弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2021年11月 9日

奇跡の地図を作った男


(霧山昴)
著者 下山 晃 、 出版 大修館書店

今から200年以上も前のカナダを歩いて地図をつくりあげたディヴィッド・トンプソンの生涯をたどった本です。日本にも江戸時代に伊能忠敬が日本全国を歩いて日本の精密な地図をつくりあげましたが、トンプソンは、スケールが違います。
伊能忠敬は10年かけて日本全国を歩いたのが3万3700キロメートル。トンプソンは生涯に10万キロほどを、マイナス40度のカナダの酷寒の山岳・森林地帯のなか、カヌーと馬と犬ゾリ、そして徒歩で歩きまわった。しかも、そこにいた先住民に敬意を払い、その言葉を習得し、生活と文化を理解し、白人と先住民の混血の女性を妻として、ときに一緒に調査旅行に出かけた。
トンプソンは1770年4月、イギリスはロンドンの貧民街で生まれた。ベートーベンと同じ年の生まれ、日本では江戸時代の中期、田沼意次のころ。
トンプソンは貧乏ながら、イギリスの慈善学校に学び、とりわけ数学に優秀であったため、カナダのハドソン湾会社に入社することができた。
当時は、毛皮やフェルト帽が大流行していた。毛皮を扱う商売はボロもうけができた。ビーヴァーが乱獲されていた。黒人奴隷も金もうけのタネとして取引されていた時代だ。
トンプソンは14歳でカナダに渡り、見習い奉公人(サーバント)として、安い賃金で働かされた。
この当時のカナダは、人種差別の激しい国でもあった。
トンプソンは、カナダの先住民であるクリー族やビーガン族などの言葉と文化を積極的に学び、またフランス語も学習した。
蚊やダニが多く、悩まされる土地なので、蚊にかまれる部位を少しでも減らすため、髪の毛は先住民のように肩まで伸ばし、ツバ広の帽子をかぶった。
トンプソンは、17歳のときキャンプ地に送られ、そこで上司からいろんな知識やノウハウを叩きこまれた。毛皮獣の棲息分布の調査の仕方、毛皮取引に必要な知識、カヌーの漕ぎ方、つくり方、保存食としての鳥や獣の肉の塩漬け方法、薪割り、土起こし、毛皮の圧縮、帳簿付け、報告書の作成方法、運搬・交易ルートのたどり方。
また、現地先住民の言葉、気質、特質についても教示された。
先住民の社会は、バッファローの狩猟を基盤とした「民主的な」社会で、女性の役割も尊重されていた。
ところが、トンプソンは滑落事故により右脚を複雑骨折し、その生涯、右脚を引きずりつつ歩行することになった。また望遠鏡を熱心に見ているうちに太陽光をまともに受けて右目を失明してしまった。厳しい天候・気候のなか、川からカヌーを引き上げて別の川や湖まで抱えて運んだり、峻険な崖を登ったり、健常者でも体力の限界をふりしぼるような作業を連日ともなうのが測量の仕事。これをトンプソンは、やり遂げた。
ハドソン湾会社も競争相手の北西会社も、先住民との毛皮取引にあたって、アルコール漬け戦略を用いていた。先住民を酔いつぶして、莫大な利益をむさぼった。
ヨーロッパにもビーヴァー皮を送り届けると、1枚で40万円から80万円もした。毛皮はステイタスを誇示する「柔らかな宝石」であり、「森の黄金」だった。
トンプソンは、カナダ森林地帯の探索・測量を続けるとき、アルコール(うん酒)を悪用しないと強く決心していた。それは、先住民のその豊かな文化に対する深い敬慕の念にもとづくものだった。
トンプソンは現地での測量を引退したあと、家族とともに悠々自適の生活を送るはずでしたが、勤めていた会社が破産してしまい、晩年は貧窮の生活を余儀なくされてしまった。
また、その成果の測量図も、他人の成果として世に紹介され、「測量日誌」をまとめても生前に刊行されることなく死蔵されてしまった。しかし、死後、その日誌は発掘され、測量図がトンプソンによるものということが確認されたあと、ついにトンプソンの偉業は正しく評価されるようになった。
トンプソンは、争乱もつきまとうカナダの山岳地帯を、零下40度という極寒の冬場に周回するなど、長年にわたって、ほかにはまったく前例・同類のない異色の「夢追い人」だった。
伊能忠敬の伝記にも圧倒されましたが、このカナダの測量探検家の偉業には思わず息を呑み声も出ないほどでした。
(2021年8月刊。税込2640円)

2021年11月 4日

ヒロシマを暴いた男


(霧山昴)
著者 レスリー・M・M・ブルーム 、 出版 集英社

アメリカの雑誌「ニューヨーカー」は、1946年8月31日号の誌面全頁を広島に落とされた原爆被害の実相を伝える記事に充てた。書いたのはジョン・ハーシー記者。
この「ニューヨーカー」の特集によって、原爆に対する世界の考え方が一変した。それまで、アメリカ政府は、原子爆弾投下と直後に広島で起きたことの深刻さを隠し、長期にわたる致命的な放射線の影響を隠蔽していた。
アメリカの原爆製造のマンハッタン計画の指導者であるグローヴス中将はこう言ってのけた。
「とても痛快な死に方」
「死んだ日本人の人数はとても少ないだろう」
「被爆して死んだ日本人はほとんどおらず、広島は基本的に放射能に侵されてはいない」
「ニューヨーカー」の記事のあとに言ったのは、「原子爆弾の放射能の影響による死というのは、純然たるプロパガンダ(宣伝活動)だ」
「われわれの戦争を終わらせた方法が気に入らないのなら、誰が戦争を始めたのかを思い出せと言いたい」
日本軍による真珠湾攻撃のあと、アメリカ国内には、日本に対する憎悪と猜疑心(さいぎしん)が深く根づいていた。日本人は、人間以下の「黄色い危険物」とみられていた。野蛮で恐ろしいモノということ。
グローヴス中将は、原子爆弾を「情け深い兵器」だというイメージをアメリカ国民に植えつけようと必死だった。
日本占領軍のマッカーサー元帥は、原爆に対して「嫉妬」を感じていた。4年にわたる日本との戦争は自分が指揮してきたのに、自分の知らないところで開発され、自分に無断で原爆が落とされたことに良い気持ちではなかった。
これがハーシー記者が広島入りできた背景の一つになっている。
広島に入ったハーシーは、原爆による惨状に大いなる衝撃を受けた。これを、どうやってアメリカ国民に知らせるか...。
ハーシーは、視線の高さを、神から人間へと下ろした。読者に登場人物そのものになってもらって、いくらかでも原爆の痛みを感じさせること、これがハーシーの願いだった。
ハーシーは、たくさんの人を現地で取材し、ついに6人の主人公にしぼることにした。
ハーシーの記事の目的は、読者を登場人物の心の中に入らせ、その人物になりきらせ、ともに苦しませること。恐ろしくも興味を引かれるスリラーのように読まれることを目ざした。
だから、わざと静かな口調にすることを選んだ。文章から余計なものをはぎ落し、なるべく事実を客観的に述べるだけにする。たとえば、6人は誰も爆音を聞いていなかったので、「無音の閃光(せんこう)」というタイトルにした。
「ニューヨーカー」の編集部内では刊行されるまで、最高機密扱いとされ、ダミー号までつくられた。ただし、グローヴス中将の承認は取りつけた。これが不思議ですよね...、よくぞ承認されたものです。
この「ニューヨーカー」誌は爆発的な反響を呼び、またたくまに、全世界に広がりました。
ところが、ソ連は、この「ニューヨーカー」を大ウソだと決めつけ、また日本ではすぐに出版が認められなかったのです。原爆の恐ろしさが世間に広く知れわたることに強い抵抗がありました。
歴史的なスクープなのですが、実は、「丸見えの状態で隠されていたスクープ記事」だと評されています。これは、先日の「桜を見る会」の「しんぶん赤旗」のスクープ記事と同じですね...。
ともかく、「ニューヨーカー」誌は、1年前に広島の人々に起きたことが、次にどこで起きてもおかしくないという警告として大きな意義がありました。
この「ニューヨーカー」は11ヶ国語に訳され、イギリスのペンギン・ブックスは何週間かで25万部の初版を売り切り、100万部の増刷を用意した。原爆の恐ろしさは何度強調しても強調しすぎるということはありません。「核抑止力論」なんて、本当にインチキな考えです。
とても勉強になり、改めて原爆の恐ろしさを考えさせられました。
(2021年9月刊。税込1980円)

2021年10月28日

監獄の回想


(霧山昴)
著者 アレキサンダー・バークマン 、 出版 ぱる出版

19世紀末のアメリカ。労働者の要求が無慈悲な経営者たちによって無残にも暴力的に制圧されていた。ロシアで生まれ育ってアメリカに渡ってきた主人公の青年は、まだ2歳だった。アメリカで大きくなって無政府主義者になったのです。
この若者はピストルで経営者を襲った(死んではいないようです)。
取るに足らない虫けらにすぎないフリックを襲っただなんて...。
無政府主義者・アナキズムの信奉者だった学生が軟弱だとは思えないし、思わない。アナーキストの若者は法廷で弁護人による弁論は必要ないと言って断った。唯一の関心は、法廷で自分の所説を伝えること。もし弁護士が代弁したら、本人が自己の所説を展開できなくなる...。つまり、民衆に若者の行為(殺人には至っていません)の目的と状況を明らかにして伝えることにある。
「私が裁判にかけられていると見るのは間違っている。実際の被告は、社会である。不公平なシステム、組織的な民衆搾取のシステムを暴きたてたい」
近代資本主義において、民衆の真の敵は圧制ではなく、搾取である。圧制は搾取の侍女にすぎない。
この若者は主義として恩赦に反対した。若者は14年間も刑務所内に入っていました。
刑務所の房内で紙に書くのは困難を伴った。大量のメモ用紙が必要。そして、筆記用具を手に入れるのが大変。
19世紀末のアメリカの刑務所で検診の結果、収容者の4割が結核にかかっていて、20%を精神異常者が占めていた。
アナーキストの信念は14年間の刑務所生活を経ても変わらなかったというのです。すごいことですね。当時のアメリカの刑務所の実情を知ることができました。
(2020年12月刊。税込3080円)

2021年10月17日

沈没船博士

(霧山昴)
著者 山舩 晃太郎 、 出版 新潮社

高校・大学では野球に没頭していた青年が、挫折したあと英語も話せないのに一念発起してアメリカにわたって水中考古学を学び、ついに博士となって世界各地で沈没船探究の第一人者として活躍しているという、血沸き肉踊るストーリー展開なので、最後まで一気読みしました。
水中考古学とは、水に沈んだ遺跡の調査発掘を行う学術研究。60年ほど前に誕生し、今ではヨーロッパや北米をはじめ、世界中で数多くの水中調査と水中発掘がすすめられている。
著者は2009年からアメリカの大学院で船舶考古学を学び、現在は世界中で水中調査・研究に従事している。
沈没船は世界中に300万隻はあるだろうとユネスコはみている。ギリシャのエーゲ海では、4年間の調査で58隻もの沈没船が見つかった。沈没船が見つかるのは、実は港町の近くのことが多い。港を出てすぐか、港に帰ってくるとき、船は沈む。海のど真ん中というよりも、港のちかくで暗礁や浅瀬に乗り上げたりして海難事故が起きる。
水中での作業は、たとえば水深27メートルだと1日に作業できるのはわずか1時間でしかない。潜水中に身体にたまる窒素の量を考慮して、そんな制限がある。
著者がアメリカに渡ったのは2006年8月のこと。22歳だ。大学までのタクシー代として300ドルもふんだくられ、マックでもスーパーでも英語が分からず、食べ物も買えない。1週間、自販機でスナック菓子とジュースだけで泣く泣くすごした。そして、TOEICを受けると、読解はなんと1点しかとれない。そして2008年に始まった授業になんとか出てみると、教授の話がまるで理解できない...。
いやはや、そんな状態でよくも続けたものです。そこは根性でしょうね。
授業を録音し、ネットで関連事項を探し出して、電子辞書をつかって少しずつ読みすすめる。毎週3日は徹夜したというのです。若さもありましょうが、そのタフさには驚嘆してしまいます。
そして、あこがれのカストロ教授のもとに駆け込み、助手に採用してもらったのです。直談判に行くなんて、たいした日本男子です。
こんな苦労をしながらも、水中考古学に著者は全力で楽しむように心がけ、周囲からそのことが高く評価されて、世界中の調査に誘われるようになったのでした。
もちろん、ニコニコ笑っているだけというのではなく、最新の科学的手法を導入したのです。それが、フォトグラメトリ。広角レンズをつけたデジカメを4つの水中ライトで対象を照らし出しながら、写真をとっていく。30分の作業時間で2000枚も撮影するというのです。すべて手押し。おかげで指が水中でつりそうになります。職業病ですね、これって...。
水中には重めのプラスチック板をもち込み、フツーのエンピツで書き込む。文字やスケッチは書けないので、暗号や数字を書きつける。
英語が初めできなくても、初志貫徹すると、大きなことができるようになるというスケールの大きな話で、ワクワク感がとまりませんでした。これからも事故と体調に気をつけて、引き続き活躍されますよう、心から応援します。
(2021年9月刊。税込1595円)

2021年9月28日

誰もが知りたいQアノンの正体


(霧山昴)
著者 内藤 陽介 、 出版 ビジネス社

毎週かよっているフランス語会話教室の今回の宿題はフェイクニュースについての仏作文です。テーマは自由なので、コロナ関係で、コロナ禍は陰謀によるもので、本当はたいしたことないんだというのも考えられます。トランプ(アメリカ)やボルソナロ(ブラジル)が今も言っているのは、ご承知のとおりです。私も、かつてアメリカの月面着陸・歩行が実は、月ではなくアメリカの砂漠地帯で撮った映像なんだという本を読んで真に受けて、このコーナーで紹介したことがあります。読んだ人から、すぐに誤りを指摘されました。フェイクニュースが間違っていると気がつくのは、案外むずかしいのです。
ネットでの検索は、一見すると客観的な結果が求められる気がするが、検索ワードに偏(かたよ)りがあれば、当然、その結果にも偏りが生じてしまう。似たような思考回路の持ち主がSNSに集まり、似たような情報を共有しつつ拡散していくことで、自分たちとは異なる意見や都合の悪い事例を排除した「タコつぼ」が肥大化していく現象は、あらゆるジャンルで、しばしば見られる現象が。ところが、「タコつぼ」の中にいる人たちは、なかなか外の世界の客観的な事実や批判的な意見に気がつかない。あるいは、気がついていても、それを否定するところに「真実」があると思い込んでしまう。
Qアノンは、信者を誰からも切り離す必要がない。スマホやパソコンの端末があれば、在宅のまま部屋に引きこもりの状態で囲い込むことができる。実際には誘導されているのだが、本人たちはそうは思わない。自らの意思で動いて、「真実」に到達したと錯覚してしまっている。
Qアノンは、アメリカの政府の高官からのリーク情報であることを匂わせるネーミング。
Qアノンの主張は、世界は悪魔崇拝者による国際的な秘密結社によって支配されている。この国際的な秘密結社は、ディープ・ステイト(闇の政府)やカハール(陰謀集団)の強い影響下にある。彼らはアメリカ政府をふくめ、すべての有力政治家、メディア、ハリウッドをコントロールしているが、その存在は隠蔽されている。その中核は、世界の金融資本と原子力産業を支配しているロスチャイルド家。ほかに、サワード家、ソロス家と結びついて、クリントン一味とアメリカのディープ・ステイトを動かし、アメリカを支配している。心ある愛国者Qアノンは、アメリカと世界の現状に危機感と正義感をもち、機密情報にアクセスすることのできる立場を活用して、世界の秘密を暴露し、人々の覚醒を促している。
Qアノンは、アメリカ以外では、ドイツで2万人もの支持者がいるとのこと。
日本でいうと、例の「在特会」といったヘイトスピーチの連中なのでしょうか...。オウム真理教も似たようなものなのでしょう。Qアノンを信じてアメリカの連邦議会を占拠した人たちもいたわけですから、今後も油断はできませんね。
(2021年6月刊。税込1650円)

2021年9月26日

アメリカのシャーロック・ホームズ


(霧山昴)
著者 ケイト・ウィンクラー・ドーソン 、 出版 東京創元社

20世紀初めのアメリカで科学的捜査班(CSI)の基礎を開いたエドワード・オスカー・ハインリッヒの一生を描いた本です。
それまでの警察の捜査が犯人を拷問するみたいにして自白を強要していたのを、科学的裏付を主とした捜査にすることに大きく貢献した人物です。カリフォルニア大学バークレー校で30年近くも犯罪学を教えていました。
オスカーが始めた比較顕微鏡で弾丸を撮影する手法は革新的で、法弾道学を前進させた。今日も、この手法は生かされている。
遺体が死後どれだけたっているかについて、法昆虫学もオスカーが始めた。今なお強力な武器として用いられている。
ただ、筆跡鑑定や血痕パターンなどの「がらくた科学」もふくまれている。
オスカー自身は、シャーロック・ホームズと自分は違うと言った。
「ホームズは勘に頼って行動した。わたしの犯罪研究所では、勘はまったく無用だ」
筆跡分析と筆跡学は、ひとまとめにされることが多い。しかし、実は、まったく別々のものだ。筆跡分析は、実は、あてにならない。筆跡は、環境、筆記具、年齢や気分によって大きく変化することがある。筆跡は気まぐれで、法科学の技術としては信用できない。文書に名前をサインするのは、指紋を残すのと同じことではない。筆跡分析は、捜査の助けになることもあるが、それで終わりにすることはできない。
私も、これはまったく同感です。筆跡鑑定にはDNA鑑定ほどの科学的たしかさを期待することはできません。
目撃者の誤認は、不当と有罪判決を招く主たる要因である。人間の記憶はそれほどあてになるものではないのです。
ウソ発見機は、ドーハート基準をみたせば、法廷で認められるが、その基準のハードルはきわめて高い。
心拍数や発汗をコントロールする要因には、精神病や薬物などの不確定要素が多すぎる。
今でもウソ発見機にかける(かけられた)という被疑者に接することがあります。でも、法廷に証拠として出てきたのは、30年以上も前だったと思います。
「マッシャーとは、女性に声をかけ、口笛で誘うプレーボーイのこと」
オスカーは、血液の存在を暴くために紫外線を初めてつかった。
オスカーは、二つのたたかいに挑んだ。まず、技術開発。そして、その新しい科学的な進歩を講習や執行者に理解させ、信じさせること。陪審員に対して、もし言葉で説明できないときには、できるかぎり実演してみせること。陪審員は、わけのわからない科学にもとづいた証拠では、納得したがらない。オスカーは、このことを理解した。
陪審員はマスコミや外部の人間との接触を禁じられているものの、それを破る人もいた。
オスカーは仕事に打ち込み、アメリカで有名人になったけれど、経済的にはそれほど余裕はなかった...。
アメリカの科学的捜査を裏から強力に支えた一人の男性の奮闘記と、その真実を掘り起こした本です。当時の犯罪事件との関わりが丹念に紹介されていて、興味深い本でした。
(2021年5月刊。税込2860円)

2021年9月18日

スニーカーの文化史


(霧山昴)
著者 ニコラス・スミス 、 出版 フィルムアート社

スニーカーといえばナイキでしょうか...。私は持っていません。買うのに行列をつくったり、ネット上でいろいろ転売されたりして話題をよんでいることを見聞するくらいです。
マイケル・ジョーダンをナイキが起用したのは大きな賭けでしたが、それが見事にあたった、というか、あたりすぎだったようです。
この本は、スニーカーを生み出す苦労話から始まります。つまり、天然ゴムだと熱いと溶けてしまうし、寒いとコチコチに固まってしまって、使いものになりません。そこで大変な苦労をした人がいたというわけです。チャールズ・グッドイヤーです。
ゴムは耐水性はあるが、致命的な欠点をかかえている。高温下だと溶けるし、低温下だと脆(もろ)くなってしまう。
グッドイヤーは、5回も6回も債務超過となり、債務者刑務所に入れられた。1830年代のアメリカは破産すると刑務所に入れられたのでした。
1844年、ついにグッドイヤーは特許を認められた。ゴムに硫黄、鉛白を混合させて加熱するのだ。ただし、グッドイヤー一族がその後も繁栄したのではなく、別の企業が「グッドイヤー」というブランド名を使った。
スニーカーは、英語の忍び歩く(スニーク)に由来する。
短距離ランナーのはく靴が注目されたのは、1936年のドイツでのオリンピックのとき。ヒトラー支配下のオリンピックで、黒人のランナーが4個もの金メダルを獲得したことが大きい。
兄弟がケンカ別れして、アディダスとプーマというシューズのブランドが誕生した。
アメリカでバスケットボールが盛んになったのは、主としてスペース上の理由だ。地域の公園の一角にバスケットボール用のコートができて、プレーに必要な人数や用具も少なくてすむ。
1970年代に、ジョギング、テニス、バスケットボールが爆発的に人気を集め、さらに1980年4月、ニューヨークで地下鉄やバスがストライキでストップしたとき、大勢の市民がスニーカーをはいて、通勤した。
ナイキがジョーダンに的をしぼってアタックしたとき、ジョーダンはアディダスを好んでいたし、とくに乗り気ではなかった。しかし、ジョーダンの両親がナイキとの契約に必死だった。
エア・ジョーダンは1985年4月に発売された。1ヶ月もせずに50万足、売り上げは1億ドルをこえた。大ヒットだった。ジョーダンとナイキは、私だって知ってるくらいですからね...。すごいですよね。ところが、このエア・ジョーダンをめぐって殺人事件が起きてしまったり、とんだ社会現まで引き起こしたのです。
さらに、ナイキの靴が、インドネシアなどの労働搾取工場でつくられていることが暴露されて、大問題になりました。
スニーカー愛好家のことをスニーカーヘッズと呼ぶそうです。インターネットで高値で売買されているのです。
アメリカの副大統領になった黒人女性カマラ・ハリスが公式の場で、黒のチャックテイラー(スニーカー)をはいているのが注目を集めました。今やスニーカーは活動的な女性のシンボルでもあるのですね。
ゴム底の靴は、まだ百数十年の歴史しかないのに、今の社会では必須不可欠のものになっていますよね。自分の足元を見るのにぴったりの本でした。
(2021年4月刊。税込2200円)

2021年9月14日

戦争の新しい10のルール


(霧山昴)
著者 ショーン・マクフェイト 、 出版 中央公論新社

史上最強の軍隊を有するアメリカが20年間もアフガニスタンで戦ったあげく、みじめに敗退し、今ではアメリカの敵だったタリバンの天下です。
これは、軍事力だけでは国を治めることはできないことを如実に証明しています。アフガニスタンの砂漠を肥沃な緑土・田園地帯に変えた中村哲医師のような地道な取り組みこそ世の中をいい方向に変えていくのだと、つくづく思わされたことでした。
なぜアメリカは戦争に勝てないのか?
アメリカはベトナム戦争でも敗退した。アメリカは負け続けたのだ。アメリカ人の血を犠牲にし、数兆ドルの税金を浪費した。そして、アメリカという国家の名誉にダメージを与えた。なぜなのか...。
いま私たちが直面しているのは「国家の関与しない戦争」なのだ。人工知能(AI)に頼っても、基礎的な認知作業もできていないのが実情だから、戦争で勝てるはずもない。
今や国民国家どうしの武力紛争の時代は終わりつつある。今日において、通常戦ほど、非通常的なものはない。なのに、通常戦への執着は我々を今も苦しめている。
もはや我々は通常戦型の兵器の購入はやめるべきだ。むしろ特殊作戦部隊に力を入れる必要がある。
アメリカ軍の最新鋭の戦闘機であるF35は、もはや時代遅れだ。これは歴史上もっとも高価な兵器だ。F35の開発にアメリカは1兆5千億ドルをつぎこんだ。これはロシアのGDPをこえる金額だ。1機1億2千万ドルし、空中で1時間飛行すると4万2千ドルかかる。
そのうえ、このF35は空中戦のできない戦闘機だ。F35のコンピューターにはバグが発生しやすい。コンピューターのエラーは、F35では戦えないということ。
もはやジェット戦闘機は時代遅れなのだ。
途中で疑問をはさむと、著者は中東情勢で論じていますが、「米中戦争」についての論述が少ないのが物足りません。いえ、アメリカと中国が国どうしで戦争するようなことはあってはならないし、想定することは難しいと思うのです。でも、日本の自衛隊もマスコミも「米中戦争」が起きたら日本はどうする...、なんてことを無責任にあおりたてています。恐ろしい世論操作です。
著者はアメリカ軍の将校のあと、民間軍事会社にも関わっています。その体験もふまえて、外人部隊の活用をすすめています。
傭兵は、イラクとアフガニスタンで、アメリカによる契約が呼び水となって復活した。
最近のイラクやアフガニスタンでの戦争に従事している要員も半数以上は、民間軍事会社の契約業者だ。国にとって、契約業者をつかうと軍よりも安あがりになる。高額な医療費や軍人恩給を支給する必要がなく、「使い捨てできる者」だからだ。
今や民間軍事会社はビッグビジネスだ。これからは軍隊ではなく、傭兵の時代だ。
戦争の民営化は、戦いを根本的に変えてしまう。
プライベート・ウォーは、戦争開始への障壁は低い。むしろ戦争を育(はぐく)む。
プライベート・ウォーは、通常戦と対照的なものなので、通常戦に備えている現代の軍隊は、これに対応できない。
そして、「影の戦争(シャドー・ウォー)」は不可視状態になっている。ここでは情報は兵器だ。
「ゲリラは負けなければ勝利であり、正規軍は勝てなければ敗北である」(キッシンジャー)
軍事的に勝利し、戦争には負ける。これは、手術は成功したが、患者は死んだということ。これでは話にならない。
この本を読むと、今の日本の軍事大国化が、バカバカしい間違いの方向にすすんでいることが、よくよく理解できます。強く一読をおすすめします。
(2021年6月刊。税込2970円)

2021年9月 3日

先住民VS帝国、興亡のアメリカ史


(霧山昴)
著者 アラン・テイラー 、 出版 ミネルヴァ書房

アメリカ例外主義なる歴史のとらえ方があるそうです。知りませんでした。
イングランド人平民の植民者がヨーロッパの融通のきかない諸慣習、社会の階層秩序、資源の封殺からのがれて、試練と機会にみちた豊かな大陸に向かうという国の起源についての神話だ。彼らは試練を受けて立ち、一心に働いて森林を農場へと開拓し、成功をおさめた。その過程で彼らは起業家的で平等主義的な、自分で同意しないかぎり支配されることに甘んじない個人主義者になった、という神話。
このアメリカ例外主義の物語は都合よく出来ていて、植民地化の重いコストを見えなくしている。何千もの植民者には激しい労働があるばかりだったし、病気やインディアンの敵対行為によって早々と死を迎えるだけだった。そして、成功をおさめた者は、その運の良さを、インディアンから土地を奪い、年季奉公人とアフリカ人奴隷の労働を搾取することで手に入れた。
北アメリカの先住民諸族は、1492年までに、少なくとも375もの異なった言語で話していた。それぞれの部族には、言語、儀礼、神話物語、親族関係のシステムが別々になっていた。
このころ(15世紀末)、南北アメリカには5000万人から1億の人々がいて、そのうち500万から1000万の人々がメキシコよりも北に暮らしていた。つまり、北アメリカにヨーロッパ人が入植する前、ここは無人の地だったというのは明らかな間違いで、北アメリカには多くの人々が住んでいた。
1680年にプエブロ蜂起がおこった。蜂起には、プエブロ諸族1万7000人のほとんどを結束させ、ヒスパニックの奴隷狩りに恨みをもつアパッチの人々も加わった。
このプエブロ蜂起では、ヒスパニックの、ニューメキシコを建設するという80年に及ぶ、植民地建設の事業をプエブロの叛徒は数週間で壊滅させた。プエブロ蜂起は先住民がヨーロッパの、北アメリカへの拡張に加えた最大の打撃だった。
火器の導入によって、インディアンの戦争は革命的に変わった。先住民たちは、木製の武具と密集陣形を無用として放棄し、襲撃しては退く攻撃に切りかえた。また彼らは、自分たちにも銃を強硬に求めた。
インディアンたちは、17世紀末まで、馬をまったく持っていなかった。
インディアン諸族は、そのほとんどが18世紀に西方からやってきた新参者だった。
馬はバッファロー狩りのほか、人間の殺害も助長した。
職業軍をもたないインディアンは、イングランド軍がアイルランドでしたような、長期間、長距離におよぶ征服戦を手がけることはできなかった。
チェサピークのプランターにとっては、アフリカ人奴隷のほうがよりよい投資対象となった。奴隷の数は、1650年にわずか300人だったのが、1700年には1万3000人に急増し、アフリカ人の人口は、チェサピークの人口の13%を占めていた。ところが、ニューイングランド人のほとんどは、奉公人にも奴隷にも手が届かず、その代わりを自分の息子と娘という家族労働に頼った。
カロライナのインディアンは、伝染病の蔓延、ラムの飲酒、奴隷狩りという暴力の組みあわせによって次第に人数を減らしていった。病気はともかくとして、アルコールと飲酒は意図的にもちこまれた。
インディアンたちがヨーロッパからの入植者たちに圧迫され続けたのは、もち込まれた病気のせいであり、強大な銃のせいであり、内部が不団結だったからということがよく分かる本でした。さらに、インディアンに銃を売るかどうか、これについてイングランドとフランス・スペインではまったく対応が異なっていたとのこと。これには驚きました...。やはり銃をもったインディアンの部族は強かったのでした。アメリカの先住民の昔のよき日をしのぶ本でもあります。
(2020年12月刊。税込3080円)

2021年8月 5日

約束の地(下)


(霧山昴)
著者 バラク・オバマ 、 出版 集英社

オバマ元大統領の回顧録の下巻を読んで、ショックを受けました。
オサマ・ビン・ラディンの暗殺はオバマの指令によって発動したものだったのです。これまでCIAなどが暗殺作戦を企画し、大統領として仕方なく決裁したように考えていましたが、逆でした。9.11の被害者・遺族の心情を考え、その報復として暗殺作戦をオバマが始動させたというのです。
凶悪犯罪をおかした人間を裁判にかけることなく一方的に殺害してよいというオバマの発想は、彼が弁護士だったことに照らしても、まったく理解できません。そして、殺害地はアメリカ国内ではなく、国外のパキスタンです。パキスタンには事前の了解なしに暗殺を実行する軍事要員をヘリコプターで送り込み、さっと引き揚げたのです。以前あったように軍事要員たちが暗殺に失敗し、パキスタン軍ないし警察と銃撃戦になったとき、その責任をどうやってとるのか、どんな弁解が法的に成り立つのか、大いに疑問です。現に、ヘリコプターの1機は建物に衝突して、危うく墜落寸前になったのでした。
「ビン・ラディン追跡を最優先課題にしたい」
2009年5月、オバマは顧問数名に告げた。オバマには、ビン・ラディン追跡を重視する明白な理由があった。この男が自由を満喫している限り9.11で命を失った人々の家族の心痛は消えず、アメリカが侮辱され続けることになるからだ。
オバマは、また、ビン・ラディンの抹殺は、アメリカの対テロ戦略の方針を転換するという目標に欠かせないものと考えていた。テロリストたちは妄想に支配された危険な殺人鬼でしかないということを世界にそしてアメリカ国民に知らしめたほうがいいと考えた。彼らは、拘束、あるいは死刑に値する犯罪者だ。ビン・ラディンの抹殺ほど、それを知らしめるのにいい方法はないとオバマは考えた。
私には、この論理はまったく理解できません。なぜ、「拘束・裁判・投獄」してはいけないというのでしょうか...。ナチスの犯罪者であるアイヒマンをイスラエルはブラジルから違法に拉致しましたが、それでもイスラエルの法廷で裁判にかけたうえで死刑にしました。
アメリカがイスラエルのような方法をなぜとらなかったのか、オバマの「弁明」は違法な暗殺作戦を合法化できるものではないと思います。
オサマ・ビン・ラディンをアメリカ国内に連行して裁判にかけたとしたら、その安全対策のために途方もない費用がかかると思います。それでも、それなりの「対話」が生まれることも間違いありません。
オバマには、オサマ・ビン・ラディン暗殺について、ドローンを使った小型ミサイル攻撃も選択肢の一つだった。しかし、それでは、ターゲットがオサマ・ビン・ラディンなのかどうか確証が得られないうえ、その周囲にいる女性や子どもたち20人以上も一挙に殺害してしまうことから踏み切れなかったというのです。
ちなみに現アメリカ大統領のバイデンは奇襲攻撃に反対したとのこと。失敗したときの影響の大きさを考えての心配からです。
ターゲットがオサマ・ビン・ラディンだというのは、5分5分の確率だったのです。オバマとアメリカは、本当に危ない橋を渡ったのでした。
オバマは大統領在任時にノーベル平和賞を受賞しました。この回顧録を読んだ私の印象は、そのことをあまり喜んでいないのが意外でした。
大統領としてのオバマへの期待と現実とのギャップが広がりつつあることに思いをめぐらせた。オバマは、平和の新時代をもたらすのにひと役買うどころか、さらなる兵士をアフガニスタンの戦場へ送り込むことになることに思いをめぐらした。
オバマ・ケアなど、オバマが一生懸命努力したことは高く評価したいと思いますが、オバマも「アメリカ帝国主義」の考え方にどっぷり浸った人物であることも改めて認識させられた回顧録でした。もちろん、問答無用式のトランプなんかより、議論が成り立つだけ、はるかに良い大統領ではありましたが...。
(2021年2月刊。税込2200円)

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