弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2007年6月27日
子どもの脳を守る
著者:山崎麻美、出版社:集英社新書
日本ではまだ数少ない小児脳神経外科医として30年間働いてきた医師によるレポートです。貴重な、胸うつ体験のかずかずが紹介されています。
まず最初は虐待です。幼児虐待には身体的虐待、養育放棄(ネグレクト)、性的虐待、心理的虐待がある。小児脳神経外科医が扱うのは、身体的虐待のうちの頭部外傷。
児童相談所における虐待相談件数は、2004年には1990年の30倍にまで増加した。これには児童虐待防止法も寄与している。虐待の疑いがあったら、とにかくすぐ通報することを求めているからでもある。
子どもの脳は頭蓋骨の縫合のゆるさ、頭蓋骨と脳の成長のアンバランスさにともなう架橋静脈の緊張など、ハードの面から見れば大人よりも弱く、傷つきやすい。しかし、機能面からみると、リカバリー能力や代償性にすぐれているため、それだけ可塑性は高い。だから、子どもの脳は傷つきやすく、悪くなるときも急激に悪化するが、いったん良くなりだすと、その回復力は目を見張るものがある。
少なくとも3歳児までの子どもの養育は母親が行うべきだという「3歳児神話」がある。しかし、これは正しいだろうか。むしろ、母親と子どもが密着しすぎているために起こる問題がある。父親をはじめとする他の養育者のかかわりの薄さが大きく影響している問題でもある。母親だけが子どもの養育にかかりっきりになる必要はない。
この点は、私もまったく同感です。子育ては楽しいものと思いますが、お互いたまには息抜きが必要ですよね。保育園に子どもを預けるなんて可哀想だという人がまだいますが、私にはとても信じられません。
母親が生き生きしていること、それが子どもにいい影響を与える。大切なことは、母親だけに養育の義務や負担を押しつけないこと。いたずらに「3歳児神話」を喧伝して、母親に子育ての不安をあおりたててほしくない。子どもは子どもでたくましく育っていくし、自ら状況を乗りこえていく力がある。
現実にひどい虐待を受けて育った子どもに、将来、大きくなったときに、今度は虐待の加害者になる可能性は高いですよ、というのは傷口に塩をすりこむようなもの。
うーん、なるほど、たしかに、そうなんでしょうね。
子どもが死んでいく病気に直面させられるとき、子どもにとっては、病気そのものや手術そのものではなく、自分がこれから何をされるのか分からないことが怖いのである。その分からなさが不安を生む。手術室はどうなっていて、そこでどんなことをするのかをきちんと教えてあげれば、手術という状況への適応は、子どもにとって案外、難しいことではない。むしろ、どうせ子どもだから言っても分からないだろうと何の説明もしなかったり、妙にごまかすような態度をとることのほうが、余計な不安や恐怖を与えてしまう。
うむむ、この指摘は、ナットクです。
日本の現在の出生数は年間100万人。そのうち800人に先天的な水頭症がある。妊娠中に55%が発見される。では、そのとき、どうするか。水頭症だと分かっても、48%の子どもは普通に生活できる。
たしかに、なかなか悩ましい事態ですよね。
いま、医師国家試験の合格者のうち3人に1人が女性。2002年と比べて、2004年には20歳代の男性医師が750人減り、女性医師は500人増えた。30歳代の男性医師は1400人減り、女性医師は1150人増えた。
いまだに日本の医療の現場では、女性が子育てをしながら医師を続けるのが難しい現実もある。さて、弁護士の場合はどうでしょうか・・・。
この本は、著者が私のフランス語学習仲間の女性の妹さんだということでいただきました。医療現場の実情がよく分かる本でもあります。
2007年6月19日
団塊格差
著者:三浦 展、出版社:文春新書
団塊世代の私にとって、団塊世代とはどんな人間集団であるのかという本はどうしても目を離すことができません。
団塊世代の将来は、必ずしも明るいとは言い切れない。「格差」の時代は、団塊世代にも確実に訪れている。
団塊世代は、数が多いだけでなく、比較的に均質な集団である。ただし、今後も均質であるかどうかは分からない。団塊世代は、高所得が1割、中所得は7割、低所得が2割となっている。
団塊世代の大学進学率は2割強。45%が高卒で、3割が中卒で就職した。だから、中卒、高卒でも、努力と能力に応じて出世した人も少なくない。
男性は一度も結婚していない6%、既婚(初婚)80%、再婚7%、離死別7%。女性は未婚6%、既・初婚76%、再婚5%、離死別13%。
女性のほうが一人暮らしに強い。
団塊世代は5歳上の世代よりも常に離婚率が高く、かつ、その差がどんどん開いている。
夫婦別室は、男は20%、女30%、私も、何年か前から別室です。今では、若いときには同じ布団に寝たこともあったのかなあ、という感じです。ぐっすり眠れるほうがいいものですよね、お互いに。ただ、今の話ではありませんが、夜中に何かの発作が起きたときなんかは、一人で寝ていたら手遅れになるということもあるでしょうね。まあ、そんな心配をしはじめたら、キリがありませんけど・・・。
団塊世代の男性の17%、女性の20%が未婚ないし離別・死別の独身者。実数で
125万人。ええーっ、多いですね。でも、たしかに、私のまわりにもたくさんの独身者がいます。
団塊世代は、中卒・高卒であれば、自分の意思で就職先や仕事の内容を決めることは、まずなかった。大卒者ですら、理科系なら研究室単位で就職先が決まっていたし、職業人生のパイプラインが確立していた。ほとんどの団塊世代にとっては、実質的に職業選択の自由はなかった。
なーるほど、そう言われたら、そうなんですかね・・・。私は、苦労したとはいえ、たった一度だけ試験に合格して資格を取得したということで、失業や退職の心配をしなくてすむことに、今、本当にありがたいことだと考えています。いま失業したら、何の技術も持っていない私なんか、どうやって生きていったらいいのか、まるで見当がつきません。ハローワークに行ってパソコンの検索画面の前で途方にくれてしまうのは必至です。
2007年6月18日
ぼくの南極生活500日
著者:武田 剛、出版社:フレーベル館
2003年12月から、2004年2月まで、南極で生活した体験記です。地球温暖化のせいで、南極の氷がどんどん溶けてなくなっている様子も分かります。
「しらせ」は、昭和基地の目の前にまで難なく接岸できるまでになっています。厚い氷の海がなくなってしまったからです。
多いときは1000回以上、少ないときでも数百回のチャージングをしてきた過去の航海がウソのようだ。砕氷船「しらせ」は、厚さ1.5メートルまでの氷なら、割りながら止まることなく進むことができる。
チャージングとは、砕氷船「しらせ」が、全速力で氷の海に体当たりしながら、少しずつ進むことです。
まあ、そうはいっても南極です。冬にはマイナス60度の世界です。雪上車から出て地面におりたつ。息をすると、肺が冷たい空気でちぢみあがり、苦しくなる。身体中の関節もこおったように固くなり、手や足が自由に動かない。顔をあげると強い風にあたって針で刺されたように痛む。鼻やほおは、またたくまに凍傷になり、真っ黒に変色した。
うわー、すごーい・・・。私もマイナス20度という冷凍冷蔵庫に入ったことがあります。痛いほどの寒さで、息をするのも大変でした。
南極では、建物から一歩外に出るときには、天気が急に変わって迷い子になりやすい。必ず無線機やGPS、ライト、食料、水をもって外に出ること。
静電気のたまった手でパソコンをさわって、こわさないこと。
昭和基地には50をこえる施設がたちならんでいる。真冬のきびしい寒さにそなえ、マイナス60度、風速毎秒80メートルにも耐えられるよう、壁の厚さは10センチもある。
隊員が寝るのは、居住棟にある6畳の個室だ。
ペンギンたちは人間を恐れず、好奇心旺盛に近寄ってくる。しかし、第一次越冬隊は、ペンギンをつかまえて食べた。
そのペンギンの可愛らしい姿が写真にとられています。でも、写真といえば、真夏の南極では、太陽が沈まない、その様子を連続写真としてコンピューターで合成した写真が圧巻です。
太陽がのぼっても低いままで、すぐに沈んでしまう冬の極夜になると、体内時計が狂って、体調不良となってしまう。
基地の生活で出るゴミは、1ヶ月に2トン。燃やして、灰をドラム缶に詰めて日本に持ち帰る。基地全体でつかう氷の量は一日で8トンにもなる。「しらせ」は、毎年600トンもの燃料を運びこむ。バーの倉庫には、2万缶のビールが積んである。
南極には1961年の南極条約によって、各国の領土権が認められていない。
南極に行ってみたいという気持ちが全然ないわけではありませんが、寒さに弱い私には、やっぱりとても無理のようです。写真でガマンすることにします。
2007年6月15日
選挙戦と無党派
著者:河崎曽一郎、出版社:NHK出版
国民は選挙制度の不公平さをもっと怒るべきだと強調しています。本当にそのとおりです。現状は、大きくて強い政党には圧倒的に有利な選挙制度である。これが改革・改善されない限り、選挙は選ぶ側・弱い者の真の味方には、とうていなりえない。そうなんです。
たとえば、比例代表選挙において、自民党は8議席、民主党は5議席も取りすぎている。その逆に共産党と社民党それぞれ4議席も少ない。プラス・マイナスあわせて26議席も歪んでいる。これは総定数180に対して14%以上も歪んでいることを意味している。これでも比例代表選挙制度だといえるのか、重大な矛盾、疑問を感じる。
自民党と公明党との選挙協力は、国政選挙だけなく、地方選挙でも確実にその威力を発揮している。むしろ自民党と公明党との選挙協力の歴史は、国政選挙よりも地方選挙のほうがはるかに古く、実績を重ねている。
自民党にとっては、公明党・創価学会のもつ700万票前後の組織票の全面的な協力が政権維持の絶対的な条件になっている。また、公明党にとっても自民党との選挙協力がなければ、衆議院の小選挙区で議席を獲得するのは至難の業である。公明党は選挙協力によって自民党の第一党としての議席を保証し、下支えすることによって、連立政権での発言力、影響を維持・強化している。
公明党は、自民党との選挙強力によって、比例代表選挙で少なくとも3〜5議席を上積みしている。単独で選挙をたたかったら20議席とみられる。期日前投票の比率がもっとも高いのは公明党である。
無党派層は、支持なし層から政治的・社会的に進化した人たちが多い。無党派層の4人に3人は、いつでも特定の政党を支持する用意があり、政党に期待感さえもっている人たち。生涯無党派という人は、5人に1人しかいない。
無党派が過半数をこえた最大の原因は、政治不信、政党不信だった。無党派の投票行動にもっとも大きな影響を支えるキーワードは、新鮮な魅力である。
無党派の第一の特徴は、いつも女性のほう男性よりに圧倒的に多いこと。第二に、男女とも青年層(20〜39歳)にもっとも多い。第三に、家庭婦人と勤労者が多いこと。無党派層の政治意識は高く、圧倒的に野党、反・非体制側に投票している。つまり、政治の現状に強い不満・不信感をもち、政治の改革・改善・刷新などを求めている。
無党派層の要求は、個人的な商売・金もうけ・利益よりも、弱者の立場に立った社会性の強い、まっとうなものが圧倒的に多い。
無党派層といわれるものの実体がよく分析されていると思いました。それにしても日本の投票率が6割を切るというのは低すぎますよね。フランスの大統領選挙は85%だったと思います。日本人は、選挙権をもっと大切にすべきではないでしょうか。
2007年6月13日
選挙の民族誌
著者:杉本 仁、出版社:梟社
実に面白い本です。ええーっ、日本の選挙って、こうなのか、こうだったのかー・・・と、内心さけんでしまいました。甲州選挙という山梨県の選挙ですが、日本全国共通しているところも大いにあるように思います。
選挙は、なぜかくも人の心をとらえるのか。選挙の当事者とその周囲の人にとって、選挙戦はまさに生きるか死ぬかの戦争だからである。甲州のムラ選挙は、4年に一度の、待ちに待ったムラ祭りの様相を呈する。
山梨では、家格が重んじられる。家格とは、家の歴史総体への現在的評価である。この家格が視覚的にわかる装置が存在する。寺の本堂に安置されている位牌の場所と大きさが、そのバロメーターになっている。
ムラの三役は、区長、氏子総代、寺総代。ここから、候補者が決まっていく。
候補者が決まると、選挙ヒマチ(人寄せ)が始まる。個々人でなく、ムラの組単位ごとに候補者の家に呼ばれる。
戦後しばらくは、ムラ人は毎日、酒を飲むという習慣はなかった。ところが、選挙のときには、タダ酒がふるまわれた。甲州人はバクチ好きで、有権者は選挙をバクチと見なし、選挙そのものも賭事の対象とした。
選挙運動の期間となると、ムラ人の手伝いは忙しさを増す。オテンマ(共同作業)にデブソク(出不足)は許されない。
婿養子が、ムラの実質的構成員として名実ともに一人前として認知されるための近道が選挙だった。ムラ人の手荒い暴れみこしに乗り、散在する選挙こそ、実質的なムラ入りにふさわしいものだった。
投票当日は、早朝からの狩り出しではじまる。ときには、投票率アップのため、ムラ全体で替玉投票や不正な不在者投票などが行われたりする。
血縁と地縁の入りまじった言葉として血類(じるい)というものがある。
政党は無尽(むじん)の集票機能に着目し、候補者は無尽を巧妙に活用した。選挙無尽がいくつもできあがる。無尽は頼母子講とも言われますが、福岡でも今も生きています。それが破綻したときが大変です。ひところ、筑後地方で大量の裁判がありました。
小佐野賢治も金丸信も、この山梨の出身者である。金丸の家筋は武田信玄につながる名家そのものであった。
日本的政治風土の基層をなすものが、体験もあわせて、よくよく分析されていると感心しました。選挙って、ホント、ドロドロしたところがあるんですよね。
今度、山梨の弁護士に最近の実情を聞いてみたいと思いました。
2007年6月 8日
ブランドの条件
著者:山田登世子、出版社:岩波書店
幸いなことに、わが家はブランド現象とはまったく無縁です。私はコンビニと同じようにブランドも嫌いなのです。
ブランド現象とは、贅沢の大衆化である。かつては、遙かな高みにあった高級品が、 20代の女の子にも手の届く品となって、ごく身近にある。贅沢と大衆が見事な「結婚」をとげている。
もともと、ブランドは大衆の手に届かない奢侈品だった。貴族財であるものを一般大衆が持つのは、ミスマッチなのだ。だから、今でもフランスやイギリスの財力のない若者がブランド品を持つことはありえない。エルメスもルイ・ヴィトンも、ブランドの起源をさかのぼると、必ずそれは一握りの特権階級のための贅沢品である。だから、その「名」は晴れがましいオーラを放ち、惹きつけてやまない。
モードとブランドは相反するものである。エルメスのバッグがあこがれを誘うのは、手が届きにくく、近づきがたいものだからだ。ブランドとは、本質的にロイヤル・ブランドのこと。扱う商品が高級品なのは、顧客が王侯貴族だからであって、ブランドとはもともと貴族財なのである。だから、贅沢品であるのは当然のこと。
エルメスとルイ・ヴィトンは、王侯貴族を顧客にして今日の繁栄を築いてきた。永遠性と貴族性を志向するブランドだ。
2002年、ルイ・ヴィトンは東京の表参道店をオープンさせた。前夜から1000人以上の客が列をつくった。オープンした一日だけで一億円の売上げを計上した。
こりゃあ、日本人って間違ってますよね。これって、まさに格差社会の象徴でしょうね。
この日、行列をつくった人たちの頭に、今の日本に、一日を何枚かの百円硬貨で過ごす、月に数万円しかつかえない生活を送っている人々が無数にいることなんて想像もできないことでしょう。
日本人女性の44%、およそ2人に1人がルイ・ヴィトンを持っている。日本全国の所持者は2000万人とも3000万人とも言われている。
ルイ・ヴィトンって、そもそも自分が持つものじゃないのよね。そう、召使いに持たせるものなのよ、あのトランクは。
これは、ウジェニー皇后の言葉。ウジェニーは、奢侈品産業を育成するというナポレオン3世の意を受け、政治的任務として贅沢にこれ務めた。
エルメスのバッグは、すべて職人によるハンドメイド。一つ一つ造った職人が分かるようになっている。修理に出すと、担当した職人が自ら直すシステムだ。しかし、その職人の名前は表舞台には出てこない。
どうして、日本人って、アメリカと同じでブランドが好きなのでしょう。虚栄心をみたすためか、貴族の幻想にひたりたいのか、私にはとても理解できません。
2007年6月 7日
モグラの逆襲
著者:残間里江子、出版社:日本経済新聞出版社
あまり感心しないタイトルの本です。それでも、サブ・タイトルが「知られざる団塊女の本音」となっているので、同世代の女性たちが今どんなことを考えているのか知りたくて呼んでみました。意外にまじめな本でした。
団塊は専業主婦率がもっとも高い世代である。自ら望んでそうなったのではなく、社会が彼女らを受け入れなかった。一生を捧げたはずの結婚生活で得たものは、くたびれた夫と今なお寄生する子どもたちだけ。
2007年春、団塊モグラ女たちは長い冬眠から目覚めてしまった。このままここで朽ちてしまうのだけはいやだ。長い冬ごもりから飛び出して、春風にあたろう。ここまで来たら捨てて惜しいものはないし、怖いものもない。軽やかに飛ぶためなら、夫一匹捨てるくらいのことは簡単だ。
おおっ、怖い・・・。私なんて、夫一匹、捨てられてしまいそう。
団塊男たちのリタイアが迫っている。40年も企業社会につながれていた男たちの縄がほどかれ、一斉に家庭に戻ってくる。戻り方次第では、とんでもない日々になるわけで、妻たちは戦々恐々だ。
団塊世代が結婚して10年から15年目あたりの離婚数は3万2000組だった。結婚して30〜35年たった最近の離婚数は6000〜7000組。つまり、問題のある夫婦は既に離婚ずみなのだ。
夫婦は感性だの価値観だのという抽象的なことで別れてはおらず、離婚の具体的な理由は、お金、女(男)、暴力の三要素に集約される。離婚を切り出すのは7割が妻側から。
離婚を意識して、完遂するまで平均して3.5年かかっている。
今の夫は別れたいけど、危害は加えないし、喋るぬいぐるみだと思えば、まあ、いいかなと思ってガマンしてる。
ヒャー、こんなに思われているんですか・・・。何だか、背筋がゾクゾクしてきました。
団塊の女は他の世代に比べて学歴を重視する人が多い。とりわけ、息子の学歴は、とても気にする。
団塊世代はお見合い結婚が多数派だった。しかし、1995年以降は9対1で恋愛結婚が圧倒的多数になっている。だから、その機会に恵まれないと、いつまでたっても結婚できないわけですね。お見合い用の写真をいつも持ち歩いている世話好きのおじさん、おばさん族というのは今ではすっかり姿を見ません。
女は独りでは何もできないと男に思わせることこそが、「サブ」や「副」として生きていくための基本マニュアルなのである。女は夫に相談する前にとっくに決めている。ただ下手に主張すると、あとでもめたときに面倒だし、おだやかに手に入れるためには簡単に口にしないようにしているだけのこと。
よほどの偏屈でもない限り、団塊世代は「テレビが家にやってきた日」のことを覚えている。私の家には小学四年生のころ、年の暮れにテレビがやってきました。『ひょっこりひょうたん島』や『ふしぎな少年』の「時間よ、止まれ」という叫び声があがると全員がそのままの姿勢で固まってしまうシーンも、よく覚えています。
日本の妻たちは、夫に忍従を強いられているように思っている人が少なくないが、世界に冠たる銀行振込制度が家庭に入り込んで以来、時間とお金の両方の裁量権を発動できるという意味で、日本の妻は世界最強と言われている。
日本の女性が昔から強かったことは、戦国時代の宣教師(ルイス・フロイス)の目撃談や江戸時代の『世事見聞録』などでも明らかです。銀行振込制度の前から、日本では妻が一家の財布を当然のように握っていました。
私の周囲を見まわしても、実にたくましい女性ばかりのような気がします。むしろ、いろんな意味で弱いのは男ではないでしょうか。
2007年6月 4日
「虚構」
著者:宮内亮治、出版社:講談社
ライブドアの内側がのぞける本です。ライブドアは、その最盛期に、グループ全体で6000人の社員をかかえていた。そして、プロ野球進出を表明してから、わずか1年半で命運は尽きてしまった。
ホリエモンについての描写が面白い。堀江には、生意気さと人見知りが同居していた。胸を張って目を見ながら話すタイプではない。下からのぞきこんでくる印象で、目があえば逸らす。それでいて、図々しい。ともかく話が大きくて、自信満々にしゃべる。これは、まだ東大在学中の23歳のホリエモンに会ったときの初対面の印象です。
堀江はドライな人間関係を好む。役に立てばつきあうし、立たなければアッサリと切る。ビジネスに感情はもちこまず、判断基準を数字にしぼる。感情に流されない。信賞必罰を貫いた。堀江の経営者としての美点は、情報収集力と発想力と理解力にある。
堀江には天性の閃(ひらめ)きがあり、先読みができる。だが、読みが早過ぎるうえに、飽きっぽい性格もあって、成熟する前に止めてしまったりする。堀江の情報の確かさと読みの速さは天才的。だけど、速すぎてライブドアの業績には結びつかない。プロ野球進出で名前は売れたが、ライブドアに本業と呼べるほどのものはなかった。
堀江が変わったのは、ライブドアがニッポン放送の買収を断念し、見返りに1340億円もの現金を手にし、堀江個人も若干の持ち株を売却して140億円近くの現金を得てからのこと。それまでの堀江は、かなりシビアな経営者だった。
堀江は、市場に常にサプライズを与えなければ気がすまなかった。増収増益を続けつつ、100分割のようなサプライズを市場に与え、かつ上方修正することで成長イメージを鮮明にするのが堀江の戦略だった。でも、そんなアクロバットがいつまでも続くはずはない。
堀江にはスポーツセンスがなく、スポーツは得意でない。ところが、ライバル視している三木谷が名乗りをあげたため、逃げることができず、トコトン戦うしかなくなった。ただし、ライブドアが敗北したとはいえ、堀江は認知度を高めるなど、むしろ勝利した。
最盛期のライブドアの会員は1000万人。ライブドアが小泉改革の鬼っ子だというのは事実だ。自民党の武部幹事長は、堀江の手をとり、大きく上にあげて、「我が弟です。我が息子です」と絶叫した。
ライブドアの軌跡は、実は失敗の連続である。近鉄球団買収も、プロ野球進出も、日本放送買収も、総選挙も、話題を提供した案件は、すべて成就しなかった。しかし、損はしていない。ホリエモンという名は売れ、堀江の虚栄心は満たされ、ライブドアのポータルサイトは活況を呈し、資金調達やM&Aは、非常にやりやすくなった。ただし、ホリエモンの浮上は、足蹴にされた企業や人間の恨みにつながる。殴った人は忘れても、殴られた人は忘れない。
インターネットの世界は人間性を破壊する金権腐敗を生み出しているんだなと、この本を読みながら思いました。六本木ヒルズあたりの500メートルで昼も夜も行動していたというのです。世界が狭くなって、視野狭窄になってしまったのですね、きっと。
2007年6月 1日
格差社会とたたかう
著者:後藤道夫、出版社:青木書店
現在日本の勤労者世帯中の貧困率は2割前後。小泉首相は、格差の増大の原因を高齢者世帯の絶対数の増加のせいにするが、貧困世帯の増加268万世帯のうち、勤労世帯における増加分が142万世帯なので、小泉首相の主張は間違っている。
国民の4割が加入している国民健康保険の保険料の滞納世帯は、2000年6月に 370万世帯だったのに、4年後の2004年6月には461万世帯と2割近く増えた。
就学援助を受ける小中学生も急増し、日本全国で1997年度に78万人だったのが、2004年度には134万人となった。
収入が増えている人々もいる。1997年に年収1000万円以上の人が5万6000人(5.8%)いたのが、2002年には6万8000人(6.5%)に増えた。IT産業関連など高処遇の職種群が形成されている。
年収2000万円以上の人が2001年に18.1万人だったのが、2004年には 19.6万人に増えた。2005年9月の総選挙において自民党は首都圏で圧勝した。それは、これら上層の人々と、その周辺の人々、そして自分も上層への仲間入りが可能だと思っている人が支えている。
なーるほど、東京で石原慎太郎が仕事もろくにしないのに300万票もの支持を集めるのは、それだけの現実的基盤が、それなりに存在するということなんですね。
このような上層国民を社会統合の中心とするためには、上層への利益供与システムをつくり、彼らに社会秩序維持の担い手たる自覚をもたせることが必要となる。そのため、所得税の累進度を大きく緩和した。1980年代初めは75%が最高税率だった。1990年代初めに50%に大幅ダウンした。1998年の税制改革により37%になった。
公私二階建て方式がとられるようになった。すべての国民に開かれる「公」は薄く、脆弱なものとし、「公」を支えるための高所得層の費用負担は小さくする。その分を、「私」の部分を購入する費用としてつかうことを可能にする。
一部の上層は、たしかに「報われる」。反対に、ワーキング・プアだけで600万世帯をはるかに超えるが、これらの多くの人々が「報われる」ことなく、それどころか、以前なら考えられないような生活不安、労働不安、そして将来の不安に直面している。
「努力すれば報われる社会を」というスローガンは、自助努力に欠けるとみなす人々を、排除し、切り捨て、財政負担を軽くしたうえで、そんな人を治安管理の対象として、いわば隔離するとともに、一種の見せしめとして、「中層」以下を叱咤鼓舞する。
ここまで落ちるんだぞ。それがいやなら、何であれ、死に物狂いで努力せよ。
というものです。いやあ、本当にあたたかみのない、殺伐とした日本になってしまいましたね。弱者切り捨てがどんどん進むなかで、上昇志向の若者が自分の足元を見ることなく、手を叩いて、格差拡大を喜んでいます。ここに切りこみ、対話して現実をしっかり見つめることを多くの人に求めたいものです。
2007年5月25日
私が選んだ後継者
著者:松崎隆司、出版社:すばる舎
2005年における社長の平均年齢は58歳9ヶ月。現実には、社長交代は思うほどスムースには進んでいない。社長族の構成年齢は高いにもかかわらず、なぜ社長交代が進んでいないのか。
日本の企業倒産の5割以上は、会社を清算する破産。その原因の多くは後継者の問題。倒産企業の4社に1社が、地方で30年以上経営を続けている企業。
事業承継の形態は4つある。第一は親族内承継、第二は外部からの雇い入れ、第三が M&Aによる企業売却、第四が事業承継をあきらめ清算すること。
一族以外から後継者を選ぶケースが近年は増加傾向にあり、2002年には38%にも達している。
後継者に必要な資質は三つある。従業員を管理する能力、縁を大切にする能力、危機管理能力。
事業承継でうまくいっているところというのは、実は、先代が早世したところが多い。親と子が一緒だと、どうしてもケンカになってしまう。
中継ぎ役員、セットアッパーも、その一手法である。後継者の育成と経営を見るという役割を担う。後継者育成とともに、右腕になる人をつくることも、事業承継の重要な要素。
いま、弁護士会も、この中小企業の事業承継に取り組もうとしています。
5月中旬、久しぶりに阿蘇の大観峰に行ってきました。いつ行っても、その雄大さに圧倒されてしまいます。今回はじめて気がつきましたが、仏様の涅槃像でもあるのですね。大自然の巧みさに感嘆します。透きとおる五月の青空でした。雲雀が天高く飛び上がって甲高い鳴き声で鳴き、大草原で肥後牛たちが草をはんでいました。