弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2020年1月23日

司法書士始末記


(霧山昴)
著者 江藤 价泰 、 出版  日本評論社

弁護士と司法書士の協働は必要不可欠です。手続的にこまかいところは司法書士のほうが優れていますし、大局的観点での手続・解決だと紛争処理に慣れた弁護士のほうが一日の長がある気がします(もちろん、これはあくまで一般論でしかありません)。
この本はベテラン司法書士による事件処理にあたっての失敗談やら教訓が語られていて、大変参考になります。
司法書士制度は、1872年(明治5年)に司法職務定制が定められて以来、150年近い歴史を有している。1919年(大正8年)に司法代書人法が成立し、1935年(昭和10年)に司法書士法が制定され、戦後、何度も改正されて確立した。
司法書士会と弁護士会の違いは、なんといっても自治権が認められているかどうかです。弁護士会には監督官庁がありません。いえ、戦前は裁判所検事局の監督を受けていました。弁護士会の総会は検事正のご臨席の下で開かれていたのです。信じられませんよね・・・。
ところが、司法書士会は今も法務局の監督下にあります。ですから、司法書士会の総会では、法務局長が訓辞を述べ、局長表彰というものがあります。司法書士は日々の活動についても、さらには売上についても法務局に報告することになっていました(今も、でしょうか・・・)。
権力とたたかってでも社会正義と基本的人権を擁護するのが弁護士の責務です。弁護士がお金もうけだけしか考えないようになると、弁護士会の存在はうっとうしいだけです。会費はバカ高いし、何やかやとうるさいことを言って個々の弁護士をしばろうとする、そんな存在の弁護士会なんて必要ないという声が出てくるのは、ある意味で当然です。でも、ひとたび権力からにらまれたとき、それを支えてくれるのが弁護士会です。そのことにぜひ文句を言っている弁護士にも気がついてほしいと私は心から願っています。
この本では、本人確認が十分でなかったことから、危くニセ所有者に騙されそうになった体験談(失敗談)も紹介されています。これは本当に怖いことです。東京都心の一等地がサギ師集団によって売却され、超大手企業が何億円も損をしてしまった事件がありました。
このとき、新米の司法書士を狙い、ともかく事を急がせ、余裕をなくさせようとします。犯人は真の所有者の元同級生で、実印や印鑑証明書までもらっていたのでした。
運転免許証のコピーではなく、ホンモノを自分の目で見て確認するくらいの気構えがプロには求められる。まことに、もっともです。
「縄のび」という言葉があることを、弁護士になってまもなく知りました。法務局に備付けてある図面(本来は公図なのですが、実は不正確な字図=あざずであることがほとんど)と現地で実測した測量図が大きく違うというのは、決して珍しいことではありません。土地の実測面積が法務局の登記簿面積よりも大きいときは「縄延(の)び」と呼ぶ。ある程度の違いは許された誤差であり、「縄延び」は認められることになっています。しかし、逆のケースも、もちろんあるわけで、字図には大きな面積があるけれど、実は現地には何もないということもありうるのです。
ある司法書士は、先輩から「離婚と境界には手を出すな」と言われたそうです。どちらも金銭をめぐる紛争というより、感情的対立という側面が強いので大変なのです。
境界確認(確定)裁判は何年もかかることがしばしばです。それで、はじめにいただく着手金は、弁護士への慰謝料みたいなものですと私は高言し、決して安請負はしないようにしています。
今から20年も前に出た本で、長いあいだ積ん読状態になっていたので、人間ドッグ(一泊)のときに持ち込んで読了しました。改めて大変勉強になりました。
(1998年3月刊。2400円+税)

2020年1月22日

倒産手続の課題と期待


(霧山昴)
著者 伊藤 眞、園尾 隆司、加々美 博久 、 出版  商事法務

企業倒産の第一人者である多比羅誠弁護士の喜寿を記念した論文集です。
私は最後の第13章にある「多比羅誠弁護士の事件処理」から読みはじめました。
東京の酒類販売業者が倒産したとき、5億円をこえる売掛金債権をなんとか営業を続けながら回収していった例が紹介されています。破産して営業終了となったあとで破産管財人が債権を回収しようとしても、その回収率はとても低くなるのが必至です。そこで、破産宣告を受けても営業継続の許可を裁判所からもらっておき、破産者代表者の長男などに受け皿会社を設立させ、そこへ営業譲渡したのです。受け皿会社に、経営破綻の責任をとらせるべく、「簿価100%」で売掛金と在庫を引きとらせました。結局、最後配当の配当率は6%以上だったというから、たいしたものです。
太陽電池パネルにつくる会社の倒産では、新しいスポンサーをどうやって見つけ、確保するかについて工夫がなされました。新しくスポンサー会社として名乗りをあげた会社に秘密保持契約書をもらって資料を開示します。そして多比羅弁護士は、その会社にまっとうな数字を出すよう強く迫るのです。1億円以上、それを書面にして社長自ら持参することを求めます。そうでなければ保全管理人には取り次げないと断乎たる対応をします。8000万円の回答が出たら、ダメと断り、1億円でもダメ、1億5000万円を求め、ついに1億1500万円で話がまとまります。この譲渡価額は当初申出額の20倍まで引き上げられたのでした。
中小企業の倒産において特定調停を申立したケースもあります。そして、この特定調停が不成立となって、すぐに破産申立しますが、その手続のなかで事業譲渡を成功させました。これって、大変な裏技ですよね・・・。民事再生法の下での事業譲渡より、破産手続のなかでの事業譲渡のほうが、裁判所の許可だけで可能になるというメリットがあることを私は初めて知りました。
医療法人が倒産したときには、スポンサーとなった医療法人の代表者が新しい社員として入社し、再生計画が認可されたら、旧社員は全員退社して経営権を譲渡したというケースの紹介もあります。そして、このときスポンサー契約書は、新しいスポンサーが作成して提出した最終提案書を別紙として添付する形にして、わずか1頁ですませたというのです。これは、契約書の調査・確認の手間を省けて、短期間ですばらしい成果をあげることができたのでした。
多比羅弁護士は、「事業を再生できないか、その可能性が1%でもあれば、途中であきらめずに真剣につきつめよ。破産は、いつでも、誰でも出来る」というのをモットーにしているそうです。なるほど、ですね。すごいですよね、実際にたくさんの成果をあげているのです。
多比羅弁護士は22期ですから、私より4期先輩になります。私は日弁連倒産法制改正問題検討委員会でご一緒しました。多比羅弁護士が委員長で、私は単なるヒラ委員の一人です。ただ、私のほうは個人破産について豊富な実践例をもとにして、発言していました。
多比羅弁護士は企業倒産分野の第一人者として、数多くの立法提言をしてきました。
多比羅弁護士が関与した主な倒産事件の一覧表が末尾にありますが、会社更生事件10件、民事再生事件43件、和議事件11件、強制和議事件2件、会社整理事件5件、破産管財人33件、特別清算事件18件などなど、その量と質に圧倒されてしまいます。
園尾隆司弁護士(元・東京地裁破産部)は、倒産法における即時抗告と執行停止効を論じています。要するに、韓国を除いて、即時抗告があれば一律に執行停止を認めるのを原則としているのは、世界中で日本だけということを明らかにしています。このとき、台湾の倒産法やドイツ倒産法の改正についても、きちんとフォローしているところは、さすがです。
福岡の黒木和彰弁護士(日弁連消費者問題委員長)は、特定適格消費者団体による破産手続申立の可能性を探る論稿をよせています。
さすがに幅が広いと驚嘆したのは、伊藤眞・東大名誉教授がビットコインと倒産法制の関連で論じていたり、宇宙ビジネス事業者が倒産したときにどうなるのか、という論稿まであるのです。
さらに、アメリカで大規模法律事務所の破綻が相次いでいるとのこと、そのとき弁護士が移籍することになるわけですが、さて報酬請求権はどうなるのか、という問題です。
堂々720頁をこす大作です(定価も1万円)。クレサラ問題の冊子(1000円)を送ったら、そのお返しのようにして贈呈していただきました。どうぞ、これからもお元気に大活躍していただきますよう祈念します。ありがとうございました。
(2020年1月刊。1万円+税)

2020年1月13日

弁護士のしごと


(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版  しらぬひ新書

著者は25歳で弁護士になって今、71歳ですから、弁護士生活も46年間となりました。
これまで取り扱ってきた事件のうち印象に残ったものを少しずつ文章化していて、本書は読みもの編の第一弾です。
本書のトップは、勝共連合・統一協会による霊感商法でだまされた人のケースです。
主婦が32万円という高額なハンコを買わされ、600万円もの多宝塔を購入させられたのは、長男が短命で終わるとのご託宣によって心配させられ、それを回避するための行動でした。著者は洗脳の場になっているビデオセンターに乗り込み、パトカー2台が出動する騒動を起こしながらも、600万円全額を取り戻すことに成功したのでした。裁判所を待たずに弁護士も直接折衝することがあるというケースです。
二つ目のケースは、子どもの引き取りをめぐる争いです、裁判所の命令によって子どもを手放さなくてはいけない状況を打破するため不利を悟った相手方がテレビ局に駆け込んだ。ワイドショーのスタッフが東京から飛んできた。だまし打ちにあって田圃道でテレビ・カメラの皓々たるライトを浴びながら、世の中には理不尽なことも多いと実感させられた。それでも、なんとか人身保護命令の手続きのなかで、3歳の子どもを無事に取り戻すことができた。いやはやテレビ番組は怖いものです。
100万円の恐喝事件では、32回の公判を重ねて「被害者」の証言は信用できないとして、無罪判決が出て、そのまま確定した。ところが、被告人となった一人が民事で損害賠償を「被害者」に請求すると、裁判官は言語道断の請求だと決めつけて請求を棄却してしまった。
最後は、地場スーパーの倒産にともなう整理手続を裁判所の手を借りずに遂行した経緯が紹介されています。裁判所の破産手続を利用すると、手続費用(実は管財人費用)が高額なうえ、業者説明会がすぐにやれないとか、主導的に進行させられない。そこで任意清算手続で乗り切ったというケースです。
弁護士は何をしているのか、弁護士って役に立つものなのか、実例をふまえて、プライバシー保護に留意しつつ具体的に明らかにしている新書です。
いま、大学進学を希望する高校生のなかでは法学部より経済学部が人気であり、司法界の人気も低下しているといいます。とても残念なことです。地方にも人権課題はたくさんあり、それに取り組むのは人生を充実させるうえで、とてもいいことだと思います。この新書を読んで弁護士を志望する人が増えてくれることを願っています。
ですから大学生や高校生などに広く読まれてほしいものです。新書版200頁。
(2019年12月刊。500円(悪税こみ))

2020年1月 8日

創意


(霧山昴)
著者 石川 元也 、 出版  日本評論社

刑事弁護人として60年あまり活躍してきた著者の本です。88歳の著者にベテラン弁護士2人(岩田研二郎、斉藤豊治)がインタビューしていますから、とても読みやすく、しかも大変勉強になることばかりでした。
本のオビに木谷明・元裁判官が「戦後司法史の生き証人」と書いていますが、まさしくそのとおりです。昔は、裁判所は大らかなところがあったな、今はあまりに官僚統制がききすぎていて窮屈すぎると痛感します。意見陳述があって共感を呼んだとき、立派な陳述が終わると拍手したくなりますよね。ところが、そんな自然発生的な傍聴人の言動に目くじら立てる裁判長がほとんどなのです。残念でなりません。
この本には、刑事裁判の法廷で被告人たちが一斉に黙祷をはじめたとき、裁判長が制止することもなく黙って終わるのを待っていたという話が紹介されています。検察官が制止するよう求めると、裁判長は「何もしません」と答えたそうです。困った検察官は裁判長を忌避せず、自民党に通報しました。結局、うやむやになって終わったそうです。
「マイコート」と称して、法廷管理のこまかいところまで仕切りたい裁判官が少なくありません。ところが、そんな裁判官の多くが事件処理にあたっては枝葉にこだわり、大局的見地に乏しく、権力批判の覇気が欠如しています。本当に情けないです。
著者は1994年から3年間、自由法曹団の団長をつとめました。大阪から初めての団長でした。激務のため、さすがに3年目の途中で体調を崩したので、5年のつもりが3年で退任したとのことです。私は、このころから親しく交流させていただいています。
著者は東大3年生のとき、メーデー事件で逮捕・勾留されています。このころは、まだ活動家ではなく、見物気分で一人でメーデーを見に行って騒動に巻き込まれました。ケガをして、カルテに本名を書いたので、逮捕されたのでした。あとで司法試験に合格して司法修習生になるとき、この逮捕が問題となり、1年、入所が遅れそうになりました。
弁護士になってから、公安(刑事)事件を扱いはじめます。まず、1949年8月17日に起きた松川事件の弁護人となりました。この法廷のペースは驚異的です。毎月、1週間、月水金の全1日の公判を開く。こうやって40回の法廷が1年3ヶ月で終了した。
大衆的裁判闘争のもっとも重要なところは、争点を明確にして、事実と道理で迫ること。同時に、裁判批判を大衆的そして国民的にやる。裁判は、決して法曹の弁護士と裁判官だけの問題ではない。国民が納得できるもの、国民が自由に批判できるということが大きな論点だ。国民というとき、マスコミのもっている役割は、けっこう大きい。なるほど、ですよね。
それから吹田事件。この裁判で勝てた要因は四つある。第一に、裁判上の対決点を明確にした。第二に、被告団が団結すること。第三に、弁護団の果たした大きな役割、第四に大衆的な支援運動の盛り上がり。
宮原操場事件の裁判では、更新手続のとき、公判調書などを全部よむように裁判所に要求して、これだけで6回か7回の公判をしたことがあったそうです。そして、裁判官忌避。京教祖事件では、証拠開示をめぐって何度ももめて、同じ裁判官を3回忌避したというのです。
松川事件では最高裁は大法廷で10日間にわたる口頭弁論を開いた(1957年11月)。そして、同じく最高裁の大法廷は全逓東京中郵事件で6日間の弁論を開いた(1965年4月)。また、東京都教組事件で3日間の弁論を開いた(1968年9月)とのこと。いずれも可罰的違法性を論点とした弁論で、午前・午後終日の弁論でした。今では、ちょっと信じられません。
著者から贈呈していただきました。戦後司法史を自らの体験もふまえて語った、貴重な本なので、多くの若い人にぜひ読まれてほしい本です。
(2020年1月刊。1500円+税)

年末年始に大変なことが起きました。暮れのゴーン被告の逃亡はびっくりしただけですが、正月早々のトランプ大統領の暴挙には戦争が始まりそうで恐ろしさに膚が粟立ちます。暴力に暴力をぶつけても何の解決にもならないとは中村哲さんの至言です。安倍首相がトランプ大統領に抗議することもなく、中東への日本の自衛隊派遣を中止しようともしないのは、まったく許せません。
私の年末年始をご紹介させていただきます。12月31日夜は例年どおり近くの山寺で除夜の鐘をつきに出かけました。星が満天に輝いていて、北斗七星の先にある北極星もよく見えました。雪がちらつくこともなく、しっかり防寒していきましたので、焚き火にあたらず、パトリシア・カースのシャンソンを聞きながら待ちました。鐘をつく人は年々減っていますが、それでも今回は少し若い人、子づれが目立ち、二重の輪にはなりませんでしたが、それなりの参加者でした。
1月1日は、おだやかな陽差しを浴びながら、庭に出ていつものように畑仕事というか、土いじりに精を出しました。庭のあちこちを掘り返し、生ごみを埋めて土づくりです。ふかふかの黒土が出来あがります。昨年は、じゃがいもがたくさんとれました。玉ネギは植えそびれてしまいました。春にはチューリップが300本以上、咲いてくれます。例年500本なのですが、昨年は日曜日に出かけることが多かったのです。伸びすぎたスモークツリーもばっさり切って、すっきりしました。
そして、年末年始、事務所内の既済記録の大半を処分しました。もちろん、文章化しようと考えている記録は残しています。

2019年12月26日

裁判官失格


(霧山昴)
著者 高橋 隆一 、 出版  SB新書

元裁判官が31年間の裁判官生活を振り返って書いた本なので、タイトルにあるように失敗談のオンパレードかと思うと、決してそうではありません。むしろ、裁判官だって人の子、いろんな裁判官がいるし、事件もさまざまという、裁判を取り巻く実情を率直に語っています。
ですから、まったくタイトルどおりの本ではありません。
人間として立派な先輩裁判官が著者の身近にいて、そのためかえって煙たがられていて、残念だった。犯罪をおこした人の気持ちを理解して、その更生のための手助けをしようとする熱心な裁判官たちが裁判所のなかで意外に冷遇されているのを見た。
この尊敬すべき先輩裁判官は青法協(青年法律家協会)に入っていたため、上から目をつけられて、どの裁判所に行っても合議裁判に入れてもえないという差別を受け続けた。
信念を貫き、人間の更生そして人権擁護に熱心な裁判官が冷遇されるのを身近に見ると、多くの裁判官は委縮してしまい、モノを言わなくなってしまいます。今の裁判所は、まさに、そんなモノ言わない裁判官ばかりが多数で大手を振っています。ところが、彼らは権力への忖度を無意識のうちにしているので、権力に迎合しているという自覚すらないことがほとんどです。
このことは、原発差止を認めた樋口英明・元裁判官の講演を聞いて、ますます確信しています。もちろん、それって残念なことです。青法協会員裁判官の「退治」(ブルーパージ)は、もう30年以上も前に起きたことですが、今に尾を引いているのです。
裁判官のなかには、パチンコ好きの夫婦で、月に10万円以上もつぎこむ人がいるし、酒好きで、朝からコップ酒をあおり、酔ったまま法廷に出る裁判官もいた。妻子ある身で行きつけのスナックのママと無理心中した裁判官がいるという話もある。
昔、熊本地裁玉名支部に大石さんという裁判官(故人)がいました。私は個人的には大好きでしたが、朝の法廷で酒の臭いをプンプンさせているというので、新聞沙汰になったことがあります。
女性の裁判官が増えていて、判事補のなかの女性の比率は2005年には24.4%だったが、2015年には35.6%にまで伸びている。
国の重大な決定に裁判官が逆らうことができるのか、これは実に悩ましい問題だ。つまり、権力(首相官邸)との癒着があり、忖度があるというのが現実です。
著者は、国の重大な決定に背く判決を書けるのか、そんな勇気を裁判官は果たしてもてるのか、司法権の独立が試されている、そう書いていますが、権力をもつ人間(そして金持ちも)に対して逆らう判決・決定を書くのは大変な勇気があると刺激的な文章でしめています。
ぜひ、あなたもお読みください。
(2019年12月刊。830円+税)

2019年12月22日

昨日の世界


(霧山昴)
著者 島崎 康 、 出版  毎日新聞出版

元検事長の回想小説というタイトルに惹かれて手にしました。実は、まったく期待することなく読みはじめたのですが、どうしてどうして、とても中身の濃いサスペンスタッチの小説でした。
「ある殺人事件の捜査担当検事が最後に行きついた人間の真実とは・・・時代に翻弄される人々の生き様を描く意欲作」というのが本のオビにありますが、このオビの文章を決して裏切ることのない大変な力作です。東京から帰る飛行機のなかで読みはじめ、家に帰りつくまでに読了しました。あっという間でした。
実は、私は目下、「弁護士会殺人事件」なるものに挑戦中なのです。犯行の手口はそれなりにイメージできて書けるのですが、犯行動機の点でハタと行き詰まっています。人を殺すほどの動機が利権の乏しい弁護士会にあるとは思えず、考えつかなくて困っているのです。
そこを、暴力団がらみの殺人事件が起きた本書で、どのように工夫をし構成しているのか、知りたくて読みすすめましたが、最後まで、ぐいぐいと惹きつけられました。
最後に参考資料として、 侠客・ヤクザはともかくとして、満蒙開拓団・学生運動・浦上四番崩れがあげられています。それがうまく(解説がくどいという部分もありますが・・・)、動機部分と人物描写に組み込まれていて、ストーリーに深みをもたせています。ここも類書にない特長です。
警察の検察への事前相談は、法律上の根拠はない。いわば、官庁間の根回しに類するもの。警察は、その事件の帰趨が社会的に注目されている場合には、事件の送致前に検察に「事前相談」し、事実や法律問題を詰め、勾留の可否、起訴の可能性などを探る慣行がある。
警察が「もうちょっとがんばります」というのは、検察に無理難題を押しつけるときの常套文句だ。
検察は、何事をするにも上司の決裁を必要とする。検事の日常は、この上司への報告・決裁に向けて毎日を過ごしているようなもの。検事のなかには、「上司の意向を忖度(そんたく)し、それにあわせて捜査し、処理しようとする者、捜査や後半より報告書づくりに精力を傾ける者がいる。
嘘をつくというのは、普通の人間にとって、並大抵でない緊張を強いる。それが取調べであれば、なおさらだ。
人は、いったん嘘をつくと、これを合理化するために、さらに嘘をつかねばならない。そのうえ、取調官が、どこまでの材料をもっているのかを推測する。身柄拘束されていたら、これに密室妄想的要素が加わり、さまざまな想像をめぐらせる。そして、四六時中、そのような想念にとりつかれているうちに、自らの嘘で自縄自縛になり、あらぬ話を捏造し、ついには墓穴を掘る羽目に追い込まれる。取調べの早い段階で、相手方に好きなだけ嘘をつかせることも尋問技術のひとつだ。
著者は検察官を長くつとめ、検事長にまでなったというだけあって、検察庁内部の人間模様と警察との関係などは、さすがに真に迫っていて、想像とはとても思えない迫力があります。
今年最後に読む一冊として、一読をおすすめします。
(2019年1月刊。2300円+税)

2019年12月15日

刑務所しか居場所がない人たち


(霧山昴)
著者 山本 譲司 、 出版  大月書店

日本の刑務所が福祉施設と化しているという点は、私も事件を通して大いに推測できるところです。ところが、逆に今日の日本では福祉施設が刑務所化しているとの指摘があり、ドキッとしてしまいました。
著者は元国会議員で実刑判決を受けて刑務所生活をしたことがあります。そのとき、刑務所内の福祉施設化を自ら体験したのでした。
2016年に新しく刑務所に入った受刑者2万500人のうち、4200人は、知能指数が69以下だった。つまり、受刑者10人のうち、2人は知的障害をもっている可能性がある。
同じく、2016年の「新人」2万500人のうち、殺人犯は218人。少年犯罪は激減していて、10年前の4分の1。全国の少年鑑別所はガラガラの状態。
殺人事件で被害にあった人は、1955年(昭和30年)に年2119人だったのが、1985年に年1017人、そして2016年には289人にまで減った。
犯罪の認知件数は、2002年に日本に285万件だったが、2017年には91万件となり、この15年間で、3分の1以下に減った。
2016年に刑法犯として検挙された人のうち65歳以上の人は4万7000人。これは全体の2割をこえている。20年前の5倍以上。
高齢受刑者は何度も犯罪を繰り返すことが多く、70%が累犯者。高齢者の犯罪は、窃盗が7割(女性だけだと9割)。
刑務所が1年間に使う医療費は7万人の受刑者で32億円(2006年)だったのが、今では5万人いないのに2倍近い60億円となっている。・
日本の障害者福祉予算は年1兆円。これはスウェーデンの9分の1、ドイツの5分の1、フランスやイギリスの4分の1。アメリカと比べても2分の1以下。
福祉の刑務所化とは、お金が目当ての福祉施設では、効率よく入所者を管理すべく、刑務所並みの厳しいルールで利用者の勝手な行動を止めさせているということ。
府中刑務所への1800人の収容者の内訳をみると、日本人受刑者の700人以上が精神か知的障害のある人で、600人が身体に障害をもっていた。
著者の本は、いま日本の刑務所がどんな実情にあるのかを知ることができて、その役割の尊さをふくめて頭が下がります。
(2018年5月刊。1500円+税)

2019年12月 6日

無実の死刑囚、三鷹事件・竹内景助


(霧山昴)
著者 高見澤 昭治 、 出版  日本評論社

三鷹事件が起きたのは1949年(昭和24年)7月15日の夜8時24分。三鷹駅構内の無人の7両連結の電車が暴走し、時速60キロをこすスピードで600メートルを走り、駅構内を突き抜け、駅前の派出所や運送店を破壊したあと、ようやく停止した。その結果、改札口に向かって歩いていた乗降客6人が亡くなり、十数人が重軽傷を負った。
この年は、直前の7月5日に下山事件(国鉄の下山総裁が列車に轢断され、死亡した事件)、1ヶ月後の8月17日には松川事件(列車転覆脱線事故のため運転士ら3人が死亡)が発生している。そして、この三鷹事件については、発生した直後から、マスコミ(新聞)は共産党員による犯行だと報道した。
ところが、暴走電車によって完全に破壊された駅前派出所には警察官は誰もおらず、1人として被害にあっていない。また、事故直後にアメリカ軍のMP(憲兵)が現場に来て暴走電車内に立ち入っているのが目撃されている(その状況写真もある)。事故発生前にアメリカ軍のジープが現場に停まっていた。
当時、日本を占領していたアメリカ軍は、三鷹事件について、いち早く「共産党による破壊工作」と決めつけ、吉田内閣に働きかけて、捜査当局の目を共産党員による犯行へ向けさせた。このことは間違いない。
下山事件は自殺ではなく、他殺。そして、松川事件はアメリカ軍の謀略部隊によるデッチ上げ事件、これが間違いないところでしょう。この三鷹事件も、アメリカ軍による謀略事件の疑いがきわめて濃厚です。
ところが、ひとり竹内景助ばかりは「単独犯」なのか「共同犯」なのか「自白」が変転したこともあり、有罪のまま獄死(病死)してしまったのでした。
事件発生の翌2日である7月17日に、朝日新聞の社説は、名ざしこそしていませんが、共産党員による犯行と言わんばかりですし、毎日新聞にいたっては、「思想的関係のあることが明らかになった」として「極刑にせよ」という見出しをつけています。驚くべき内容の社説です。
では、なぜ竹内景助のみは有罪となって確定したのか・・・。
竹内以外の被告人たちは、無罪をあくまで主張して、がんばった。しかし、竹内はいったん「自白」しているうえ、単独犯だとしたり共同関係にあるといったり、フラフラしていた。そして、弁護士に「だまされた」というのでした・・・。
竹内は、几帳面で真面目な性格の人間だった。
逮捕されたのは8月10日だったから、事件が発生して2週間以上たっていた。
警察からは、松川事件での赤間被告と同じように、叩いたらすぐ壊れる「弱い環」とみられていたのかもしれません。
検察官が竹内に言った言葉を、竹内は詳しく再現しています。
「この野郎、まだ言わんのか。証拠が山ほどあるんだぞ。いくら無罪と言ったって、そんなこと通用するもんか、バカめ・・・。救い難い奴だな、こいつは。このまま死刑にしてやるから覚悟していろ。共産党は、こういうバカばかり集めて、ああいう事件しか起こせないんだなあ、呆れたもんだ・・・。おい、何をボンヤリしてるんだ。その手をようく見ろ、人殺しめ、人の顔なんか見なくてもいい。自分の手をようく見ろ。きさまが殺した手を見ろ・・・。人殺し。おい人殺し。電車がひいたんでも、結局、人殺しだ。それでもまだ白ばっくれているというのか、このやろう。意地でも死刑にしてやるぞ。それだけ頑張るんだから覚悟しているだろうな」
いやはや、とんでもない検察官です。
三鷹事件の「真相」を初めて知ることができました。再審の厚い壁を、ぜひとも乗りこえていってほしいと思います。
(2019年10月刊。2000円+税)

2019年12月 5日

挑戦する法


(霧山昴)
著者 島川 勝 、 出版  日本評論社

著者は20年間の弁護士生活のあと、1992年に裁判官となり、10年間を裁判所で過ごしたあと、法科大学院で実務の教員になりました。今は、また弁護士に戻っています。私は著者が裁判官になる前の弁護士のとき、クレサラ問題に取り組むなかで交流がありました。
著者は裁判官になってから、破産部でサラ金破産を担当しました。破産件数が日本最多のころのことです。そのため効率化が図られ、免責審尋は個別面接する余裕がなく、集団面接という方式となっていました。要するに、個別事情は無視して、裁判官が一方的に「説教」して終わらせるものです。
著者は、それだと破産者に破産原因をきちんと認識することがないため、再度の破産も目立ってきたので、「島川教室」を開設した。単に形式的に不許可事由を尋ねるのではなく、利息の計算方法や破産の原因について、きちんと説明するように心がけたのでした。
このころ大阪弁護士会のクレサラ問題を扱う弁護士の多くは、なんでも一律、簡単に免責を得るのが当然で、倫理性は不要だと声高に主張するばかりでした(私は、当時も今も異論を唱えました)ので、それへのささやかな抵抗を試みていたことになります。
著者は裁判を迅速にする試みのなかで、証拠(証人)調べをするのが2割になっていることを問題だと指摘していますが、これにもまったく同感です。争点を明確にしたうえで、証人を法廷で調べるのは原則として必要なことです。
著者が1992年に裁判官に任官したとき、大阪から他に4人(合計5人)だったそうです。このころは弁護士任官に勢いがあり、裁判所も積極的に受け入れようとしていました。今では弁護士任官は年間5人にもみたない状況です。裁判所が消極的なのです。厳しいハードルを勝手にもうけて、せっかくの任官希望者をふるい落とすものですから、希望者自体が激減しています。大変悲しむべき事態です。裁判所改革は、本当にすすんでいません。
著者は大阪の西淀川大気汚染訴訟の原告弁護団事務局長としても活躍していましたし、青法協(青年法律家協会)の会員でもありました。そんな経歴の弁護士が裁判官に就任したというので大変注目されました。期待にたがえず10年間の裁判官生活をまっとうし、このような立派な本を刊行したわけです。そのご苦労に心より敬意を表します。
(2019年11月刊。3800円+税)

2019年10月31日

当番弁護士は刑事手続を変えた


(霧山昴)
著者 福岡県弁護士会 、 出版  現代人文社

福岡県弁護士会は1990年に全国に先駆けて待機制の当番弁護士を始めた。それから30年がたとうとしている。今では、被疑者の国選弁護制度まで実現している。
私も被疑者の国選弁護人を今年(2019年)は1月から10月まで6件担当し、被告人国選弁護へ移行したのは2件のみです。
この本は2016年に開かれた当番弁護士制度発足25周年記念シンポジウムをもとにしていますが、当番弁護士制度の発足経緯、スタートしたころの状況が紹介されていて、私もその当時の大変さをまざまざと思い出しました。福岡部会では重い携帯電話の受け渡しから大変だったと聞いています。今のように各人がケータイを持ってはいなかったのです。
私は、福岡県弁護士会が当番弁護士制度を発足させたあと、「委員会派遣制度」をつくって運用しはじめたこともまた高く評価されるべきだと考えています。これは、世間的にみて重大事件が発生したら、被疑者からの要請を待たずに、弁護士会側の判断で当番弁護士を派遣するというものです。この制度が始まったことにより、「弁護人となろうとする者」(刑訴法39条1項)の解釈が見直されることになりました。
そして、日弁連がつくった「被疑者ノート」もグッドアイデアでした。これが書けそうな人には、私もなるべく差し入れるようにしています。すると、被疑者との会話が深まるのです。
当番弁護士がスタートした1990年度の出動件数は108件、翌年217件、3年目に415件だった。それが11年目の2001年には2312件となり、16年目の2006年には4千件近い3991件になった。今では、すっかり定着しました。もっとも刑事事件そのものは、幸いなことに激減しています。
福岡県弁護士会はリーガルサービス基金をつくって、財政的にも制度を支えた。この財政的な裏付けは、天神センターが発展していき、弁護士会の財政が潤沢になったことによります。
まさしく当番弁護士制度は日本の刑事手続を大きく変えたと言えます。このことを歴史的にふり返った画期的な本として、一読をおすすめします。
(2019年10月刊。2500円+税)

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