福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

月報記事

~いのちを、共に支えるために~LGBTQ+の自死予防を考えるシンポジウム

会員 板楠 和佳(76期)

1 はじめに

令和6年3月9日14時から17時半まで、当会2階大ホール及びオンラインにて、「~いのちを、共に支えるために~LGBTQ+の自死予防を考えるシンポジウム」が開催されましたので、ご報告いたします。

この企画は、元々LGBTQ+の自殺防止対策事業に取り組んでいる「プライドハウス東京」という団体から、福岡でもセーフティーネットづくりをしたいということで当会のLGBT委員会にお声がけがあり、同委員会と自死問題対策委員会の共同で昨年の5月に同じテーマで対人支援職の方向けの研修会を開催したところ、非常に好評だったため、今度は広く一般市民の方を対象としたシンポジウムを開催することになったと聞いています。

本シンポジウムは、前半のみたらし加奈さん(臨床心理士、公認心理師、NPO法人『mimosas』代表副理事)による基調講演、後半の五十嵐ゆりさん(レインボーノッツ合同会社代表、NPO法人Rainbow Soup理事長)が司会を務め、後述する各分野の専門家を迎えてのリレートークという2部構成で行われました。

当日は、会場が約40名、オンラインが約60名と、多数の方々にご参加いただきました。

2 基調講演
(1) 性的マイノリティについて基礎的な知識

はじめに、LGBTQ(L:レズビアン(同性愛者)、G:ゲイ(同性愛者)、B:バイセクシャル(両性愛者)、T:トランスジェンダー(性別違和)、Q:クエスチョニング(自身のセクシャリティを決めていない)、クィア)、SOGI(SO:SexualOrientation(性的指向:好きになる対象がどの性に向いているか)、GI:GenderIdentity(性自認:自身の心の性別をどのようにとらえているか))など、性的マイノリティに関する基礎的な知識について解説していただきました。

(2) LGBTQと自死問題との関係性

次に、LGBTQ当事者を取り巻く環境についてお話がありました。現在の日本では、異性愛や性別違和がないことを前提とした法制度や慣習に当事者が排除されていること、差別的発言、そもそも「相談する」という土壌がなく、相談しようと思っても安心して相談できる相談窓口が少ないこと(地域格差)などにより、当事者が生きづらさを抱えやすい環境があります。

実際に、3年おきに実施されているゲイ・バイセクシャル男性を対象とした全国調査によると、いじめ被害経験率が約6割で推移しています。さらに、ゲイ・バイセクシャル男性のうち自殺未遂を経験したことがある人の割合は約9%で、この数字は、異性愛男性の約6倍にのぼります。

現状の日本社会においては、LGBTQ当事者が困難を抱えやすい傾向にあり、自死に至る危険が高いことがわかります。

(3) 私たちにできること、やってはいけないこと

最後に、以上のような現状を改善していくために一人一人にできることや、やってはならないことについてお話しいただきました。

具体的には、社会の中にも自分の中にもLGBTQに対する偏見があることに気づき、そのうえで当事者の言葉を傾聴し受け止める必要があること、相手がLGBTQの当事者である可能性を念頭に、日頃のアウトプットを見直してみること(彼氏・彼女→交際相手・パートナー)、アライ(当事者の味方・支援者)であることを表明することなど、すぐに実践できる助言をいただきました。

そして、他人のSOGIを暴露したり、決めつけたり、カミングアウトを強要したり、揶揄したりしてはならないということを教えていただきました。

3 パネルディスカッション
(1) 学校現場から

1人目の話者、池長絢さん(スクールソーシャルワーカー、精神保健福祉士)には、学校現場におけるLGBTQに関する取り組みについてお話しいただきました。

スクールソーシャルワーカーとは、小中高校に通う児童生徒の心配事を聞き、家庭や学校、地域社会など児童生徒を取り巻く環境を改善する職業です。

池長さんは、スクールソーシャルワーカーとして子どもたちと関わる中で、LGBTQの子どもたちが快適に過ごせるようにするための取り組みに触れることがあるそうです。例えば、呼称を性別によって使い分けるのではなく「さん」に統一する、髪型を規制する校則を性別によって書き分けない、などといった工夫があります。

小中高校時代は、第二次性徴が始まる時期であり、自分の心の性と体の性の不一致に悩みやすい時期です。そのような時期にある子どもたちと接する際には、大人もLGBTQについて学んでいることを伝え、相談しやすい環境をつくることが必要だと言われていました。

(2) 更生支援の現場から

蔦谷暁さん(NPO法人抱僕福岡県地域定着支援センター主任相談員)には、刑事施設からの退所者を支援する活動の中で感じた、社会と個人との間にある見えない障壁についてお話しいただきました。

蔦谷さんが相談員を務める定着支援センターには、身寄りのない出所者やその関係者が日々相談に訪れます。利用者には、障がいを持った人々が多くいます。これまで、障がいは個人の問題として捉えられ、障がいにより生じる困難はいわばその個人の責任であると考えられてきました。そうではなく、障がいを個人と社会にある「障壁」であると捉えると、その障壁を取り除くことで、個人を尊重することができるのではないかと言われていました。

(3) 法律問題と関連して

寺井研一郎弁護士(LGBT委員会)には、LGBTQ当事者の自死と法律問題との関連についてご報告いただきました。

寺井弁護士には、ある相談者との関わりから、弁護士が法的助言することで相談者が抱えていた問題が解決し、自死を防ぐことができたご経験を共有していただきました。他方、法的手段を尽くしても解決できない問題も存在するため、医療機関等との連携が不可欠です。この点は、LGBTQ当事者が社会の中で生きづらさを抱え自死を考えている場合も同様ということでした。

法律相談の場面で、弁護士が依頼者と向き合う際には、特定の性別や異性愛を前提に話を進めてしまうことで、心を閉ざしてしまうことが起こりえます。弁護士としては、当事者が安心して話せる環境作りを心がける必要があると訴えられました。

(4) 精神医療の現場から

最後に、永野健太さん(ながの医院院長、GID(性同一性障害)学会認定医)には、精神医療の観点から自死予防のための支援につきお話しいただきました。

永野さんによれば、GID学会認定医は九州で2人しかおらず、そのうち精神科医は永野さんただ一人であるとのことで、現状として、精神科の医師であっても、LGBTQについて理解のある医師は多くないそうです。それによって、LGBTQ当事者が精神科医を受診したとき、表面に現れた精神疾患を改善することはできても、根本的な生きづらさを解消できないという弊害が生じているとご指摘がありました。このような現状も一因となり、先述の通りLGBTQの自死率が高くなっている現状があります。

以上のような現状を踏まえ、永野さんは「足場をふやすこと」すなわち、よりどころとなる人や場所を複数見つけることが大切であると言われました。また、誰かの「足場」となるために、TALKの原則(Talk:心配していることを伝えること、Ask:死にたいのか素直に尋ねること、Listen:聞き役に徹すること、KeepSafe:本人の安全を守ること)を心がける必要があることをお話しいただきました。

4 質疑応答

最後に、質疑応答が行われました。質問者自身の経験を踏まえての感想や、他の社会問題との関連について質問があり、みたらしさん及び各専門家から、共感の言葉が贈られ、新たな問題提起が行われました。

5 むすび

本シンポジウムにおいては、みたらしさんをはじめ、各分野の専門家にお話しいただき、LGBTQ当事者の自死問題について、様々な観点から考察することができました。LGBTQや自死問題について考えたことがない人から、関心が深い人まで、様々な人に気付きをもたらすシンポジウムであったと感じています。

人権侵害の果てにあるもの―迫害、虐殺、報復の連鎖 ―「憲法講演会『ガザ戦争の背景と問題の所在』」の報告-

憲法委員会 委員 稲村 蓉子(63期)

市民の関心の高さ実感

憲法委員会では、4月18日に「市民とともに学ぶ憲法講演会」の第12弾として千葉大学国際高等研究基幹の酒井啓子特任教授をお招きし、「ガザ戦争の背景と問題の所在」と題して講演いただきました。120名の聴衆で会場は埋まり(他にZOOM参加は52名)、皆様、1時間半ノンストップの講演に真剣に聞き入り、ガザ戦争に対する関心の深さがうかがえました。
酒井教授による講演の内容をご報告いたします。

ガザの現状

ガザに対する戦争の発端は、2023年10月7日に、ガザを活動拠点とするハマスがイスラエル領内に勢力を進め、イスラエル人260名を殺害し(後の戦闘での死亡者数と合わせると1200名を殺害)、約230名を拉致したことにある。これに対してイスラエルはハマス根絶を掲げ、同年10月中ガザを空爆し、次は地上戦で各地を制圧している。ハマスという組織は、決して組織として確固とした外郭があるわけではなく、誰が構成員かも曖昧である。そうすると、ハマスの根絶はすなわちパレスチナ人の殲滅と同等の意味になる。イスラエル人からすれば、パレスチナ人すべてがハマス、テロに見える状況になっているといえる。イスラエルの攻撃により、2024年4月8日時点でパレスチナ人の死者は3万3207人(パレスチナの人口の約1.5%)にのぼり、人口の半分が餓死の危険に直面し、人口の4分の3が避難民となっている。

生き残っているパレスチナの人々は、人道支援物資を求めて南部のラファ、唯一他国のエジプトと国境を接している地域に結集している。
なお、なぜ海から人道支援物資を送り届けないのかという質問を受けることがあるが、パレスチナは南部以外の三方を海も含めてイスラエルによって封鎖されている。およそ20年にわたってパレスチナは人や物資の移動をイスラエルによって制限されてきた。パレスチナは天井のない監獄と評される。イスラエルによって移動を制限されてきたという歴史的背景があり、今回のハマスの行動がある。ハマスの行動は監獄からの大脱走だったともいえる。

国際社会、国際機関の対応の変化

国連についてはその能力不足を常に指摘されているところではあるが、ガザ戦争に関しては特に停戦をさせる能力がないことが露呈している。

それは、アメリカが、イスラエルの自衛権の行使を理由として、停戦決議に対して拒否権を行使してきたためである。2024年3月25日に初めて停戦の安保理決議が採択されたが、それもアメリカは棄権した。

国際社会では、イスラエルが自衛権の範囲を逸脱していると考えている。

2024年4月1日に欧米の援助団体のメンバーがイスラエルによって殺害された。自国の国民が殺害されたことで、アメリカのイスラエル支持は揺らいでいる。

人権侵害の果てにあるもの―迫害、虐殺、報復の連鎖
イスラエルは何を目指しているのか

多くの研究者は、イスラエルの経済力が戦争を続けるだけの余裕がなく、また、戦争が続けば従軍兵士やその家族が厭戦気分になるであろうからガザ攻撃は3か月ほどで終了すると考えていた。

しかし、実際はその逆に進展しており、国民世論はいけいけどんどんの状態となっている。世論調査によれば、レバノン南部にいるヒズボラも攻撃すべきと考える国民は3割を占める。加えて、二方面攻撃は負担が大きいのでガザ攻撃終了後にヒズボラを攻撃すべきと考える国民も3割いるため、国民の約6割が戦争を拡大させる考えをもっている。また、パレスチナ政府の自治についても、自治を認めないとの国民が今年3月時点で37%を占め、自治を認めるにしても徹底的分離(イスラエル軍が監視し、形式的自治しか与えない)を主張する国民は39%がいる。パレスチナ自治政府と和解交渉を進めるべしと考える国民は16%しかおらず、誰も和平に期待していないのが現状であり、国防を強化するという意識が国民の間で定着している。

今回のガザ攻撃によって、パレスチナとの和平(二民族二国家案)が消えたといえる。これまでは、自治の範囲に争いはあるものの、少なくとも二国家が存在することが前提となっていたが、その前提がなくなった。イスラエルが今後どうしていくのかはわからないが、北部に戦端を開いていく可能性は大きく、また、パレスチナ人の民族的抹消すら目指していくこともあり得る。もともとイスラエルは建国の究極目標として「ナイル川からユーフラテス川まで聖書に約束された土地を確保する」ことを掲げており、領土拡張主義をとっている。イスラエルは建国時にパレスチナ人を領土から追い出しており、その再現(ナクバ:大災厄)を目指している。ネタニヤフ首相は「地中海とヨルダンの間にはイスラエルが主権を持つ領土しかない」、ガラント国防相は「私たちは人間の姿をした獣と戦っており、それに応じて行動している」と発言していることが、その発露である。

早く戦争を終息させないと、イランのように反イスラエルを掲げる勢力が戦争に巻き込まれる危険がある。イランが巻き込まれると、ペルシャ湾全体が紛争に巻き込まれ、第三次世界大戦になりかねない。

今のところ、イスラエルに対してアラブ諸国は驚くほどおとなしい。イスラエル非難はしているものの、国内世論向けである。イランも戦争に巻き込まれたくないとの強い決意を持っている。2024年4月1日にはイスラエルが、在シリアのイラン大使館を攻撃した。これはイランの主権に対する明白な侵害行為であったが、イランは非常に抑制的な報復しかしていない。今後、レバノン、イラク、イエメンなどの反イスラエル勢力がどう動くか注目が集まる。

イスラエルの世論が戦争拡大を支持していることには重大な懸念がある。イスラエルのガザ攻撃は、人道目的のみならず、今後の政治動向からしても、早く終息させなければならない。

パレスチナ問題に対するヨーロッパ社会の後ろ暗さ

ヨーロッパでは反ユダヤ主義があり、歴史的にユダヤ人は迫害を受け続けてきた。ナチスドイツではホロコーストがあり、500~600万人が殺害されている。この数字は歴史的な体験としてユダヤ人の意識に強烈に刷り込まれているはずであり、パレスチナ人の死者が3万人といっても少なく感じるかもしれない。

パレスチナに建国をするというシオニズム運動が始まった時、パレスチナに人がいると知らなかった純朴な移住者もいたかもしれないが、運動を主導するシオニストは、当然、パレスチナの地に人が暮らしていることは知っていた。また、イギリスも当然知っていたし、ユダヤ人が移住することの危うさも理解していた。しかし、それでもユダヤ人問題を中東に押し付けた。ユダヤ人のパレスチナへの移住は、ホロコーストからの逃避だけが原因ではない、もっと根深い問題だと考える。

ヨーロッパはユダヤ人問題を中東に押し付けたことで冷静な判断ができない。また、ヨーロッパはネオナチ的な反ユダヤ主義が生まれることを恐れており、そのため特にドイツは徹底したイスラエル支持をして、パレスチナ支持のデモや言動を厳しく取り締まっている。

人権侵害の果てにあるもの―迫害、虐殺、報復の連鎖
パレスチナ人の意識

今回、ハマスが越境攻撃を仕掛けたと言われている。しかし、パレスチナ人の意識からみれば「越境」とはいえない。

ユダヤ人の移住によって現地のパレスチナ人との衝突が増え、それを解決するために1947年に国連パレスチナ分割決議が採択された。これはイスラエルに建国の権利を与えたわけではなかったが、イスラエルはすかさず建国してパレスチナ人を領土から排除した。これに反発したアラブ諸国と第一次中東戦争になると、その戦争の勝利に乗じて、イスラエルは分割決議で与えられたよりも広い土地を獲得し、さらにパレスチナ人を追い出している。また、イスラエルは第三次中東戦争では、ガザや西岸地域を占領し、国際法上禁止されている入植活動を続けている。

ガザの人口のうち122万人近くが、もともとイスラエル領内に住んでいたが、イスラエルに追い出され、ガザに逃げ込んだ避難民である。祖父母がイスラエルの地図を示しながら「昔はここに住んでいた」と話すのを聞いている子もいるだろう。ガザの人々は、イスラエルに追い出されて二度と故郷に戻れない、そして再びガザの地から南部へと追いやられていると感じているだろう。

パレスチナには500万人の難民がいる。それを支えてきたのはUNRWA(国際パレスチナ難民救済事業機関)であり、いってみればパレスチナの人々にとって唯一の行政府であったといってもよい。しかし、イスラエルが、UNRWAの職員が越境攻撃に加担したとか、ハマスの一員であると申し立てたことによって、2024年1月終わりに、日本を含め各国がUNRWAへの資金拠出を停止した。EUやノルウェーは資金拠出を止めなかった。日本は資金拠出を再開したが、果たしてその判断が正しかったのか、検討する必要がある。(報告者注:2024年4月22日に、国連はUNRWAの中立性に関する評価報告書を公表し、改善すべき点があると提言したものの、UNRWAの職員がテロ組織のメンバーである証拠はないと述べたとのことである。)。

人権侵害の果てにあるもの―迫害、虐殺、報復の連鎖
講演のまとめ

(1)イスラエルの攻撃を停止させる能力のある国はない。(2)イスラエルの目的はトランプ政権誕生までに獲得できる限り領土拡張を目指し(西岸での入植地の拡張、レバノン南部への影響力拡大)、トランプ政権下での事後承認を目指す。(3)いずれの統治体制となるにせよ、パレスチナに対するイスラエルの不均等な支配が強化されることは疑いないが、それは一層の統治コストの増大と不満要素の継続を意味する。(4)アラブ諸国の統制能力には期待できない/ガザからの避難民をエジプトが人道的目的で引き受けられるか(多大な国際的支援が必要+帰還の可能性を確約できるか?)。(5)反イスラエル「抵抗の枢軸」がどこまで自制できるか:国際経済への影響/戦争を回避したいイランのメッセージがどこまで正確にアメリカに伝わるか。(6)国際的な対イスラエル反対ムードがどのような暴発を招くか。

講演を聞いて

ユダヤ人がパレスチナに移住した歴史的背景、現在のガザの状況、イスラエルの動向と今後の世界情勢などを、とてもわかりやすく講演いただきました。国際情勢や歴史の複雑さ、まとめの「イスラエルの攻撃を停止させる能力のある国はない」には絶望しそうですが、それでも、一個人として、パレスチナの人々、特に子どもが死傷し、飢えに苦しむ状況や、イスラエル人の人質が捕われ続けている状況に対しては断固反対の意思を表明しなければならないと思います。

ユダヤ人迫害・虐殺の歴史が、パレスチナ人への新たな迫害・虐殺へと続いていくことをみたとき、改めて、人権侵害は拡大していくものであり、それを止めるためにも一人一人の人権を尊重しなければならないとの思いを強くします。パレスチナ人の自由を押さえつけて建国を果たしたイスラエルの人々が常に攻撃される恐怖に怯えなければならないように、他者の犠牲のもとに成り立つ幸福は虚構でしかないはずです。パレスチナ問題を考えるとき、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認した日本国憲法の先進的意義を感じます。改めて、平和、人権尊重について考える講演となりました。

2024年5月 1日

あさかぜ基金だより

あさかぜ基金法律事務所 社員弁護士 小島 くみ(75期)

ごあいさつ

令和6年2月にあさかぜ基金法律事務所に入所した小島くみと申します。司法修習期は75期、実務修習地は鹿児島でした。

私は、九州大学農学部を卒業したあと、20年あまり、出身地である鹿児島県にある環境計量証明事業所において、環境計量にかかわる技術者として過ごしてきました。環境計量とは、大気や河川水など環境に関する物質の量や濃度などを計測し、数値化したうえで、第三者に対して証明をすることによって、環境規制や環境保護のために重要な役割を果たすというものです。

このように、異業種の仕事をしていた私が法曹を目指したのは、この仕事をしていたとき、さまざまな問題が起こったときには、最終的には法的解決を図ることが効果的であると実感することがあり、それなら私も弁護士として紛争解決に寄与してみたいと考えたからです。

あさかぜ基金法律事務所とは

ご承知のとおり弁護士法人あさかぜ基金法律事務所は、司法過疎地域に赴任する弁護士を養成するために、多くの方々に支えられている都市型公設事務所です。所員弁護士は、おおむね3年間の養成期間を経て、九州の司法過疎地域に赴任することになります。

あさかぜ基金法律事務所への入所

私は、長く、鹿児島県指宿市で生活してきました。指宿は、風光明媚な温泉地ですが、人口の減少がどんどん進行していて過疎化が進んでいる田舎町であり、弁護士の少ない地域です。私が指宿で生活するなかで、法的支援を受けたことのある人の話を聞くことはまれでした。たとえば、近隣住人とトラブルになったために、より良い解決方法を探りたいと考えたとき、離婚をするにあたって相手方と揉めたときなど、何らかの法的支援を受けたほうがいいのではないかと思われる場面においてさえも、多くの人が法的支援を受けないままに終わり、結果的に正当な主張ができないまま泣き寝入りせざるをえないという状況が多くありました。これらのことから、私は、司法過疎地域においては法的支援を受けたくても受けられず、不利益をこうむっている人が少なくないことを実感していました。

これとは別に、過疎地においては、高齢化が進行し、単身で生活する高齢者が増加していることから、今後は、高齢者に対する法的支援が重要性を増してくるということも強く感じています。

そこで、このような司法過疎地域で、私自身も弁護士として法的問題の解決を図る取組ができるようになりたい、そのなかで、司法過疎地域にも多い高齢者に対する法的支援に関わっていきたいと考えていました。

そんな私が、このたび、司法過疎地域に赴任する弁護士を養成する事務所であるあさかぜ基金法律事務所にご縁を得ることができました。

私は、これまで司法とは無縁の生活を送ってきましたので、弁護士の仕事はわからないことだらけであり、あさかぜ基金法律事務所に入所して以来、驚きの連続の日々を過ごしています。

これからは、指導担当弁護士をはじめ先輩弁護士の方々から多くのことを学ばせていただき、司法過疎地域に赴任するうえで必要なスキルを習得できるよう精進していきたいと決意しています。 ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

シンポジウム「マイナ保険証と人権を考えるー医療情報のデジタル化で社会はどう変わる?」が開催されました

情報問題対策委員会 委員 桑原 義浩(58期)

マイナ保険証はお持ちですか?

皆さんは、マイナ保険証はお持ちですか?紙(またはカード形式)の保険証ですか?その現行の保険証が廃止されるって、ご存じでしょうか?これって、国民が望んでいることなのでしょうか?医療情報が漏れてしまうなど、問題はないんでしょうか?

3月20日午後2時から、当会の情報問題対策委員会が企画したシンポジウム「マイナ保険証と人権を考える 医療情報のデジタル化で社会はどう変わる?」が、福岡県弁護士会館2階大ホールで開催されました。

当日は、水曜日で祝日という日程だったのですが、大ホールでの会場参加とオンライン参加を合わせて100名近くの参加がありました。大ホールでは準備していた配付資料が足らなくなってしまうほどでした。

木本綾子委員からの基調報告

当会の情報問題対策委員会の武藤委員長による開会の挨拶の後、はじめに、福岡県弁護士会のこれまでの活動について、木本綾子委員から報告しました。

福岡県弁護士会では、2021年(令和3年)5月6日に、「マイナンバーカードの義務化とデジタル関連法案に反対する会長声明」を発出して、マイナンバーカードの義務化に対する問題点を明らかにしていました。河野太郎デジタル大臣が現行の健康保険証を廃止する方向性を打ち出したときには、2022年(令和4年)12月26日に「現行の健康保険証を廃止してマイナンバーカードの取得を義務化することに反対する会長声明」を発出しました。さらに、社会保障や税制以外にもマイナンバーの利用を拡大する動きに対して、2023年(令和5年)5月12日には、「マイナンバーの利用範囲及び情報連携範囲の拡大に反対する会長声明」を発出しました。

あわせて、福岡市の行政効率化を目的とするDX戦略の状況についてヒアリングを行ったため、その結果も報告されました。

シンポジウム「マイナ保険証と人権を考えるー医療情報のデジタル化で社会はどう変わる?」が開催されました
知念哲氏による基調講演

続いて、神奈川県保険医協会事務局次長、全国保険医団体連合会・政策事務局小委員の知念哲氏から、「マイナ保険証の仕組みと問題点」と題する基調講演をしていただきました。現行の医療保険の仕組みから健康保険証の役割、マイナ保険証でのオンライン資格確認などを概観していただき、現行の健康保険証が廃止されるまでの流れをご紹介いただきました。

また、ご講演のなかで、マイナ保険証の普及状況などについてのお話もありました。医療機関では利用できるような対応は進んでいるものの、実際に資格確認としてマイナ保険証が利用されているのは、令和6年1月時点でもわずか4.6%にすぎないということでした。

さらに、国民皆保険の理念・原理・原則から、デジタル対応が困難な人たちが医療から遠ざけられることのないように現行の健康保険証の存続を求められ、最後にオンライン資格確認義務不存在確認等請求訴訟の状況についてご報告がありました。

大変充実した資料をもとにして、詳細な分析も加えられたご講演内容でした。

シンポジウム「マイナ保険証と人権を考えるー医療情報のデジタル化で社会はどう変わる?」が開催されました
パネルディスカッション

その後、パネルディスカッションに移りました。

冒頭で、全国保険医団体連合会の大崎公司理事から、医療機関の現場でのマイナ保険証でのトラブル状況などをご発言いただきました。オンライン資格確認には早くても一人30秒から40秒かかるために、資格確認で列ができてしまう、現行の保険証提示ならすぐに終わる、電気が停電となると確認もできなくなり、災害時の対応に問題がある、といったことを発言されました。

それから、中央大学教授の宮下紘先生より、人権保障の観点からのマイナ保険証に関するご発言がありました。

冒頭、ナチスによるパンチカードを使ったユダヤ人管理の例を紹介されました。個人情報を国家が管理することが人権問題に関連することを認識できました。

マイナンバー制度については、2023年3月9日の最高裁判決があります。最高裁は、個人に関する情報をみだりに第三者に開示または公表されない自由を侵害するものではないと判断していますが、これはあくまでもシステムにトラブルがないことを前提としています。現在はシステムの問題性が指摘されているため、この最高裁判例がそのまま妥当するわけではないことも指摘されました。

また、EUでの個人情報保護のための制度であるGDPRの視点からマイナ保険証の問題点を指摘されました。あくまでもデータの「主体」としての権利の話であって、「客体」ではないとの指摘は、個人に番号がつけられるマイナンバーについては重要な視点だと感じました。

以降は、パネルディスカッションで、議論を深めました。医療情報としてどういうものがデジタル化されて共有されると便利になるのか、問題点はないか、研究・新薬開発などに対する診療情報の利活用への懸念、課題について、そもそもデジタル政策の中心にマイナンバーがあることについての問題点などを検討しました。

健康保険の加入は強制であるが、マイナンバーカードの取得は任意であるため、強制保険に任意のカードで対応しようとすること自体に大きな問題がある、ということは重要な点だと感じました。

当日は、会場に質問用紙を配布したのですが、かなりの数の質問が集まりました。すべてを取り上げることはできませんでしたが、参加された皆さまの問題意識が共有できる機会になりました。

シンポジウム「マイナ保険証と人権を考えるー医療情報のデジタル化で社会はどう変わる?」が開催されました
見逃し配信、動画を公開予定です

今回のシンポジウムに参加できなかった会員および一般の皆さまに向けて、福岡県弁護士会の公式Youtubeチャンネルで、当日の様子を公開することを予定しています。

カメラワークに手慣れていないところがあるかと思いますが、ご容赦いただければと思います。
今後とも、情報問題対策委員会では、マイナンバーの問題など、情報問題について、人権保障の観点から検討を続けていきたいと思います。

2024年4月 1日

法律相談センターだより ―「PAO~N 40周年大感謝祭」への出展―

法律相談センター運営委員会 委員 後潟 伸吾(69期)

1 PAO〜N 40周年大感謝祭

本年2月25日(日)、エルガーラホール8階大ホール(福岡市中央区天神1‒4‒2)にて開催された「PAO〜N 40周年大感謝祭」に福岡県弁護士会として出展しました。皆様ご存知のとおり、PAO〜Nは、毎週月~金に放送されているKBCラジオのラジオ番組で、メインパーソナリティーである沢田幸二さんの他、各曜日毎のパーソナリティとして、松村邦洋さん、矢野ぺぺさん、KBCアナウンサーの居内陽平さん、和田侑也さん等が出演されています。また、同番組の金曜日の「まずは、弁護士に聞いてみよう」というコーナーでは、福岡県弁護士会の会員も出演し、同番組のリスナーから寄せられたお悩みを弁護士の立場から解説しているということもあり、当会とも大変縁がある番組です。

そのような、PAO〜Nが40周年の大感謝祭を開催するとのことで、福岡県弁護士会として協賛のうえ、福岡県弁護士会ブースを設置し、日弁連及び福岡県弁護士会の広報活動並びにプチ法律相談会等を実施しました。

写真1 写真2

2 当日の様子

(1) 広報活動

今回のイベントは、10時30分頃に開場しましたが、大人気のラジオ番組のイベントということもあり、大盛況で、入場待ちのお客さんが、エルガーラホールから中央警察署まで並び、お昼12時頃には会場への入場制限がされるほどでした。

今回のイベントでは、日弁連及び福岡県弁護士会の広報活動のために、①日弁連のトートバック(トートバッグの中には、福岡県弁護士会等のチラシ一式、福岡県弁護士会のティッシュ、日弁連のひまわり相談ネットの消毒ジェルを入れました)、②各弁護士会のイメージキャラクターの塗り絵及び風船等を用意しました。昨年の三井ショッピングパークららぽーと福岡での無料法律相談会同様、①のトートバッグは大変人気であり、かつ、上記のとおり来場者も多かったことから、準備していたトートバッグ240個は開場1時間も経たずに全て配布が完了しました。他方で、ラジオ番組のイベントということもあり、子供の来場者が少なかったことから、塗り絵や風船については渡す機会は少なかったです。

また、お昼頃には、北古賀康博会員及び池田耕一郎会員が、ステージに上がり、PAO〜Nのパーソナリティの方との掛け合いを通じて、福岡県弁護士会を同イベントの来場者にアピールいただきました。

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(2) プチ法律相談会・アンケート

今回のイベントにおいても、ブース内に法律相談ができるスペースを用意しました。しかし、今回のイベントは、多くの時間において、PAO〜Nのパーソナリティの方々がステージで様々な企画を行っており、来場者は当該企画に熱中していたということもあり、法律相談をされる方は少なかったものの、相続、労働関係、消費者問題、離婚・DV、登記等の法律相談がありました。

また、今回のイベントでも来場者向けのアンケートを用意しました。アンケートの質問項目は、①法律相談の経験の有無・内容、②その際相談した相手方、③福岡県弁護士会の法律相談センター及び同センターの予約ダイヤルの認識の有無並びに④福岡県弁護士会の広報活動の認識の有無等で、20名を超える来場者からアンケート回答を受領することができました。

また、アンケートに回答いただいた方には、福岡県弁護士会が福岡県在住のイラストレーターである山田全自動さんとのコラボレーションで製作した「弁護士あるある」のシールをプレゼントしました。

3 おわりに

今回、多数の来場者が来るイベントにて日弁連及び福岡県弁護士会の広報活動や法律相談会を実施しました。広報活動については、トートバッグや上記「弁護士あるある」のシール等、大変充実した広報グッズのお陰もあり、日弁連及び福岡県弁護士会について更に様々な方に知ってもらうことができたと思います。また、法律相談会についても、法律相談を実施し、相談者の悩みを解決・解消できた点も良かったと思います。

最後になりますが、今回のイベントを担当した法律相談センター運営委員会の先生方、差入・激励に来ていただいた先生方、弁護士会・天神弁護士センターの職員の皆様のご協力のおかげで無事今回のイベントも実行できたと思います。この場を借りてお礼申し上げます。

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セルフネグレクト〜支援を拒否する人への支援を考える〜

会員 松尾 朋(64期)

高齢者障害者委員会の松尾朋です。

みなさん、弁護士として仕事をする上で困ることは何でしょうか。

難しい争点の事件であったり、相手方の対応が大変な事件であったり、難しい事態であるからこそ弁護士への委任が必要なことがほとんどでしょう。そのような中で、弁護士がいかんともし難い事態として、本人の意思がわからない場面ということがあると思います。

さて、まずは法律と関係のない簡単な設問から考えてみましょう(なお、この例は、厚生労働省のホームページhttps://guardianship.mhlw.go.jp/guardian/awareness/#awareness_03に掲載されているものです)。

知的障害を持ち、グループホームに入所しているAさんが、突然「犬が飼いたい」と言い始めました。当該グループホームでは、管理・衛生上の問題から、犬を飼うことはできません。このような要望を聞いたあなたはどのように回答をしますか。次の3択から考えてみてください。

① グループホームでは犬が飼えないことを説明し、説得する。
② グループホームにお願いして、犬を飼えるようにしてもらう。
③ 「犬を飼いたい」というAさんの真意を探り出す。

厚生労働省のホームページには、③の対応でうまくいきました。と記載されています。

③を選ぶことで、なぜうまく対応できるのでしょうか。

仮に、Aさんが、犬が好きで「犬を飼いたい」と言う場合、犬を飼いたいという希望は真意に基づくものということができます。しかし、Aさんは、本当は「自分の部屋に他の利用者が入って来るのがいやだ」と思い、「犬を飼えば番犬に役割を担ってくれるかもしれない」と考え、「犬が飼いたい」と希望したとすればどうでしょうか。

つまり、Aさんの希望は、本来的には直面している課題との間に論理的な繋がりや合理性がそれほどないものだったということができるでしょう。認知症や障害があることによって、物事をうまく決められないとか他人との間で揉めるとかの根本的な理由は、解決をした課題(すなわち発言の真意)と希望との間に齟齬や合理的なつながりがないことが原因であることが多くあるのです。

このような場合に、「犬が飼いたい」というAさんの希望を文言通りに聞き取って、①や②の対応をしたとすれば、Aさんの課題の根本的な解決ができないどころか、コミュニケーションがうまくいかず、信頼関係が壊れてしまう事態も考えられます。

さて、先ほどの設問を少し発展させ、セルフネグレクトの話題に展開しましょう。

まずは、セルフネグレクトの定義については様々ありますが、ここでは基調講演として、「個人が、自己の健康、生命および社会生活の維持に必要な個人衛生、住環境の衛生もしくは整備、または健康行動を放任、放棄すること」と仮定します。

厚生労働省は、平成27年7月10日付で「市町村や地域包括支援センターにおける高齢者の「セルフ・ネグレクト」及び消費者被害への対応について」と題する通知を発出しました。ここにおいて、「支援してほしくない」とか「困っていない」などとして、支援者の関与を拒絶するセルフネグレクト状態にある高齢者においては、個人の生命、健康に重大な危険を生じるおそれがあることひいては孤独死のリスクがあるため、できる限りの連携対応をすることが求められています。

一方で、各人には、自己決定権があります。自己のセルフネグレクト状態に対する支援者の関与や支援の拒否を選択する人は、自己決定権に基づいて支援拒否(セルフネグレクト状態の維持)を選択しているのであって、このような自己決定に対して支援者が介入するとすれば、本人の自己決定権と支援者の支援はどのような関係にあるのでしょうか。

この点については、次のように理解するのではないかと思われます。すなわち、支援者は、本人の自己決定権を当然の前提として、支援拒否という本人の意思選択をまずは受け入れなければならない。しかしながら、当該自己決定に対してできる限り関わることで、一旦なされた自己決定(または意思決定)が変更されるように促すことはできるのではないか。

セルフネグレクト状態に対する支援者による支援を拒否することを選択した理由にも様々あります。前段の設問のように、セルフネグレクトとは、本人が抱えていた何らかの課題解決を諦めた結果である可能性もあるのです。その課題が、解決可能なものであるとすれば、セルフネグレクト以外の選択も可能であるし、以降、より快適な生活を選択することも可能なのです。

とはいえ、支援者は、支援者が望む結論に導こうとしているのではないかという視点を常に持たなければなりません。支援者が行うべき行動は、本人の自己決定を支援者の思う方向に変えさせることではありません。本人の真意を汲み取り、本人が本来望んでいた方向に軌道修正するということなのです。非常に困難ではありますが、このような形で現実にたくさんの方々がセルフネグレクトの問題に関わっています。

さて、拡大協議会は、東邦大学看護学部長岸恵美子教授による基調講演からはじまりました。基調講演では、支援を拒否する人への介入について専門的な見地から極めて詳細に論ぜられました。上記の介入に関する一般論は、基調講演のほんのさわりの内容にすぎません。その後、当会によるアンケート結果の公表がなされました。拡大協議会にあたって、セルフネグレクトを取り巻く現状について我々も把握し直す必要があります。高齢者障害者委員会から、市内の各支援者向けにセルフネグレクトに関するアンケートが実施されていました。アンケートの結果により、32の事例について詳細な事例集が作成されました。その後のパネルディスカッションにおいては、様々な立場からのセルフネグレクトに対する深い議論が繰り広げられました。

拡大協議会には、セルフネグレクトの最前線で活動されている、福祉の現場で稼働されるたくさんの方が出席され、会場である福岡県弁護士会館の大ホールは満員となりました。参加者は壇上で交わされる言葉に耳を傾けており、セルフネグレクトが大きな社会的な課題であることが、会場の雰囲気からもありありと伝わるものでした。

では、セルフネグレクトに対して、弁護士は何ができるのでしょうか。主となって対応している支援者と共に、法律的な課題を取り除くべく活動することができます。また、相談としてセルフネグレクトの問題に当たった場合(近隣住民からの衛生上の相談などが考えられます)、行政と共になんらかの活動が可能な場合が多くあります。

最後に、シンポジウムの企画者であり最後にコーディネーターを務めた篠木潔会員の言葉をみなさんにお伝えしたいと思います。『今回のシンポジウムに大切な多くのことを盛り込み過ぎたので時間が足りません。でも私は、セルフネグレクトの支援体制が2年早くできるように進めたいのです。なのでこのシンポジウムをあと15分だけ延長させてください。お願いします』。すると会場からは拍手が起こりました。たくさんの問題が山積みとなっている現代社会ですが、篠木会員と同様、弁護士が困難な課題を解決する使命を果たすために、市民を巻き込みながら熱い気持ちをもって取り組まなければならないと思いました。

戦争を止めるのはわたしたちの強い意思 ―市民とともに考える憲法講座第11弾 「大軍拡予算で日本は本当に守れるのか」開催報告―

憲法委員会委員 池上 遊(63期)

当会では、憲法の本質や憲法をめぐって現に社会的に現れている問題点などについて、市民とともに理解を深めるため、当委員会の企画で2018年より10回にわたり「市民とともに考える憲法講座」を開催してきました。

今回は、弁護士業務の傍ら、日本の安全保障について長年研究され、数多くの講演の経験がある広島弁護士会所属・日弁連憲法問題対策本部副本部長の井上正信氏をお招きし、「大軍拡予算で日本は本当に守れるのか」と題してご講演いただきました。会場63名、オンライン20名の方が参加しました。

1 講演の概要

「大軍拡予算」、具体的には、2022年度から毎年度約1兆円ずつ防衛予算が増額され、政府が目指す2023年度から「5年間で計43兆円」を達成しようとすると、2027年度には補正予算を含め11兆円にまで増えるということです。米国の軍事予算110兆円、中国の30兆円に次ぐ第三位を目指しています。

この予算を背景に「三つの変貌」があるとのことでした。

まず、①自衛隊の変貌です。防衛予算の約半分が、スタンド・オフと呼ばれる射程1000㎞とか3000㎞の相手国の脅威圏外からの攻撃を目的とする長射程ミサイルの取得・開発と装備品の維持管理費、自衛隊基地の強靱化等の費用ということでした。自衛隊が「装備品の共食い状態」、つまり、部品不足で運用できない戦闘機に他の戦闘機から部品取りして運用しているという話には驚きました。

次に、②日米同盟の変貌とは、日米の軍事一体化の強化です。「統合防空ミサイル防衛」(IAMD、アイアムド、1兆2284億円)として、情報共有、反撃の分担等について協力を行う、ということが進むようです。また、常設統合司令部が創設され、司令部レベルで一体化するとともに、その司令官のカウンターパートは在日米軍ではなく、米太平洋軍になるということでした。

とりわけ生々しい報告として、戦傷医療の強化策である輸血用血液製剤の確保・備蓄に予算が割かれたこととともに、自衛隊が米軍との輸血用血液の相互利用を検討しているという新聞報道も紹介されました。

最後に、③国の姿の変貌、わが国が軍事国家として専守防衛を否定する国となったということです。世界第3位の軍事大国を目指し、スタンド・オフミサイルに象徴される反撃能力により他国への直接的攻撃を認め、専守防衛が否定されたこと、攻撃的兵器の輸出解禁、「政府安全保障能力強化支援」(ODAの軍事版)としてASEAN諸国等への軍事支援を進めるなど、「死の商人国家」へ、歩を進めていると指摘されました。

2 井上弁護士の講演を聴いて

「戦争は最大の人権侵害」というのは日弁連のコンセンサスです。一昨年のロシアによるウクライナ侵攻、昨年のイスラエルによるパレスチナ・ガザ攻撃など他国での戦争が止みません。実際には、基本的人権の制限、増税、社会保障費の削減など、戦争準備段階から国民の被害は始まります。

わたしたちはどうすべきか、井上弁護士からは、一昨年の「安保三文書」から始まる実態を周囲に知らせることや、日常生活に入り込んでいる「戦争の種」に惑わされないために北朝鮮や中国の脅威を喧伝する報道にも注意し、わが国が米国と一体となって周辺諸国に与えている脅威にも目を向けることを助言いただきました。

講演の最後の言葉が印象的でした。「戦争を防ぐことができるのは、国民の強い意思に支えられた外交だけ」。具体的に強調されたのは2点。台湾有事を引き起こさせないための対中(台湾を含む)外交と対米外交の重要性でした。

「抑止力」という言葉に思考停止に陥ってはならない、中国は核兵器保有国であることを忘れてはならない、という言葉は被爆地・広島の弁護士の言葉として重く受け止めました。対中外交は官民ともに重要な課題と感じました。

対米外交について、台湾防衛のための米国の軍事政策には日本側の全面協力が不可欠となることを利用すべきだ(日米安全保障条約第6条に規定される日米の事前協議)と指摘されていました。

わたしたち弁護士はどうするのか、戦争につながるあらゆる人権侵害に抵抗し、一般市民の平和への願いに実務法曹として連帯すること、「強い意思」を育てていくこと、が重要ではないかと考えさせられる貴重なご講演でした。

これからも市民とともに考える憲法講座を継続していきます。ぜひ会員のみなさまにも今後ともご参加いただければ幸いです。

3 次回予告!!

市民とともに考える憲法講座第12弾「戦禍のガザ地区に平和を!―日本の私たちは何ができるのか?―」

講師:酒井啓子教授
(国際政治学者、千葉大学、専門は現代中東政治)

日時:2024年4月18日(木)18時~20時

会場:福岡県弁護士会館2階大ホール
+オンライン(Zoom・要申込み)
※ 参加無料

5周年記念イベント 「六本松で弁護士を体験してみよう!」 開催のご報告

広報室長 弁護士 千綿 俊一郎(53期)

2024年(令和6年)2月10日の土曜日に、福岡県弁護士会館5周年記念イベント「六本松で弁護士を体験してみよう!」を開催しました。

イベントでは、駐車場にカフェスペースを設けて、広く市民の方に足を運んでいただいて、謎解きイベント「とある弁護士の一日~謎だらけの法律事務所~」のほか、「映画『Winny』上映会とトークセッション」を開催しました。

参加者は、謎解きイベントについては、事前予約の215名に加え、当日飛び込みでさらに約100名、映画上映会については、事前予約の176名に加え、同日飛び込みでさらに約50人でしたので、合計500名を超える一般市民の方に、ご来場いただきました。

今回は、作成したチラシを、六本松近辺の小学校、中学校、高校に配布していたこともあり、お子さんやご家族連れに多くご参加いただきました。

対外広報委員会や刑事弁護等委員会の多くの会員の皆さんにも、ご尽力いただいて、大変盛会に終わることができましたので、改めて、お礼申し上げます。

謎解きイベントについては対外広報委員会の南川克博委員長から、映画上映会については刑事弁護等委員会の田中広樹委員から、それぞれ詳細をご報告いただきますので、そちらをご参照ください。

謎解きも大盛況! ジャフバも駆けつけてくれました カフェも設営しました キッチンカーが御目見得

2024年3月31日

あさかぜ基金だより

弁護士法人あさかぜ基金法律事務所 社員弁護士 藤田 大輝(74期)

新生あさかぜ基金法律事務所

弁護士法人あさかぜ基金法律事務所が創立されて16年目の今年、渡辺通5丁目から舞鶴3丁目に移転しました。新生あさかぜ基金法律事務所をご紹介するとともに、事務所移転という貴重な経験について報告させていただきます。

さらば天神弁護士センター

あさかぜは、福岡市営地下鉄七隈線天神南駅にほど近い南天神ビル(渡辺通5丁目)の2階に事務所がありました。当会所属の弁護士であれば周知のとおり、南天神ビルの2階には、あさかぜとともに天神弁護士センターがありました。
天神弁護士センター移転にともない、あさかぜも事務所を移転することになったわけですが、同じビルに移転したのではありません。天神弁護士センターは天神法律相談センターに名前を変えて天神重松ビル(天神3丁目)に、あさかぜは福岡DKビル(舞鶴3丁目)に分かれて移転することになりました。これまで長く同じビルの同じフロアにあったセンターと別れることは、なんとなく「戦友」と離れ離れになるような気分です(とはいえ、今後も天神法律相談センターにはお世話になるのですが...)。
ちなみに、あさかぜの事務所は移転しましたが、電話番号・FAX番号に変更はありませんので、今後もお気軽にご連絡ください。

旧事務所からの什器類撤去の様子
HOW TO 事務所移転

大変ありがたいことに、私は、弁護士登録2年目にして事務所移転を経験することができました。とはいえ、基本的な業者との連絡・調整は、福岡県弁護士会の担当副会長やあさかぜ基金法律事務所運営委員会の委員に担当してもらいました。大変お世話になりました。 私はというと、移転準備として移転先ビルの内見、移転先事務所のレイアウト会議への出席や、事務所内BGM配信事業者等との契約関係調整をおこないました。事務所内の書籍・事件記録の箱詰めもかなりの重労働でしたが、所員一丸となって対応しました。とりわけ、熱心に作業してくれた事務員さんには心から感謝しています。
本年2月2日(金)の業務終了後から事務所移転の引越し作業がはじまり、5日(月)から新事務所での業務を開始しました。
新事務所での業務初日、事務所内に積まれた無数の段ボールにいささかの絶望感を味わいつつ、所員一丸となって開封作業を進めました。いまだに開封できていない段ボールが一部あることは内緒です。
あさかぜは弁護士法人ですから、移転後は直ちに事務所移転の法人登記変更申請をおこないました。この原稿が掲載されるころには、法人登記変更も完了し、弁護士会への届け出も終了しているはずです。係属事件関係での裁判所への事務所移転報告も完了していることでしょう。
あわせて、あさかぜのホームページの変更作業もすすめました。ホームページの全ページを確認し、旧事務所の住所が記載されている箇所を1つずつ新事務所の住所に変更していきました。これが意外と大変な作業なのです。複雑なホームページではありませんから、やり方が分かってしまえば何ということは無いのですが、慣れない作業は時間がかかるものですね。とくに、「アクセス」ページのアクセスマップの変更(グーグルマップの引用)や、新事務所内写真の掲載(旧事務所内写真との差替え)については、初めての作業でしたので勉強になりました。いいタイミングですから、「弁護士紹介」ページに、こっそり自分の写真だけ掲載してみようかなと画策しています(これまで弁護士の写真は掲載されていませんでした)。私の写真が事務所ホームページに掲載されていれば、郷里山口の祖母は喜んでくれそうです。

廃棄備品のみが残された旧事務所
健康の秘訣は事務所移転!?

事務所が移転したことで、私の生活にも変化がありました。私は、旧事務所に比較的近い場所に自宅を借りていましたので、事務所が移転したことで通勤距離が長くなりました。はじめは残念に思った私ですが、そこは発想の転換です。自宅を出発する時間を20分早くし、自宅から新事務所までの約2.2Kmを徒歩で通勤することにしました。靴箱の奥に眠っていたスニーカーを掘り起こし、準備は万端です。これで、毎日往復1時間は歩くことになりますから、いくらお酒を飲んでも健康が維持されること間違いありません。今から舞鶴・赤坂周辺の飲食店開拓が楽しみです。

新事務所 周辺の簡易マップ
毎度恒例の近況報告

ことあるごとに月報でプライベートの報告をしている私です。今回も少しだけ、近況報告をさせてください。
昨年の月報9月号(No.620)でご報告した私の愛娘は、本年2月3日(奇しくも事務所移転と同時期)に1歳の誕生日を迎えました。9月号では、これから「ずりばい」をするかどうかだと報告しましたが、今や「ずりばい」どころの騒ぎではありません。まだ二足歩行はできないものの、高速ハイハイや掴まり立ちを披露して、両親を困らせています。私の洋酒コレクションは、いつしか戸棚の奥の方に押しやられ、数も減って絶滅が危惧されています。
遊びの楽しさも覚え、ご飯を食べさせるのも一苦労ですが、我が娘の順調な成長に喜びを感じています。事務所移転の唯一の懸念点は、娘との朝の戯れ時間が減ってしまうことです。

これからもよろしくお願いします

最後に、改めてあさかぜの新しい住所を報告します。今後とも、司法過疎地支援活動にご理解いただくとともに、あさかぜをどうぞよろしくお願いいたします。あさかぜ所員一同、今後も研鑽に励むとともに、精一杯業務に取り組んでまいります。

新事務所と移転祝いの花たち

2024年2月29日

令和5年12月8日九弁連共催「医療観察付添人実務研修」のご報告

医療観察法対策委員会 委員 吉武 みゆき(59期)

医療観察法対象事件は家族間の事件が多く、精神疾患を持つ患者と家族との関係性について知っておくことは事件を検討する基礎となります。そこで、本年度は精神疾患を持つ患者と家族との問題等をテーマに研修が行われました。

第1 研修前半は、「精神障がいのある方から家族に向かう暴力」というテーマで大阪大学高等共創研究院の蔭山正子教授からご講義頂きました。

1 ご経歴等

教授は、保健師として保健所に勤務した際に、精神障がい者の受診援助や通報対応など危機介入を経験され、主な研究テーマは精神障がい者の家族支援・育児支援、保健師の支援技術で、当事者のピア活動にも関心をお持ちです。家族会でのアンケート調査や、家族会・当事者へのインタビュー調査をもとに、精神障がい者から家族への暴力に関する研究をされています。
今回の講義は、教授の研究チームが協力団体の協力を得て作成した、「精神障がい当事者と家族の相互理解学習プログラム」(通称「そうかいプログラム」) のスライドや当事者・家族の体験談の動画を交えて、ご講義頂きました。以下が講義の概要です。

2 精神障がいのある方から家族に向かう暴力の特徴

最初に、健常者の高齢の父が精神障がいのある中高年の娘を殺害した事件の紹介がありました。娘は引きこもり状態で、両親への日常的暴力が20年続いていました。父親はあらゆる相談機関に支援を求めましたが、保健所からは本人が拒否するなら訪問できないといわれ、警察からは事件が起きないと対応でいないといわれ、病院からは連れてきて下さいと言われるものの、娘は受診を拒否しており、入院中心の支援体制の中で支援が家庭に入らず、入退院を11回繰り返していました。避難のための親の車中泊が200日を超えていたそうです。殺害にまで至るケースは稀であるとしても、このような事例は特別なものと考えるべきではなく、手前くらいの事例(例えば家を飛び出したり他人に迷惑を掛けたりするかもしれないことを心配して監禁するような事例)は、今でもちょこちょこみかけるそうです。
問題が起きる家族は孤立家族が多いとのことですが、日本は長年の入院中心の精神医療をしており、人もお金も地域に下りてこず、訪問診療等訪問によるサービスが不足していることや、偏見が強く家族が中々問題を人に言えないという背景があるからです。
埼玉県の家族会で実施された302人の統合失調症の方に関するアンケートでは家族に対する身体的暴力があった事例が6割にものぼり、知り合いや見ず知らずの人への事例はごくわずかでした。医療観察法通院処遇ケース1190件のうち被害者が家族や親族の事例が51.7%で、事件後も同居者の半数が加害者家族と同居を継続しているそうです。

では、日本では家族への暴力が多いのかという点については、物への間接的暴力も含めた身体的暴力がこれまで一度でもあるかどうかの統計(比較年時は若干異なる)で比較すると、米国47%(2015)、カナダ52.4%(2010)に対して、埼玉では75.8%だったそうです。同居率の高さが発生率を高めていると推測されるとのことでした。
なお、犯罪白書等によれば、傷害・暴行事件(0.037%/0.19%=一般/精神障がい)、犯罪全体(1.73%/0.08%(警察官通報のみも付加0.53%)=同上)の件数から見て、精神障がいがあるから暴行・障がいや犯罪が多いとはいえないそうです。
一般に暴力は、生物学的要因(遺伝子、脳の機能)と社会的要因(環境)の相互作用によって起きるとされています。その上で、精神障がい者の暴力には、男女差がないことと、病状(の悪化)と関係する点が特徴だそうです。
埼玉での調査ではむしろ女性の方が暴力が多かったそうです。男性の場合は家族が受診せざるをえないような外傷を負って家族もやむをえず行動を起こしやすいのに対して、女性の場合は軽度の暴力が多く、なんとかしなければとまではならず長期化が推測されるからではないかとのことでした。
日本の精神障がいの人の場合には、事件になるような暴力が少ないとのことでした。

医療観察付添人実務研修
3 子どもから暴力を受けた親の心理と対処

暴力を受けた親は、疲弊・抑うつ、ひいてはPTSDになり、腫れ物に触るような対応になったり、観察したり、びくびくとおびえるような精神的に不健康状態になり、冷静な対応が難しく、それがさらに精神障がいの子の興奮や怒り、暴力を誘発する悪循環につながります。
暴力出現を契機に治療につながって暴力から解放されるのではないかと予測しますが、実際には服薬していても暴力が消失しない事例は結構あるそうです。 統合失調症の子をもつ親26名のインタビュー調査では、適切な支援が得られずに家族は10年も20年も暴力のある生活に我慢し続け、それでも暴力は収束せず、結局家庭が崩壊(例えば、父は逃げて家に帰らず、母はうつ病になり、 きょうだいは引きこもりになる等)状態に至り、このままでは事件が起きるかもしれないという段階にまでなって初めて、なんとかしなければということでやっと警察にお世話になる等して暴力から解放される状況が浮かびあがりました。万が一事件が起きてしまえば、医療観察対象事件であれば、家族は、暴力被害者であり加害者家族として苦しみ、報道で知られて地域にすみづらくなったりして本当につらい状況になるそうです。
このように長く暴力を親が抱え込んでしまうのは、愛情(子を犯罪者にしたくない)からだけではありません。恐怖(止めたいけど、注意すると一層激しい暴力が来る)、恥(暴力は恥であり人に言いたくない、家族会においてさえ実際よりかなり軽く表現し「昨日やられちゃってね。」などと述べていかにも平気を装う。)、罪や責任(自分の子育てが悪かった、自分さえ我慢すればいい、近所に迷惑をかけてはいけないから家の中で治め外に持ち出さない。)の意識がからまっており、警察を呼ぶ決心するだけでも何年もかかったりすることもあるそうです。

4 精神障がいのある当事者が暴力をふるう背景や心理

(1)統合失調症の症状には、陽性症状(幻覚妄想、誰かに支配されている等)、陰性症状(やる気が出ない、感情が感じられない、人と関わりたくない、会話が少ない)の他に、約半数の方には認知機能障害が見られます。具体的には、覚えられない、考えがまとまらない、思ったように話せないなどという症状の他に、重要なのが認知の歪み(極端に他人のせいにする、他人が自分と違う信念を持つことを理解できない、少ない情報で確信を持つ)です。なお、特に医療観察事件では併存する知的障害や発達障害の影響も見られます。
幻覚妄想が活発な状態での暴力は全体の10%以下という報告があるそうです。服薬をしていても幻聴に苦しむ当事者もいます。
認知の歪みがひどくなり、親子関係が悪化します。調子が悪ければ悪いほど周囲が悪いと思ってしまい、暴力に至る場合があります。
今ピアスタッフとして働いている方について、例えば同じ服を何日も着てそろそろ洗濯したらと注意されただけでそんなことまで監督するのかと被害的に受け止めてしまい、次第に歪みを自覚して被害的受け止めであることはわかりはじめてもそれを止められず、また、どう対応したらよいかわかっているのにそのとおりできないという二重の辛さで、引きこもり中に爆発して物を壊したりしていたそうです。

(2)この点、制度側の問題として、日本では地域での訪問、危機介入サービスが不足しているため入院中心の精神医療となり、その際には警察介入及び強制入院や隔離拘束が行われて、それが当事者の心の傷になり、医療不信になり病院につなげた、同意したなど家族への憎しみを覚えるなど家族関係を悪化させて、再度家族への暴力に至って再び強制入院になるという悪循環が見られます。

(3)当事者は辛い思いを抱えています。人生に挫折感を抱き、他の病気と違ってわかりやすく治るわけでもなく薬の副作用に苦しむこともあり、病気を受容できない(薬を飲んでよくならない)、不安・やり場のない苦しみやもやもや感から生きづらさを感じて死にたいとも思います。ひきこもりの最中は鬱憤がたまりやすいです。外に出るのが怖い、人が怖い、外に居場所がないので家しかいる所がない、生活音や近所の目など周囲に過敏、この状態からぬけられない焦り、自分でもどうしてよいのかわからないという状況があり、ある当事者は「底なし沼」と表現しました。

(4)病状も絡みます。妄想が働いて被害的になり、うまく言葉で表現できずに言いたいことを伝えられず、爆発の瞬間は頭が働かなくなる感じで、衝動性をコントロールできないこともあります。

(5)親への反発心もあります。親は当事者から見ると干渉的(高圧的、強権、幻覚、教育ママ、支配する親)で、自分は人生に挫折していて親の偉大さがプレッシャーで、親にわかってもらえないと感じていて、世間体を気にする、「働け」といわることもあります。

(6)親も精神的に不安定です。暴力を受けて、怖くて返答できない、生きる気力がなくなる、自己表現ができなくなる、過去の体験がフラッシュバックするなど、爆発を受けた親もダメージを受けて、子と自然に会話することが難しくなり、適切な対応ができなくなります。

(7)以上のように、当事者の病状、親への反発心、親の精神的不安定さ、当事者の辛さが重なって、親子が本音で話せない関係(普通の会話が出来ない、のびのびと生活できない)になり、親子の認識のずれが拡大します。
爆発寸前に、子は、辛くて生きていけない、もやもやして自分ではどうにもできない、どうして辛さをわかってくれないのか、どうして病気のある自分を受け入れてくれないのか、期待に応えられないなという気持ちを抱え、いい子を演じているなどと我慢しています。
親の方も、言いたいことをいえず我慢し、言わない(但し、目につくので気になって偶にはつい言ってしまう)ことがストレスになります。
このように親子双方我慢してため込んでいるために爆発(大声でとなる、物を壊す、殴る、蹴る)至ります。爆発のきっかけは、例えば親から気に入らないことを言われた、相手に伝わらなかったとか、自分でもよくわからないなどささいなことであり、そのため、さっきまで普通に話していたのにいきなり怒り出したように感じます。
爆発の際には当事者はカーとなって自分でコントロールできず、頭が働かなくなる感じがあることもあることもあり、爆発の瞬間での対策は困難です。

(8)爆発の矛先が親に向かう理由は、親は頼れる存在、切れない特別な関係、親には理性が働かない、親には暴力を振るっても許されると感じているからです。ある当事者によれば、社会に対してすれば犯罪だが親にはいいとはっきりと区別しており、親への甘えがあります。母親は何をしても受け入れてくれる存在として暴力が向きやすく、父は社会とつながる怖い存在だが母を守る楯になる家庭も多いそうです。

(9)病状に支配されていなければ爆発の瞬間一時的に頂点に達して、頂点に達するとぴょんと落ちるそうで、一転後悔に至ります。辛い気持ちが霧消して、そこからうまく行った人の例であれば、親に恨みがあっても他の支援者と話す中で親も大変だったんだなとか親も完璧な人間ではないと状況の捉え直しが出来て親と関係改善に至ります。

(10)親子関係の問題は、幼少期からの親子の認識のずれが原因だと話す人が多いそうです。子は、いい子を演じていたり、親の弱さを知らないので親は特別な存在であると感じていたりして、親への不信感が生まれています。親の方は、いい親を見せよう、理想的な家族にならなければという幻想を持っていますが、実は親も未熟・孤独で、見えないプレッシャーを子に与えています。どの家庭でも多少はありそうなずれです。
親も子もこうあるべき・ありたいという理想に縛られて、自分を責めて苦しんでいます。親は、自分の育て方が悪かったのでは、自分さえ我慢すればいい、もっと早く対処していたら変わっていたかもと考え、発症前との落差を中々受け入れられません。そのような親の思いを感じて、子の方は、病気になって申し訳ない、普通じゃなくてごめん、親不孝だと思う、親の期待に応えられず後ろめたい、という気持ちなどを持っています。
親から子に対しては、親だって本当は偉大ではないし、病気のことを一から勉強しないといけないと言いたいのに対して、子からは親に対して、世間一般の価値観を捨て、病気を患う自分を受容して欲しい、後悔しないでほしい、隠さないで欲しいと思っています。

(11)このような親子の関係性悪化を強化する要因は2つあります。
一つ目は同居です。同居中は子が親の保護下(管理下)にあり、親は子の行動が目に付くために気になるが、子にいえず我慢しています。家は安全ですが、密室故の危険もあります。二つ目は、社会に居場所がないことです。核家族で密着した家族関係で、世界は家だけで、家以外に居場所がありません。
そのような中で暴力はやめられなくなる依存症の側面があります。
親は病気の子どもが心配で、子は不安や甘えから、親子密着になりやすい状況にあります。暴力は一瞬で気分を変えられる魔力があり(すかっとした、毒が出た)、母親は受け入れてくれる存在で、次第に親との依存関係の中で暴力を止められなくなることがあります。中には致命的にならない程度に計算して暴力を繰り返していた当事者もいました。
暴力がエスカレートする場合には離れて暮らす必要があります。

(12)逆に、暴力がなくなるのは、爆発に至る複合的要因が解消されるからです。治療により病状が改善し(当事者の病状)、完璧でない親を受容して感謝し(親への反発)、親は家族会につながって元気になり(親の精神的不安定)、他者と関わりが増え視野が広がり、過去の捉え直しや希望の再発見(当事者の辛さ)により、暴力の解消に至ります。

(13)そうすると、爆発とは、生き延びる行為(親に当たることでなんとか生きている、親にせいにしないと自分を保てない)という意味があり、爆発は生きる力を失った状態から生きる力を取り戻して行く過程であり、爆発により生きる衝動を確認している意味合いもあります。
 爆発には行き詰まった現状を変える力があり、爆発を契機として回復に至る場合には成長の機会にもなります。
暴力を肯定するわけではありませんが、暴力を振るってもリカバリーにつながることはあります。ある当事者は、親に当たった過去があるからこそ働いたり社会貢献したりする姿を親に示すこと、それが親孝行だと話しているそうです。

5 支援する側の問題

支援側の課題としては、家庭内暴力の解決に向けて支援の仕組みを変えていく必要があります。

(1)現在の家庭内暴力の支援の仕組みは、本人、家族にとって高ストレスの仕組みになっています。
暴力が起きて、家族が決断して相談に至っても、入院支援の行政対応には時間がかかり、何度も相談を繰り返して、場合によっては万が一のときのために警察にも相談を入れておき、自傷他害の恐れがある状態に至って初めて通報対応が可能になり、入院時にはかなり悪化した状態での入院となります。家族の前で暴れていても制服の警察官が来ると本人が落ち着くことはよくあるのに、警察官の前でも暴力を振るう程ですから、強制入院から入ることになります。そうすると、薬で沈静化され、保護室に入れられ、時には拘束を受けます。そのため、当事者の医療不信につながりやすく、治療中断も招きやすく、家族関係も悪化します。今の支援の仕組みはあえて暴力がひどくなるまで待って介入する方法であり、治療が遅れて予後は不良です。
そもそも疾患による危機であるのに、専門家ではない警察の介入が多い仕組みは不合理です。
暴力がひどくならないうちに早期に治療や支援につなげて、本人、家族にとって低ストレスの仕組みに変えていく必要があります。この仕組みであれば、当事者の医療への信頼も維持でき、治療継続も期待でき、家族関係の悪化も防止できます。欧米では、最小限の服薬と非侵襲的支援による24時間365日の危機介入(クライシス/インターベンション)が導入され、入院せずに家でクライシスを乗り切る方向へと仕組みを変化させています。
英国では、危機介入・在宅治療チーム(公的サービスとしてクライシス時に専門家チームが訪問)、クライシスハウス(入院の必要は無いが不安定な人が数日宿泊し、多くの人は安定して入院せずに済む)、クライシスカフェ(交通の便のよい中心部にある)、クライシスヘルプライン(24時間対応の電話回線)など、危機対応手段が豊富に整備されているそうです。

(2)暴力を研究してわかった最も重要なこととしては、暴力は家族の問題ではなく、支援しようとしなかった支援者の問題であるとのことです。
ルールを守って支援することをよしとするのではなく、本人や家族を支援するために既存のルールや支援のあり方に疑問を投げ続け、できることから取り組むことが必要であるとのことでした。

第2 研修後半は付添人活動の事例報告でした。
中野公義会員からは当初審判活動について、鐘ヶ江聖一会員からは当初審判・処遇中(通院・再入院)・終了後の各時点での審判を含めた活動についてご報告を頂きました。
いずれの事例も研修前半の講義内容を想起させる問題を含んでおり、強制入院以外の、危機介入の選択肢を充実させる重要性を改めて感じました。

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