弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2007年11月 9日
壊れる日本人
著者:柳田邦男、出版社:新潮社
日本人の大学生が提携先のアメリカの大学に留学したとき、そこではケータイの使用が禁止された。すると、日本人学生は、心の支えがなくなったような、いつも何かが満たされないでいるような不思議な不安定感にとらわれた。ケータイなしでも不自由さや不安定感を感じないで生活できるまで、2週間かかった。これは麻薬中毒的なケータイ依存症にあったと言える。
そうなんですよね。私自身は、ケータイこそ持っていますが、いつもカバンのなか。ケータイで写真をとったり、メールを送ったりなんかできません。あくまで公衆電話(めっきり姿を消してしまいました)の代わりです。
ケータイ・ネット依存症を克服するために、非効率主義をすすめる。じっくり考える習慣、ナイーブな感性、画一的でないタイ人対処の仕事の仕方、豊で味わいのある言葉、ゆとりや間(ま)や沈黙を大事にする生活と人間関係など、人間が人間らしく生きるうえで大事なものを忘れてはならない。
新約聖書をケセン語(日本語です)に訳した人がいるそうです。「マタイによる福音書」のなかに、有名な文句があります。
心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。
これがケセン語訳では次のようになります。
頼りなぐ、望みなぎ、心細い人ア幸せだ。神様の懐(ふところ)に抱がさんのアその人達だ。
ケセン語というのは東北弁のなかの一つで、岩手県最南部の気仙地方の方言のことです。
方言を文化レベルの低い恥ずかしいものだと考えて、忌避する風潮が、ようやく排除されるようになったことを堂々たるケセン語訳は象徴的に示した。
なーるほど、なるほど。まったく、すばらしい偉業です。連帯の拍手を送ります。
1998年時点で、保育士が子どもたちの傾向として、次のようなことをあげた。
夜型生活。自己中心的。パニックに陥りやすい。粗暴。基本的なしつけの欠落。親の前では良い子になる。
これは、9年前の指摘です。でも、この傾向は強まっているのではないでしょうか。
言語化の作業が苦手という子どもは、心の発達の未熟さと裏腹の関係にある。言語化とは、感情や考えたことや心の中に渦を巻いている葛藤や苦悩などを整理し、一筋の文脈のあるいわば物語(の、一部)として表現する作業だ。知能の発達、心の発達が遅れていると言語化の能力の発達も遅れる。
なーるほど、ですね。日本人の危なっかしいところを振り返り考えさせられました。
(2005年3月刊。1400円+税)
2007年11月 8日
伝統の逆襲
著者:奥山清行、出版社:祥伝社
かつては日本の技術が「猿真似」だと非難されることもあった。しかし今では、そんな批判があたらないということが世界的に認知されている。元のオリジナルが何であったのか分からないほど、完全に自分のものとしてマスターし、新たな日本の「オリジナル」となっているからだ。
器用さと開発能力に加えて、日本の職人には大きな特徴がある。寡黙なことだ。
トリノの塗装職人は、日本円にして年収3000万円を得ている。しかも、イタリアのマエストロは社会的地位が確立していて、周囲から尊敬の念をもって迎えられている。日本の大企業の役員に匹敵する。日本の家具メーカーのトップクラスの職人は、世界的に高い技術を持ちながら、年収は300万円ほどでしかない。
著者は日本の美大を卒業したあとアメリカに渡りました。そこで、カーデザインを専門に学ぶ大学に入り、GMから奨学金をもらいました。1年間に350万円もの奨学金をもらっていたのです。ですから、卒業後、GMに入り、その研究センターに入りました。そして、1500人いるデザイン部において社内評価が3年続けて1位になったというのです。才能と努力、どちらもすごいですね。
30歳のとき、ポルシェに移り、新型911のデザインにとりくんだ。そして2年後、またGMに戻った。4年後、イタリアのピニンファリーナに移った。フェラーリをはじめ、世界の名だたる名車のデザインをしている会社だった。しかし、給料はGMのときより3分の1に下がった。秘書なし、オフィスなし、肩書きなし。しかも、言葉も話せない。それでも移ったのは、自分の作品をつくりたい、残したいと熱望したから。
うーん、すごいことです。若いからやれたのでしょうね。
1995年にピニンファリーノに入ったとき、デザイナーはわずか5人だけ。この5人は1人ずつ独立して仕事をする。社長がそのうちの2〜3人のアイデアを選ぶ。選ばれたデザイナーは、プロジェクトの最後まで一人で関わる。ほかの人が手伝うことはない。勝者だけが次にすすみ、敗者には仕事がない。敗者はコーヒーでも飲みながら、勝者の仕事を見ているしかない。これは、デザインのようなクリエイティブな要素は、結局、個人の頭の中から出てくるもので、集団で議論してつくるものではない、という考えによる。
仕事はムチばかりの恐怖政治では人は動かない。モチベーションを上げて、気持ちよく仕事をしてもらうのが本筋だ。ところが、欧米の経営者やマネージャーには、自分がいなくても成り立つような組織をつくろうとする人間はまずいない。逆に、自分がいなければ問題が起きる仕組みや、短期的に業績が上がって自分の給料も上がり、辞めたとたんに業績が落ちるような仕組みをわざとつくる。
むむむ、そうなんですか。日本でも後者のようなことはあるんじゃないでしょうか。
アメリカの特徴は、大きなスケールで「もの」をつくることが絶対的な善であると考えていること。ある程度の数がこなせてこそビジネスが成立するという考え方。だから、どうしても大量生産を主眼にした開発や生産に力点が置かれる。
アメリカがインチ表記を続けている限り、緻密なものづくりは難しい。アメリカ製品が総じて大雑把につくられている最大の理由は、インチという単位にある。
ドイツ人は不器用であるかわり、ひとつの仕事をするのに非常に時間をかけ、精魂を傾けて道具をきちんとつくる。
イタリアは厳しい階級社会のため、名家の出身でもない限り、いくらがんばっても社会的に高い地位にはつけない。どうせ上には行けないのだから、今のレベルで楽しもうという「あきらめ」が根底にある。
ヨーロッパにおけるイギリスの絶大な存在感。イタリアの上流階級は、ほとんどが子女をイギリスに留学させる。
日本人は想像力に長けているおかげで、深い思いやりと洞察力をもっている。
日本人の問題解決能力は非常に高い。課題が与えられたら、苦労しながらも、工夫と努力で解決してしまう。
フェラーリは、社員3000人、年間の生産台数は5000台。ポルシェは10万台。フェラーリは2000〜3000万円台。
2002年に発表したエンツォ・フェラーリは1台、7500万円。著者が最初から最後までデザインを担当した。これを349台、限定販売すると発表したら、世界中から 3500人もの顧客が押し寄せた。そこで、フェラーリは、申込金を預かったうえで審査した。年収、社会的地位はもちろん、レース経験、フェラーリの所持実績(2台以上もっていたか)など、ブランドにふさわしい人物を選んだ。投機目的の人を排除し、希少性を保った。
いやあ、世の中にはすごい人がいるものです。たいしたものです。
(2007年8月刊。1600円+税)
2007年11月 7日
暴走老人
著者:藤原智美、出版社:文藝春秋
成熟した高齢者が中心の社会になれば、時間はゆったり、のんびり流れるだろう。社会をとりまく空気も穏やかでゆとりのあるものになり、ぎすぎすした雰囲気は消えるかもしれない。漠然と、そう考えていた。しかし、現実は違う。穏やかな社会というのは大いなる幻影ではないか、むしろ私たちが進もうとしているのは、今まで以上にストレスのかかる高齢化社会ではないのだろうか。
残念ながら、そのようです。私は、後期高齢者に医療費を負担させようとする今回の政府の施策は根本的に間違っていると思います。75歳になったら、医療費を全部タダにして、死ぬまで安心してゆっくり、のんびりお過ごしください。このように言うのが政治の責務というものではありませんか。軍事予算にまわすお金はあっても、老人福祉にまわすお金はないなんて、まったく政治が間違っています。
お年寄りを大切にしないどころか、あからさまに早く死ねと言わんばかりの政治がすすめられています。だから、キレて叫ぶ老人が頻出するのは、ある意味で当然です。誰だって、無視されたくはありません。大事にしてもらいたいのです。お金がなければ虫ケラのように扱われる。そんな日本に誰がしたのでしょうか。プンプンプン、私だって怒ります。
若者による殺人などの凶悪事件は、1958年をピークに減少し、現在、ピーク時より圧倒的に少ない。反対に、「いい歳をした」危ない大人が増えている。2005年、刑法犯で検挙された者のうち、65歳以上が4万7000人。1989年に9600人だったので、わずか 16年間で、5倍にも増えてしまった。ちなみに、この間の高齢者人口の増加は2倍。
60歳以上でみると、2000年から2005年までの6年間で、刑法犯は4万人から7万5000人へ、1.8倍も増えている。
老人が暴走する原因は、社会の情報化にスムースに適応できないことにある。病院で、突然キレて暴力をふるう患者が10年前から増えている。1年間に看護師の55%が何らかの暴力被害にあっている。仕事をしていて暴力を受ける確率が半分以上という職場は、ほかに考えられない。ひゃあ、知りませんでした。大変なことですよね、これって・・・。
歳をとるごとに時間が早くたつと感じる理由は、高齢者のほうが子どもより体内時計のすすみ方が遅いから。体内時計が遅いと、現実の時間は早く感じられる。逆に子どもは体内時計が早くすすむため、現実の時間を遅く感じる。この体内時計は代謝の速さに対応している。それは酸素消費量による。それが少なければ、体内時計の進行は遅い。消費量が多ければ、速い。この消費量は脈拍数から推測できる。高齢者の脈拍数は毎分50、子どもは70。この差が体内時計の差になる。
ふむふむ、なるほど、そういうことなんですか。本当に月日のたつのは早いものです。このあいだまで暑い暑いと言っていましたが、いつのまにやら寒さを感じるようになり、今年も残すところ2ヶ月ないというのですからね。私も来年には還暦を迎えます。ええーっ、と我ながら驚いてしまいました。
現代の権力とは、時間をコントロールする力のこと。現代の権力とは、まさに時間を私物化すること。時給、月給、年俸と、収入が時間の単位で計算されるのも、時間のコントロールこそが現代人の最大のテーマになっているから。
いま、地域が抱える大きな問題の一つに、全国各地に誕生しているゴミ屋敷。この住人の大半は独居老人である。マンションのなかにも、ゴミ・マンションが存在する。
いやあ、キレる老人がこんなにも増えているのかと、今さらながら驚きました。それにしても、私自身が老人と呼ばれる年齢になりつつある今、なぜ老人がキレやすいのか、社会はもっと老人を大切にすべきだと、声を大にして叫びたいと思います。
年金額を増やせ、医療費をタダにしろ。どうですか、みなさん。ご一緒に叫び声を上げましょう。
先週の土曜日に天竜川下りをしました。おだやかな秋晴れの下で、小一時間ほど、ゆっくり広々とした天竜川に下っていきました。シラサギやアオサギが川辺にじっと立って小魚をとらえて食べる場面にも遭遇しました。飛ぶ宝石とも言われる鮮やかに青いカワセミ、黄色の目立つ可愛らしいキセキレイの姿も見かけました。柳川の川下りも情緒がありますが、天竜川下りもいいものです。徳川家康ゆかりの二俣城跡も川沿いにありました。川の中、時間はゆったり、のんびり過ぎていき、しばし心の洗濯ができました。名古屋の成田清弁護士のおかげです。お礼を申し上げます。
(2007年8月刊。1000円+税)
2007年11月 6日
さよなら、サイレント・ネイビー
著者:伊東 乾、出版社:集英社
オウムには、きちんと整合、首尾一貫した教義は存在しない。金剛乗仏教だと言っているが、主神とされるシヴァ大神はヒンドゥーの神様だし、ハルマゲドンはユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教の概念だ。典型的な新興宗教による教義の合金(アマルガム)。どんな非現実的なストーリーでも、自分たちは攻撃されているという被害者意識にとらわれたら、人は簡単に隘路におちこむ。
麻原が説く潜在意識は徹頭徹尾「孤独」だ。人間として受け容れ、あるいは受け容れられるという豊かな経験を一度も持つことがないまま歪んだ松本の欲望は、自分を神聖な存在=グルと位置づけることで、それこそ顕在意識レベルの解消を図ろうとする。
オウムの信者であった豊田亨は、東大でも最難関の物理学科を卒業した。その出家期間は、わずか3年にすぎない。オウム自作自演の「ハルマゲドン」を演出するために、東大卒の物理学者が必要だった。ただそのためだけの出家=拉致。いったん出家した後は、自身が関わってもいない「実験」の説明をテレビカメラの前でさせられたり、教祖に都合のよい会話の相手役をさせられたり、あげくの果てに、地下鉄に毒ガスを散布する実行役を押しつけられてしまった。
どうして、東大でも最難関の理論物理学教室に入って勉強していた優秀な人物が、あんなエセ宗教に身も心もささげて、殺人までしたのか、本当に不思議でなりません。この本は、豊田亨の同級生の著者がその点を追究しようとしたものですが、私には今ひとつよく分かりませんでした。
次に紹介するアフリカ・ルワンダの話は、すごいことだと思いました。出張したとき、私が福岡で見損なった映画『ホテル・ルワンダ』をたまたまビデオで見ることができました。権力を握った者の扇動によって大勢の人々が狂気にかられ、客観的には同じ民族を大量に虐殺していったというおぞましい事態のなかで、勇気ある人もいたという映画です。
1994年の4月から7月にかけて、アフリカのルワンダでは、たった3ヶ月間に、 100万人の人々が虐殺された。主な凶器は鉈(なた)。ということは、その実行にも 100万人規模の人間が関わったことを意味している。治安が回復して、これらの人間を裁かなくてはいけなくなった。でも100万人の人間を殺した100万人の人間を再びすべて死刑にしたら、虐殺を二度くり返すことになる。本当に国が滅びてしまう。実際には、100万人の犠牲者に対して、1996年に22人の虐殺指導者を処刑したにとどまる。
ルワンダ政府は、容疑者を4つのランクに分けた。第一は虐殺を計画した者、第二はそれを実行した者、第三は殺人は行わなかったが略奪などした者、第四は、自分の家族や財産などを守るために正当防衛した者。
第一ランクの容疑者だけで3000人をこえてしまう。全員の処刑など、現在の国際世論が決して許さない。これらの容疑者を裁くために、「ガチャチャ」と呼ばれる伝統的な裁判が大量に組織された。地域の信頼される長老を中心に16万人の裁判官が選ばれ、1万2000の法廷がつくられた。2005年現在も、毎週土曜日に法廷が開かれ、いまだ裁判は終わっていない。
ガチャチャは糾弾・断罪ではなく、和解と補償を勧めている。赦しは、ときに処刑より強い刑罰となりうる。すでに10万人規模の受刑者を抱えるルワンダの刑務所は、これ以上の犯罪者を収容できない。
虐殺に関係した多くの人々は、灰燼に帰した祖国の土を耕し、家を建て、外貨を獲得できる作物であるコーヒーを育てる。日々、生きるために労働しながら、虐殺の実行者たちは、自分の行為のトラウマから逃れることは終生ない。
すごく重い事実ですね、これって・・・。
(2006年11月刊。1600円+税)
2007年10月31日
自衛隊裏物語
著者:後藤一信、出版社:バジリコ
自衛隊は、総計24万人にも達する日本最大の国家公務員組織である。
任期2年の一般陸上自衛隊員の中で、ホンモノの手榴弾を触ったことのある者はほとんどいない。演習でつかうのは、模擬手榴弾であって、いくら乱暴に扱っても決して爆発しない。爆薬が入っていないから。
だから、日本の自衛隊は真の意味で軍隊ではない、軍隊もどき、でしかないのだと言った人がいます。同感です。幸いにも殺し、殺されることのない「軍隊」なのです。まあ、それでいいじゃありませんか。私は本心からそう思います。
自衛隊員の武器使用の要件は警察官職務執行法第7条に定められているとおり、防衛のものに限定されている。先制攻撃は許されない。
この本は、日本が自己完結した戦力を保有したとき、本当に日本の危機が減少するのか、という根本的問題を提起しています。私も、同じ疑問をもっています。武力をもてば自分の身を守れるというのではないことは、アメリカ社会を見れば証明十分です。そこでは殺人も強盗も日常茶飯事です。人々は平気で銃をもっているにもかかわらず、です。
防衛大学校生に支払われる毎月の学生手当は10万6600円。このほか、年2回の賞与もある。防大を卒業するときに任官を拒否する者が毎年30人ほど必ずいる。
自衛隊員には、抗命権、抵抗権が与えられていない。自衛隊は絶対階級社会である。しかし、虐殺などの人道に反する命令に対して、兵士が軍務を拒否できる抗命権を認めているフランスやドイツのような国がある。そのときには、抗命権の行使が正当であったか否か、軍事法廷で審議される。しかし、日本には憲法により軍事裁判所の設置が禁じられている。そして、自衛隊法によれば、敵前逃亡罪は7年以下の懲役または禁固刑でしかない。死刑になることはありえない。自衛隊を脱走する者は3〜5%。自衛隊の歩哨は実弾を一発ももっていない。その警備は丸腰のセコムに頼っている。
自衛隊員の自殺者は、1995年度に44人、98年度75人、99年度62人、00年度73人、1年度59人、02年度78人、03年度75人、04年度94人、05年度は93人だった。
自衛隊の自殺率39.56人は世界2位のロシアより高い。その多い原因は、いじめだ。
イラクに派遣された自衛隊の自殺者は陸自が6人、空自が1人の計7人。派遣された 5500人のうちの7人だから、きわめて高率だ。
自衛隊員は、日々、受動的な生活を送るため、指示がないと何もできない人間になってしまう。そして、自衛隊員の趣味は、圧倒的にギャンブル関係が多い。
タイトルに反して自衛隊の実情を知ることのできる、マジメな本です。
私は、憲法9条2項を廃止しようという自民党の提案には反対です。だって、アメリカの言いなりになって、ホイホイとイラクやアフガニスタンへ出かけて行って、世界と日本の平和と安全に役立つなんて、まるで嘘っぱちなことは明らかではありませんか。それにしても、自衛隊の現実を、弁護士会でもきちんと議論すべきだと思いました。
(2007年8月刊。1200円+税)
2007年10月30日
松岡利勝と「美しい日本」
著者:長谷川 煕、出版社:朝日新聞社
現職の大臣が自殺したというのは、終戦の日に陸軍大臣が切腹した以外にはない。なぜ、こんな人物(といっても国民から選ばれた代議士ではありますが)が大臣に任命され、また、安倍首相(当時)が最後までかばっていたのか、まるで分かりません。世の中のことに理解できないことは多いのですが、これもその一つです。
実は、私は農水省の地下にある売店を何回も利用したことがあります。先日、腕時計が止まったので、買いに行ったところ、地下の売店のほとんどがなくなっていました。本屋とコンビニはありましたが、農産物は扱っていませんでした。この本によると、肉も扱っていたようですが、それも一つの利権になっていたとのこと。びっくり仰天です。
今も理容店がありますが、その奥にある畳敷きの和室で、農水省の有力幹部が酒盛りして、人脈を形成していたというのです。いやあ驚きました。
業者の間だけでなく発注者の公共機関が主導するかそこに加わる「官製談合」は、林野庁の外部、天下り機関のみならず、林野庁自身で日常化している。
さまざまな事実が、林野庁自身の「官製談合」を指示しているとしか言えない状況がある。選挙支援もふくめて林野庁一家が担ぎ上げてきた林野庁出身の松岡利勝議員の命令によるいわば「命令談合」としか理解できない場合もあるし、松岡議員の意中を忖度(そんたく)した「忖度談合」もあった。
農水省は、法、道理、公正、倫理、あるいは常識といった、人間社会を成り立たせている基本原理に照らして運営されている組織ではない。松岡議員は、その環境に19年間いて、この役所の表裏をよく勉強した。
その典型例が1994年、村山内閣のとき、ウルグアイ・ラウンド合意への対策費として6兆100億円が支出されたということ。この6兆100億円は何のためにつかわれたのか、どの作物の生産性を高めたというのか、支出明細も効果も何ら公表されていない。官僚たちの手で、好き勝手に、どこかに6兆100億円は雲散霧消してしまった。
うむむ、なんということを・・・。とても信じられません。でも、そうなんでしょう。ひどい話です。まったく許せません。
奇々怪々。これは魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界です。
談合で受注したら、その会社は受注額の5〜10%を担当秘書に渡す。現金の直接手渡しで、領収書はない。金額は指示される。
建設業者が、どことこの工事が欲しいと頼みに来ると、松岡議員は初めに100万円単位の玄関代をとる。
死者にムチ打つようなことはお互いにしたくはありませんが、いやあ、これほどひどかったのか、改めて認識させられました。でも松岡代議士のあと、誰かが今も同じようなことをやっているのでしょうね。それまた許せません。プンプンプン、怒りがわいてきます。
土曜日に飫肥に行ってきました。宮崎から1両のワンマンカーに乗って1時間以上かかりました。飫肥駅の前には何もありません。飫肥城まで歩いて20分ほどです。秋晴れのいい天気で、暑いほどでした。
城下町なのに、なぜか道は真っすぐです。道端には大きな錦鯉が泳いでいました。藩主の私邸に入ると、庭にたくさんのメジロが群がっている大きな木がありました。少し大き目の赤い実を食べているのです。高さ5メートルもあろうかというキンモクセイの木があり、たくさんの黄色い花を咲かせていました。ところが、まだ例の甘い香りを漂わせていないのです。時期が早いのでしょうか。
喫茶の看板につられて、大きな邸宅に入ってひと休みしました。予約した観光客が座敷で食事をするところのようです。コーヒーを頼むと、可憐な草花が添えられて出てきました。
お昼はやっぱり飫肥天うどんです。熱々の飫肥天が出てきました。そして、有名な飫肥の厚焼き卵も頼みました。これが卵焼きとはとても思えません。まるでプリンです。帰りに、おばあちゃんが1人でやっている店に立ち寄り、大きな厚焼き卵をお土産に買って帰りました。
日露戦争後のロシアとの交渉やポーツマス条約締結で外相として活躍した小村寿太郎は、飫肥の出身です。
(2007年7月刊。1200円+税)
2007年10月29日
渥美清
著者:堀切直人、出版社:晶文社
私が『男はつらいよ』を初めて見たのは、東大闘争(世界からは大学紛争と言われていますが、それに積極的に関わったものとしては、紛争と言いたくはありません)が終わった年(1969年、昭和44年)の5月祭のとき、法文25番大教室だと思います。窓まで学生が鈴なりでした。みんなで大笑いしました。でも、人間の記憶って、あてにはなりません。これも私の思いちがいかもしれません。私の脳裏にあるところではそうだ、としか言いようのない話です。
『男はつらいよ』を私も全部みたというわけではありませんが、その大半はみています。銀座の封切り館でみたときには、下町の場末の映画館のような観客のどよめきに乏しく、ああ、やっぱりこの映画は銀座じゃなくて、下町でみるものなんだと思ったことを覚えています。福岡に戻ってきて、飯塚の、それこそ場末の映画館で、弁護士仲間と一緒にみたこともあります。同じようなボロっちい旅館(ごめんなさい。老舗の高級旅館ではないという意味だと理解してください)が画面に登場して、それだけでワハハと大笑いしたこともありました。お正月は、実家に顔を出したあと、子どもたちと一緒に映画を楽しんでいました。だから、一家で夏にヨーロッパへ出かけようとしたときに渥美清が亡くなったことを知って、一家をあげて哀悼の意を表しました。これは本当のことです。
この本の著者は私と同じ生年です。私はテレビ版の『男はつらいよ』をみた覚えがありません。テレビの『男はつらいよ』が終了したのが1969年3月といいますから、そのときには私は大学2年生でした。学生寮に入っていて、東大闘争のさなかにテレビで放映されていたようですので、私が一度もみたことがないのも、ある意味では当然です。学生寮(駒場寮)では、どこかにテレビはあったと思いますが、6人部屋で友人たちとダベリングに忙しくて、また、それが楽しくてテレビなんか全然みていませんでした。その体験があるので、今もテレビなしの生活で何ひとつ不自由も不満も感じないのだと思います。
渥美清は1969年3月、41歳のとき25歳の女性と結婚したそうです。しかし、渥美清は、私生活を完全に隠し通しました。自分が死んだときにも、奥さんに雲隠れさせ、長男に対応させたというのですから、徹底しています。碑文谷に自宅があり、代官山のマンションを自分の部屋としていたそうです。日常生活から役者になりきるためには、いったん、その部屋に行って自分の身体に染みついた家庭人の匂いを消し去り、役者としての自分を取り戻し、車寅次郎になりきろうとしたというのです。すごいことです。68歳で死ぬまで、役者人生をまっとうした渥美清を心より尊敬します。というか、何度も何度も楽しませてくれたことに感謝したいと思います。
この本によって渥美清の実生活をいくつか知ることができました。
渥美清は昭和3年3月10日に東京の上野駅近くで生まれた。父親は若いころは地方新聞の政治記者をしていた。母親は高等女学校を出て、小学校の代用教員もしたことがある。宇都宮藩士の娘であることに誇りをもっていた。兄は秀才で、文学者を志望して小説やエッセイを書いていたが、25歳の若さで肺結核のため病死した。要するに、渥美清の家は東京の下町にあったが、地方出身者の夫婦を中心とするインテリ一家であった。
渥美清は小学校ではまったくの落ちこぼれ生徒だった。小児腎炎、関節炎で、それぞれ1年休学している。学業成績はいつもビリから2番目。しかし、そんな彼にもたったひとつ才能があった。人を笑わせることだった。渥美清の面白おかしい話の最初の聞き手は母である。母は内職の手を休めず息子の話を熱心に聞き、その話を心底楽しんだ。
やはり偉大なるもの。その名は母、ということです。
渥美清は中学にも大学にも行っていない。尋常小学校を卒業したあと、14歳で町工場に就職し、それから、古着屋、洋品店、本屋の店員、石けん工場・セルロイド工場の工員、倉庫番、行商などの職についたが、どれも長続きしなかった。一時期ぐれて、上野の地下道あたりをうろつき、酒と博打とケンカに明け暮れた。ヤクザ組織にも関わったことがある。テキ屋仲間に加わり、正式な盃こそもらっていないが、霊岸島枡屋一家に身を寄せ、その配下の者にくっつき、上野のアメヤ横丁の一角でタンカ売の手伝い、サクラをした。浅草で芸人になってからもタンカ売を実際にしたこともある。
ひゃあ、そうだったんですか。道理で、真に迫った口上だと思いました。下積み生活のときにはM・K子と同棲生活を続けていました。でも、渥美清が有名人になったとき、M・K子のほうが身を退いたという話です。
渥美清は、舞台に出る前に、強い焼酎を一気にあおった。酒が回ればまわるほど舞台での口調はメリハリがきいて、一般と歯切れがよくなり、アドリブが次々と飛び出してきた。
映画の『男はつらいよ』シリーズは、山田洋次と渥美清の共同作業によってつくり上げられたものである。山田洋次は、このシリーズのなかに、落語的な描写のセリフとテキ屋的な言葉のアクロバットを両方巧みに盛りこんだ。渥美清は、その両方を見事に語り分けた。うむむ、なーるほど、鋭い分析です。感心しました。
(2007年9月刊。1900円+税)
2007年10月25日
靖国問題Q&A
著者:内田雅敏、出版社:スペース伽耶
この夏、私は知覧にある特攻記念館を久しぶりに訪れました。そこには、第二次大戦の最末期に特攻出撃して亡くなった若者たちの写真や遺書などが展示されています。広い講堂で、彼らの最期の様子を写真で示しながら語り部のおじさんの話も聞きました。見学した人びとが涙するところです。
でも、ここには、大西海軍中将が「統率の外道(げどう)」と批判した無謀な特攻作戦について、それを命じた軍指導者の責任を問うような展示も説明も見かけません。私はまだ行ったことがありませんが、靖国神社にある遊就館も同じだそうです。
戦争末期、軍幹部らは撃ち落とされることがわかっていながら、本土防衛のための時間かせぎ、国体護持のための温存という名目で、海軍兵学校、陸軍士官学校出の職業軍人には特攻をさせず、もっぱら学徒・少年兵を次々に特攻出撃させた。
それも速成で技量も十分でなく、しかも満足に飛べないような整備不良の飛行機で出撃させ、敵艦に近づく前にほとんどが撃墜された。
日本軍の残虐性を象徴しているのは、特攻だ。みんな志願して特攻にのぞんだと言われているが、上官に命令されたのだ。上官の命令は天皇の命令であり、志願しないとぶん殴られるから出撃する。
この本は、39の問いに対する答えを示すという問答方式によって靖国神社をめぐる問題点を実に分かりやすく解説しています。著者は日弁連の憲法委員会などで活躍している弁護士です。私も最近、知りあいになりました。
靖国神社は、国内法的に「戦犯」というものは存在しないという見解に立つ。しかし、このような見解は国際社会において容認されるものではない。
河野洋平衆議院議長は次のように語った。
「世代の問題ではなく、事実に目をつぶり、『なかった』と嘘を言うのは恥ずかしいこと。知らないのなら学ばなければならない。知らずに、過去を美化する勇ましい言葉に流されてはいけない」
まことにもっともな指摘です。
元軍人の遺族年金の支給については、いまなお「天皇の軍隊」の階級がそのまま生きているという指摘に驚かされました。まさに帝国陸海軍は現代日本に息づいているのです。1994年に、大将だった人の最高額は年間761万円。一般兵の最近は年104万円。7倍もの差がある。2004年に、大佐で年285万円、一般兵で59万円だった。ところが中国「残留」孤児に対しては自立支度金として、わずかな一時金(大人で32万円)。
後藤田正晴元官房長官は次のように言った。
「一国の総理(小泉首相のこと)が、今になって国会の答弁の中で、孔子様の言葉だと言って『罪を憎んで人を憎まずということを言ってるじゃないですか』なんて言うようではどうしようもない。それは被害者の立場の人が言うことで、加害者が言う言葉ではない。そういう意見が国会の場で横行するようになっては、日本という国の道義性、倫理性、品格を疑ってしまう」
そうですよね。小泉前首相に品格なんて全然ありませんでした。
中国との戦いに敗れたということを認めないまま総括を誤ってきたのが、戦後の日本であり、日本人の戦争観の根本的な問題がそこにある。
日本はアメリカとの戦いで164万人の兵力を投入した。しかし、同じとき中国にはそれより多い198万人もの兵力が配備されていた。このように中国戦線の比重は非常に大きかった。ところが、あの戦争はアメリカの物量に負けたと総括することで、日本の侵略に抵抗した中国やアジアの人々の存在を忘れることにしたのだ。
うむむ、これは鋭い指摘だと思います。私も大いに反省させられました。
中曽根康弘元首相は靖国神社に初めて公式参拝した。しかし、中国や韓国・朝鮮など近隣アジア諸国から厳しい批判を受けて、以後、参拝を取り止めた。
「やはり日本は近隣諸国との友好協力を増進しないと生きていけない国である。日本人の死生観、国民感情、主権と独立、内政干渉は敢然と守らなければならないが、国際関係において、わが国だけの考え方が通用すると考えるのは危険だ。アジアから日本が孤立したら、果たして英霊が喜ぶだろうか」
後藤田氏も中曽根氏も、まことにもっとも至極な考えを述べています。同感です。靖国問題について、保革いずれの支持者であるにかかわらず、勉強になる本だと思いました。
(2007年5月刊。1500円+税)
2007年10月24日
プロパガンダ教本
著者:エドワード・バーネイズ、出版社:成甲書房
80年前(1928年、昭和3年)に書かれた本です。ちっとも古臭くなっていないのは、ギリシャ哲学、そしてマルクスやレーニンの書いた本と同じです。
ナポレオンは世論の動向を常に警戒していた。いつも人々の声、予想のつかない声に耳を傾けていた。ナポレオンは次のように語った。
なによりも私を驚かすものが何だか分かるか?それは、大衆に耳を傾けることなく、力づくでは何一つまとめることができないということだよ。
なーるほど、軍事の天才ナポレオンにして、そうなのですね。
万人の読み書き能力が、精神的高みのかわりに人々に与えたものは、判で押したように、画一化された考えだった。
うむむ、これは鋭い指摘です。知性と画一化とは両立しないはずなのですが・・・。
そもそもプロパガンダとは、国外伝道の管理と監督のために、1627年にローマで制定された枢機卿の委員会と聖者に適用されたものだ。
辞典によると、プロパガンダには四つの定義がある。その一は、国外伝道を監督する枢機卿の委員会。また、1627年にローマ教皇ウルバヌス8世によって、伝道師の司祭を教育するために創設されたローマのプロパガンダ大学。布教聖省の神学校のこと。
その二、転じて、教義や制度などを普及することを目的とした団体や組織。
その三、意見や方針に国民一般の指示を取りつけるための、系統立てて管理された運動。
その四、プロパガンダによって唱えられる主義。
このように、プロパガンダとは、本来の意味においては、人類の活動のまったく正当な形である。
私たちが、自由意思で行っていると考えている日常生活における選択は、強大な力を振るう実力者によって、姿の見えない統治機構による支配を免れない。
たとえば、人は自分の判断にもとづいて株式を購入していると何の疑問も持っていない。しかし、実際には、彼のくだす判断は、無意識のうちに彼の考えをコントロールする、外部から与えられた影響によって形づくられたイメージにもとづいている。
大衆というものは、厳密に言葉の意味を考えるのではない。厳密な思考ではなく、衝動や習慣や感情が優先される。何らかの決定をくだすとき、集団を動かす最初の衝動となるのは、たいてい、その集団の中での信頼のおけるリーダーの行為である。これが大衆にとっての手本となるのだ。
ある物をその人が欲しがっているということは、その物に備わっている本質的な価値や有効性のためではなく、無意識に別の何かの象徴、すなわち、自分自身では認めたくない欲求をその物の中に見いだしているからである。
人間は、ほとんどの場合、自分でもわからない動機によって行動している。
人間は、芸術や競争や集団や俗物根性、自己顕示欲という要素にしばられて生きている。
このバーネイズの著者は、ナチス・ドイツのヨゼフ・ゲッペルス宣伝大臣に愛読された。プロパガンダというと、ナチス・ドイツに本場があると思いがちだが、実はアメリカで生まれたもの。ユダヤ人を迫害したナチスのプロパガンダが、実はユダヤ人のバーネイスによって編み出されたというのは歴史の皮肉だ。
現在のテレビ番組がシリアスな内容を避け、お笑い番組だけを延々とゴールデンタイムに流し続けるのは、企業側に対する配慮である。
今の日本ではニュース番組までもがバラエティ番組化している。テレビは、書籍やインターネットと違って、ながら見ができるので、自然にものを考えないように大衆の脳がつくりかえられていく。
これって、ホント、恐ろしいことです。でも、多くの日本人がそれに気がつかないまま、無責任男の安倍首相から交替した福田首相の誕生を6割もの人が歓迎しているのです。こわい話です。
(2007年7月刊。1600円+税)
2007年10月16日
官邸崩壊
著者:上杉 隆、出版社:新潮社
自公政権のもろい内幕が赤裸々に暴かれています。こんな人たちに日本の国の前途をまかせているのかと思うと、鳥肌が立つほどの肌寒さを覚えます。
参院選のとき、演説会場での応援が終わるたびに、首席秘書官の井上義行は、安倍のもとに駆け寄った。そして車に乗りこむと同時に、こうささやいた。
総理、すごい人出です。私はこんな群衆を見たことがありません。総理の人気はホンモノです。移動中の電車内、飛行機の待ち時間、井上はあらゆる場所で安倍をほめたたえた。
首相側近は、たしかに自らの役割を果たした。どんなときでも安倍を不安にさせないこと。井上はこの重要な任務を完遂した。だが、残念なことに、本来の意味での仕事はしなかった。いかなるときでも首相に正確な情報を伝達するという仕事を。この意味で、井上は健全な任務を果たしたとは言い難い。
安倍の本『美しい国へ』は50万部をこえる売上げを誇った。これは、政治家本として、田中角栄の『日本列島改造論』、小沢一郎の『日本改造計画』に次ぐ売り上げだ。
その本のなかでうたいあげた憲法改正、とりわけ9条の改正の実現は、安倍の悲願である。安倍は2006年4月15日早朝、靖国神社に極秘のうちに参拝した。8月3日、NHKがそれをスクープ報道した。タイミングを見計らった安倍が、秘書官の井上と綿密に計画を練ったうえで、NHKと産経新聞のみにリークしたのだった。
ええーっ、安倍って、こんな姑息なことをしていたのですね。こんなこすっからいことをする人間なんて、首相の器じゃありませんよ。
次の2人の女性議員の経歴が紹介されています。テレビを見ない私には広告塔と言われても、もうひとつピンと来ません。彼女らの節操のなさは特筆されるべきでしょう。
山谷えり子(参議院議員)は、もとは産経新聞の記者で、民主党の比例議員だったが、のちに保守新党に参加し、カトリック信者でありながら靖国神社への参拝を強硬に主張する。夫婦別姓の推進論者だったのが、いつのまにか反対論者に変身した。
小池百合子(衆議院議員)は、細川護煕の日本新党の広告塔として活躍していたが、いつのまにか小沢一郎の新進党の顔になった。そして小泉純一郎のときには環境大臣になり、安倍首相の側近として国家安全保障担当補佐官となり、防衛大臣になった。小池は1992年の初当選以来、その政治生活のほとんどで、権力の中枢に身を寄せてきた恐るべき議員である。一言でいうと、人気とりだけはできる、嫌味な人間ということでしょう。戦国時代の武将にも、そういう人物がいましたね・・・。
やらせ問答で有名になったタウンミーティングに政府がかけた費用は、なんと9億 4000万円。電通が請け負っています。48回分ですから、1回あたり2000万円です。これを税金のムダづかいと言わなくて、どうしますか。でも、このような場合、住民訴訟のような制度は残念ながら、ありません。
塩崎官房長官と広報担当の世耕は、お互いに情報を秘匿しあい、個別に安倍に報告する。そこに秘書官の井上までからんで、複雑は一段と増した。安倍政権の二人の広報担当者は、官邸でわずか数十メートルしか離れていないが、意思の疎通がなかった。官邸内の情報は一本化されず、政権のプロデューサーを自任する井上は、施政方針演説をめぐってまで、世耕と対立していた。
広報担当の世耕は、自ら2度にわたって自分の仕事を自画自賛したことから、広報関係者の間での世耕の株価は一挙に暴落した。一夜にして切れ者から愚か者に墜ちた。
はじめ、井上は誰かれ構わず、怒鳴りつけていた。議員である塩崎や世耕に対してさえ横柄な態度をとるのは日常茶飯事だった。
キャリア官僚からすれば、ノンキャリア出身の井上に指示されること自体が耐え難いことだった。そうした空気を読まず、井上はこりずに官僚たちを怒鳴りつけた。同じことを自民党本部の職員にもした。井上の評判が悪くなるのは当然のことだった。
教育再生会議は、国家行政組織法8条によって設置された、いわゆる8条委員会である。より強力な権限をもち、答申を出す3条委員会とは違って、その結論はなんら拘束力をもたない。その事務局長が自民党の参議院議員になるなんて、ひどいものです。
安倍政権では誰もが友だち感覚で、小泉政権時にあった緊張関係は消えうせていた。
支持率の低迷する安倍政権を何とか支えていたのは警察中の漆間(うるしま)長官である。拉致問題一本で首相になった安倍にとって、漆間は頼りになる数少ない側近の一人だ。漆間は、政権内での発言力を背景に政治力を強め、外務事務次官の谷内とともに安倍に欠かせない官僚ペアになった。天下りが規制されてもっとも困る役所の一つは警察庁なのである。
フジテレビ、産経新聞、夕刊フジのフジサンケイグループは安倍政権の特務機関と言われていた。
いやあ、うすら寒いどころではありません。その馬鹿さ加減には、背筋が凍りついてしまいます。実にグッド・タイミングな本でした。それにしても、安倍のあとの福田首相の支持率が6割だなんて、日本人はいったい何を考えているんでしょうね。まったく同じ自公政権に期待する人が6割もいるなんて、私にはとても信じられません。
(2007年8月刊。1400円+税)