弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2024年1月16日

創造論者VS無神論者


(霧山昴)
著者 岡本 亮輔 、 出版 講談社選書メチエ

 アメリカという国は、本当に不思議な国です。月世界を歩く飛行士がいるかと思うと、アメリカ人の40%は人間は1万年前に神によって創造されたと今でも真面目に信じているというのです。つまり、人間の先祖はサルではなくて(これは本当です)、初めから人間だったというのです。
 つまり、生物(生命)誕生から何億年、何万年もかかって進化していって人間が生まれたという進化論を信じていないわけです。
 これだけ多種多様な生命体が存在するのに、それをみな、万物の創造主は神、それも唯一神だとするのは、あまりに無理があると私は思うのですが...。
 アメリカには無神論者はわずか4%しかいない。
 「ある人が心の底から神を信じているのか、それとも神を信じるのは良いことだと信じているのか、両者の区別はそれほど明確ではない」
 この指摘には、まったく同感です。無神論者の私だって、「苦しいときの神頼み」はしていますし、ゲンをかついだり、お寺の仏像の前では深々と頭を下げて、お願いごとを心の中で唱えます。そのとき、何のこだわりもありません。
 スパモン教なるものが存在するというのには驚かされました。「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教会」です。
 1952年にアメリカはテネシー州のデイトンという田舎町で起きたモンキー裁判の紹介には目を洗わされました。進化論を学校で教えた若い教師(スコープス)がバトラー法違反で裁判にかけられ、全米の耳目を集めた事件です。
 そもそも、この裁判は、衰退してしまった町(デイトン)の町おこしとして全米から注目してもらおうとして事件になったものだというのです。これには心底から驚かされました。全米の話題になって観光客や投資を呼びこもうと町の有力者たちが考えたというのです。いやはや、まったく呆れてしまいました。
 そして、裁判は案の定、全米の注目を集め、マスコミが乗り込んできて裁判は全米に実況中継されます。当初は進化論否定派が有利でしたが、進化論者の弁護士は聖書絶対派に質問して、局面が大転換します。
 つまり、聖書絶対論者はあまりに歴史的事実と違いすぎるので、身がもちません。
 聖書絶対論者によると、天地創造は紀元前4004年10月23日になる。多少の前後はあっても、だいたい、それくらい。ところが、それでは科学的に何万年も前のことだと証明されているのと、あまりに違う。
 また、「地球は6日で創造された」というのも、いくらなんでも...。
 アメリカの歴代の大統領は、就任式のとき、聖書に手を置いて宣誓する。また、折にふれて神の名を口にする。つまり、アメリカはキリスト教国家だということ。でも、イスラム教徒や仏教徒もいるんでしょ...、どうなってんのかしらん。
 それでも、今後は、無神論者より信者のほうが増加するとみられているのです。イスラム教徒はキリスト教徒と同じく世界人口の3割を占める(2050年)。そして、ヒンドゥー教徒は14億人になるだろう...。いやはや、日本は世界のなかで、きわめて特異な国なんですね...。改めて知って、驚きました。
(2023年9月刊。1800円+税)

2023年12月28日

奴隷制の歴史


(霧山昴)
著者 ブレンダ・E・スティーヴンソン 、 出版 ちくま学芸文庫

 奴隷制は、私人や国家による奴隷たちへの残酷な搾取行為であると同時に、きわめて収益性の高いシステムである。
 奴隷制は過去のものではなく、今なお存在している。世界中で、2000~3000万人もの人々が債務奴隷、性奴隷あるいは強制労働者として、今も奴隷状態にあると考えられている。
 奴隷制の歴史は長く(古く)、世界中で広く活用されてきた。奴隷制はアメリカ合衆国史にとって本質的な経験である。
 古代ローマには数百万人の奴隷がいて、人口の15~35%を占めていた。奴隷は家財または財産であった。奴隷は財産を持つことも、結婚することも、自分たちの家族を持つこともできなかった。
 シルクロードでは、奴隷は一般的かつ重要な交換品目だった。
 奴隷は、アメリカにおいて、土地とは異なり、譲渡可能な財産であったため、経済単位としてとくに重要だった。
 アメリカ大陸で奴隷となったアフリカ人は、1250万人。ところが、アフリカ大陸では2800万人もの人々が奴隷として取引された。この差は何か・・・。運ばれる途中での死亡(病気や自殺など)した何百万人もの人々がいた。
 スペインはアメリカ大陸にアフリカ人を奴隷として送った最初の国。アメリカ大陸で最も高値で取引されたのは10代半ばから30歳までのアフリカ人男性だった。
 アメリカのヴァージニア州では、1750年に奴隷人口は全住民の半数近い46%を占めていた。
 アメリカの州政府は奴隷貿易から税収を得ていたし、新聞社も逃亡奴隷に関する報酬金の広告により収入を得ていた。
 奴隷を所有する人々は、奴隷の文化表現を抵抗の陰謀の隠れ蓑ではないかと、警戒した。奴隷たちは、独自の文化を生み出していた。
 奴隷主(主人)は、奴隷が貴重な財産なので、家族を崩壊させる「権利」をしばしば行使した。
ジョージ・ワシントン夫妻は200人以上の奴隷を所有していた。彼ら愛国者も、黒人は白人と根本に異なっていて、黒人は劣っていると疑うことなく確信していた。白人の大多数は、黒人は知力的にも肉体的にも道徳的にも白人より劣っていると信じ込んでいた。裁判官は「黒人は市民ではない」と公然と宣言した。
 18世紀末、アメリカはアフリカからの奴隷輸入を禁止した。しかし、現実には、その後も輸入は続いていた。1789年に発効したアメリカ憲法は、奴隷制の問題には直接言及していない。しかし、奴隷の黒人は完全な人間とはみなされていなかった。アメリカの北部でも、「自由」な黒人にとって、人種的平等を約束する天国ではなかった。
 南部に住む多くの白人女性は「私たちは、娼婦に囲まれて暮らしている」という不満を抱いていた。黒人女性は邪悪で人を操る誘惑者であり、その飽くなき性欲を私利私欲のために利用する女性、雇われた売春婦と断じていた。
 南部の白人男性は、奴隷労働の一部として性的行為を黒人女性に要求していた。主人である白人男性の要求を拒絶すると、激怒した主人たちは手ひどい復讐をした。
 なぜ、今日でも世界に2000万人以上もの奴隷が存在するのか?
自由とは何か・・・。自由とは不平等の暗黙裡の需要を打破することである。そして、抵抗は、奴隷制の遺産の一つでもある。この抵抗はまさに維持し、支えていく価値がある。
合衆国がイギリスから独立するとき、イギリス軍は自分たちと共に戦えば自由を約束するとしたことから、多くの黒人奴隷たちが、イギリス軍とともに愛国者たちと戦ったという歴史的事実がある。これには驚かされました。ワシントンが初めて奴隷に自由を与えたのではないのですね...。
 現代において奴隷は大幅に増加しているのが現実です。いったい、なぜ、そんなことになってしまったのでしょうか・・・。大変勉強になった文庫です。
(2023年8月刊。1400円+税)

2023年9月18日

風の少年ムーン


(霧山昴)
著者 ワット・キー 、 出版 偕成社

 さすがにアメリカは広い国ですね。森の中に父と子がひっそりと隠れ棲むことができていたというところから話が始まります。少し似ているのが『ザリガニの鳴くところ』です。この話の展開には泣けて泣けて仕方がありませんでした。身近な女性に勧めたところ、翌日、本が戻ってきたので、あれっ、気に入らなかったのかな、そんなはずはないけど...と思うと、意外なことに、読みはじめたら、途中で止まらなくなって、ついに一晩で読了したというのです。これにはたまがりました。あれこれの人に貸していたら、現在、所在不明です。もう一冊、買おうかどうか思案中です(誰かに勧めるために...)。
 哲学者ソローの森の中で暮らす話にも心が惹かれますが、森の中で本当に何十年も暮らしたという実話にも驚きました。
さて、この本は、森の中、奥深く、父親が10歳の男の子と二人で生活しています(小説です)。母親は先に死亡しました。父親はベトナム戦争に参加した復員兵。政府に頼ったらいけないどころか、明らさまな反政府の思想をもっています。といっても、反政府活動をするというのではなく、森の中で、政府に頼ることなく生活するだけです。といっても、森の近くの雑貨商には、ときどき行って、銃の弾丸(たま)など、森の中での生活に必要なものは仕入れていきます。そのとき、森の中で獲った動物や、自分たちで育てている野菜を買い取ってもらい、その代金で、弾丸などを購入します。
 森で生き抜く知恵と術(すべ)を10歳の息子に伝えきったところで、父親は森で転倒、骨折し、傷が悪化して亡くなってしまいます。
 さあ、10歳の少年は森の中で一人で生きていかなければなりません。父親のすすめを真に受け、少年は遠いアラスカを目ざすことにします。でも、少年は警察官に見つかり、施設に収容されます。自由奔放に生きてきた少年には耐えられません。しかも、アラスカに向かう夢があるのです。収容者仲間(もちろん同じ少年です)と一緒に施設を逃げ出し、森に入り、生活しはじめます。少年を一度つかまえた警察官が追ってきます。どうやってそれをかわすか...。
 お盆休み、よくエアコンのきいた喫茶店で一心不乱に読みふけり、厚さを忘れ(外は炎暑ですが、店内は快適温度)、一気に読了しました。
 アメリカ・アラバマ州の森で狩猟や釣りをして幼少期を過ごしたという著者の体験が見事に生かされていて、ノンフィクション自伝かと思ったほどです。わが家の本棚に前から飾ってあって気になっていたので、お盆休みに挑戦してみたのです。時を忘れるとは、このことでした。
(2010年11月刊。1800円+税)

2023年9月14日

年間4万人を銃で殺す国、アメリカ


(霧山昴)
著者 矢部 武 、 出版 花伝社

日本では銃による死者は2021年は1人、多い年(2019、2020年)で4人です。負傷者数も多くて8人。100人あたりの銃所有率は0.3丁、10万人あたりの銃による殺人発生率は0.02人。
イギリスは、100人あたり4.6丁、10万人あたりの殺人事件は0.04。これに対して、アメリカは、100人あたり120.5丁、10万人あたりの殺人事件は4.12。
イギリスの警察官は銃を所持していない。日本の警察官は銃を持っていますし、毎年のように拳銃を使った警察官の自殺が報道されていますよね...。
アメリカの総人口は3億3千万人超。もっている銃は4億3千万丁と、1億も多い。こんな国はアメリカだけ銃によって死んだ人は、殺人、自殺、誤射をふくめて4万5千人をこえる(2020年)。2005年に年3万人をこえ、2015年から急増して、2019年に4万人近くとなって、さらに飛躍的に増えた。
ベトナム戦争によって死亡したアメリカ人兵士は5万5千人で、アフガニスタンとイラク戦争で死亡したアメリカ人の7千人をはるかに上回っている。まるで、内戦が起きているような状況。ウクライナでロシアとの戦争で死んだ兵士に匹敵する。
アメリカでは国民の銃所持の権利を優先させ、銃規制の強化を怠ったことから、銃による暴力がまん延し、人々は安心して外出したり、楽しく暮らす自由を失ってしまった。
 市民が助けを必要としているときに警察官はすぐに来てくれない。だから、自分の身は自分で守るしかない。そのためには銃が必要だ。そう考えているアメリカ人が少なくない。しかし、家に銃を置くと、安全にならないだけでなく、本人や家族が銃で命を失うリスクを大きく高めてしまう。
 アメリカ人が護身用に銃を持とうとするのは、心の中に強い不安や恐怖をかかえている人が多いから。銃を持っていると、「自分は強くなった」と勘違いしてしまう人が出てくる。
 そして、巨大ビジネスとしての銃産業がある。コルト、スミス&ウェッソン、ウィンチェスター、レミントンなど...。
 アメリカで銃規制を反対しているのは、全米ライフル協会(NRA)。500万人の会員をもち、強力なロビー活動をし、銃規制を強化しようとする議員については激しい落選運動を展開する。
 銃規制を強化しようとする政治家はバイデン・民主党の政治家に多く、有権者もそれを望んでいる。ところが、トランプ前大統領の支持者は銃規制の緩和を求め、規制強化を妨げようとする。民主党と共和党の支持者は、規制強化と緩和に直結している。
 銃撃戦のとばっちりから半身不随になった若者の話も紹介されていますが、なぜカナダやイギリスで銃が厳しく規制されているのにアメリカで出来ないのか、不思議でなりません。
(2023年6月刊。1650円)

2023年8月14日

冬のデナリ


(霧山昴)
著者 西前 四郎 、 出版 福音館日曜日文庫

 北米大陸最北かつ最高峰のアラスカにそびえ立つマッキンレーのデナリに厳冬登山。まさしく無謀そのものです。マイナス40度、いや50度という厳しい寒さのうえ、峰々に吹き渡るブリザード(嵐)。そして途上の氷河には底知れぬクレバス(割れ目)がある。いやはや、とんでもない冒険をしようという男たちが7人も8人も集まったのです。いえ、初めは賛同者は誰もいませんでした。それがいつのまにか志願する男たちが寄ってきて...。
 メンバーの年齢構成は20代の青年ばかりではありません。最年長は39歳の外科医。身長190センチ、体重100キロです。最年少は22歳のヒッピー・詩人。アメリカ人だけでなく、スイス人、フランス人そしてニュージーランド人もいて、31歳の日本人もいます。この日本人は身長160センチ、50キロと小柄です。
個性豊かな山登りたちが8人もいて、本当に統制がとれるのか、登頂をめぐってメンバー同士が張りあうのでは...、そんな心配もします。
 荷物を確保し、それをきちんと分類して頂上に至るまであちこちに分散して配置します。危険を分散するのです。この食糧確保と輸送を担当したのは、日本人のジローでした。8人分、そして40日分の食糧と装備を山に運び上げるのですから、大変な苦労が必要です。
 零下30度の乾燥しきった空気に寝袋をさらす。これを怠ると、身体が発散する湿気を吸い込んだ羽毛は、やがて氷の玉に固まってしまう。
隊員が2人、氷河のクレバスに落ちた。1人目のアーサーは、なんとか自力ではい上ってきた。しかし、2人目のフランス人のファリンはダメだった。8人のグループのうちの1人が登山途中で死んだとき、その登山は中止すべきなのか、それとも続行してよいものか...。結局、遺体は下のほうに運びつつも、登山を続行することになった。うむむ、難しい選択ですね。仲間の1人が事故死しても、なお登山しようというのですから、並の神経の持ち主ではありません。
氷河の旅が終わると、次はアイゼンの世界。もうクレバス事故という不意打ちを心配する必要はない。軽合金でできた12本の鬼の爪を防寒靴にくくりつける。
 高度の高いところで、口を開けて大きくあえぐのは禁物(きんもつ)。寒気のもとで、水分をすっかり氷雪片にして落としてしまった空気はカラカラに乾燥しており、不用意に深く息を吸うとノドが焼けてくように痛む。
 鼻の高いディブは、鼻の先を凍傷でやられないよう、手術用マスクをかけて用心している。一日の仕事が終わってテントに入る。断熱マットを敷き寝袋を広げてすわりこむ。まず靴下をはきかえて、ぬれた靴下を絞る。足からこんなに汗が出るとはと驚くほど、気密な防寒靴の中で粗毛の厚い靴下は、ぐっしょり汗を吸っている。
 その絞った靴下は、テントの外に出しておくだけでよい。翌朝には、カラカラに乾燥していて、氷の細かい結晶をパタパタとはたき落とすと、すぐに素足にはくことができる。
 食事は乾燥食に頼る。1キロの肉が200グラムのコルクのような乾燥肉になっている。湯の中に、この「コルク」を入れて肉らしい煮物に戻るまで温める。おいしくはない。
 湿度の高い軟雪と違い、大きな雪のブロックから、わずかな量の水しかできない。80度の熱湯をつくるのに、長い時間と大量のガソリンを消費する。体内の水分不足は凍傷になりやすいので、ともかくたくさんお茶、ジュース、コーヒーを飲まなければならない。昼食用のテルモスを用意するゆとりはないので、朝晩に飲めるだけ飲んでおく。登山靴もメーカー特注品。
 先頭の3人は、なんとか頂上にたどり着いた。記念写真をとろうとしても、無線電話機を使おうとしてもバッテリーが厳しい寒さで動かない。零下49度だった。
問題は帰路に起きた。遭難寸前のところ、岩陰で缶詰食品を見つけた。また、別のところにガソリンが4リットル、岩陰に置かれていたのを発見した。こんな奇跡的な発見によって、頂上をきわめた3人組は生還することができたのでした。まさに、超々ラッキーだったとしか言いようがありません。死の寸前で助かったのです。
 いやはや、こんな苦労までしても厳寒の冬山に登る物好きな人たちがいるのですね...、信じられません。まあ、こちらはぬくぬくとした感じで、人間ドッグのあいまにとてつもない緊迫感を味わうことが出来ました...。前から気になっていた本を本棚の奥から引っぱり出して読了したのです。

(1996年11月刊。1700円+税)

2023年8月 1日

毒の水


(霧山昴)
著者 ロバート・ビロット 、 出版 花伝社

 この本を原作とするアメリカ映画「ダーク・ウォーターズ」をみていましたから、アメリカの企業弁護士がデュポンという世界的大企業の公害かくしと長いあいだ戦った苦闘の経過があわせてよく分かりました。
 テフロン加工するときに使われていたPFASの強烈な毒性は牧場の牛たちを全滅させ、そしてもちろん人間にまで悪影響を及ぼす。デュポンの工場で働く女性労働者が出産したとき7人のうち2人も、目に異常が認められた。PFASは水道水にも入っていて、大勢の市民が健康被害にあった。
 このPFASは、いま、日本でも東京の横田基地周辺そして沖縄の米軍基地周辺で大問題となっています。泡消火剤に含まれているのです。日本政府は例によってアメリカ軍に文句のひとつも言えません。独立国家の政府としてやるべきこと、言うべきことをアメリカには言えず、ただひたすら実態隠しをして、必要な抜本的な対策をとろうともしません。
 アメリカでも出発時は今の日本と同じでした。環境庁も及び腰だったし、マスコミもデュポン社の主張するとおり、健康被害は出ていないというキャンペーンに乗っかっていました。
 アメリカの企業弁護士として、働いていた著者(このとき32歳)は身内の縁で依頼を受けるに至りました。でも、通常のような時間制で請求なんかできません。依頼者は大企業ではありませんから、成功報酬制でいくしかないのです。この場合は、着手金がない代わりに獲得額の20%から40%のあいだで弁護士報酬がもらえます。
 大きな企業法務を扱う法律事務所にいて、デュポンのような大企業を相手とする裁判なので、パートナーの了解が得られるか著者は心配しましたが、そこはなんとかクリアーしました。
 アメリカの裁判では、日本と決定的に異なるものとして、証拠開示手続があります。裁判の前に、相手方企業の持っている証拠を全部閲覧できるのです。デュポン社からは、ダンボール19箱の資料が送られてきました。これを著者は他人(ひと)まかせにせず、全部読みすすめていったのです。箱に入っていた書類をオフィスの床に全部広げる。次に一つひとつを年代順に整理する。そして、トピックやテーマ別に色つきの付箋を貼りつける。
 テフロンはデュポン社の重要な主力商品であり、APFO(PFOA)は、テフロン加工に欠かせない薬剤だった。テフロンは他のプラスチック樹脂と異なり、製造が厄介だった。テフロンが効率的かつ安定的に製造できるようになったのは、界面活性剤(PFOA)のおかげだった。
 著者の部屋は、ドアからデスクまでの細い通り道のほかは、資料が読み上がり、その下の絨毯は隠れて見えなくなった。著者は箱の壁に囲まれながら、床に座って仕事をした。映画にも、その情景が再現されていました。
 この裁判は集団訴訟(クラス・アクション)と認定されて進行した。日本では集団訴訟の活用が今ひとつですよね。私も残念ながら、やったことがありません。
 デュポン社による健康被害の疫学調査をすすめるため、デュポン社に7000万ドルを出させ、7万人を対象として、アンケートに答えたら150ドルを、採血に応じたら250ドルが支払われる(計400ドル)という方式が提案された。アンケートに答えるのは、79頁もの質問なので、記入するだけで45分はかかってしまう。
著者は企業法務を専門とする法律事務所の弁護士として、請求できない時間報酬と経費が累積していくのを見ながら事件に取り組んだ。その7年間のストレスと不安は相当なものがあった。このストレス過剰のせいで、著者は2回も倒れています。幸い脳卒中ではなく、後遺症もなかったようです。
 いま日本で問題となっている、アメリカ軍基地由来のPFASはヒ素や鉛などの猛毒より、さらに比較できないほどの毒性を有している。がんや不妊、ホルモン異常などの原因になっている疑いがある。アメリカが日本を守ってくれているなんていう真実からほど遠い幻想を一刻も早く脱ぎ捨て、日本人は目を覚まさないと健康も生命も守れないのです。北朝鮮や中国の「脅威」の前に、差し迫った現実の脅威に日本人がさらされている。強くそう思いました。
(2023年5月刊。2500円+税)

2023年5月21日

FDRの将軍たち(下)


(霧山昴)
著者 ジョナサン・W・ジョーダン 、 出版 国書刊行会

 第二次大戦における連合軍側の合意形成過程にとりわけ興味をもちました。決して一枚岩ではなく、アメリカとイギリスの思惑の対立、アメリカ軍内部のさまざまな利害・思惑の対立がずっとずっとあったのでした。
 そして、ソ連(スターリン)をどうやって連合軍の陣営にひっぱり込むかでも、米英それぞれが大変苦労していたようです。たとえば、カチンの森虐殺事件では、大量のポーランド軍将校を虐殺したのはソ連(スターリン)だと分かっていながら、ソ連の参戦を優先させ、米英首脳部(FDRとチャーチル)は沈然したのでした。
 また、アウシュヴィッツ絶滅収容所でユダヤ人の大量虐殺が進行中であることを知りながら、収容所爆撃は後まわしにされました。戦争の早期終結のためには重化学コンビナート爆撃を優先させるべきだという「政策」的判断によります。
 指導者の人間性についてのコメントも面白いものがありました。中国の蔣介石について、チャーチルは中国国内を統一するだけの能力はなく、日本軍を倒すことより、内戦に備えての再軍備そして私腹を肥やすことにしか関心がないとして、とても低い評価しかしなかった。
 戦後日本で神様のようにあがめられたマッカーサーについては、アメリカの大統領を目ざす野心が強烈で、マーシャル将軍のような公平無私の姿勢がないとしています。
 FDR(ルーズヴェルト)は、戦後の中国を西側陣営にしっかり組み込むことを望み、そのため蔣介石たちをカイロ(エジプト)に招待もしていた。
 イギリスは蔣介石は、いざというときには頼りがいのない男だとみていた。
 ナチス・ドイツに攻め込まれていたソ連は、一刻も早くヨーロッパで第2戦線が開設されることを強く望んだ。そして第二戦線がヨーロッパに開かれたら、ソ連(スターリン)もドイツ降伏の日からまもなく(3ヶ月内に)対日戦に参加することを表明した。
 欧米では高い社会的地位につく者が、入隊した自分の息子を危険な戦場から遠ざけることはできない。これが暗黙の了解だった。立派ですね。なので、万一、自衛隊幹部の子弟が戦場で毎週のように死亡するという事態が現実化したら、日本社会はどのように反応するのでしょうか...。日本では、そんな事態になるよりも、裏に手をまわして危険な前線に送られないように、きっとなることでしょう...。
FDR(ルーズヴェルト)が死亡したとき、後継者となったハリー・トルーマンは、前の大統領(FDR)とは異なるタイプの人物だった。トルーマンは、短く、早口で、ざっくばらんな話し方を好み、世間話はせず、返答を避けることもしなかった。
 FDRはトルーマンに対して、スターリンやチャーチルとの秘密のやりとりを一つも明らかにしなかった。トルーマンは連合国の戦略も原爆の製造・販売について何もFDRから知らされていなかった。
 アメリカの原爆投下候補の町として京都が上げられていた。このとき司令官のスティムソンは京都をリストから外すよう命じた。しかし、部下のグーヴズは京都も対象にすべきだとして、直接に大統領に働きかけた。しかし、それは却下され、無事に京都は残りました。
6月6日のDデイ(「史上最大の作戦」の開始日)において、誰が最高司令官になるのかについても、アメリカとイギリスは激しく対立した。結局、アイゼンハウアーが最高司令官に就いた。
 とても興味深く、連休中に、喫茶店から動かず、必死で読みふけりました。
(2022年11月刊。3800円+税)

2023年5月18日

FDRの将軍たち(上)


(霧山昴)
著者 ジョナサン・W・ジョーダン 、 出版 国書刊行会

 第二次世界大戦のとき、アメリカは豊富な資源にモノを言わせてとてつもない物量大作戦でのぞんだことになっています。
 ところが、FDR(ルーズベルト大統領)は、年間5万機の軍用機を製造するように求めたとき、周囲は「見果てぬ夢」と受けとめたというのです。だって、このとき、通常の生産ではせいぜい2000機ほどでしかなかったのです。1年に1万機なんてムリでした。そして、5万人のパイロットはいないし、5万人ものパイロットを養成する訓練所もないし、5万機の軍用機を飛行可能な状態にしておく整備工場もありませんでした。
 なので、年に5万機の軍用機だなんて、あまりに「とっぴな」生産日授設定だと思われたのです。ところが、FDRは、アメリカ国民は、自分たちの行為の意味を理解すれば、求められることは何でもやりとげる能力があると固く信じていたというのです。すごいですね、偉いことです。
 民主党内のニューディール派とリベラルな不戦主義者たちは、イギリスに対する軍事援助に反対していた。なるほど、その論理は今の私にも理解はできます。でも、実際問題として、そのままアメリカが何もしなかったとしたら、世界はどうなっていたでしょうか...。考えるだけでも恐ろしい気がします。
 そして、アメリカの軍隊には異人差別が厳然としてありました。50万人のアメリカ軍に、黒人兵士は1%の5千人にもみたない。そして、黒人将校はわずか2人だけ。黒人は、「ボーイ」のような扱いを受けていた。当時の陸軍省は、一つの連隊の中で黒人と白人の下士官兵を混在させることはしない、という方針でした。
 アメリカの将軍は、日本よりドイツのほうが手ごわい敵だと考えた。ドイツの第三帝国は経済的に自立していたが、日本はそうではなかったから。日本が敗北してもドイツの運命にはほとんど影響がないが、ドイツの敗北は不可避的に日本の負けにつながると考えた。
 FDRは、ヨーロッパの戦争に直接関与しないという公約で大統領三選を果たしたばかりだった。武器貸与法を成立させ、イギリスへ物資援助することでアメリカを戦争から遠ざける最善の方法だと考えていた。このころ、アメリカ国民の半数は、ドイツのUボートを攻撃することに反対した。1941年5月、8割近いアメリカ国民が参戦に反対しつつ、52%がイギリスへ軍需物質の輸送に賛成した。
 対日政策に関して、FDR政権内は二つに割れた。石油の禁輸は戦争を誘発してしまうと考えるアメリカ国民が半分はいた。
アメリカ本土の日系人は収容所に強制的に収容された。しかし、ハワイ諸島にいた14万人の日系人は、すべてを強制退去するのは不可能だったので、収容所に入れられることなく、島内、それも軍事施設の近くに住み続けることができた。
 1940年12月7日、日本軍がハワイの真珠湾を専襲攻撃したのを知らされ、FDRから聞いたキプキンズは「何かの間違いに違いない」と答えた。そして、FDRは、「まったく予期していなかった」と言った。このとき、FDRの目は生気を失い、その日は冗談も出なかった。
 アメリカの大統領が日本軍の真珠湾攻撃を知っていながら、わざと知らないふりをしてやらせたという陰謀説は今も根強いものがありますが、FDRの周辺の様子はとてもそんな余裕は感じられなかったというものです。私も賛同します。陰謀説は無理がありすぎます。
(2022年11月刊。3800円+税)

2023年4月15日

アマゾンに鉄道を作る


(霧山昴)
著者 風樹 茂 、 出版 五月書房新社

 アマゾンに鉄道をつくる話だというので、ブラジルの話かと思うと、そうではなく、アマゾンの源流のあるボリビアでの鉄道づくりの話でした。
 1986年5月のことです。著者はまだ20代で、体重も50キロありませんでした。
 目的地のチョチスは、熱帯雨林とサバンナの境界にある、人口1000人もない小さな村。1979年1月の豪雨災害によって鉄道が打撃を受け、復旧したものの、本格的な復旧工事が必要だというので、国際入札があって大成建設と日建ボリビアが落札した。総額55億円の予算で、日本がJICAとODAを使った事業をすすめることになって、著者も現地に派遣されたのです。
 ボリビアは一つの国でありながら、実は二つの国。低地と高地で、気候風土、人種、文化、風俗がまったく違う。
 このアマゾンでは、初対面の男女は、口に軽くキスをするのが習慣。ここでは、10代半ばから、男と女は無数の短い恋愛を繰り返す。10代でも夫の違う子どもを2人か3人かかえている娘は何人もいる。アマゾンでは、男女は知りあうには易く、添い遂げるのは難しい。
 このチョチスは陸の孤島で、母系の強い社会。男性は単なるセックスの相手、子種のための存在、だから、遺伝子は遠いほどいい。そして、子どもは成長するのが速い。
 また、子どもは1歳から2歳で死ぬことが多い。兄弟7人いても半分以上は死ぬ。運がよく、強い者だけが生き残る。死はいつでも身近だ。そして、退屈な小村にあって、死は祝祭でもある。
 アマゾンには日系移民がいるから、日本の食材がつくられ、日本食が食べられる。
労働者の主食はイモのほかは牛肉。しかし、やけに固い。むしろ豚肉や鶏肉のほうが高い。牛の頭は、ここではごちそう。
 ボリビアは夜でも街を歩けて安全だった。総じて、ボリビア人は人がよい。
 2008年、22年ぶりにチョチスを再訪。2012年のチョチスの人口は635人。鉄道は立派に残っていた。しかし、貨幣に頼るようになった村人たちは、かえって貧しくなった。
22年前に知っていた人のうち3人が死亡、1人が刑務所にいて、行方不明が3人。男に逃げられた女性は数知れない。
 著者は最後に、アマゾンからの告発をのせています。やたらな開発なんてまっぴら。貧困は環境を破壊しない。環境を破壊するのはあくなき富の追求と、その結果としての環境破壊がもたらす貧困だ。
 まったく、そのとおりですね。アマゾンの鉄道をつくった経験と現在への思いにあふれた本です。大変面白く読みました。
(2023年2月刊。2200円+税)

2023年3月 5日

マヤ文明の戦争


(霧山昴)
著者 青山 和夫 、 出版 京都大学学術出版会

 マヤ文明は、中央アメリカのユカタン半島あたりで、前1000年ころから、スペイン人が侵略する16世紀前半まで、2500年ほど続き、盛衰があった。マヤ文明は、日本でいうと縄文時代晩期から室町時代に相当する。
マヤ文明は「戦争のない、平和な文明」だったとか、「都市なき文明」と誤解されてきたが、実際は、戦争はしばしば起こり、「石器を使う都市文明」だった。マヤ文明の大都市には数万人の人々が住み、国家的な宗教儀礼のほか、政治活動や経済活動もかなり集中し、彩色土器や石器を生産していた。マヤ支配層は、文字、暦、算術、天文学を発達させ、ゼロの文字も発明している。
マヤ文明は、大河がなく、大型家畜もいないので、小規模な灌漑(かんがい)、段々畑、家庭菜園などの集約農業と焼畑農業を組み合わせていた。家畜は七面鳥と犬だけ。文字の読み書きは、王族・貴族の男女の秘儀だった。専業の戦士はおらず、王・王族、支配層書記を兼ねる工芸家は、戦時には戦士となった。マヤ文明は、統一王朝のないネットワーク型の文明で、中央集権的な統一王国は形成されなかった。戦争の痕跡が次々に発見され、戦争を記録した数多くの碑文が解読された。戦争は頻繁にあり、戦争が激化して多くの土地の中心部は破壊された。
戦闘では初めに弓で大量の矢を放ったあと、石槍を手にもって接近戦を展開し、あくまで高位の捕虜を捕獲しようとした。地位の高い捕虜自身が政治・経済的に重要な価値を有し、捕虜を受け戻すための高価な品々、貢納や政治的な主従関係を勝ちとることにつながった。遺跡にはたくさんの壁画が残っていて、捕虜を足で踏みつけるようにして勝者の王が立っている絵が多い。
この本で驚嘆するのは詳細な出来事が年表としてまとめられているということです。もちろん、これはマヤ文字を解読しなければできません。でも、マヤ文字って、要するに絵文字です。人物の顔などが入っています。
たとえば、ヤシュチラン遺跡では130以上の石像記念碑が発見されていて、少なくとも359年から808年まで20人の王が君臨した。こんなことが碑文を解読して判明しているのです、すごいです。
いろんな王朝がいて、初代の王も9代目の王も名前が分かっています。コパン遺跡の祭壇化には、初代王、2代目王、15代目王、16代目王が彫られています。王には、女王もいます。彫像の捕虜にも名前がついていて、捕虜には、その目印として紙の耳飾りがついていた。パレンケ王朝11代目のパカル王は、683年8月に亡くなるまで、なんと68年もの長さの治世を誇った。
マヤ人は、20進法を使った。これは、手足両方の指で数を数えるもの。コパン王朝の人々の人骨を分析すると、8世紀になると農民だけでなく、貴族の多くも栄養不良に陥っていた。環境破壊が進行していた。人口過剰と農耕による環境破壊が要因となって、その結果として戦争が激化し、王朝が衰退した。人骨の分析でこんなことまで判明するのですね...。すごいものです。
数百人のスペイン人が侵略戦争でマヤ人の大群に勝利できたのは、第一に、優秀な通訳による情報戦に長(た)けていたこと。第二に、マヤ人内部の群雄割拠の状況をうまく利用したこと。第三に、マヤ人の戦争は、接近戦で高位の敵を捕虜にするもので、スペイン人のように戦場で大量の敵兵を虐殺するのが戦争とは考えていなかったこと。なので、スペイン総督を捕虜にしようとしていた。第四に、マヤ人はウイルス感染で次々に病死していったこと。マヤ人の人口は100年間のうちに5~10%に減少した。90~95%のマヤ人が死滅した。
ただし、今もマヤ人は生きていて、今ではむしろ増加している。そして、キリスト教を信仰するようになっても、自己流に解釈し、マヤ諸語とともにマヤ文明は生き続けている。マヤ人の心まではスペイン人は支配できなかった。
500頁もの大著ですが、大変興味深い内容なので、3日3晩で読了しました。学者って本当に偉いですね。心から敬意を表します。
(2022年11月刊。6500円+税)

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