弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2021年9月18日

スニーカーの文化史


(霧山昴)
著者 ニコラス・スミス 、 出版 フィルムアート社

スニーカーといえばナイキでしょうか...。私は持っていません。買うのに行列をつくったり、ネット上でいろいろ転売されたりして話題をよんでいることを見聞するくらいです。
マイケル・ジョーダンをナイキが起用したのは大きな賭けでしたが、それが見事にあたった、というか、あたりすぎだったようです。
この本は、スニーカーを生み出す苦労話から始まります。つまり、天然ゴムだと熱いと溶けてしまうし、寒いとコチコチに固まってしまって、使いものになりません。そこで大変な苦労をした人がいたというわけです。チャールズ・グッドイヤーです。
ゴムは耐水性はあるが、致命的な欠点をかかえている。高温下だと溶けるし、低温下だと脆(もろ)くなってしまう。
グッドイヤーは、5回も6回も債務超過となり、債務者刑務所に入れられた。1830年代のアメリカは破産すると刑務所に入れられたのでした。
1844年、ついにグッドイヤーは特許を認められた。ゴムに硫黄、鉛白を混合させて加熱するのだ。ただし、グッドイヤー一族がその後も繁栄したのではなく、別の企業が「グッドイヤー」というブランド名を使った。
スニーカーは、英語の忍び歩く(スニーク)に由来する。
短距離ランナーのはく靴が注目されたのは、1936年のドイツでのオリンピックのとき。ヒトラー支配下のオリンピックで、黒人のランナーが4個もの金メダルを獲得したことが大きい。
兄弟がケンカ別れして、アディダスとプーマというシューズのブランドが誕生した。
アメリカでバスケットボールが盛んになったのは、主としてスペース上の理由だ。地域の公園の一角にバスケットボール用のコートができて、プレーに必要な人数や用具も少なくてすむ。
1970年代に、ジョギング、テニス、バスケットボールが爆発的に人気を集め、さらに1980年4月、ニューヨークで地下鉄やバスがストライキでストップしたとき、大勢の市民がスニーカーをはいて、通勤した。
ナイキがジョーダンに的をしぼってアタックしたとき、ジョーダンはアディダスを好んでいたし、とくに乗り気ではなかった。しかし、ジョーダンの両親がナイキとの契約に必死だった。
エア・ジョーダンは1985年4月に発売された。1ヶ月もせずに50万足、売り上げは1億ドルをこえた。大ヒットだった。ジョーダンとナイキは、私だって知ってるくらいですからね...。すごいですよね。ところが、このエア・ジョーダンをめぐって殺人事件が起きてしまったり、とんだ社会現まで引き起こしたのです。
さらに、ナイキの靴が、インドネシアなどの労働搾取工場でつくられていることが暴露されて、大問題になりました。
スニーカー愛好家のことをスニーカーヘッズと呼ぶそうです。インターネットで高値で売買されているのです。
アメリカの副大統領になった黒人女性カマラ・ハリスが公式の場で、黒のチャックテイラー(スニーカー)をはいているのが注目を集めました。今やスニーカーは活動的な女性のシンボルでもあるのですね。
ゴム底の靴は、まだ百数十年の歴史しかないのに、今の社会では必須不可欠のものになっていますよね。自分の足元を見るのにぴったりの本でした。
(2021年4月刊。税込2200円)

2021年9月14日

戦争の新しい10のルール


(霧山昴)
著者 ショーン・マクフェイト 、 出版 中央公論新社

史上最強の軍隊を有するアメリカが20年間もアフガニスタンで戦ったあげく、みじめに敗退し、今ではアメリカの敵だったタリバンの天下です。
これは、軍事力だけでは国を治めることはできないことを如実に証明しています。アフガニスタンの砂漠を肥沃な緑土・田園地帯に変えた中村哲医師のような地道な取り組みこそ世の中をいい方向に変えていくのだと、つくづく思わされたことでした。
なぜアメリカは戦争に勝てないのか?
アメリカはベトナム戦争でも敗退した。アメリカは負け続けたのだ。アメリカ人の血を犠牲にし、数兆ドルの税金を浪費した。そして、アメリカという国家の名誉にダメージを与えた。なぜなのか...。
いま私たちが直面しているのは「国家の関与しない戦争」なのだ。人工知能(AI)に頼っても、基礎的な認知作業もできていないのが実情だから、戦争で勝てるはずもない。
今や国民国家どうしの武力紛争の時代は終わりつつある。今日において、通常戦ほど、非通常的なものはない。なのに、通常戦への執着は我々を今も苦しめている。
もはや我々は通常戦型の兵器の購入はやめるべきだ。むしろ特殊作戦部隊に力を入れる必要がある。
アメリカ軍の最新鋭の戦闘機であるF35は、もはや時代遅れだ。これは歴史上もっとも高価な兵器だ。F35の開発にアメリカは1兆5千億ドルをつぎこんだ。これはロシアのGDPをこえる金額だ。1機1億2千万ドルし、空中で1時間飛行すると4万2千ドルかかる。
そのうえ、このF35は空中戦のできない戦闘機だ。F35のコンピューターにはバグが発生しやすい。コンピューターのエラーは、F35では戦えないということ。
もはやジェット戦闘機は時代遅れなのだ。
途中で疑問をはさむと、著者は中東情勢で論じていますが、「米中戦争」についての論述が少ないのが物足りません。いえ、アメリカと中国が国どうしで戦争するようなことはあってはならないし、想定することは難しいと思うのです。でも、日本の自衛隊もマスコミも「米中戦争」が起きたら日本はどうする...、なんてことを無責任にあおりたてています。恐ろしい世論操作です。
著者はアメリカ軍の将校のあと、民間軍事会社にも関わっています。その体験もふまえて、外人部隊の活用をすすめています。
傭兵は、イラクとアフガニスタンで、アメリカによる契約が呼び水となって復活した。
最近のイラクやアフガニスタンでの戦争に従事している要員も半数以上は、民間軍事会社の契約業者だ。国にとって、契約業者をつかうと軍よりも安あがりになる。高額な医療費や軍人恩給を支給する必要がなく、「使い捨てできる者」だからだ。
今や民間軍事会社はビッグビジネスだ。これからは軍隊ではなく、傭兵の時代だ。
戦争の民営化は、戦いを根本的に変えてしまう。
プライベート・ウォーは、戦争開始への障壁は低い。むしろ戦争を育(はぐく)む。
プライベート・ウォーは、通常戦と対照的なものなので、通常戦に備えている現代の軍隊は、これに対応できない。
そして、「影の戦争(シャドー・ウォー)」は不可視状態になっている。ここでは情報は兵器だ。
「ゲリラは負けなければ勝利であり、正規軍は勝てなければ敗北である」(キッシンジャー)
軍事的に勝利し、戦争には負ける。これは、手術は成功したが、患者は死んだということ。これでは話にならない。
この本を読むと、今の日本の軍事大国化が、バカバカしい間違いの方向にすすんでいることが、よくよく理解できます。強く一読をおすすめします。
(2021年6月刊。税込2970円)

2021年9月 3日

先住民VS帝国、興亡のアメリカ史


(霧山昴)
著者 アラン・テイラー 、 出版 ミネルヴァ書房

アメリカ例外主義なる歴史のとらえ方があるそうです。知りませんでした。
イングランド人平民の植民者がヨーロッパの融通のきかない諸慣習、社会の階層秩序、資源の封殺からのがれて、試練と機会にみちた豊かな大陸に向かうという国の起源についての神話だ。彼らは試練を受けて立ち、一心に働いて森林を農場へと開拓し、成功をおさめた。その過程で彼らは起業家的で平等主義的な、自分で同意しないかぎり支配されることに甘んじない個人主義者になった、という神話。
このアメリカ例外主義の物語は都合よく出来ていて、植民地化の重いコストを見えなくしている。何千もの植民者には激しい労働があるばかりだったし、病気やインディアンの敵対行為によって早々と死を迎えるだけだった。そして、成功をおさめた者は、その運の良さを、インディアンから土地を奪い、年季奉公人とアフリカ人奴隷の労働を搾取することで手に入れた。
北アメリカの先住民諸族は、1492年までに、少なくとも375もの異なった言語で話していた。それぞれの部族には、言語、儀礼、神話物語、親族関係のシステムが別々になっていた。
このころ(15世紀末)、南北アメリカには5000万人から1億の人々がいて、そのうち500万から1000万の人々がメキシコよりも北に暮らしていた。つまり、北アメリカにヨーロッパ人が入植する前、ここは無人の地だったというのは明らかな間違いで、北アメリカには多くの人々が住んでいた。
1680年にプエブロ蜂起がおこった。蜂起には、プエブロ諸族1万7000人のほとんどを結束させ、ヒスパニックの奴隷狩りに恨みをもつアパッチの人々も加わった。
このプエブロ蜂起では、ヒスパニックの、ニューメキシコを建設するという80年に及ぶ、植民地建設の事業をプエブロの叛徒は数週間で壊滅させた。プエブロ蜂起は先住民がヨーロッパの、北アメリカへの拡張に加えた最大の打撃だった。
火器の導入によって、インディアンの戦争は革命的に変わった。先住民たちは、木製の武具と密集陣形を無用として放棄し、襲撃しては退く攻撃に切りかえた。また彼らは、自分たちにも銃を強硬に求めた。
インディアンたちは、17世紀末まで、馬をまったく持っていなかった。
インディアン諸族は、そのほとんどが18世紀に西方からやってきた新参者だった。
馬はバッファロー狩りのほか、人間の殺害も助長した。
職業軍をもたないインディアンは、イングランド軍がアイルランドでしたような、長期間、長距離におよぶ征服戦を手がけることはできなかった。
チェサピークのプランターにとっては、アフリカ人奴隷のほうがよりよい投資対象となった。奴隷の数は、1650年にわずか300人だったのが、1700年には1万3000人に急増し、アフリカ人の人口は、チェサピークの人口の13%を占めていた。ところが、ニューイングランド人のほとんどは、奉公人にも奴隷にも手が届かず、その代わりを自分の息子と娘という家族労働に頼った。
カロライナのインディアンは、伝染病の蔓延、ラムの飲酒、奴隷狩りという暴力の組みあわせによって次第に人数を減らしていった。病気はともかくとして、アルコールと飲酒は意図的にもちこまれた。
インディアンたちがヨーロッパからの入植者たちに圧迫され続けたのは、もち込まれた病気のせいであり、強大な銃のせいであり、内部が不団結だったからということがよく分かる本でした。さらに、インディアンに銃を売るかどうか、これについてイングランドとフランス・スペインではまったく対応が異なっていたとのこと。これには驚きました...。やはり銃をもったインディアンの部族は強かったのでした。アメリカの先住民の昔のよき日をしのぶ本でもあります。
(2020年12月刊。税込3080円)

2021年8月 5日

約束の地(下)


(霧山昴)
著者 バラク・オバマ 、 出版 集英社

オバマ元大統領の回顧録の下巻を読んで、ショックを受けました。
オサマ・ビン・ラディンの暗殺はオバマの指令によって発動したものだったのです。これまでCIAなどが暗殺作戦を企画し、大統領として仕方なく決裁したように考えていましたが、逆でした。9.11の被害者・遺族の心情を考え、その報復として暗殺作戦をオバマが始動させたというのです。
凶悪犯罪をおかした人間を裁判にかけることなく一方的に殺害してよいというオバマの発想は、彼が弁護士だったことに照らしても、まったく理解できません。そして、殺害地はアメリカ国内ではなく、国外のパキスタンです。パキスタンには事前の了解なしに暗殺を実行する軍事要員をヘリコプターで送り込み、さっと引き揚げたのです。以前あったように軍事要員たちが暗殺に失敗し、パキスタン軍ないし警察と銃撃戦になったとき、その責任をどうやってとるのか、どんな弁解が法的に成り立つのか、大いに疑問です。現に、ヘリコプターの1機は建物に衝突して、危うく墜落寸前になったのでした。
「ビン・ラディン追跡を最優先課題にしたい」
2009年5月、オバマは顧問数名に告げた。オバマには、ビン・ラディン追跡を重視する明白な理由があった。この男が自由を満喫している限り9.11で命を失った人々の家族の心痛は消えず、アメリカが侮辱され続けることになるからだ。
オバマは、また、ビン・ラディンの抹殺は、アメリカの対テロ戦略の方針を転換するという目標に欠かせないものと考えていた。テロリストたちは妄想に支配された危険な殺人鬼でしかないということを世界にそしてアメリカ国民に知らしめたほうがいいと考えた。彼らは、拘束、あるいは死刑に値する犯罪者だ。ビン・ラディンの抹殺ほど、それを知らしめるのにいい方法はないとオバマは考えた。
私には、この論理はまったく理解できません。なぜ、「拘束・裁判・投獄」してはいけないというのでしょうか...。ナチスの犯罪者であるアイヒマンをイスラエルはブラジルから違法に拉致しましたが、それでもイスラエルの法廷で裁判にかけたうえで死刑にしました。
アメリカがイスラエルのような方法をなぜとらなかったのか、オバマの「弁明」は違法な暗殺作戦を合法化できるものではないと思います。
オサマ・ビン・ラディンをアメリカ国内に連行して裁判にかけたとしたら、その安全対策のために途方もない費用がかかると思います。それでも、それなりの「対話」が生まれることも間違いありません。
オバマには、オサマ・ビン・ラディン暗殺について、ドローンを使った小型ミサイル攻撃も選択肢の一つだった。しかし、それでは、ターゲットがオサマ・ビン・ラディンなのかどうか確証が得られないうえ、その周囲にいる女性や子どもたち20人以上も一挙に殺害してしまうことから踏み切れなかったというのです。
ちなみに現アメリカ大統領のバイデンは奇襲攻撃に反対したとのこと。失敗したときの影響の大きさを考えての心配からです。
ターゲットがオサマ・ビン・ラディンだというのは、5分5分の確率だったのです。オバマとアメリカは、本当に危ない橋を渡ったのでした。
オバマは大統領在任時にノーベル平和賞を受賞しました。この回顧録を読んだ私の印象は、そのことをあまり喜んでいないのが意外でした。
大統領としてのオバマへの期待と現実とのギャップが広がりつつあることに思いをめぐらせた。オバマは、平和の新時代をもたらすのにひと役買うどころか、さらなる兵士をアフガニスタンの戦場へ送り込むことになることに思いをめぐらした。
オバマ・ケアなど、オバマが一生懸命努力したことは高く評価したいと思いますが、オバマも「アメリカ帝国主義」の考え方にどっぷり浸った人物であることも改めて認識させられた回顧録でした。もちろん、問答無用式のトランプなんかより、議論が成り立つだけ、はるかに良い大統領ではありましたが...。
(2021年2月刊。税込2200円)

2021年7月31日

カランヂル駅


(霧山昴)
著者 ドラウジオ・ヴァレーラ、 出版 春風社

タイトルに駅とついていますが、刑務所の話です。
1992年10月2日、ブラジルはサンパウロカランヂル刑務所で、収容者111人が軍警察によって虐殺された。この事件は、私もうっすらとした記憶があります。
著者は、この刑務所に志願して医師として働いていました。刑務所における収容者たちの素顔をそのまま紹介しています。私はみていませんが、映画にもなっている(2003年。日本は未公開)とのこと。機会があれば、ぜひみてみたいです。
7000人もの収容者をかかえる刑務所でしたが、今は存在しません(2002年に閉鎖)。
刑務所には、さまざまな掟があり、収容者による自治が「確立」していて、刑務所当局も、この「自治」を尊重しながら、毎日、なんとか運営していた。圧倒的に少ない職員で、刑務所を平穏に運営するには、「自治」に頼るしかないのでしょうね...。
この刑務所では、紙に書かれていない刑法によって、厳格に統制されている。
借金を返す。仲間を売らない。他人の客は尊重する。身近な男の女には手を出さない。連帯と相互の利他主義を実践する。これらのことが囚われた男たちに尊厳を付与する。求められた礼を欠いたときには、社会的な軽蔑、肉体的罰、ときには死刑によって罰せられる。
「犯罪者の世界では、約束の言葉は軍より力を持つ」
掟を破ったものは「死刑」にもなる。この処刑は大勢が関わる、公然としたものなので、まさしく秩序維持の一環だった。そして、刑務所の房(部屋)も所有者がいて、有料で賃貸されていた。刑務所内では、すべてがお金で動く。基本通貨はタバコ。
刑務所の外から女性が訪問して、部屋でセックスできる。これは誰も邪魔することは許されない。他人の女性に手を出すことは厳禁。違反した罰は厳しい制裁。
まあ、それにしても刑務所内で医師として長く働いた(働けた)というのは、著者の人徳なのでしょう。
この刑務所には、いくつかの5階建ての棟があり、棟のなかの房(部屋)は朝に開錠され、夕方に施錠される。日中は収容者は自由に敷地内と通路を移動できる。他の棟へいくには通行証がいる。
房ごとに所有者がいて、市場価格がある。一番安いのは150から200レアル(5棟)。もっとも高いのは2000レアル(8棟)。上等なタイルが使われ、ダブルベッドと鏡がついている。
デンプンと脂肪だけはふんだんな食事のため、収容所は運動不足もあって、肥満になる。
房で盗みに入って見つかると、「牢屋のネズミ」のレッテルを貼られ、お尻をナイフで切り刻まれる。
この刑務所の収容者の17%がHIVに感染した。コカインの静脈注射によるものと、トラヴェステ(同性愛者)の8割近くが感染した。
清掃班がいて、所内を統制している。だから所内は清潔だ。
刑務所内の秩序は清掃班によって維持される。そのリーダー(統括)は、腕っぷしが強いわけではない。むしろ、寡黙で、非常に良識を備えている。争いを仲裁し、みんなを統率する能力を有していたことから選ばれる。ここでは、リーダーは、正しい声を聴き分け、仲間と話し合いができ、力を持つために団結させることができる人間がなる。
看守には、収容者をまとめるキーパーソンと連携できる能力が、刑務所の平穏と自分の身の安全のために欠かせない。看守の仕事の本質は、権謀術数を用いて、「悪党」どもを分裂させて統治することにある。
刑務所では、レイプ魔は忌み嫌われ、憎しみの対象となり、それが判明したら、生きていくのは難しい。
仲間を売るより、他人の罪をかぶるほうがいい。無実の罪を着せられたときには、真犯人が、その恩に報いるために、骨折ってくれる。刑務所にいる収容者には冤罪だらけだ。
いやあ、ブラジルの刑務所の驚くべき実態を実に詳細に知ることができました。でも、人間って、どこでも同じなんだな...、とも思いました。350頁の本を一気読みしました。一読の価値ある本です。
(2021年3月刊。税込3960円)

2021年7月29日

約束の地(上)


(霧山昴)
著者 バラク・オバマ 、 出版 集英社

アメリカで170万部も売れたというオバマ元大統領の回顧録です。
正直いってオバマ大統領誕生のニュースを聞いたときには私も少しばかり胸が熱くなりました。これでアメリカも、もう少しまともな国になってくれるのではないか...という期待からです。でもまあ、その後のオバマ大統領の行動をみると、プラハでの演説は素晴らしかったのですが、その後の行動が演説を裏切りました。また、オサマ・ビン・ラディンの強引な暗殺も許せません。アメリカなら、司法を無視して、しかも他国の主権を無視して容疑者を一方的に殺してしまえる。そんなはずはありません。大いに失望させられました。
でもでも、そのあとのトランプ大統領よりは、ましです。というか、トランプのひどさは言葉に言い表せません。だけど、トランプには少なくとも言葉がありました。わがスガ首相には、その言葉すらありません。アベもスガも、知性と教養がないことを売りにしているようです(その点、トランプそっくりです)。でも、政治家がコトバの力を信じなかったら、世の中は闇です。
序文で、オバマがこう書いています。
「私は今でも手で書くことを好んでいる。パソコンを使うと、ひどく乱雑な下書きがあまりに体裁よく見えてしまい、生煮えの構想まで整然と仕上がったように錯覚するからだ」
これには、まったく同感です。モノカキを自称する私は、まったくの手書き派です。パソコンに入力するのは有能な秘書の仕事です。そして、私が赤ペンを2度、3度と入れて完成稿を目ざすのです。この赤ペン入れは私のひそかな楽しみです。
オバマが10歳のとき、父親がケニアからハワイのホノルルまでやってきて、1ヶ月をともに過ごした。それが父親に会った最初で、最後。
10代のころのオバマは、信じられないことに、やる気の感じられない学生だった。バスケットボールには情熱を燃やしていたし、パーティーにはしょっちゅう行っていたが、学生自治会とは縁がなく、議員のインターンとして働いたこともない。
ただ、高校生のオバマは自分の肌の色、そして階級をめぐって疑問を抱いてもいた。そのことを誰に話すこともなく、オバマは本に逃げ込んだ。
読書は、幼いころに母に植えつけられた習慣だった。本が好きだったから、オバマは高校を無事に卒業できた。そして、1979年にカリフォルニア州のオクシデンタル大学に入学した。3年目にコロンビア大学に移った。このコロンビア大学での3年間、オバマは修道士のような日々を送った。ひたすら読み、書き、日記をつけ、学生のパーティーにはほとんど顔を出さず、温かい食事をとることもまれだった。ひたむきで、強情で、ユーモアのない毎日を送った。
1983年に大学を卒業し、シカゴでコミュニティ・オーガナイジングの活動を始めた。地域の課題解決に向けて、ごく普通の人々を連帯させていく草の根活動。ここで、オバマは、頭でっかちな自分から脱却できた。地域に入って、何度も拒絶され、侮辱されたので、拒絶され侮辱されるのを恐れることがなくなった。そして、ユーモアのセンスも取り戻した。
私は、この節を読んで、私が大学1年生のときから3年間ほどかかわったセツルメント活動を思い出しました。川崎市幸区古市場という、大企業から中小企業まで、そこで働く労働者の暮らす下町での若者サークルの一員として活動していました。侮辱されたことはありませんが、拒絶され、また、会社からアカ攻撃を受けていました。少しでも会社の意向に反する言動をしようものなら、「アカ」として排斥される社会的な仕組みがあることを体験したのです。でも、同時に、そこは楽しい場でした。ユーモアのセンスを取り戻すというのではありませんでしたが、心の安まる場であったことは確かです。今、そんな学生セツルメント活動が存在しないのが、残念でなりません。ネットで替えられるものではないのです。
オバマは、この経験を経て、ハーバード大学のロースクールに進んだのです。日本のロースクールの理想もそういうものでした。社会人の経験ある人が弁護士になることを容易にしようというものです。実際に、そういう人たちも少なからずいるわけですが、今では日本のロースクールは失敗だと言いたてる人の声が大きいのが、私としては残念でなりません。
オバマがミシェルに出会ったのは、シカゴの法律事務所でのこと。すでにミシェルは弁護士として働いていて、オバマは、そこへインターンとして通った。ミシェルは、ユーモアがあって、社交的で度量が広く、とてつもなく頭がよかった。なので、オバマは会った瞬間、魅了された。
オバマは政治家になり、ついには上院議員、そして、大統領選挙に挑戦します。勝ちすすむための具体的な心得は、メディアをもっと効果的に活動すること。自分の主張を短く、強い言葉にまとめて広めること。政策文書の作成にばかり時間を費やさず、有権者一人ひとりと直接つながる活動を展開すること、そして活動資金を、それも多額の資金を調達すること。費用のかさむテレビ広告を打って、認知度を上げることが条件だった。
オバマにある人が、こう言った。
「キミが機会を選ぶのではない。機会のほうがキミを選ぶのだ。キミにとって唯一となるかもしれないこの機会をキミ自身の手でつかむか、そうでなければ機会を逃したという思いを一生かかえて過ごすか、そのどちらかだ」
オバマは、まったく同じ話を、まったく同じ話し方で、1日に5回も6回も7回も話さなくてはいけなかった。
私にとって、これは耐えられないことです。1回話したことを、もう1回、同じように話せと言われたら断ります。それを6回も、7回も、だなんて、とんでもありません。政治家なんて、私にはまったく向いていません。
質問の半分は揚げ足とり。その罠にはまってはいけない。どんな質問をされても、まず何かひと言返し、いかにも答えたかのように思わせ、そのうえで、主張したいことを話したらいい。人は事実よりも感情で動く。なので、否定的な感情ではなく、肯定的な感情をかきたてる、演技をしながらも、やはり真実を語る必要がある。
上巻はオバマが大統領になるまでが大半を占めています。一気に舞台を駆けあがっていく様子はアメリカの民主主義の強さを実感させられます。
(2021年2月刊。税込2200円)

2021年7月28日

ノマド


(霧山昴)
著者 ジェシカ・ブルーダー 、 出版 春秋社

映画「ノマドランド」は見ていませんが、その原作本です。
ノマドとは、流浪の民のこと。まさか自分が放浪生活をすることになるとは思いもしなかった人々が、続々と路上に出ている。
彼らをホームレスと呼ぶ人もいるが、現代のノマドは、そう呼ばれるのを嫌う。避難所と移動手段との両方をもつ彼らは、ホームレスではなく、ハウスレスを自称している。
彼らの多くは、遠目には、キャンピングカーを愛好する気楽なリタイヤ組に見える。
しかし、ガソリンタンクとお腹を満たすために、骨の折れる肉体労働に長時間労働している。賃金が上がらず、住宅費が高騰する今の時代に、家賃や住宅ローンのくびきから自由になることで食いつないでいる。彼らは、日々、やっとのことでアメリカを生きのびている。
賃金の上昇率と住居費の上昇率があまりに乖離(かいり)した結果、中流クラスの生活をしたいという夢をかなえるなんて逆立ちしても無理になってしまった人が、続々と増えている。
収入の半分以上を住居費に費やしているアメリカ人家庭の6世帯に1世帯は、待ったなしの状況にある。住居費を支払うと、食料品、医薬品、その他の生活必需品を買うお金がほとんど、あるいはまったく残らない定収入の家庭が少なくない。
キャンピングカーにないのはシャワーとトイレ。トイレはバケツで代用する。そのふたの上に食料品を置く。
アマゾンは、従来型の派遣社員を何千人も採用しているが、配送量が劇的に増える繁忙期、つまり3ヶ月から4か月間続くクリスマスセールの時期には、ノマドを追加投入する。
アリゾナ州では、2000人ほどのノマドを採用した。そして、繁忙期が終わると、用済みとなり、契約は切られる。
かつて年100万ドル以上の暮らしをしていた人が、今や週に75ドル(7500円ほど)で暮らす。中流層の労働者の半数近くは、定年退職のあとは、1日わずか5ドルの食費でやりくりすることになる。公的年金だけでは、あまりにぎりぎりで、やっと食いつなげるかどうかというレベル。これを「定年の消滅」と呼ぶ。
ところが強欲老人というイメージがつくりあげられた。現役世代の血税を飲み干しつつ、ゆたかなレジャーを楽しみながら老後を過ごす、老人病の吸血鬼。これは、ロナルド・レーガンの言った「福祉の女王」と同じもの。
車上生活を安全に過ごすには工夫と注意が必要。日中と夜間で、車の停泊場所は変える。日中は日常の行動がすべて問題なくできる場所を選ぶ。夜間の停泊場所には、暗くなってから移動する。そこは眠るだけの場所なので、朝になったら、すぐにまた移動する。
もう一つ大事なのはカモフラージュ。車は、いつもきれいにしておく。座席に洗濯物などを散らかしておかない。人の興味をひきそうな装飾はしない。ステッカーなんて貼らない。
そして、警官は、避けるに限る。
車上生活者の圧倒的多数は白人。白人であってさえ、アメリカでノマドでいるのは並大抵のことではない。黒人が車上生活するのは、危険すぎる。
アメリカでは、社内泊を禁止する都市が増えている。2011年から2014年まで37から81都市へ43%増えた。ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ワシントン、ホノルルなどで、警察が検挙している。
だけど、ノマド同士の連帯も生まれている。
立派な建物もお風呂もないセンターステージだってありゃしない。だけど、キャンプファイヤーで友情が生まれる。だれもかれも安っぽいつくりだけど同じ人は一人もいない。
現代アメリカの知られざる現実が紹介されています。著者は大学で教えてもいる女性ジャーナリストです。
(2021年5月刊。税込2640円)

2021年6月25日

ブラック・ライブズ・マター回顧録


(霧山昴)
著者 パトリース・カーン=カラーズ 、 出版 青土社

Black Lives Matter. これは、一般には「黒人の命も大事だ」と訳されているが、実はもっと深く広い意味合いがある。私もそうだろうと思います。この日本語訳を単純に英文にしたら、ブラック・ライブズ・マターにはならないような気がします(英語には、まったく自信ありませんが...)。「黒人の生命を守れ」、「黒人の生活を向上させるべきだ」、「黒人の人生の価値を認めよ」という、いろんなニュアンスが重なっている。そして、「白人と同等に」、「白人が当然だと思っているように」という意味合いも含んでいる。なるほど、ですね。
アメリカの独立宣言のなかにある、「すべての人間は平等に創造され、不可侵、不可譲の自然権として生命、自由、幸福の追求の権利がある」という考え方を、アメリカの全市民に公平にあてがうべきだという考え方だ。まったくそのとおりですよね。
ところが、アメリカの現実は、依然として、そうではないのです。
カルフォルニア州では、警官によって72時間に1人、殺されている。そのうちの63%は黒人かラテン系。ところが黒人はカリフォルニア州の人口のわずか6%しかいない。白人の5倍も黒人は警官に殺されている。ラテン系と比べても3倍だ。
アメリカの人口は世界の5%でしかない。ところが、刑務所にいる人間でみてみると、世界の25%がアメリカにいる。そして、アメリカ人のうち黒人が占めるのは13%でしかないが、刑務所内の人口比では33%も占めている。黒人の収監率は、白人の7倍近い。
この本はBLMを立ちあげた3人の黒人女性のうちの一人、パト―リース・カーン=カラーズの自伝。ロサンゼルス市内のヴァニナイズ地区に生まれ育った。母親はエホバの証人の信者で、夫たる著者の父親とは別れていた。大変な状況下にあっても高校に通い、ついにはUCLAに入学しています。そして、大学では毛沢東、マルクス、レーニンなどの本も読んでいます。
さらに、著者はクィアだと高言したのです。頭を剃って、下唇にピアスをし、腰には片腕にレーカーこぶを入れた女性の姿の刺青もしています。外見は明らかに変わっています。
それにしても、アメリカにおける黒人差別は、今もなお、すさまじいものがあります。
それは、実社会でもそうですし、刑務所の中でも同じことのようです。
黒人にとって、警官は、法の執行に安全を守るとか市民の援助をするというイメージは皆無で、ただひたすら黒人の行動を監視し、制御する機関でしかない。警察は黒人について、将来もっとも犯罪を犯す可能性が高いグループだと見なしている。親が刑務所にいるため1000万人もの子どもたちに、そのしわよせが行っている。
刑務所人口を使って多額な収益を上げているのは、女性下着専門店(ヴィクトリアズ・シークレット)、自然食品チェーン(オールフーズ)、AT&TL(アメリカのNTTのような会社)、スターバックスなど(スタバも、そうなんですね...)。
アメリカの黒人の意気盛んな運動に少しばかり触れた思いがしました。それにしても、こんな地道な活動をしている彼女たちをテロリストと呼ぶなんて、まったくの間違いだと思います。
(2021年3月刊。税込2860円)

2021年5月16日

グレート・ギャッビーを追え


(霧山昴)
著者 ジョン・グリシャム 、 出版 中央公論新社

グリシャムの文芸ミステリーというので、読みはじめました。やはり、さすがですね、途中で読み止めるわけにはいかなくなります。でもでも、心を鬼にして、本を読むのをやめ、重い心をひきずりながらも準備書面づくりを始めました。なんといっても生活していかなければなりません。今の生活を守るためには、なんてったってお金を稼がないといけないのです。
グリシャムの今度の本には弁護士はちらっとしか出てきませんし、法廷場面も、ほんのわずかだけ。主要な舞台は書店。新刊本だけでなく、高価な、それも超高価な初版本を扱う珍しい書店です。
アメリカでは書店で作家によるサインセールをするとき、一人でなく複数の作家が並んでするという。ということは、どちらが読者に人気があるのか、一見して分かることになる。
一方は長蛇の列で、もう一方は誰も並んでいないなんて、泣けてきますよね。映画『帰ってきた寅さん』でも、後藤久美子がサインセールしてましたっけね...。
それにしても、初版本を集める人がいて、それが高額で売り買いされる現象というのが私にはまったく理解できません。本は本でしかなく、初版本なので価値があるなんて、思いもよりません。私なら、作者が次々に加筆・修正していったとしたら、最後のものを読みたいです。そして、自分がそうしたら、最後のものこそ読んでほしいです。
主人公は売れない女性作家です。そして、その周囲に作家群がひしめています。その大半が、あまり売れていない作家たちです。インスピレーションが枯渇してしまった作家たちは、もはやどうにもならないようです。私もつくづく、兼業モノカキで良かったと思います。だって、どうやって、あんなにインスピレーションが次々に沸いてくるのでしょうか、不思議でなりません。
ミステリーなので、ネタバラシはしませんが、最後のドンデン返しがすごいです。なるほど、そういうことだったのか...という思いと、ええっ、そ、そんなことあるの...、という複雑な思いに駆られました。いつもノーベル文学賞候補にあがる村上春樹が訳しています。
「グリシャムのことは、もうだいたい分かった、とあなたが思ったそのとき、彼はあなたを驚かせる」
このキャッチフレーズは、あたっています。
(2020年10月刊。税込1980円)

2021年5月12日

世界を動かす変革の力 ―ブラック・ライブズ・マター


(霧山昴)
著者 アリシア・ガーザ 、 出版 明石書店

2020年5月、ジョージ・フロイドが警官に首を8分あまりも押さえつけられ、「息ができない」と訴えたのに、絞殺された。今はスマホで簡単に撮影・録画できるのですよね。この映像は私も見ましたが、本当にひどいと思いました。黒人を自分と同じ人間だと考えていたら、あんなことが出来るはずもありません。
2020年6月、ブラック・ライブズ・マター運動が再燃し、アメリカだけでなく全世界で抗議運動が広がり発展した。ブラック・ライブズ・マター運動について、SNSを通して一瞬で広がった運動というイメージをもつ人は多いかもしれない。でも、長年にわたる黒人への弾圧の歴史に対する集団的な怒り、そして長年の蓄積と組織化があってこそ、広がりのある運動に発展したものだ。この本は、そこを詳しく解説しています。
インターネットのハッシュタグから運動を起こすことはできない。運動とは、人間の集団が起こすもの。運動には正式は始めと終わりの瞬間はなく、決して一人の人間が始めるというものではない。運動とは、電気のスイッチよりむしろ波に近い。運動は、分断された人たちが、どのように連帯できるかという物語だ。何もないところから運動は生まれない。
レーガン大統領は「福祉の女王」というインチキ宣伝をし、「逆人種差別」として黒人の地位を白人と同等に引き上げることに抵抗した。クリントンも「ギャング戦争」との戦いによって、黒人コミュニティを荒廃させる法律をすすめた。妻のヒラリーも同じだ。
組織化とは、関係をつくり、さらにその関係性を活用して、一人ではやりきれないことを連帯の力で成しとげること。そして、組織化の使命と目的は、力(パワー)を築きあげること。力がなければ、自分たちに損害を与えている地域社会を変えることはできない。
世の中には2種類のリーダーがいる。もっとも弱い立場のために力(パワー)を使おうとする人と、そうした住民を食い物にして私権のために動く人だ。
現実の黒人は、生きのびるためなら、たとえそれが矛盾した行動だったとしても、なんでもする。99%は大部分が人種的マイノリティだが、白人男性も少しいる。1%は数少ない例外を除いて、ほとんど白人男性だ。
ところが、99%の人々は、努力さえすれば、いつか1%の一員になれると信じている。そして同じ99%の内部で、自分は金持ちになれないのは、お前のせいだと他のマイノリティと相互に非難しあう。
2015年にアメリカで307人の黒人が警察に殺害され、2016年には266人の黒人が殺された。この数字には、自警団や警備員による殺人はふくまれていない。
ブラック・ライブズ・マターがリアルに政治組織として組織化されたのは、2014年のこと。
団結にも努力が必要だ。私たち左派は、人間らしく尊厳のある生き方をみんな示すことのできる存在でなければならない。
黒人の命は大切だと宣言するのは、黒人以外の人々、とくに黒人以外のマイノリティの命の大切さを否定しているわけではない。
なぜ黒人は、全米人口の12%でしかないのに、いま刑務所や高地所の収容者の33%を黒人が占めているのか。なぜ黒人女性は白人女性の2倍近くも収監されているのか。なぜ、黒人女性の妊産婦死亡率ははるかに高いのか・・・。
クリントン夫妻は、現実には黒人コミュニティのためにほとんど何もしなかった。ところが、若い黒人有権者はクリントンにサンダースの2倍の票を投じた。
オバマという黒人大統領の政権が8年間続いたが、アメリカの黒人社会に約束どおりの希望と変化はもたらされなかった。刑務所から7000人もの人々を釈放した一方、何十万人もの移民を強制送還した。
権力的立場にいる者は、他人を犠牲にして、自力で得たものではない恩恵を手にしていることを、まず認めようとはしない。
運動を立ち上げるときは、よく、居心地のいい相手や、考えが一致し、世界観も共通する人だけを相手にして連携しがちだ。しかし、それでは、同質的で小規模にとどまることに安住してしまう。真の変革を実現するには、数百万人規模の運動をつくりあげる必要がある。
インポスター症候群というのがあるそうです。聞いたことのないコトバです。客観的には高い知性や能力創造性を身につけているにもかかわらず、そのことに自信がもてず、自分は「偽物」だと感じている人々のこと。もうひとつピンとは来ませんでした。
堂々356頁もある大作です。アメリカですすめられている黒人の運動についてのショッキングかつ、とても納得できる本でした。
(2021年1月刊。税込2420円)

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