弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
ヨーロッパ
2019年11月 9日
よい移民
(霧山昴)
著者 ニケシュ・シュクラ 、 出版 創元社
移民、外国人、在日コリアン、台湾生まれ、元植民地出身者、ハーフ、ダブル、ミックス、2世、3世、4世・・・。日本にもたくさんの人々が「移民」として入ってきています。
そして、日本でもヘイトスピーチのような排外主義的風潮が強まっていて、本当に残念です。日本では安倍首相本人が「美しい国ニッポン」とか愛国心とか言って、その排外主義をあおりたてているのですから、最悪です。そのうえマスコミの多くがその尻馬に乗って嫌韓・嫌中で金もうけしようなんて考えているのには涙があふれてしまいます。
では、イギリスではどうなのか・・・。
この本は、ロンドン生まれのインド系イギリス人作家が編者となり、黒人、アジア系、エスニック・マイノリティの人々が自分の生い立ちや家族の歴史、日常生活や仕事のうえで直面する不安や不満、そして未来への希望を語りながら、21世紀のイギリス社会で「有色の人間」(パーソン・オブ・カラー)であるとはどういうことなのかを探究しています。
マイノリティの一員であると、貼り付けられたレッテルを磨きあげ、大事にするすべを習得するやいなや、それは没収され、別のものと取り替えられる。闘争で勝ちとったはずの宝石は、永遠に貸し出されたまま。折に触れて、自分で選んだわけでも、つくったわけでもないレッテルがぶら下がったネックレスを首にかけるようにと手渡される。それは束縛でもあり、装飾でもある。
多種・多様の民族が共生しているようにみえるイギリスでも、その内実は本当に大変のようです。それでも人々はそこに生きて格闘しています。日本も近い将来、直面すること間違いない状況です。いろいろ考えさせられる本でした。
(2019年8月刊。2400円+税)
2019年11月 7日
バタフライ
(霧山昴)
著者 ユスラ・マルディニ 、 出版 朝日新聞出版
17歳のシリア難民少女が、ブラジル・リオのオリンピックに出場して泳ぐまでの実話が語られています。
難民が生命がけでドイツにたどり着くまでの様子が刻明に語られていて、その悲惨さに思わず涙ぐんでくるのをおさえられません。水泳選手という自負心から、船が沈没して全員おぼれそうになったとき、海の中で船(ボート)を支えたという信じられないエピソードもあります。
シリアで水泳のコーチをしていた父親の下で、姉と妹は幼いころから水泳を始めて、やがてオリンピック出場を目ざすのです。ところが、シリア内戦が始まり、シリア国内では水泳の練習どころではなくなります。
シリアのアサド政権って、すぐにも倒れるかと思っていましたが、意外にしぶとく生き残っているようです。反政府派との激しい内戦は今どうなっているのでしょうか...。日本では、何が問題となっているのかを含めて、シリアの状況はまったく伝わってきませんので、この本を読んでも、基礎的知識がありませんので、もどかしい限りです。
敬虔(けいけん)なイスラム教徒だったら、女性はヒジャーブを着て肌の露出を避ける。しかし、水泳選手にそんなことを求めるわけにはいかない。水着の上に何かを着て泳ぐなんてありえない・・・。
市街戦が日常化するなかで著者たちはシリアを脱出し、ドイツに向かったのでした。
2015年9月の週末だけで、2万人の難民がバスや列車に乗って、ハンガリーからオーストリア経由でドイツに到着した。このときドイツは難民を受け入れていた。そして、難民として登録されると、ドイツ政府は毎月130ユーロの手当を支給してくれる。
シリアを脱出して、ヨーロッパまでたどり着けた人々は、故国ではそれなりに裕福に暮らしていた。シリアからドイツに来るまでに3000ドル以上のお金を使っている。家を売り、本を売り、何もかも売り払って旅費を工面した。
ドイツまで来れた人間は運が良かったといえる。それだけの金があったのだから。貯金がない人や売り払う家財のない人は、ヨルダンやレバノンやトルコの難民キャンプにまでしかたどり着かない。
ドイツ政府とドイツの人々が救いの手を差しのべてくれているのはありがたいこと。しかし、他人からの施しを受けなければ暮らせない境遇はつらい。故国では、他人から恵んでもらおうなんて考えたこともない人々なのだから・・・。
2016年のブラジル・リオのオリンピックのとき、IOCは「難民五輪選手団」を結成することを思いつき、それを実行した。そのなかの水泳選手として著者が選ばれた。
いやはや、こんな「サクセス・ストーリー」もあるのですね。難民という存在を改めて実感させてくれる本でした。
(2019年7月刊。1900円+税)
2019年10月30日
電撃戦という幻(下)
(霧山昴)
著者 カール・ハインツ・フリーザー 、 出版 中央公論社新社
連合軍の精鋭をダンケルクに追いつめながら、ドイツ軍は停止した。完勝を目前にして、ヒトラーはなぜ最後の一撃を加えなかったのか・・・。
ダンケルクから撤退する「ダイナモ」作戦が開始される前、イギリス軍はせいぜい4万5千人を救出できればよいと考えていた。3万人が関の山という見方もあった。ところが、1940年5月26日から6月4日までに37万人(イギリス兵24万7000人とフランス兵12万3000人)が救出された。ドイツ軍の捕虜となったフランス兵は8万人だった。
ドイツ軍が激戦のすえダンケルク港を制圧したのは、6月4日午前9時40分だった。
政治家が軍事作戦に口出しするのはドイツでは異例のこと。エリート軍人の知的選民、冷静沈着なプロフェッショナル集団として一時代を築いたドイツ参謀本部に、気まぐれで、何をしでかすか分からない、爆弾をかかえたような男(ヒトラー)が闖入(ちんにゅう)した。
問題は、ヒトラーの軍事知識が本物であったかどうかにあるのではなく、この指導者が異常なほど感情に左右されやすい人間だった点にある。ドイツ総統(ヒトラー)は、自己の可能性を際限もなく過大評価するかと思えば、事態を絶望視し、しばしば救いようのない悲観論に沈潜してしまうのだった。
5月24日、グデーリアン装甲軍団は、ダンケルクまであと15キロメートルに迫っていた。ヒトラーは作戦指導に介入し、ルントシュテットをとおして装甲部隊に進撃を停止するよう命じた。しかし、実際には、この時点で、すでに装甲部隊は停止していた。このとき国防軍の上層部内で抗争があっていて、ヒトラーは「停止命令」というかたちで、これに干渉した。
ヒトラーの「停止命令」の本当の理由は、軍事指導者としてのヒトラー自身の権威を守ることにあった。つまり、ヒトラーがダンケルクで止まれと命じたとき、それは装甲部隊に向かってではなく、陸軍総司令部の将官たちに対してなされたのだ。
戦争が歴史上比類のない完璧な勝利のうちに終わりそうになると、偉大な勝利者としての栄光はヒトラーの上にではなく、軍人たちの上に輝いてしまうかに見えた。陸軍総司令部か主役になり、ヒトラーは端役の地位に追いやられてしまっている。これはいかにもまずい。放ってはおけない...。
ヒトラーがこれほど不機嫌なのを見たことがない、とヨードルは語った。
ヒトラーは決意した。理由など、どうでもいい。とにかく復讐あるのみだ。見せしめが必要だ。奴ら(国防軍上層部)を懲らしめ、折檻し、軍の最高司令官は誰かということを思い知らせてやる。
「停止命令」は、ヒトラーにとって、客観的な軍事情勢から導き出されたものではない。権力を維持しようとするヒトラーの防衛本能から生まれたのだ。
ヒトラーのあらゆる決断、あらゆる政策決定は、客観的な情勢判断とは無縁だ。軍を指導するのは自分であって、他の誰でもないということを国防軍上層部に示す必要があったというだけのこと。
なーるほど、よくよく分かる説です。
軍事的天才を自認したヒトラーは、参謀本部から魂を抜きさり、みずからを舞台の中心にすえ、軍人たちを背景の書き割りの地位に退かせた。
こうやってダンケルクの悲劇はヒトラーの悲劇の始まりだったわけです。
1940年の西方戦役と1941年の対ソ侵攻の違いは次のように総括できる。
西方戦役は、「電撃戦」としては計画されなかったが、結果的にそのようになってドイツ軍は大勝した。対ソ侵攻は「電撃戦」として計画されながら、思いどおりにいかず、最終的に挫折した。
下巻だけでも300頁近い大作ですが、ヒトラーの軍事才能(が、実は、なかったこと)とドイツ国防軍の電撃戦なるものの実体がよく認識できました。軍事史に関心ある人には強く一読をおすすめします。
(2012年2月刊。3800円+税)
2019年10月20日
たのしい川べ
(霧山昴)
著者 ケネス・グレーアム 、 出版 岩波少年文庫
イギリス人の著者が息子のために書いた童話です。
著者の父親は弁護士でしたが、意思も性格も弱く、一つの職業にとどまっていることができない人だったので、家族の生活はかなり不安定だった。
感受性の強い子どもだった著者は、母たちと一緒に暮らして笑いあえる生活を過ごしていたが、5歳のとき、母は病死してしまった。祖母の家に引きとられて、豊かな自然のなかで、川や小動物たちとたのしく語りあって育っていた。
しばらく別れていた父親が著者の前に戻ってきたとき、なつかしい、美しい人として心にえがいていた父親は、実は、不幸に負け、酒におぼれた人としてあらわれた。
そんななか、4歳から7歳まで、全感覚をあげて外の世界の美しさを吸収したと著者は語っている。この本にそれは十分に反映されているように思います。
中学で抜群の成績をあげても、周囲は誰も評価しない。仕方なく、17歳から銀行で働くようになった。そして、文章を書きはじめた。孤独な生活を過ごした少年は、かえって、そのころの因襲にとらわれず、批判的に大人をながめ、本来の子どものもっている感覚で、しっかり周囲の出来事を見ていた。そして、それを文章にあらわした。
著者は、4歳の一人息子が夜に泣いて泣いて困ったので、何かお話をしてやろうと言った。息子は、モグラとキリンとネズミの出てくる話を注文した。そこで、著者は、ヒキガエルが自動車を盗むところから始まる話を始めた。これが3年間も続いた。
キリンは、いつのまにかいなくなり、アナグマが出てきて、ヒキガエルが出てきた。
ヒキガエルは息子の性格に似ていたので、父子のあいだでは、ヒキガエルが出てくると、大笑いしていた。
知人の女性のすすめで、息子に語った話が、この本につながったのです。
それでも、出版社は、こんな本が売れるのか心配で断るところばかりだった。ようやく出版社がみつかり、1908年に世の中に出ると、10月に初版が出て、12月には第二版。翌年もずっと増刷されていった。
この本は、アメリカに渡り、シオドア・ローズベルト大統領に贈られ、本人が放っているあいだに、夫人と子どもたちが読んでた。
この話の主人公は、モグラとネズミ。それにアナグマとヒキガエルなどが組みあわされ、自然のなかに生きるささやかなものへの愛情を子どもに伝えたいという気持ちにあふれている。
心のほっこりするひとときが得られる楽しい童話でした。
(2018年2月刊。760円+税)
2019年10月 6日
ある一生
(霧山昴)
著者 ローベルト・ゼーターラー 、 出版 新潮社
オーストリア、アルプスの山中に生きた、名もなき男の一生が淡々と描かれています。
第二次世界大戦が始まる前のアルプスの山中にロープウェーが建設され、著者もその作業員の一人になります。
やがて戦争が始まり、軍隊に志願して一度は不具の身体と年齢からはねられたのに、あとでは徴兵され、ロシア戦線に追いやられてソ連軍の捕虜生活も経験します。復員して故郷に帰ってくると仕事はなく、やむなく勝手知ったる山岳ガイドの仕事をしますが、寄る年波には勝てず、一人で山小屋で生活しているうちに「氷の女」に出会い、ついに天に召されるという一生です。
食堂の給仕係の女性にプロポーズして幸せな結婚生活も送るのですが、それもつかの間のこと。大雪崩に襲われ、妻は亡くなり、その後はずっと孤独に暮らすのでした。
一見すると救いようのない寂しい人生なのですが、いやいや人生は誰だって同じようなものではないのか、そう思わせるほどの筆力で、ぐいぐいと引きずりこまれてしまう、不思議な小説でした。
人生とは瞬間の積み重ねだ。本書を読み終えたとき、ひとりの男の一生をともに生きたという、ずっしりした手ごたえが残るという訳者(浅井晶子)のコメントは、まさしく同感でした。
(2019年6月刊。1700円+税)
2019年10月 5日
パリ警視庁迷宮捜査班
(霧山昴)
著者 ソフィー・エナフ 、 出版 早川書房
いかにもフランスらしいエスプリのきいた警察小説です。フランスで15万部も売れた人気ミステリというのですが、なるほど、と思いました。
もう50年以上もフランス語を勉強している割には、ちっともうまく話せませんが、ともかく毎日、フランス語の勉強だけは続けています。毎朝のNHKラジオ講座と週1回の日仏学館通い、そして年に2回の仏検受験です。このところフランスに行っていませんが、フランスに行っていませんが、フランスには何回も行きました。駅やホテルそしてレストランで通用するくらいのフランス語は心配ありません。先日、東京でフランスの弁護士会との交流会があったようですが、そこで会話できる自信はまったくないのが残念です。
カぺスタン警視正は過剰発砲で停職6ヶ月となり、復職したばかりの女性。その下にとんでもない札付きの警察官が集められた。大酒飲み、ギャンブル狂、スピード狂、そして脚本家など・・・。その任務は長く迷宮入りとなっていた事件の再捜査。
部下たちは警察官といっても警部や警部補が多い。癖あるベテラン刑事たち。一見すると、無能であり、やる気のなさそうな、そして人づきあいの悪そうな警察官たちが、なんと、すこしずつ重要な手がかりを得て、一歩一歩、疑惑を解明して、真相へ迫っていきます。
フランスの警察署の雰囲気って、こんなものなのかな、きっと日本とは違うんだろうな・・・、そう思いながら、フランス式捜査の歩みを堪能できる警察小説でした。
(2019年5月刊。1800円+税)
2019年9月25日
三つ編み
(霧山昴)
著者 レティシア・コロンバニ 、 出版 早川書房
すごい本です。圧倒されました。電車のなかで頁をめくっていきながら、この本に登場してくる女性たちは、いったい、このあとどうなるんだろう・・・と、もどかしい思いでした。
フランス人の女性作家の本ですが、舞台は、なんと、インド、イタリアそしてカナダなのです。そして、主人公の女性は、いずれも深刻な悩み・問題を抱えて苦悩しています。でも、少しずつ行動に移していきます。それが、三つの大陸の全然別の世界で生きているにもかかわらず、たった一つだけ結びつくものがあるのです。それが何なのかは、この本を読んでのお楽しみにします。
インドの女性スミタはダリット、不可触民です。仕事は他人の便所の汲みとり。裸足で歩き、素手で便を扱う。ダリット以外の人とは話もしないし、触っても、見てもいけない。ところが、触っていけないはずなのに、強姦はされるのです。まったくいい加減な差別です。でも笑えません。強姦されたあと、殺されてしまう可能性も強いのです。被害者が被害を申告するなど考えられもしません。
ただ、この本にも触れられていますが、そんなダリットのなかから突出した経営者や政治家がたまに出てきます。これまた不思議です。
イタリアの女性ジュリアの一家は毛髪を生業(家業)としている。でも、ジュリアは図書館で本を静かに読むのが好き。そして、シク教徒の男性に心が惹かれるようになった。
サラは、カナダのローファームで働く女性弁護士。アソシエイトにのぼりつめた初めての女性だ。裁判所は闘争の場、縄張り、闘技場だ。そこにいるとサラは、女戦士、情け容赦のない女闘士となる。口頭弁論のときには、ふだんの声と微妙に異なる、低い厳かな声をつかう。表現は簡潔で鋭く、切れ味抜群のアッパーカットのよう。敵の論点のわずかな隙や弱みをすかさず、突いて、ノックアウトする。担当案件はすべて頭に入っていて、嘘をつかれたり、恥をかかされることはない。
ええっ、ウ、ウソでしょ・・・。つい、そう私は叫びたくなりました。
そんなサラが乳ガンだと宣告されるのです。それで抗ガン剤なんか投与されたら、せっかくのアソシエイトの地位が一瞬のうちにフイになってしまう・・・。
ダリットのスミタは、村を出る、娘を連れて村を出て都会に行くことにした。夫は懸命にとめようとするが、スミタの決意は揺るがない。娘にまで、こんな生活をさせたくない。学校に行かせて、ちゃんと勉強して、この境遇から抜け出せるようにするのが親のつとめだ。スミタは、来世まで待つ気なんかない。大事なのは、今のこの人生。自分と娘ラリータの人生なのだ。
サラは抗ガン剤をつかいはじめた。しかし、弁護士は、いつだって颯爽とし、有能で積極的でなければならない。弁護士は頼もしく、説得力があり、好意を味方につけなければならない。
難しいけれど、これは本当のこと、大切なことです。
3人とも不運や試練に見舞われながら、それを乗りこえようと奮闘します。本書は、たたかう女性を描くフェミニズム小説だと訳者は解説しています。
いやあ、すごい本でした。ぜひ、あなたも読んでみてください。
(2019年4月刊。1600円+税)
2019年9月24日
ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー
(霧山昴)
著者 ブレディみかこ 、 出版 新潮社
面白い本です。イギリスに住む日本人女性の息子(11歳、中学生)をめぐる話です。
イギリスでは階級差が固定しているし、はっきり目に見えるようです。さすがに日本でも、「一億、総中流」なんてという幻想は聞こえなくなりましたが、階級差は見えにくいままです。
イギリスの中学校にはフリー・ミール制度があって、生活保護や失業保険など政府からの補助を受けているような低所得家庭は給食費が無料になる。小学校は給食制なので、同じ食事を食べるが、中学校は学食制なので、生徒が好きな食事やスナック、飲みものを選ぶ。現金は使わず、プリペイド方式で、フリー・ミール制度対象の子どもには使用限度額がある。
中学校の正門には校長が立っていて、登校している生徒一人ひとりと毎朝、握手する。
労働党政権は、イギリスから子どもの貧困をなくすと宣言し、実際、1998年度に340万人だった貧困層の子どもが2010年には230万人と、順調に減少していった。ところが、2010年に保守党政権になって緊縮財政を進めると、平均収入の60%以下の所得の家庭で暮らす子どもが410万人に増えた。これはイギリスの子どもの総人口の3分の1にあたる。
制服が買えない子どもがいる。生理用品を大量に買って女生徒に配る女性教員がいる。私服を持っていないので、私服参加の学校行事のときには必ず休む生徒がいる。
イギリスでは、子どもが学校を欠席すると、親が地方自治体に罰金を払わされる制度がある。父母それぞれに60ポンドずつ請求される。21日以内に払わないと120ポンドに上がり、それでも払わないと最高2500ポンドの罰金、そして最長3ヶ月の禁固刑に処せられることがある。ひえーっ、これには驚きました。
イギリスの公立中学校には、さまざまな国から来た子どもたちがいて、子どもたちは、お互いに差別や貧困と格闘しなければいけないようです。日本より人種や貧困がはっきり見えるのです。
アイルランド人男性と日本人女性のあいだに生まれた著者の一人息子は、いかにもたくましく育っているようです。ヘイトスピーチを受けても母親がまったく動じないのが、思春期に差しかかった11歳の息子に何よりの精神安定剤になっているという印象を受けました。
イギリスの現実、そして厳しい社会環境のなかでのたくましい子育てを学ぶことができました。あなたにも一読をおすすめします。
(2019年8月刊。1350円+税)
2019年9月14日
王家の遺伝子
(霧山昴)
著者 石浦 章一 、 出版 講談社ブルーバックス新書
シェイクスピアが『ヘンリー6世』や『リチャード3世』のなかで身体は不具、そして極悪非道な王として描いたリチャード3世の遺骨が、なんと最近イングランド中部の都市であるレスター市内の駐車場の地下から発見された。
そのDNAによってリチャード3世にまちがいないとされた遺骨には、いくつも刃傷の傷跡があった。頭蓋骨、骨盤そして上顎骨に外傷があり、全身の傷は11ヶ所にものぼっていた。要するにバラ戦争で敗北したときの傷跡が遺骨に残っていたのだ。
いやあ、すごい発見ですね。それにしてもDNA鑑定とは恐るべきものです。
DNAって、人体の部所によって異ならないものかと疑問に思いますが、そんなことはないといいます。
人間の身体のDNAは、どこから採っても同じ。どれもみな同じDNAが検出される。
これも不思議ですよね・・・。
エジプト人は、東方から来た人々の子孫がいた時期もあれば、西のほうから連れてこられた何百万人もの奴隷の子孫の影響も受けているそうです。
では、日本人は・・・。第一段階は、4万年前から4千年前までにヨーロッパと東ユーラシアの中間あたりの民族が北から南から、あるいは朝鮮半島を経由して流入してきた。
第二段階は、4000年から3000年前に朝鮮半島から別の民族が入ってきた。そして、第三段階は3000年前ころ、朝鮮半島から稲作農民が渡ってきた。
現在、アイヌの人々や琉球列島の人々の遺伝子には縄文人の遺伝子が色濃く残っている。
みんな自分のルーツを知りたいですよね。そのときに武器となるのがDNA鑑定だということが改めて良く分かりました。
(2019年7月刊。1000円+税)
2019年9月 9日
フィンランドの教育はなぜ世界一なのか
(霧山昴)
著者 岩竹 美加子 、 出版 新潮新書
大学で法学部の人気が落ちて、経済学部の人気が上昇しているそうです。その有力な原因の一つが、学生の金もうけ志向にあるとのこと。
国(年金)が頼りにならず、なんでも自己責任の風潮が広まるなかで、多くの学生が金もうけに走っていると聞くと悲しいばかりです。
お金はそこそこあればいい。それよりも世のため、人のため。他人(ひと)に喜ばれる仕事をしたい。そんな学生が増えてくれることを願う毎日です。
著者は、フィンランドで実際に子育てした日本人女性(ヘルシンキ大学非常勤教授)。
フィンランド教育の良さは、何よりもそのシンプルさにある。入学式や始業式、終業式、運動会などの学校行事がない。授業時間は少なく、学力テストも受験も塾も偏差値もない。統一テストは、高校を卒業するときだけ。学校には、服装や髪形に関する規則もなければ、制服もない。部活も教員の長時間労働もない。
フィンランドには教育に関して地域という考えはなく、連絡協議会や青少年育成委員会など、学校をとりまく煩雑な組織はない。
フィンランドでは教育の無償化は徹底している。小学校から大学に至るまで教育費は無償。小中学校では、教科書やノート、教材等も無償で支給される。学級費その他の費用負担もない。給食は、保育園から高校まで無料。
教科書や鋼材は学校に置いていくので、重たいカバンをもって通学する子どもはいない。
学校からの連絡はメールなので、プリントや手紙もない。
17歳以上には、給付型奨学金、学習ローン、家賃補助など学習支援をする。学習ローンの保証人は国であって、親や親族ではない。
フィンランドには受験はなく、受験のための勉強もない。中学を卒業したら、高校と職業学校に進路が分かれ、普通、18歳で卒業する。大学には応用科学大学というものもある。
高校卒業の日には、親が親戚などを招いて大きなパーティーを開く。
一斉卒業、一斉就職という社会の仕組みはない。
フィンランドの小学校のクラスは20人から25人ほど。授業時間は、日本の半分ほど。
フィンランドでは性教育が重視されている。ところが、日本の義務教育では、性交を教えない。東京でフツーの性教育を実践した学校に対して自民党の都議が不適切だと攻撃した「事件」がたびたび起きています。教育現場を委縮させる政治の不当な教育介入です。
フィンランドには戸籍はなく、入籍という考え方もない。
フィンランドの教育は、何より子どもたちに考える力が身につくことを重視している。
これこそが今の日本の子どもたちに欠けていることではないでしょうか・・・。
アメリカから必要もない兵器を爆買いさせられて軍事予算だけは青天井で増加しつつあるのと反対に、大学の授業料は上昇する一方で、学生の奨学金も少ないうえに、有利子。日本の教育システムは、とんでもなく間違っています。司法修習生の給料を廃止したのも、その延長線上にありました。日本もフィンランドに学んで、教育費一切の無料化に踏み切るべきです。
大量人殺しのための戦闘機より子どもの笑顔あふれる教室を増やしてほしいものです。うらやましいタメ息とともに、チョッピリ勇気がもらえる新書でした。
(2019年7月刊。780円+税)