途絶えていた路線の運行が復活したのだ。
 そのとき、船の寿命を20年から30年に延長して、日本では経済的寿命が尽きて退役する船が、韓国では中古として再稼働することが可能になった。
 日本の船を鉄くず同然の値段で買った人たちが、船についての基本的な原則と常識もないまま、都合のいいように改造した。船体が傾いたときの復元力に必要な、負荷を均等に合わせる最低限の作業もできなかった。縦方向の増築などで船尾がいじられてしまったため、左右のバランスをとることすらできなかった。
 この日、午前8時52分に船内にいた高校生から、「船が沈没中です。助けください」という電話を消防本部、そして海洋警察は受けている。ところが、午前9時30分に船長たちが海洋警察の船で救助されるとき、高校生は一人として救助されていない。何ということでしょうか・・・。
そして、セウォル号に近づいた警備艇は、二次被害を恐れて、船内に乗客がいることを知りながら、みすみす手をこまねいていた。しかも、他の船には接近するのを禁止してまで・・・。
これまた、信じられません。何があっても船内に侵入せよとの命令が出されるべきだったと著者は指摘しています。私も、まったく同感です。
 韓国の体育の授業には水泳の時間がなく、学校にプールがないそうです。これには意外というか、驚きでした。日本と同じように海に囲まれた国なのに、なぜなのでしょうか・・・。
 ともかく、国民の安全第一で行政はあってほしいものです。日本だって、フクシマの原発事故についての政府の対応をみていると、とても韓国政府の対応を批判できるとは思えません。放射能を今なおたれ流しているのに、早々と「収束宣言」するなんて、そして、原発再稼働を狙うなんて、日本政府も狂っているとしか言いようがありません。
 政府は、国民の安全第一で政治を進めるべきです。怒りが改めて湧きあがってきました。
(2014年10月刊。1500円+税)
 日曜日の午後から、ジャガイモを庭に植えつけました。メークインとキタアカリです。ダンシャクは店に売っていませんでした。いつものようにジョウビタキが近寄ってきましたので、写真にとってやりました。私の個人ブログで紹介します。とっても可愛いです。
 チューリップの芽が地上に出はじめました。春が近づいています。

2015年1月18日

韓国・北朝鮮とどう向き合うか


著者  東アジア共同体研究所 、 出版  花伝社

 韓国へ日本から5億ドルが支払われた。朴正熙大統領のときである。しかし、この5億ドルは、ひもつきのお金だった(タイドローン)。日本から物を買う。日本から技術を購入する。日本から人材を必要とする。そのための5億ドルだった。すなわち、この5億ドルは賠償金ではなく、あくまで商業ベース的なレベルで日本は拠出した。
 ソウル地下鉄とか、浦項(ポハン)製鉄所(現ポスコ)への資金も、この「賠償金」5億ドルから流れていっている。そして、日本にもキックバックされた。
 金正恩が張成沢を処刑したのは、金正恩はそうせざるを得なかったということ。それを進言したのは、北朝鮮の党・軍のなかの元老グループ。
 北朝鮮の労働党政治局員20人の3分の2は、70代、80代が占めている。
 4人の副委員長のうち、張成沢が切られて、残る3人は89歳の元軍政局長、84歳の元総参謀長、78歳の軍総参謀長。
 金正恩からすると、軍のほうから張成沢を外す方がいいと言われたら従うしかない。
 軍は軍で、この若さの三代目について、自分たちの権益・利権を守る。金正恩は彼らに乗っかかって金正恩体制をつくっていこうということなので、利害関係が一致している。そこに、弾き飛ばされる人間が出てきた。
 北朝鮮でも、韓流が入ってきていて、多くの若者の心をとらえている。韓流の映画俳優の顔に近づけたいといって二重まぶたにするというのは、そこらじゅうでやっている。医師でもない人が手術して、金もうけしている。
 情報閉鎖と教育をセットにし、かつ恐怖統治をそこに組み合わせると、人々はいろんな不満があっても、それがトップのせいだというよりは、身近にいる自分の真上にいる幹部がトップのいうことをよく聞かないでやっているせいだと思い込んでしまう。中間職が悪いんだと不平を向けさせることで、ガス抜きをする。
 金正恩には、思想・理論もないし、統治してきた経験もないから、金正日の遺訓ですべてを治めている。日本でいうと、水戸黄門の印籠をかざして、これが見えないかという形になっている。
 中国は、もしも金正恩が中国の国益を前面から害するような行動に出た場合は、金正男をカードとして抑えておこうとしている。
 北朝鮮では、朝鮮労働党の組織指導部が中核権力となっている。組織指導部は、国家保衛部と軍を動かせる。したがって、組織指導部を中核とする金正恩体制と言える。
 組織指導部では、部長は一貫して空席で、金正日時代も金正日総書記が兼任していた。組織指導部の内部に党、軍、政府それぞれの担当者がいて管理している。軍総政治局は、組織指導部の一課に過ぎない。
 先軍政治というのは、軍事を優先する政治であって、それを推進する権力中枢は組織指導部である。だから、権力の中枢は組織指導部に、権力の基盤は軍に置いている。
 工作機関が一つにまとまっているのが偵察総局。労働党の作戦部、調査部、そして軍の偵察局。この三つが拉致の実行犯。この特殊機関について、国家保衛部には監察能力はない。
 今回の北朝鮮側の特別調査委員会には、実際の権力を持っている機関が入ってない。
北朝鮮は中国の支援なくして戦争はできない。中国の習近平が訪韓したことから、北朝鮮は、戦争行為は、もはや出来なくなった。中国は金正恩政権を見放してもいいという状況になっている。
鳩山由紀夫・元首相の主宰する真面目な研究所における深く突っ込んだ分析が満載のブックレットです。価値ある1000円だと思いました。
(2014年10月刊。1000円+税)

2014年10月22日

北朝鮮、首領制の形成と変容


著者   鐸木 昌之 、 出版  明石書店

 北朝鮮の現在をどうみたらよいのか。その点について深く究明した本です。本当に大変勉強になりました。
 金正恩は張成澤を死刑にし、即刻、処刑した。張成澤は、金正日の妹である金敬姫の夫。ときに大将の階級章をつけて軍服を着て登場していた。
 張成澤は2013年12月8日、党中央委員会政治局拡大会議で、反党反革命宗派行為を犯したとされ、すべての職務から解任し、一切の称号を剥奪し、出党、除名された。その4日後の12月12日、国家安全保衛部の特別軍事法廷で、張は「国家転覆陰謀行為」が刑法60条に該当するとされ、死刑となり、直ちに処刑された。
 なぜ処刑されたのか、しかも秘密裏にではなく、報道して知らせたのか。今回の粛清は、北挑戦粛清史でも異例である。
金正恩は中国の介入を恐れた。張成澤は、北朝鮮で唯一外貨を豊富につかって国内の多くの問題を解決できる存在にあった。他方、金正恩は真綿で首を絞められる状態に陥った。張成澤の処刑と報道は、金正恩が中国と国際社会の要求する核兵器の放棄を拒絶したことを明らかにしたもの。首領制の核心は、核兵器であることを中国と国際社会に公然と示した。
 しかし、張成澤の処刑後、金正恩は、恐怖によって矛盾を一時的に押さえつけたものの、直面している問題を何ら解決できていない。金正恩が問題解決できるのか、そのカギは中国が握っている。北朝鮮が内閣中心制にかえようとしても、北朝鮮の外貨資金は中国の掌中にあるからである。
 金正日は、軍が非政治化する、すなわち党の統制から離れることをもっとも恐れた。党の統制から離れた軍は、いつ自分に刃を向けるか分からない。それがソ連崩壊から学んだ教訓だった。
 金正日は、金日成政治を継承すると言いながらも、それを部分的に否定し、自らの独自性を主張した。金正日は、父親を部分的に否定しなければ自らの時代を切り開けないことを知っていた。だからこそ、父親の百喪を契機に、「先軍政治」を言いはじめた。先軍政治の要締は、人民軍が金正日に対して無限の忠誠を誓っていることにある。
 先軍政治とは、朝鮮人民軍を金正日護衛軍としてつくることから始められた政治方式である。金正日は、自分の周囲の人々を信頼できず、徹底的に孤独だった。金正日の孤独感が、北朝鮮の孤立にも投影している。
 先軍政治は、軍隊に依拠すると強調しつつも、実際には、軍隊に対する党の優位は、金日成から金正日、そして金正恩時代になっても一貫している。人民軍は、党綱領にも憲法にも規定されているとおり、労働党の領導を受ける革命武力である。
金日成の時代は、人民武力部が総参謀部の上に常に位置していた。しかし、先軍政治が始まると、人民武力部長は総参謀長の次に座るようになった。
 金正日は、総政治局長、総参謀長、人民武力部長の三線垂直体制をつくり出した。金正日は、この三人を相互牽制するようにした。その結果、総政治局、総参謀部、人民武力部の順位となった。そして、護衛司令部、人民保安省、国家安全政治保衛部など、その麾下に実力部隊をもつ機関も人民軍と相互牽制させた。金正日は、それらのバランスの上に立って、独裁権力を維持しようとした。
 イデオロギー上の説明とは異なり、先軍政治とは、人民軍を中心としたものではなかった。その中核は、特殊部隊と核兵器だった。北朝鮮は、ソ連・中国という後ろ盾がないなかで、特殊部隊と核兵器に頼らざるをえない。核は体制の護持そのものである。
 特殊部隊は、人民軍の上に置かれた。そのため、党作戦部が先頭に立った。党作戦部は、特殊部隊のなかの特殊部隊となった。この結果、先軍政治を強調されながらも、最大の被害者は、皮肉にも人民軍だった。
 先軍政治は「首領の経済」と呼ばれるものが支えた。金正日は、外貨を内閣の管轄下や計画経済のもとに置くことを望まなかった。人民経済は、金正日の登場とともに、内閣の管轄に属されない特殊経済機関と単位によって浸食された。
 人民経済の市場化が進行した。北朝鮮は、社会主義でもない。
 国家の制度的統一性と継続性が失われていった。金日成と金正日の教示の絶対性がこれに拍車をかけ、社会を無秩序化し、混乱させた。北朝鮮社会は変化を起こしているというより、崩壊の過程に入っている。
 それでも体制が維持されているのは、むき出しの暴力が人々に向けられているから。
 とても納得できる分析が満載の本です。北朝鮮の内情に少しでも関心を有する人へ一読を強くおすすめします。
(2014年1月刊。2800円+税)

2014年9月14日

漢拏山へひまわりを


著者  金 昌厚 、 出版  新幹社

 済州島四・三事件を体験した金東日の歳月。これが、この本のタイトルです。
 済州島に生まれ育ち、四・三事件そして朝鮮戦争が始まってからは山中のゲリラ隊に参加もした。それから密航船で日本に渡って、東京は江戸川区で弁当屋を営んでいる女性の半世紀の聞き書きからなる本です。すごい経歴であるのに驚くと同時に、読みやすい文章なので、すっと頭に入ってきます。
 金東日は1932年(昭和7年生まれ。13歳のときに解放の日を迎えた。1947年に朝天中学院に入学。民愛青(民主愛国青年同盟)で活動をはじめ、連絡係としてビラを運んだ。
 四・三事件(1948年)のあと、山に入った。武装蜂起が起きたからには当然それに従わなければいけないと考えていたし、当然、勝てると思っていた。最後の血の一滴までもすべて捧げて闘うという気持ちだった。国のために、自分が死んでも国が生きのびるのなら・・・。
 言いたいことも言えないで生きていく生活のことを、冷蔵庫の中の凍った肉という。金東日たちは、すぐにでも解放されると信じていた。組織には楽観論が支配していた。
ところが、本の少し前までの山の人(ゲリラ側)にあんなに協力して食糧も届けていたような人々が、いつの間にかがらりと変わって敵に回ってしまった。山の人たちに勝ち目はなくなり、生き残ろうと思ったら、警察側につくという人が目立った。
 非合法生活をしているとき、逃亡だけだったが、かえってそれは希望があると思い込んでいた。なぜなら、これほど弾圧されて苦労しているのだから、済州島民が決起するに違いないと考えたのだ。指導部は当時の判断力不足で情勢を見誤った。
漢拏(ハルラ)山では、つらい毎日だった。死に向きあいながら、いつかきっと自分たちの世の中になると堅く信じていた。本人は意気揚々としていたが、人々が金東日を指さしながら、「この暴徒のアマ!」と言いながら集まってきた。それが、村で一緒に活動していた人たちばかりだった。
 朝鮮戦争が始まると、金東日は今度は智異(チリ)山で郡島委員会の秘書になった。18歳だった。そして捕まってしまうのでした。
金東日は、二回も捕まったのに、運が良く、再び済州島で母と生活するようになった。
 金東日が若いころに命をかけた戦いは正々堂々としたものだった。漢拏山や智異山に入ったことを後悔もしていない。
 2000年1月に本国(韓国)で四・三特別法が公布され、四・三事件真相相究明と犠牲者の名誉回復事業が本格的に始まり、「まるでひまわりに花が咲いたように」金東日の心を明るくした。
 済州島で大変な体験をした少女が、戦後50年以上も日本で生活していたことが発掘されたのでした。ご本人と、その発掘作業を本にした人たちへ、心より敬意を表します。
(2010年5月刊。1500円+税)

2014年8月21日

済州島、四・三事件(第3巻)


著者  済民日報四・三取材班 、 出版  新潮社

 1948年、済州島で発生した韓国現代史上最大の悲劇「四・三」の惨状は、米軍政下において韓民族がかかえていた矛盾が集中的に作用して引きおこされた事件だった。
 済州島において、米軍政と韓国政府側の討伐作戦が本格化していた5月13日、それに反抗する武装隊による逆襲事件が発生した。警察署が襲撃され、7人の警官が死んだ。また、武装隊が民家に放火し、百余戸が火災にあった。事態は「血の報復」の様相を呈しはじめた。
 当時は、山側(武装隊)のほうが力があるように見えた。情報も、山からのほうが早かった。警察は、毎日のように、避難嫌疑者の家族を署内に連れこんで拷問を加えた。
 住民にとって、応援警察隊は悪夢のような存在だった。応援警察隊が来ると聞くと、男も女も、年寄りも子どもも、みな身を隠すのに必死になった。法を守るべき警察官の存在によって、一帯は無法地帯と化した。討伐開始の1ヶ月間で、逮捕された「捕虜」が6000名に達した。これは、無差別逮捕を意味している。
 1948年5月20日、第九連隊所属の下士官11人をふくむ将兵41人が兵舎を抜けだし、武器・弾薬とともにゲリラ側に加担するという事件が発生した。米軍政は、この事件の後、第九連隊に不信感を抱いた。第九連隊は、全兵力の9割が済州島出身者で占められていた。
 警察と「西青」に反韓を抱く兵士が多かった。これらの将兵は「左翼思想」に染まっていたというより、警察と「西青」に対する反感が強かった。そして、このうち半数の20人は、2日後につかまり、射殺されてしまった。脱営そのものが緻密に計画された、組織的なものではなかった。
 1948年6月、ソウルに法曹人が済州島に入って現地調査をした。ソウルの検察官は、次のようにまとめた。
 「今回の事件の導火線は共産党系列の策動にあるとは言っても、その原因は警察官の済州島道民に対する誤った行動にあると断言することができる」
 彼らは、同じく済州島事態は、左翼系の扇動だけでなく、警察と「西青」、官公吏の蛮行と腐敗等が大きく作用していると指摘した。
 1948年6月18日、第11連隊において連隊長の朴珍景大佐が暗殺された。29歳だった。犯人ら4人の将兵は1948年9月に銃殺された。
 1948年8月、済州島道民保団が創設された。1949年4月には、この民保団は5万人を擁した。
 1948年8月、大韓民国が樹立し、韓米暫定軍事協定が締結された。
 駐韓米軍司令官は、韓国軍の指揮権とあわせて、米軍駐屯に必要な基地と施設の支配権を継続して確保した。
 「四・三」流血事態に、米軍指揮部が直接・間接に介入していた。
 10月20日以降、軍の行動が終了するまで、全島の海岸線から5キロメートル以外の地点と山岳地帯の無許可通行が禁止された。この布告に違反するものは、理由のいかんを問わず、暴徒とみなし、銃殺に処される。
 この中山間焦土作戦によって、6ヶ月間の内に少なくとも1万5000人以上の島民が虐殺された。
 「四・三」事件は、韓国社会にとって忘れることの出来ない歴史的汚点の一つだということがよく分かりました。
(1996年6月刊。4500円+税)

2014年8月 6日

先進国・韓国の憂鬱


著者  大西 裕 、 出版  中公新書

 日本と同じように、韓国も大きな矛盾を抱えている国だということがよく分かる本です。いずこも悩みは深いのです。
 2012年12月の韓国の大統領選挙で朴槿恵(パククネ)が勝利した。このときの投票率は2007年に李明博が当選したときの63%に比べて大幅にあがり、76%になった。
 街宣車による連呼が禁じられているため、静かな選挙戦だったが、有権者の動員は進んだのだ。朴槿恵も対立候補の文在寅(進歩派の隠健中道)も、新自由主義的改革で深刻となった経済格差を解消しなければならず、そのためには財閥改革と社会福祉の充実をしなければならないという点では一致していた。このように、政策的対立は乏しいけれども、深刻なイデオロギー対立が高い投票率につながった。
 文在寅は湖南地方と若年層の支持を得、朴槿恵は嶺南地方と高齢者の支持を得た。
 韓国経済の快進撃は財閥系企業による。そして、その利益の大半は、財閥とごく一部の社員が得ており、一般市民や中小零細企業は、その恩恵にあずかっていない。
 韓国が財閥中心の経済構造になったのには、二つの要因がある。その一つは、財閥が歴代政権によって特権的に保護されたこと。その二は、自由化がすすみ、弱肉強食の市場原理が働くなか、政権と強く結びついて強い立場にあった財閥の一人勝ちの状況になった。
 ジニ係数と相対貧困率をみる限り、韓国はOECD諸国のなかで、それほど平等性の低い国とは言えない。しかし。貧困層の困窮度合いは、かなり深刻である。相対的貧困層に属する人々は、数が多いだけでなく、平均してかなり貧しい。韓国は、OECD諸国のなかで65歳以上でみると、最悪に近い。すなわち、韓国の高齢者における不平等は深刻で、貧困層の厚さも、その困窮度合いも際立っている。それは、社会保障制度の整備が遅れたことによる。
 そして、韓国の若年層は就職がしにくい。ワーキングプア、高齢者、若年層などに着目すると、韓国の貧困の状況は、かなり深刻だ。そのうえ、政府の対策は量的に不十分である。弱肉強食の世界を招きかねない新自由主義的な改革を推進したのは、1998年から10年間続いた、金大中、盧武鉉という進歩派政権だった。なぜか・・・?
 1998年2月、金大中政権は、進歩派の人々から大きな期待を受けて登場した。ところが、この政権は、新自由主義的としか思えない経済改革を次々に断行していった。
 金大中政権は、進歩派からは裏切ったと思われ、保守派には不十分と評価された。金大中には、アカ(パルゲイン)のレッテルがついて回った。
 それでも、韓国は曲がりなりにも福祉国家を実現した。
 次の盧武鉉政権は、二つの新しい福祉圧力に直面した。その一つは、少子高齢化の進行。その二は、「新しい社会的リスク」への対応。
韓国の福祉政治で不思議なのは、市民団体や労働団体が政治過程に参加しているのに、福祉団体はあまり目につかないこと。そもそも福祉を推進する団体があまり存在しない。存在しても、福祉の拡大には、それほど積極的ではない。韓国の福祉団体は、地方自治体から行政指導を受けることも多いため、行政にきわめて依存的な存在である。韓国には、福祉に関心をもちながら保守的という特異な事情がある。
盧武鉉は、いわば地域の草の根保守に足もとをすくわれてしまった。
 盧武鉉は、アメリカとの交渉には成功したものの、国内での批准に失敗し、条約の発効にまで持ち込むことができなかった。
 三八六世代の台頭は、それまで親米反北朝鮮があたり前だった韓国世論を大きく変えた。三六八世代とは、1960年代に生まれ、80年代に学生生活を送った、2000年当時に30歳代の世代を指す。彼らには、韓国という国そのものへの拭い去れない疑惑があった。そこで、ナショナル・アイデンティティという争点が浮上した。
 韓国の新聞市場は、三代新聞社の寡占状態にあるので、新聞を読む限り、保守的な言説しか国民には伝われない。
 米韓FTAについて、保守派勢力が支持し、盧武鉉を支えた進歩派は勢力が反対した。盧武鉉は、彼の信念からすれば予想外だったろうが、進歩派からは背信者よばわりされた。
 盧武鉉は、低所得層にいる人々が、彼が従事している産業の低生産性ゆえに所得を得ることができないことに注目していた。所得の低い状態から抜け出すには、彼らに教育と訓練と機会を与えることが必要だと考えた。貿易自由化が福祉政策と重なれば、社会的弱者の生活の質につながると盧武鉉は考えたのだ。
 盧武鉉は、伝統的な進歩派の考えとは異なる発想のために支持者から批判を受けた。そして、不幸なことに、保守派からも支持されなかった。
金大中、盧武鉉と二代10年にわたる進歩派政権は、結果的に支持者を裏切るような経済改革を行ってしまった。福祉国家化には成功したものの、量的規模は小さく、新自由主義的な改革が進んだ。
 李明博は、強いリーダーシップを発揮することができなかった。彼は、大衆からも政治家からも任期のある大統領ではなかった。
 李明博は、進歩派の反対で挫折を余儀なくされた。大統領選挙と国会議員選挙で敗北したものの、進歩派は衰えてはいなかった。
 韓国政治の矛盾とダイナミズムを、生き生きと分析している画期的な名著だと思いました。
(2014年4月刊。840円+税)

2014年7月10日

順伊おばさん


著者  玄 基榮 、 出版  新幹社

 「スニおばさん」と読みます。1948年済州島四・三事件を取りあげた小説です。
 「順伊ねえさんは、ほんとはその昔に死んだ人だ。畑を取りまいてからに、それこそ雷みたいに銃を撃ちまくったんだけども、順伊ねえさんだけは擦り傷ひとつ負わんでな、ほんとに不思議だった」
 「どうも、射撃の直前に気絶して倒れてしもうたようなんだ。気がついてみたら、自分の身体の上に死んだ人間が何人も折り重なっていたという」
 「その畑で死んだ人たちが、ぐにゃぐにゃに腐って、肥やしになって、それであくる年の芋はすごい豊作じゃった」
 夜は部落出身の共匪たちがあらわれて、入山しない者は反動だと竹槍で突き殺し、昼は巡警たちが幌付きのトラックでやって来て、「逃避者」の検束をするものだから、結局、村の若者たちは昼も夜も身を隠して過ごすしかない立場だった。
 大部分の男たちは村にそのまま踏みとどまっていたが、暴徒に追われ、軍警に追われて右往左往しながら、結局は、なすすべもなく、ハルラ山麓の牧場へあがっていき、川のそばの洞窟内に非難した。済州島は、もともと火山地帯なので、至るところに洞窟があり、暴徒と軍警の板挟みになった良民たちが、人知れずに身を隠すのには誂え向きだった。
 西北青年出身の巡警たちは、子どもたちに洋菓子を与え、父や兄の隠れ場所を教えてほしいと騙した。無邪気な子どもたちは、竹ヤブのなかや家の床下、馬小屋やわら積みの下を掘った穴に隠れている自分の父や兄を指さして教えた。
 暴徒も恐ろしく、軍警も恐ろしくて山へ避難した良民を、軍警は暴徒と見なした。
 入山者の家族まで釈放されたという噂が広がると、若者たちが続々と下山してきた。彼らは下山すると、いっていの帰順手続を踏んでから、宣撫工作隊に編入されて討伐隊の協力者となった。
 ときには、幹部級の入山者の切り取られた頭が名札をつけて展示されもした。
 朝鮮戦争が始まり、海兵隊が募集されると、帰順者たちは一人残らず入隊を志願した。アカの汚名を拭うことのできる絶好の機会だった。
 鬼神を捕まえる海兵隊として勇名をとどろかせた草創期の海兵隊は済州島出身の青年3万人を主軸にして成立した。
 以北の人間たちにやられたことを以北の人間たちに仕返してやるという感情が認められた。済州島の青年たちが6.25動乱のときに見せた戦史に輝く勇猛さは、一時、軍警側で島の住民といえば無条件に左翼視し、その獰猛なアカ狩りの対象にした単細胞的な思考方法が、どれだけ重大な誤解を犯したかを反証している。
 済州島四・三事件を一般住民の置かれた状況から考え直させてくれる本です。
(2014年4月刊。1600円+税)

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