弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2010年9月22日

ロボット兵士の戦争

 著者 P.W.シンガー、 NHK 出版 
 
 クリックひとつで戦闘準備完了。戦場の3Dとは、危険(デンジャラス)、汚い(ダーティー)、単調(デュル)。3Dの環境を嫌がらず、効率よく任務を実行するのがロボットだ。人類はハイテクをつかって、リスクのない戦争をつくり出すことができるのか?
これはオビにある文句です。どうでしょうか、戦場をロボットで埋め尽くせるのでしょうか・・・・。
 無人偵察機プレデターは、2001年にはごくわずかだったが、2008年には5300機に達する。24時間もの滞空が可能なプレデターが発見・殺害したイラク武装勢力は、年間2400人にのぼる。このプレデターは、重さ510キロ、滞空時間24時間で、7900メートル上空を飛行できる。プレデターは一機450万ドル。ほかの軍用機に比べると割安。
イラクやアフガニスタンの上空を飛行する無人飛行機はアメリカ本土・ネバダ州にいるパイロットが操縦している。 うへーっ、ゲーム感覚で人殺しをしているんですね・・・・。
地上ロボットは、2003年のイラク侵攻作戦のときはゼロだったが、2008年末には1万
2000台がイラクで使われていた。戦争用ロボット事業は、年間60%も成長していて、
2008年には国防総省(ペンタゴン)との契約額が2億8600万ドルに達し、さらに3000台のマシンを供給することになった。2008年現在、イラクの地上で合計22種類のロボットシステムが活動している。
 イスラエルは、まもなくヒズボラを破ることはできないと気がついた。ヒズボラは国でもなく、イスラエルの国防予算の1%しか兵器等につかえる資金をもたない。しかし、ヒズボラは、攻撃前にイスラエル軍のコンピューターに侵入できたし、軍の無線システムにも侵入した。イスラエルのケータイ・ネットワークにまで入り込み、戦場にいるイスラエル軍の司令官や兵士が本土にかける電話を盗聴し、無線のコードネームなどの個人情報を手に入れた。
 ヒズボラは、戦力や規模という国家の強みを帳消しにする戦略を考え出し、独自のハイテクゲームで国家を負かすことさえできることを証明した。
 アルカイダは中央集権型の集団から世界中に「細胞」が広がる世界的な運動に進化している。テロリストは、新技術をさらに斬新かつ独創的につかって新兵を補充している。
 戦争ポルノは、戦闘の厳しい真実を隠しがちである。ほとんどの視聴者は、知人や同じアメリカ人がうつっている戦闘の映像を本能的に避ける。だが、名もない敵が死ぬ映像なら、平気で見る人が多い。
 戦争は、決して簡単にはいかない。戦争とは、そもそも複雑で厄介で予測がつかないものだ。たとえ無人システムが人間にとって代わることが増えても、この現状は変わらないだろう。無人システムによる誤認攻撃は、民間人の命を犠牲にするだけでなく、味方部隊に対しても起こりうる。
つまり、兵士を完全にロボットに代えることは出来ないのです。ロボット兵士の研究が進むほどに、誤爆の危険も増大すると思います。戦場のロボット化の実情を知ることができました。
(2010年7月刊。3400円+税)
 雑誌をめくっていたら、ネガをパソコンに取り込める器具が2万円で売られているのを見つけました。大量のネガアルバムをかかえて始末に困っていましたので、早速、通販に申し込みました。
 ネガを1枚1枚、手送りでSDカードに取り込んでいきますから、時間がかかります。それでも大学生時代、司法修習生時代そして結婚する前後のなつかしい写真が目の前にあらわれ、至福のひとときでもありました。
 今や、デジカメ時代になってしまいましたので、フィルムカメラ時代のネガは捨てるしかないかと、あきらめていました。こんなに便利な器具を発明したひとは偉いです。大いに感謝します。

2010年9月 8日

アメリカと戦争

 著者 ケネス・Jヘイガン、イアン・Jビッカートン、 大月書店 出版 
 
 日本語版序文に次のように書かれています。
 海外での軍事的冒険主義へのさらなる加担を拒否した日本人の人々の思慮深さは、われわれを非常に勇気づけている。
 ええーっ、これって日本人をほめ過ぎでしょう。正直いって、私はそう思いました。でも、この本の著者は、なんとアメリカ合衆国海軍士官学校名誉教授であり、海軍大学校の教授なのです。決して冗談とか茶化して言っているのではありません。
 戦争は、あなたが望むときに始めることができる。しかし、戦争は、あなたの望みどおりには終わらない。なんと、これは、かの有名なマキャヴェリの言葉なのです。そして、アメリカの始めた戦争が、ベトナムでもイラクでも、まったくこのマキャヴェリの言葉どおりに推移していることが、この本のなかで明らかにされていくのです。大変明快な主張です。
 さらに、アナン国連事務総長(当時)の言葉も紹介されています。
 戦争とは、政治的手腕や想像力の破壊的失敗、すなわち享受すべき平和的政治手段を選択肢から強制的に排除するものにほかならない。
 なーるほど、そうなんですね・・・・。
 アメリカ合衆国についての神話の一つは、平和的な民主主義国家であるアメリカ合衆国が軽率かつ不正に戦争に突入したことは一度もないというもの。しかし、アメリカ人は、国益上、必要であれば、武力行使をいとわないことを示してきた。
 戦争とは、国家の指導者の行う最も重大な決定であるのみならず、まったく先の予測のできない冒険的なものである。戦闘が思いどおりに終結する確実な見込みは存在しない。アメリカ軍は、独立以来、これまで海外で250以上もの軍事行動を起こしてきた。すなわち、一年に一度以上、戦争を遂行してきた。
 18世紀のアメリカ独立戦争のとき、13植民地の構成員250万人のうち、半数近くがイギリス王国に忠誠を示していた。実際に武器をとった推定6万人の王党派と、ほとんどすべての植民地で求められた、革命派の大義に対する忠誠を拒絶した人々は捕えられ、強制収容所に監禁され、厳しく罰され、追放されたあげく、土地や財産をすべて没収された。かれらは、戦争が終わったとき、イギリス領カナダへ逃げ去った。
 19世紀の南北戦争は、戦争を率いた指導者の見通しをはるかに凌駕して、まったく意図していなかった結果を生み出した。南北戦争における戦死者数は、おそらくアメリカ合衆国が遂行したあらゆる戦争の戦死者を合計した統数を超越している。1860年のアメリカ総人口の2%、60万人が戦死した。
 南北戦争はイデオロギー戦争でもあった。両軍の志願兵は、自分たちは自由のために戦っていると信じていた。この信念こそが、戦争を残虐なものし、勝利を達成するまで戦争終結を遅らせることになった。戦争の長期化には、予期されたことでも、意図されたことでも、まったくなかった。当初は誰も、この戦争から徹底的な総力戦と化し、これほどまでに長期化するとは考えていなかった。
 南北戦争は、アメリカ合衆国が軍事的に無限の潜在力をもつ国家であるという信念を増長させ、美化することになった。大統領として、また軍の最高司令官として、リンカーンはかつてないほど直接的に戦争遂行上の役割を一個人として担うことになった。
 第一次世界大戦において、アメリカ軍の参戦にはわずか19ヶ月間にすぎなかったが、死者11万6000人、負傷者23万4000人をふくむ総計36万人という犠牲者を出した。
 アメリカ合衆国にとって、第一次世界大戦の結果は、国内においても全面的に期待はずれのものだった。
 第二次世界大戦の圧倒的ないとせざる結果とは、この戦争が平和とはいえない一つの平和を生み出したことである。戦争は終結せず、ただ戦闘が終了しただけだった。
 第二次世界大戦から出現したのが、米ソ両国が代理国家に戦争と死を肩代わりさせて世界中でおこなった数え切れない局地戦を生み出す、核軍拡大競争によって膠着した45年間にわたる冷戦だった。原爆を投下した目的の一つがソ連を抑止するための威嚇だったなら、それは惨めにも失敗したのだ。
 冷戦は、武装した大規模な戦闘という意味での戦争ではなかった。冷戦とは、幻想の戦争であり、真実をあいまいにするような常套句の応酬をともなうイデオロギー対立だった。朝鮮戦争は、全面戦争というより、公然と布告されなかったものの、「警察行動」にほかならなかった。
 朝鮮戦争のもっとも意図せざる劇的な結果とは、アメリカ合衆国が決定的な勝利を手にすることができなかったことである。
ベトナム戦争の第一の、そしてもっとも明白な意図せざる結果は、アメリカ合衆国にとっての恥辱にみちた敗北にほかならない。ベトナム戦争は、この大統領を思いがけず破滅させただけでなく、ジョンソン大統領の「貧困との戦い」や「偉大な社会」という抗争にも終止符をうつことになった。巨額の戦費が引きおこしたインフレ、戦争中に起こった行政権力の乱用や市民的自由の侵害行為は、1960年代後半から70年代初頭の全米に、分裂、暴力的抗議活動、不安を生み出した。
 ベトナム戦争の残虐さは、国内における戦争への支持を損なうことになり、1965年には、早くも学生が中心の強力な反戦抗議運動が登場することになった。
著者は、最後に次のように力強く呼びかけています。
 いまこそ、大幅に軍事費を削減し、武力行使よりもむしろ真剣な交渉に従事し、荒廃した社会的・経済的インフラの再建を図るべきなのだ。戦争においてアメリカ合衆国が生み出した意図せざる結果を調査することによって、戦争はおろかであり、無駄であることを示した。ひとたび、この見解が認められたら、戦争以外の手段が無限に可能となる。
 まことにそのとおりです。本当に心からの拍手を送ります。すばらしい教訓と呼びかけにみちあふれた本です。じっくり読む価値のある本として、おすすめします。
(2010年6月刊。2800円+税)

2010年9月 1日

ラ米取材帖

 著者 伊高 浩昭、 ラティーナ 出版 
 
 はじめ、この本のタイトルの意味が分かりませんでした。ラテン・アメリカを「ラ米」としたのです。つまり南アメリカのことです。もっと分かりやすいタイトルをつけてほしいですよね。
 1967年以来、48年間に及ぶラテン・アメリカ取材の記録が一冊の本にまとめられています。まさしく現在のラテン・アメリカは今昔の感があります。かつての反共・軍事独裁政権は、いまや、どこの国にも存在せず、対米自主外交というより、反米傾向が強くなっています。これは、それだけアメリカがこれまで無茶苦茶なことをやってきたことの反動、裏返しなのだと思います。
 アルゼンチンでは、肉と言えば、牛肉を意味する。でなければ羊肉だ。豚肉や鶏肉は常識では肉に入らない。肉は、すべて炭焼きか特殊なオーブンでのあぶり焼きで、ステーキは脂身か赤みの中に溶け込むように長時間かけて焼く。口に入れると、とけてしまいそうに軟らかい。パリージャの珍味は、特別注文の牛の睾丸である。
軍隊のないコスタリカの話がもっとも興味をひきます。
 軍がなければ、外交に攻撃性がなくなる。他国からも警戒されない。外交が不備でも軍が強いからといった誤った安心感を人民に与えることがなくなる。戦争は起こりえない。軍がなかったから戦争にならなかった。軍がなければ、仮想敵国がなくなり、他国の軍縮を促すことになる。武器生産国から武器禁輸の圧力をかけられなくなる。武器が手元にあれば使いたくなるだろう。なければ使えないし、使わない。武器よ、さらばだ。
 軍隊を廃止した最大の利点は、国の富を社会開発にまわせること。教育や福祉にまわせる。
 軍はクーデターの道具だから、軍がなければ、軍事独裁はありえない。
 軍という武装した政治的圧力団体が消えれば文民社会だけになり、真の対話が成り立つ。社会正義の理念をもとに合意が生まれ、これが政策になる。平和教育が説得力をもつ。軍があれば、平和教育は鈍る。
 国内総生産(GDP)の10.7%を教育と保健にまわし、政府の存在価値を示している。兵士ゼロの社会では、人民の生活が良くなる。一人あたりGDPは、他の中米諸国の2倍以上で、非識字率は4%と最低になっている。
 平和ボケって非難されることの多い日本ですが、コスタリカの話って実に説明力がありますよね。
 キューバにいたチェ・ゲバラが、なぜ今もって世界中で抜群の人気を誇っているのでしょうか? 著者の考えは、次のとおりです。死後40年もチェはなぜ、これほどまでに人気があるのか。答えは、正義に欠ける現代社会が、いぜんとして、いや、ますます正義の実現のために不正義と戦い抵抗する象徴であるチェを理想的価値の体現者として必要としているということだろう。
 最近にもチェ・ゲバラを主人公とする映画が出来て、みましたが、それほど現代社会には不正義が目に見える形ではびこっているのですよね・・・・。
ベネズエラのチャベス大統領は新しい社会主義をめざしています。明らかに反米主義です。そして、この本は、その陰の面も指摘しています。
 カラカスをはじめ、都市部では凶悪犯罪が激発し、政官界では国際原油価格の高騰で入る、潤沢な「あぶく銭」をかすめとる腐敗が蔓延している。巷での凶悪犯罪と当局者の腐敗は、明らかに社会を劣化させている。これでは革命基盤まで腐食してしまわないか心配になってしまう・・・・。
 南アメリカの歴史とその断面を知ることの出来る本です。
 
(2010年5月刊。1905円+税)
 フランス旅行の楽しみは何ですかと訊かれ、私はすぐに美味しい料理が食べられることです、と答えました。農業国フランスは、食を大切にしています。食材も味付け、盛り付けも本当に心が配られていて、美味しいのです。人生を大切にするということは食を大切にすることなんだなと実感させられます。
 リヨンのホテルからタクシー20分で(30ユーロ)ポール・ボキューズに行ってきました。三つ星レストランとして、世界に名高いところです。食事中にマダムが挨拶にまわってきました。
 ここでは、コース料理ではなく(食べきれないのを心配して)、クネルとリ・ド・ヴォーを注文しました。クネルは白身魚のすり身ゆでたもので、はんぺんに似た食感です。リ・ド・ヴォーは仔牛の胸腺肉で、少しとろっとした肉です。ワインは少しだけはりこんでヴォーネ・ロマネの赤にしました。そしてデザートはスフレにしました。いやあ、さすがに実に美味しかったですよ。

2010年8月29日

これからの「正義」の話をしよう

著者:マイケル・サンデル、出版社:早川書房

 アメリカという国は、実にふところの奥深い国だと思わせる本です。天下のハーバード大学で史上最多の学生を集めている講義が再現された内容の本です。私はみていませんが、NHK教育テレビで連続放映され、日本でも話題になっているそうです。
 ことは、きわめて重大な「正義」を扱っています。とっつき易いのですが、その答えとなると、とても難しく、つい、うーんと腕を組んで、うなってしまいました。
 たとえば、こうです。アメリカの大企業のCEOは、平均的な労働者の344倍の報酬を手にした。1980年には、その差は42倍だった。この格差は許されるのか?
 アメリカの経営者は、ヨーロッパの同業者の2倍、日本の9倍の価値があるのだろうか?
 いま、日本の経営者(日本経団連)は、その格差を小さくしようとしています。アメリカ並みに労働者と格差を何十倍ではなく、何百倍にしようと考えています。その具体的なあらわれが、消費税10%引き上げであり、法人税率の引き下げ(40%を20%へ、半減)です。ますます格差をひどくしようなんて、とんでもありませんよね。
 アメリカの金持ち上位1%が国中の富の3分の1以上を保有し、その額は下位90%の世帯の資産を合計した額より多い。アメリカの上位10%の世帯が全所得の42%を手にし、全資産の71%を保有している。アメリカの経済的不平等は、ほかの民主主義国よりも、かなり大きい。アメリカン・ドリームなんて、夢のまた夢、幻想でしかありません。
 アメリカは、現在、徴兵制ではなく、志願制である。イラクのような戦地に勤務する新兵の出身は、低所得から中所得者層の多い地域がほとんどである。貧乏人は兵隊になって戦地へ行き、死んでこいというわけです。
 アメリカ社会でもっとも恵まれている層の若者は兵役に就くことを選ばない。
 プリンストン大学の卒業生は、1956年には750人のうち過半数の450人が兵役に就いた。しかし、2006年には卒業生1108人のうち、軍に入ったのは、わずか9人だった。ほかのエリート大学も同じ。連邦議会の議員のうち、息子や娘が軍隊にいるのは、わずか2%のみ。
 2004年、ニューヨーク州の志願兵の70%が黒人かヒスパニックで、低所得者層の多い地域の出身だった。最高4万ドルという入隊一時金や教育を受けられるときの特典は、きわめて魅力が大きい。
 いくつもある考えるべき課題を明らかにしてくれる、実に哲学的な本です。
(2010年6月刊。2300円+税)

2010年8月22日

古代アンデス、神殿から始まる文明

 著者 大貫 良夫・加藤 春建 、朝日新聞出版 
 
  古代アンデス文明の発掘調査を日本の学術調査団が50年も続けているというのです。すごいものですね。そして、地道な発掘調査のなかで金製品の副葬品を発見するなどの成果をあげています。ただ、その発掘・発見した遺跡・遺品の維持・保存には大変な苦労があるようです。現地の人々の生活との調和を図るというのは、口で言うほど易しいことではないのでしょうね・・・・。
 この本で驚いたのは、権力者が確立してから神殿がつくられたのではないという説が提唱されていることです。ちょっと逆ではないのかしらん、と思ったことでした。
 カラー写真つきで紹介されていますので、雄大な規模の遺跡であることがよく分かりす。
アンデス古代文明といっても、本当に古いのです。前2500年から前1600年前のコトシュ遺跡、前1000年から前500年のワカロマ遺跡、前800年前から前550年のクントゥル・ワシ遺跡、前1200年から前700年のパコパンパ遺跡などが紹介されています。
ちなみに、有名なナスカの地上絵は紀元前後から6世紀にかけてのものですから、かなり時代は下ります。
日本の学術調査団は、土器よりむしろ神殿に注目した。土器以上に社会発展においては神殿の役割が重要であると考えた。神殿の建設や更新、そこで執り行われる祭祀を通じて社会が動き、農耕などの生業面を逆に刺激していったと確信した。
 太陽の神殿ワカ・デル・ソルは、長さ342メートル、幅159メートル、高さ40メートル。この建造に1億4300万個の日干しレンガが用いられた。レンガに印がついている。それは、製造した村をあらわすもので、支配地域にレンガが納入を強要した証拠と考えられる。  古代アンデス文明の豊かさを知ることは、人類はかつて野蛮でしかなかったという俗説を打ち破ることにつながります。知的世界をぐーんと広げる本でした。 
(2010年2月刊。1400円+税)

2010年8月11日

アマゾン文明の研究

 著者 実松 克義、現代書館 出版 

 南アフリカのアマゾンに実は高度な文明社会があったという驚くべきレポートです。2段組350ページの大部な本ですが、信じられないような事実が満載でした。
 アマゾンには世界最大の熱帯雨林がある。アマゾンは世界最大の河川である。そこに存在する水量を世界中の淡水の20%に達する。川が作り出す流域面積はアメリカ合衆国に匹敵する。
 アマゾン川の特徴の一つは、水源の多さである。無数といってようほど、多くの水源があるので、最奥の源流を特定するのは困難である。
 アマゾン川の河口は350キロを越える。河口に九州ほどの島、マラジョ島が存在する。世界中の生命種の3分の1以上がアマゾン熱帯雨林にいると言われるほど、生命種の多様性が存在する。
 このまま行けば、アマゾンの熱帯雨林は数十年のうちに消失すると予想される。この破壊は肉牛のための牧草地の確保と大豆などの農業地の確保による。
このアマゾンは、人間とは無縁の未開の処女地と思われてきた。しかし、最近になって、実は、この地域にかつて大規模な人間の営みがあったことが分かりつつある。アマゾンの各地で古代人が建設した大規模な居住地、道路網、運河網、堤防システム、農耕地あるいは養魚場が発見されている。
アマゾン上流には、紀元前2000年ころからモホス文明が存在した。ただし、規模が大きくなるのはキリスト誕生ころから500年までのこと。
 その過酷な自然環境を人間が居住しやすいように造りかえるという大土木工事を実施した。運河網をつくり、農業システム、魚の養殖システムを構築した。そのためにはリーダーを頂点とする強力な政治組織、統治形態が存在した。ここには、大量の土器類が存在した。アマゾン各地に非常に大規模な古代文明が存在した。これらの社会は規模の大きさからして、巨大な人口を擁していたと考えられる。
 当時のアマゾンの人口密度は非常に高かった可能性がある。各地で大規模な居住地が建設され、また食料生産のための農業技術、あるいは農耕地の開発が行われた。
 その結果、現在550万平方キロもある熱帯雨林の大半は開墾された農耕地であった可能性がある。しかし、アマゾン全域を統一するような超国家的社会は存在しなかったと考えられる。
 アマゾン地域には、コロンブス到来時には1000万人もの人口があったと言われるが、実はこれは控え目ではないか・・・・。
 うへーっ、し、しんじられませんよね。こんなことって、本当なんでしょうか・・・・。
 まあ、事実は小説より奇なり、と言いますからね、どうなんでしょう。
(2010年3月刊。3800円+税)

2010年7月30日

ヤノマミ


 著者 国分 拓、 NHK 出版 
 
 アマゾン奥地で1万年来の生活習慣を守って住み続けるヤノマミの人々と150日間にも及ぶ同居生活を過ごした日本人による、驚きのルポルタージュです。まずもって、その勇気に敬服します。そして、大病もせず、なんとか無事に帰国できたことにさらに敬意を表します。ヤノマミとは、彼らの言葉で「人間」を意味する。ヤノマミは、「文明」による厄災から免れている奇跡的な部族である。
 アマゾンの奥深く、ブラジルとベネズエラにまたがる広大な森に生きる先住民であり、推定3万人ほどが200以上の集落に分散して生活している。
 ヤノマミはシャボノというドーナッツ型の巨大な家に住む。家の直径は60メートル、中央部分は空地になっている。家族ごとの囲炉裏があり、柱にハンモックが吊られている。囲炉裏と囲炉裏の間に間仕切りはない。だから、食べているときも、寝ているときも、そして性行為の最中でさえ、他人から丸見えとなる。シャボノには「プライバシー」がまったくない。うひょお、こんなところに日本人が入り込んで3ヶ月間も生活していたんですか・・・・。もちろん、初めのうちは現地のコトバもまったく通じません。そんななかで、よくぞ生きのびたものです。
祝祭のための狩りを除いて、腹が空かない限り、狩りにはいかない。好きなときに眠り、腹が減ったり狩りに行く。起きて、食べて、出して、食糧がなければ森に入り、十分に足りていれば眠り続ける。「富」を貯めこまず、誇りもしない。
 女たちは集団で畑仕事をする。そのときには、いつも笑い声が絶えない。ヤノマミの人々は性に大らかだ。いわゆる「不倫」は日常茶飯事で、身体だけの関係や遊びにしか思えない性交渉も多い。
 ヤノマミの話は、反覆が非常に多い。文字を持たないヤノマミにとって、必要な情報は言葉で伝えるしかない。だから大切なことは、すべて記憶しなければいけない。それで、情報は何度も何度も繰り返して伝えられる。
 ヤノマミの男は、1歳にならないうちから玩具の弓矢を親からもたされ、使い方を身に着ける。10歳になったら親や兄弟の狩りについていって、狩りの仕方を覚えていく。
 ヤノマミの社会では、一人で獲物をとれないうちは男として認められない。
 ヤノマミは、動物の胎児を決して食べない。そのまま森に置かれ、土に還される。
 ヤノマミのしきたりでは、死者に縁のあるものは、死者とともに燃やさなければならない。そして、死者にまつわるすべてを燃やしたのち、死者に関するすべてを忘れる。名前も、顔も、そんな人間がいたことも忘れる。ヤノマミは、死者の名前を決して口にしない。
 死者の名前を口にしないのは、思い出すと泣いてしまうからだ。その人がいなくなった淋しさに胸が壊れてしまうからだ。ヤノマミは言葉にせず、心の奥底で想い、悲しみに暮れ、涙を流す。死者の名前を忘れても、ヤノマミは泣くことを忘れない。年に一度、死者を掘り起こして、その骨をバナナと一緒に煮込んで食べる祭りがある。死者の祭りと呼ばれている。だから、ヤノマミには墓がない。遺骸は焼いて、埋めて、掘り起こして食べてしまう。ヤノマミにとって死とは、いたずらに悲しみ、悼み、神格化し、儀式化するものではない。われわれには見えない大きな空間の中で、生とともに、ただそこに有るものなのだ。
ヤノマミの長老にも、長老会議にも、国家権力や法律のような、暴力や報復装置をともなう強制力はない。ここでは、残ることも出ることも、結局のところ、個人の自由である。
 妻の不倫が発覚したとき、三つのルールがある。一つは、制裁を受けるとき、間男は抵抗してはならない。二つは、間男を殺してはならない。三つは、妻は制裁を受けない、ということ。すごいルールですよね、これって・・・・。
 ヤノマミの男にとって理想の女とは、身体つきが豊満で、よく働き、よく笑う女である。そして、ヤノマミの女は、おしなべて気が強い。
 ヤノマミの女は必ず森で出産する。あるときは一人で、あるときには大勢で、しかし必ず森で出産する。ヤノマミにとって、生まれたばかりの子どもは人間ではなく、精霊なのである。ヤノマミの子どもは、4歳から5歳になるまで、名前がない。
 ここには、「年子」はいない。なぜか?精霊か人間か、ここでは母親が決める。どんな結論が下されても、周りはそれを理由も聞かずに受け入れる。そして人間として迎え入れた子どもを両親は生涯をかけて育てる。男も、何も言わず狩りの回数を増やす。ヤノマミの男は、出産には一切関わらない。関心をもたず、立会いもしない。人間の血を大量に見ると、男がもっとも大切にしている勇気が失われると思っている。
 2007年11月から、2008年9月まで、3回にわけて、合計150日間もヤノマミの人々のなかで生活した体験記です。すごい本だと感嘆してしまいました。人間とは何かを考えさせてくれる本です。それにしてもヤノマミに不倫が多いなんて、現代日本とよく似ているので、つい笑ってしまいました。
(2010年3月刊。1700円+税)

2010年7月21日

アメリカから「自由」が消える

著者:堤 未果、出版社:扶桑社新書

 私は久しくアメリカに行っていませんが、この本を読むと、ますますアメリカに行く気が薄れてしまいます。
 だって、空港で「ミリ波レントゲンによる全身スキャナー」(ミリ波スキャナー)で全身画像をとられてしまうのですよ。素っ裸にされるようなものです。
 この「ミリ波スキャナー」は、現在アメリカ国内19の空港に40台も設置されている。アメリカ政府は、「ミリ波スキャナー」150台を2500万ドル(25億円)で購入し、2010年初め、さらに300台を追加注文した。値段は1台につき15万ドル(1500万円)。
 このミリ波スキャナーに乳ガン手術で左胸に埋め込んだシリコンが引っかかった。人工肛門の人が引っかかり、その場で下着をまくって職員に見せなければいけなかった。
 このようにして身体内に埋め込んだインプラントの存在を空港でさらけ出さなくてはいけなくなる。
 さらに、私なんかが載っているとは思っていませんが、空港で警備・搭乗拒否リストが際限なく増えているというのです。
 搭乗拒否人物4万千人、搭乗の前に追加でセキュリティ・チェックを要する人物7万5千人。9.11前にリストにあったのは、わずか16人だったのが、今や11万9千人に増えている。そのなかには、緑の党のメンバーやキリスト教系平和活動家、市民派弁護士もふくまれている。
 さらに、アメリカ政府は、人々の頭の中を読みとれる装置を企業に開発させているという。たとえば、テロ関連画像を見せられ、反応する瞳孔の開き方や心拍数の変化、体温の上昇などを、最新式の「読心センサー」に読みとらせる。また、対象者の掌を通して、「敵対的な思想」を感知する技術が開発されていて、既に空港で試験中である。うへーっ、や、やめてくださいな。それはないでしょう・・・。
 今や、この警備業界は大変な成長産業になっている。2003年の時点で登録した企業は569社。利益は15兆円をこえた。それからさらに増えて、2010年には1800億ドル(18兆円)という大規模な巨大市場に成長している。
 うへーぇ、テロ対策がアメリカでは、早速にも、お金もうけの舞台になっているのですね。いやですよ、そんなこと・・・。
 9.11以降、ニューヨーク市内にある監視カメラは激増し、地下鉄だけで2000台、市営住宅には33000台をこえる監視カメラが設置されている。ニューヨーク警察が2008年に導入したヘリコプターは、3キロの上空から人の顔が識別できるハイテク仕様だ。
 日本がアメリカのようになってはいけないことを改めて痛感させらる本です。読みたい本ではありませんが、知っておかなければいけない現実です。
(2010年4月刊。700円+税)

2010年6月 2日

グリーン・ゾーン


著者 ラジブ・チャンドラセカラン、 出版 集英社インターナショナル

 グリーン・ゾーン内では、食べ物のすべて、ホットドック用のソーセージを茹でる水まで、イラク国外の指定業者から調達するべしというアメリカ政府の規則がある。
 そこでの料理は、みんなが故郷にいるような気持ちになれる者でないといけない。その故郷とは、アメリカ南部を指す。
 共和国宮殿の中ではワシントンの連邦政府庁舎と同じ規則が適用されている。誰もが身分証明書用のバッジをつけ、天井の高い大広間では行儀よくすることが求められている。
 グリーンゾーンの外に出るには、最低でも自動車を2台連ねなくてはならず、しかも、それぞれM16ライフルか、それ以上に強力な武器を携行することになっている。
 ブレマー総督がグリーンゾーンを出るときには、2台の多目的装甲車が先導する。片方の屋根には50口径の機関銃が据え付けられ、もう片方は手榴弾発射装置を載せている。それと同じ武装の装甲車のペアが後方を固めている。4台の装甲車のすべてに、M16ライフルと9ミリ拳銃で武装した兵士が4人ずつ乗っている。4台の装甲車に前後を挟まれて縦隊走行する3台のGMCサバーバンが厳重な警護という分厚い甲羅の、いわば「中身」だ。
 イヤホンを耳に挿し、M4自働ライフルを抱え、胴体を覆うケヴラー社製の防弾チョッキは、カラシニコフの銃弾も跳ね返すセラミック補強板入りである。彼らは全員、階軍特殊部隊SEALのOBで、民間警備会社ブラックウォーター社の職員だ。
 ブレマー総督の乗るサバーバンは、窓は2センチ近い暑さの防弾ガラスで、ドアはRPG弾の攻撃を受けても大丈夫のように鋼鉄の板で補強してある。CPA職員を集めるときには、ブッシュ大統領と共和党に対する忠誠心が重視された。
ブレマー総督を護衛する傭兵は、1日1000ドルの報酬を受け取る。

 バクダッド市内では何百台ものパトカーが盗まれ、個人タクシーに転用されていた。
 戦争終結直後、当時のバクダッドの恐怖と無秩序は、宝の山だった。
 イラクにおける医療サービスは、長いこと、すべて無料だった。
 イラクの原油埋蔵量は世界2位か3位だが、イラクの製油所の精製能力では、突然倍以上に増えた自動車すべてのガソリンタンクを満たすことはできなかった。
 CPAがイラクへの輸入車の関税をゼロにしたおかげで、ヨーロッパじゅうから安い中古車に流入した。渋滞が慢性化するのは当然だった。
 イラクで選挙を実施するうえで最大の障害は、長いこと国勢調査が実施されていないということ。国勢調査なしでは、各県の人口も把握できず、したがって、議席数の配分も決められないことになる。
 サドル師が指揮する暴動に直面して、イラク全土の警察や政府系の民兵組織があっけなく崩壊したことに、CPAは驚愕した。その数日後、ファルージャでの市街戦で、アメリカ海兵隊を支援するよう命じられた新生イラク軍の大隊が命令に従うどころか反乱を起こしたことに、CPAはまたしても驚いた。
 この2つの事件から、ブレマーによる1日イラク軍の解体命令のあと、新しい警察と軍隊をゼロから作り直すというCPAの戦略の根本的な欠陥が明らかになった。ちなみに大暴動が起きた時点で勤務していた警官9000人のうち、6500人が訓練を受けていなかった。また、警察にも民兵4万人の市民防衛隊にも十分な装備を支給していなかった。
 「ファルージャ旅団」と名付けられた旧イラク軍人部隊の投入は大失敗に終わった。彼らは、アメリカ海兵隊の配った砂漠戦用の迷彩服ではなく、旧イラク陸軍の戦闘服を着用した。そして、反乱軍と対決するどころか、元軍人たちは、ファルージャに向かう道の検問所に陣取るだけだった。いや、やがてそれもやめた。結局、海兵隊が「ファルージャ旅団」に渡したカラシニコフ機関銃800挺、ピックアップトラック27台、無線機50台は、いつのまにか反乱軍の手に渡っていた。
 アメリカによるイラク占領の実に寒々とした実体がこれでもか、これでもかと明らかにされています。侵略者アメリカはイラクからすごすごと退散していくしかなかったのです。
 といっても、2009年10月までにイラク駐留外国軍兵士の死者は4667人。そしてイラク人の死者は10万人から60万人にのぼるというのです。これは、9.11の死者3000人をはるかに上回る大変な数字です。事実を直視しなければいけません。
 私は、アメリカ映画『グリーン・ゾーン』も見ましたが、イラクに大量破壊兵器がないことを知りながらイラクへ侵攻させたアメリカ政府の責任はきわめて重大です。おかげで世界平和がまたまた遠のいたように思います。
(2010年2月刊。2000円+税)

2010年5月16日

カデナ

著者:池澤夏樹、出版社:新潮社

 私が物心ついたころ、既にベトナム戦争は始まっていました。大学生のころは、その絶頂期でした。あとで知ったのですが、私とまったく同世代のアメリカ人青年がベトナムのジャングルに送られ、「ベトコン」と戦い、殺し、殺されていたのです。50万人ものアメリカ兵がベトナムに送られていたなんて、とても信じられません。いま、イラクにも50万人ものアメリカ兵はいないでしょう。そして、ベトナムに送られたアメリカ人の1割にあたる5万5千人の青年が戦死しました。もちろん、ベトナム人の死者は桁が2つも違います。
 今も当時も、私には、アメリカのベトナム戦争に大義があったなんて考えられません。まさに大義なき侵略戦争でした。アメリカ帝国主義の威信をかけた侵略戦争です。超大国アメリカが最新兵器を続々と送り続けて、ついにベトナムの人々から惨めに叩き出されてしまったのです。サイゴンのアメリカ大使館からヘリコプターにぶら下がって逃げ出していくアメリカ人の醜い姿を見て、みんなで手を叩いて喜んだものでした。侵略者の哀れな末路です。
 この本は、まだアメリカがベトナムに北爆していたころ、沖縄でのささやかな反戦運動をテーマとしています。
 アメリカ空軍のB52がベトナムの上空に入りこんで、大々的に爆弾を落としていきます。ひどいものです。許されることではありません。そのルート、目的地、日時を探り出し、ベトナムに伝達する。それを使命とした人が沖縄にいたのでしょう。沖縄から飛び立つB52の操縦士たちに近づいて情報を得て、ベトナムに知らせるのです。それをフツーの市民がやっていたのでした。そして、アメリカの脱走兵を逃がす仕事もありました。
 B52機が沖縄の基地で、大爆発するという事故も起きました。
 ベトナム人を虐殺するのに関わって罪の意識にさいなまれ、悩むアメリカ兵も登場します。そうでしょうね。人間として当然の反応です。
 日常生活の淡々とした情景描写のように見せて、沖縄におけるベトナム反戦の取り組みの一コマを垣間見せてくれる貴重な本だと思いました。
 私にとっても、この小説の舞台となった1968年は忘れられない年です。大学2年生のとき、東大闘争が始まったのでした。
(2009年10月刊。1900円+税)

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