弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ヨーロッパ

2019年8月24日

スペイン巡礼

(霧山昴)
著者 渡辺 孝 、 出版  皓星社

団塊世代(1950年生)の男性が1ヶ月あまりのスペイン巡礼一人旅に出た記録集です。
表紙のカラー写真がいいですね、果てしなく広がる大草原の一本道を世界各国から来た巡礼たちが1人で、カップルで、集団でテクテクと自分の足だけを頼りに歩いていきます。
といっても途中で、膝や足が痛くなると、バスやタクシーも利用し、一休みしながら歩いていくのです。
朝5時20分に起床し、朝食をとって6時40分に出発。外はまだ暗い。歩いている途中で夜が明ける。夜明はいつも感動的だ。
最近、スペイン巡礼に行く人が急増している。2006年に10万人となったあと、2017年には30万人をこえた。10年で3倍。日本からの巡礼者は2005年に282人だったのが、2017年に1500人近くへ5倍も増えた。といっても、まだまだですよね。著者は日本人の若者、女性も男性も、に出会っていますが、同じくらい韓国人も多いようです。
前にこのコーナーで大阪の弁護士の巡礼体験記を紹介したと思います。斉藤護弁護士(1939年生まれ)が2007年4月から6月にかけて、「サンチアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」を歩いたのでした。『アシナガがゆく』という写真集にまとめられています。古稀の年が近くなると、一人旅、しかも人里から隔絶した荒野ではなく、同じように歩いて巡礼の旅をしている仲間がいるところを歩きながら、自分の人生をふり返り、将来を見すえるというのは、とても大切なことだと思いました。
泊まるところも、巡礼者用の安宿(アルベルゲ)だけでなく、ときにそれなりのホテルにも泊まっています。ただ、私には出来ないと思ったのが、スマホを使ったホテルなどの予約です。昔はありえなかったものですが、今はどうやら必須の道具のようです。そうなると、スマホをもたない私には無理だということになります。
そして、語学です。日銀に長くつとめ、フランス駐在の経験もある著者は、英語はもちろんのこと、フランス語も話せます。そして、スペイン語も必死に勉強したとのこと。やはり旅先ではその大地の人と会話ができるかどうか決定的ですよね。ですから私はスペインには行きたくありません。行くなら、やっぱりフランスです。フランスなら、カタコト以上の会話ができるので、なんとかなるのです。
それにしても、巻末に照会されている、たくさんの紀行文には驚きました。その半数は女性です。日本人女性は昔も今も行動的ですね・・・。
読んで楽しい巡礼記です。苦しいこともあり、辛いこともないではないけれど、たくさんの出会いもあり、やっぱり行って良かった、そして読んで良かったと思える本でした。
(2019年5月刊。2000円+税)

2019年8月17日

パスタぎらい

(霧山昴)
著者 ヤマザキ マリ 、 出版  新潮新書

私はパスタが大好きです。日曜日の昼食には、よく食べています。福岡空港でも、よく日替わりパスタを食べます。赤ワイン1杯とともにいただきます。
ところが、長くイタリアに住んでいた著者は、若いころ過剰に摂取したため、パスタに食欲をそそらなくなったといいます。悲しいことです。パスタの代わりにソバやソーメンを食べるとのこと。
著者がたまに食べるパスタはカルボナーラ(私の好物のひとつです)ではなく、また和製ナポリタン(私はこれも好きです)、納豆パスタ(私の大好物です)なのです。
イタリアのパンは、あまり美味しくない。日本のパンは、すこぶる美味しい。私もパンは好きなのですが、いかんせん腹持ちしないので、むしろコンビニのおにぎりを買ってしまいます。
この本では、著者も、そして日本に来たことのある海外の人に圧倒的に好まれているのは、なんとラーメンだというのです。これには驚きました。私はトンコツラーメンが好物なのですが、実は最近あまり食べていません。体重制限と健康管理を意識している身として、ラーメンはあまりにも身の毒というイメージが強すぎるからです。
それに反して、日本のおにぎりは、海外では、あまり受けがよくないようです。私は、ときに近くの小山にのぼりますが、そのときに見晴らしのよい頂上で食べるおにぎり弁当は最高です。おにぎりを包むノリの「独特の臭いを放つ海苔」がハードルを高くしているとのことです。これは食習慣の違いでしょうね。
日本人の舌が肥えているという例証として、著者があげたのはなんとポテトチップスです。私は久しく食べたことがありませんし、食べるつもりもありません。味覚と食感が徹底的に追及されて、世界最高だといいます。まあ、これは好みの問題でしょうね・・・。
海外では卵かけご飯を食べたら、すぐに病院送り、医師は、「生卵を食べたって・・・、死にたかったのかい?」と言う。生卵にはサルモネラ菌が多く生息している。生卵のもたらす食中毒の苦しみは半端なものではない・・・。
博多駅にある「卵かけご飯」の店は、入ったことがありませんが、いつ前を通っても満席です。
著者のマンガは読んでいないのですが、先にこのコーナーでも紹介しました『ヴィオラ母さん』は絶賛します。
軽く読める世界の美味しい食文化紹介の本です。
(2019年5月刊。740円+税)

2019年8月13日

ボランティアとファシズム


(霧山昴)
著者 池田 浩士 、 出版  人文書院

ええっ、ボランティアとファシズムと何の関係があるんだよ・・・。本のタイトルを見て、センスを疑いました。ところが、この本を読んで、すっかり納得がいきました。400頁近い大作の前半は、戦前の東京帝大セツルメントについて詳細に紹介しています。私も戦後の学生セツルメントに関わっていましたし、川崎市古市場に住んで(レジデントと呼んでいました。要するに、下宿したのです)、セツラーとして若者サークルに関わって活動していました。つい先日、大学を卒業してもう50年も会っていない「カッチャン」から突然電話があり、びっくりしました。先輩セツラーに尋ねて私の連絡先を知ったのだそうです。若者サークルに参加していた青森出身のリンゴさんとは昨年も会って懇親を深めてきました。
日本でセツルメント活動が始まったのは1923年に発生した関東大震災のとき、東京帝大生たちが被災者救援のボランティア活動を始めたことがきっかけでした。法学部の末弘厳太郎教授や穂積重遠教授が学生たちの活動を励まし、支援しています。どちらも今でも高名な民法の大家です。
東大には既に「新人会」というマルクス主義の影響を受けた思想団体がありました。学生たちは、活動の主人公は自分たちではないという基本理念を共有していたので、被災者たちに自治組織をつくるよう働きかけた。当事者自身の自治と主体性を尊重したのだ。この根本理念は帝大セツルにも受け継がれた。
1923年12月14日、東京帝大に学生50人が集まって、第1回総会が開かれた。法律相談部や児童部、医療部など6部に分かれて活動を始めたのです。
帝大セツルは、慈善事業ではなく、また「救援」を名とする特定の定数や主義思想の「伝道」でもない。学生の自発的な活動は、他者に何か恵みを与えることではなく、自分自身に課題を与えることだった。
帝大セツルの初代の代表者は末弘厳太郎、後任の代表者は穂積重遠だった。
帝大セツルの卒業生を紹介します。武田麟太郎、福本和夫(共産党の福本イズムの提唱者)、林房雄(転向作家)、志賀義雄、村田為五郎(NHK解説委員)、森恭三(朝日新聞論説主幹)、扇谷正造(評論家)、正木千冬(鎌倉市長)、服部之総(日本史)、清水幾太郎(転向学者)、戒能通孝(民法)、山花秀雄と足鹿覚(いずれもセツルの労働学校の卒業生)。
帝大セツルは昭和13年(1938年)1月末に名称を変更して解散し、14年間におよぶ活動に終止符を打った。ただし、セツルメント解散は、ボランティア運動の歴史の終わりではなかった。戦時体制の下、これまでとは異質な段階へ移行した。それが満蒙開拓団だった。官製ボランティア活動が始まり、あとで悲劇的結末を迎えた。
官製ボランティアという共通点で、ヒトラー・ナチスのボランティア活動が紹介されます。
自発性と主体性を組織化し、任意制度から義務制度へと変える道をすばやく歩んだのが、ヒトラー・ドイツだった。
ドイツの企業にとって、自発的労働奉仕の失業者を受けいれたら、人件費を格段に安くおさえられて好都合だった。安価な労働力は、国家の財政負担を軽減させ、とりわけ企業に莫大な利益をもたらした。
ナチ党は、政権発足時に、10数万人のボランティア青年たちを獲得した。
ヒトラーは、本当に失業をなくした。現役兵以外の兵役適齢者が相次いで召集される状況下で、ドイツの労働力は底をつき、マイナスに転じた。そこを労働奉仕制度が埋めた。今や失業対策事業ではなく、その反対に不足している労働力を補うための手段となった。
ボランティアの2面性というものをしっかり認識することができました。
戦前の帝大セツルについては、加賀乙彦の大河小説『雲の都』の第1部『広場』に生き生きと描かれています。そして、戦後の川崎・古市場の学生セツルの活動については東大闘争と同時並行的に描いた『清冽の炎』(花伝社)第1~5巻が詳しいので、あわせて紹介します。
(2019年5月刊。4500円+税)

盆休みに天神の映画館でイギリス映画『ピータールー』をみました。マンチェスターの悲劇というサブタイトルがついています。イギリスのウェリントン将軍がウォータールーでナポレオン軍に完勝した直後のイギリスで起きた事件です。
当時のイギリスの国王はジョージ四世で、フランス革命から20年しかたっていないので、フランス革命のような事態がイギリスで起きることを恐れていました。
マンチェスターの紡績工場で働く労働者は食うや食わず、仕事や見つからない状況にありました。そして、議会は地主と企業家たちが独占しています。1人1票、毎年改選をスローガンとしてかかげてマンチェスターの市民6万人がピーターズ広場に集まり、平和な集会を進行させていたのです。そこへ支配層の意向を受けた「義勇軍」と国王の正規軍が襲いかかりました。公式発表で死者18人、負傷者650人以上といわれる大惨事となりました。
この事件が直接のきっかけとなったのではありませんが、選挙法が改正され、庶民の生活も少しは改善されたようです。
私のまったく知らなかったイギリスでの出来事でした。よくぞ映画にしたものです。日本でも、このように大泉が広く深く盛りあがりつつあることを実感しています。
そのときの支配・権力側のえげつない対応が予測されるような迫真の映画でした。
それにしても、このように血と汗で勝ちとられた普通選挙を現代日本では6割近い人が行使しないのですから、その現実に思わずため息をついてしまいます。

2019年8月 6日

敗北者たち

(霧山昴)
著者 ローベルト・ゲルヴァルト 、 出版  みすず書房

第一次世界大戦と、それが終わったあとのヨーロッパの状況を詳しく紹介しています。
第一次世界大戦では1000万人近くが死亡し、2000万人以上が負傷した。そして、そのあとに暴力的な激変が続いた。その凄惨な殺戮(さつりく)の様子が読んでいて気分が悪くなるほど語られていて、人間の狂気はこんなにまで落ちるものかとおぞましく、絶望感すら覚えます。京都のアニメーション会社での大量殺人事件を一気に拡大した感があります。
ロシア革命に至るとき、ケレンスキーは、軍の最高司令官であるコルニーロフ将軍から革命を「守る」ために、ギリシェヴィキの助けを借りた。ボリシェヴィキの指導者たちを監獄から解放し、武器と弾薬を与えた。このとき、ちょうど組織づくりの天才であるトロツキーが亡命先のアメリカから帰還したこともボリシェヴィキに有利に働いた。レーニンは土地の国有化とあわせて、戦争からの撤退を公約として、国民の好評を博した。
第一次大戦においてドイツ軍は初期こそ華々しく勝利したものの、援軍がなく、無理に無理を重ね、病気と攻勢による大損失で弱体化してしまった。形勢がドイツの不利に転じたことが明白になると、兵士の士気も民間人の戦意も、急激に低下した。
ロシア内戦は、300万人以上の命を奪うという規模と激しさだった。
食糧供給の危機を打開するため、レーニンは銃をつきつけた食糧徴発を断行した。名の知れたクラーク、富裕者を少なくとも100人は絞首刑にせよ(必ず吊るせ、民衆に見えるように)というのがレーニンの指令だった。
いかに内戦時であったとしても、これはいけませんよね。
もっとも、レーニンの赤軍兵が敗退したときには、公開での絞首刑があり、捕虜になった赤軍兵士は生きたまま焼かれた。このような状況も一方ではあったのでした・・・。
1919年7月16日、捕えられていたツァーリの一家は地下室で全員が殺害された。レーニンの指令による。
ロシア内戦で赤軍が勝利したのは、ボリシェヴィキの悪のほうが白軍という悪よりもましだというのがロシア国民の大方の見方となったことによる。
ローザ・ルクセンブルグは、1871年に棄教したユダヤ人材木商の末娘として生まれた。
ミュンヘンは、ヴァイマル・ドイツのどこよりも強固にナショナリスティックで、反ボリシェヴィキ的な都市だった。そして、このバイエルンの首都はナチズム誕生の地となった。
ムッソリーニは、第一次大戦前は、名うての社会主義者だったが、急進的ナショナリストに転向した。ムッソリーニは戦線で負傷したのではなく、梅毒にかかっていた。
ヒトラーは、しがない税関役人の息子であり、バイエルン軍の伝令兵として西部戦線に従軍し、上等兵(伍長は誤り)として退役した。ヒトラーは社会主義に関心をもったことがあったが、すぐに極右に「転向」した。
ヴェルサイユ条約によってドイツ陸軍は最大で10万人、そのうえ戦車や軍用機、潜水艦の保有は禁止された。また、海軍は、1万5000人に削減され、大型軍艦の新建設も禁止された。丸腰にされたも同然である。
ドイツ軍は、第二次大戦のとき、惨憺たる敗戦を迎えるまで、無益な戦闘を続け、そのため戦争の最期の3ヶ月間で150万人もの兵士が戦死した。
日本が満州によって中国を支配することになったとき、それについてヨーロッパ各国が激しく抗議することがなかったことから、イタリアのムッソリーニは、日本と同じことを真似するようにした。
第二次世界大戦の始まった状況を見るときに忘れてはいけないのが、その前の第一次世界大戦の状況だということがよく分かり、私には、とても興味深い記述でした。
400頁もある、ぎっしり詰まった本格的な歴史書です。
(2019年2月刊。5200円+税)

2019年7月30日

ネオナチの少女

(霧山昴)
著者 ハイディ・べネケン・シュタイン 、 出版  筑摩書房

18歳までナチと過ごした若きドイツ人女性が過去をふり返った本です。
ドイツでヒトラーを信奉してひそかに活動している人々がいるのは私も知っていましたが、その実態を自分の体験にもとづき赤裸々に暴露しています。
著者の父、祖父母、親の友人、みなナチでした。ナチの親のもとでナチ・イデオロギーを刷り込まれ、ひそかに軍事的な訓練まで受けています。
著者が幼いころ、ナチの父親は、マックからコーラに至るまで、アメリカの商品はすべて禁止した。ナチの父親は、すべてにおいて厳格で、誰もが従わなければいけない。父親にとって大切なのは常に結果、つまり勝ち負けだった。
父は税関職員で、ナチの団体のリーダーの一人だった。
その父親とは15歳のとき絶縁を決意した。父親は18歳の誕生日まで養育費を支払ったが、あとは、お互いに没交渉となった。
母親は、ナチの父親から去った。
父親にとって、ユダヤ人虐殺のホロコーストはでっち上げられたものでしかなかった。ホロコーストを否定するため、絶えず陰謀や思想操作をもち出した。まるでアベ首相のようですね・・・。
ナチの団体の親は、高学歴、高収入の狂信的な大人の集まりだった。貧しい人や庶民はおらず、大学教授や歯科医だった。
著者はアメリカ人とユダヤ人が嫌いだった。アメリカ人とユダヤ人はグルだ。アメリカ人は石油を我が物にしようと戦争を仕組んでおきながら、世界の警察という顔をして、帝国主義的な目的を追求している。
著者は強いと思っていたけれど、弱かった。勇敢だと思っていたけれど、意気地なしだった。成熟していると思っていたけれど、未熟だった。自由だと感じていたけれど、囚われていた。正しいと思っていたけれど、間違っていた。
いま私の娘の住んでいるミュンヘンに生まれ育ち、ナチから脱却した今は保育士として働いている27歳の女性による本です。
親の影響の大きさ、恐ろしさをひしひしと感じさせられました。
(2019年2月刊。2300円+税)

2019年7月28日

地下道の少女

(霧山昴)
著者 アンデシュ・ルースルンドほか 、 出版  ハヤカワ文庫

スウェーデンの首都、ストックホルムに起きた話です。
寒々とした光景が展開します。町の中心部にある広場の地下トンネルに住みついている人間が50人ほどもいるという状況を前提として進行していきます。それはホームレスの人々です。そのなかには未成年の少女もいました。
さまざまな年齢の女性たち11人が広場下の地下トンネルで共同生活していた。
ルーマニア人の子どもが43人もストックホルムの中心部でバスを降ろされたこと、本人たちはスコットランドに来たと思っていたこと、それらは本当の出来事。それを小説にしたのが本書。
そして、生きのびるために、自分の体を売るスウェーデン人の少女や女性が増えていることも真実だと著者は強調しています。
2018年のストックホルム市の調査によると、ホームレスが2500人近くいて、その3分の1は女性。女性の割合は増加傾向にある。ホームレスの55%が薬物依存症で、45%の人には精神障害がある。
ストックホルムにストリート・チルドレンがいるなんていうのも驚きでしたし、東欧からの移民流入のもたらす問題にも目を開かされました。
異色のミステリー小説として読みふけったので、紹介します。
(2019年2月刊。1160円+税)

2019年7月18日

沈黙する教室

(霧山昴)
著者 ディートリッヒ・ガルスカ 、 出版  アルファベータブックス

冷戦下の東ドイツの高校で起きた「事件」です。その高校の進学クラス全員が反革命分子とみなされて退学処分になってしまいます。
高校生たちは何をしたというのか、なぜクラス全員が退学処分になったのか、そして、高校に行けなくなった若者たちはどうしたのか、彼らは40年後の同窓会で何を語りあったのか・・・。先日、天神の映画館でみた映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』の原作本です。
ときは1956年(昭和31年)11月1日に起きました。ハンガリー「動乱」が起きたことをラジオ放送(RIAS。アメリカ占領地区放送)で知った高校生たちが、連帯の意思表示として授業中に5分間の黙祷を捧げたのです。「事件」は、たったそれだけのことでした。ところが、それが反革命の行動として国民教育省大臣が高校に乗り込んでくるほどの「大事件」になったのです。
高校生たちがしたことは、歴史の授業の時間に、午前10時から10時5分までの5分間だけ、何も言わない、何も答えない、何も聞かない、それを黙祷として実行した。ただ、それだけのこと。黙祷はもう1回やられたが、それは、授業中ではなかった。
映画では、西側のラジオは、森(沼)のはずれにあるいかにも変人のおじさん宅に集まってこっそり聞いていたことになっていますが、この本によると実際には、各家庭で日常的に西側のラジオ放送が聴かれていたようです。
東ドイツの国家権力は、ハンガリー動乱について高校生たちが連帯の意思表示として黙祷したことを許すわけにはいきませんでした。ところが、高校の校長ほか、高校生たちを追いつめるのはよくないという考えの人たちも少なくなかったようです。それでも結局、この高校生たちは全員が大学受験資格を喪うことになり、その大半は西ベルリンへ逃亡するのです。
1956年当時はまだベルリンの壁も出来ていなくて、年に15万人も西側へ逃亡する人がいました。高校生たちも、その大半が西側へ逃亡した(できた)のです。
事件の前は、誰も権力に立ち向かう力や勇気をもちあわせていなかった。しかし、黙祷がこれを変えた。突然、強くなった。あの永遠に続くようにも思われた黙祷を捧げているあいだ、クラスの全員が堪え切って行動が成功しますように・・・とずっと祈っていた。
このクラス20人のうち15人が西側へ脱出した。そして、東ドイツは、5年か10年しかもたないと思われていたが、なんと、その後33年も続いた。
映画で心を揺さぶられるシーンは、誰が主導したのか、首謀者なのか、クラス全員が最後までがんばって黙秘し続けているところです。仲間を裏切らない、裏切りたくないという高校生たちの揺れ動く心境が、当局の圧力との対比でよく描かれていました。
映画をみて、この本を読んで、当時の人々の置かれた苦しい状況をよくよく理解することができました。
(2019年6月刊。2500円+税)

6月に受けたフランス語検定試験(1級)の結果を知らせるハガキを受けとりました。もちろん不合格だったのですが、なんと得点は55点(150点満点)しかなく、4割に届いていませんでした(合格点は93点)。実は自己採点では63点だったのです。仏作文が予想以上にひどかったということになります。それでもめげず、くじけず毎朝のNHK、車中のCD、毎週の日仏会館通いを続けています。ボケ防止に語学は何よりです。

2019年7月 6日

「緋い空の下で」(下)

(霧山昴)
著者 マーク・サリヴァン 、 出版  扶桑社文庫

上巻に引き続いて、下巻も圧倒的な面白さです。アメリカで150万部突破の大ベストセラーになったというのも当然ですし、映画化されるというのもよく分かります。まさしく最後の最後まで絵になるハラハラドキドキの場面展開が続くのですから・・・。
主人公のピノは17歳。イタリア軍に徴兵され、ロシア戦線に派遣されたら、5割の確率で生命を失ってしまう。そこで、身内はピノをドイツ軍のトート機関へ志願することをすすめる。トート機関は国防軍の前線部隊で異質な存在だった。ピノは、そこに入り、持ち前の軽さで、いつのまにかドイツ国防軍のイタリアにおけるナンバー2である少将の専属運転手として働き始める。
要するに、スパイとして活動していったのです。ところが、2歳下の弟は事情を知らないので、兄のピノを「裏切り者」として拒絶してしまいます。それでもピノは、少将の愛人宅のメイドと仲良くなり、幸せなひとときを過ごせるようになりました。
ドイツ軍はイタリア戦線で敗退に敗退を重ねますが、イタリア北部のミラノ地方は、ドイツ軍が最後に守るべき砦だったのです。
そして、アメリカ軍によるイタリア解放のときが、ついにやって到来します。すると、それまで無言で耐えていたイタリアの人々が残虐な報復・殺傷行為に走ります。ドイツ軍将校の愛人とそのメイド(ピノが愛した女性です)までが、即決の人民裁判のようにパルチザンたちによって処刑されてしまうのです。
ああ、いったい自分は何を頼りに生きていったらいいのだろう。ピノはガックリ肩の力を落とします・・・。
どこまでが実話なのか、どこからが想像のストーリーなのか、ぜひ知りたいところです。
このところ久しくワクワク感を体験していないという人に超おすすめの本です・・・。
(2019年5月刊。980円+税)

2019年7月 3日

電撃戦という幻(上)

(霧山昴)
著者 カール・ハインツ・フリーザー 、 出版  中央公論新社

世の中には、たくさんの思い込みというものがありますが、この本を読んで、その一つから自らを解き放つことができました。読書の楽しみがここにあります。
電撃戦というのは、ヒトラー・ドイツ軍が好んで用いた戦法とばかり思っていました。ところが、1941年11月、ヒトラー自身は次のように言ったそうです。
「私は、いまだかつて『電撃戦』などと言ったことはない。まったく愚にもつかない言葉だ」
ええっ、一体どういうことなんでしょう・・・。
電撃戦という言葉に明確な定義はなく、曖昧模糊としている。
1940年5月、「セダンの奇跡」がおこって、すべてがひっくりかえった。ドイツ国防軍の首脳は、その前は電撃戦のような軍事的冒険については懐疑的だった。この「セダンの奇跡」のあと、ドイツ国防軍の将軍たちは、恥も外聞もなく、180度の方向転換を行った。
ヒトラーが1939年9月1日に始めたポーランド侵攻のとき、ヒトラーは西側諸大国との戦いを想定した戦争計画、総合戦略について、何の用意もできていなかった。これは致命的な手抜かりだった。対ポーランド戦は、本格的な電撃戦ではなかった。
ポーランド軍はドイツ軍の敵ではなかった。装備・訓練が旧式だったし、用兵も時代遅れだった。ドイツ軍の戦車に対してポーランドの騎兵たちは白刀をふるって突撃していった。
ところが、ポーランド戦で弾薬をほとんど撃ち尽くしてしまったため、ドイツの陸海空三軍はその後しばらくは戦争を継続できる状態にはなかった。弾薬の在庫を確保しているのは全師団の3分の1にすぎず、しかもそれは2週間の戦闘で消費されてしまう。ドイツでは、このころ毎月60万トンの鉄鋼が不足していた。火薬については1941年になるまで急激な増産は見込めなかった。
当時、ドイツの自動車化部隊では車両の損失が50%に達していた。そして、軍を急激に大きくしたことから、指導的な立場の将校クラスの能力が全般的に低下していた。
「一枚岩」に見える第三帝国(ヒトラー・ドイツ)は実は外面(そとづら)だけで、戦争の最初の局面で国力を一点に集中させるだけの力強い指導性が欠けていた。
ドイツ陸軍は1940年の時点では、40歳代の兵士が全体の4分の1を占め、また、数週間の訓練しか受けていない兵士が半分を占めていた。そして、将校の絶対数の不足は深刻だった。正味3050人の将校が数百万の規模にふくれあがったドイツ陸軍の大世帯を切り回さなければならなかった。
軍需物資の面でのドイツ軍の最大の悩みは鉄鋼とゴムの慢性的欠乏だった。
ドイツ軍の90%は荷馬と徒歩で行軍した。つまり、ドイツ電撃戦のイメージは戦車と自動車だが、それは、単なるプロパガンダにすぎない。ドイツ陸軍の装備はみすぼらしいとはでは言えなくても、非常に質素だった。すぐに戦える部隊は全体の半分でしかなかった。
1940年のドイツ軍は戦車兵器の開発で、まだスタートラインに立ったばかりだった。ドイツ軍は軽戦車が全体の3分の2近くを占めていた。そして、技術的に未成熟だったことから、戦場で次々に故障によって頓挫した。さらに、ドイツ軍の軽戦車は、連合軍の軽戦車の甲板すら貫徹できなかった。
ドイツ軍のパイロットは、連合軍パイロットに比べて、良質で十分な訓練を受ける機会に恵まれていなかった。
ドイツ国防軍の将軍たちはヒトラーを、「底辺からはいあがってきた難民官ごとき」と見下していた。そして、ヒトラーのプロレタリアート的体質を激しく毛嫌いした。それに対して、ヒトラーもドイツ国防軍のエリートたちに敵愾心をむき出しにした。
1940年のドイツ軍によるアルデンヌ攻勢は、電撃戦の模範的な戦術例とされているが、実際には、ドイツ軍の追撃は、確固たるシステムによって行われたものではない。ありあわせのものですすめたところ勝利したので、あとから整理されたというものにすぎない。
いやはや、なんということでしょうか・・・。知らないことの恐ろしさすら私は感じてしまいました。
(2012年2月刊。3800円+税)

2019年6月30日

緋い空の下で(上)

(霧山昴)
著者 マーク・サリヴァン 、 出版  扶桑社文庫

ナチス・ドイツに抵抗したフランスのレジスタンス運動についてはいくつも本があり、読みましたが、この本はイタリア北部のレジスタンスの話です。実話をもとにしているようですが、大変スリリングな展開で、350頁の文庫本を2日間で読み通しました。下巻が待ち遠しい思いです。
上巻の前半は、ユダヤ人のアルプス越えを先導する話です。その行く先はスイスです。『サウンド・オブ・ミュージック』と同じく、ナチスの追及を逃れてスイスに駆け込むユダヤ人たちの案内人をイタリアの少年がつとめるのです。冬山を少年が先導し、慣れない山道、しかも絶壁の冬山を勇気を出させて乗り越えていくところは、まさしく手に汗を握ります。
後半は、そんな青年がイタリア軍に徴兵されてロシア戦線に送られて死ぬよりは、ドイツ軍に入って内地勤務を両親にすすめられてドイツ軍に志願入隊することになり、それからの意外な展開です。
事情を知らない知人からは裏切り者と呼ばれます。
そして、イタリアにいるドイツ軍の高級幹部の運転手となり、ドイツ軍の機密情報をもらすスパイになるのです。まさしく手に汗握るシーンの連続です。
イタリア北部は、ドイツ軍がムッソリーニを利用しながらも上陸してきたアメリカ軍などに必死に抵抗していて、そこでイタリアのパルチザンたちが活動していたのです。
アメリカで2017年のベストセラーとなり、映画化もされるそうです。ぜひ、映画もみてみましょう。
(2019年5月刊。980円+税)

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