弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
アメリカ
2024年6月18日
スリーパー・エージェント(潜伏工作員)
(霧山昴)
著者 アン・ハーゲドーン 、 出版 作品社
原爆開発を進めていったアメリカの「マンハッタン計画」の立役者だったオッペンハイマーを主人公とする映画をみました。広島・長崎の原爆投下後の惨状こそありませんでしたが、原爆の怖さは、それなりにあらわされていたと思います。
原爆も原子力発電所も人間のカブ制御できないものですから、どちらも人類の生存のためには廃絶するしかありません。ところが、目先の利益しか考えない悪徳まみれの政治家・経済人がいかに多いことでしょう。そして、それに騙されて、疑問を感じない人々の多さには呆れてしまいます。
この本は、オッペンハイマーによる「マンハッタン計画」にもぐり込んだソ連スパイの1人を主人公としています。スパイは、このほかにも何人もいました。
映画「オッペンハイマー」をみた人は、1930年代のアメリカにはインテリのなかに共産党員とその支持者がゴロゴロしていたことが分かったと思います。オッペンハイマーの妻は、元共産党員でしたし、愛人も党員だったのです。
この本の主人公、ジョージ・コヴァルはアメリカで生まれ育ったものの、1932年5月、一家をあげてソ連に移住して、ソ連の大学で学び、それからスパイとして1940年9月、アメリカに戻ってきて生活し、ついにマンハッタン計画に潜入することに成功したのでした。
プーチン大統領は、コヴァルの死後に勲章を授与しています。原爆製造に使われるプルトニウム、濃縮ウラン、ポロニウムを生産するアメリカの極秘核施設に潜入し、ソ連に機密情報を送っていた功績をたたえたのです。その結果、スターリンはアメリカの核爆弾製造を知り、また、わずか4年で原爆開発を成功させることができました。
コヴァルは、アメリカ生まれで高校までアメリカで育ちましたから、ロシア語なまりなどは全くありません。完璧なアメリカ英語を話したのです。大学をソ連で過ごしたことは、もちろん完全に秘匿し続けました。コヴァルはソ連に戻ったあと、ユダヤ人として不遇な時期もあったけれど、大学の教員として過ごし、2006年1月に自宅で死亡。
ジョージ・コヴァルのスパイ活動を監督するハンドラーのラッセンは、ニューヨークのブロンクスで電気店を営んでいた。銀行員、旅行業者、科学者、大学教授などがスパイ網を構成していたが、ジョージ・コヴァルはハンドラーのラッセン以来の誰とも会っていない。これが鉄則だった。
コヴァルは、マンハッタン計画のなかでは「数学者」として登録された。
後で、アメリカ人349人がソ連のスパイとして特定された。これって、やはり多いですよね。スパイって、お金のためだけではないのです。共産主義思想を信じていた人も少なくありませんでした。
アメリカで活動したソ連のスパイは、全員、アメリカ共産党とはまったく関わりをもたなかった。そして、その多くがユダヤ人だった。コヴァルもユダヤ人。
コヴァルは1948年11月、ソ連・モスクワに無事に帰還した。
ソ連の科学者は理論的にすぐれていても、原爆製造に必要な実際的知識に乏しかった。そこを埋めたのが、コヴァルたちがもたらした実際的な手法だった。
いやあ、こんなスパイもいたのですね、まったく知りませんでした。科学上の知識と好奇心を生かして原爆製造の秘密を探ったわけです。たいした人物がいたものです。
(2024年1月刊2700円+税)
日曜日(16日)、福岡の大学でフランス語検定試験(1級)を受けてきました。1995年から毎年欠かさず受験していますので、30回目になります。1級のペーパーテストなので、残念ながら合格したことは一度もありません(準1級には何度も合格しています)。しかも、年々、年齢をとるとともに成績は低下しています。前は5割(合格点は6割)を目ざしていましたが、今年は、「目ざせ、4割」でした。ところが自己採点ではなんと74点(150点満点)。5割です。いやー、やったー、と叫びました(もちろん、不合格ではあります)。年に2回のボケ防止の受験勉強です。今回も必死に勉強しました。
2024年5月 8日
コスタリカ
(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 高文研
中米にある小さな国、コスタリカから日本は学ぶべきところが本当にたくさんあると実感させられる本です。著者は前は朝日新聞の記者で、今は国際ジャーナリストとして活躍しています。コスタリカ訪問ツアーのコンダクターとして、最近もコスタリカに行って帰ってきたばかりです(私はFB仲間なのです)。
早朝というより夜中の3時に出発して、2時間かけて森の中のケツァールを見に行くというのです。極彩色の見事な小鳥なんですが、このスケジュールには私なんか恐れをなしてしまいます。
コスタリカの人口520万人は、北海道の6割ほどの広さに住む。コーヒーやバナナを生産する農業国。
コスタリカには軍隊がない。ええっ、それでどうやって国土を守っているのか。近くには、内戦が絶えなかったニカラグアやパナマそしてコロンビアなどがあるのに...。
国境警備隊と警察はある。しかし、両方あわせても1万人にみたない。戦車も軍艦も、戦闘機だって持っていない。自動小銃と迫撃砲しかない。
でも、まず軍事予算の支出がないため、教育と福祉が充実している。教育費も医療費もタダ。
こんな問いかけを受けたとき、あなたはどちらを選択しますか?
兵士になりたいのか、いい教育を受けたいのか。兵隊になって上官から怒鳴られ人殺しをやらされるのを選ぶのか、人生で自分のモチベーション(動機)を見出すのか、どちらを選びますか...。
いやあ、決まっていますよね。私は隣の韓国はすごいと日頃から思っていますが、一つだけ見習いたくないのは、韓国には徴兵制があるということです。有名な歌手の若者たちも、いろいろ騒がれながら、とうとう軍隊に入りましたよね。日本ではそれがないのを本当に私は良かった、すばらしいことだと確信しています。だって、人殺しの訓練なんか受けたくないし、朝から晩までしごかれるなんてまっぴらごめんですよ。
病気になっても、コスタリカでは、薬も治療も、さらに手術代までも医療費は無料です。これだと安心して病院にかかれますよね。日本では、いくらか身体の具合が悪くても我慢している人が信じられないほど多い人です。医療費が高いからです。
もっとも良い防衛手段は、何も防衛手段を持たないこと。本当にそのとおりです。
「抑止力」を持つといって、相手国が手を出したくないほどの軍備を持っていたら戦争が起きないっていう考えは明らかに間違いです。中国の軍事力を上回る軍事力を日本がもつなんて不可能ですし、もし本気で軍事力を増強したら国の経済は破綻し、国民生活は成り立たなくなってしまいます。
コスタリカの教科書には、政治家を信じるな、政府に批判的な目を持てと書かれている。
日本では、政府にモノ言わない、従順な生徒づくりがますます強まっていますよね。
自民党の政治家のあの無恥、厚顔ぶりを毎日のように見せつけられたら、政治家は信じられないと子どもたちは思うでしょう。でも、その次の行動が違います。
コスタリカでは子どもたちも選挙に積極的に関わります。選挙運動もするし、模擬投票もして、選挙はいつだって身近なものであり、大切なものだと実感しています。
ところが、日本では、「あなたまかせ」、投票所に足を運ぶことの大切さをまったく理解していません。残念です。
コスタリカでは国会議員は連続再選できない。選挙のたびに国会の構成が変わるのです。そして、完全比例代表制。いやあ、これはぜひ日本でも取り入れてほしいものです。日本では連続どころか、二世、三世の議員の議員だって珍しくないのです。おかしいと思います。政治家を職業とし、父子相伝にするなんて、私は間違っていると考えています。
そして、コスタリカの国会議員は男女ほぼ平等です。というのも、名簿の順番は男女を交互にするように定められているのです。うらやましい限りです。
コスタリカのツアーに参加した日本人が、現地に行って、道路はでこぼこ、学校の校舎はみすぼらしい、ホームレスが町にいる...といって、がっかりするそうです。そうなんです。コスタリカは天国ではないのです。それでも、人々は親切で、優しく、生きています。難民だって受け入れているのです。
どうでしょうか、こんな小さい国でやれることが日本で出来ないってことはないのではないでしょうか。読んで元気の出てくる本です。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2024年3月刊。1800円+税)
2024年4月13日
人生のマイルストーン
(霧山昴)
著者 中嶋 照夫 、 出版 幻冬舎
女性5人、男性4人の9人、その平均年齢はなんと68.7歳。
70歳目前の「ジジ・ババたち」によるキャンピング・カーでのアメリカ縦横断旅行(43日間)の体験記です。夫婦2人で、とか、日頃から気のあった仲間で出かけたというのではありません。こんな大胆な旅行を思いついた人が新聞で同好の士を募ったのです。
そのときのキャッチコピーは、「気力、体力、知力を使い果たす前に、生涯の大旅行をしよう」というもの。そして募集したときの条件は3つ。①協調性があること、②ペアで参加できること、③好奇心旺盛であること。ここには健康であることは条件になっていませんが、当然のことだからでしょうね。胃腸が丈夫なことというのもありません。
募集人員は最大7人としていたところ、20人ほどから申し込みがあったそうです。1ヶ月半もアメリカ旅行するというのですから、金銭的にも余裕のある人じゃないとダメですよね。
呼びかけた側にとっての一番重い課題は仲間意識の醸成。出発前のミーティングで10回ほど顔を合わせただけというのですから、不安は大きかったと思います。それでも、みなさん、なんとかうまく折り合ったようです。
大型キャンピングカーの運転は大変でした。というのも、アメリカの太平原はひたすら単調なのです。高速で1時間走ってもまったく風景が変わりません。
私も昔、アメリカのアイオワ州のトウモロコシ畑を車で走ったことがあります(もちろん私が運転したのではありません)。延々、はるかに見渡すかぎりのトウモロコシ畑が何時間走っても続くのです。いいかげんうんざりしました。
そこで、運転者は眠気防止の薬を服用しました。そんな薬があるのですね、知りませんでした。コーヒー1杯分のカフェインの錠剤。100錠入っていて8ドル。午前1錠、午後1錠を服用した。1錠あたり4時間の覚醒作用があるとのことで、実際には1~2時間の薬効だったとのこと。それでも効果はあったようです。
キャンピングカーによって移動しても泊まるところは、専用パーク。治安上も、これが1番とのことです。
そして、キャンピングカーにトラブルが発生したとき...。
アメリカ人は予想以上に親切だったことが紹介されています。困った人を見つけたら、集まってきて、みんなで力をあわせて助けてくれる。それは無償であり、対価を求められることはなく、まったくの善意。アメリカ人にも善人は多いのですね...。
アメリカ人に肥満が多いこと、そしてタトゥーを身体のあちこちに入れている人が多いことも紹介されています。
キャンピングカーは調理できるので、スーパーで食材を買い込んで、「豪華な」食事も楽しんだようです。カップラーメンですますというものではありませんでした。いいですね。やっぱり旅行の楽しみの一つは、美味しいものを楽しく語らいながら食べることにありますからね。
ともあれ、2022年5月4日に日本を出発し、6月15日に9人全員が無事に帰国できました。良かった、よかったです。そして、写真も旅行体験記もある本書が作成されたのです。
たいした老人(ジジ・ババ)パワーです。どうやら私とほとんど同じ世代のようですね。まだまだ団塊世代も元気なんですよ。これからも皆さん、お元気にご活躍してくださいね。
(2024年2月刊。1600円+税)
2024年4月 6日
モサド・ファイル2
(霧山昴)
著者 マイケル・バー・ゾウハー 、 出版 早川書房
イスラエルのガザ侵攻がいつまでたっても終わりません。私は直ちに停戦し、イスラエルは軍隊を速やかに撤退することを求めます。ガザ地区のハマスを支持しているわけではありません。ともかく戦争をやめてほしいのです。
暴力には暴力を、力には力を、こんな単純な発想では、いつまでも復讐の連鎖反応は止まりません。
イスラエルは、その国の存立を守るため強力に武装し、また、スパイ活動を強化しています。本書では、そのほんの一端が女性スパイに焦点をあてて紹介されています。
ユダヤ人大虐殺に関与したナチスの将校アイヒマンをアルゼンチンが逮捕・連行するとき、モサドは、そのなかに女性も1人だけ工作員に加えていた。
アイヒマンを逮捕し監禁していたところ、連行する飛行機の都合で、10日間ほど、夫婦として何ら変わりのない日常生活を送っていることを演出しなければならなかった。
アイヒマンは投薬され、パイロットの制服を着せられてイスラエルの機内にこっそり運び込まれました。そしてイスラエルへ連れ去られ、世紀の裁判が始まったのです。その状況を再現した映画はみました。
この本を読むと、モサドの工作員には女性もたくさんいて、重要な役割を果たしてきたことがよく分かります。まあ、国家としては必要な期間なのでしょうが、すべては平和を守るため、戦争にならないようにするためであってほしいと心から願います。
(2023年11月刊。3300円)
2024年3月21日
家を失う人々
(霧山昴)
著者 マシュー・デスモンド 、 出版 海と月社
アメリカの貧困層を食い物にする大量の大家軍団が存在することを初めて知りました。恐るべき現実です。このような先の見えない貧困層の存在がトランプの岩盤支持者につながっているのではないのかと思いました。
最上の住宅を借りられるだけの経済力をもつ金持ちからは、最大の利益をあげられない。代わりに小銭にも事欠く住人にスラムのぎゅう詰めの住宅を貸し、そこから利益を吸い上げることにしたのだ。
生活環境が悪化するなか、家賃は上がり続けた。やがて、多くの人々が家賃を支払えなくなると、家主は「動産差押え特権」を行使した。
不平等な社会では、平等な扱いもまた差別を助長しかねない。たとえば、黒人男性たちは過剰に投獄され、黒人女性たちは過剰に強制退去させられる現実のなかで、犯罪歴や強制退去歴がある希望者の入居を平等に拒否すればアフリカ系アメリカ人は断然不利な状況に追いこまれる。
つまり、強制退去という制度そのものが、安全なエリアに暮らす家庭と、治安が悪く危険なエリアに暮らす家庭を生み出す一因になっている。
最近まで、アメリカには収入の3割以上を住宅費に充てるべきではないというコンセンサスがあった。そして、近年まで、借家人世帯の大半は、この目標を達成していた。だが、時代は変わった。
いま、アメリカでは、毎年、数万や数十万ではなく、数百万もの人たちが、自宅から強制退去させられている。
低所得者層が頻繫に転居している。最貧層の転居の4分の1は強制による。
強制退去させられると、住居だけでなく、さまざまなものを喪失する。家、学校、愛着のある地域だけでなく、家具、衣類、本といった私物までも失う。
強制退去は仕事を失う原因にもなる。そして、公営住宅に入居する機会も失う。強制退去させられた家族は、同じ市内でも、より好ましくない地域に追いやられる。
そのうえ、強制退去は、住人の精神状態にも大きな害を及ぼす。自宅から追い出すという行為は、いわば暴力であり、拍手をうつ状態に陥らせ、最悪の場合は自殺に追い込む。
「収入に見あう家賃の物件がない」という危機は、今や大規模かつ深刻な問題だ。
アメリカの全借家人の5世帯に1世帯が収入の半分を住居費に費やしている。家主の9割に弁護士がついているのに、借家人の9割は弁護士をつけられない。もしも借家人に弁護士がつくようになれば、事態は一変するだろう。
家主が好きな金額で家賃を請求できる権利を法で認め、家主を守っているのは政府だ。
富裕層向けの集合住宅の建設に助成金を出し、家賃相場を上昇させ、貧しい人々のただでさえ少ない選択肢をさらに狭めているのは政府だ。
借家人が家賃を支払えないとき、一時的・継続的に住む場所を提供しはするものの、家主の要請に応じて武装した保安官代理を派遣して借家人を強制的に退去させているのも政府だし、借金の取立代行業者や家主のために強制退去を記録に残して公表しているのも政府だ。
その結果、裁判所、保安官代理、ホームレスシェルターは、都市の貧困者の住宅費の増加や低所得者層向住宅市場の民営化の副産物への対処に、日々、忙殺されている。
大半の家主にとって、物件のメンテナンスに費用をかけるよりも、借家人を強制退去させたほうが安くあがる。
ミルウォーキー郡では、強制退去が審議される法廷に出頭する人の4分の3は黒人で、うち4分の3は女性だ。
家主は強制退去の執行を依頼する前に、裁判所から委託されている業者と契約を結ばなければならない。たとえば、ある会社の5人ひと組のチームを雇うには、5万円の手付金がまず求められ、保安官が10日以内に借家人を退去させられる。それは8万7千円ほど、かかる。
家は、そこに暮らしている人の個性の源泉だ。それを奪われることは、いかに大変なことなのか...。
著者は、トレーラーの中に住み込み、周囲の住人にインタビューをし続けて、本書を完成させたのでした。それにしても恐るべき深刻な貧困の実相です。
(2023年12月刊。2600円+税)
2024年3月 7日
古代アメリカ文明
(霧山昴)
著者 青山 和夫 、 出版 講談社現代新書
「世界四大文明」(メソポタミア、エジプト、インダス、黄河)というのが、実のところ、学説でもなんでもなく、ヨーロッパやアメリカにはない、特異な文明観だというのを初めて知り、ショックを受けました。有名な考古学者である江上波夫が口調がいいというので教科書に書いたのが日本で広まり、定着しただけなんだそうです。ええっ、一杯くわされたのか...、そう思いました(プンプンプン)。
この本は、それに代わって「世界四大一次文明」を提唱しています。メソポタミア文明と中国(黄河)文明のほか、メソアメリカ文明(マヤ文明とアスデカ王国)とアンデス文明(インカ国家)です。
マヤ文明は、政治的に統一されていないネットワーク型文明。統一王朝が形成されることはなかった。そして、マヤでは鉄はまったく使用されず、16世紀まで石器を主要利器として使い続けた。マヤ文明は、機械に頼らない「手作りの文明」だった。家畜は七面鳥とイヌだけで、牧畜はなかった。大型家畜がいなかったので、荷車なども発達しなかった。牛や鳥もなしで、人力だけで大型建築物を建設した。
そして、マヤ人はゼロの文字を独自に発明した。
マヤ文字は、漢字のように意味を表わす表語文字と、仮名文字のように音節を表わす音節文字から成る。なので、マヤ文字は漢字仮名まじりの日本語とよく似ている。
マヤ文字は話し言葉を体系的に表す文字だったが、支配層だけが使う宮廷言葉だった(可能性が高い)。
マヤ人は、叩き石を用いて、イチジク科の木の樹皮から紙を製造した。
マヤの数字は20進法で、貝の形がゼロを表わした。
マヤ文明は多神教だった。
アステカ王国は、インカ帝国とほぼ同じ15~16世紀に、メキシコから中米北部にかけてのメソアメリカに栄えた。
アステカ王国は、今のメキシコあたりに、それぞれに王を戴(いただ)く三つの都市国家が連合し、主に貢納を課すことで支配領域を広げていった。
三つの都市国家はお互いに戦争しあうものであって、そもそも一枚岩ではなかった。
アステカ王国では宗教儀礼としての人身御供(生贄)が長らく実践された。
インカ王国のナスカとは何者なのか...。
ナスカの地上絵は、ナスカ台地に1500点、北部に600点が確認されている。地上絵は、ナスカ台地に広がる黒い石を線状に取り除いて、その下の白い地面を露出する手法で制作されている。
地上絵には三つのタイプがある。直線の地上絵、幾何学的な地上絵、そして印象的な地上絵。線タイプ(全長90メートル)と、面タイプ(同9メートル)の二つがある。
当時の人々は、地上絵を歩きながら見る行為を繰り返しながら、人間と動物をめぐる分類を共有していたのだろう。地上絵を見ながら歩く行為は、社会的に重要な価値観や秩序を共有し、記憶するための必要不可欠な活動であった。
このように著者は考えています。なるほど、上空から眺めるわけにはいかなかったでしょうからね...。
インカ王は絶対的な支配者・権力者ではなかった。彼らは山の神々を怖れ敬い、その超大な力との関係を維持しながら統治した。
古代アメリカ文明は、今の私たちが体験にもとづいて想像するような統一王国ではなかったようです。そのことを知っただけでも、本書を読んだ意味がありました。
(2023年12月刊。1200円+税)
2024年3月 5日
スーザン・ソンタグ
(霧山昴)
著者 波戸岡 景太 、 出版 集英社新書
2004年に71歳で亡くなったスーザン・ソンタグは、現代アメリカを代表する知識人の一人。
写真や映画といった映像文化に造詣(ぞうけい)が深く、ジェンダーやセクシュアリティの問題にも敏感。結核やガンといった病気についても熱心に議論した。そして、ベトナム戦争以来、9.11に至るまで、ずっと社会問題に反応し、政治的な発言を続けた。
私にとっては、ベトナム戦争反対の声を上げていたアメリカの知識人の一人という印象です。
評論家、映画監督、活動家という肩書きをもっていた。
知性には具体的なかたちがない。知性というのは、本質的に、見たり触ったりすることができない。
物書きたるもの、意見製造機になってはならない。私はモノカキを自称していますが、「意見製造機」にはなっていませんし、なるのは無理だと考えています。この世の中は私にとって、あまりに理解困難なことが多すぎます。
たとえば私は、なぜ鉄下鉄の中で携帯電話で話が出来るのか、まったく理解できません。
ヴァルネラブルというコトバが何回も本書に登場します。脆弱性、被傷性、可傷性、攻撃誘発性など、さまざまに訳されている、難しいコトバです。
「人間は健康にしろ病気にしろ、どっちにしても脆(もろ)いものですね。いつ、どんなことで、どんな死にようをしないとも限らないから」(漱石の『こころ』)
カメラは銃を理想化したもの。誰かを撮影することは、理想化された殺人、悲しく、怯えた時代にぴったりの、ソフトな殺人を犯すこと。これはソンタダの「写真論」の一節。
カメラには「暴力性」があるというのです。うむむ、よく分かりませんよね...。
愚か者たちの村、その名はアメリカ...。これはよく分かる気がします。
だってバイデンは80代で、記憶喪失が心配されているのに、代わりの候補者がいない。トランプに至っては、私には大金持ちで、一般人を見下している、狂気の人としか言いようがありませんが、にもかかわらず、大勢の一般人が信者として存在するというマカ不思議さ。
ソンタグは何人かの男性を愛し、何人かの女性を愛した。
結婚して、子(息子)をもうけたソンタグはレズビアンでもあったようです。
人間には、いろんな側面があるものなんですよね...。
(2023年10月刊。1210円)
2024年2月24日
南北戦争を戦った日本人
(霧山昴)
著者 管 美弥・北村 新三 、 出版 筑摩書房
アメリカの南北戦争は1861年4月から1865年5月までの4年間、続きました。日本の明治維新は1868年ですから、その直前になります。そのため、官軍と幕府軍の戦闘のとき、南北戦争が終結して不要となった大量の武器がアメリカの武器商人によって日本に持ち込まれたのです。
アメリカの南北戦争では、両軍の動員総数は326万人、戦死者は62万人超です。その内訳は北軍が36万人、南軍が26万人弱となっています。
この南北戦争に2人の日本人が参加していたという記録があるというのです。著者は、幕末なのでアメリカへの渡航が禁止されていたはずなのに、なぜアメリカ軍の兵士として日本人が参加できたのか、その可能性を探ったのでした。
日本人2人の日本名は不明で、1人はサイモン・ダン(21歳)、もう1人はジョン・ウィリアムズ(22歳)。どちらも戦死せず、1865年に除隊しています。目の色も髪の毛も黒く、肌の色は浅黒いとありますから、日本人に間違いないようです。身長は152センチと155センチなので、こちらも当時の平均日本人の身長。
南北戦争のとき、兵士の人数を確保するため、移民も容易に兵士になれるようにし、帰化権を与えることにした。その結果、北軍兵士の4分の1から5分の1を移民が占めた。
海軍においては、黒人兵士は全体に占める割合は20%で、陸軍の比率より2倍も多かった。
著者は、この南北戦争に参加した2人の日本人は漂流者あるいは密航者だった可能性があるとしています。たしかに、日本の漁民が海の時化(しけ)にあって遭難し、はるばるアメリカにまで漂流していった人は何人もいます。音吉、ジョン・万次郎、ジョセブヒコが有名です。
次に、密航者です。吉田松陰も密航を企てた一人です。新島襄も1864年に箱館港から米船ベルリン号で出国し、中国・上海にしばらく滞在してボストンに着いています。
著者は、目的のある密航者よりも、漂流者のほうに南北戦争に従軍した可能性は高いとしています。なるほど、ですね。
江戸幕府は、その最終期に、6つの使節団をアメリカとヨーロッパに派遣した。いやあ、6つもの施設団を送っていたのですか...、知りませんでした。
また、幕末に海外に留学していたのは合計148人に達するそうです。これまた意外に多いですよね。しかも、幕府が留学生として派遣したのは「士分」(侍)の9人だけでなく、現場での技術・運用を担当する「職方」(6人)を含んでいた。「職方」とは何でしょうか...。町人と解してよいのでしょうか。
南北戦争に日本人兵士は従軍していただなんて、想像もしませんでした。
(2023年9月刊。1700円+税)
2024年2月18日
フロッグマン戦記
(霧山昴)
著者 アンドリュー・ダビンズ 、 出版 河出書房新社
第2次世界大戦での米軍水中破壊工作部隊の活躍を紹介した本です。
アメリカ海軍の特殊部隊として有名なネイビーシールズはベトナム戦争のときに発足した。その前身が、本書で紹介されている水中解体チーム(フロッグマン)。
第2次世界大戦中のアメリカでは、民家の窓に赤い縁取りの白い旗が取り付けられた。この旗の中央に星がついていて、青い星だと、家族が出征中という意味で、星が金色なら出征した家族が死亡したということ。戦争が2年目に入ると、次々に青から金色に変わっていった。
フランスに上陸するノルマンディー上陸作戦のときは、解体部隊は30分のうちに、潮が引いているうちに、ナチス・ドイツ軍が設置した海岸防御を突破し、障害物を除去しなければならなかった。オマハビーチに向かった解体部隊は、ナチス・ドイツ軍の障害物を全部で16ヶ所、撤去する任務を負った。重い鉄鋼、木、セメントの障害物のベルトに16列の突破口を開ける。イギリスの帆布職人が負った帆布パックを使って、それに20個の爆薬を詰めた。
オマハビーチの解体部隊は16列のうち13列の突破口を開けることができた。しかし、解体部隊員の31人が死亡し、60人が負傷した。死傷率は52%に及んだ。
日本軍を相手とするサイパン占領のときには、200人の水泳隊員の活躍で、1日に2万人の部隊が完璧に上陸できた。
水中では、隊員は横泳ぎと平泳ぎですすむ。脚と腕は決して水面より上に出してはいけない。多くの水しぶきをあげるクロール泳法は、緊急時のみ許される。特殊な背泳ぎも学んで実行する。
水中で息を止めるコンテストがあった。意識を失わずに4分をこえた者はほとんどいない。あるスイマーは5分5秒を記録したが、2分45秒も息をとめられたら、すごいことだ。
たしかに、水中工作物の除去が必要なことはあったでしょうね。そしていささか特殊な訓練と技能が求められますよね。いろいろ教えられました。
(2023年7月刊。3960円)
2024年2月 1日
ラパスの青い空
(霧山昴)
著者 下村 泰子 、 出版 福音館日曜日文庫
1995年11月発行の古い本です。このころ30歳代の若い日本人女性がボリビアに1年間滞在したときの生活と苦労話が紹介されています。ずっと前から我が家の本棚にあったのですが、読んでいないので、思い切って読んでみました。とても面白い本でした。
著者は京都YWCAに勤めて不登校の若い人たちと交わるなかで、このままなんとなく流れに乗ってやっていては、いつか足元にぽっかり穴があいてしまう。ここはいっぺん、まるごと自分をリフレッシュせなあかんと思い立ったのでした。そこで、まずは仕事を辞めたのです。なんのあてもないまま...。そして、募集記事を見てボリビアに行くことを決めました。先住民の人口比が多い国だというのもボリビアを選んだ理由の一つでした。
ボリビアの首都ラパスは標高4千メートル超ですので、たちまち高山病にかかりました。どこかふわふわと漂っている感じがして、足どりも頼りない。そして、飛行機に乗る前に預けた荷物は出てきませんでした。やむことなくガンガン襲ってくる激しい痛みのため、時差ボケもあって、眠れません。辛いですよね、これって...。
明るすぎる日差しには、現地の女性がかぶっているフェルトの山高帽は、この日差しをさえぎるのにぴったりということが分かりました。
腹痛と吐き気がひどいとき、甘くておいしい葛湯(くずゆ)のようなものと、砂糖のたっぷり入ったコカ茶を飲むと、少しずつ楽になっていったのでした。
最初に生活した家は裕福な家庭で、お手伝いの女性がいます。たとえば朝食は家族みな別々で、お手伝いのイルダが、それぞれの部屋に運びます。
ボリビアでは、昼12時から午後3時まではレストランを除いてほとんどの会社、商店などが休み。みな自宅に戻って昼食をとる。ボリビアでは1日の食事のうち昼食が質・量ともにメイン。
日本人の著者は「チノ」と呼ばれます。「チノ」は本来は中国人を指しますが、東アジアの人を広くさすコトバとしても使われているのです。
お手伝いのイルダは家族と一緒に食事することは全然ない。家族のように仲良くしようという発想がない。はっきり違った二つの階層が、ひとつ屋根の下に存在して生活している。
ボリビアでは、お客のもてなしは、ます一杯のコーラから始まる。
女性たちは、コカの葉を口に入れてもぐもぐさせている。コカの葉は女性たちの大好物。コカには寒さや空腹感、疲労感をマヒさせる作用がある。
公立学校の教師の給料はひどく安く、ほとんどの人が副業をもっている。たとえばヤミ両替商をしている。
ボリビアは1年中、祭りの絶えない国。そのなかで、一番盛り上がるのはカルナバル(カーニバル)。
著者はボリビアに1年間いるあいだに体重が5キロも増えたとのこと。慣れない土地で健康に過ごすには、のんきさも大切だと著者は強調しています。まったく異論ありませんが、私にはとても出来そうもありません。
著者はボリビアでいろんな人と知りあい、一緒に生活し行動するなかで、まさに「そのとき」を生きている実感があったとのこと。そのことがよくよく伝わってくる文章であり、何枚かの写真でした。
5年後にボリビアを再防したときのことも少し紹介されています。今を大切にして生きることの意義を感じさせてくれる本でもありました。著者は現在65歳のはずです。どこで何をしておられるのでしょうか...。
(1995年11月刊。1400円)