弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

トヨタ・レクサス惨敗

著者:山本哲士、出版社:ビジネス社
 レクサスを運転していて、とても腹が立ちました。ええっ、この車は運転する人間をバカにしていると思いました。なにしろ、ひどいときには10分おきに「販売店からのお知らせがあります」というアナウンスが流れるのです。これでは、まるでレクサス様の奴隷のようなものです。せめて車のなかのプライベート空間くらい、自分の好きなように放っておいてほしいのです。にもかかわらず、次から次へコマーシャルを流しこみ、ご主人様はレクサス様であるなどというご託宣を並べたてられた日には、ストレスがつのるばかりです。
 この本を読んで、レクサスが日本で売れないわけが分かりました。レクサス(トヨタ)は勘違いしているのです。
 販売店からの案内というのは、テレマティクスというのだそうです。
 テレマティクスとは、移動中の自動車でも家庭や職場と同じようにインターネットを介して情報やコンテンツを楽しんだり、メールをやりとりできるようになるというビジネスモデルのこと。実際には、トラブルの双方向データ通信、タイヤやオイル交換データの告知といった程度、そして、それに毛の生えた余計な情報提供があるだけ。自動車会社には、これによって顧客情報が常に得られ、顧客との関係が継続することで顧客の囲いこみができるという思惑がある。
 私は車内では一人静かにシャンソンを聞いて楽しみたいのです。それを途中で遮られたくなんかありません。そして、今は、NHKフランス語講座のCDを聞いて、同じテンポで発音する訓練をしています。その邪魔をしてほしくはありません。
 アメリカではレクサスは大いに売れた。すでに年間25万台をこえ、年間30万台に達しようとしている。アメリカでレクサスは通算100万台売れるまで10年を要したが、その後、通算200万台を4年で達成している。アメリカの自動車市場のうち高級車市場のシェアは、1990年代の8%から現在は11.4%にまで伸びており、レクサスは断然トップの 14%を占める。
 アメリカ・レクサスのユーザーたちは巨額の資産をかかえる富裕層ではなく、年収10万ドルの層だ。2001年、アメリカでは年収10万ドル世帯が10年前の10%から14%へと伸びた。この層は、社会への自己主張がクルマを選ぶのではなく、有用性、性能、資産価値などで信頼できるブランドを自分のために求めるよう、はっきりと変わってきた。
 アメリカ・レクサスは、日本トヨタのモノづくりにまったく相反して、アメリカの自動車市場に対してもまったく相反する世界をつくり上げたことによって大成功をおさめた。
 レクサスを扱う店に行くと、そこが自分のとってパブリックな空間で、自分が自然にプライベートな存在になれることを好んで、アメリカ人はレクサスのディーラーショップに通いつめる。
 アメリカ・レクサスは、オーナーたちに生活の快感をもたらすシステムを設計し、構築した。アメリカでレクサスが成功したのに対して、ヨーロッパではマイバッハが成功をおさめている。マイバッハの価格は4000万円とか5000万円、マイバッハのセールスセンターは、一日に一人しか予約を入れない。一人にだけ徹底する完全予約制だ。
 日本のレクサスは高級車ではない。レクサスを販売する営業マンの教育のためにエアラインの客室乗務員を呼んで人材研修を行ったことを著者は痛烈に批判しています。レクサスに求められている最高のサービスが何百人もの客を数人で対応しているエアラインの客室乗務員から学べるとトヨタが考えているとしたら、それこそ笑止千万だ。
 日本の富裕層は、レクサスのクルマとしての素晴らしさを理解しているが、見せびらかしたい相手である一般大衆層のほうがレクサスを高級車として認知していないために、買おうとしないわけである。
 クラウンやマジェスタなどトヨタの上級車のオーナーがレクサスに乗り換えただけ。外国車からの乗り換えは1割ほどしかいなかった。
 クルマは、今や単なるモノではないという指摘はあたっているように思います。レクサスがアメリカで売れているのに、日本でなぜ売れないのか、その分析は鋭いと思いました。

2007年3月20日

変貌する財界

著者:佐々木憲昭、出版社:新日本出版社
 日本経団連の分析。これがサブ・タイトルの本です。どうせ、固くて紋切り型の分析だろうと、まったく期待せずに読みはじめたところ、どうしてどうして面白い。いえ久しぶりに知的興奮を覚えてしまったほどです。いやあ、そういうことだったのか。なーるほど。ついつい、何度も膝をうってしましました。
 わずか20頁の序章に、この本の要約がなされています。その部分だけでも読む価値があります。もっとも、それを読んだら、もっと詳しいことが知りたくて、やっぱり本文も読みたくなると思いますが・・・。
 日本経団連は、1002年5月に旧経団連と日経連が合同して発足した。役員の人数は13人から30人へと増えた。
 経団連の役員を出している大企業の正規従業員数は、1970年に4万人超だったのが2006年には1万5千人と、36年間で3分の1に減っている。
 ちなみに、日本の企業の正規従業員は、1997年にピークで3812万人だったが、2006年には3340万人。472万人も減っている。これに対して、非正規雇用者は、1997年に1152万人だったのが、2006年には1663万人となった。511万人も増加している。
 海外に進出した日本企業は、進出先で1980年の72万人から2002年の 341万人へと現地雇用を5倍近く増大させた。日本企業の海外での雇用の63%はアジア地域である。
 経団連の会長・副会長企業1社平均の輸出・海外売上高は、1970年に1761億円、2006年には3兆776億円となった。36年間で17.5倍となった。巨大企業ほど、海外市場への依存度が高い。経団連役員の所属企業は、国内市場から海外市場へと販売先を大きくシフトさせている。海外売上依存率が一番高い企業は日本郵船で82.5%。次いで本田技研工業80.4%、キャノン75.5%、ソニー70.7%、トヨタ自動車 68.0%、松下電器産業 1.4%。
 最近、アメリカと日本の貿易摩擦の話が聞かれない。なぜか?
 日本の輸出先に大きな変化が起きたから。1980年にアメリカ向け24.2%、アジア向け28.1%(うち中国向け3.9%)。ところが2005年には、アジア向け   48.4%(うち中国向け13.5%)。アメリカ向けは22.6%に低下している。
 アメリカ自身の貿易収支が、1990年代以降、対日赤字より対中・対アジア赤字のほうが大きくなった。2004年におけるアメリカの対日貿易赤字は756億ドル。これに対して対中国貿易赤字は1619億ドル、東アジア全体の貿易赤字は2225億ドル。なーるほど。
 日本企業の海外現地法人数は、1981年の2631社から、2004年の     1万2890社へと5倍に増えている。
 日本経団連の役員を構成している巨大企業の発行済み株式のうち、すでに3割が外国資本の手中にある。日本経団連トップクラスの巨大企業ほど、その株式を外国資本によって保有されるようになっている。
 外国人株主比率が一番高いのは、オリックスで57.33%。なんと、あの政商の宮内義彦の会社ではありませんか。道理で、いつもアメリカの要求どおりに何でも規制緩和しろ、自由化しろと声高に叫びたてるわけです。2番目は、日本経団連会長のキャノンで 51.73%。続いてソニー48%、武田薬品41%、三井不動産37%、日立製作所 36%、住友商事 34%、住友化学30%、イトーヨーカ堂30%。トヨタ自動車も 23%。役員企業26社の平均をみると29%という高さ。
 今や、株主10位以内に外資の入っていない企業のほうが例外となっている。うむむ、そうだったんですかー・・・。
 日本経団連のなかで指導的な役割を果たしている役員の所属する多くの企業が、外資によって株式の主要な部分を保有され、少ない企業の経営を直接支配されるに至っている。こうして、日本経団連企業の多くは、アメリカを中心とする多国籍企業の強い影響を受け、日本経団連は、全体として日米多国籍企業の共同の利益代表としての生活をいっそう強めている。
 日本経団連の御手洗会長は就任挨拶で、官や国への安易な依存心を持つな、と述べた。ええーっ、じゃあ、自分たちはどうなんですか?巨大企業は、税金を大幅に引き下げてもらい、銀行のように法人税を一円も払っていないうえに、ガッポガッポと補助金を国に出させているじゃありませんか。よく言うよ。ホント、そんな気がします。
 小泉首相(当時)は、奥田会長(当時)に対して、日本経団連の献金は一番透明だ。企業が政治家や政党へ協力することを禁止したら、税金で活動するしかなくなってしまうと語った。えーっ、そんな、バカな。企業献金なんて、アメリカでも認められていないものですよ。投票権もない企業が政党へ献金するということは、営利本位の企業が政治を左右して、弱者を切り捨てるということになるだけです。
 税金で政党を支えているのは、既に現実です。例の政党助成金です。国民一人あたり 250円支払ってうみ出されている政党助成金をつぎこんで自民党のCMやホームページがつくられている。国民ごまかしのイメージ作戦の資金源は、実は国民が負担している。これを知ってホント腹が立ちました。
 民主党も日本経団連に対して10億円もらおうと必死だということです。
 自民党も民主党も、日本経団連の丸がかえだということがよく分かります。
 政党が国民の税金から成りたっているなんて、よくよく考えたら、ホントおかしなことです。やっぱり政党助成金なんて、すぐに廃止すべきだとつくづく思いました。

2007年3月19日

10歳の放浪記

著者:上條さなえ、出版社:講談社
 ボロボロ泣けてきました。だって、わずか10歳の少女が父親と二人して一泊100円の簡易宿泊書を泊まり歩いたり、食べるものにも困った状況のなかで、けな気に生きていくのですよ。タダで映画館に入って、マティーニにあこがれたり、パチンコ店の店員から玉を大量放出してもらい、それをヤクザの兄ちゃんが高く買ってくれ、そのお金で夕食を買って父親の待つ宿泊所へ戻ります。父親は妻に捨てられ、やけになって酒浸りなのです。
 そんななかでも彼女のえらいところは、決して希望を失わず、少女らしい夢を抱き続けたことです。私より少し年下の団塊世代の女性です。私は読んだことがありませんが、今では立派な児童文学作家となっています。
 1960年の秋から翌年の秋までの1年間、わたしと父はホームレスだった。わたしは10歳で、父は43歳だった。
 今夜はここに泊まるしかないんだ。駅のベンチで寝るよりは、ずっとずっと天国だよ。 おとうちゃん、明日はご飯を食べられる?
 父は、明日は明日の風が吹くさ、としか答えてくれなかった。
 子どもって悲しいよね。大人に決められたら逆らえないし、どんなにいやなことだって、がまんしなくちゃならないんだもん。
 うーん、そうなんですよね・・・。そう言われると、本当に返す言葉はありませんね。
 母はわたしに約束した。一つお泊まりしたら迎えに来ることを。
 お母ちゃん、本当に一つお泊まりしたら、お迎えに来るんだよね。
 ええ、だから、いい子にしててね。
 次の日、私は午前八時半に家を出て、バス停に向かった。昨日は、何か母に急用ができたんだとわたしは思った。だから、今日はきっとわたしを迎えに来てくれる。
 バスは一日三本。午前九時、午後三時、午後五時。わたしはその時間になると、バス停に出かけて母を待った。
 十日過ぎても、母は迎えに来なかった。それでも、一日三回、雨の日もわたしはバス停に立って待った。他にすることもなかった。
 二十日たっても、バス停に母はあらわれなかった。わたしは、とぼとぼとおじさんの家に帰った。
 わたしがたまたまバス停に行けなかったとき、突然、母が姿をあらわした。やっと迎えに来てくれたのだ。夜、わたしは母と一つの布団に入った。でも、母はわたしが期待したような言葉はかけてくれなかった。
 あなたのお父さんのせいよ。
 母はひとことそう言うと、長旅を疲れたのか、すぐに寝息をたてた。
 それでも、わたしは幸せだった。広い八畳間に一人で寝る怖さから解放されて、ぐっすり眠った。
 ほんと、このくだりはいじらしいですね。私も小学生低学年のころ、田舎のおじさんのところに泊まりに行って、広い八畳間にひとり(本当はすぐ上の兄も一緒だったと思うのですが・・・)寝て、怖い思いをしたことがあります。自宅にいる両親が火事にあって二人とも死んでしまって天涯孤独の孤児になってしまったら一体どうしよう、これからどうやって生きていったらいいんだろうと真剣に心配したのです。そのことを、ついこのあいだのことのように、私は今もはっきり覚えています。といっても、翌朝になると、そんな心配はすっかり忘れて、また一日中、魚つりしたりして楽しく遊んだのですが・・・。
 父がわたしにクリスマスのプレゼントとしてくれたのは、十円玉一枚だった。そんな父と早く別れたいと思った自分を、わたしは冷たい人間だと思った。
 映画館に入るときには、「あのう、お父さんが中にいるんですが、探していいですか?」と切符切りの女性に言う。すると、簡単に映画をタダで見れた。
 わたしは、映画に出てくるマティーニを大人になったら飲みたいと思った。その夢のために、今この生活に耐えようと思った。父が「死のうか」と言ったとき、わたしは、「やだ。まだマティーニを飲んでないもん」と首をふった。
 お金がない。パチンコ店の前を通ると、パチンコ玉が5コ落ちていた。わたしは台の前にすわってはじいた。台のうしろからニキビのたくさんある若い男が「どうしたの?」ときいた。わたしが「お父さんが病気で」とこたえると、そのうち、まるで台が壊れたように玉が出てきた。それを景品に換えるとヤクザの兄ちゃんが、45円で買ってくれた。
 結局、わたしは父からすすめられて養護学園に入ることになった。
 今はすべてをあきらめてがまんするけど、いつかきっと幸せになるんだと心に誓った。
 わたしは自分の子ができたら、こんなかわいそうなことはしないと思った。
 学園ではいじめにもあった。でも、いじめなんてなんでもない。それより、帰る家のない、明日泊まる所や食べることの心配をする生活のほうがどれだけ大変かと、子ども心に思っていた。毎日、寝るところがあり、三度の食事があり、勉強できる日々に感謝した。
 やっぱり子どもから夢を奪ってはいけませんね。この本を読んで、つくづくそう思いました。私も一度だけ絵本を出版しました(残念なことに、例のごとく、ちっとも売れませんでした。私のせいではありませんが、その出版社は倒産し、先日も、破産管財人の弁護士から破産手続が終了したという報告書が送られてきました)。
 著者は、小学校教員を経て37歳で児童文学を書いて、昨年10月までは埼玉県教育委員長もつとめました。すごいですね。見事にたちあがったのですね。拍手を送ります。
 先日、マサイの男性と結婚した日本人女性の本を紹介しましたところ、著者よりメールをいただきました。近く福岡でも公演する企画があるということです。詳しくは著者・永松さんのHPをご覧下さい。http://massailand.com

2007年3月16日

千年、働いてきました

著者:野村 進、出版社:角川ワンテーマ21・新書
 世界最古の会社は日本にある。創立578年。えっ、いつのこと。西暦578年です。これはなんと、飛鳥時代なのです。うむむ、そんな・・・。
 大阪の金剛組という建築会社で、飛鳥時代から、寺や神社を建てつづけてきたのです。ですから、創業1400年をこえています。すごーい。
 ところが、この日本最古、いえ世界最古の会社が最近、破産申立したというのです。しかし、周囲が助けました。なんとか金剛組は存続することができました。
 金剛組の創業者はコリアンです。といっても、聖徳太子(実在の人物なのか疑問もあるようですが・・・)に招かれて朝鮮半島の百済からやってきた3人の工匠のうちの一人でした。
 日本には、ほかに創業1300年の北陸の旅館、1200年の京都の和菓子屋、
1100年の京都の仏具店、1000年の薬局という店がある。創業100年以上だと 10万社以上あると推定されている。
 ヨーロッパの最古の企業は1369年設立のイタリアの金細工メーカー。創業640年。これより古い日本の企業は100社ほどある。
 韓国には三代続く店はない。中国の最古の店は337年前に設立された漢方薬の北京同仁堂。
 日本の10万軒をこえる創業100年以上の老舗のうち、およそ4万5000軒が製造部門。ここに日本の老舗の特質がある。職が尊ばれるのは、アジアでは日本くらい。
 1グラムの純金を太さ0.05ミリの線にすると、3000メートルになる。コンピューターの集積回路の接合部に金の極細線がつかわれている。太さは10マイクロメートル。人の髪の毛は80マイクロメートルなので、その8分の1の太さだ。これを日本の田中貴金属がつくっている。
 ケータイの折り曲げ部分に使われている銅箔(どうはく)は、日本企業であるメーカー2社で世界のシェアの9割を占めている。
 捨てられた不用のケータイを集めたゴミの山には1トンあたり280グラムの金がふくまれている。日本で採掘されるもっとも品質の高い金鉱でも1トンから60グラムの金しかとれないから、その4〜5倍も金がとれることになる。つまり、ケータイのゴミの山は、まさに金鉱そのものなのだ。
 また、ケータイには、1キロあたり200〜300グラムの銅もふくまれている。これと同じ量を天然の銅鉱石から得るためには10キロが必要となる。
 農林業関係者からひどく嫌われているカイガラムシは、真っ白なロウを分泌する。これは光沢があり、化学的にも安定している。これが、防湿剤や潤滑剤そしてカラーインクの原料として有望なのだ。老舗の会社が、研究・開発をすすめているのです。
 同族経営・非上場には強みがある。社長が替わらない。株主の顔色をうかがわずにすむ。だから、長期的な視野で研究開発にのぞめるし、ハイリスク・ハイリターンのテーマに長期間、資金を投入することができる。むしろ、同族経営・非上場でないと、画期的な独自の研究開発はとても不可能だ。
 長生き、元気で若く、女性の支持がある。この三つにマッチする商品は絶対売れる。女性がダメというものは絶対に売れない。
 うまくいっている老舗は、不思議なことに三世代同居という経験をつんでいる。
 日本人が昔からものづくりを大切にしてきたこと、そのためには必ずしも血縁ばかりを重視せずに伝統を絶やさないよう工夫してきたことなどの分かる、とても面白い本です。

2007年3月13日

企業舎弟・闇の抗争

著者:有森 隆、出版社:講談社α文庫
 この本を読むと、日本社会の隅々にまで暴力団がいかにはびこっているのかを知らされ、ホント、嫌になってしまいます。そのうえ、暴力団の繁栄を支えているのが、実は、大銀行などれっきとした金融機関だというのですから、この世の中どうなっているのか、腹立たしい限りです。どうりで暴力団ひとり景気がいいわけです。税金だって払っていないのでしょうからね。
 企業舎弟とは、企業経営者の仮面をかぶった暴力団の弟分のこと。そんな経営者が率いている企業をフロント企業と総称する。表向きは一般の会社であり、役員はヤクザではない。働いている人も普通のサラリーマンである。だから、暴力団が関係しているとは、一見しては分からない。だけど、もうかったお金を裏で暴力団に上納し、その有力な資金源となっている。
 会社が厄介なトラブルに巻きこまれたとき、暴力団が登場して会社を守る。これをケツ持ちという。ケツ持ちとは、カネで雇われた用心棒ではない。上納金を受け取る権利のこと。ケツ持ちが出てきたとき、初めて会社の正体が分かる。
 日本における経済ヤクザの代表選手が東の石井、西の宅見。稲川会二代目会長の石井進(故人)と、山口組のナンバーツーだった宅見勝(内部抗争で殺された)。
 関西裏社会のドン、許永中が狙い定めた相手を籠絡する手口は、二段階に分かれる。最初に大金をつかませ、相手を金縛りにしてしまう。そして、引き出した資金の一部をキックバックして、相手(個人)にもうまい汁を吸わせる。その手法は単純明快だ。
 住友銀行からイトマン・グループへの融資は5549億円にのぼった。このうち少なくとも、3000億円が仕手資金や不動産の購入資金の名目で闇の勢力に流れた。大銀行が5500億円もの巨額のお金を焦げつかせても倒産しなかった秘訣は、政府が税金を投入したことにあります。そして今、大銀行は空前の利益をあげているにもかかわらず、一円の法人税もおさめていないというのです。ホントに間違った政治ですよね。そして、大銀行は税金を国におさめないかわりに、自民党などへ多額の政治献金をしているのです。
 エースとは、裏世界が表世界へ送り込んだ切り札のこと。企業に喰らいついたエースは、手形の乱発、無担保融資、会社資産の売却など、あらゆる手段をつかって企業の資産を外に持ち出す。持ち出した資金の受け手は、もちろん裏世界の人間だ。喰いものにされた企業は借金漬けになって破綻する。
 料亭の女将への巨額融資が焦げ付いて問題になったことがありました。1991年のことです。このとき、国内信販の副社長が興銀に女将(尾上 縫)に紹介した。
 尾上の架空預金証書は、合計40通、7425億円分が偽造された。大きすぎて、とても考えられない金額です。
 1993年8月、和歌山市で阪和銀行副頭取が射殺された。
 1994年2月、富士写真フィルムの専務が刺殺された。
 1994年9月、住友銀行の名古屋支店長が自宅マンション前で射殺された。
 企業に対するテロ事件は、ほとんどが未解決。捜査当局は、もう2人か3人、死者が出ないと銀行は本当のことをしゃべらないと語った。
 これらの死によって、関西の金融機関は闇社会への2000億円の融資の回収を断念した。なんと、なんと、許せませんよね。銀行は、それほど裏社会とダーティな結びつきがあるというわけです。
 殺害犯人は今も捕まっていません。外国からきたプロのヒットマンではないか。日本の闇の勢力が金で雇ったのではないかと推測されています。
 国内信販は、バブル期に不動産融資にのめり込み、そのため、不良債権の山を築いた。
 暴力団のからむ瑕疵物件に、楽天の名前がたびたび登場する。
 楽天KCは、私の法律事務所も日頃ちょくちょく相手方となるクレジット会社です。こんな暗い過去があるということを初めて知りました。
 それにしても、日本の大銀行がこんなにまで暴力団と密接に結びついているのを知るのは不愉快きわまりありません。

2007年3月 2日

腐蝕生保

著者:高杉 良、出版社:新潮社
 生命保険会社のドロドロした内実が、これでもか、これでもかと暴き出され、本当にいやになるほどです。でも、この先いったい主人公はどうなるんだろう、どうするのかという思いに負けて、ついつい読みすすめてしまいます。さすがは企業小説の大家だけあります。たいした筆力です。上下2巻あり、1巻が400頁という大部の本をあっという間に読み終えてしまいました。
 生保の社長がアメリカ視察に行く。ゴマスリ幹部が、社長の愛人も現地で同行するように手配します。まるで、会社の私物化です。それでも、そんなゴマスリ幹部は社長の覚えが目出たくて、どんどん出世していくのです。
 そんなー・・・と思いつつ、これが企業の現実のようです。苦言を呈する輩は、どんどん閑職へ飛ばされていき、ワンマン社長の周囲にはイエスマン重役しか残りません。やる気のある若手はそんな上部の腐敗ぶりに嫌や気がさし、さっさと他の会社へ転職していきます。そんな勇気も自信もない人は、うつ病になったりします。ノルマに追われるのです。 生保レディは、契約とってなんぼの苛酷な世界に生きています。そこでは、やる気のあるレディーを確保し、成績をあげることのみが数字で追求されています。生保レディーは、また入れ替わりが極端に激しい世界でもあります。
 苛酷な競争が強いられるなか、架空契約、色仕掛け、なんでもありの世界が生まれます。
 自爆とは、業績をあげるため、あるいはノルマを達成するために、架空契約をつくって保険料を自腹を切って支払うこと。
 イラクではありませんが、自爆は日本の生保業界では昔から横行しているのです。
 ノルマを達成しきれない営業所の責任者はついに夜逃げし、自殺に走ってしまいます。まさしく悲劇です。でも、その悲劇を踏み台にしてのし上がっていく幹部もいます。企業犯罪とまではいきませんが、こんな企業の実態をそのまま是認していいとはとても思えません。鳥肌が立ってしまうほどの迫真の経済小説です。

2007年2月28日

会社とは何か

著者:日本経済新聞社、出版社:日本経済新聞社
 私は学生時代のちょっとしたアルバイト以外、会社で働いたことがありません。この本を読むと、つくづく会社に入らなくて良かったと思ってしまいました。人員削減、派閥抗争など、営利本位の企業という制約以上の悪弊が多くの会社にはあり過ぎるような気がします。もっと社会のための会社というのがあって良いように思うのですが、そんなことを言うと、現実の厳しさを知らな過ぎると叱られそうです。
 アメリカを中心に、世界のファンドが企業買収に回せる資金の総額は100兆円を上まわる。時価総額トップクラスのゼネラル・エレクトリック(アメリカ)やエクソン・モービル(同)が40兆円ほどだから、買えない会社はないということ。
 マイクロソフトは時価総額30兆円。2004年暮れには、3兆円もの配当を実施した。おかげで、アメリカの国民所得の伸び率がはね上がった。うーん、そうなんですかー。
 2005年(1〜7月)に日本企業が決めたM&Aは1500件をこえた。M&Aは、今や、めったにない非日常の出来事ではなく、あらゆる企業が成長のテコとして使いこなす時代となった。
 ボーダフォンはソフトバンクに買収されたが、このとき、負債の山と引きかえに顧客 1500万人をそっくり手に入れた。
 会社法が改正され、一定の条件をみたす非上場企業なら、取締役は1人でいいことになった。そこで、新日鉄化学は、グループ会社にいた69人の取締役を7人に減らした。ええーっ、そんなことができるのですか。ちっとも知りませんでした。
 法改正で委員会等設置会社というシステムが導入された。しかし、この委員会制を導入した電機大手会社は、みな経営不振となり、導入していない自動車会社は快走している。日本には、経験豊かな社外取締役の層が薄いところに問題がある。そうはいっても、日本の主要企業2000社の半分以上に社外取締役がいる。
 ソニーのトップは外国人(ハワード・ストリンガー)。彼は、自宅がロンドン近郊、そしてニューヨークに常駐する。東京の本社には、月に1〜2回通う程度。ソニーグループの社員の6割は外国人。利益も海外で稼いでいる。
 今や、インターネットによる取引が個人の株式売買の8割を占める。
 世界には創業200年以上という長寿企業がある。しかし、それはアメリカには1社もない。長寿の秘訣は、環境に敏感、強い結束力、寛大さ、保守的な資金調達にある。
 日本全国のコンビニ4万2000店の7割が脱サラなどによる「持たざるオーナー」である。
 日本では、過去30年で、新入社員の入社動機が変わった。1971年では、将来性があるというのが3割でトップ。現在は、個性を生かせる、仕事が面白い、自分らしく仕事ができて手早く結果を出せる職場に人気が集まる。
 三井物産は13年ぶりに独身寮を新設した。今なぜ同じ釜の飯が重視されるのか。寮生活を通じて若いうちに人間関係を存分に培ってもらい、人を育てたいというのだ。今こそ人材だ。
 大卒者の2割が職に就かず、入社して3年間のうちに3割が離職する。
 うむむ、なかなか大変な状況ですよね。

2007年2月23日

S−1誕生

著者:白坂哲彦、出版社:エビデンス社
 国産初の世界レベル抗癌剤の開発秘話というサブ・タイトルがついています。実に20年以上かけて有効な抗ガン剤を開発したという話です。いやあ、たいしたものです。その地道な苦労に頭が下がります。
 抗ガン剤開発に携わる人間にもっとも必要とされる要素は、好奇心と執念。この仕事はケタ違いにスパンが長く、根気のいる仕事を毎日続けなくてはいけない。
 抗ガン剤の開発が感染症などの治療薬の開発に比べてはるかに難しいのは、標的となるガン細胞が体外から侵入してきた外敵ではなく、自分自身の体の一部だから。
 ガンの場合、ガン細胞は自分の体の正常細胞が異常増殖を始めたものなので、ガン細胞と正常細胞との間には、ヒトと病原部生物の細胞間にみられるようなはっきりした違いはない。
 抗ガン剤であるマイトマシンやプレオマイシンのルーツは、関東地方や九州で採取された土中の微生物にある。同じくアドリアマイシンもアドリア海の砂からみつかった微生物にルーツがある。
 いやあ、どこに貴重品がころがっているのか、世の中って本当に分からないものですね。
 会社というものは、誰もが成功に一役買いたいと考えるような、きれいごとの世界ではない。なかにはアラ捜しをして点数稼ぎをする者もいるし、やっかんで足を引っ張ろうとする者も出てくる。
 著者が開発したS−1は、基礎研究に15年、臨床試験に6年4ヶ月、承認の申請から承認まで1年3ヶ月、合計22年6ヶ月かかりました。すごい歳月です。
 著者たちは、ご飯が食べられるガン治療を目ざしたのです。ガン患者から生きる力を奪うのは、悪心、嘔吐、食欲不振、下痢、口内炎、全身倦怠感という副作用。たしかに、これらがあったら生きてる気がしませんよね。
 S−1は、外来通院でQOLを保ちながら、長期間投与することが可能。抗ガン剤の特徴は、はっきり効果が認められたものは、世代を超えてつかわれ続けることにある。
 20年後、日本も世界も、ガン治療は外来主体になっている。著者はこのように予測しています。果たして、そうなるのでしょうか。
 S−1は、進行・再発胃ガンの治療薬として承認され、その後、応用範囲が広がっているということです。このような地道な研究・開発をすすめておられる研究者に対して心より敬意を表します。
 まさに平和産業の最たるものです。もっと世の中の光をあてていいように思います。

2007年2月22日

修身教授録

著者:森 信三、出版社:致知出版社
 戦前の昭和12、13年、教師養成期間である師範学校の生徒を対象として修身科の授業をした、その講義録です。生徒に口述したものを書き取らせるという授業のやり方でした。修身の国定教科書をまったく使わず、独自に口述したのです。異例なことでした。
 中味は、こうやって70年後に復刻されるだけの価値があります。とても高度で、濃い内容の授業です。倫理・哲学の講師であった著者42歳のときの渾身の授業です。
 われわれの日常生活の中に宿る意味の深さは、主として読書の光に照らして、初めてこれを見いだすことができる。もし読書しなかったら、いかに切実な人生経験をしていても、真の深さは容易に気づきがたい。書物を読むことを知らない人には、真の力は出ない。
 読書は、われわれ人間にとっては心の養分なので、一日読書を廃したら、それだけ真の自己はへたばるもの。一日読まざれば、一日衰える。
 人間は、読書しなくなったら、それは死に瀕した病人がもはや食欲がなくなったのと同じで、なるほど肉体は生きていても、精神は既に死んでいる証拠だ。ところが、多くの人々は、この点が分かっていない。心が生きているか死んでいるかは、何よりも心の食物としての読書を欲するか否かによって知ることができる。大丈夫です。これを読んでいるあなたは、今、しっかり生きています。
 本を読むとき、分からないところがあっても、それにこだわらずに読んでいく。そして、ところどころピカリピカリと光るところに出会ったら、何か印をつけておく。ちなみに私は、すぐに赤エンピツでアンダーラインを引くようにしています。
 人を知る標準に五つある。第一には、その人が誰を師匠としているか、第二に今日まで何を自分の一生の目標としているか、第三に今日まで何をしてきたか、第四に愛読書は何であるか、第五に友人は誰なのか、ということ。
 人間の知恵は、自分で自分の問題に気がついて、自らこれを解決するところにある。人間は、自ら気づき、自ら克服した事柄のみ、自己を形づくる支柱となる。単に受身的に聞いたことは、壁土ほどの価値もない。自分が身体をもって処理し、解決したことのみが、真に自己の力となる。
 人間が学校で教わることは、ちょうど地下工事にあたる。その上に各人が独特の建物を建てる。その建物のうち、柱は教えであって、壁土は経験である。
 性欲の萎えたような人間には、偉大な仕事はできない。みだりに性欲をもらす者にも、大きな仕事はできない。人間の力、人間の偉大さは、その旺盛な性欲を、常に自己の意志的統一のもとに制御しつつ生きてくることから、生まれてくる。
 人生は、ただ一回のマラソン競争みたいなもの。この人生は二度と繰り返すことのできないもの。この人生は二度とない。いかに泣いてもわめいても、われわれの肉体が一たび壊滅したら、二度とこれを取り返すことはできないのだ。したがって、この肉体の生きている間に、不滅な精神を確立した人だけが、この肉の体の朽ち去った後にも、その精神はなお永遠に生きて、多くの人々の心に火を点ずることができる。私がモノカキとして精進しようとしているのも、ここに理由があります。
 一時一事。人間というものは、なるべく一時(いっとき)に二つ以上のことを考えたり、あるいは仕事をしないようにしたほうがいい。ある一時期には、その時どうしてもなさなければならない唯一の事柄に向かって、全力を集中し、それに没頭するのが良いのだ。
 いろいろ考えさせられることの多い修身授業ではありました。やはり、国定教科書を押しつけるなんて、ダメなんですよね。「心のノート」なんて、まったくうわべだけのものと思います。

2007年2月19日

コトの本質

著者:松井孝典、出版社:講談社
 中学時代の著者は、色浅黒く、剣道がやたら強いだけの少年だった。高校生になってからは、とくに際だつところも見られなくなった。学校の成績もトップレベルではなく、とくに目立つところは何もなかった。
 ええーっ、と思う紹介文です。著者は東大理学部に入り、今も東大教授をしています。アメリカやドイツで大学教授もしているのですよ。そんな人が、中学・高校時代に目立つ成績ではなかったなんて、とても信じられません。
 でも、この本を読むと、その秘密がなんとなく解けてきます。
 毎日が楽しい。ゴールがはっきりしているから。何のために生きているかそれがはっきりしているから。自然という古文書を、読めるだけ読んで死んでやろう。そう思って生きている。
 私の楽しさは、どう生きたいか、というところに根源がある。自分の人生なのだから、思うように生きてみたい。せっかくの人生だから、悔いがない形で、やりたいことはみなやって生きる。そう思っている。
 うーん、まったく同感です。私は、人間というものを知りたい、知り尽くしたい、そう思っています。本を読み、人の話を聞くのも、みんなそのためです。
 私の歓(よろこ)びは、考えるということと結びついている。考えていなければ、ひらめくことはない。それも四六時中、考えて考えていなければ突破できない。考えるということは、私の仕事。四六時中、考えに考えている状態。それが、まさに自分の望んでいた人生そのものなのだ。
 考えるべきことは、頭の中に全部ある。混沌として霧に包まれた状態のなかにあるが、解くべき問題としてはきちっと整理されている。頭が澄み切っていて、何でもことごとく分かるように思える。そういう日が一年のうちに10日くらいある。
 残念ながら、私にはそのような体験はありません。でも、今が一番、頭が澄み切って、冴えている。そんな気はします。少しは世の中のことが見えてきました。ですから、酔っぱらってなんかおれない。今のうちに、たくさん書いておこうという気になっています。
 過去と未来を考えて生きているのは人間だけ。人間という存在は、時間的にも空間的にも、限りなく広い領域で、その果てを絶えず求めている。そういう存在なのだ。脳の中の内部モデルとしては、果てというものはない。したがって、我々はそれを永遠に追い求めていく。
 やりたいことは、際限もなく出てくる。何でも興味があるから。
 この世に生まれてきたということは、どういうことなのか。それは、その間だけ、自分で好きなように使える時間を得たということだろう。その時間こそ自分の人生そのものなのだから。それを100%自分の意志のままに使いたい。それこそが最高の贅沢で、至上の価値だろう。
 自分の時間を人に売ってカネをもらうというのでは、何ともわびしい。自分の人生であって、自分の人生ではないようなものではないか。自分の時間を人に売り渡さず、考えることだけに没頭したい。
 うんうん、良く分かります。本当に私もそう思います。
 自分の知っている範囲のことをすべてだと思いこみ、あたかもそれが正論であるかのように、堂々としゃべる。そんな風潮が目につき過ぎる。そういう人たちには謙虚さがない。いまの日本は、限りなくアマチュアの国になりつつある。
 私とは何なのか、そもそもそれを考えたことのないような人たちが、平気で我を語り、我を主張している。
 問題がつくれない人は、エリートではない。解くべき問題を見つけるまでが大変なのだ。問題が立てられれば、解くのはある意味で簡単だ。
 学問の世界では、自分で問題がつくれなければ、プロとして本当の意味で自立することはできない。
 分かるということは、逆に言うと、分からないことが何なのか、ということが分かること。分かると分からないとの境界が分かること。
 自分の身体は自分のものと考えているかもしれないが、本当は寿命のあいだだけ、その材料を地球からレンタルしているだけ。死ねば地球に戻るもの。生きるというのは、臓器とか神経系とかホルモン系とかの機能を利用することであって、物質は、その材料にすぎない。物質は、その機能を生み出すために必要なものにすぎない。
 うーん、よく考え抜かれていることに、ほとほと感心してしまいました。さすがですね。すごい人がいるものです。私よりほんの少し年上の人だけに、つい悔しくなってしまいました。まあ、これも身のほど知らずではありますが・・・。
 きのうの日曜日、庭に出るとウグイスが澄んだ声でホーホケキョと鳴いていました。いつもは初めのころは鳴きかたが下手なのですが、今年は、初めから上手に鳴いて感心しました。梅にウグイス。もうすぐ春ですね。気の早いチューリップは、もうツボミの状態になっています。庭の隅の侘び助に赤い花が咲いていました。

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