弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
選挙「裏」物語
著者:井上和子、出版社:双葉社
公共事業は土建業界のためにある。そして選挙のときに働いてくれた謝礼として大きなハコ物がつくられる。しかし、そこで使われるのは税金だ。公共事業が少なくなると、それに見返りを求めていた人々が選挙運動に熱心ではなくなった。
選挙は、公共事業を獲得するための選挙が中心になっていた。高速道路などの土木分野にものすごく予算が回されるので、この方面の業界だけは潤っていた。
国が損したって構わない。オレたちが潤えば、別にそれでいいんだ。
でも、これではいけない。税金のかたまりである公共事業をエサにして票を集めるというあざとい選挙スタイルは通用しなくなりつつある。
著者の考えに賛成します。今回の参院選にあらわれているように、自民党ぶっつぶせを叫んで登場した小泉前首相のおかげで、自民党の支持基盤がかなり崩れつつあるのも事実です。それでも、公共事業という巨額の利権にむらがるゼネコンと暴力団、そしてそれを支えながら甘い汁を吸い続けている政治家たちが、相変わらず大きな顔をしている状況は、まだまだ変わっていないように思います。
筑後平野に新幹線工事がすすんでいます。一見のどかな広大な田圃のなかを延々とコンクリートむき出しの無骨な高架線路が貫いています。寒々とさせる光景です。日本の国土の荒廃を象徴させるものだと感じます。九州新幹線って、黒字になる可能性なんて初めからないのではありませんか。少なくとも私はそう思います。莫大な赤字路線をつくり、税金で穴埋めしていくことになるのは必至です。大型公共事業を中心とする政治を今のまま続けていいことは、何もありません。
民主党の候補者は、汗水流して下積みの苦労をしていない人が少なくないので、目に見えない心配りや目立たない苦労への理解が足りないケースが多い。このような公募で当選した民主党の政治家のなかには、自民党の公募で落ちたから、仕方なく来たという無節操なタイプがいる。
もちろん、無節操ではありますが、自民党と民主党とに本質的な違いがないことの反映だというほうが、より正確ではないでしょうか。ただし、参院選のあと、自民党が大敗したことをふまえて民主党は自民党との違いを浮きたたせようと必死です。それが憲法改正に反対する方向であることを私は心から願っています。
猛暑の毎日です。だから、なのでしょうか。セミの鳴き声がパタリと止んで、勢いがなくなってしまいました。まだツクツク法師は聞かれません。庭に淡いピンク色の芙蓉の花が咲いています。酔芙蓉はまだです。午前中は真白の花なのに、午後から赤味がさしはじめ、夕方にはピンク色になって、酔った状態に変わります。
(2007年6月刊。1400円+税)
グーグル革命の衝撃
著者:NHK取材班、出版社:NHK出版
今どきインターネットで検索できないというのも情けない話ですが、残念ながら私は自分では出来ません。いつも秘書にやってもらいます。検索しといてね、と声をかけるだけですみますから、ことは簡単です。でも、現役を引退したときはどうしましょう。そのときには、きっぱりインターネットの世界と縁を切るしかなさそうです。負け惜しみになりますが、あまり未練はありません。
グーグルは社員が1万2000人。売上高が106億ドル。前年比73%増。時価総額は18兆円。アメリカの1ヶ月間の検索回数は69億回。
グーグルへの就職希望は月に10万件を超え、人気絶大。グーグルは全米でもっとも働きやすい職場となっている。社内にはスポーツジムがあり、ソフトボールやテニスも自由にできる。食事やクリーニング・マッサージまで、すべてが無料となっている。グーグルで働く日本人も少なくない。
グーグルには、世界中、25ヶ所に45万台のコンピューターがある。世界中のネット上のホームページは150億以上。300億をこえるという推計もある。
検索件数は1998年に1日1万件だったのが、1日あたり1800万件になった。
グーグルの収入の中心は、検索連動型広告「グーグル・アドワーズ」である。
2000年末に検索件数は1日1億件をこえ、2001年にグーグルは黒字となった。それからは、年々、売上げが倍増していった。
2005年のネット広告の市場規模は125億ドル(1兆5千億円)で、その4割6千億円が検索連動型広告である。これは、わずか5年で60倍になった。これをターゲット広告ともいう。
グーグルは、広告の個人化を着実にすすめている。たとえば、次のようになる。
飛行機でシカゴに着いて、ケータイをオンにする。すると、ケータイの音声が次のように告げる。シカゴに着きました。今はランチタイムです。ピザ屋が左手にあり、ハンバーガー屋は右手にあります。きのうはハンバーガーでしたね。
ひゃあ、怖いですね。恐ろしいことですよ。ここまで管理されては、たまりません。目の前にいる美人に声もかけられないじゃないですか。これではまるで管理社会ですよ。
グーグルが先進国で唯一攻略できていない市場。それが日本だ。
うへーっ、そうなんですか。ヤフー65%、グーグル35%だというんです。そこで、グーグルは日本のすすんだケータイの活用を考えているとのことです。
最後に、グーグルは知ではない、という小宮山・東大総長の話を紹介します。
インターネットをつかって情報を簡単に入手できる便利さには落とし穴がある。情報収集にかけた膨大な手間と時間は、ムダなように見えて、決してムダではない。その作業を通じて頭の中で多様な情報が関連づけられ、構造化され、それがヒラメキを生み出す基盤となってきた。インターネットで入手した、構造化されていない大量の情報は、「思いつき」を生み出すかもしれないが、ヒラメキを生み出すことはきわめて稀だ。頭のなかに、いかに優れた知の構造をつくり出すことができるか、それが常識を疑うたしかな力を獲得するカギなのだ。
うむむ、そうなんですよね。この指摘はあたっていると私も思います。ですから私はネット検索できなくても生きていく自信はあるのです。ホント、です。
コピペという言葉、知ってますか?コピー・アンド・ペーストの略語です。既成の記事をコピーして、そのまま自分の文章に貼りつけていくことです。一昔前のノリとハサミですね。グーグル脳は怖いですよ。多くの若者が、グーグル漬けの状態になっています。これでは、日本と世界の本当の明るい未来はありません。ねっ、そう思うでしょ?
2007年8月17日
伝説の社員になれ
著者:土井英司、出版社:草思社
ビジネス書を1万冊も読んだというのです。あれれ、ビジネス書って、そんなに面白いものなのかしらん、私は懐疑的になりました。
最低限の利益を出すには、人件費は売上げの3割におさえるのが経営の原則だ。つまり、今もらっている給料の3倍の売上げをあげて、ようやく給料にみあう働きをしていることになる。
必要なことは、出世したり、高い給料を追い求めることではない。一生を通じて自分がケアをし、それによって自分も成長できる、そんな対象を見つけること。
どんなことでも9年間続けたら成功できる。そして、成功するためには、その代償として何を捨てなければならないのか、それも考慮する必要がある。
一流の人と出会い、つきあうことの利点は、情報をもらえる、何かトクがあるということではない。この人には絶対かなわないと実感できることだ。一流の人にふれると、彼らに勝てるとしたら、自分のどの部分だろうと考えるきっかけにする。
一流の人にふれる利点は、素直に負けを認められること。
私も新人弁護士のとき、先輩弁護士のあまりのすごさに圧倒されてしまいました。とてもかなわないと思いました。今でも、それは同じです。ともかく、口八丁、手八丁なのです。いやあ、これはかなわない。そう思ってしまいました。でも、どこか、私もできるところがあると思い、生まれ故郷にUターンしたのです。
継続するための一番の方法は、それを習慣にしてしまうこと。
一日の生活を単純化しています。夜12時に寝て、朝は7時に起きる。それは絶対に崩さない。朝はフランス語の書きとりをし、土曜日はフランス語会話教室に通う。夜はテレビを見ず、ひたすら活字を読むか、書きものをする。これで30年以上、やってきました。ようやく、世の中が少しずつ見えてきました。
いろいろ参考になる言葉が紹介されていました。
(2007年4月刊。1200円+税)
2007年8月10日
清冽の炎(第3巻)
著者:神水理一郎、出版社:花伝社
この第3巻は、1968年11月と12月に東大闘争で何が起きたのかを取りあげています。当時、全国の学園闘争の天王山として東大闘争が取りあげられていたこと自体は歴史的な事実として間違いありません。では、いったいなぜ東大闘争が全国の天王山だったのか、改めて問われると、それにこたえるのは難しいところです。全国いたるところで学園闘争が起きていたのに、なぜ東大だけが突出して目立ったのか、ということです。日大闘争はもっと学生の規模が大きいし、早稲田も中央も法政でも、血で血を洗うような深刻な学園闘争が長期にわたって続いていました。いえ、上智大学も慶応大学だって学生は立ちあがっていましたよね。いえいえ、関西もあります。京都大学でも立命館でも同志社でも、学生は起ちあがりました。そんなことを言うなら、北は北海道から南は九州・沖縄まで、揺れ動かない大学が当時あったでしょうか。いったい、その目的は何だったのでしょうか。学生は何を目ざしていたのか、その要求は勝ちとれたのか、そもそも社会変革の手段に過ぎなかったのでしょうか。否、否。社会に対する異議申立にすぎなかったのでしょうか・・・。考えれば考えるほど、分からなくなる問題です。
しかし、40年前に起きていた歴史的事実を歪曲するのはやめてほしいと思います。『安田講堂1968〜1969』という本があります(中公新書。2005年11月刊)。著者は安田講堂に籠城して懲役2年の実刑を受けた元全共闘メンバーです。今は、サルの研究員で、『アイアイの謎』などの本を出していて、私も何冊か読み、ここでも紹介したことがあります。この『安田講堂』は全共闘の立場からの本ですが、事実を歪めています。たとえば、次の点です。
1968年11月12日。全共闘は東大本郷の総合図書館をバリケード封鎖しようとして失敗しました。このとき、全共闘のバリケード封鎖を阻止したのは、この本では「宮崎学らが指揮する『あかつき部隊』500人」であるかのように書かれています。とんでもありません。
この本の138頁には当時の写真も紹介されていますが、その説明として、「左、日本共産党系“あかつき部隊”。右、全共闘。持っている棒の大きさと密集度の違いを見られたい。日本共産党系部隊には統制があった」とあります。この写真にうつっているのは、私もその場にいたので確信をもって言えるのですが、駒場の学生です。密集度の違いというのは、写真のとおり確かにあります。しかし、それは駒場の学生がそれだけ大勢いたということ、そして、全共闘のゲバ棒が怖くてみんなで押しくらまんじゅう状態に固まっていただけのことなのです。この写真には、後方に、もっともっと大群衆がいて、衝突を見守っていることも分かります。全共闘は最前線の何人かの学生こそゲバ棒をふるって駒場の「民青」(実は民青だけでなく、中間派も大勢いた)にぶつかっていますが、あまりの集団(数の違い)にひるんで、それ以上、突っこむことはできませんでした。見物していた大群衆の大半は、全共闘の無法な暴力を止めさせる側に立って、このあと動いたのです。
この本では、「樫の木刀」をもった“あかつき部隊”が指揮者の笛のもとで全共闘をたちまち撃退したかのようにかかれています。しかし、そんなものではないことは、「清冽の炎」第3巻の11月12日のところで書かれているとおりです。
宮崎学の『突破者』を読んで、私も知らなかったことをいろいろ教えられました。しかし、「全都よりすぐりの暴力部隊」である「あかつき部隊」500人が図書館で全共闘を撃退したという記述は歴史的事実を歪曲するものとしか言いようがありません。
『アイアイの謎』などを読んで客観的事実を熱意をもって伝えようとする著者に好感を抱いていただけに残念でなりません。著者は、あまりに『突破者』に毒され、目が曇らされてしまっていると思います。
「清冽の炎」第3巻に書かれていることがすべて正しいとは思われませんが、この『安田講堂』は中公新書という由緒あるものの一冊で、影響力も大きいので、あえて苦言を述べさせてもらいました。
そんなわけですから、みなさん、「清冽の炎」第3巻をぜひ読んでください。
(2007年7月刊。1890円)
2007年8月 8日
マングローブ
著者:西岡研介、出版社:講談社
驚くべき事実を紹介した本です。あの東京・山手線がテロリスト集団に完全に牛耳られていて、警察はそれを知っているのに何も手を出さず、マスコミはタブー視して事実を報道せず批判することもないというのです。日本を裏で支配しているのはヤクザ(暴力団)かと思っていましたが、もう一つの暴力集団がいたのですね。ショッキングな事実でした。
しかも、その暴力集団の親分たち(ファミリー)は、ハワイや日本各地に豪邸をかまえていて、優雅な生活を送っているというのです。読んでいるうちに本当に腹が立ってきました。
「革マル派」と大書きした横断幕を久しぶりに見たのは、この5月、博多駅近くのホテル前のことでした。このとき、ホテルで国民投票法案をめぐる公聴会があり、私も弁護士会の一員として傍聴に出かけたのです。20人ほどのヘルメットをかぶった必ずしも若くない男女がいて、シュプレヒコールを叫んでいました。ええーっ、まだ福岡にもいたのか、革マル派って・・・、と思いました。私の大学生のころは、たしかによく見かけました。中核派などと残虐な殺しあいをくり返していて、まさしく恐ろしいテロリスト集団でした。
革マル派の最高指導者は、昔も今も松崎明、71歳。自宅としている埼玉県小川町のマンションに住民票はおいているものの、対立セクトや警察に居場所を知られないよう、 25年以上ものあいだ、その所在地を転々とさせてきた。警察当局も松崎明の居場所をつかむのは難しかった。ところが、この松崎明はハワイに高級コンドミニアム(マンション)や邸宅をかまえていた。
ハワイにある松崎明の所有する高級コンドミニアムは、300平方メートル。浴室が2つ、寝室は3つある。2004年4月に3780万円(31万5000ドル)で購入した。もうひとつ、庭付きの一戸建て住宅も所有した。930平方メートルのうち800平方メートルが庭。浴室は2つ、寝室は3つある。1990年に2360万円で購入した。 2005年に売却している。
群馬県嬬恋村には高級別荘が点在する。ここに松崎明らのようなJR東日本労組のトップ連中が数多く別荘をもっている。
革マル派には、今も、全国に5400人のメンバーがいる。JRには、トラジャとマングローブという名前の2つの秘密組織がある。これらが、JR東日本を、トップの経営陣から現場の社員に至るまで、全員をマインドコントロールしている。
トラジャは、動労の革マル派が、組合活動家を抜擢し、革マル派本体に送りこみ、職業革命家としての訓練を受けさせたグループ。JR革マル派のトップ組織で、マングローブの指導などにあたる。
マングローブは、分割民営化後のJR各社の労働組合における革マル派の組織防衛と拡大を目的にJR革マル派内部でつくられた組織である。
革マル派がJR東日本を支配するようになったのは、国鉄改革から。改革3人組は、国労とたたかうために、国労の敵である松崎明のひきいる動労と手を組んだ。
JR東労組の組合費は年に9万2400円。JR西労組より年に3万円も組合費が高い。
革マル派の内ゲバは、決して30年前とか40年前のことではない。1980年9月から1995年11月まで、死亡者7人、重傷者7人という大変な被害者を出している。そして、驚いたことに、JR東日本の経営陣は、内ゲバで死亡した革マル派活動家の葬儀を労組と合同で行った。このとき、JR東日本の住田社長本人が参列して弔辞を読みあげたというのですから、開いた口がふさがりません。
JR東日本の最高幹部が革マル派の排除に乗り出そうとすると、革マル派から警告があった。自宅のプロパンガスの周囲に大量のマッチがばらまかれる。幼い孫がさらわれて幹線道路の中央分離帯に置き去りにされたりした。恐ろしいことです。
革マル派の活動家は、自党派の活動家としか結婚しない。そして、子どもは革命の妨げとなるとして、ほとんど子どもをつくらない。ところが、松崎明には、子どもどころか、孫までいる。
革マル派は盗聴集団でもある。警察の摘発した浦安アジトでは、警察無線を傍受するため、市販のものを改造した無線機12台、デジタル無線にかけられた暗号解読・再生機が11台、解読された無線内容を記録する録音機20台があり、6人の女性活動家がデジタル無線を傍受していた。警察庁など、20都道府県の警察無線を24時間態勢で傍受していた。
JR東日本の革マル派問題はマスコミではタブーになっている。JR東日本はキヨスクという販売の流通網を握っている。これはマスコミにとって、大切な収入源である。
そして、革マル派は、その顧問に元警察庁の幹部をひきいれた。JR東日本の初代監査役である柴田義憲は警視庁公安部長、副総監になり、警察庁警備局長になった超大物警察キャリアである。それがJR東日本に入ったとたん、警察から革マル派を守るガードマンになり下がってしまった。そして、警察時代に育てた部下たちをJR東日本に招き入れた。
ウムム・・・、いったい何事をしているのか?そのお金は本当は組合費として徴収されたものが流用されているのではないか・・・。ショッキングな事実が満載の本でした。
(2007年6月刊。1680円)
2007年8月 7日
星新一
著者:最相葉月、出版社:新潮社
星新一のショート・ショートは私の愛読書のひとつでした。子どもたちが学校で学ぶ国語の教科書にもたくさん引用されているそうですが、とてもいいことだと思います。
その斬新な発想に、いつもハッと居ずまいをただされる思いがしていました。この本は、その星新一の生涯をたどったノンフィクションです。
星新一は本名を星親一といいます。昭和20年4月、東京帝大農学部に入学しました。専攻は農芸化学、研究テーマはペニシリンでした。星新一の父親は星一といい、星製薬の社長でした。昭和26年、アメリカのロサンゼルスで急逝し、星新一が星製薬を引き継ぐのですが、結局、すべてがうまくいきませんでした。
星新一の小説はユーモアというか、ブラックユーモアにみちみちています。しかし、家庭内では、子どもたちに冗談を言って笑っている姿を一度も見せたことがないといいます。
星一と星新一との空の星をめぐる対話が次のように紹介されています。面白いですね。
「空の星は、どんなに遠くにあっても、そっちに目を向ければ、すぐに実物を見ることができる」
「それは違うよ。光の速さは1秒に30万キロメートル。だから、今みている星も、10年前、100年前の姿なんだ」
「なるほど、見る場合はそうかもしれん。しかし、考える場合はどうだ。いま地球のことを考えている。次に遠い星のことを考える。これには何の時間も要しない。だから、人間の思考は光より速いということになるぞ」
根底から発想を転換することによって固定観念を覆し、新たな地平に目を向ける。目を白黒させた星新一は、このときの父親の言葉を生涯忘れることはなかった。
私は高校生のとき、『SFマガジン』を愛読していました。といっても、たいていは買って読んだというより、本屋で立ち読みしていました。そのスケールの雄大さ、発想の奇抜さに毎号、胸をワクワクさせていました。
星新一は、ショートショートを書くにあたって、次の三つの禁じ手を自らに課していました。一つは、性行為と殺人シーンの描写をしない。第二に時事風俗を扱わない。第三に、前衛的な手法をつかわない。
なーるほど、そう言われたら、そうなんですよね。
星新一が、SF仲間内での気のおけない会合での放談を聞くと、この人は、親から、そんなことは言ってはいけません、と叱られたことなどなく、自由奔放に育てられたと思う。そして、それは当を得ていて、実際、星新一の放言は母親譲りだった。
星新一は強烈な毒舌を吐くけれど、相手を不快にさせない。大ボラを吹くけれど、相手を怒らせたり、からまれたりすることはない。同じホラでも洗練されている。うっかり失言してしまった、というものではなく、高度に自覚的な放言であった。
星新一の筆記用具は、Bの鉛筆。手の力がそれほどもなく書ける濃くて柔らかい。書き損じた原稿用紙の裏面に、タテは原稿用紙サイズいっぱい、横は5センチ幅の細長い長方形、ここに、書き出しから結末まで、起承転結がひと目で見渡せるのが星新一の最初の下書き。小さな文字にぎっしり詰まった長方形を眺め、練り、確信を得たところで、原稿用紙に2度目の下書きをする。このときはボールペンや万年筆をつかい、ミミズのはうような字でマス目を数えながら書きすすめる。壁には当用漢字表を貼り、そこにない漢字は使わない。こうした推敲を経て、編集者に渡すための清書に移る。万年筆で、一文字たりとも書き損じのない完全原稿である。
私の場合も、出だしだけは同じです。要するに、不要になったコピーの裏(白紙)に手で原稿を書きはじめるのです。ただし、私はエンピツ派ではなく、水性ペン派です。
星新一の文庫本は、10万部を達成したものがいくつもあります。私は、かなり読んだつもりでいましたが、たちまち自信を喪ってしまいました。
星新一が祖父のことを書いた『祖父・小金井良精の記』は私も読みましたが、祖父を悪人として描いた松本清張を「許せない」と怒っていたことを、この本を読んで知りました。
また、星製薬のことを書いた『人民は弱し、官吏は強し』も読みましたが、星製薬が麻薬を扱っていたことにあまりふれていないという批判があることも知りました。
それにしても、星新一の『ボッコちゃん』が200万部超、新潮文庫全体では累計 3000万部をこえ、今もなお増刷が続いていること、海外20言語以上、のべ650点をこえる翻訳があるというのはすごいことです。
星新一、偉大なり、と言っていいでしょうね。
2007年8月 3日
打ちのめされるようなすごい本
著者:米原万里、出版社:文藝春秋
著者は食べるのと歩くのと読むのは、かなり早かったそうです。でも、前の二つは周囲から顰蹙を買ってしまいます。母親から、他人と歩いたり食べたりするときは、相手にペースをあわせ、時空間の共有を楽しむようにと、幼いころから口うるさく言われたとのこと。これって、なーるほど、ですよね。ところが読書は、いくら速くなっても、はたから文句を言われることがない。そこで、この20年ほど、一日平均7冊を維持してきた。うむむ、これはスゴーイ。速読派を自認する私でもこのところ年間500冊が精一杯です。東京往復するときは最低6冊が自分に課したノルマです。ただし、速読派が必ずしも知性派とは限らない例を知りました。スターリンです。
スターリンは激務の合間に1日500頁を読破する読書家で、歴史、小説、哲学など幅広く大量の書物を熱心に読んでいた。本の余白に残したコメントや感想が並々ならぬ教養と知性、と同時に冷徹で酷薄な現実主義を感じさせる。『知られざるスターリン』(現代思潮社)の書評として、このように紹介されています。
いずれにしても、著者の書評を集めたこの本を読んで、つい食指を動かしてしまった本がいくつもありました。早速、本屋に注文しました。私はインターネットで本を注文することはしない主義です。だって、町の本屋さんは大苦戦しているのですよ。町にある本屋さんを残してやらないと、本屋のご主人だけでなく、子どもたちが可哀想です。子どもたちの大好きな立ち読みができなくなってしまうでしょ。
すぐれた書評家というものは、いま読みすすめている書物と自分の思想や知識をたえず混ぜあわせ爆発させて、その末にこれまでになかった知恵を産み出す勤勉な創作家なのだ。著者と評者とが衝突して放つ思索の火花、わたしたち読者は、この本によってその火花の美しさに酔う楽しみに恵まれた。
書評は常に試されている。まず、その書物を書いた著者によって、その書評に誘惑されて書物を買った読者によって試されている。
世の中に割に合わない仕事があるとすれば、書評はその筆頭株、よほどの本好きでないと続かない困難な作業である。
以上は井上ひさしの文章です。なるほど、さすがは私が心から尊敬する井上ひさしです。言うことが違います。私もインターネットに書評をのせはじめて、もう6年目になりました。一日一冊となってからも4年目だと思います。たしかに、よほどの本好きだからこそ続く作業です。
それにしても、本当に惜しい人を亡くしてしまいました・・・。著者にはもっと長生きして、大活躍を続けてほしかったですね。
日曜日の午後、久しぶりに昼寝しました。わが家の庭のすぐ下は広々とした一枚の田圃になっています。稲の苗もずい分と大きくなりました。水面をわたって吹いてくる風に吹かれながらの昼寝です。我が家にはクーラーはありません。大学生のころ、司法試験の勉強のために、長野県戸狩市にある学生村に一週間ほど行ったことがあります。そのときも午後は毎日昼寝していました。気だるい真夏の昼さがりに昼寝しながら、大学生気分にも浸ったことでした。ところで、夏の学生村って、今でもあるのでしょうか・・・。
清冽の炎(第3巻)
著者:神水理一郎、出版社:花伝社
第3巻が7月に刊行されました。さっぱり売れずに最終巻(1968年4月から1969年3月までを5巻、その20年後を6巻とする構想です)まで到達できるかどうか、著者も出版社も心配しています。ぜひ、みなさん応援してやってください。前回に引き続き、第2巻のあらすじを紹介します。
駒場では代議員大会が無期限スト突入を決定した。
民主派と敵対する三派連合の呼びかけで、安田講堂に3000人の学生が集まり東大全学共闘会議が結成された。東大全共闘は七項目要求を掲げつつ、東大生であることを否定せよ、全学バリケード封鎖で東大を解体せよと叫び、影響力を広げていった。
佐助が一員となった若者サークルは、丹沢へ一日キャンプに出かけて交流を深めた。セツラーは、その取り組みを議論し、評価して総括文にまとめあげていく。そして青年部や子ども会といったパートに別れて活動している全セツラーが集まって徹底的に討論する。夏合宿は奥那須の三斗小屋温泉で四泊五日の日程だ。日頃の地域での実践を交流しあい、人生を語りあう。楽しいなかにも生き方への厳しい問いかけが不断にかわされる。さらに、北町セツルメント内にある路線の違いが表面化してきた。地域を革命の拠点をしようという過激な主張が登場してきたのだ。
安河内総長は紛争収拾策として8月10日に告示を発表した。しかし、それは従来の延長線上でしかなく、学生を失望させた。
子ども会は北町に泊まりこんで地域での集中実践合宿に取り組んだ。地域内にある矛盾がかなり見えてきて、北町に住みこんで活動しようというセツラーが少しずつ増えていく。何かをつかみたい。それを将来に生かしたいと考える学生たちだ。
そんななかで中学生の子どもたちが家出する事件が起きた。しかも、そのあとセツラーが子どもに殴られる事態へと発展していった。セツラーの危機が迫った。
駒場では要求解決の展望が見えないまま、多くの学生が登校せずネトライキ状態が続いている。なんとかしなくてはいけないという思いが、第三の潮流としてのクラス連合の結成につながった。しかし、代議員大会では相変わらず、民主派と全共闘の勢力が伯仲して、膠着状態が続いている。民主派は戦闘的民主的全学連をモットーとしてかかげ、全共闘に対して正当防衛権を行使する方針をうち出し、九月から実践しはじめた。
佐助は夏合宿以来、ヒナコが気になっている。思い切ってデートを申し込んだ。しかし、進路については依然として定まらず、不安なままだ。
第2巻は2006年11月刊、1,890円。第3巻は2007年7月刊、1890円。
2007年7月27日
清冽の炎(第3巻)
著者:神水理一郎、出版社:花伝社
全国で激しい学園紛争が起きていた1968年。この1年間を5分冊にして刊行する、その第3巻が出ました。朝日新聞の一面下に広告も出ていましたが、実はちっとも売れていないのだそうです。私は、みなさんに応援をお願いしたいと思いまして、ここでは第1巻のあらすじを紹介します。
1968年4月。猿渡洋介は一浪して東大に入学した。同じクラスには予備校仲間が3人もいる。駒場寮は6人部屋。二年生の沼尾とジョーのほかは一年生が4人だ。机とベッドがあるだけで、間仕切りもない大部屋での楽しい生活が始まった。単なるダベリングではなく、読書会をしよう。サークルノートを回覧しよう。寮生同士の交流が深まっていく。人生を語り、将来を模索する。
猿渡が暇そうにしていると、ジョーが声をかけて若者サークルのダンスパーティーに参加することになった。生き生きした若者に魅かれ、猿渡は北町セツルメントに入ることになり、そこで佐助というセツラーネームがついた。若者サークルは毎週土曜日に例会を開く。労働現場の様子が語られ、佐助の目が社会に開かれていく。
子ども会が活動しているのは、電車のガード下のスラム街だ。そこへ尚美は飛びこんでいき、セツラーネームをヒナコと名付けられた。
ベトナム戦争反対のたたかいが盛り上がるなか、駒場の自治委員長選挙で民主派が破れた。医学部で孤立した学同派が起死回生の一打として安田講堂を占拠し、これに対して安河内東大総長は時計台官僚の突き上げもあって機動隊の導入を決断する。
学生は猛反撥し、法学部を除く全学部が一日ストをうって安田講堂前広場に6000人が集まり、抗議の大集会を開いた。しかし、安河内総長は旧態依然とした対応に終始し、学生の不満が高まるばかり・・・。
佐助は、若者サークルの女性に憧れたが、早くも失恋する。しかも、自分のすすむべき専門の経済学について勉強する気も起きない。若者サークルで労働者と話しをするにつれ、将来に対する漠然とした不安は強まるばかりだ。
第1巻は2005年11月刊、1800円。第3巻は2007年7月刊、1800円。
ようやく梅雨が明け、遅れを取り戻そうとするかのように、連日、セミの大合唱が奏でられています。日曜日の夕方、庭を少し掘って枯れ葉と生ゴミを埋めこみました。枯れ葉はコンポストに入れています。生ゴミは大きなポリバケツに入れ、EM菌と混ぜあわせておきます。悪臭なく、ウジもわきません。ダンボールに生ゴミを入れてヌカなどを混ぜあわせると、生ゴミが消えてなくなるそうですが、わが家では庭づくりのためには消えてなくなるのは困りますので、EMぼかしをつかっています。
サボテンが子をたくさん産んでいますので、事務員さんたちに30個ほど引きとってもらいました。大きくなると白いきれいな花を咲かせます。
2007年7月26日
ジャパニーズ・マフィア
著者:ピーター・B・E・ヒル、出版社:三交社
イギリス人の学者による日本ヤクザの研究書です。
ヤクザが商店やバーから金銭を引き出す方法は「みかじめ料」に限らない。おしぼり、つまみをヤクザが提供する。また、貸し絵画や観葉植物という方法もある。
神戸周辺のみかじめ料は平均してクラブだと月に10万円、パチンコ店で30〜50万円。東京・銀座の高級クラブだと月100万円。ソープランドで月500万〜700万円。これを必要経費として認めることを裁判で訴えた経営者がいたが、敗訴した。
佐川急便はビジネス上のトラブルを避けるため、稲川会に年20億円も支払っていた。総額で1000億円が稲川会に流れたと推定されている。
建設業界もヤクザへ支払っている。その標準額は麹総額の3%。20兆円の公共投資があるとして、少なくともその3分の1にヤクザが関与しているとすると、年間5000億円をヤクザは建設業界から得ている。
そうなんですね。だから自民党は昔も今も、大型公共事業がやめられないのです。
自民党の議員はほとんど右翼や暴力団と深いつながりをもっている。ところが、マイクの前に立つと、自民党議員は「暴力団、右翼はけしからん」と大声を上げる。
現在のヤクザは、日本の政財界にとって不可欠な存在になっている。イトマン事件においては、ヤクザ組織と合法的な企業との関係は完全に略奪的なものだったかもしれないが、いつもそうとは限らない。むしろ、政財界のエリートたちは、ヤクザ組織からの保護サービスを自ら求める消費者にもなっている。さらには、野村證券の例にあるように、大企業がヤクザ組織の疑わしいビジネス慣行の自発的な共謀者ともなっている。
皇民党の事件から見えてきたことは、自民党の大物政治家と日本の巨大犯罪シンジケートのトップとの深い関係だ。高級料亭で、ヤクザ相手にどちらが上座にすわるかを譲りあっているのが有力政治家の実像だとしたら、ヤクザの撲滅を口にする政治家の言葉をどれほど信用できるだろうか。
住友銀行の名古屋支店長がピストルで射殺された事件について、次のような解説がなされています。
住友銀行は犯罪シンジケートをつかって他の犯罪シンジケートに関連する債権回収をすすめた。住友銀行の債権回収の圧力によって会津小鉄の組長が自殺し、さらに東京で別のヤクザの組長も自殺した。そこで、自分が次のターゲットになるかもしれないと考えたヤクザが名古屋支店長を殺害した。この事件のあと、大蔵省は住友銀行に対して、税金対策としてヤクザ関連の5億円の不良債権の償却を認めた。
ホントに腹の立つようなひどい話ばかりで、嫌になってしまいます。ヤクザが現代日本社会に深く根づいているのは、想像以上です。こればかりは、知らぬが仏、というわけにはいきません。