弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
ヨーロッパ
2020年10月 8日
彼女たちの部屋
(霧山昴)
著者 レティシア・コロンバニ 、 出版 早川書房
主人公は40歳の女性弁護士、ソレーヌ。富裕層の住むパリ郊外で生まれた。両親は、ともに法学者で、子どものころから頭が良くて感受性豊かで、真面目。学業では挫折を知らず、22歳で弁護士資格を取得し、パリの有名法律事務所に就職した。すべてが順調。
母になることを夢見ることもなく、山積みの仕事のため、週末もバカンスも放り出し、睡眠不足で、走り出したらとまらない特急列車のような日々を送っている。
ある日、依頼者(クライアント)が脱税の罪で裁判となり、判決の日、検察側の求刑どおり懲役(実刑)と数百万ユーロの賠償を命じられた。依頼者は、判決を聞いた直後、裁判所の建物の巨大な吹き抜けに身を投じて自殺してしまった。
ソレーヌのショックは大きく、路上でガス欠したように立ち往生した。入院先の病室で、カーテンを閉めきったまま何日も起きあがれない。光に耐えられない。そのうえ、交際していた彼との予期しない破局がやってきた。その墜落の衝撃はすさまじかった。もう元の法律事務所には戻れない。裁判所に入ることを考えただけで吐き気がする。
よい弁護士とは、心理カウンセラーであり、信頼できる相談相手である。ソレーヌは、身を引いて相手に意中を吐露させる術を身につけていた。ソレーヌはパリにある「女性会館」で代書の仕事をすることにした。ボランティアの仕事で、あくまでリハビリのつもりだ。
スーパーで買ったヨーグルトが2ユーロだけ高く払わされた。手紙を出して取り戻したいという依頼を受ける。冗談かと思うと真剣な顔つき。手紙を代書した。翌週、2ユーロが戻ってきたと、お礼を言われた。胸が熱くなった。法律事務所では莫大な金額の争いを担当し、もらった弁護料も途方もない金額だった。しかし、どれも心底からの喜びは感じていなかった。しかし、この2ユーロを取り戻したことを聞いて、ソレーヌはなすべきことをした実感、いるべきときに、いるべき場所にいるという実感をおぼえた。これまで飲んだ高価なシャンパンにまさるとも劣らない、おいしいお茶を味わった。
ソレーヌは、パソコンを使うのをやめて、紙とエンピツで書くようにした。そして、手紙を代書する。そのなかで言葉を取り戻した。人の役に立っているという実感は何ものにも代えがたいものがある。
ヴァージニア・ウルフは、書くためには、すこしの空間とお金がいる。それと時間だという。ソレーヌには、三つともある。では、なぜ、書かないのか...。
「女性会館」に来て、代書のボランティアをするうちに、言葉たちが戻ってきてくれた。もしかして、これがセラピーの意義なのかもしれない。人生の流れに、抜け出した地点から入りなおす。勇気がいる。だが、いまのセレーヌには勇気がある。
「女性会館」に入る前、その女性は15年間も路上生活を送った。外では何もかも盗られる。金も身分証も電話も下着も。歯のかぶせ者すら盗まれた。レイプもされた。54回。その女性は数えていた。襲われないため、髪を切って女に見えないようにした。女と分かれば、路上では生き残れにない。
言葉だけでは足りないときもある。言葉が無力なときは、行動に出なければ...。
パリに実在する「女性会館」が創立するまでの苦労話をはさんで、現代に悩みながら生きる女性弁護士ソレーヌの自分らしさを取り戻す話が進行していくのですが、ともかく読ませます。すばらしいです。
フランスの小説は、えてして抽象的で難解なストーリーが多いように思いますが、これはもちろん深みはありますが、言わんとすることはきわめて明快です。ぐいぐいと1920年代のパリと現代のパリの両方の話に思わずひきずり込まれてしまいました。
(2020年6月刊。1600円+税)
2020年10月 7日
ルポ・つながりの経済を創る
(霧山昴)
著者 工藤 律子 、 出版 岩波書店
いま日経新聞は「太陽の門」というスペイン内乱を扱った小説を連載中です。あとで政権を握ったフランコ軍は初めのうちは反乱軍でした。作者の赤神諒はペンネームで、弁護士です(もう弁護士の仕事はしていないのかも...)。
スペイン政府派のほうは国際義勇軍が支援していましたし、そのなかにヘミングウェーもいたのでした。フランコ独裁政権が樹立すると、知識人をはじめとする多くの反ファシズムの人々があるいは銃殺され、あるいはフランスなど国外に逃亡していきます。
そんな知識しかないスペインでは、いま市民運動が大きく盛り上がっているようです。
「もういい加減、真の民主主義を!」
今の日本にも必要なスローガンです。モリ・カケ、桜...。すべてをあいまい、うやむやにして「アベ政治」を継承する。とんでもないことです。もう、いい加減にしてよ。そう絶叫したい気分です。
スペインでは2011年5月15日の市民デモは空前の盛り上がりを見せた。そして、これが市民運動「M15」(5月15日運動)の始まりだった。
15Mの精神を受け継ぐ市民政党「ポデモス(私たちはできる)」は、2015年12月の総選挙で第三党(69議席)になり、同年5月の地方議会選挙でマドリード、バルセロナ、サラゴサ、バレンシアなどの市政を担当することになった。そして、2018年6月のPSOE新政権では、閣僚20人のうち女性が11人を占めた。
すごいですね。日本にも女性大臣はいますが、森雅子って人は弁護士とは思えませんし、稲田朋美とか片山さつき、高市早苗って、女性そして弱い者の権利を守るという視点がまったく欠落していますので、何も期待することができませんよね...。
ポデモスが市政を担当して、何が、どう変わったのか...。
マドリード市は、市民による社会活動に助成金を出している。すごいですね。
「時間銀行」とは、人々が銀行、つまりグループをつくり、そこに自分がメンバーに提供できるサービスを登録し、お金ではなく「時間」を単位に、必要なサービスをメンバー間で提供しあう仕組みだ。スペインには280あまりの時間銀行があり、そのうちの100行ほどがとりわけ積極的に活動している。日本にも時間銀行の支店がある。日本では、「世代間のつながり」が時間銀行を利用する目的の一つとなっている。
最近ふえている中東やアフリカからの難民を積極的かつ具体的な形で巻き込んでいる時間銀行もある。たとえば、難民にとって必要なスペイン語の習得を時間銀行によるボランティアが活躍している。
マドリードには「モラ」という地域通貨がある。生ゴミや使用ずみの食用油のリサイクルを推進している。生ゴミや使用ずみ食用油をもっていくと、いくらかの「モラ」をもらえる。これは、「モラ」利用者が開くバザーで使える。
スペインでは、いま労働者協同組合が活発に活動を展開していて、拡大中だ。全国に2万の組合が存在し、組合員数は25万人をこえる。
たとえば、ある協同組合には50人の労働者がいて、そのうち20人が障がい者だ。そして、ワインとオイルをつくっている。保育園から、小・中・高そして大学まで擁する労働者協同組合もある。ここでは、教科書をつかわず、教員が自由に教えている。そして、協同組合を支える法律事務所まである。
スペインではすでに市民相互の連帯で変えていく新しい試みがいろいろと進行中のようです。日本だって負けてはおれませんよね。
自助、自立、そして共助。なんでも自己責任だというのなら政治は必要ありませんし、税金だって納めるのがバカバカしい限りです。自助できない状況になったら、とりあえず共助、公的援助を当然のように受けられる。そんな世の中の仕組みにしなければ、あまりに息苦しく、辛い社会(世の中)になってしまいます。
7年も続いたアベ政治の致命的欠陥は、友だち優先の露骨な政治をすすめたため、真に相互援助して助けあうという温かい関係がすっかり台なしにされてしまったことだと思います。なんでも自己責任と片付けられ、すぐに自粛警察が登場してくるようでは、この世の中、息が詰まるばかりです。
(2020年4月刊。2000円+税)
2020年9月25日
KGBの男
(霧山昴)
著者 ベン・マッキンタイアー 、 出版 中央公論新社
KGB(ソ連のスパイ機関)の大佐が自らすすんでイギリスのMI6(スパイ機関)に志願して二重スパイとなり、ソ連の機密情報を流し続けていた。ところが、CIAの幹部でソ連のスパイになった人物(エルド・リッチ)がKGB内のスパイをソ連側に通報したことから、このKGB大佐は疑われ、ついにソ連脱出を決意した。イギリスのMI6は、このための予行演習を重ねていて、鉄路と自動車でKGB大佐をフィンランドに送り込み、逃げ切ることができた。
「冷戦史上最大の二重スパイ」というのがサブ・タイトルですが、CIA長官をはじめとして、各国のスパイ機関に対して、KGBそしてソ連首脳部の思考方法・思考回路を教え、その対応を伝授したということです。そのため、単なる裏切り者だったら大嫌いなはずのサッチャー首相からも高く評価され、ついにはイギリスで叙勲までされたのでした。今もイギリスの郊外の一軒家で、24時間の警備対象となりながら、本人は静かに暮らしているとのことです。
妻子を見捨てた格好でソ連を脱出したため、結局、ソ連が崩壊したあと、脱出から6年後に妻子と再会しても、関係修復とはならず、最愛だった妻とは別れて孤独な生活を余儀なくされたといいます。スパイという存在は、生き延びるのも大変ですが、生き延びたとしても昔のままの人間関係はありえず、親しかった人々からは「裏切り者」として今も白い目で見られているとのこと。うむむ、なかなかに難しい選択ですね。
堂々480頁もある大作です。私はずっとカバンに入れて持ち歩き、裁判の合間と電車の中で読みふけって、4日間でついに読了しました。なにしろ、この本に書かれている脱出劇は小説ではありませんので、手に汗にぎる状況でハプニング続出なのです。トランクのなかに袋をまとって隠れているわけですが、犬が臭いをかぎつけたら万事休すです。犬の鼻をそらすために匂いのある菓子を投げ与えたり、赤ちゃんのオムツを放り投げたりもしたのでした。
オレーク・ゴルジェフスキーはKGBの大佐でロンドン支局長、46歳だ。ところが10数年前からイギリスのスパイ機関MI6に情報提供するスパイだった。
ゴルジェフスキーの父も兄もKGB。KGB一家のなかで育った。
イギリスに情報を提供するときには隠れ家でじっくり話したとのこと。いやあ、こんなことを「定期」的にしていて、よくもバレなかったものですね。そして、10数年間も、よくぞ精神の平穏が保持できたものです。驚嘆します。
イギリスのスパイ機関のトップにいたキム・フィルビーも長いあいだソ連に情報を提供していたのでした。
ゴルジェフスキーが任務地の変更でモスクワに戻ったとき、イギリスのMI6は、まれにみる自制心と克己心から、モスクワではスパイとしての情報提供をしなくてよいとゴルジェフスキーに告げた。
うひゃあ、日本の忍者でいう「草」になれというのですね...。
ゴルジェフスキーにイギリスのスパイだという疑いがかかったとき、KGBはスターリン時代と違って、すぐに処刑するのではなく、証拠を集め、裁判を開き、正式な手順を踏んで判決を言い渡す必要があった。このためゴルジェフスキーは助かったのでした。そして、時間が稼がれてイギリスのMI6と連絡をとるのに成功し、逃亡することにしたのです。
ずっと、その前、ゴルジェフスキーは、担当の取調官の取調の過程で、自白剤を飲ませられてもいます。なんとか、この危機は切り抜けることができ、脱出のルートへ歩み出すことができたのです。モスクワのド真ん中でイギリスのMI6と接触して「危急避難」のメッセージを発したわけですが、この接触方法も考え抜かれた末のものだったようです。
スパイ人生の末路は哀れのようです。でも、時代が必要な仕事だと要請したのも間違いありません。読み終わったとき、ふーっと思わず深呼吸してしまいました。
(2020年6月刊。2900円+税)
2020年9月21日
教養としてのフランス史の読み方
(霧山昴)
著者 福井 憲彦 、 出版 PHP
フランスのルーツは複雑。フランス人のルーツはケルト系ガリア人であると同時に、ラテン系ローマ人であり、ゲルマン系フランス人であるとも言える。
フランスは、その国土の形からエグザゴン(六角形)とも称される。アメリカのペンタゴンは五角形でしたか...。
フランスは、フランク王国が出発点となっていて、ラテン語のフランクスは、非常に勇敢な、大胆な人々という意味。
フランスでは、中世までは属人原理で人は動いていた。属人原理では、もし君主がだらしないと思ったら、見限って別の君主につくということが可能だ。
カペー王朝は1328年まで、15代341年間もの長きにわたって続いたが、その大きな要因は歴代の王が直系の跡継ぎ(男子)に恵まれたことにある。これをカペー王朝の軌跡ともいう。ちなみに、カペーとは、一種のあだ名であり、修道院長として羽織っていたコートを意味する。
フランスでは長子相続が原則となったことから、相続にあぶれた人たちの受け皿となったのが一つは教会と修道院であり、もう一つが国王や領邦君主のもとで騎士として仕えることだった。
1906年、最初の十字軍が行われた。このころ、ヨーロッパよりもアラブ・イスラム圏の方は経済的にも文化的にも優位にあった。当時のヨーロッパには輸出する産物はほとんどなかった。ヨーロッパにとって、地中海の東は富の豊かな地域だった。なので、所領のない騎士たちは、領地の獲得と一攫千金を夢み、富を求める商人たちも同行していた。
キリスト教会が庶民への布教に力を入れるのは10世紀以降のこと。それまでは支配者である貴族層の宗教だった。
フランスの王家とイングランドの王家は、王家そのものの血統だけでなく、そこにさらにフランス人の王女が嫁ぐという形で、複雑につながっている。
百年戦争は、フランスにとっては、イングランドとの戦争というだけでなく、内戦でもあった。すなわち、相続争いにからんだ王位継承と勢力範囲の拡大争いだった。
フランスの王権強化は必ずしもスムーズに進行したわけではない。
1643年、ルイ13世が40歳で亡くなったとき、ルイ14世はまだ5歳に満たない幼児だった。母が摂政となり、イタリア出身のマザランが宰相となった。そしてフロンドの乱が起きて、マザランは国王一家とともにパリを脱出して、郊外に逃れた。この嫌な記憶から、長じたルイ14世はヴェルサイユ宮殿を築いて住むようになった。
ルイ14世は、1661年に宰相マザランが亡くなり、22歳にして実権を握った。そして、貴族改めを実施した。ルイ14世の統治期間は54年間に及び、そのうち31年間は戦争をしていた。ルイ14世は、戦場に自ら足を運び、兵士を鼓舞した最後の国王だった。
ルイ14世は戦争に莫大な経費をつぎ込んだが、同じくヴェルサイユ宮殿の建設と宮廷社会にも莫大な資金をつぎ込んだ。実は、これは、ありあまる富をつぎ込んで壮麗な宮殿をつくったのではない。苦しい財政のなかで、莫大な借金をしてつくりあげたものだ。それは、王権の強さを象徴的に示すものが必要だったから。人の心をつかむには、文化的かつ象徴的なもので王権を示すことが必要であるとルイ14世は考えたことによる。
ルイ14世の治世において、実際の経済状態は決して良好ではなく、借金によって支えられていた。それは国内の金融家たちからの借金だった。たとえば徴税業務を請け負う人々だった。ところが、ルイ14世はナントの王令(勅令)を廃止して、ユグノーを弾圧したため、20万人もの大量のプロテスタントが国外に亡命した。これによってフランス経済は大きな打撃を受けた。ユグノーには非常に優れた技術者や職人・承認が数多く存在していたからだ。
ルイ14世は絶対王制といっても、限界があった。戦争のための特別税にしても、諸侯の合意を得ながら徴収されていた。したがって、ルイ14世が亡くなったとき、フランスの財政は危機的な状況に陥っていた。ルイ16世は、ルイ15世の孫にあたるが、兄が2人いたので、王位に就くとは思われていなかった。そのため、王になるための教育をまったく受けていなかった。フランスの国庫は、すでにひどい赤字状態にあった。
ルイ16世は無能な王だと言われるが、帝王教育を受けておらず、国政に強い関心をもっていなかったのは事実。
ルイ16世は、自分の考えにもとづいて行動するのではなく、周囲の圧力に負けて決断していた。優柔不断の態度をとり続けたため、ついに国民から「裏切り者」と断罪されてしまった。
フランス革命における民衆の暴力性は、王制下の暴力的なやり方を見てきた民衆が、それにならっただけのことで、民衆だけが野蛮で暴力的だったわけではない。
大学生のとき以来ずっとフランス語を勉強していながら、ちっともうまく話せませんが、フランスに関心を持つ身として、とても面白くフランス史を勉強することができました。
とりわけ、「太陽王」と呼ばれたルイ14世と民衆によってギロチンにかけられたルイ16世についての記述は知らないことばかりで、目が洗われる思いがしました。
(2019年12月刊。2000円+税)
2020年9月 9日
歴史家と少女殺人事件
(霧山昴)
著者 イヴァン・ジャブロンカ 、 出版 名古屋大学出版会
福島3.11大災害のあった2011年1月18日の夜、フランスで18歳のウェイトレスが誘拐され殺害、遺体はバラバラにされて湖に沈められていたという事件が起きました。
この本は、被害者の実像を描くことによって、フランス社会のかかえる問題点、そして司法界の動きを詳しく紹介しています。
史上最凶と言われる台風10号がやって来るという夜(9月6日)に読みはじめ、その指摘の奥深さに心を揺り動かされながらついに読破したのでした。
殺害犯は2日後に逮捕されたのですが、前科持ちだったことから、サルコジ大統領が、前科者の司法追跡調査のあり方を批判し、判事たちの責任を問い(共犯だと弾劾)、判事たちの「過失」に対する「制裁」を約束した。
当然のことながら、これに対して司法界は猛烈に反発し、裁判官たちは、弁護士会を巻き込んでストライキに突入し、大々的なデモ行進を展開した。
うひゃあ、フランスの裁判官たちは偉いですね。日本の裁判官たちも見習う必要があります。
殺された18歳のウェイトレスの名前はレティシア、双子の姉・ジェエシカがいます。両親が離婚し、母親がうつ病になって入院していて、父親は刑務所に入ったり出たりしていたので、双子の姉妹は里親に引きとられ、順調に育って職業生活をスタートしたところだった。
殺害犯は32歳で強盗など前科13犯。
子どもを傷つけるには壁に叩きつける必要はない。哺乳ビンをベッドに固定して、子どもがそれを飲み、誰も彼を見ず、誰も話かけなければ、子どもは存在しないのと同じだ。子どものなかで何かが永遠に「壊れて」しまうのだ。これって、ネグレクトのことですよね...。
ところが、里親の「立派な」父親は、双子の姉に対してセクハラを繰り返していたのです。その父親は実の娘と同じく愛情をもって接していたとマスコミに向かって高言していましたから、半近親相姦的な強姦をしていたことになります。そして、レティシア本人も、その被害を同じように受けていたのではないかと疑われています。他の里子(娘たち)にも強姦していたということで、この「父親」は有罪になりました。
自分にすべてを教え、自分を守ってくれるはずの男が、うまい汁を吸っていた。レティシア本人に性的暴行があったかどうかは重要ではない。支配それ自体が暴力なのだ。「父親」の姉に対する数年にわたる性的被害は、同時に、そして必然的に、レティシアを憔悴(しょうすい)させた。レティシアは、家族を持ちたい、愛情あふれる関係の輪に入りたいと全身全霊で願っていた。レティシアは、腐敗に対する抵抗力を持たない犠牲者だった。
二コラ・サルコジは、しばしば三面記事を口実にして、刑法の厳格化を要求し、獲得した。内務大臣として、また大統領として...。二コラ・サルコジは、自分を最高の大統領以上のもの、救世主と思い込んだ。
真の人情家で巧妙な政治家であるサルコジは、より直接的に、より大げさに、家族の苦悩とフランス人の不安を共有してみせた。サルコジ大統領は1月31日、里親夫妻をエリゼ宮に迎え入れ、刑罰手続きの「不具合」に制裁を加えることを約束した。
これに対して、2月2日、ナント裁判所の司法官たちは、臨時総会を開き、3人の棄権を除く全会一致で政府の「デマゴギー的なやり方」を告発する決議を採択した。
検察をふくむ司法官たちは、組合員も非組合員も、新米もベテランも、扇動者も穏健派も、小心者さえも一丸となって、1週間の公判停止を決議した。
フランスの司法は予算不足に苦しんでいた。サルコジ大統領自身が攻撃の「多重累犯者」だった。その動機が、選挙目当ての計算、半組合主義的信念、半エリート的レトリック、個人的な経歴がどのようなものであれ、サルコジの攻撃はポピュリズムに属している。サルコジ大統領は、冷静に問題を分析する代わりに、スケープゴート政策を選んだ。サルコジ大統領において、公権力は、もはや社会平和の調整者ではない。
司法官組合は、全国弁護士評議会、警察官組合、刑務所職員の支持を受け、ストライキを呼びかけた。全体で195ある裁判所と控訴院のうち、170が運動に参加し、緊急でない公判を延期した。2月10日、フランス全土で8000人の判事、書記、社会復帰相談員、刑務所職員、弁護士、警察官などがデモ行進した。
「司法への攻撃は民主主義の危険である」
デモ行進のかかげる横断幕には、このように書かれていた。
大変に重たいテーマをこれほど深く掘り下げたこと、被害にあって殺された18歳の女性の心理の内面に迫る文章の迫力には、思わず居ずまいを正されるものがありました。
日本の法律家にもぜひ広く読まれてほしいものだと思います。
台風10号による被害が小さいものであることをひたすら願っています。そして、それほどのものではなく、胸をなでおろしたのでした。
(2020年7月刊。3600円+税)
2020年8月23日
シャルロッテ
(霧山昴)
著者 ダヴィド・フェンキノス 、 出版 白水社
頁をめくると、そこには普通の文章ではなく、詩のような文章が並んでいました。あれ、あれ、これは何なんだ...。
訳者あとがきによると、著者は、一文、一行書くたびに息をつく必要があったからで、これ以上の書き方はできなかったという。
詩と映画のシナリオを織り交ぜたような一行一文という形式でストーリーが展開していく。
内容は、もちろん重たい。ナチに若い命を奪われたユダヤ系ドイツ人の画家シャルロッテ・ザ・ロモンの生涯が描かれている。
シャルロッテの家族には、何人もの自殺した人々がいる。
そして、シャルロッテは、自殺しようとする祖母に対して、こう言った。
輝く太陽、咲き誇る花々の美しさ、人生の喜びを謳う。自殺しようとする力があるのなら、その力を自分の人生を表現するために使ってはどうか...。
そうなんですよね。いま私は、46年間の弁護士生活を振り返って『弁護士のしごと』シリーズを2巻まで刊行し、近く3巻を世に送り出します。続いて、4巻目の原稿もかなり書きすすめていて、年内には出せるものと思います。この作業があるかぎり、まだまだくたばるわけにはいきません。
シャルロッテは、悲劇的と呼べる人生を送ったにもかかわらず、深く人を愛し、芸術を愛し、人生を愛した。シャルロッテの生に対する情熱に訳者は強く胸を打たれたという。
よく分かります...。
シャルロッテはドイツのユダヤ人画家で、妊娠中に、26歳の若さでナチスによって殺された。そして、1961年にシャルロッテの絵が公開され、その独創性によって人々を魅了した。型にはまらない、まったくのオリジナリティー。それと視線を惹きつける暖かい色づかい。
どんな絵なのか、見てみたいです。
(2020年5月刊。2900円+税)
2020年8月22日
グラフィック版・アンネの日記
(霧山昴)
著者 アリ・フォルマン、デイビッド・ポロンスキー 、 出版 あすなろ書房
アンネ・フランクは私より20歳だけ年長です。なので、いま生きていたら92歳。まだまだ日本には同じ年齢で元気なおばあさんがいますよね。
アンネは1942年、13歳の誕生日にプレゼントとしてもらった日記帳を「キティ―」と呼んで、そこに自分の気持ちを率直につづり始めたのでした。
マンガ版というと叱られるのかもしれませんが、人物と情景の描写がとてもよく出来ていて、実写フィルムを見ている錯覚にとらわれます。
1944年6月、連合軍のノルマンディー上陸作戦が始まり、米英軍がドイツをめざして進攻作戦をすすめ、アンナたちは大いなる希望をかきたてられます。そして、7月21日にはヒトラー暗殺計画(ワルキューレ計画)も実行されるのです。残念ながら失敗してしまいますが...。
1944年8月4日の午前10時すぎ、ナチス親衛隊がやってきた。誰かが密告したのだ。アンネをふくむユダヤ人8人が連行された。そして彼らの潜伏生活を助けた2人も連行された。助けた2人は2人とも戦後まで生きのびたが、ユダヤ人のほうはアンネの父親一人だけが助かった。
アンネと姉マルゴーの2人は1945年2月末から3月初めにチフスで亡くなった。その1ヶ月後にイギリス軍が強制収容所を解放した。本当にもう少しだったのですね。残念なことです。アンネの「恋人」のペーターは、1945年5月5日、収容所がアメリカ軍に解放される3日前に死亡している。これもまた残年無念なことです。
アンネは、良くできる姉と比較されるのがとても嫌だったようです。
3年近くになるアンネたちの潜伏生活が、このように視覚的にとらえられるというのは実にすばらしいことだと思いました。マンガ、恐るべし、です。
(2020年5月刊。2000円+税)
2020年8月13日
マルゼルブ
(霧山昴)
著者 木崎 喜代治 、 出版 岩波書店
フランス大革命のとき、ルイ16世の弁護人となり、その後、本人も家族ともども断頭台で処刑されたという人です。久しくフランス語を勉強していますし、フランス革命についてもそれなりに本を読んでいたつもりなのですが、このマルゼルブという人物には、まったく心当たりがありませんでした。
ルイ16世の弁護人をつとめ、自らも処刑されたというのですから、どうしようない復古調の王党派だと思いますよね。ところが、この本を読むと、それは、とんでもない誤解なのです。
マルゼルブは、フランス国王の専制主義にたいしても、人民の専制主義にたいしても、ひとしく敵であった。マルゼルブは、その一方と戦ったために追放され、他方と戦ったために殺された。
マルゼルブがルイ16世の弁護人となり、身を捧げたのは、ルイ16世個人のためではなかっただろう。ルイ16世は、それには値しなかった。マルゼルブが身を捧げたのは、その72年の全存在の大義のためだったように思われる。
マルゼルブが処刑されたのは、テルミドール事件の3ヶ月前のこと。自らの弁護人に立ってくれたマルゼルブに対してルイ16世は感謝の手紙を書いている。
マルゼルブは、フランスの古い名門貴族の家に生まれた。ルソーと深くかかわり、ディドロの『百科全書』をはじめとする哲学者たちの著作が、ルイ15世のもとで出版統制局長だったマルゼルブの保護のもとで刊行された。マルゼルブは、また、租税法院の院長職にもついている。
出版統制局長として、「黙許」というものをマルゼルブは活用した。それまで年に50件だった黙許は、100件から200~250件に達した。マルゼルブのおかげで『百科全書』はフランスで刊行・流通した。
そして、マルゼルブは租税法院長として、高級官僚、つまり支配階級の一員でありながら、専制王制に対して、果敢に改革提言していた。
また、マルゼルブは、弁護士の自由と独立の重要性を次のように強調した。
「弁護士の身分の独立性と請願と印刷された意見書の自由とは、現在市民の唯一の救済手段であり、われわれの所有権を保持する唯一の防壁である」
マルゼルブは、ルイ16世の治世下の大臣の一人となり、いくつもの改革策を提言したが、ことごとく無視され、追放された。そんなマルゼルブが、ルイ16世の弁護人となって、必死に弁論したというのです。
日ごろ尊敬している高野隆弁護士(まったく面識はありません)が、このマルゼルブを紹介しながら弁論(刑事ではなく、民事です)したのをFBで読み、あわてて取り寄せて読みました。世の中、本当に知らないことだらけですよね...。
(1986年3月刊。2900円+税)
2020年8月12日
舌を抜かれる女たち
(霧山昴)
著者 メアリー・ビアード 、 出版 晶文社
出だしがホメロスの『オデュッセイア』です。
ペネロペイアはオデュッセウスの妻であり、テレマコスの母。
ペネロペイアが吟唱詩人にもっと楽しい別の歌をうたってくれないかと頼んだとき、息子のテレマコスが次のように言って待ったをかけるのです。
「母上、今は部屋に戻って、糸巻きと機織り(はたおり)というご自分の仕事をなさってください。人前で話をするのは、男たちの仕事。とりわけ私の仕事です。私が、この王宮の主なのですから...」
3千年前のギリシアで、女性の公的発言が封じられる様子が語られていますが、これは今に通用するのではないか...。これが、この本の一貫した主張です。なるほど、かなりあたっていますよね。
古代ローマの『変身物語』では、若き王女ピロメラがレイプされる話があり、レイプ犯はルクレティアが強姦者を糾弾したことを知っていたので、その二の舞になることを恐れて、ピロメラの舌を切ってしまう。シェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス』でも、同じようにレイプされたラヴィニアが舌を切断される話が登場する。
古典文学では、女性の声に比べて低い男性の声の権威がくり返し強調されている。低い声は男らしい勇敢さを。女性の甲高い声は臆病さを表した。
おおやけの場で声をあげる女性は、古代ローマのマエシアのように、両性具有の変人と扱われるが、みずからそうふるまっている。たとえば、エリザベス1世がそうだ。
イギリスでは、女性が財務大臣になったことは、これまで一度もない。
あまり受けのよくない議論を呼ぶような意見、人と異なる意見を言うだけでも、それを女性が口にすると、お馬鹿な証拠だととられる。
マーガレット・サッチャーは、声を低くするボイストレーニングを受け、甲高い声に「足りない」威厳を加えようとした。
イギリスの国会議員のうちの女性は、1970年代には4%にすぎなかったが、今は30%。いったい日本はどうでしょうか...。それでも、女性の大臣でもぱっとしない人が目立つのが残念です。今の森まさ子法務大臣、稲田朋美、片山さつきなどなど、そのレベルのあまりのひどさに嫌になってしまいます。
イギリスでは、ロンドン警視庁の総監もロンドン大主教も女性。あとなっていないのはBBCの会長だけ...。日本とは、まるで大違いですね。
わずか100頁あまりの本ですが、ずしりと重たい本でした。
(2020年1月刊。1600円+税)
2020年8月 9日
未来のアラブ人(2)
(霧山昴)
著者 リアド・サトゥフ 、 出版 花伝社
フランス人の母、シリア人の父をもつ6歳の子どもの目を通した1984年から1985年ころの中東の子どもたちの生活がよく描かれています。
シリアで6歳になったので、学校に行きはじめます。ところが、学校は男の子ばっかり、女の先生は容赦なく生徒の手を手にした棒で叩きます。体罰なんて平気なのです。
フランス人の母親をもつ6歳の男の子(著者)は、ユダヤ人とみなされ、ことあるごとにいじめの対象になります(何人かは著者を守ってくれるのですが...)。
アラブ人のなかで、著者はいつまでたっても浮き上がった存在です。
父親はフランスで博士号をとった学者なのですが、よりよい仕事を求めて、有力者に売り込むのに必死。
父親の夢は、自分の土地に宮殿のような豪華な建物をたてること。ところが、父親から土地を取り戻されてしまった身内の人間からは、早くフランスに帰れと言わんばかりの扱いを受けるのです。
たまに母親の実家のあるフランスに戻ると、まるで別世界。スーパーには、いろんなものが、それこそ、よりどりみどり...。何もないシリアの生活とは落差が大きすぎます。
6歳当時の子ども時代をこんなに思い出せるとは、とてもとても信じられません。でも、話の展開にはリアリティがありすぎて、すごいんです。
いやはや、シリアの小学生って、本当に大変なんだな...、つい、そう思ってしまったことでした。中東・アラブの生活に少しでも関心があったら必読(必見)の本です。
(2020年4月刊。1800円+税)