弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2008年6月 2日

不倫の惑星

著者:パメラ・ドラッカーマン、出版社:早川書房
 社会人経験のない私が弁護士になって早々に経験したのが夫婦間の離婚事件でした。いやはや大変でした。つくづく司法修習生のときに結婚していて良かったと思いました。離婚事件の多くは一方の不倫が原因となっています。そして、そのかなりのケースで、不倫を無理に否定する配偶者がいます。私は、今も、そんなケースをかかえて苦労します。だいたい、男のほうが攻め落としやすいものです。女性の多くは開き直って、したたかな対応をしてきます。
 この本を読むと、世界各国、どこでも不倫はありふれています。ところが、ビル・クリントンの国(アメリカ)では、不倫が罪悪視されているというのです。私にとって、これほどイメージとかけ離れていることはありませんでした。キリスト教の原理主義者が多いため、今でもダーウィン流の進化論を学校で教えることができないという国だからの変な現象です。
 現在、ほとんどのアメリカ人は17歳までに初体験をするが、26歳にならないと結婚しない。活発な性生活を送りながらも、独身のままでいる時期が、9年間つづく。
 アメリカ人は、2006年の調査でも、道徳的な観点からみて、不倫は、一夫多妻制やヒトクローン以上に許しがたいと答えている。
 不倫が大目に見られたり、勧めたりする特殊な環境もアメリカにはある。シーズン中のスポーツチームや法律事務所である。スポーツ選手のほうは例示があって私も分かりましたが、その一つが法律事務所とは、私にとって理解しがたい驚きです。
 クリントン大統領への弾劾をアメリカ下院が可決した直後にCNNとギャラップが行った世論調査によると、クリントンの支持率が10ポイント上昇して過去最高の73%となった。一方、共和党の支持率は12ポイント下がって31%だった。ほとんどのアメリカ人は、情事は私的な罪でしかないと考えていた。
 アメリカでは、浮気をした人が信頼を回復するには、浮気相手の名前、密会や性交渉の詳細など、伴侶が知りたがることは、どんな細かいことでも隠しだてせずに洗いざらい話す必要があるとすすめられていた。クリントンは、このアドバイスどおりの行動をとった。まず否認するのをやめ、情事を認めた。
 著者(女性)が、アルゼンチンに出張したとき、夫ある身と知りながら男性が口説いたセリフに私はじびれてしまいました。
 「ぼくの妻が、どうして出てくるのか分からない。これは、ぼくときみだけの問題だろう。君に、すばらしい喜びを味あわせてあげようと思っているんだ」
 いやあ、私も一度は、こんなセリフで女性を口説いてみたいと思いました。アルゼンチンの男性には負けてしまいます。
 配偶者の浮気について、ポーランドでは、伴侶のいないところで風船をふくらますと言い、中国では、妻に裏切られた男性は緑色の帽子をかぶると言う。
 ゲイが集まるバーやナイトクラブでは、行きずりのセックス相手を見つけるのに格好の場所だ。一方、ストレートの男性が女性と知り合う場所は学校や職場だから、交際は長く続く。ゲイの男性の43%が、これまで60人以上と関係をもったと答えた。同じ地域に住むストレートの男性では、4%にすぎない。
 ウソをつくのが問題になっているので、真実を話すことがアメリカ人にとっての不倫の解決法になっている。しかし、それを聞いた外国人は、口をそろえて信じられないと言う。裏切られた側としては、不倫の詳細を知ったら心の傷が広がるばかりだろうと考えるわけだ。私も、この考えに同調します。夫婦といえども、やはりお互いに知らないことはあってもいいし、その方がかえって夫婦仲は円満にいくと考えています。
 アメリカ人の夫が嫌うタイプの妻は1950年代の「不感症の女性」から、1990年代には「退屈な女性」に変わった。夫はセクシーな若い秘書と不倫せず、妻より年上で容姿は劣るが一緒にいて楽しい女性を浮気相手に選んでいた。
 ふむふむ、なるほど、ですね。やはり話のあう女性がいいですよね。
 フランス人の不倫は、秘め事はあくまでも秘め事としておく姿勢で貫かれている。嘘をつかないで不倫をすることはできない。
 1991年にソビエト連邦が崩壊すると、セックスが勢いよく表舞台に登場した。ロシアは国民がめったにセックスの話をしない国から、セックスが商品となる国へと変貌した。
 ロシアに不倫が多い理由の一つに、男性が極端に少ないことがあげられる。1980年以降、ロシア人男性の平均寿命は、65歳から58歳に下がった。死因はアルコール、タバコ、業務中のけが、交通事故など。65歳のロシア人は、女性100人に対して男性はわずか46人。ちなみに、アメリカでは女性100人に対して男性は72人。
 ロシアの人口比での男女のアンバランスが、男女のロマンスに影響を与えている。
 40代の独身女性にとって、既婚男性とつきあわなかったら、デートの相手がほぼ皆無。30代、40代そしてそれ以上のロシア人女性にとって、未婚の男性やアル中でない男性は、ロマノフ王朝の豪華な宝石と同じくらい、めったに手に入らない存在となっている。
 ロシア人はアメリカ人に負けずおとらずロマンチストである。そして、ロシア人男性のほとんどは、熟年期を迎える前に死亡してしまう。
 ひゃあ、そうだったのですか。辛いロシアの現実があるのですね・・・。
 イスラム教徒とユダヤ教には、アメリカの税法が簡単に思えてしまうくらいに複雑な戒律があるが、ともに婚外セックスを正当化する抜け穴もある。
 世界は同じようでもあり、違うようでもあるのですね。
(2008年1月刊。1600円+税)

2008年5月16日

米軍再編

著者:梅林宏道、出版社:岩波ブックレット676
 米軍再編とは、ペンタゴン(アメリカ国防総省)の世界的国防態勢の見直しによる再編のこと。その目的は、機敏で柔軟な世界的展開を可能にするための能力を高めることにある。
 ペンタゴンは、西ヨーロッパと東北アジアにアメリカ軍が過剰に配置されているという現状認識を強調した。
 米軍再編前の2002年、アメリカは海外に19万7000人の軍隊を配備し、70万エーカーの基地をもっていた。海外配備アメリカ軍の95%、海外の基地面積の51%が西ヨーロッパと東北アジアに集中している。つまり、ドイツと日本と韓国の3ヶ国だけで、海外配備アメリカ軍の81%を占めていた。このような現状をペンタゴンは適切でないとした。それは冷戦後の世界情勢を考えたら当然と言える。
 再配置されたアメリカ軍は、同じアメリカ軍であっても、これまでとは一変した存在である。アメリカ軍は、同盟国の承認のもとに、世界のどこにでも跳躍できる部隊として世界各地に配置されることになる。アメリカ軍は、どの地域にいても、いわば「地球軍」なのである。
 ペンタゴンのとっている「蓮の葉戦略」とは、地球上のさまざまな場所に大小さまざまのアメリカ軍基地が配置されるということ。カエルが蓮の葉を跳びながら移動するように、それらの基地を跳躍台として、世界中のどこにでも短期間に兵を送り、そこで持久力のある戦争を行えるようなシステムの構築をめざすのである。
 ペンタゴンは、基地機能に、従来にないメリハリをつけ、大型で費用のかかる「主要作戦基地」の数を減らし、機動性のある基地ネットワークを再構築しようとしている。
 基地(ベース)と名の付くものは主要作戦基地だけで、あとは、場所(サイト)や地点(ロケーション)と呼ばれる。
 グアムは、本格的な海兵隊の基地となる。アメリカ海兵隊は、「蓮の葉戦略」上、沖縄にいるよりも、好位置につくことができる。そして、アメリカは、それを日本人の払う税金で実現しようとしている。
 うむむ、こんなことって、絶対に許せませんよ。怒りが噴き出します。
 アメリカのイージス艦の日本海配備は、あくまでもアメリカ本土の防衛用である。
 そうなんですよ。アメリカは日本人を守るなんて考えたこともないでしょう。黄色いサルなんか原爆でみな死ねばよかった、今でもそう考えているアメリカ軍人は多いのではありませんか。
 イラク国内に、アメリカは4ヶ所の巨大基地を建設中だ。ここは、1万人をこえるアメリカ兵の住む町の様相を呈している。うへーっ、ちっとも知りませんでした。知らないって、恐ろしいことですね。先日、日弁連会館で著者の話を聞いたときに買って読んだ本です。
(2006年5月刊。480円+税)

2008年5月13日

無実

著者:ジョン・グリシャム、出版社:ゴマ文庫
 上下2冊の文庫本です。いやあ、こんなことって、本当にあったのかと憤りを覚えながら重たい気分で読みすすめました。冬、寒いので厚着をしているところに、首筋から氷のカケラを投げ入れられた。そんなゾクゾクする、いやな思いをさせられてしまいます。でも、アメリカ・オクラホマで実際に起きた冤罪事件だというのですから、途中でやめるわけにはいきません。最後まで辛抱して読み通しました。いえ、面白くないというのではありません。面白いのですが、ノンフィクションだというので、どうしても、この世にこんなことがあっていいはずはないという思いが先に立ってしまい、頁をめくって次の展開を知りたい衝動にかられる反面、ああ、いやだいやだ、人間って、こんなにも無責任かつ鉄面皮になれるものかという底知れぬ不信感を抱いてしまうのでした。このときの人間というのは、無実の人間を寄ってたかって有罪(しかも、死刑執行寸前にまでなりました)に仕立てあげた警察官、検察官そして裁判官です。おっと、無能な弁護人も、それを助けたのでした。
 これはオクラホマだけの問題ではない。その正反対だ。不当な有罪判決は、この国のあらゆる国で、毎月のようにくだされている。原因はさまざまでありながら、常に同じでもある。警察の杜撰な捜査、エセ科学、目撃証人が誤って別人を犯人だと断定すること、無能な弁護人、怠惰な裁判官、そして傲慢な警察官。大都市では科学捜査の専門家の仕事量が膨大になり、結果として、プロらしからぬ仕事の手順や方法をとってしまう。
 アメリカの中南部のオクラホマ州にある人口1万6千人の町エイダで、1982年12月の夜、21歳の独身女性(白人)が殺害された。警察から犯人と目されたのは白人青年のロン。ロンは、社交性に欠け、社交の場では強い不安を感じる。怒りや敵意から攻撃的になる可能性がある。周囲の世界を危険きわまる恐ろしい場所と考え、敵対的な姿勢をとるか、内面に引きこもることで自分を防御する。ロンはかなり未成熟で、物事に無頓着な人間の典型だった。
 小さなエイダの町では、数十年のあいだ、私刑(リンチ)を誇りとする伝統があった。いやあ、まるで、西部劇の世界ですね。裁判によらずに、町の人々が「犯人」を吊し首にするわけです。
 「犯人」を逮捕したら、拘置所では密告競争が始まる。警察も大いに奨励する。重要事件の被疑者が犯行の一部始終なり一部なりを告白する言葉を耳にいれるか、あるいは耳にしたと主張し、それを材料として検察と旨味のある司法取引をするのが、自由への、あるいは刑期短縮への最短の近道だった。
 ただ、普通の拘置所では、密告者がほかの囚人からの仕返しを恐れるので、それほど多くはない。しかし、エイダでは、この作戦の成功の多さから、さかんに密告があっていた。
 場当たり的な貧困者弁護制度は問題だらけだった。あまりにも手当が少額のため、大半の弁護士は、そういう避けたがった。そこで裁判は、刑事裁判の経験が浅かったり皆無の弁護士を任命することがあった。そんなとき、弁護人は専門家を証人に呼ぶことや、お金のかかることは何もできなかった。
 死刑の可能性のある殺人事件となれば、小さな街の弁護士たちの逃げ足は一段と速まった。多くの時間が費やされるという負担が重くのしかかり、小さな法律事務所なら実質的にほかの仕事はできなくなる。それだけの労力に対して、報酬はあまりにも少ない。そのうえ、死刑事件では上訴手続がだらだらと永遠に続く。
 ロンが拘置所に勾留されていたとき、看守はソラジンの量を微調整した。ロンが独房にいて、看守がゆっくりしたいときには、薬を大量に投与した。これでみんな大満足だった。出廷予定のときは薬の量が減らされ、ロンがより大きな声を出し、より荒々しく好戦的になるよう仕組まれた。
 ロンについた弁護人はベテランではあった盲目のうえ、一人だけだった。しかも、その盲目の弁護人は、ロンを怖がっていた。弁護人は、この裁判に大きな時間をとられ、ほかの、きちんとした弁護料を支払ってくれる依頼人にまわせる時間が削られていった。その弁護人は、被告人から突然おそわれないように、屈強な若者となっていた息子を机の横に待機させたほど。
 毛髪分析では同一という言葉はありえないのに、「同一」という言葉が鑑定でつかわれた。毛髪鑑定はあまりあてにならないようです。
 オクラホマの死刑執行は、致死薬注入による。まず、静脈を拡張させるために食塩水を注入し、最初はチオペンタルナトリウムを注入する。これで死刑囚は意識を失う。もう一度、食塩水を注入したあと、二つ目の薬品である臭化ベクロニウムを続いて注入する。これで呼吸が停止する。食塩水があと一回流しこまれて、3つ目の薬品である塩化カリウムが注入され、これによって心臓が停止する。
 この方法による死刑が、最近、アメリカで相次いでいるという記事を読んだばかりです。
 別の冤罪を受けたフリッツは刑務所内にある法律図書室で毎日午後、4時間ほども勉強した。そして獄中弁護士を自任している囚人に専門書や判例の読み方を教えてもらった。指導料はタダではない。フリッツは、タバコで、その料金を支払った。
 生死のかかった裁判にかけられたら、街で最高の弁護士か、最低の弁護士を雇うべきだ。最低の弁護士の手抜き弁護によって、あまりの弁護のひどさによって再審が認められるこというわけです。
 刑務所の看守たちの一部は、ロンをからかって多いに楽しんだ。
 「ロン、わたしは神だ。おまえはなぜデビー・カーター(被害者)を殺した?」
 「ロン、わたしはチャーリー・カーターだ。なぜ、わたしの娘を殺したのかね?」
 ロンが叫びをあげて抗議するので、ほかの囚人にとっては苛立ちのもとだったが、看守にとっては格好の気晴らしだった。こんな面白いことがやめられるわけがない。
 たまたま、裁判官が記録の洗い直しを命じ、矛盾点を発見してロンは助かりました。ただし、11年もたってからのことです。そのとき、DNA鑑定が役に立ちました。しかし、起訴した検察官と警察官たちは、最後で自分たちの非を認めませんでした。DNA鑑定にしても、それを隠したのは自分たちではないかのように知らぬ顔をしてしまいました。
 ようやく無罪放免になったロンですが、エイダの町はあたたかく迎え入れるどころではなく、いぜんとして「殺人犯人」扱いでした。
 ロンは、この長い絶望状態のなかで、心身ともに病みきっていました。冤罪事件の罪深さは、人ひとりの人生を大きく狂わせてしまうところにあります。
(2008年3月刊。762円+税)

2008年5月 7日

カランパ!

著者:高野 潤、出版社:理論社
 アマゾン奥地を生命がけで旅をする話です。怖いもの見たさに読みました。
 著者は、30年来、アマゾン源流に通っている団塊世代の写真家です。南アメリカのアンデス高地やアマゾン奥地を歩き続け、著書や写真集をたくさん出しています。怖い、こわーい、ぞっとするような話がたくさん登場してきます。なかでも怖いと思ったのが、ジャングルで道に迷って、ひとり取り残されたという話です。まさに生きた心地がしなかったでしょうね。
 セスナ機で目的地まで飛び、目的地まで達したら、現地の人たちのすむ集落の上からお菓子を入れた小さな袋をハンカチ大の布とむすんで落下傘形にして落とす。それが飛行場に着陸する知らせとなって、河に舟を走らせ迎えに来る。
 なんという連絡のとり方でしょう。電話も無線も利用されないわけです。
 現地の人々には一日3食という決まりはない。一日中、何もせずハンモックで休んでいることが多い。突然、腹が減ったという感じで、近くの畑に出かけ、とってきたものを焼いたり煮たりして食べる。吹き矢で野生のサルを仕留めて、それをぶつ切りにし、鍋で煮こんで食べることもある。
 家づくりも簡単なもの。ヤシの葉をすき間がある程度に重ねて屋根とする。ぎっしり重ねると空気が流れず暑さが増すし、真っ暗くなってしまう。だから大雨のときに困って、ヤシの葉をつぎ足さなくてはいけないくらいがちょうどいい。いやあ、そういうことなんですか。やはり、現地の風土にあった家づくりなんですよね。
 家族ごとに住んでいて、そのあいだは、徒歩で半日以上かかる。この距離が大切で、それはお互いの猟の領域がぶつからないようにする意味がある。
 な、なーるほど、そういうことだったんですね。それにしても淋しい気がします。子どもたち同士で遊べませんよね。
 糖分は、ミツバチの巣からとり、木の実や野生のイモ類で空腹をおさえる。森を歩きまわっていると、それほど食べるのに不自由はしない。
 住居の建材や槍、吹き矢は固い木やヤシの樹皮や葉を利用し、矢先にぬる毒はつるの樹皮からとる。すべて森のめぐみの中から得る。
 ジャングルの中にはジャガーがいる。川にはワニがいる。そして森の中、足元には蛇がいる。何がこわいといっても、いちばんこわいのは、やはり毒ヘビだ。タキギをひろおうとしていると、ズルズルと黒くて大きなヘビが動き出したこともある。
 足元にタランチュラの巣があったこともある。だから、たとえ1メートルであっても、森の中にふみこむときには、必ず長靴をはくことにしていた。ひゃあ、ぞくぞくしてきます。
 カランパ、という言葉は、日本語でいうと、こりゃまた、しまった、なんてこった、という意味で使われる。
 いやあ、怖い、こわい。いかにも軟弱な私は、本と写真だけで結構です。高野さん、ご苦労さまです。ありがとうございました。
 連休中に熊本城の大広間を見に出かけましたが、1時間待ちと表示されていましたので断念し、市街地の裏通りにあるレストランで美味しいランチをゆっくりいただきました。そこで出されたオードブルの塩トマトの味がとても良かったので、あとでデパ地下で買って家でも食べてみました。小ぶりでしっかり実がしまっています。ちょっぴり塩気もあり、すばらしいトマトです。初めて食べました。
 ジャーマンアイリスが盛りです。青紫色、純白、チョコレート色、黄色と、たくさんの花が咲いてくれています。頭上にはサクランボもたくさん紅いルビー色の実をつけています。佐藤錦のように甘くないのが残念です。
(2008年1月刊。1500円+税)

2008年5月 2日

私はこうして受付からCEOになった

著者:カーリー・フィオリーナ、出版社:ダイヤモンド社
 アメリカ屈指の大会社の社長(CEO)にまでなった女性の語る自叙伝です。それなりに、読みごたえがあり、教訓にみちています。アメリカでは、恐らく日本でも同じことでしょうが、大会社のなかで勝ち抜くのは大変のようです。
 スタンフォード大学では、フランス語でカミュの『異邦人』を読んだ。少し荷が重すぎた。ヘーゲルの弁証法も学んだ。これは、ビジネスでも応用している。
 UCLAのロースクールに入学して、一日目で選択を誤ったことに気がついた。過去のことばかりで、新しいことが何もない。そう感じられた。しかも、正義ではなく、判例法で決められたことに従うだけ。まったく魅力を感じなかった。毎日、頭痛がして、眠れない夜が何ヶ月も続いた。父が様子を見に来たとき、法律が嫌いだと言ってやった。
 いやあ、こんなふうに言われると弱ってしまいます。過去をふまえてこそ、明日に生きる解釈もできると思うのですが・・・。
 ある朝、シャワーを浴びながら、頭痛の原因に思い至った。そのとき私は22歳だった。両親を喜ばせるための人生はありえないことに気がついたのだ。私の人生は、私のもの。やりたいことをやらなければ。そう気がついた瞬間、私の頭痛はウソのように消え去った。
 たしかに、私の人生は私のもの。その点はまったく同感です。一度しかない人生ですからね。やはり、親の束縛はごめんです。
 怒ったときには、低い声で話す。大声は出さない。静かに言う。最後までやり抜く覚悟がないなら、人を脅かしてはいけない。こちらが絶対に正しいという確信がないなら、そして本当に重要な問題でないなら、脅してはいけない。
 このまま黙って罵られていたら、女がすたる。こう考えて、バーンと両手で机を叩いた。「黙んなさい。この、すっとこどっこい。黙って聞いていれば、いい気になって。よくも、私をタコ呼ばわりしたわね。ふざけるんじゃないわよ」
 いやあ、激しいですね。見上げたものです。
 上手に交渉をすすめるためには、相手を知ること、相手に敬意を払うことが欠かせない。相手が大切にすることも自分も大切にし、時間をかけて信頼を得る。ビジネスの世界では、人は信頼と尊敬で結ばれている。信頼と尊敬だけが交渉を成功させ、対立する人同士を結びつける役割を果たせる。
 ひゃあ、こんなことを成功したアメリカのビジネス・ウーマンが言うのですね・・・。トップ・ビジネスの世界では、人情みたいなものを全部切り捨てるのかと思っていましたが、違うのですね。
 部下が何かしらの成果を上げたとき、ことの大小を問わず、認めて評価した。これが自分にできる最善のことだった。なーるほど、ですね。
 自分をビジネスウーマンだと思ったことはない。私はビジネスパーソンだ。たまたま女だというだけ。いつも、こう答えた。なるほど、なるほど。そうですよね。
 有名人というのは、公共物である。血の通った人間ではなく、公園の銅像のようなものだ。じろじろ眺められ、批判され、風刺の対象にもなる。スターの誕生は喝采で迎えられるが、転落にも同じくらいの喝采が送られる。
 ヒューレット・パッカードのCEOになる前、2つの心理テストを受けさせられた。一つは、ウェブ上で質問に答える。3時間かかった。もう一つは、2人の心理学専門家との面接で、こちらも2時間以上かかった。
 うひょー、社長を選ぶのに、アメリカでは心理テストなんてものをやるのですか、ちっとも知りませんでした。日本では、とても考えられないことだと思いますが・・・。
 リーダーが求められる資質は3つ。第一は、人格。率直で勇気があること。第二は、能力。自分の強みを知り、それを生かせること。足りないところを知り、他人に任せたり、学習したりできること。第三は、協調性。いつ助けが必要かを見越して手を差しのべること。広い人脈をもち、すすんで情報の共有ができること。
 誰でも、いつでも、どこでも、リーダーになることは可能だが、言動が終始一貫していなければならない。
 会社を改革するには、一人ひとりがこれまでと違う状況に身を置いて考えることが必要だ。自分の地位を守ろうとしたら、共通の立場に立つことはできない。
 リーダーは生まれながらにしてリーダーなのではなく、つくられるもの。リーダーシップは、放っておいても自然に身につくものではなく、教え、育てるものだ。
 さすが、ビジネスと経営に苦労した人の言葉であると感心しました。資本家、恐るべし。
(2007年11月刊。1600円+税)

2008年4月24日

イラク戦争のアメリカ

著者:ジョージ・パッカー、出版社:みすず書房
 ネオ・コンはアメリカの戦争推進論者です。その一人ウォルフォウィッツは学生だったので、徴兵猶予でベトナム戦争に従軍していない。ディック・チェイニーは学生であることを理由として5回も徴兵猶予を受けている。60年代には兵役よりも他にしたいことがあったと本人は弁明している。ジョン・ボルトンはブッシュ大統領と同じで、州兵になった。東南アジアの水田で死にたくなかったというホンネを語っている。
 官僚組織の重鎮はチェイニーとラムズフェルドだったが、9.11以降の政策における精神的指導者はウォルフォウィッツだった。才気あふれる俗世派のユダヤだ。
 ブッシュ大統領とウォルフォウィッツは同じ世界観をもっていた。悪の存在を信じ、アメリカは救世主としてそれに立ち向かわなければならないと考えていた。
 イラク問題はブッシュ大統領にとって、エディプス・コンプレックスから脱却して男を上げるチャンスだった。父親よりもうまく宿敵に対処できることを証明する、またとない機会だった。
 ネオコンの第一世代は、かつて左派そのものだった。トロツキストもふくまれていた。イラク戦争の大物タカ派の中に左派出身者が混じっているのは、そのためだ。
 左派とか右派という視点は無意味になった。存在するのは、介入主義者と非介入主義者、革命論者と現実主義者という違いだけだった。共和党主流派の守旧的な現実主義者は、気づくと反帝国主義の左派や極右の孤立主義者と同じ陣営にいた。一方で、かつて人道的戦争を支持していたリベラルたちが、ブッシュ政権のタカ派を不本意ながら支持していた。
 2002年夏の終わりから秋にかけて、過剰に攻撃的な表現を用いて、イラクを先制攻撃する必要性をアメリカ国民に納得させるための派手なキャンペーンが始まった。イラクは無法国家で、5年もたてばアメリカに脅威を与えかねないと言われていたのが、突然、一刻の猶予もならないということになった。明確な証拠があるかどうかは問題ではなかった。理由を考える前に、戦争することを決めてしまったため、ブッシュ政権はあとに引けなくなっていた。
 彼らは、これは解放の戦争であり、復興はすぐに終了するので、比較的簡単でやりやすい戦争だと考えていた。ウォルフォウィッツは小規模な兵力、戦後復興への最小限の関与という条件を認めた。復興費用はそれほどかからないし、イラクの石油収入でまかなうことができると国民に説明した。ホワイトハウスが推算した復興費用は桁外れに低かった。4月に行政管理予算局は戦後復興費用を25億ドルと見積もった。戦争費用は2000億ドルに達すると予想した。ブッシュ政権は、戦争費用の試算を意図的に公表しなかった。
 フランクス将軍の革新的な戦略に動員された兵力は、国を制圧するには十分だったが、治安を維持するには不十分だった。それでも組織的に対応していれば、最悪の略奪を阻止したり、警告を発して暴力行為を予防したりできたかもしれない。ところが、略奪の現場にいたアメリカ兵は、介入するように命令されていなかったので、それを傍観していた。
 バクダッド市民による施設の破壊は、爆撃や銃撃による被害を上回った。アメリカ兵は黙ってみていただけでなく、略奪者をたきつけて協力した。アメリカ兵に警備されていた石油省だけは略奪を免れた。
 戒厳令はしかれず、夜間外出禁止令もすぐには発令されなかった。しかし、アメリカ軍は、早くから権力を確立していた。すべての元凶は略奪だった。そのときに、無秩序であることが明らかとなった。最初の数週間におきた略奪の経済的損失は、120億ドルと概算された。それは、戦後1年間のイラクの予想収入に等しかった。しかし、物質的な損害よりも、壊滅的な打撃を受けたのは、数値化できない損害だった。イラク人の経験した最初の自由は、混乱と暴力だった。新たな得体の知れない恐怖が解き放たれた。
 CPA(連合暫定施政当局)は、地理上はバクダッドの中心に位置しながら、完全に孤立していた。人権担当のイギリス人職員は、5週間のうち、グリーンゾーンを出たのは3回だけ。グリーンゾーンで働いていた職員は、まるで家の外に放火犯が集まっていることも知らずに、新築家屋の内装の仕上げに余念のない作業員のようだった。
 イラクに行ってみると、バクダッド国際空港と市の中央部を結ぶ道路をパトロールする十分な兵力がなかったので、イラクに到着するや否や命の安全は保証されなかった。
 アメリカ人にとって一番難しいのは、尊厳と敬意をもってイラク人に接すること。なぜなら、信用できるイラク人に会ったことがないから。ここでの最大の戦いは、イラク人に親切にするべく自分と戦うこと。
 アメリカのイラクへの侵略戦争が誤りであり、失敗していることは明らかです。少なくとも日本はアメリカのためにお金をつぎこんではいけないし、自衛隊は一刻も早く撤退させるべきです。ところで、先日の名古屋高裁判決は久々に感動しました。日本国憲法に定める平和的生存権は具体的な権利だというのは、まったくそのとおりです。にもかかわらず、「傍論だ」とか、「そんなの関係ねえ」という政府高官の発言は許せません。行政が司法を尊重しなければ三権分立なんてありません。軽々しく見過ごすことのできない暴言です。
(2008年1月刊。4200円+税)

2008年4月11日

ハイチ、いのちとの闘い

著者:山本太郎、出版社:昭和堂
 2003年7月27日、ハイチの首都ポートプランス空港におり立ち、2004年3月10日、ハイチからニューヨークへ身ひとつで脱出した日本人医師の体験記です。
 ハイチの失業率は70%をこえ、国民の3分の2以上が1日2米ドル以下という貧困生活を送っている。国民一人あたりの国内総生産は400ドル。これは日本人一人あたりのそれの70分の1にすぎない。
 面積2万8千平方キロに860万人の人口。国民の90%が黒人、10%が黒人と白人の混血のムラトー。雨が多く、本来は緑豊かな島国だが、長年の森林の無秩序な伐採によって、国土の森林面積の90%を失い、いまや薄赤茶けた肌が露出する山々だけが無惨な姿をさらしている。
 ハイチの隣にドミニカ共和国がある。東側3分の2を占める。人口800万人の国。ハイチから1844年に独立した。ドミニカ側の山には緑が残っている。ドミニカの方が物価が安く、ハイチの3分の2程度。
 大半の住民はクレオールしか話さず、フランス語を話すのは人口の10%程度、エリートに限られている。クレオールは、ピジンと違って、それ自身が文法的にも表現能力としても充実した土地の言語である。クレオールはハイチだけでなく、世界各地でつかわれている。マルチニク、グアトルループなど・・・。
 NHKラジオのフランス語講座でハイチが取りあげられて勉強したことがあります。
 ハイチは、独立して200年間、独裁と政治的混乱を繰り返してきた。
 ハイチでは、ハイチ・ドルという実体のない、つまり紙幣やコインのない仮想通貨が日常的につかわれている。正式な流通通貨であるグルドでいうと、5グルドが1ハイチ・ドルということになる。10ハイチ・ドルは50グルドで、これは1.25米ドル。
 ハイチでは何ごとも交渉によって値段が決まる。 ハイチに住む日本人は18人ほど。
 ハイチの成人人口の5〜10%がHIVに感染している。エイズ治療薬は、かつて年間1万2000米ドル(144万円)かかるといわれていたが、今では300米ドル(3万6000円)にまで低下した。
 ハイチに暮らす860万人に対して、島の外、海外に150万人のハイチ人が住んでいる。
 デュバリエ独裁時代は恐怖の中での秩序があった。自由と競争が、ある面で、社会を壊していく。アメリカがそうだし、自由のない社会での秩序は、それ以上に恐ろしいものである。これは、あるハイチ人の言葉です。
 著者は長崎大学の医学部を1990年に卒業した若手の医師です。アフリカ諸国でも活躍されています。このような日本人がいるおかげで、日本人に対する海外の評価は高いのですよね。頭の下がる思いをしながら読みました。
(2008年1月刊。2400円+税)

2008年4月 1日

貧困大国アメリカ

著者:堤 末果、出版社:岩波新書
 サブプライムローン破綻が世界経済をゆるがしています。いったい、何のこと・・・?
 アメリカの住宅ブームが勢いを失いはじめたとき、業者が新たに目をつけたターゲットは国内に増え続けている不法移民と低所得者層だった。破産歴をもつ者やクレジットカードがつくれなくても、住宅ローンが組めるといって顧客をつかんだ。利率は同じ所得層の白人に比べて3〜4割も高い。2005年、アメリカで黒人(アフリカ系のアメリカ人)の55%、ヒスパニックの46%がサブプライムローンを組んでいる。白人は、わずか17%だ。
2007年1月から6月までの半年間で差押物件は全米で57万件をこえた。これは前年比58%増。このサブプライム債権を担保とした証券は、一般の住宅ローンを担保とした証券よりリスクは高いけれど、金利自体が高いために利回りが大きく、ヘッジファンドや銀行が飛びついた。住宅価格が下がって貸し倒れが増えはじめると、日米欧の中央銀行は銀行間の決済が滞ってパニックになるのを防ぐため、巨額の資金を市場に供給しはじめた。しかし、2007年7月にアメリカの大手格付機関が格下げを発表し、8月にフランスのBNP銀行がファンドの一部凍結を実施したことから、世界中を大パニックに追いこんだ。
 むひょう。いやですね。大金持ちが貧乏人を食い物にしておいて、破綻したら、また貧乏人にしわ寄せするというのですからね。許せません。
 貧困は肥満を生む。メタボになりかけ、ダイエットに励んだおかげで半年で5キロの減量に成功し、標準体重まであとわずかというところまで来ている私にとっても、他人事(ひとごと)ではありません。ニューヨーク州では、公立小学校の生徒の50%が肥満児だというのです。それは、ひどーい。家が貧しいと、毎日の食事は、安くて調理の簡単なジャンクフードやファーストフード、揚げもの中心になってしまう。学校予算が切り詰められているため、給食しようとしても、メニューは、安価でカロリーが高く、調理の簡単なインスタント食品かジャンクフードになってしまう。
 アメリカ国内の「飢餓状態」を経験した人は3510人(全人口の12%)。うち2270万人が成人(10%)、1240万人が子どもである。「飢餓人口」の特徴は、6割が母子家庭、子どものいる方がいない家庭の2倍、ヒスパニック系かアフリカ系に多い。収入が貧困ライン以下。その39%が何らかの職業についている。
 国民の生命にかかわる部分を民間に委託するのは間違いだ。国が国民に責任をもつべきエリアを絶対に民営化させてはならない。
 私も、まったく同感です。国は税金を徴収する以上、やるべき最低の義務があるのです。
 2005年にアメリカで個人破産した204万人のうち、半数以上は高額の医療費負担によるもの。私も、20年以上も前に、アメリカでそのことを聞いて耳を疑いました。アメリカには国民健康保険制度がなく、民間の保険会社が適当にやっているので、医療費負担がものすごいのです。映画『シッコ』を見るとよく分かりますが、貧乏国のキューバで市民が安心して生活しているのは教育費も医療費もまったくタダだから、なのです。
 病気になって医療費が支払えずに自己破産した人のほとんどが中流階級であり、民間の医療保険に加入していた人なのです。
 アメリカの医療保険制度(日本でいう生活保護)であるメディケイドの受給者は、  5340万人であり、貧困層が急増しているため、50%もの増加率となっている。
 アメリカの巨大病院チェーン(HCA社)は、全米に350の病院をもち、年商200億ドル、従業員28万5000人。市場原理とは、弱者を切り捨てていくシステムである。
 軍隊に若者が入る理由の一つに医療保険がある。貧困層の高校生は、家族そろって無保険のことが多く、入隊したら本人も家族も兵士用の病院で治療が受けられるようになる。これは、非常に魅力的だ。
 2003年の時点で、アメリカ国籍をもたない兵士が4万人近くもいる。軍は年間26億ドルをリクルート費用につぎ込んでいる。
 アメリカには350万人以上ものホームレスがいて、その3分の2は帰還兵である。心の病いが深刻になっている。2007年8月の時点で、イラクにおいて死んだアメリカ兵は3666人(最新のニュースでは、ついに4000人をこえました)。その5%が自殺によるもの。
 トラック運転手を募集という広告。しかも、2年間の契約で、高額。応募すると、勤務地はクウェートと書いてあったのに、実際に連れていかれたのはイラクのアメリカ陸軍基地だった。派遣社員がイラクで死んでも、民間人なので戦死者にはならない。政府には発表する義務がない。
 ネパールから生活のために派遣会社を通してイラク入りするネパール人が1万7000人もいる。月収2500ドル。そんなハリバートン社は、イラクでの売上が日本円にして7500億円にもなる。そして、ハリバートン社に対してアメリカ軍は、業務奨励賞と7200万ドルというボーナスを与えた。
 まさしく、戦争で肥え太っているアメリカ企業がいるのですね。許せません。
 日本人がアメリカ兵の一員としてイラクにまで出かけている実情があることを初めて知りました。日本人もアメリカ軍の一員としてイラクへ出かけているのですね。もちろん、例の自己責任の原則の範囲内のことでしょうが、ひどいものです。日系アメリカ人将校は、イラク出兵を拒否して軍法会議にかけられてしまいましたが・・・。
 アメリカに永住権さえ持っていれば、国籍に関係なく入隊できるのです。そういえば、40年前のベトナム戦争のときにも、清水君という日本人青年がアメリカ軍の一員としてベトナムの戦場へ派遣され、戦争の現実を知って脱走して日本に帰国してきたということがありました。
 今は、黒人も白人も、男も女も、年寄りも若者も、みな目の前の生活に追いつめられたあげくに選ばされるのに戦争があるというだけのこと。格差社会の下層部で死んでいった多くの兵士にとってこの戦争はイデオロギーではなく、単に生きのびるための手段にすぎない。貧乏人の黒人だけがイラクの最前線に行くわけではない。
 アメリカ社会は憲法25条を奪った。人間らしく生きのびるための生存権を失ったとき、9条の精神より目の前のパンに手が伸びるのは、人間としてあたり前のこと。狂っているのは、そのように追いつめる社会の仕組みの方である。
 そうなんですよね。アメリカのような社会にはなりたくないものです。
(2008年1月刊。700円+税)

2008年3月26日

オッペンハイマー(下)

著者:カイ・バード、出版社:PHP研究所
 日本に原爆が落ちたことを知ったアメリカ人は、ゴミ入れのふたなどを叩き鳴らしながら練り歩き、喜びをあらわした。そうなんですか・・・。ジャップは、黄色い猿であって、人間ではない。そう考えていたようです。映画『猿の惑星』に出てくる猿も、日本人がモデルだというのです。ご存知でしたか?日本人って、そう見られていたのです・・・。
 その一方、原爆開発にたずさわった科学者たちは、日がたつにつれて自己嫌悪感が高まり、戦争終結が爆弾の使用を正当化すると信じていた人たちにさえ、きわめて個人的な後ろめたさを経験させた。
 オッペンハイマーは、良心の呵責から不安と疲労を抱えた。
 原子兵器の使用を防止する適切で効果的な、いかなる軍事的対抗策も見つからない。それを可能にするのは、ただ一つ、将来の戦争を不可能にすることしかない。
 トルーマン大統領は、そんなことを言うオッペンハイマーについて、「原子力を発見したために手が血だらけ、とぬかした泣き虫科学者」と叫んだ。
 アメリカに外国からテロリストが核兵器を持ちこむのを見つけることができるか、と問われたオッペンハイマーの答えは?
 それにはネジ回しがいる。すべてのスーツケースを開けるための。
 つまり、核テロリズムへの対抗策はなかったし、今後も絶対にないということ。
 ふむふむ、なるほど、そうなんですよね。ましてや自爆攻撃するテロリストをくいとめる手だては何もないと私も思います。
 オッペンハイマーはFBIによって危険人物と見なされ、その電話は盗聴された。
 私の電話を盗聴するためにアメリカ政府がつかったお金は、ロスアラモスで私に支払った給料より多かった。そうなんですよね。いつの時代でも盗聴というのは、まったく割のあわない行為だと思います。
 オッペンハイマーの家庭生活は、この世の地獄のように思えた。最悪なのは、2人の子どもも必然的に苦しまなければならなかったことだ。
 なるほど、そうなんでしょうね。天才の子どもというのは辛いものがあると思います。
 1949年8月29日、ソ連がカザフスタンでひそかに原爆の実験をしたとき、アメリカ政府は誰もそれを信じたくなかった。
 トルーマン大統領は、ソ連に対する核優位を保つため、10年内に300の核弾頭から1万8000の核兵器をもつようになった。次の50年間に、アメリカは7万個の核兵器を生産し、核兵器プログラムに投入される予算は5兆5千億ドルになった。核生産競争の悪循環に陥ったのです。
 オッペンハイマーに対する聴聞委員会は1954年4月12日に開かれた。その容疑は、オッペンハイマーがアメリカ共産党の多くの前線(フロント)組織に加わったこと、共産主義者(共産党員)と判明している数多くの人々と新しい関係ないし交際したこと、原爆プロジェクト共産党員を雇ったこと、サンフランシスコで月150ドルを共産党に寄付したこと、だった。
 ええーっ、こんなことが罪になるのですか・・・。
 「自由」の国、アメリカの怖い、暗い本質がよくあらわれています。
 オッペンハイマーの妻(キティ)も証人席に座らされ、質問を受けた。共産党員としての過去があることを認めて、堂々と反論しました。
 5月23日、2対1の評決によってオッペンハイマーを忠実なアメリカ市民ではあるが、保安上の危険人物 であると見なされました。
 ところが、皮肉なことに、この裁判と評決の報道は、オッペンハイマーの名声を国の内外で高めた。かつては「原爆の父」とだけ知られていたが、今度は、もっと魅惑的な「ガリレオのように迫害された科学者」のイメージが加わった。ドレフェス事件のような扱いだ。
 オッペンハイマーの敗北は、アメリカ自由主義の敗北でもあった。オッペンハイマーが少しでも秘密を漏らしたという証拠はなかった。ルーズベルトのニューディール支持者の多くのように、オッペンハイマーはかつて広い意味での左翼であり、人民戦線運動を支持し、多くの共産党員とつきあいがあった。しかし、オッペンハイマー自身は、自分を反体制派とは考えていなかった。この評決のあと、オッペンハイマーは所長の座を維持できたが、以前のような機知と活気が失われた。オッペンハイマーは、1967年2月、62歳で病気(ガン)により死亡した。
 天才科学者を取り巻くアメリカの狂気を知ることができました。
(2007年8月刊。1900円+税)

2008年3月18日

反米大陸

著者:伊藤千尋、出版社:集英社新書
 9.11と言えばアメリカ人も日本人も、2001年のテロ事件を思います。ところが、南米チリの人は、1973年の9月11日を思い出すというのです。そういわれると私も思い出します。チリのアジェンデ大統領が軍部クーデターのために殺された日です。そうです。あのピノチェトです。ピノチェトは後に大統領になりましたが、最近、殺害責任を追及されました。今の大統領は、軍部から迫害を受けた体験者です。
 中南米でアメリカの介入を受けなかった国はない。アメリカは中南米を「アメリカの裏庭」として、自国の勢力圏とみなしてきた。これらの国は、「天国からはあまりに遠く、アメリカにはあまりに近い」といわれる悲劇に泣かされてきた。うむむ、そういう表現があるのですね。日本も同じようなものですよね。
 「南米のABC」と呼ばれる主要3か国のアルゼンチン、ブラジル、チリをふくむ、南米12ヶ国のうち9ヶ国が左派政権となった。今や南米で明確な親米右派政権はコロンビアだけ。コロンビアは旧ソ連派ゲリラとの内戦が続き、アメリカから膨大な軍事援助を受けている。
 ベネズエラ、エクアドル、ボリビアと、キューバ革命が南に輸出されている。
 南米に反米政権が次々に生まれたのは、アメリカの圧力によって、中南米の各国で1990年代にすすめられた新自由主義の経済政策によるものだ。
 ボリビアでは、高地に住む先住民にとって、コカは高山病の症状をいやす薬である。高山病を防ぐためコカ茶を飲む。コカは化学精製して初めて麻薬になる。化学精製しなければ、まっとうな作物である。
 キューバにはアメリカのグアンタナモ基地が今もある。今から100年以上も前、キューバが独立するとき、アメリカが力づくで奪ったもの。アメリカの借り賃は年間4000ドルにすぎない。キューバ政府は、グアンタナモ基地の即時返還を要求し、小切手の現金化を拒否している。キューバ人は、はじめアメリカを解放者と思ったが、実は、支配者がスペインからアメリカに変わっただけだった。
 アメリカはパナマ運河の利権を維持するため、パナマの完全支配を目ざした。国家の経済政策に介入し、中央銀行の設立を許さなかった。そのため、パナマには、今でも通貨を管理する中央銀行がない。独立国として当然の独自の通貨をもたない。紙幣は米ドルがそのまま流通している。
 アメリカは、1946年に米軍アメリカ学校を設立した。年に1000万ドルにのぼる学校経費は、アメリカの国防費から出ている。米軍アメリカ学校は、年間1000人の中南米エリート軍人を集めて教育している。主眼は、国内の反政府派の鎮圧と弾圧である。心理作戦や尋問方法という科目があり、拷問法を教える。拷問の実際のビデオを上映しながら、アメリカ人医師が人間の神経系統の図を示し、身体のどこを、どう責めたら効き目があるのか教える。
 うひゃあ、ひどーい。むごい教育です。いえ、こんなのは教育とは言わないでしょう。
 アメリカがあとで捕まえたパナマのノリエガ将軍も、この学校の卒業生です。ペルーのフジモリ大統領とともに秘密警察の親玉として弾圧した張本人のモンテシノスも卒業生でした。この学校の卒業生は6万人にのぼります。「民主主義」を標榜するアメリカっていう国は、反民主主義を実践する国家だっていうことを、日本人の私たちも忘れてはいけませんよね。
 日曜日はポカポカ陽気でした。庭仕事の楽しい春となりました。庭のあちこちに土筆(つくし)が顔を出しています。アネモネがあでやかな紅、紫、白、ピンクの花を咲かせています。チューリップもぐんぐん伸びて、あと10日もしたら咲き出すことでしょう。アジサイを植えかえてやりました。増えすぎた水仙を泣く思いで掘り上げてコンポストに放りこみました。増えすぎても困るのです。これからジャーマンアイリスの移しかえ、梅の木の剪定などが待っています。
 庭仕事をして、しっかり汗をかいたところで早々と風呂に入って汗を流しました。湯船につかりながら、庭仕事をしているとき、一度もくしゃみをせず、目も痒くならなかったことに思いあたりました。あれっ、花粉症じゃなかったのかな・・・、と。でも、夜にはやはり鼻で息ができずに口を開けて苦しい思いをしました。
(2007年12月刊。700円+税)

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