弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
ヨーロッパ
2019年11月23日
太陽を灼いた青年
(霧山昴)
著者 井本 元義 、 出版 書肆侃侃社
フランスの若き天才詩人アルチュール・ランボー。日本の詩人がフランスに出かけて、ランボーの足跡をたどった本です。たくさんの写真があって、楽しく読めます。
ランボー狂いの著者はランボーに関する本を数十冊も読み、あらゆる評を読んでいます。
そして、ランボーが生まれたシャルルの地に立ち、その空気を腹一杯、吸い込みます。ランボーが酔いしれて彷徨したパリのカルチェラタンをランボーのように歩いてみます。パリにむかってランボーが旅立ったヴォンク駅は今は廃駅となって線路もありませんが、そこに立ち往時をしのびます。手に傷を負ったランボーが悲痛な時を過ごしたロッシュ村を訪れ、そこにあるランボーの墓石を何度も撫でます。
本書はランボーを狂おしいほどにしたう著者が、フランス国内を歩きに歩いてランボーの面影をたどった記録です。著者は仕事をリタイヤして70歳のころ、3年間、毎年3ヶ月間、パリに下宿してパリ近辺を歩きまわったという行動派でもあります。
ランボーが死んだのは、1891年11月10日、37歳だった。マルセイユの病院で亡くなった。葬儀は盛大だったが、参列者は母と妹の二人だけ。このころ、ランボーの詩がかつて賞賛されていたことを身内は知らないし、世間は天才詩人ランボーの死を知らなかった。
ランボーの最高傑作詩の一つ、「酔いどれ船」は、ランボーが16歳のときの作品。その詩に感激したヴェルレーヌから、「来たれパリへ、偉大なる魂よ」と招かれ、ランボーはパリへ旅立った。それからの4年間が、若きランボーの情熱がもっとも輝くときだった。
ランボーは1871年のパリ・コミューンに出会い、コミューン兵士の一員になる。しかし、兵舎のなかは驚くほど無秩序で、1ヶ月もたたないうちにランボーは兵舎を出た。このころ、まだ16歳の天才少年だ。
詩の意味は、色や匂いや言葉や音の組み合わせだ。
ランボーは詩作をやめた。しかし、著者は、そこからが本当の詩人ランボーの誕生だと強調しています。すべてを見てしまった書かざる詩人が誕生したというのです。
ランボーはアフリカに渡り、武器商人になったのですが、結局、取引相手にうまくあしらわれて赤字を出したようです。そして、病気をかかえてフランスに戻るのです。リューマチが悪化、腫瘍ができたのでした。
ポール・クローデルは、アフリカでのランボーの生活や手紙には何の意味もない、ランボーの文学の価値は前半で終わっているとしました。著者は、これに激しく抵抗しています。
私は正直言って、書かざる詩人という存在なるものが理解できません。心象風景を文字にしてこそ詩なのではないか・・・、と思うからです。
この本は私のフランス語勉強仲間である著者から教室で贈呈されたものです。早速読んでみました。私も言ったことのあるパリのパンテオンやサン・ジャック通りなど、なつかしい光景が見事な写真とともに紹介されています。
ありがとうございました。ランボーの一生がチョッピリ分かりました。
(2019年10月刊。1600円+税)
2019年11月19日
独ソ戦
(霧山昴)
著者 大木 毅 、 出版 岩波新書
今年の最良の新書として高い評価を受けていますが、読んだ私もまったく異議ありません。
ヒトラーのナチス・ドイツとスターリン率いるソ連赤軍の死闘の実際が多角的にとらえられていて、なるほど、そういうことだったのかと得心いくことの多い本でした。
ソ連は2700万人が死傷し、ドイツは、戦闘員が444~531万人が死亡し、民間人も150~300万人の被害と推計されている。
ヒトラー以下、ナチス・ドイツ軍は、対ソ戦を世界観戦争とみて、撲滅すべき存在だとしていた。ヒトラーにとって、世界観戦争とは、みな殺しの戦争、つまり絶滅戦争であった。そして、これはドイツ国防軍の将官たちも共有していた。
そして、スターリンも大祖国戦争というとき、ドイツ軍は人間ではないと高言していた。
有名なドイツ軍事史の著者であるパウル・カレルの本は、今ではすべて絶版とされている。パウル・カレルはナチス政権のもとで要職にあったことを隠して、ドイツ国防軍を免責する意図のもとに歴史を歪曲して書いていたことが明らかにされた。そうだったんですか・・・。
スターリンがヒトラー・ドイツ軍の侵攻について、情報を得ながら信じなかったのは、イギリスがドイツ軍を対ソ戦に誘導しようとしていると疑っていたことによる。
そして、スターリンによる大静粛の結果、ソ連軍が著しく弱体化していたため、ドイツ軍が攻めてくるとは考えたくなかった、現実逃避思考に陥っていた。
スターリンは、目前に迫ったドイツの侵攻から眼をそむけ、すべてはソ連を戦争に巻き込もうとするイギリスの謀略であると信じ込んだ。あるいは、信じたかった。いやはや、スターリンのとんでもない間違いのため、ソ連国民は多大な犠牲を払わされてしまいました・・・。
ヒトラー・ドイツ軍がソ連侵攻を正式決定したのは1940年12月18日のこと。
ドイツ国防軍、とくに陸軍は、対ソ戦に積極的だった。当時、国防軍の戦車や航空機をはじめとする近代装備の多くは、ルーマニア産の石油で動いていた。そのためハルダー陸軍総参謀長は、ルーマニアの油田を守るためには、対ソ戦やむなしと判断した。それにはソ連軍の実力についての過小評価もあった。
ヒトラーが開戦を決意し、命令を下す前からドイツ陸軍のトップはソ連侵攻の準備をすすめていた。ドイツ軍は、自分の能力の課題評価とソ連という巨人にたいする過小評価、蔑視から傲慢な作戦計画を立てた。
ドイツの侵攻を受けた時点でのソ連軍は、反撃や逆襲できるほどの練度になく、将校の指揮能力も貧弱だった。ソ連軍はスターリンによる大静粛のため人材不足にあり、独ソ両軍の司令官(師団長など)の平均年齢はソ連軍のほうが11歳も若かった。この差は驚異的ですよね・・・。
独ソ戦全体を通して、570万人ものソ連軍将兵がドイル軍の捕虜となった。捕虜の多くはドイツ軍の虐待で死亡していますし、無事に帰国しても、スターリンによって「裏切り者」扱いされたのでした。
ドイツ軍には「電撃戦」を規定したドクトリンなど存在しなかった。
ドイツ軍が「バルバロッサ」作戦で前進していったとき、現場のソ連軍はなお頑強に戦い続け、容易に降伏しなかった。ドイツ軍の大将は次のように評した。
「ソ連兵はフランス人よりはるかに優れた兵士だ。極度にタフで、狡知と奸計に富んでいる」
ドイツ軍はソ連領内で補給不足に苦しみ、掠奪していった。そのため、現地住民の憎悪の対象となった。結局、ドイツ軍は、戦争に勝つ能力を失うことによって失敗した。すると、有利なのは、回復力に優ったソ連軍だった。
とても読みやすく、本質をついた独ソ戦通史だと思います。
(2019年9月刊。860円+税)
2019年11月18日
アウシュヴィッツのタトゥー係
(霧山昴)
著者 ヘザー・モリス 、 出版 双葉社
実話をもとにしたフィクションです。それにしてもすごいんです。アウシュヴィッツ絶滅収容所で被収容者たちに数字のタトゥーを入れていたユダヤ人青年がいて、戦後まで生きのびたのです。そして、カナダと呼ばれる場所で働いていた女性と仲良くなり、ともども戦後まで生きのびたという信じられない奇跡が起こったのでした。
カナダとは被収容者たちから取りあげた持ち物を整理・処分していた場所です。そこには宝石や金があり、食べ物に換えることができました。
タトゥー係は特別な技能をもつ者として収容所では特権的な地位にありました。そのおかげで主人公は生きのびることができたのです。
主人公のタトゥー係(ラリ)は、まわりを冷静に観察し、必死に頭を働かせて、しぶとく、したたかに生き残る。それはカナダで働く彼女(ギタ)と結婚するためであり、永遠に返せない借りをなんとかして返すためでもあり、そしてナチスに抵抗するためでもある。
ただ生き残ること、それ自体が英雄的行為になるような状況のなかで生き残ること、これがいかに厳しいか、いかに辛いか、それをタトゥー係(ラリ)は身をもって実感する。
タトゥー係(ラリ)は、ナチスによって無意味に殺されていく人々を見ていく。そして最後には運よく、故郷に帰り着くが、それは本当に「運よく」と言えるのかどうか・・・。タトゥー係という特殊な立場にいたため、普通の被収容者たちが目にしなくてすむものまで見てしまうし、見せられてしまう。家畜を運ぶ列車でアウシュヴィッツに運ばれてくる途中で死んでいたほうがましだったかもしれない・・・。
戦後、ラリは、感情が欠けているようなところと、生存本能が高いところが残っていたと息子が語った。
ラリは、スロヴァキア語、ドイツ語、ロシア語、ハンガリー語、それからポーランド語を少し話した。いやあ、すばらしい。ラリって語学の天才だったんですね・・・。
タトゥー係のいいところは、日付が分かること。毎朝渡され、毎晩返却する書類に書かれている。日付の手がかりになるのは書類だけではない。日曜日は、仕事をしなくてすむ。
生きのびたあとの戦後、ギタはこう言った。
何年間も、5分後には自分が死んでいるかもしれないと思いながら過ごしたことがあれば、たいていのことは切り抜けられるようになるのよ。生きて健康でさえいれば、すべてはうまくいくものなの。
ぜひ、あなたも読んでみてください。今を生きる一日一日がますます大切なものと思えるはずです。
(2019年9月刊。1700円+税)
2019年11月17日
消される運命
(霧山昴)
著者 マーシャ・ロリニカイテ 、 出版 新日本出版社
リトアニアにおけるユダヤ人虐殺の話です。読んで、とても悲しくなります。まったく救いがありません。
リトアニアは第二次世界大戦の前は、一応、独立国だった。1939年、ソ連軍がリトアニアに進駐して、リトアニア人をシベリアに送ったりして恐怖支配した。
ところが、1941年6月22日、ソ連軍は撤退し、ナチス・ドイツ軍がリトアニアに侵攻してきた。そして、すぐにリトアニア人の協力を得て、ユダヤ人を組織的に殺害しはじめた。
「男狩り」として、「収容所に送って、労働従事に従事させる」と言いながら、ナチス・ドイツ軍はすぐにユダヤ人の男性全員を森に連行して銃殺した。
ヒトラーの占領軍は、3年間に10万人のユダヤ人を銃殺し、森の中に埋めて隠した。そして、敗色が濃くなると、ナチス・ドイツ軍の残酷な証拠を残さないよう、1943年12月から埋めた死体を掘り起こして焼却した。
作者は、ゲットーに収容されつつも、戦後まで生きのびて、過去のことを記録して語り伝えた。わずか140頁の本ですが、読みすすめるのがとても辛くて、とても読み飛ばすことはできませんでした。
リトアニア人がナチス・ドイツ軍のユダヤ人殺害に手を貸していた事実が淡々と描かれていて、大変気が重くなります。
ドイツの占領前に23万人のユダヤ人がリトアニアにいたのですが、1941年末までに17万5000人が殺害され、戦後の今はリトアニアにユダヤ人はほとんどいないようです。悲しい話ですが、目をそむけるわけにはいきません。
(2019年8月刊。1800円+税)
2019年11月 9日
よい移民
(霧山昴)
著者 ニケシュ・シュクラ 、 出版 創元社
移民、外国人、在日コリアン、台湾生まれ、元植民地出身者、ハーフ、ダブル、ミックス、2世、3世、4世・・・。日本にもたくさんの人々が「移民」として入ってきています。
そして、日本でもヘイトスピーチのような排外主義的風潮が強まっていて、本当に残念です。日本では安倍首相本人が「美しい国ニッポン」とか愛国心とか言って、その排外主義をあおりたてているのですから、最悪です。そのうえマスコミの多くがその尻馬に乗って嫌韓・嫌中で金もうけしようなんて考えているのには涙があふれてしまいます。
では、イギリスではどうなのか・・・。
この本は、ロンドン生まれのインド系イギリス人作家が編者となり、黒人、アジア系、エスニック・マイノリティの人々が自分の生い立ちや家族の歴史、日常生活や仕事のうえで直面する不安や不満、そして未来への希望を語りながら、21世紀のイギリス社会で「有色の人間」(パーソン・オブ・カラー)であるとはどういうことなのかを探究しています。
マイノリティの一員であると、貼り付けられたレッテルを磨きあげ、大事にするすべを習得するやいなや、それは没収され、別のものと取り替えられる。闘争で勝ちとったはずの宝石は、永遠に貸し出されたまま。折に触れて、自分で選んだわけでも、つくったわけでもないレッテルがぶら下がったネックレスを首にかけるようにと手渡される。それは束縛でもあり、装飾でもある。
多種・多様の民族が共生しているようにみえるイギリスでも、その内実は本当に大変のようです。それでも人々はそこに生きて格闘しています。日本も近い将来、直面すること間違いない状況です。いろいろ考えさせられる本でした。
(2019年8月刊。2400円+税)
2019年11月 7日
バタフライ
(霧山昴)
著者 ユスラ・マルディニ 、 出版 朝日新聞出版
17歳のシリア難民少女が、ブラジル・リオのオリンピックに出場して泳ぐまでの実話が語られています。
難民が生命がけでドイツにたどり着くまでの様子が刻明に語られていて、その悲惨さに思わず涙ぐんでくるのをおさえられません。水泳選手という自負心から、船が沈没して全員おぼれそうになったとき、海の中で船(ボート)を支えたという信じられないエピソードもあります。
シリアで水泳のコーチをしていた父親の下で、姉と妹は幼いころから水泳を始めて、やがてオリンピック出場を目ざすのです。ところが、シリア内戦が始まり、シリア国内では水泳の練習どころではなくなります。
シリアのアサド政権って、すぐにも倒れるかと思っていましたが、意外にしぶとく生き残っているようです。反政府派との激しい内戦は今どうなっているのでしょうか...。日本では、何が問題となっているのかを含めて、シリアの状況はまったく伝わってきませんので、この本を読んでも、基礎的知識がありませんので、もどかしい限りです。
敬虔(けいけん)なイスラム教徒だったら、女性はヒジャーブを着て肌の露出を避ける。しかし、水泳選手にそんなことを求めるわけにはいかない。水着の上に何かを着て泳ぐなんてありえない・・・。
市街戦が日常化するなかで著者たちはシリアを脱出し、ドイツに向かったのでした。
2015年9月の週末だけで、2万人の難民がバスや列車に乗って、ハンガリーからオーストリア経由でドイツに到着した。このときドイツは難民を受け入れていた。そして、難民として登録されると、ドイツ政府は毎月130ユーロの手当を支給してくれる。
シリアを脱出して、ヨーロッパまでたどり着けた人々は、故国ではそれなりに裕福に暮らしていた。シリアからドイツに来るまでに3000ドル以上のお金を使っている。家を売り、本を売り、何もかも売り払って旅費を工面した。
ドイツまで来れた人間は運が良かったといえる。それだけの金があったのだから。貯金がない人や売り払う家財のない人は、ヨルダンやレバノンやトルコの難民キャンプにまでしかたどり着かない。
ドイツ政府とドイツの人々が救いの手を差しのべてくれているのはありがたいこと。しかし、他人からの施しを受けなければ暮らせない境遇はつらい。故国では、他人から恵んでもらおうなんて考えたこともない人々なのだから・・・。
2016年のブラジル・リオのオリンピックのとき、IOCは「難民五輪選手団」を結成することを思いつき、それを実行した。そのなかの水泳選手として著者が選ばれた。
いやはや、こんな「サクセス・ストーリー」もあるのですね。難民という存在を改めて実感させてくれる本でした。
(2019年7月刊。1900円+税)
2019年10月30日
電撃戦という幻(下)
(霧山昴)
著者 カール・ハインツ・フリーザー 、 出版 中央公論社新社
連合軍の精鋭をダンケルクに追いつめながら、ドイツ軍は停止した。完勝を目前にして、ヒトラーはなぜ最後の一撃を加えなかったのか・・・。
ダンケルクから撤退する「ダイナモ」作戦が開始される前、イギリス軍はせいぜい4万5千人を救出できればよいと考えていた。3万人が関の山という見方もあった。ところが、1940年5月26日から6月4日までに37万人(イギリス兵24万7000人とフランス兵12万3000人)が救出された。ドイツ軍の捕虜となったフランス兵は8万人だった。
ドイツ軍が激戦のすえダンケルク港を制圧したのは、6月4日午前9時40分だった。
政治家が軍事作戦に口出しするのはドイツでは異例のこと。エリート軍人の知的選民、冷静沈着なプロフェッショナル集団として一時代を築いたドイツ参謀本部に、気まぐれで、何をしでかすか分からない、爆弾をかかえたような男(ヒトラー)が闖入(ちんにゅう)した。
問題は、ヒトラーの軍事知識が本物であったかどうかにあるのではなく、この指導者が異常なほど感情に左右されやすい人間だった点にある。ドイツ総統(ヒトラー)は、自己の可能性を際限もなく過大評価するかと思えば、事態を絶望視し、しばしば救いようのない悲観論に沈潜してしまうのだった。
5月24日、グデーリアン装甲軍団は、ダンケルクまであと15キロメートルに迫っていた。ヒトラーは作戦指導に介入し、ルントシュテットをとおして装甲部隊に進撃を停止するよう命じた。しかし、実際には、この時点で、すでに装甲部隊は停止していた。このとき国防軍の上層部内で抗争があっていて、ヒトラーは「停止命令」というかたちで、これに干渉した。
ヒトラーの「停止命令」の本当の理由は、軍事指導者としてのヒトラー自身の権威を守ることにあった。つまり、ヒトラーがダンケルクで止まれと命じたとき、それは装甲部隊に向かってではなく、陸軍総司令部の将官たちに対してなされたのだ。
戦争が歴史上比類のない完璧な勝利のうちに終わりそうになると、偉大な勝利者としての栄光はヒトラーの上にではなく、軍人たちの上に輝いてしまうかに見えた。陸軍総司令部か主役になり、ヒトラーは端役の地位に追いやられてしまっている。これはいかにもまずい。放ってはおけない...。
ヒトラーがこれほど不機嫌なのを見たことがない、とヨードルは語った。
ヒトラーは決意した。理由など、どうでもいい。とにかく復讐あるのみだ。見せしめが必要だ。奴ら(国防軍上層部)を懲らしめ、折檻し、軍の最高司令官は誰かということを思い知らせてやる。
「停止命令」は、ヒトラーにとって、客観的な軍事情勢から導き出されたものではない。権力を維持しようとするヒトラーの防衛本能から生まれたのだ。
ヒトラーのあらゆる決断、あらゆる政策決定は、客観的な情勢判断とは無縁だ。軍を指導するのは自分であって、他の誰でもないということを国防軍上層部に示す必要があったというだけのこと。
なーるほど、よくよく分かる説です。
軍事的天才を自認したヒトラーは、参謀本部から魂を抜きさり、みずからを舞台の中心にすえ、軍人たちを背景の書き割りの地位に退かせた。
こうやってダンケルクの悲劇はヒトラーの悲劇の始まりだったわけです。
1940年の西方戦役と1941年の対ソ侵攻の違いは次のように総括できる。
西方戦役は、「電撃戦」としては計画されなかったが、結果的にそのようになってドイツ軍は大勝した。対ソ侵攻は「電撃戦」として計画されながら、思いどおりにいかず、最終的に挫折した。
下巻だけでも300頁近い大作ですが、ヒトラーの軍事才能(が、実は、なかったこと)とドイツ国防軍の電撃戦なるものの実体がよく認識できました。軍事史に関心ある人には強く一読をおすすめします。
(2012年2月刊。3800円+税)
2019年10月20日
たのしい川べ
(霧山昴)
著者 ケネス・グレーアム 、 出版 岩波少年文庫
イギリス人の著者が息子のために書いた童話です。
著者の父親は弁護士でしたが、意思も性格も弱く、一つの職業にとどまっていることができない人だったので、家族の生活はかなり不安定だった。
感受性の強い子どもだった著者は、母たちと一緒に暮らして笑いあえる生活を過ごしていたが、5歳のとき、母は病死してしまった。祖母の家に引きとられて、豊かな自然のなかで、川や小動物たちとたのしく語りあって育っていた。
しばらく別れていた父親が著者の前に戻ってきたとき、なつかしい、美しい人として心にえがいていた父親は、実は、不幸に負け、酒におぼれた人としてあらわれた。
そんななか、4歳から7歳まで、全感覚をあげて外の世界の美しさを吸収したと著者は語っている。この本にそれは十分に反映されているように思います。
中学で抜群の成績をあげても、周囲は誰も評価しない。仕方なく、17歳から銀行で働くようになった。そして、文章を書きはじめた。孤独な生活を過ごした少年は、かえって、そのころの因襲にとらわれず、批判的に大人をながめ、本来の子どものもっている感覚で、しっかり周囲の出来事を見ていた。そして、それを文章にあらわした。
著者は、4歳の一人息子が夜に泣いて泣いて困ったので、何かお話をしてやろうと言った。息子は、モグラとキリンとネズミの出てくる話を注文した。そこで、著者は、ヒキガエルが自動車を盗むところから始まる話を始めた。これが3年間も続いた。
キリンは、いつのまにかいなくなり、アナグマが出てきて、ヒキガエルが出てきた。
ヒキガエルは息子の性格に似ていたので、父子のあいだでは、ヒキガエルが出てくると、大笑いしていた。
知人の女性のすすめで、息子に語った話が、この本につながったのです。
それでも、出版社は、こんな本が売れるのか心配で断るところばかりだった。ようやく出版社がみつかり、1908年に世の中に出ると、10月に初版が出て、12月には第二版。翌年もずっと増刷されていった。
この本は、アメリカに渡り、シオドア・ローズベルト大統領に贈られ、本人が放っているあいだに、夫人と子どもたちが読んでた。
この話の主人公は、モグラとネズミ。それにアナグマとヒキガエルなどが組みあわされ、自然のなかに生きるささやかなものへの愛情を子どもに伝えたいという気持ちにあふれている。
心のほっこりするひとときが得られる楽しい童話でした。
(2018年2月刊。760円+税)
2019年10月 6日
ある一生
(霧山昴)
著者 ローベルト・ゼーターラー 、 出版 新潮社
オーストリア、アルプスの山中に生きた、名もなき男の一生が淡々と描かれています。
第二次世界大戦が始まる前のアルプスの山中にロープウェーが建設され、著者もその作業員の一人になります。
やがて戦争が始まり、軍隊に志願して一度は不具の身体と年齢からはねられたのに、あとでは徴兵され、ロシア戦線に追いやられてソ連軍の捕虜生活も経験します。復員して故郷に帰ってくると仕事はなく、やむなく勝手知ったる山岳ガイドの仕事をしますが、寄る年波には勝てず、一人で山小屋で生活しているうちに「氷の女」に出会い、ついに天に召されるという一生です。
食堂の給仕係の女性にプロポーズして幸せな結婚生活も送るのですが、それもつかの間のこと。大雪崩に襲われ、妻は亡くなり、その後はずっと孤独に暮らすのでした。
一見すると救いようのない寂しい人生なのですが、いやいや人生は誰だって同じようなものではないのか、そう思わせるほどの筆力で、ぐいぐいと引きずりこまれてしまう、不思議な小説でした。
人生とは瞬間の積み重ねだ。本書を読み終えたとき、ひとりの男の一生をともに生きたという、ずっしりした手ごたえが残るという訳者(浅井晶子)のコメントは、まさしく同感でした。
(2019年6月刊。1700円+税)
2019年10月 5日
パリ警視庁迷宮捜査班
(霧山昴)
著者 ソフィー・エナフ 、 出版 早川書房
いかにもフランスらしいエスプリのきいた警察小説です。フランスで15万部も売れた人気ミステリというのですが、なるほど、と思いました。
もう50年以上もフランス語を勉強している割には、ちっともうまく話せませんが、ともかく毎日、フランス語の勉強だけは続けています。毎朝のNHKラジオ講座と週1回の日仏学館通い、そして年に2回の仏検受験です。このところフランスに行っていませんが、フランスに行っていませんが、フランスには何回も行きました。駅やホテルそしてレストランで通用するくらいのフランス語は心配ありません。先日、東京でフランスの弁護士会との交流会があったようですが、そこで会話できる自信はまったくないのが残念です。
カぺスタン警視正は過剰発砲で停職6ヶ月となり、復職したばかりの女性。その下にとんでもない札付きの警察官が集められた。大酒飲み、ギャンブル狂、スピード狂、そして脚本家など・・・。その任務は長く迷宮入りとなっていた事件の再捜査。
部下たちは警察官といっても警部や警部補が多い。癖あるベテラン刑事たち。一見すると、無能であり、やる気のなさそうな、そして人づきあいの悪そうな警察官たちが、なんと、すこしずつ重要な手がかりを得て、一歩一歩、疑惑を解明して、真相へ迫っていきます。
フランスの警察署の雰囲気って、こんなものなのかな、きっと日本とは違うんだろうな・・・、そう思いながら、フランス式捜査の歩みを堪能できる警察小説でした。
(2019年5月刊。1800円+税)