弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2006年12月28日

渋滞学

著者:西成活裕、出版社:新潮選書
 東京の弁護士会館についている4台のエレベーターはなかなか来ず、待つ人(その多くは、もちろん気ぜわしい弁護士です)を大いにイライラさせる存在です。2、3分待ちはザラです。ところが、やって来るときには次々に来ます。1台目は満員で2台目はガラ空きというパターンです。どうにかならないものか、弁護士会はなんどもエレベーター管理会社にかけあいましたが、一向に改善されません。この本によると、それも一種の渋滞減少なのであり、仕方のないことのようです。
 大規模なビルに複数のエレベーターがあるとき、放っておくとダンゴ運転をしてしまう。利用客が一番多い階にエレベーターは集まる傾向があるので、他の階ではかなりの待ち時間になり、結局、複数のエレベーターがあっても、分散せずダンゴ状態になる。そこで、時間帯ごとの利用階の頻度をコンピューターに学習させ、それにもとづいてある程度、将来のエレベーター運行ルートを予測し、そのうえでなるべくすべてのエレベーターが分散した状態になるように運行するようにする。したがって、無人なのに勝手にエレベーターが動いていることがある。これをエレベーターの群管理という。しかし、これをやると、運行の電気代はより高くなる。
 車間距離が40メートルいかになっても相変わらず自由走行の時速80キロメートルで走っている状況はメタ安定。このメタ安定状態は通常は5〜10分ほどの寿命しかなく、徐々に渋滞へ移行する。
 メタ安定状態とは、何らかの原因で短時間だけ出現する不安定な状態をいう。車間距離が200メートルより短くなってくると、自分の速度をそのまま維持しようとして早めに車線変更し、追い越し車線を走るほうがよいと判断する。
 しかし、皆が同じように行動すれば、結果として追い越し車線の方が混んできて速度が低下してしまう。だから、混んできたときは走行車線を走ったほうがよい。長距離トラックの運転手は、経験的にこのことを知っている。
 赤信号でたくさんの車が止まっている。青信号に変わった。全部の車が一斉に動き出せば、すぐに動けるのにと思う。しかしこれは実際には難しい。車一台あたり静止時に前後8メートルを占めているので、車1台あたり1.5秒かかる。たとえば、自分が信号機から10台目にいると、15秒ほどで自分の発進の番になるということ。
 明石歩道橋事故についての解説があります。大いに関心をもって読みました。
 通常は1?に5人で危険な状態になり、将棋倒しの状態が起きる。明石では、事故のとき、その3倍の15人いたと推測され、一時的に圧縮状態になったわけで、そのときに人が感じた力は1?あたり400キログラム。これはとてつもない大きさだ。現場付近の300キログラムの荷重に耐えられる手すりが壊れていたことから判明した。医学的には200キロで人間は失神するといわれている。
 難しいところもあって十分理解できたわけではありませんが、予想以上に面白い話が満載の本でした。

日本テレビとCIA

著者:有馬哲夫、出版社:新潮社
 今日の日本人にとって、テレビは軍事や政治とはまったく関係のない、単なる大衆娯楽のメディア。とくに日本テレビは、プロ野球やプロレスなどのスポーツ番組として、バラエティや音楽など、娯楽番組に定評がある。
 しかし、その設立の狙いは、アメリカ的民主主義や生活様式を日本人が学ぶことにあった。優先順位として上位にくるのは、共産主義国からの軍事的脅威に対する心構えだ。
 アメリカの世界戦略のなかで、日本テレビにはポハイク、正力松太郎(読売新聞社主)にはポダムという暗号名がつけられていた。
 正力は、文化・教育のメディアとしてテレビを考えていたが、GHQと接触して、反共産プロパガンダのメディアとして位置づけを変えた。
 アメリカが直接に共産主義とたたかうのではなく、日本にそれをさせる。単に日本を助けるのではなく、それがアメリカの資本家の利益にもなるようにすることが求められた。
 公然、非公然の手段によって、日本のマスメディアは、アメリカの対日心理戦略に確実に組み込まれ、かなりコントロールされた。毎晩のゴールデン・アワーを占領したアメリカ製の娯楽番組ほど大きな威力を発揮した番組はない。
 日本テレビはNHKと歩調をそろえて、アメリカのNBC、CBS、ABCがアメリカで放送して実績をあげた娯楽番組を放映した。たとえば、「名犬リンチンチン」「パパは何でも知っている」など。
 いかにもプロパガンダくさい番組より、ごく自然な娯楽番組のほうが、日本人を親米的にするうえで効果がある。
 マッカーシズムの時代には、西部劇は共産主義に対して開拓時代のアメリカ的価値を改めて称揚する意味があった。
 これらの娯楽番組が共通して発揮した絶大な効果は、日本人を番組のなかの人物、とりわけ主人公に感情移入させたことだ。つまり、日本人であるにもかかわらず、アメリカ人の気持ちになって考え、彼らの視点からものごとを見るようになった。
 現在の例をあげると、アメリカ側からのニュースや素材が多く採用されているため、日本人の多くはイラク戦争をアメリカの視点から見ている。そして、9.11でワールド・トレードセンターが崩れ落ちている映像を見ると、アメリカ人でもないのに、これはテロリストが起こした悲劇だと思ってしまう。対日心理戦略計画に、日本のメディアにできるだけ多くのニュースや素材を提供せよとあるのは、まさにこのためなのだ。
 なーるほど、そういうことなんですよね。日本のテレビは、昔も今もアメリカ的価値観に完全に占領されています。それで、アメリカのイラク侵略戦争への日本人の反対デモの盛り上がりが今ひとつ欠けていたんですね・・・。恐ろしいことです。

裁判と社会

著者:ダニエル・H・フット、出版社:NTT出版
 聖徳太子の「十七条の憲法」に「和をもって貴しとせよ」とあることを根拠として、日本人は昔から裁判が嫌いだったというのが常識になっています。しかし、この常識は間違っていると私は考えています。この本も同じように考えています。
 聖徳太子という人物が本当に存在したのかということも疑われていますが、その点はおいても、「十七条の憲法」には、裁判があまりにも多すぎるので、減らしなさいとあるのです。日本人が争いごとを好むのをいさめた言葉なのです。言葉の表面だけをとらえて昔から日本人は裁判が嫌いだったなんて、まったくの見込み違いです。実際、30年以上弁護士をしていて、裁判が好きな日本人の男女を数多く見てきました。いわゆるインテリではない人たちにも、けっこう裁判マニアがいるのです。
 この本では、日本とアメリカと中国でアンケート調査をして、日本がとくに裁判を嫌うということはなかったという結果を紹介しています。
 日本では、津の隣人訴訟が有名です。お隣同士で親しい間柄の二家族があり、子どもたちが近くの貯水池で遊んでいたところ、一人が溺死してしまったことから、死んだ子の親が隣人を訴えて裁判を起こし、裁判所は損害賠償を命じました。すると、マスコミが取り上げ、原告となった親を非難し、ついに訴訟は取り下げられました。そして、そのあと今度は、訴えられた隣人まで嫌がらせの電話や手紙が集中したのです。
 これは、日本人が裁判を嫌う例証として、よく取り上げられるケースです。
 ところが、この本によると、1994年のアメリカのベストセラー小説にも同じようなテーマを扱ったものがあるそうです。そして、アメリカ人の親は、隣人に対して訴訟することを考えもしなかったというのです。津の隣人訴訟は、日本人の特異な訴訟観を証明するものではないのです。
 アメリカ人は、友人とのあいだでは、借用証などの書面なしに、握手の信頼関係でお金の貸し借りをすることが多い。
 著者はこのように述べています。なーんだ、これじゃあ、日本人と同じではありませんか。日本人とアメリカ人と、いったいどこが違うのでしょうね
 著者は、裁判所の人事配置について、日本の大企業の人事慣行とよく似ていると指摘しています。なるほど、そのとおりでしょう。
 雇用主に忠実でない労働者はどこか居心地の悪い場所に左遷される。ただし、解雇されるまでにはいかない。それには特別の理が必要とされるから。
 この本で、著者は、交通事故と破産事件の処理をめぐって、裁判所が意識的に政策形成したことを指摘しています。なるほど、と思いました。交通事故では賠償基準表をつくり、破産事件でも少額管財事件をふくめて簡易・迅速処理を実現しました。
 これについては、熱心かつ創造性豊かな弁護士が訴訟を追行し、その熱意を熱心かつ創造的な裁判官が受け容れたという事情がある、という指摘です。まったく同感です。
 日本法の本質は3分で喝破できるものではないという著者の言葉に私も賛成です。何ごとも、そんなに簡単なことはないのです。

公安化するニッポン

著者:鈴木邦男、出版社:WAVE出版
 著者は早大出身の新右翼のリーダーです。公安警察で活動していた何人かの元警察官との対話からなっている異色の本です。
 過激派のセクトの中にも公安に通じているスパイがいる。バレそうになったら、公安が手配してアメリカへ逃がす。
 革マルは内ゲバで殺された人が78人いると書いているが、そのなかに実は警察官も混じっていた。ええーっ、本当なんですかー・・・。ところが、実は、とうやら本当のことのようです。
 機動隊がエンジンカッターで鍵を切って過激はセクトのアジトを襲撃する。ドアを開けて盾と警棒を持って突入していく。マスコミも中までは撮れないので、中に入ったらやり放題。その場にいた人間の頭を叩く。歯向かう人間は警棒で鎖骨を折ってしまう。機動隊の装備は重厚で、鉄も入っているので、殴りかかられても平気だ。
 中にいた人間が「おれもサツカン(警察)だ」といっても、機動隊員は「うそだろ、うそだろ」と言って信じず、叩き続ける。危篤状態で病院に運ばれ、本人が職員番号を言って本物(潜入スパイ)だということが分かる。それで大至急、蘇生するオペレーションをやってもらうけれど、手遅れになる。これで死んだのが何人もいる。
 遺族が、「スパイみたいなことをさせて、どうして守ってくれなかったのか。殺したのは警察官じゃないか」と激しく抗議したので、潜入スパイは下火になった。
 こうやって10人は死んでいる。殉職したら、4500万円もらえる。このほか裏ガネももらえて、階級も特進するので、合計8000万円くらいは支給される。そして、警察の弥生廟にまつられる。
 そうだったんですかー・・・。警察官も内ゲバの被害にあって殺されていたんですね。でも、これって、亡くなった人には申し訳ありませんが、ほとんど無意味、いわば犬死にみたいなものではありませんか。
 スパイ(組織内協力者)に求められるのは、「頭がいい」が「意志が弱い」こと。これが理想的な人物の条件。意外にもトップに近い人間ほど脇が甘い。末端は上部の査問を恐れて治安機関と接触することに恐怖を感じるが、トップは全部自分の腕三寸だと思ってしまうから。
 公安警察は全国に1万人いる。公安調査庁は、わずか1500人。スパイを摘発する防諜能力はほとんどない。もっぱら組織内部のスパイから聞き出した情報を評価している。
 私の親しかった弁護士(故人)は、父親が公安刑事でした。オヤジは昼間は家でブラブラしていて、夕方から出勤していた。なんだか暗い家庭の雰囲気だったという話を聞いたことがあります。なるほど、スパイ・ハンドラーとして、フツーの警察官が味わえるような社会正義の実現はできなかったのでしょうね。スパイの獲得って、要するに人間を堕落させることですよね。そんな仕事で生きていくなんて、みじめな人生じゃないでしょうか。そう思いませんか。

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