弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
アメリカ
2007年12月19日
戦争する国、平和する国
著者:小出五郎、出版社:佼成出版社
ノーベル平和賞を受賞したコスタリカのオスカル・アリアス・サンチェス大統領の話を中心にまとめた本です。
コスタリカは300年ものあいだスペイン総督の支配下におかれた植民地だった。そして、コスタリカは1821年にスペインからの独立を宣言した。
コスタリカとは、コスタ(海岸)とリカ(豊)かというスペイン語による。
コスタリカは人口430万人。うちスペイン人と先住民との混血が95%、アフリカ系3%、先住民2%。
中米にあるコスタリカは、50年前から軍隊をもたず、また、自然保護で有名な国です。
コスタリカは、九州と四国をあわせたほどの面積しかもたない。しかも、国土の3分の1は3000メートル級の高山。活動中の火山も多い。変化に富む高山の存在が、動植物の宝庫である理由のひとつで、首都のサンホセも高原盆地にあり、標高が高いので、熱帯のイメージから遠い快適な気候。まるで軽井沢みたい。日本の四季より多様な自然環境がある。
少し前のことですが、福岡の後藤富和弁護士がコスタリカに視察に行ってきたことを聞いて、うらやましいなと思ったことでした。
コスタリカは、平和主義をとり、非武装・永世中立の国。そして、教育に投資する国。国家予算の20%を教育費が占める。
1948年、大統領選挙の不正問題をきっかけに内戦が始まった。内戦は1ヶ月以上続き、犠牲者は2000人をこえた。勝利したのは革命軍で、リーダーはフィレーゲスであった。
コスタリカの現行憲法は、翌1949年に成立した。軍は、恒常組織としては、禁止する。警備および公安維持のため、必要な警察力をもうける。こうなっています。
コスタリカの教育水準は高い。教育水準が高いということは、国民の政治に対する関心が深いということ。選挙で政治に参加し、自分たちの未来を決めたい。みんながそう考えている。
コスタリカ憲法に、国内総生産の6%は教育費にあてると明記している。ちなみに、福祉のための予算は、同じく9%をあてている。義務教育は9年間。学費はタダ。落第もある。大学も、国立が4校、私立が36校ある。国民の2%、8万人が大学生。つまり、大学適齢期の人口4人に1人は大学生だ。
ひゃあ、すごいですね。日本では今4人に1人なんでしょうか?
コスタリカ憲法には環境権が明記されている。そして、エコツーリズムが盛んであり、年間100万人をこえる人が海外からやってくる。
コスタリカでは、選挙はお祭りである。投票率は70%ほど。4年に1回、国中が沸きかえる。同じ年にサッカーも試合もある。選挙権のない18歳未満の子どもたちも、選挙権はないが、投票権があり、投票する。そして、その結果は公表される。
投票所の雑用は年長の子どもたちがこなす。また、選挙をとり仕切るのは選挙裁判所である。たとえば、投票日前後3日間のアルコール販売は禁止される。
いやあ、感心しました。コスタリカっていう国は「親米」の国なのですが、アメリカの言いなりには決してならない国のようです。そこが日本とは決定的に違います。見習うべき国だと思いました。
仏検(準一級)の結果を知らせるハガキが届きました。自信をもって開きます。合格の文字が目にとびこんできました。やれやれ、です。問題は得点です。86点でした。合格基準点が79点で、合格率は25%ですので、まずまずです。ちなみに、自己採点では87点でした。実は、準一級のペーパーテストの合格は、これで5回目です。だいたい7割はとれるようになりました(一級のほうは3割台で低迷中です)。口頭試問のほうは3回受けて、1回だけパスしましたが、あと2回は不合格でした。
口頭試問は個人面接です。3分前にフランス語で書かれたテーマ(そのときどきの時事問題が多いようです。たとえば狂牛病問題とか、学校5日制の導入とか)2つのなかから一つを選び、3分間、それについてフランス語で話すのです。これは本当に難しいです。そのあと、フランス語での質問にこたえます。全部で7分間ですが、とても緊張します。思ったようにフランス語の単語が出てこないのです。まあ、それでも、せっかくですから、もちろん今回も受けます。
(2007年9月刊。1400円+税)
2007年12月14日
失われた文明マヤ
著者:恩田 陸、出版社:NHK出版
メキシコ南部からグアテマラあたりにあったマヤ文明を現地の写真つきで紹介する本です。マヤ文明が高度に発達していたことは残された石造の遺跡の素晴らしさからもよく分かります。本当にすごく立派な石造りの建物がたくさんありますし、彫刻もきめ細かいものです。
マヤ文明は中央集権型の構造ではなかった。マヤ文明が長持ちしたのは、ネットワーク型の都市文明だったから。ネットワーク型組織は故障に強い。マヤでは、そこそこの規模の都市がゆるやかにつながっていたので、どこかがつぶれても残りは生き続けることができた。
1695年、古代マヤ文明の中心地ティカルの遺跡が再発見された。密林のなかに忽然とピラミッドがそびえ立つ。1号神殿は高さが45メートルもある巨大な建造物だ。ところが、当時の古マヤの人々は鉄を知らず、つかったのは石の道具だけ。また、牛も馬もつかわず、すべて人間が担いで運んだ。
うむむ、これはすごいことですね。
ティカルには、およそ6万人が住んでいたと推定されている。
この本では深紅に塗られた建物が建ち並ぶティカルの町の様子がCGで再現されています。まさに圧巻です。荘厳とでもいうべき眺めです。
さらに驚くべきことは、ここに人工の貯水池が3つあったというのです。ティカルには川も湖も沼もなく、そのままでは乾期に人々は生活できないので、貯水池をつくった。それも、高度、中度、低度と、水の汚染度の違いで、水の利用を区別していたというのです。すごいですね。
チチュン・イツァーのピラミッドには、春分の日になると、大蛇の頭にうねるような光の胴体がつながった、豊穣の神・ククルカンが出現する。
これは、ピラミッドが真北から17度傾いていて、古代マヤ人は、太陽の観測から、それがつくる影の位置を正確にとらえて精巧な建築で再現したのです。
こういっても、言葉だけでは分かりにくいと思います。しかし、特定の日に、影だけで大蛇を出現させるなんて、きわめて高度の天文学と建築学の知識を要することです。いやあ、まったく驚いてしまいます。
このククルカンが降臨すると、それからひと月後に雨期が始まる。つまり、ククルカンの出現は、大事な農作業を始めるタイミングを教えるわけである。
古代マヤ文明の遺跡からは、古代マヤの戦争を描いた壁画も発見されています。カラー写真で、迫力ある戦闘場面が描かれていることがよく分かります。
インカ帝国とが別の高度に発達した文明があったことが、たくさんの写真を眺めているだけでも、よく分かります。
今日は、私事ですが、私の50代で最後の誕生日なのです。そうなんです。来年は、ついに私も還暦を迎えるというわけです。我ながら信じられませんが、このブログを読んでいただいている方々へのお願いです。そのことについての一言コメントをぜひお寄せください。辛口コメントでも、もちろん結構です。
還暦を目前にして、私も、もう一回、何か新しいことをしたいと考えています。
(2007年6月刊。1600円+税)
2007年12月10日
古代メソアメリカ文明
著者:青山和夫、出版社:講談社選書メチエ
アメリカ大陸を最初に「発見」したのは、いうまでもなくコロンブス一行ではない。最初のアメリカ人は、モンゴロイドの先住民たちであった。彼らは、今から1万2000年以上前の氷河期にベーリング海峡が陸つづきになったころ、アジア大陸から南北1000キロに及ぶ広大な陸橋ベーリンジアをこえて、無人のアメリカ大陸に到達した。モンゴロイドの先住民たちは、1万年以上にわたって生活を営みつづけていた。
チョコレートの原料のカカオは、メソアメリカの先住民が栽培化した。ジャガイモは南米で最初に栽培された。メソアメリカ原産のトウモロコシは、古代から先住民たちの主食である。古代メソアメリカでは、タバコは単なる嗜好品ではなく、重要な儀礼用植物であり、主として王族・貴族のあいだで、宗教儀礼を清め、儀礼的な病気治療にもちいられた。
日本の秋の代名詞であるコスモス、クリスマスに人気のポインセチア、ダリア、マリーゴールドなども、みなメソアメリカ原産の花である。
日本人と同じモンゴロイドである先住民が、コロンブス以前に「四大文明」をはじめとする旧大陸と交流することなく、メソアメリカ古代文明を独自に築き上げた。
古代メソアメリカ文明は、石器を主要利器とした、きわめて洗練された「石器の都市文明」だった。
メソアメリカの人々は、手だけ(十進法)ではなく、手足両方の指をつかって20進法で数字をかぞえたのが特徴。南米のインカ文明は、日本人と同じく十進法だった。ゼロの概念は、旧大陸ではインダス文明、新大陸ではマヤ文明が、それぞれ独自に編み出した。
メソアメリカでは家畜はイヌと七面鳥くらいで、耕したり運んだりする大型家畜はいなかった。すべて人は徒歩だった。牛や馬も利用していない。
マヤの王は、政治指導者であるとともに、国家儀礼では最高位の神官であり、戦時には軍事指揮官でもあった。専業の神官は存在せず、王や貴族が神官の役割を果たした。神聖王であったマヤの王は、先祖・神々と人間の重要な仲介者であり、神々と特別な関係をもつことによって自己の権威・権力を正当化した。
戦争では王がしばしば捕獲・人身供犠にされ、戦争の勝敗は、都市の盛衰に大きく影響した。しかし、一つの王朝が遠い別の王朝を征服して直接統治することはなかった。
古代メソアメリカは政治的に統一されなかった。これは、南米で、インカ帝国が15〜16世紀に中央アンデスを統合したのと対照的だ。16世紀からのスペイン人の侵略によって、古代メソアメリカ文明は破壊された。しかし、その後も影響は今に至るまで残している。
トウモロコシは、乾燥・貯蔵が容易で、その余剰生産は、古代メソアメリカの都市文明をうみ出した原動力の一つとなった。
トウモロコシ、マメ、カボチャはメソアメリカの三大作物である。
鏡はあったが、それは鉱石を磨いたもので冶金ではない。鏡は支配層の威信財だった。
マヤ民族という単一民族は過去も現在も存在しない。共通語の「マヤ語」はなく、30のマヤ諸語が、800万人以上の現代マヤ人によって話されている。
マヤ文字は、漢字かなまじりの日本語とよく似ており、一字で一単語をあらわす表語文字、一字で一音節をあらわす音節文字からなる。マヤ文字は全部で4〜5万あり、60%くらい解読されている。
暦は365日暦がある。古典期マヤ文明は、南北アメリカ大陸で、文字、算術、暦、天文学をもっとも発達させ、ゼロの概念を独自に編み出した究極の石器の都市文明だった。
メキシコ中央高地のテオティワカンは、最盛期の200〜550年には、23.5平方キロの面積に12万5000人〜20万人の人口が密集する、南北アメリカ大陸で最大の都市であり、ローマに匹敵する世界的な大都市として繁栄した。
アステカ人にとって、戦争とは敵を活かしたまま人身供犠のための捕虜として捕らえ、貢納を確保することが一大目的だった。スペイン人のような、敵を無差別に皆殺しにするという概念は存在しなかったのである。
数百人のスペイン軍より最終決戦では20万人に及ぶ敵対先住民の同盟軍によってテノチティトランは陥落させられた。アステカ王国の敗北はここに原因があった。
知らなかったことがたくさんありました。日本人の学者が、この分野でも活躍しているのですね。
(2007年8月刊。1600円+税)
2007年11月15日
ウォルマートに呑みこまれる世界
著者:チャールズ・フィッシュマン、出版社:ダイヤモンド社
毎週1億人以上が、アメリカ国民の3分の1がウォルマートで買い物している。1年を通すと、アメリカの全世帯の93%が少なくとも一度はウォルマートで買い物をしている。2005年のアメリカでのウォルマートの売上げは、一世帯あたり2060ドルをこす。
ウォルマートは、メキシコ、カナダにおいても最大の小売企業である。イギリスでは食品小売業として第2位。全世界で2006年にウォルマートで買い物した客は72億人にのぼった。世界の人口65億人よりも多い。
ウォルマートの従業員は160万人。エクソンモービルの従業員は9万人。300万人もの人がウォルマートに商品供給する仕事に従事している。
ウォルマートは旧態を打破できず、進化できないでいる。つまり、労働環境に問題がある。2005年秋までにアメリカ各地でウォルマートに対して従業員から40件もの訴訟が起こされた。休憩時間なしで働かされたとか、退社時刻のあとも無給で働かされたというもの。そして、外国人従業員245人が不法就労者として逮捕され、ウォルマートは連邦政府へ1100万ドルもの制裁金を支払った。
サム・ウォルトンが1992年に亡くなったとき、ウォルマートの年間売上げは440億ドル、従業員は37万人だった。死後13年たった2005年に従業員はさらに120万人、売上高は2400億ドルも増えた。
ウォルマートには、長年、一サプライヤーの売上げの30%以上のシェアは占めないという非公式のルールがある。一企業の運命を左右するという見られ方をしたくないから。つまり、ウォルマートと最大30%まで取引している企業でも、残り70%は他の販路を通じて販売している。
ウォルマートは、やはり最後は価格がものを言うと主張している。他社より少しでも安く、というわけだ。
ウォルマートの新規出店は、アメリカの雇用を増やしているのか、単に自社の従業員を増やしているだけなのか。
過去7年間のアメリカ小売業界の雇用増加分の7割以上はウォルマートの成長によるものだった。ウォルマートが新規出店すると、最初の年は、地域の雇用は100人ふえる。つまり、ウォルマートの従業員が150人、同じ地域内で小売の仕事についていた50人は職を失う。ウォルマートの出店後、数年にわたって、小売業の雇用数は減り続け、5年たつと小売業の新規雇用数は100人ではなく50人にまで減る。
人口500人から1000人の小さな町で小売店の売上げが47%も減っている。住民の多くがウォルマートへ来るまで買い物に出かけたからだ。アイオワ州内のウォルマートの店舗が45にまでふえたため、男子・紳士衣料品店の43%が閉鎖した。
ウォルマートは、進出した地域の食品小売ビジネスの15〜30%程度のシェアを一気に地元の既存の食品店から奪いとる。
従業員が20人未満の小さい小売店の数が減る。ウォルマートの新規出店から2年以内に3店がつぶれ、5年内に4店が閉鎖する。つまり、ウォルマートの出店とその成功は、既存の地元小売店の犠牲の上に成りたっている。新しく出店したウォルマートは、たしかに従業員を新規に300人雇用するかもしれない。しかし、その一方で、近くの小売店の従業員250人が職を失い、小売店4店が姿を消している。
つまり、ウォルマートは何百人もの従業員を雇うが、新規出店から5年たつと、創出された新規雇用数合計は50人ではなく、20人を差し引いて30人になってしまう。たったの30人である。結論として、世論の関心度の高さに比べて、ウォルマートの新規出店による雇用創出効果はそれほど大きいものではなかった。
私の生活する町の近くにイーオンが、でっかい郊外型ショッピングセンターをつくると言います。先日、宮崎に行ったら、郊外にありました。町中のシャッター通りはひどいものです。便利さの裏で、歩いて安心して買い物できる地域環境がなくなっています。
ウォルマートで買い物する人は、ふだん忙しくて一度に大量に物を買う人たち。安くて質が悪くても、あまり気にはしない。
ウォルマートが原因で地域に貧困世帯が増えている。アメリカ全国にすると2万世帯が貧困に陥っている。ウォルマートが新規出店して5年内に4つの小規模ビジネスが姿を消している。ジョージア州の貧困世帯の健康保険制度に加入していた子どものうち1万人以上が親はウォルマートで働いていた。
ニューヨークにも、インドにもウォルマートは一店もない。ドイツや日本でも苦戦している。
アメリカで消費されるサケのほとんどはアトランティック・サーモンだ。養殖サケの 95%を占める。チリ産だ。養殖サケは、養豚場の豚と同じ。狭いところに押しこまれ、病気を治すためでなく、予防のために大量の抗生物質がつかわれている。海底には大量の排泄物が堆積し、その周囲は死の海と化す。100万匹のサケが出す排泄物の量は、人口6万5000人の町の排泄量に相当する。そのうえ、サケに与えるエサも海洋汚染の原因になっている。
大きいことはいいことだ。安いことはいいことだ。価格破壊、万歳。こう叫んでいるツケは高いと思いました。
(2007年8月刊。2000円+税)
2007年11月 2日
チョコレートの真実
著者:キャロル・オフ、出版社:英治出版
私はチョコレートが大好きです。といっても、それほど食べているわけではありません。高級チョコのおいしさはなんとも言えません。それにしてもバレンタインデーが私の子どものころになかったのは良かったと思います。だって、あれって露骨に差別を見せつけるじゃありませんか。私は嫌いです。いえ、もらったチョコレートは喜んで食べます。
この本はチョコレート生産現場の苦い真実を伝えています。
世界のカカオの半分近くが、高湿な西アフリカの熱帯雨林に生まれている。カカオの木とは神々の食べ物ということ。熟した実をナタで切り落とし、割って中の宝物を取り出す。パルプと呼ばれる淡黄色の果肉に包まれて、くすんだ紫色をした、アーモンド大の種が数十個ある。向こうを見ると、バナナの葉を敷いた台の上に、取り出した種を果肉ごと積み上げてある。そうやって数日間、湿気と熱気の中で発酵させると、驚くべき錬金術が行われる。熱帯の強い日差しにさらされるうちに、果肉から甘くとろりとした液が浸み出し、種がその中に浸る。強烈な臭いを発しながら、微生物が働き出す。これが何の変哲もない豆を魔法のように、世界でもっとも魅惑的なお菓子に欠かせない原料に変える。異臭の中で、5、6日発酵させたあと、台に広げて乾燥させる。さじ加減の難しい、こうした手作業の積み重ねとチョコレート製造技術のおかげでチョコレートがつくられている。
1万5000人のマリ人のこどもたちが、コートジボワールのカカオ、コーヒー・プランテーションで働いている。多くは12歳以下で、140ドルで年季強制労働に売られ、一日12時間、年に135ドルから189ドルで働く。
『ブラッド・ダイヤモンド』という映画がありました。2003年にクリーンダイヤモンド貿易法が出来て、奴隷労働が規制されています。同じような規制がカカオについても必要だと思いました。
フェアトレード運動は、途上国の農民に恩恵を与えるよりも、先進国の人々の罪悪感をなだめるためのものだった。それでも、途上国の人間に多少なりとも公正になるようにはした。
有機食品運動は、現在では、ほぼ全面的に市場原理主義に吸収されてしまった。この原理がアグリビジネスを動かし、世界中で農民を貧困に追いやった。
コストは最小に、利益は最大に。この風潮を招いている本当の要因は消費者だ。安全性、手軽さ、手頃な値段がある限り、消費者は、生産者が誰なのか、原料が何なのか、あまり関心を持たない。
駅にあるケンタ、赤坂交差点にあるマックに群がって買い求めている人々を見るにつけ、地球環境の保全は道遠しだな。私はつくづくそう思います。
(2007年9月刊。1800円+税)
2007年10月23日
ワーキング・プア
著者:ディヴィッド・K・シプラー、出版社:岩波書店
アメリカの下層社会、というのがサブ・タイトルです。日本は相変わらずアメリカを手本として同じような社会になることを目ざしていますが、この本を読むと、アメリカのような社会になってはいけないと、つくづく思います。
アメリカは経済的に繁栄したあげく、富める者と貧しい者の格差は拡大する一方だ。上位10%では、世帯平均83万ドル以上の純資産があり、下位20%では、わずか 7900ドルしかない。アメリカの平均寿命は短く、乳児死亡率は高い。
アメリカ政府は大人1人と子ども3人の家族で年収が1万8300ドル以下の家庭を貧困と定義する。2002年には、その貧困率は12.1%となった。4240万人である。
アメリカで働くためには、ソフトスキル、つまり仕事に就くために必要な、簡単なスキルを教える必要がある。そのスキルに欠けている人々の脱落率は高い。
たとえば、バスの乗り方を知らないため、遅刻ばかりしている若い女性従業員がいた。時刻表が読めないし、バスに乗ったことがないため、バスの乗り方も知らなかったのだ。
アメリカの成人の37%は、計算器をつかっても、値段の10%引きの計算の仕方が分からない。同じく10%の人々がバスの時刻表を読めず、クレジットカードの請求額の誤りに関するクレームの手紙一本も書けない。
アメリカの大人の14%は預貯金入金票に記入した額を合計できないし、地図上で交差点の位置を探しあてることも、家電製品の保証書を理解することも、薬の正しい服用量を判断することもできない。
親のなかには、ただの一度も自分の子どもたちを一緒に遊んだことのない人たちがいる。そうした子どもたちが親になったとき、親に遊んでもらった経験がないため、自分の子どもたちと一緒に遊ぶことが重要な仕事とは気づかない。
私たちの大半は、親であるとはどういうことか、明確なレッスンなど受けることはない。私たちが知っていることは、すべて自ら少しずつ学んだ結果である。たとえば、両親から無意識のうちに吸収したり、ときには彼らと同じ失敗をくり返したり、ときには両親を反面教師にして彼らの過ちを逆手にとったりしている。
最貧困層においては、子育てという仕事は、多くの困難があいまに起こる破壊的な相乗効果のダメージにさらされやすい。
自分自身が愛に包まれていなければ、子どもにも多くの愛を捧げることができない。子どもたちを傷つけている親たちは、そうした状況にある。燃え尽きている。彼らは子ども時代に燃え尽きてしまった。人間として、親と良好な関係を築こうとしたにもかかわらず、親からあまりかわいがってもらえなかったからだ。だから、心を閉ざしてしまった。ストレスがたまりすぎていると、思考力が働かなくなってしまう。
アメリカ人は、所得と学歴が低くなればなるほど、投票が重要だと信じる割合が低くなっていく。個人生活の試練に疲れ、権力機構について冷笑的であり、選挙はつまらなく、政治家は信用できないと考えている。
アメリカ人は自分自身の階級的利害に即して投票しておらず、投票率が高まったときでも、貧しい人々は、階級的利害にそって投票はしない。
投票は、不満よりも願望によって動機づけられている。アメリカ人の19%は賃金労働のトップ1%に入っていると考え、次の20%は将来はそうなると思っている。
今の日本でも、年収300万円以下の労働者が全労働者のほぼ半数を占めている。貯蓄残高ゼロ世帯は1981年の5.3%から2003年の21.8%に増加した。
日本の貧困層の増大も深刻です。ところが、自・公政権は相変わらず医療費や福祉の予算を削っています。アメリカ軍がグアムに基地をつくるのに3兆円も出してやるという「気前の良さ」があるのに、日本人に対してはこれだけ冷酷になれる日本政府って、いったい何なのでしょうね。
(2007年1月刊。2800円+税)
2007年10月22日
神は妄想である
著者:リチャード・ドーキンス、出版社:早川書房
神が実在するのか、と考えたときに一番に思い浮かべるのはナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺です。神が実在するのに、それを防ぐことができなかったなんて、私にはとても理解できません。カトリックとプロテスタントの殺し合い、イスラム教徒とキリスト教徒との殺し合い、どうして、それぞれの神が止められないのでしょうか?
むしろ、宗教を強く信じている信者のほうが憎悪にみち、いや単に憎しみあうだけでなく、殺しあうのですから、一層たちが悪いのです。
そのような私の疑問を、この本は、あますところなく裏づけてくれます。だから私は、昔も今も、無神論者なのです。といっても、苦しいときの神頼みは今もしていますが。
ヒトラーは、カトリック教徒の家に生まれ、子どものころはカトリックの学校と教会に通っていた。スターリンは、神学校をやめたあと、ロシア正教を捨てた。しかし、ヒトラーは、自らのカトリック信仰を公式に放棄したことはなく、むしろ生涯を通じて信仰を持ち続けたのではないかと思われる。ヒトラーは、キリスト教徒としてユダヤ人を非難する長いキリスト教の伝統に影響を受けていただろう。
マルチン・ルターは、激烈な反ユダヤ主義者だった。すべてのユダヤ人は、ドイツから放逐すべきだと、議会で語ったことがある。
ヒトラーは、マルクスと聖パウロが二人ともユダヤ人であるとしつつ、イエス自身がユダヤ人であったことは頑として認めなかった。
宗教的信念が危険なのは、その他の点では正常な人間を狂った果実に飛びつかせ、その果実が聖なるものだと思わせることにある。
未遂に終わったパレスチナの自爆犯は次のように語った。
イスラエル人を殺すように自分を駆りたてたものは、殉教へのあこがれであり、復讐したいなどとは決して思ってはいなかった。私は、ただ殉教者になりたかっただけだ。
私は、もうすぐ永遠の世界に行くのだという気持ちのなかで、ふわふわと漂い、泳いでいた。何の疑問もなかった。
キリスト教、そしてイスラム教でもまったく同じことだが、疑問を抱かない無条件の信仰こそ美徳であると、子どもたちに教えこむ。
世論調査によると、アメリカの全人口の95%が自分は死後も生き続けるだろうと信じているという。もし本当にそう思っているのなら、年老いて、あるいは病気のため臨終を迎える人に対して、「おめでとうございます。これはすばらしい報せです。私もおともしたいくらいです」となぜ言わないのか。それは、本当は、死後について信じているふりをしているだけで、実は信じていないということを証明するものではないのか。
ホント、そうですよね。死後に永遠の平和な世界があると子どもたちに語り聞かせる大人は、もしそれが本当なら、自分こそ真っ先に「やるべき」でしょう。ところが、彼らは「卑怯にも」そんなことはしないのです。それは、彼らの「宗教心」が実はホンモノではないから、ということではありませんか。私は、この本を読んで、そのことにますます強い確信を抱きました。
(2007年5月刊。2500円+税)
2007年10月19日
世界を不幸にする原爆カード
著者:金子敦郎、出版社:明石書店
ルーズベルトはなぜ、原爆投下の目標を早い段階でドイツから日本へと転換させたのか。そこに人種差別があったことを否定することはできない。
トルーマンは、原爆投下を非人道的だと批判されたとき、野獣には野獣の扱いをしたと言い放った。結局のところ、日本への原爆投下が人種差別によるとか、あるいはその背景に人種差別意識があったと判断する材料はない。しかし、黒人差別が当たり前だった時代である。アメリカ指導者の意識の底流にそれがなかったとは言い切れないだろう。そこには報復・懲罰の意識もからんでいた。
原爆の威力を確認するためには、空からの目視と写真撮影が不可欠だった。そのため、原爆投下には晴天が条件になっていた。7月25日の原爆投下命令には、原爆の威力を観測、記録するため科学者を搭乗させることが盛りこまれていた。実際、広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」には科学者を乗せた観測機2機が同行していた。
皇居も原爆投下目標の有力な候補のひとつとして検討された。原爆投下が日本に対して最大限の心理的効果をあげること、最初の原爆使用を十分に「見せ場効果」のあるものにすることが委員会内で合意されていた。皇居は心理的効果は大きいが戦略的効果は一番小さいとして除外された。そこで、最終的には、目標を京都、広島、新潟の3都市に絞りこんだ。次いで、広島、小倉、新潟、長崎が目標となった。
小倉の上空が天候不良のため、長崎に目標が変更されたようです。
原爆投下は、軍事的にみて必要なかったし、アメリカ軍将兵の生命を救うという意味でも必要はなかった。アメリカ政府の首脳陣は、これを分かっていた。それでも原爆をつかった最大の理由は、ソ連を扱いやすくするためだった。原爆投下は軍事的というより、政治的な理由によって決まった。トルーマンがポツダム会談を引きのばしたのは、原爆実験の結果をもって臨みたかったからである。
アメリカは原爆の開発に20億ドルもの巨額の資金と資源を投入した。
アメリカが第二次世界大戦で兵器生産に投じた金額は120億ドルだった。
アメリカの軍事産業は、産軍複合体とも呼ばれ、アメリカが戦争をしかけるごとに肥え太っていきました。肥大する軍事産業のおこぼれにあずかるような会社とか、それに寄生するような法律事務所であってはならないとつくづく思いました。
(2007年7月刊。1800円+税)
2007年10月15日
世界がキューバ医療を手本にするわけ
著者:吉田太郎、出版社:築地書館
キューバ憲法の第9条には「治療を受けない患者はあってはならない」と明記されているそうです。国民に医療を保証することを国に義務づけているわけです。すごーい。
キューバでは人々は医療費はタダ。医科大学もタダ。6年間の研修期間中の授業料、下宿代、食費、書籍代、衣服代のすべてを国が負担し、一切の経費がかからないうえ、毎月100ペソの奨学金が支給される。ただし、成績は求められる。全部の学科試験で平均 90点以上とらないと入学できない。それと、条件として、卒業したら、貧しい農山村や先住民のいるところで働くことを誓わなければならない。今、キューバの医科大学には世界の27ヶ国から、1万人以上の留学生が勉強している。そのなかには、アメリカのハーレム地区など、黒人もいる。学生の51%は女性である。はて、日本人の留学生はいないのでしょうか?
キューバの人口は1126万人。100歳以上の長寿者が2800人以上いる。日本には2万8395人いるが、人口比ではキューバは日本と同じくらいの長寿国だ。
キューバは長寿国である。1960〜65年には平均寿命は65.4歳だった。1980〜 85年には73.9歳に、1995〜2000年には76.0歳、2006年には77.5歳にまで伸びた。
キューバでは、2000年9月に全小学校で20人学級が達成され、多くは15人学級になった。中学校でも15人学級だ。
医科大学の教授陣は、英語などを除いて、80%は第一線で働く医師である。医師になるには、知識とともに人格形成が必要だという考えによる。
うむむ、これはすごいことです。
キューバでは医師は特権階級ではない。キューバの平均月給は334ペソだが、医師のそれは575ペソ。
キューバの医療で重視されているのはファミリー・ドクター。ファミリー・ドクターが120世帯、700〜800人と、顔が見える範囲で各家族の健康状態をチェックし、増進することにある。2005年にはキューバの医師7万6000人のうち、3万4000人がファミリー・ドクターで、ほぼ同数の看護士とともに全国民をカバーしている。
これって、本当にいいですよね。安心して生活できますからね。
キューバがユニークな医薬品を開発し、外貨を大いに稼いでいることを初めて知りました。たとえば、PPGという抗コレステロール剤がある。その副作用とは、なんと性欲を高めてしまうというのです。ええーっ、すごーい。私もぜひ・・・。
1日1錠、5ミリグラムを飲むだけで、動脈硬化や心筋梗塞が治るうえ、性欲減退にも威力を発揮するというのです。ところが、アメリカが認定しないため、日本でも売られていません。損な話です。
キューバの医療を受けたいために、世界各国からヘルス・ツアーがやって来るといいます。マイケル・ムーア監督の最新作の映画『シッコ』にも、アメリカから、9.11の被害者がキューバに渡って高度な治療をタダで請け、安い薬を大量に買って帰るというシーンが出てきます。キューバで治療を受けようというヘルス・ツアーだけで、年間6000万ドルの外貨をキューバは獲得しているというのですから、すごいものです。
キューバの医師たちは、全世界に出かけて行って活躍しています。これまだ偉いものです。日本は、この面でもすごく遅れています。青年海外協力隊はありますが、医師を世界派遣するシステムはありません。
2005年現在、2万5000人のキューバ人医師が世界68ヶ国で働いている。人口1100万人しかいない国でこんなことが出来ています。日本ならその10倍の25万人の医師が海外で貧困者のために活躍しているということに相当します。
これから始まろうとしている日本の後期高齢者医療制度なんて、あれは本当にひどいものです。75歳以上の高齢者に医療費を負担させようという考え方そのものが間違っています。国は、お金がないから仕方がないと言いますが、ウソッぱちですよ。軍事予算はどうですか。アメリカ軍に巨額の思いやり予算を提供してますよ。大型公共工事なんて、ひどいものです。つくりはじめたとたんに沈みはじめた橋があります。あれって、医療費を削ってまで必要なものだと言うんですか?できたら赤字必至の九州新幹線の工事がすすんでいます。それでも、お金がないから、医療費負担を上げるのは仕方がないと言うんです。エエッ、ウソでしょ。もっと私たちは政府に対して怒るべきではないでしょうか。
(2007年9月刊。2000円+税)
2007年10月 9日
エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー
著者:前田詢子、出版社:角川選書
前に『エルヴィスが社会を動かした』(青土社)を紹介しました。その本の訳者だった著者による本です。エルヴィスプレスリーは、私より少し上の世代ですが、メンフィスにあるプレスリー邸を訪問したことがありますので、興味深く読みました。
あらかじめマテリアルが用意されることはなく、音を出しあって、あれこれやってみる。そして、これというサウンドが得られるまで試行錯誤を繰り返す。だから、どんなものが生まれてくるかは、誰にも予想がつかなかった。何もうまれてこないことがあったが、そんなときは、翌日か翌々日にまた同じことをやり直した。もしも、楽譜だけの、紙の上の作業であれば、このような思いがけないサウンドが生まれることは決してなかっただろう。
それは、黒人のブルースの上に白人のカントリーをのせたもの、逆に白人のカントリーの上に黒人のブルースを乗せた音の重ね方の問題ではなかった。それは、ブルースでもカントリーでもない、カラー・ラインが溶け落ちた危険な音だった。そして、それは何よりも、農村の音楽と都会の強烈なビートの融合だった。
なーるほど、だから、白人青年も黒人青年も、ひとしくエルヴィスに熱狂したのですね。まさしく危険な音楽をエルヴィスは広めたのでした。
1950年代のアメリカ人の生活にもっとも大きな変化をもたらしたのはテレビだった。1950年にテレビをもつ家庭は390万世帯。そのとき、ラジオ聴取者4000万人。1950年代前半にはアメリカ全世界の88%がテレビをもっていた。劇的な普及ぶりだった。
若者たちから絶賛され、大人たちから罵倒されたエルヴィスの独特のパフォーミング・スタイルは、ステージ用の振り付けとして学んだものではなかった。それは、エルヴィスが幼いころからなじんだ教会の牧師や、ゴスペル・シンガーたち、黒人ブルース歌手などを見て、自然に身につけてきたものだった。
エルヴィスは意識的な社会活動家ではなかったが、黒人を対等の人間として受容する勇気を持っていた。エルヴィスは尊敬する黒人に敬語をつかい、若い黒人ミュージシャンとは肩を組み、友人として平気でつきあった。
南部社会は、極貧の者に極貧の者の生き方があることを教えていた。エルヴィスは絶望的な貧困から彼ら一家を救い出してくれた神に心から感謝し、初めて手にする贅沢なモノに感動した。親孝行だったエルヴィスは、1956年9月、運転免許さえ持たない母親にピンクのキャデラックを贈った。キャデラックこそ、貧しい者にとって最高の富の象徴だった。
エルヴィスは、この世における自分の役割は何かという長年の自問に対して、ついに答えを見出した。エルヴィスのコンサートは、音楽の不思議な力を通して、人々の心に直接メッセージを送る場であり、アメリカの本源的な自由と希望、未来への可能性と期待を呼び覚ます場であった。
エルヴィスは1973年10月、妻と離婚した。そのことでエルヴィスは悲しみに打ちひしがれ、怒りで荒れ狂い、絶望あまり健康を害した。もともと過労がもとで内臓に複合障害があった。妻の行為は、エルヴィスにとって、夫である自分に対する重大な裏切りであり、男の威信を打ち砕く破滅的な一撃だった。
油断のならない取り巻きに囲まれて、エルヴィスは一人でいるよりもさらに孤独だった。強い照明とカメラのフラッシュで痛めつけられていた眼は緑内障を起こしていた。肝臓や腸、腎臓、心臓にも障害が見られ、慢性の低血糖症や高血圧、肥満があった。精神面でも極度のうつ状態に陥ることが多かった。
エルヴィスは、多量の処方薬を摂取することで症状を抑えて、コンサートを続行した。
1977年8月16日、エルヴィス・プレスリーは突然、この世を去った。バスルームに入って本を読んでいるところを心臓発作に襲われ、そのまま倒れた。救急車で運ばれ、蘇生処置がほどこされたが、その甲斐なく死亡した。解剖の結果、死因は不整脈による心不全と判定された。心臓は肥大し、肝臓や腸にも障害が見られた。遺体からは14種類の処方薬が検出され、鎮痛剤に関しては処方規定の10倍の量が測定された。薬物によるショック死も疑われた。
あまりに過重なコンサート・スケジュールをこなすため、体調の悪化を処方薬の大量摂取で切り抜けてきたことが遠因であることは明らかだった。
偉大な歌手も、コンサートの重圧には耐えられなかったというわけです。痛ましい事実ですよね。それにしても、まだ42歳の若さでした。同じように、フランスのエディット・ピアフは 47歳で薬づけの状態で亡くなりました。
札幌のススキノでシャンソニエに行きました。昔からお世話になっている藤本明弁護士の行きつけの「プチ・テアトル」というお店です。申し訳ないことに、お客はなんと、私たち2人だけでした。若い女性の伸びやかなデュエット、いぶし銀のようなママさんの歌を堪能して、夜のススキノの雑踏をホテルまで歩いて帰りました。ありがとうございます。
(2007年7月刊。1600円+税)