弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2011年7月 6日

リンカン(上)

著者    ドリス・カーンズ・グッドウィン  、 出版   中央公論新社

 人民の、人民による、人民のための政治。
 忘れることの出来ない、きわめて簡潔な民主主義政治を言いあらわした言葉(フレーズ)です。アメリカを二分して何十万人もの戦死者を出した南北戦争。それを引っぱっていったアメリカの大統領として、リンカン大統領ほど有名なアメリカの大統領はいません。そのリンカンは、実は貧乏な家に生まれ無名の弁護士としてスタートしたのでした。そして、意外にも大統領選挙に勝ち抜くや、それまでの政敵たちを自らの内閣の有力メンバーに取り込み、しかも相互に深い信頼関係を築き上げたというのです。オバマ大統領がヒラリー・クリントンを国務長官にしたのと似ていますね。ただ、リンカンも、軍隊の指導部の人選には苦労したようです。さまざまな派閥均衡人事が軍事作戦にプラスするとは限らないのでした。ただ、リンカンには時の運がありました。
 リンカンの容貌は、とても美男子に属するものではなかった。漆黒のもじゃもじゃ頭、しわの深く刻まれた褐色の顔、深く窪んだ両眼は、実際の年齢よりも老けこませていた。しかし、リンカンがいったん口を切ると、悲哀にみちた表情はたちまち霧散した。愛嬌のある笑顔を輝かせ、一瞬前まで悲しみで凍てついていたところに、鋭敏な知性を、心底からの本物の優しさを、そして真の友情の絆を認めることができた。なーるほど、すごいですよね。
リンカンは、人生を肯定するのに十分なユーモアのセンスと失敗からはいあがる絶大な回復力を有していた。若いリンカンに強い自信をもたせたのは立派な体格と腕力だった。明るく冴えた、好奇心の強い、そして極端に辛抱強い心根は、リンカンの持つ生来の資質だった。
 子どものころ、父親のにっちもさっちもいかない田畑で長時間はたらかされた経験のあるリンカンは、土を耕すことがロマンチックだとも気晴らしになるとも一向に思えなかった。
 当時のアメリカは、若者たちの国だった。28歳のリンカンも文化講演会で熱っぽく語った。リンカンの父親は、読み書きを一度も学んだことがなく、文字を書くといっても、自分の名前をへたくそに署名するだけだった。
 リンカンの育つ過程で最初の自信を植えつけたのが実母の愛情と支援のなせる業であったとしたら、それを後々支払えたのは、リンカンを実子のように愛した継母だった。
 1850年ころのアメリカは、人口2300万人。その大部分は田園地帯の広がる国で、人々の最大の関心事は政治と公共の問題だった。政治の闘士の第一の武器は弁舌力だ。雄弁の才能は政治の世界で成功を手にするカギだった。リンカンも幼いころから、その切り株の上に立って遊び仲間に演説しては腕を磨いていた。
 1852年に発刊された『アンクル・トムの小屋』は、1年のうちに30万部を売り上げた。リンカンは奴隷所有者を手酷く叱りつけるよりは、むしろ彼らの立場に立って共感することで理解しようと努めた。
リンカンは、努力、技量、幸運の組み合わせによって着実に地歩を固めていった。リンカンは確実に知っていること以外はみだりに口にしなかった。言葉に対する生来の細心な感受性と精確さ。また、さまざまな聴衆を前にして滅多に迎合しなかった。
奴隷制度問題だけに争点をしぼって選挙を戦っていたら、リンカンは敗北していたかもしれない。
 南北戦争が始まったとき、北部の熱狂的な連帯意識は、南部の勢力と覚悟を見くびっていた。戦争を60日以内に終結するものと予測していた。しかし、ブルラン戦での目をむくばかりのどんでん返しと壊滅的な敗走を経て、北部人たちの抱いていた勝利への容易な錯覚は霧散した。
 上巻はリンカンが大統領になるまでの苦労、そして南北戦争がついに勃発したところで終わっています。リンカンを知るって、アメリカを理解するためには不可欠なんだと改めて思いました。上巻だけで630頁をこす大作であり、読みごたえ十分です。
(2011年2月刊。3800円+税)

2011年7月 2日

世界終末戦争

著者    マリオ・バルガス・リョサ  、 出版   新潮社

 ノーベル文学賞を受賞した作家の本です。1981年に書かれていて、2段組で700頁もある大長編です。登場人物も多いし、いくつもの異なった場面が断章として次々に登場してくるので、とてもわかりにくい本です。そして、その並べ方が物語の時間とは必ずしも一致しいていないため、読者は頭のなかで行ったり来たりさせられ、まごついてしまいます。私にとっては、とてもわかりにくい本でしたが、最後に訳者は、「とても分かりやすい小説」だとしています。本当でしょうか・・・。
 それはともかく、19世紀のブラジルで実際に起きた事件を顕在とした小説なのです。
 ブラジルには人類ないし肌の色をさし示す単語が300もある。1822年にポルトガルから独立して、ブラジル帝国となり、1888年の奴隷解放をへて、ブラジル共和国となった。
 ブラジルは植民地時代から一貫して海岸部だけで成り立つ国家だった。取り残された内陸部がセルタンウ(閑地)だった。そこに、原住民と白人そしてインディオとの混血者が大多数を占め、カプクロと呼ばれる。セルタンゥ人は、最近でも1958年そして1970年に異動を起こしている。この本は、それよりもずっと以前、1897年に起きたカヌードス反乱を取りあげている。
 民衆の代弁者としてたてまつられるコンセリェイロは1876年ころにはブラジルでよく知られる存在になっていた。ブラジルは、共和制になった1893年に迫害されるようになった。
 コンセリェイロとその信者は、ジャグンソ(反徒・盗人)と呼ばれるようになった。カヌードスという町に集まり、やがて住民は3万人にもなった。そこへ、新生ブラジル共和国が軍隊を派遣して鎮圧しようとした。1896年11月、鎮圧に向かった軍隊が、信者たちに敗北して逃げた。翌年2月のモレイラ・セザル隊は勇猛の名をほしいままにした精鋭の軍隊だったが、一日で壊滅してしまった。
 このようにして一年も続いた鎮圧戦によって信者たちは敗北した。しかし、この1年間にブラジル共和国政府は、7500人もの兵員を送り込んで、そのうち2600人もの死傷者を出した。これは近代軍としては敗北に近い結果だ。
 信者軍は、現地に無能な共和国の正規軍を、あらゆる手段を駆使して徹底的に悩ませ、やっつけた。つまり、ゲリラ戦に勝った。結論はともかくとしてまるで、アメリカによるベトナム戦争を想起させる展開です。
 決して読みやすい本ではありませんが、ブラジル史に興味のある人には必読だと思いました。
(2010年12月刊。3800円+税)

2011年6月17日

「フィデル・カストロ」 (上)

著者   イグナシオ・ラモネ   、 出版  岩波書店 

キューバのカストロが自分の一生をジャーナリストとの対話のなかで振り返っています。存命中に歴史と伝説のなかに迎えられる光栄に浴することのできる人物は、きわめて少ない。カストロはその一人であり、国際政治の舞台に残る最後の「聖なる怪物」である。
カストロは、世界でもっとも長く政権を担った国家元首だ。32歳だったカストロが当時のバチスタ政府軍を打ち破って1959年1月にハバナに入城したまさに同じ日に、フランスでドゴール将軍が第五共和制の最初の大統領に就任した。カストロは、それから、アメリカの10人もの歴代大統領と対峙した。
 アメリカは、キューバ体制の転覆を目ざして活動している組織に一貫して財政援助をしてきた。その総額は6500万ドルにもなる。2004年に8000万ドルの基金をつくり、また、2005年には240万ドルを支出した。フロリダ州内には、カストロ政権転覆を目ざすテロ組織の訓練基地があり、そこが対人テロなどをキューバに定期的に送り込まれている。アメリカ当局は、受動的ながら、これらのテロ組織と共犯関係にある。
 しかし、キューバ人の全員でなくとも大多数が革命に忠誠をちかっている。これが政治的現実である。それは愛国主義を基盤とする忠誠であり、アメリカの併合主義の野心に対して抵抗してきた歴史に根差している。
 カストロは、キューバ人を飢餓から解放しただけでなく、読み書きできないことからも、物乞い根性からも、犯罪からも、帝国主義への屈従からも開放した。
カストロが、私服を肥やすために地位を利用することのない数少ない国家元首の一人だということは、政敵の多くも認めている。
 一日の睡眠時間は4時間で、週7日間働いている。好奇心は無限で、思考し沈思し、常に警戒し、行動し、新たな闘争を開始する、永遠の反逆者である。カストロの文学上のお気に入りの英雄はドン・キホーテである。
カストロは、孤立した農村で、富豪だが保守的で教育のない両親から生まれ、選良の子弟専用のカトリック上流社会にあったフランコ派の学校でイエズス会士による教育を受け、大学の法学部でブルジョア階級の弟子と対等に付きあっていた。大学予科生のときにはスポーツマンで、最優秀スポーツマンとして表彰された。大学生になったころは政治的に無知だった。反逆精神と基本的な正義の観念をいくばくか抱いてハバナ大学に進学し、革命家になり、マルクス・レーニン主義者になった。それはいくつかの書物のおかげでもある。授業にはまったく出なかった。そして法学部の学生代表に賛成181票、反対33票で当選した。しかし、大学内では学生同士のケンカに見せかけて殺される危険が迫った。なるほど、若いときからたいした人物だったのですね。
 モンカダ兵営の襲撃要員として訓練したのは1200人で、そこで募集を打ち切った。みな若く、20~24才だった。襲撃当日はカーニバルの日だった。それを選び、夜明けと同時に制圧する計画だったので、成功するはずだった。しかし、現場で手違いが起き、結局、失敗した。
 カストロが革命戦争に勝ったのは、軍事戦術と政治戦略の両方のおかげだ。敵は相手が捕虜を殴らず、辱めず、ののしらず、とりわけ殺害しないが故に相手を尊敬する。カストロの革命軍は捕虜を拷問しないことも原則としていた。その手法は潜入して証拠をつかむというもの。肉体的暴力は有効に機能しない。敵の大物暗殺は問題を解決しないどころか、反動勢力は殺された人物を殉教者に仕立て、別の人物を後釜に据えてしまう。
大物の暗殺をせず、市民に犠牲者を出すことなく、テロの手段を行使しない。アフリカのアンゴラにキューバは5万5千人もの軍隊を送った。そして、南アフリカの侵略を食い止め、南アフリカのアパルトヘイトの崩壊にも貢献した。
カストロの語りに詳細な解説がついていて、とても分かりやすい本になっています。
(2011年2月刊。3200円+税)

2011年5月12日

フェイスブック

著者    デビット・カークパトリック 、 出版   日経BP社
 
 エジプトをはじめとするアフリカ北部の民衆の立ち上がりはフェイスブックを手段としていると報じられています。実名で交流するソーシャルネットワークが民衆をつなぐ武器となっていることに驚かされます。
 この本は、そのフェイスブックを立ち上げ、今や26歳の若さで世界的大富豪となったマーク・ザッカーバーグを主人公としています。天才のようです。ザッカーバーグは、高校で数学、天文学、物理、古典で優等をとっていた。フェンシングチームのキャプテンでもあった。語学はフランス語、フブライ語、ラテン語、古典ギリシャ語が流暢に読み書きできる。父親は歯科医、母親は精神科医。ユダヤ人である。うひゃあ、すごいですね。信じられません。
 フェイスブックは実在する個人のアイデンティティにもとづいたネットワークである。フェイスブックのユーザーには1人あたり平均130人の友だちがいる。友だち数の上限は5000人となっている。
 フェイスブックは、グーグルに次いで世界で2番目に訪問者の多いサイトだ。5億人のアクティブ・ユーザーがいる。これは全世界のインターネット・ユーザー17億人の20%をこえる。アメリカのフェイスブックのユーザーは1億8千万人、全人口の3割以上。
カリフォルニア州に本拠を置くフェイスブックは、1400人の社員を擁し、2010年の売上高は10億ドルを超えた。
 20歳のザッカーバーグはCEOとして、断固たる決意と優れた戦略的見通し、そして少なからず幸運に助けられて、フェイスブック社の財政的支配権を完璧に握っている。ザッカーバーグは、何度となく巨額の買収申出を拒絶したのでした。
フェイスブックには毎月200億ものコンテンツが投稿される。フェイスブックはインターネット最大の写真共有サイトであり、他を大きく引き離す。ここには、毎月30枚の写真が投稿される。
ザッカーバーグは、同級生、同僚、友だちといった現実世界での知りあいとの交流を深め、スムーズにするためのツールになることを意図した。
 現実の世界で既に知りあいであるメンバー同士の情報共有のツールとして使われたとき、情緒的にも非常に強力な喚起力がある。だから、楽しみを支えることもあれば、苦痛を与えることもある。
 世界を見渡しても、これはもっともアメリカ製であることを感じさせないアメリカ製のサービスだ。
フェイスブックは75の言語で動作し、世界の人口の98%をカバーしている。フェイスブックは、市民と職員とのコミュニケーションを効果的にするツールとして規模の大小を問わず、多くの官庁に支持されてきた。
フェイスブックの社員の中核は20代である。平均年齢は31歳。会社の時価は3兆円とも4兆円とも言われ、ザッカーバーグの個人資産も6000億円を下らない。大変なIT長者です。
世の中が大きく動いていることを実感させられる本です。ちなみに私はフェイスブックを利用していませんし、今のところ利用するつもりはありません。しかし、いずれは私も利用せざるをえなくなるのでしょうか・・・?
(2011年2月刊。1800円+税)

2011年5月 2日

33人チリ落盤事故の奇跡と真実

著者    マヌエル・ピノ・トロ 、 出版   主婦の友社
 
 チリ鉱山で、700メートルの地底に2ヶ月以上も閉じ込められ、全員が無事に救出された状況が描写されている本です。
サンホセの鉱脈は、1889年に拓かれてから100年以上たっている。坑道は地下800メートルの深さまで、らせん状のスロープになっている。100年もの間、作業員は量りきれないほどの銅や金を採取してきた。
 落盤事故から2週間たった。33人の居場所を探すために、砂漠の地面を掘る掘機を操作していた。ドリルがふっと何かをつき抜けた感触がした。そして、かすかな衝撃があった。急いでドリルを地底から引き揚げる。ドリルを見ると、先端あたりに赤い色がついているのが見えた。地底の作業員たちがドリルに色を塗ったのだ。ドリルの中身を引き抜くと、何かくくりつけたものが出てきた。湿ったビニール袋がくっついている。しかも中に紙が入っていた。くしゃくしゃの紙に文字が書かれている。
「我々33人は、避難所にいて、生きている」
 すごい感激の一瞬でした。しかし、問題はそこから始まります。どうやって救出するか。地底の人たちが耐えられるかです。
やがて地下700メートルの深さから映像が届き、電話で会話できるようになった。地下の気温は34~35度。湿度は80%をこえる。避難所は50平方メートルの広さで50人が収容できる。酸素ボンベで、食料、水が貯蔵されていた。乾電池もライトもある。地下には人工的な昼と夜がつくりあげられた。
 地下の作業員が四六時中、救出のことばかりを考えて過ごすようなことがないように、不安材料はなるべく取り除く。地下の作業員はグループに分かれ、仕事を割り振られてシフト制で働いた。これが士気を高め、雰囲気の改善につながった。
 家族との対面は1分間。そして絶対に落ち込ませないよう、明るく穏やかな話題だけにすることという条件がついた。
アルコールは地下の作業員には差し入れなかった。集団に深刻な精神的不安定をもたらす危険があるからだ。湿度のせいで、より早く汗をかくので、外の環境と同じ方法では、アルコールは身体に吸収されない。
33人の着る服は、特殊繊維のもの。非常に優れた通気性をもち、防水性があって汗を効果的に発散できるため、皮膚を常にドライに保てた。そして、抗カビ作用もあった。
2010年10月13日、70日ぶりに地上へ生還した。救出作戦は23時間に及んだ。
すごいですね。33人もの男たちが70日間も700メートルの地底に閉じ込められ、そして全員が生還したのですからね。勇気と知恵あふれたチリの人々に拍手を送ります。
(2011年2月刊。1500円+税)

2011年4月22日

国家対巨大銀行

著者  サイモン・ジョンソン、ジェームズ・クワック、 出版  ダイヤモンド社
 
 アメリカ人は寡頭制などというものは、よその国で起きることだと考えたがる。アメリカの政治は世界でもっとも進んでいるかもしれない。だが、寡頭制のほうも、もっとも巧妙である。
 1998年にアメリカの金融業界でもっともホットだったのは、デリバティブ取引である。トレーダーとセールスマンは、顧客の「身ぐるみを剥がした」ことを自慢しあっていた。この連中がやっていたのは、顧客には理解できない複雑な商品を仕組んで売ること。それが少しも顧客のためにならなくても、ウォール街の大手銀行は誘惑に勝てなかった。首尾よく規制が回避されると、金融業界は利ざやを確保するためにますます複雑なデリバティブを発明していった。
巨大で強力な銀行は、一段と巨大で強力になって危機からよみがえった。アメリカの巨大銀行は巨大化する一方だ。1983年に全米最大手だったシティバンクの総資産は
1140億ドルで、アメリカのGDPの3.2%に相当した。2007年には、このシティバンクの対GDP比を銀行9行が上回っている。2009年には、バンカメの総資産はGDPの16.4%、JPモルガン・チェースは14.7%、シティグループは12.9%に達していた。
2008年の潤汰で生き残った大銀行は、以前にも増して強大になっている。バンカメは、2009年9月に2兆3000億ドルの資産規模になった。2009年6月の時点で、アメリカの銀行によるデリバティブ契約の95%をわずか5行で扱っている。2009年上半期にゴールドマン・サックスは、給与として114億ドル一人あたり75万ドルを準備した。大変な超高給とりたちです。
韓国の危機は、1990年代に起きた新興市場危機の典型だと言える。有力者とコネをもつ大企業が低利の借り入れで急速に勢力を拡大した。資本主義経済で企業の無責任な行動を防ぐはずの力は働かず、株主は強い発言権をもつ創業者に対しては、ほとんど無力だった。貸し手は、主要財閥の重要性から考えて政府が破綻を容認するはずがないとの前提で、無節操に貸した。民間部内と政府は癒着しており、財閥に恐れるものは何もなかった。
 クリントン政権でもブッシュ政権でも、ウォール街からたくさんの大物が政府の主要ポストに就いている。多くのゴールドマンOBが財務省の顧問をつとめた。ウォール街とワシントンの間にある回転ドアは、金融業界の大物を政府の主要ポストに就ける役割を果たしただけではない。大物銀行経営者と政府高官の間に個人的なつながりができ、その太いパイプを通じてウォール街の価値観を政治の場に吹き込むことが可能になった。
 国内で最も有力な投資銀行の元共同会長が財務長官に就任したという事実自体が政権はウォール街に友好的だというシグナルを発信していた。
この20年間というもの、ウォール街の友人仲間は、日の当たるところで堂々と行動することができた。なぜなら、ウォール街の価値観が、ワシントンで、ニューヨークで、そしてヨーロッパの主要都市でも、政治エリートから熱狂的な支持を得ていたからだ。
過去20年間で、一般市民の目から見ても金融は変わった。あまり信用されない退屈な職業から、現代アメリカ経済を支える輝かしい主役へと変身した。
一流大学や業界紙やシンクタンクや政治の中枢では、金融業界はアメリカン・ドリームに残された最後の希望の星だった。一生懸命に働き、万人を豊かにするような新しい商品を開発し、そして自分も大金持ちになる、そんな夢だ。
アメリカ連邦政府は、サブプライムローンを規制しなかったばかりか、先頭に立って旗振りをした。2000年代には、頭のいい大学生が大金を稼げると現実的に期待できるのは、投資銀行かヘッジファンドに就職することだった。
住宅バブルの崩壊によって、2008年8月までに110万の雇用失われた。その後の1年で、さらに580万人が職を失い、経済成長率はマイナス4%にまで落ち込んだ。失業率は2009年10月に10.2%となった。本来の労働力人口の6人に1人が失業している。
正しい解決策ははっきりしている。大きくてつぶされないような金融機関をつくらないこと、既にできているものは分割することだ。メガバンクの解体・分割なしに健全な経済運営は不可能なのだ。
日本でも巨大銀行の横暴さには目にあまるものがあります。なんでもアメリカ礼賛、アメリカの悪いところまで真似するようでは困ります。町にある身近な信用金庫やJAが成り立つような金融行政であってほしいものです。
(2011年1月刊。1800円+税)

2011年3月 3日

アメリカと宗教

著者  堀内 一史、   出版 中公新書
 1906年、アメリカのプロテスタントは人口の29.2%しか占めていなかったが、2008年には51.3%にまで膨れあがった。アメリカ人って、本当に宗教心が篤いのでしょうか?
 アメリカの歴代大統領のうち、カトリックのケネディ大統領のほか全員がプロテスタントである。カトリックは、2008年に23.9%。1906年には24%だった。人口では増えているが、比率では変わらない。近年、移民数が急増しているヒスパニックはカトリックがほとんど。
 アメリカのユダヤ教徒は1906年に3%、2008年には1.7%と減少した。520万人というアメリカのユダヤ教徒は、イスラエルの500万人に匹敵する。ただし、少数派のユダヤ教徒がアメリカ社会に与えている影響力は大きい。
アメリカのイスラム教徒は人口比で0.6%である。しかし、年に3万人のイスラム教徒がアメリカにやってきて、存在感を強めている。アメリカのイスラム教徒の特色は黒人の存在。人口は50万人から100万人というが、その多くは、キリスト教徒からの改宗者である。
 モルモン教徒は1.7%。かつては一夫多妻制を認めていた。マリオット・ホテルの創業者も信者である。私の住む町にも、自転車に乗って走りまわる白人青年2人組を見かけます。
 公民権運動に対して、南部福音派の白人は公然と敵対した。しかし、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教団体は支援した。保守的な南部福音派の白人は公民権運動を支援した民主党に見切りをつけて共和党支援に転向した。南部福音派の白人の転向は共和党の保守化を推進し、その離脱は民主党のリべラル化をさらに進展させた。
 寛容度と自由度の増大は高等教育の普及と学歴に重要な原因がある。
 共和党の票団とされているプロテスタントの45%がオバマに投票した。
 2006年の中間選挙で共和党が惨敗したあと、共和党の保守陣営や宗教右派はすっかり影を潜めてしまった。
 この本を読むと、テレビなどで華々しく説教していた牧師が相次いでお金とセックス・スキャンダルで摘発されたということを知ります。他人に対しては高尚なモラルを説教していた人物が、実は自らは汚れたお金にまみれ、あるいは買春していたというのです。宗教家も人の子だといえばそれまでですが、それにしても・・・と私なんかは思います。宗教家にも本当に人格高潔な人はたくさんいると思うのですが、金もうけと名声のみを求めている人も少なくないようで、残念な気がします。
 
(2010年10月刊。840円+税)

2011年2月 1日

戦死とアメリカ

著者 ドルー・ギルピン・ファウスト、 彩流社   出版 
 
アメリカにとって南北戦争の重大さを改めて認識させられた本です。南北戦争の続いた1861年から65年までの戦死者は62万人。これは、アメリカ独戦争、1812年戦争、メキシコ戦争、半西戦争、第一次世界大戦そして第二次世界大戦、朝鮮戦争の戦死者数の合計に匹敵する。
 現在のアメリカの人口にあてはめると、全人口の2%、600万人が戦死したに等しい。南軍の戦死者は北軍の3倍。戦える年齢に達した南部白人男性の5人に1人が戦死した。そして、市民も5万人が犠牲になった。南北両陣営とも、この戦争が数年に及び、これほどの規模と犠牲者をだすとは想像もしていなかった。どちらも長く続くものではないと考えていた。北部人210万人と88万人の南部人が武器をもって戦った。
細菌や抗生物質はまだ知られておらず、伝染病や赤痢などが両陣営を襲った。連邦軍兵士の4分の3が深刻な腸障害にかかった。
 南軍の従軍牧師は兵士を前にして「兵隊である皆さんの務めは死ぬことなのです」と説教した。うむむ、なんという説教でしょうか・・・・。
ほとんどの兵士にとって、人を殺すことは克服すべき課題だった。仲間が殺される場面を目撃した兵士は、復讐心に燃えて理性を捨て、恐怖も道徳心もなくした。
 北軍、南軍にかかわらず、兵士たちはすくなくとも初めのうち殺すことに葛藤があった。しかし、やがて男たちは殺すことを楽しむようにさえなっていった。
 射撃能力と射程距離が高度に進化する一方、ほとんど訓練を受けていない志願兵と大規模な軍隊構成が戦闘をますます無秩序化し、士官が部隊を直接コントロールするのを難しくした。
ゲティスバーグの戦場で、弾が込められたまま放置された2万4戦丁の銃が発見された。これは兵士たちが撃てなかったかが、ためらったがために敵に撃たれて死亡し、負傷し、あるいは敗走したことを物語っている。
ほとんどの戦いは91メートル圏内で、お互いの顔が見える範囲で対峙したものだった。黒人の戦死者数はとび抜けて多かった。戦争に行った18万の黒人のうち5分の1は生きて戻れなかった。といっても戦闘そのものより、病気で死んだ数のほうがずっと多かった。
殺すことは戦争の本質である。しかし、それは人間のもっとも根源的な前提、自分自身と他の人間の命の神聖さに挑戦するものであった。殺すことは変化を生み出し、それは容易に元に戻ることはなかった。自分たちと同じ人間が殺され、死体となった。戦場を見てしまったら、かつての自分にはどうしても戻れなかった。
これを読んで、私は、すでに亡くなられましたが元アメリカ海兵隊員だったネルソンさんの話を思い出してしましました。べトナムで人を殺したことのある彼は、そのことがずっと悪夢のようにつきまとっていると語っていました。
南北戦争の舞台となったところは、葬儀屋にとっておおきなビジネスチャンスになった事実も紹介されています。高額のエンバーミングが流行したのです。
南北戦争によって、20万人ちかい北軍兵が、そして21万人をこえる南軍兵が捕虜になった。3万人の北軍兵、2万6千人の南軍兵が捕虜収容所で死亡した。捕虜生活は、「地上でもっとも地獄に近い状態」だった。病院は危険な場所だった。飲料水は汚染され、伝染病が広がった。
著者はハーバード大学の現学長です。アメリカでベストセラーになったそうですが、それだけ南北戦争は現代アメリカ人にとって依然として大いなる関心の対象なのですね。今でもアメリカの各地で、大勢が参加して当時の服装のまま再現した模擬戦を演じているというのにも驚かされます。それにしても62万人という大量の戦死者を出した戦争について、博愛を旨とするはずのキリスト教が無力だった事実は残念としか言いようがありません。アメリカは本当に宗教の国なのでしょうか・・・・。

(2011年2月刊。1600円+税)

2011年1月27日

アメリカ大統領の信仰と政治

著者 栗林 輝夫、 キリスト新聞社  出版 
 
アメリカは宗教の国といいますが、レーガンやブッシュを見ていて、キリスト教の博愛の精神を身につけているというように感じたことは一度もありません。それどころか、大量虐殺の張本人ではないのかという気がしてなりません。この本を読むと、案の定、この二人とも教会にほとんど通ったことがないということです。さもありなん。私は、そう思いました。本物のキリスト教の信者なら、刑務所での虐待とか「捕虜」への拷問を許したり、看過したりするはずはありません。その点、アメリカでは現役時代にはまったく評価されなかったようですが、カーターのほうがよほどキリスト教信者らしいと思います。
 宗教はアメリカの建国以来、アメリカ国民の政治に深くからみあってきた。大統領の信仰も、その例外ではない。歴代のアメリカ大統領は誰もが、宗教がアメリカの政治と切っても切れないことを熟知してきた。宗教が政治に深くからまる現実こそ、アメリカ的な生活様式、アメリカをアメリカたらしめている特長である。
 アメリカは熱烈な宗教国家である。その国民の8割が神の存在を神事、宗教は自分の生き方に大きく影響していると9割の国民が述べる。
 ジェファーソン、カーター、オバマは、自由に神学を論じられるほどに知的で、リンカーンやクリントンは聖書の言葉を自由に諳んじることができた。信仰熱心なはずのブッシュは、自分の属するメソジスト教会と聖公会の違いすら明確に述べることができなかった。多くの大統領は在任中、熱心に教会に通ったが、唯一の例外はレーガンで、8年間の任期中、ほとんど教会に通っていない。
 この本を読んで、リンカーンに謁見した日本人が一人だけいることを知りました。アメリカ彦蔵こと、ジョセフ・ヒコです。1862年のことでした。
アイゼンハワーは、もともと職業軍人だった経験から無謀な軍事行動には批判的だった。なるほど、ですね。アイゼンハワーは、反共宣伝をすすめていたマッカーシーの追い落としをこっそり進めていた。また、黒人の権利擁護に前向きだった。中国への原爆投下にも反対したし、日本への原爆廊下にも反対した。
アメリカって、本当に不思議な国ですよね。個々のアメリカ人レベルでみると善良な人が多いと思いますし、ボランティア活動でも盛んなわけです。ところが、イラクへ軍事侵攻し、今またアフガニスタンへ増派しようとしています。これらが、ますますアメリカへの反感を買っていることを自覚しないまま、多くの国民が政府の言いなりに従軍し、前途有為な青年が戦死させられている現実があります。おおいなる矛盾ですよね。
 アメリカの民主主義を信じたい一面、アメリカで国民皆保険制度の導入を唱えると、それは社会主義的な政策だなんて、とんでもない批判が起きてつぶされてしまうのです。ひどい話です。アメリカ人にどれだけホンネのところで自由な博愛心があるのか、他人を迫害して平気な信仰って一体何なのとめて疑問を持ってしまった本でした。
(2009年2月刊。2000円+税)

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2011年1月18日

肥満と餓死

著者 ラジ・パテル、    出版 作品社
 いま私はダイエットに励んでいます。ビールは卒業しました。間食はしません。炭水化物は少なくしました。ご飯は30回かみます。それでも、なかなか腹にため込んだ脂肪は減りません。
 いま、世界で10億人の人々が飢えに苦しみ、逆に10億人の人が肥満で苦しんでいます。何というアンバランスでしょう。 そして、農業の危機はビジネスチャンスともなっているのです。いま菅政府が財界とマスコミの後押しを受けてやっきになって推進しようとしているTPPも日本の農業を破壊して、さらにビッグビジネスの支配下に置こうというものですよね。
たとえばリンゴ。見栄えの良いこと。ツヤがあって、無傷の果物である。長距離輸送に耐え、見栄えのよいようにワックスの乗りがよい、農薬がよく効いて大量生産に向いた品種が考えられ、つくられている。うへーっ、これはたまりませんね。
イギリスでも、アメリカと同じように6歳児の8.5%、15歳児の10%以上が肥満となっている。砂糖のとりすぎ。朝食のシリアルには砂糖が多すぎる。
アメリカの外交戦略は、飢えた人々はパンきれを持った人の言うことしか聞かない。食料は道具であり、アメリカにとっての交渉カードのなかでも強力な武器なのである。
アメリカのユナイテッド・フルーツ社は中南半諸国の貧困化に一役買っていた。アメリカ国内では知られていないが、これは事実である。
種子の供給において10社が世界全体の半分を占めている。種子にふくまれる大量の遺伝情報は農薬会社が開発したものではない。人々が数千年にわたって利用してきた結果なのである。それなのに、わずかな付加価値を持たせただけで、種子そのものに特許が設定されてしまった。遺伝子組み換え(GM)作物の安全性は証明されてないし、その恩恵は農民にもたらされない。
アフリカで人々が飢えているのは、食料があって売られてはいるけれど、人々がそれを買うことができないからである。慢性的な食糧不足の影響をもっとも受けやすいのは、女性と子どもと高齢者である。子どもは低体重児になっている。近年に起きたアフリカ南部の食糧危機は、世界銀行による一連の政策の結果であり、農薬産業にはビジネスチャンスとなった。
アメリカでは、スーパーマーケットのある地域の方が肥満率が低い。近所にスーパーマーケットが一軒もないのは最悪だ。そして、黒人の多いスーパーマーケットは、意図的に白人の多い地域よりも健康的でない食品をそろえている。健康的な食品の手に入る地域では、果物と野菜の消費量も多い。スーパーマーケットの現実は、「コーラかペプシか」を選ばせているというものである。ファーストフードの店舗は、貧困地区や有色人種の居住地域に集中している。そのうえ、アメリカの貧困地域には、たいていレクリエーション施設がない。消費者は、加工食品をたらふく食わされ、中毒にさらされている。
アグリビジネスの食品とマーケティングは、食に起因する病気を爆発的に増加させ、人間の人体を害し、世界中の子どもたちの身体に時限爆弾を仕込んでいる。うむむ、なんということでしょう・・・。
スーパーマーケットは、安価な高カロリー食品をたくさん取り揃えているが、そのせいで、地域の経済は大打撃を受けている。そして私たちは食べ物の生産現場からも、食の楽しみからも、ますます遠ざけられている。
食生活をもう一度考え直そうという気持ちにさせてくれる大切な本だと思います。
最後に、ぜひ紹介したい言葉があります。ぜひ読んでみてください。JA中央会などが集会を開いたときの宣言の一節です
「地域環境を破壊し、目先の経済的利益を追求し、格差を拡大し、世界中から食料を買いあさってきたこれまでのこの国の生き方を反省しなければならない。自然の恵みに感謝し、食べ物を大切にし、美しい農産漁村を守り、人々が支え合い、心豊かに暮らし続け、日本人として品格のある国家を作っていくため、我々はTPP交渉への参加に断固反対し、さらなる国民各層の理解と支持を得ながら、大きな国民運動に展開させていく決意である」
 まったくここに書かれているとおりではないでしょうか。日本人として品格のある国家を作っていくためには、TPPなんてとんでもないと私は思います。ところが、各紙は一斉に社説でTPP参加に賛成を表明しています。恐ろしいことです。私はここにも例の内閣機密費の影響もあるんじゃないかと勘繰ってしまいます。だって、菅内閣も自民党時代と同じく毎月1億円を自由につかっているのですよ。このなかにマスコミ対策費が入っているのは公知の事実なんですからね・・・。
(2009年2月刊。1600円+税)

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