弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2007年9月13日
ビキニ事件の表と裏
著者:大石又七、出版社:かもがわ出版
1954年3月1日、アメリカは中部太平洋のビキニ環礁で、広島型原爆の1000倍といわれる15メガトンの巨大な水爆実験を行った。
環礁に、高さ50メートルのやぐらを組んで水爆を置き、午前6時45分に点火した。爆発と同時に直径4〜5キロメートルの巨大な火の玉があがり、珊瑚礁の小島を蒸発させた。それらの粉じんは、強力な放射能を含み、キノコ雲となって3万4000メートルの高さにまで上昇した。あとには、深さ60メートル、直径2000メートルの大穴があいた。その海域でマグロ漁をしていた第五福竜丸は、乗組員23人全員が被爆した。
被爆した船は第五福竜丸だけではない。政府が把握しただけでも856隻。およそ 1000隻に及ぶ。
そのとき、サアーと夕焼け色が空いっぱいに流れた。左舷の水平線から一段と濃い閃光が放たれた。
12、3分が過ぎたころ、空は明るくなり、西の水平線上に入道雲を5つ6つ重ねたような巨大なキノコ雲が空を突いていた。
2時間ほど過ぎたころ、白いものが空からぱらぱらと降りはじめた。ちょうどみぞれが降ってきたという感じだった。
やがて風を伴い、雨も少しまじってたくさん吹きつけてきた。目や鼻、耳、口など、そして下着の内側に入り、チクチクと刺さるような感じで、イライラした。
みんな目を真っ赤にして、こすりながら作業した。水中眼鏡をかける者もいた。鉢巻きをした者は頭の上に白く積もらせ、デッキの上には足跡がついた。唇につくものをなめてみると、溶けないので、砂をなめているようにジャリジャリして固い。熱くもないし、匂いも味も何だろう。
知らないとは恐ろしい。強力な放射能のかたまりをなめたり、かんだりしていた。
近くの危険区域で何かが行われた。アメリカ軍の大事なものかもしれない。それをオレたちは見てしまった。秘密のことなら、当然、アメリカ軍の軍艦や飛行機、潜水艦も近くにいるはず。見つかったら大変なことになる。見えたら、すぐに焼津に無線をうつ。見えるまでは打たない。うっかり打てば、自分たちがここにいることをアメリカ軍に知らせてしまう。見つかったら間違いなくアメリカ軍に連行される。へたすると沈められてしまう。
第5福竜丸は、なんとか逃げ切り、3月14日、焼津港に帰り着いた。翌々日、3月16日、読売新聞がスクープで報道した。
日本の医師団は、灰にふくまれている放射能がどんな性質のものか、治療に役立てるため教えてほしいとアメリカに求めた。しかし、アメリカは軍事上の機密だといって、何も答えなかった。そこで日本の科学者たちは、灰を独自に分析した。その結果、アメリカの最高軍事機密である水爆の構造まで解明した。
水爆の構造とは、中心に原爆を起爆剤として置き、点火して核分裂を起こす。そこで 7000万度以上の超高熱をつくり、その外側にある重水素リチウムに核融合を起こさせる。これが水素爆弾だ。そして、水爆ブラボーは、そのまた外側を大量の天然ウランで包んでいた。そこに高いエネルギーの中性子がぶつかり、ウラン238が核分裂を起こすとともに、膨大な量の死の灰、ウラン237がつくり出された。これが汚い放射能だ。
だから、アメリカは何も教えなかった。日本の科学者が解明したことによって、結果的には世界中が知ることになり、良かったと言える。
この被爆事件について、アメリカ政府と日本政府が極秘のうちに手打ちしていた関係書類が最近公開された。200万ドル(7億2000万円)で決着が図られた。日本政府はその見積もりでも25億円に達していた被害総額を知りながら、その4分の1程度で早期に幕引きし、「アメリカの責任を今後一切問わない」とした。ひどーい、許せませんよね。
ところが、大石さんらに対して、日本国民の一部から怒りの目が向けられました。騒ぎを起こしたうえに見舞金をもらって、まだ生きている・・・。
なんという妬(ねた)み心でしょう。最近のイラクにおける日本人人質に対する自己責任を口実とする非難の大合唱を思い出させます。心の狭い人が日本人に少なくないって、本当に残念ですよね。
大石さんは、今も、元気に被爆体験を語る活動を続けておられます。今後とも、お元気にご活躍されることを心から祈念します。
(2007年7月刊。1500円+税)
2007年9月11日
偽装請負
著者:朝日新聞特別報道チーム、出版社:朝日選書
偽装請負の実態は、労働者派遣そのもの。しかし、請負契約を装っているので、労働者派遣法の制約は、すべて無視する。たとえば、派遣労働者だったら、一定の年限がきたら直接雇用の申し込み義務が発生するが、請負なので申し込まずに、同じ労働者を何年も都合良くつかうことができる。
製造請負を管轄する役所がないので、偽装請負は野放しで増え続けた。仕事がヒマになれば、請負契約を打ち切って、一度にごそっと労働者のクビを切れる。不要の労働者を名指しでクビにする指名解雇も簡単。請負会社に一言、あいつを代えて、と言えば、次の日には別の労働者に変わっている。メーカーの正社員と会社が結んだ残業時間の協定にもしばられない。
生産量にあわせて、労働力を増やしたり減らしたりできる偽装請負は、メーカーにとって麻薬のように危険で魅惑的だった。いったん使うと、中毒を起こし、手放せなくなる。
健康管理や安全管理のほとんどを請負会社まかせにできるのも、メーカーにとって、ありがたい。自分の工場内で起きた労災事故であっても、その処理一切を請負会社がするものだから、メーカーの負担はない。
日本経団連の御手洗会長はキャノン。キャノンはひどい偽装請負を続けて恥じない。大分キャノンで違法な偽装請負が行われていたことが、2005年、労働局の調査で発覚した。請負会社は、本来、独力で生産できる自前の設備やノウハウをもたなけらばならない。メーカーから、生産設備をタダで借りることは、モノづくりの能力を偽装するのと同じこと。適正な請負であれば、製品の出来高に応じて請負会社に代金を支払う。しかし、大分キャノンでは、実際に働いた人数と時間で支払額を決めるという契約だった。
大分キャノンでは、朝日新聞の指摘したあとも請負労働者が増え続けた。2006年12月末、はたらく労働者は7000人。半年で1000人増えた。しかし、その大半が請負労働者だった。7000人のうち、7割の5000人が請負会社に雇われ、キャノンのために働いている。
御手洗会長は、会長になる前、キャノンは人間尊重主義をとると高言しました。
私は企業には社会的責任があると思う。人類との共生が企業の理念だ。人を大事にしろということ。キャノンは終身雇用という人事制度をとっている。
御手洗がキャノンの経営者として終身雇用、人間尊重主義を説くことと、請負労働者を出来高払いで「採用」し、使い捨ての労働者を「雇う」のは矛盾しないか。
御手洗は、その点を質問され、「全然、矛盾しない」と答えた。問題の労働者は、「うちの社員じゃないから」という理由だ。しかし、偽装請負は、れっきとした犯罪行為である。単なる企業倫理の問題ではない。
ところで、製造工程のラインごとに指揮命令のできない一群の作業員がいて、本当に高い品質の製品をつくれるのか、はなはだ疑わしい。
御手洗は、経済財政諮問会議で、請負法制には無理がありすぎるから改正すべきだという趣旨の発言しました。自ら違法行為をしておきながら、法律のほうを変えればいいんだというのです。まさに開き直りです。およよっ、と驚いてしまいました。人間尊重のカケラもそこにはありません。大企業の利益こそ万能であり、最優先すべきだというのです。
こんな人が財界トップというのでは、日本の将来は、お先まっ暗です。アメリカに長く住んで大変苦労したと聞いていましたし、人間尊重・終身雇用を守るというので期待していたのですが、まったく裏切られてしまいました。私も、まだまだ人を見る目がなかったようですね。トホホ・・・。
わが家のすぐ下の田圃では黄金の稲穂が頭を垂れはじめています。収穫の秋は、もうすぐです。庭に鮮やかな紅色の曼珠沙華が咲いています。酔芙蓉の花もようやく咲きはじめました。道端に白い見事なススキの穂を見かけました。昼には真夏の暑さが残っていますが、朝夕はめっきり涼しくなりました。子どもたちの運動会のシーズンが近づいています。
(2007年5月刊。700円+税)
2007年9月10日
加賀屋の流儀
著者:細井 勝、出版社:PHP研究所
プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選で、26年間にわたって総合1位を獲得しているという旅館があります。石川県の和倉温泉にある加賀屋です。
私も、ぜひ一度行ってみたいと思っていました。昨年秋、加賀屋そのものではなく、その系列の「あえの風」旅館に泊まり、夕方、加賀屋を見学に行ってきました。木造の日本式家屋を想像していたのですが、実際には鉄筋コンクリート造りの高層旅館でした。泊まったわけではなく、せいぜい館内の土産品店をのぞいて少々の買い物をした程度で退散したのですが、人気ナンバーワンの香りだけはかいだ気がしました。
加賀屋に行くのは決して簡単なことではありません。石川県能登半島の東側にある七尾市に和倉温泉はあります。はっきり言って、とってもへんぴな場所にある旅館です。ところが、年間の宿泊者はグループ2館で33万人。246の客室の稼働率が80%を上まわるというのですから、すごいものです。
和倉温泉に来るお客は年間100万人。そのうち加賀屋グループ2館に3分の1の33万人が泊まる。和倉温泉の他の旅館は閑古鳥が泣き、地元商店街は閉店に追いこまれているという話を地元の弁護士から聞きました。加賀屋の繁栄は和倉温泉全体の底上げにはつながっていないようです。難しいところですね。
客室係はマニュアルどおりに動くのではない。彼女たちは、お客を大浴場など館内を説明しながら客室に案内するまでに一人ひとりの客の背丈や身幅をそれとなく目測し、5センチきざみでそろえてある浴衣のなかからピタリと客の体にあうサイズの浴衣を選んで部屋へもってくる。
加賀屋の客室係は165人。加賀屋に泊まると、夫婦2人だと10万円を見込む必要がある。だからこそ、求められるサービスの質は高く、サービスの種類も大きくなる。
なーるほど、ですね。
加賀屋は巨大旅館です。そのピーク時には一晩で1000食を調理し、供給する。そこで、料理のロボット搬送システムがあって、間違わない仕組みが出来あがっている。
1500人ほどの収容能力をもつ加賀屋敷蒲団は3000枚。冬用と夏用がそれぞれいるので、常時6000枚という蒲団が必要。冬用の座蒲団は3000枚。夏用が1500枚。宴会場でつかう座蒲団が1000枚。ひえーっ、いずれもケタ違いです。
土産物を売る売店が扱う商品は2100。旅館の売上げも全国ナンバーワン。加賀屋は、年に5回、3種類ずつ、部屋に出すお菓子を季節ごとに変えている。物販課のオリジナル商品だ。これは、すごーい。だから、土産物を売る店の実績単価は1人4000円を下回らない。うむむ、なんということ。これも、すごい、すごーい。
一人ひとりのお客を大切にするという加賀屋は、実は、従業員をとても大切にしていると書いてあります。それが本当なら、すごくいいことですよね。そこで働く人が気持ちよく働いていれば、迎えられるお客も心が安まる空間が自然にできあがることでしょう。
従業員のサービスがいかにもマニュアルどおりというホテルにぶつかると、いやなものです。私の定宿の一つとしている大きな外資系ホテルは、それこそ20年以上も通っていて、そこのゴールドカード会員になっているのに、このところホテルでチェックインするたびに、クレジットカードの呈示を求められます。まさしくマニュアルどおりです。誰でも一律にマニュアルを適用されると不愉快ですよね。それでも私がそこに泊まり続けるのは、朝6時からプールで泳げるからです。なぜか私の知る限り、内資系ホテルで、そんなに朝早くから泳げるところはありません。
(2006年9月刊。1680円)
2007年9月 6日
プロになるための文章術
著者:ノエ・リュークマン、出版社:河出書房新社
書き出しの何ページかを仔細に読めば、全体の見当がつく。1ページ目にとんちんかんな会話があれば、その先、どの頁にもきっととんちんかんな会話があると思っていい。
書き出しの5ページをお粗末と思ったら、念のため中ほどへ飛び、さらに巻末を見る。都合3ヶ所を拾い読む。これで原稿は評価できる。
なーるほど、たしかにそうでしょう。といっても、私の文章については、ぜひ最後まで読んでください。お願いします。
文章家として高度の水準を達成するために何にもまして重要なのは自信である。正面から創造の世界へ足を踏み入れる揺るぎない自信がなくては物書きはつとまらない。
いやあ、そう言われてもですねー・・・。私には、自信なんて、ありませんよ・・・。うーん、困りました。
もちこまれた原稿を没にするのにもっとも手っ取り早い方法は、形容詞と副詞の多用、誤用を洗い出すこと。
形容詞や副詞を多用する書き手は、ともすれば表現が月並みである。
形容詞や副詞に重複があると、一つだけ残してほかは削る。そのとき、もっとも印象の強い、新鮮な語彙を活かすようにする。
修飾語なんか必要としないだけの迫力がある的確な名詞や動詞をつかいたい。推敲にあたっては、単語ひとつ削れば100ドルの得と思うくらいの気構えが必要である。
物書きのたしなみとして、語彙は豊富であるべきである。
言葉は物書きの道具である。言葉に精通していない物書きは道具箱に利器をもたない職人に等しい。語彙を増やすのは物書きのつとめと心得なければならない。
実は、ここで操觚(そうこ)という漢語がつかってありました。私の知らないコトバです。岩波の国語辞典にのっているはずはない。そう思って引いてみると、なんと、あるのです。無知とは恐ろしいものです。変な自信があったのですが、バッサリ切られてしまいました。詩や文章をつくること、とあります。
ただし、著者は次のように忠告します。新しい語彙を取り入れるのは大いに結構だ。だけど、それを日常会話や習作でしっかり身につけるのが肝腎であり、覚えたばかりの言葉を右から左へ作品につかうのは考え物だ。日頃つかい慣れない借り物のコトバで文章を書くべきではない。板についていない言葉は、たちまちメッキが剥げる。
偽らざるところ、原稿を没にするにあたって、まずどこを見るかと言えば、会話である。会話は作者の力量を容赦なくあぶり出す。会話は感性の鏡である。
会話を情報提供の手段として用いると、登場人物の輪郭があいまいになり、人間関係の起伏、陰翳を損なって、ときには作者自身さえ虚をつかれる人物の成長や、物語の意想外な発展を妨げる。
会話を情報手段に用いる作家は、えてして筋立て優先で、それ以外には神経が行き届かない。
会話が現在進行中の出来事を伝えるときは、「語る」のではなく、「見せる」ことが鉄則だ。登場人物に感情移入し、その立場で考えることが肝腎だ。人物は作者の創造だが、ひとたび動き出した人物を、作者は放任しなくてはならない。
うむむ、そうなんですよね。私もいま体験をもとにした小説を書いていますが、ひとたび創り上げた登場人物は、ペンの思うまま走り出していって、作者といえども止めることができないというのを何度も実感しています。
作家は、すべからく会話のほかに感情や心理を伝える技法を身につけるべきである。そうなんです。実は、これが難しいんです。
原稿とは、実に複雑怪奇で油断のならない曲者である。読者に多少の努力を強いることは必要だが、その努力が重荷になってはいけない。読者がページを繰り続けるようでなくてはならないが、気忙しく追い立てるのも好ましくはない。
うへーん、やっぱりプロになるのは難しそうです・・・。
(2007年6月刊。1890円)
2007年9月 5日
なぜ社員はやる気をなくしているか
著者:柴田昌治、出版社:日本経済新聞出版社
80年代半ばころから、日本の会社では職場の様子が変わっていった。机を並べた同僚どうしの雑談も含めて、対話の機会が減りはじめた。ほとんどの会社で社内行事が少なくなり、アフターファイブのつきあいも激減している。とくに上司が部下をつれて飲みにいく機会が少なくなった。おやじ文化の後退は、明らかに日本的経営の強み(人間関係の濃さを背景とした強み)を損なっている。
対話の機会が減ったのは、Eメールが普及してきたせいもある。しかし、メールでは伝えられない大切な情報がある。非データ系と呼んでいる情報が、知恵の創造という場面で果たしている役割は非常に大きい。
今の若い人は、やる仕事が限定されているために、どうしても全体を見る目が育ちにくい。大局観が養われにくいのだ。全体が見えていない人間は余裕をなくす。見えていないから不安になるのだ。
たしかにシステム化がすすみ、仕事自体ははるかに効率的になってきている。しかし、なぜか楽にはなっていない。アメリカ流の人事管理が一般的になり、請負や人材派遣があたりまえの状況のなかで閉塞感が蔓延し、会社に対するロイヤリティの低さはすでに世界でも最低クラスになっている。
この本には棒グラフがついていて、日本人の会社への忠誠心や仕事への熱意は10ヶ国のうち最低だとことが示されています。私は腰が抜けるほど驚いてしまいました。会社人間という言葉は、今や死語になってしまったようです。
日本人は、忠誠心、熱意がまったくないとした人が24%です。これはアメリカ17%、ドイツ18%、イギリス20% を上回ります。また、忠誠心が非常にあるとした人は9%に過ぎず、アメリカ人29%、イギリス人19%、ドイツ人13%よりもはるかに下回ります。いつのまに日本はこうなってしまったのでしょうか。フリーターが横行し、派遣社員や偽装請負が流行するなかで、日本は変質してしまったのですね。御手洗日本経団連会長は、ますますこの傾向を促進することになるでしょう。それでいいとは、私にはとても思えません。
サラリーマンの美学とは何か。問題や不満があっても、自分ができる範囲のことだけをして、あとは黙って自分で自分を納得させる。不平不満は口にせず、組織を余計に混乱させないのがサラリーマンの美学だと考えているのである。目の前の利益だけを考えるのなら、会社にとってこれほど都合のいい社員はいない。そして、こういう人が多いほど、組織は見かけ上は、問題なく回っていく。
派遣社員や偽装請負社員が混在していることによる社内の混乱状態について、著者には、もっと問題点を強く指摘してほしいと私は思いました。
著者はスポンサーシップの効用を強調しています。初めて聞く言葉でした。
狭義のリーダーシップと、スポンサーシップのもっとも大きな違いは、その部下に対する見方にある。狭義のリーダーシップでは、部下は指示によって自由に動かせる「駒」として認識されている。駒の評価は、指示された中身をどれだけ正確に実践しうるか、という点でなされる。これに対して、スポンサーシップにおける部下は、内発的な動機の有無で考える力、知恵を出しうる力が左右される主体的な存在として認識されている。
狭義のリーダーシップでは、仕事上の答えをつくっていくのは、必ずリーダーである。これに対して、スポンサーシップでは、リーダーは自分の考えを押しつけるのではなく、部下の知恵を引き出しながら、一緒に答えをつくっていく。事実を大切にし、対話をくり返しながら知恵を生み出していく創造的な時間が、働く喜びを取り戻し、組織に活力をもたらしていく。
スポンサーシップが機能している組織では、少々バランスは悪くても、「思い」のある人間のもつポテンシャルがまず評価される。こういう組織では、働くということの中に、何の遠慮もなく、自分の頭をフルにつかって答えを考えることが含まれているから、働くことが即、人の成長につながっていく。したがって、仕事にやり甲斐を感じ、仕事に楽しさを取り戻すことができるようになるし、働くことが、その人の幸せにもつながっていく。
世の中に多い仕事のしかた、つまり、狭義のリーダーシップが幅を利かしている組織における仕事のしかたでは、部下の仕事はどうしてもマンネリ化しやすい。
弁護士の仕事もマンネリ化しやすいものの一つです。人の顔こそ違っていても、言うことはほとんど同じ。そういう状況は弁護士なら誰でももっていると思います。そこで、ちょっとした創意工夫をふくめて何らかの知恵を出すようにしないと、たちまちマンネリ化して、意欲が著しく減退してしまうのです。これは、自戒の意味で書きました。
日曜日、ツクツク法師が鳴いているそばで、ナツメの実を収穫しました。50コほどとれましたので、干して果実酒にするつもりです。サボテンがたくさん可愛い子をふやしましたので、地面におろしてやりました。両手で丸めた大きさ以上には大きくならず、子どもをつくったら親は枯れていきます。もう何代目でしょうか。気がつくと、そばに曼珠沙華の仲間の花が咲いています。次々と咲いていたヒマワリも終わりかけです。酔芙蓉はようやくツボミになりました。庭は秋の気配です。
(2007年5月刊。1575円)
2007年9月 4日
獄中記
著者:佐藤 優、出版社:岩波書店
著者は外(拘置所の外。つまり社会のこと)にいるとき、速読で、1日に 1500〜2000頁は本を読んでいた。速読とは、ペラペラと頁をめくりながらキーワードを目に焼きつけていく手法。目次と結論部分だけは、少しゆっくり読む。対象となるテーマがなじみのものなら、500頁程度の学術書なら30分、一般書なら15分で読める。そして、ワープロで20分ほどかけて読書メモをつくる。こうやって、1日で 1500〜2000頁の本を読むのは、そんなに難しいことではない。ただし、対象についての知識のない本については、この方法では不可能。どんな本でも斜めに読む方法という速読法はない。まずは、背景となる知識(教養)がどれほどあるかが問題なのだ。
私は、著者ほど速くは読めません。ただし、一定知識がある分野なら、30分で本一冊を読了するというのは珍しいことではありません。
締め切りに迫られる作業を抱えていると、他の分野の読書がはかどる。中学校、高校の定期試験勉強中に、その他の分野の読書に熱中したことを思い出す。
いやあ、これは私にも心当たりがあります。試験と関係ない文学書をモーレツに読みたくなり、つい手にとって読みふけってしまうのです。そして、あわてて試験勉強に戻るという経験を何回もしました。ところが、その試験が終わって、ゆたーっとした気分に浸っているときには、ほとんど本を読む気がおきないのです。時間はたっぷりあるはず、なのですが・・・。
人間は20歳前後で形成された人柄というのは、なかなか変わらないと思う。
著者はこのように書いています。なるほど、私の場合にも、大学2年生のころに変わったままの考えを今もひきずっていますし、性格はそれ以前のものが、そのまま、という気がしています。意識的に人を変えようとしても難しいのですよね。それでも、私は学生のころ、セツルメントというサークルに入って、自己変革の必要性を大いに議論していました。人は変わるものだ、という確信をもつことも必要なのだとも思うのです。
田中真紀子を政権中枢から排除しただけでも、鈴木宗男は日本の政治のために大きな貢献をしたと思う。
著者はこう書いています。たしかに田中真紀子は一種の性格破綻者なのでしょうね。そんな人物を小泉純一郎が外務大臣に任命したことは大きな誤りでした。しかし、いずれ遅かれ速かれ、田中真紀子は馬脚をあらわして失脚していたのではないでしょうか。ですから、鈴木宗男が、そのことで日本の政治のために大きく貢献したと言われたら、ええっ、と大きな違和感を覚えてしまいます。
1968〜73年くらいの大学が全共闘運動で機能不全に陥った時期に学生だった人々が、いま外務省の幹部になっている。この人たちは、一番重要な時期に基礎的な勉強をしていない。しかし、競争好きで政治的には悪ズレしているので、自らの権力を手放そうとはしない。団塊の世代である。この連中は、自分より上の世代の権威は認めないが、下の世代の台頭も許さない強圧的なところがある。この世代が去らない限り、外務省の組織が本格的に変化することはない。
うむむ、私の属する団塊世代は、いわば保守反動の集団みたいですね。1968年6月から1969年3月ころまで、1年近く東大駒場で授業がなかったこと自体は事実ですが、「基礎的な勉強を(まったく)していない」と決めつけられると、つい反発したくもなります。ゼミと授業だけが基礎的な勉強ではないんじゃないの、と言いたいわけです。それでも、著者の指摘が半ば以上あたっていることは認めます。
著者は獄中で学術書を200冊読み、60冊のノートを書いた。
たいしたものです。日頃の教養の幅と深さの違いです。著者は拘置所に入って、まずはヘーゲルと聖書研究を始めたというのです。なかなか出来ることではありません。
著者の学んだ同志社大学神学部は語学のウェイトが高く、英語、ドイツ語、現代と古典のギリシア語、ヘブライ語、ラテン語が必修だった。そのうえ、朝鮮語とサンスクリット語にも取り組んだといいます。自他ともに認める語学力のない私など、声も出ません。
1日でA4 のペーパーを50〜60枚つかい、1本のボールペンを1週間で使い尽くしてしまう。そんな生活を送ったというのです。恐るべき人物ではあります。
2007年8月31日
選挙の裏側って、こんなに面白いんだ!
著者:三浦博史・前田和男、出版社:ビジネス社
三浦博史は「保守」系の選挙プランナーとして、200近い選挙に関わってきた。前田和男は、民主党の辻恵弁護士の当選など、「革新」系の数十の選挙に関わった。
2007年の東京都知事選で三浦は石原陣営の選挙参謀として、前田は浅野陣営の「勝手連」として対決した。
いま、日本の選挙の投票率は、統一地方選挙で5割以下、今度の参院選でやっと6割近い。これではいけない。勝っても負けても選挙は面白い。みんなで行こう、投票所へ。
私も、これには大賛成です。日本もフランス並みに8割の投票率にならないとダメですよね。私は、つくづくそう思います。
選挙にお金がかかるのは常識だ。事務所の維持費や人件費などで、月200万円としても、3年で7200万円かかる。自民党の中堅代議士は、事務所とスタッフの維持だけで月500万円以上が必要だとしている。だから、一般には年に1億円、3年の準備期間をおくと3〜4億円ということになる。
選挙運動では、革新といえば中高年、いまだに年寄りが中心にすわって、世代交代がすすんでいない。自民党保守系のほうが世代交代が早く、いまでは30〜40代が中心になっている。選挙は若手が生き生きしているところが強い。
有権者は、好感がもてるから入れた、顔で選んだというケースが多い。年配の女性は圧倒的に若い男性が好きだし、年配の男性は若い女性を好む。そして、年配の人に人気のある若い候補は、男女問わず選挙に強い。かわいげがあって、けなげで、母性・父性本能をくすぐるような若い候補が選挙に強い人材だ。
自民党は電通一本に頼らず、フラップジャパンという独立系のPR会社も採用した。民主党は電通Y&Rと博報堂が担当。
候補者の演説も、声をつぶすような絶叫は忌み嫌われる。というのも、人は、はったりや嘘を言うときには、声が大きくなる。それを有権者は知っているからだ。
候補者の話は変える必要はない。自分の得意なものを自分の言葉でくり返して話す。これが一番。民主党にはセクシーな候補者が多い。よくよく調べると、自民党から出たかったけれど、出れなかったので民主党にまわった。それで自民党も反省して公募制をとった。
なーるほど、自民党も民主党も政策的にはまったく変わらないということですね。
やたらと人がうろうろしている騒々しい選対は実は弱い。強い選対ほど、人が出払っていて事務所のなかは閑散としている。うむむ、そうなんですか・・・。にぎやかなほうがいいものだとばかり思っていました。
街頭宣伝でウグイスよりもカラス(男声)のほうが受けが良い場合も出てきた。昼間、外にいるのは女性のほうが多いときには、男性の声で呼びかけたほうが効果的。
革新陣営の選挙は、若い層を大切にしない選挙、自己満足の選挙をやっている。若い人をとりこみたいのなら、ブログ対策やIT対策をもっとすればいい。
日本の若い層に革新はいない。
うむむ、そう言われたら、たしかにそうなんですね。トホホ・・・。反省させられました。
28日の夜は帰宅する途中に月食を目撃しました。不気味な紅い月でした。夜、寝る前にベランダに望遠鏡を出して再び皓々と明るさを取り戻した満月を眺めました。月のあばたが本当によく見えます。噴火口やら、谷や川などです。私の真夏の夜の楽しみです。ふと気がつきました。天空に大きな物体があるのに、なぜ落ちてこないんだろう。昔の人は、この疑問をどう解決したのだろうかって・・・。天空を眺めていると、いろんなことが思われます。そして、そのうち心安らかに眠ることができます。ありがたいことです。
(2007年6月刊。1300円+税)
2007年8月29日
さようならを言うための時間
著者:波多江伸子、出版社:木星舎
死に直面した新しい友人を支え、見守り、そして友人は死んでいくという悲しい話なのですが、読後感はとても爽やかです。一陣の風が心を吹き抜け、そのあとにほんわかとした温もりを感じさせるものが残ります。そんな不思議な本です。
オビの文章が、この本の特色をよくあらわしていますので、紹介します。
41歳、弁護士、ある日突然、治癒不能の肺がんとわかったとき、彼は古い友人にメールした。ライフステージの最後の時間を自分で選択するために・・・。
彼が計画した、みんなに別れを告げるためのやさしい時間、家族と友人たちが支えた、不思議に明るいホスピスライフ・・・。
主人公は北九州市で活躍していた渡橋俊則弁護士です。私も面識がありました。弁護士には珍しく穏やかな人柄だなという印象をもっていましたが、この本を読んで、ますます、その感を深くしました。
渡橋さんは、ある日突然、手術不能の肺がんだと宣告されます。そして、先輩である久保井摂弁護士に相談します。セカンド・オピニオンを得るためです。
死ぬこと自体については、恐ろしいという気持ちはない。強がりでもなんでもなく、ただ、両親を悲しませることになるのが申し訳ないだけ。
私は、生きているあいだに何かをなしとげよう、何かを残そうといった気持ちはもたずに生きてきた。人生に価値のある人生、価値のない人生といった区別はないのだろう。
とびっきりに楽しいこと、うれしいことなどは、それほどなくてもいいから、辛いこと、悲しいこと、痛いこと、苦しいことなどのなるべく少ない、平坦な、穏やかな人生を望んできた。はらはら、どきどき、わくわくするようなことはとくに望まず、ただ、春先に昼寝をしている猫のような、ゆったりとした穏やかな気持ちで過ごして生きたいと思ってきた。生を受け、与えられた寿命まで生きる、それでいいと思う。精一杯生きるのではなく、与えられたままにただ生きればいいんだと思う。
うむむ、私にはとてもこんな境地に到達できそうもありません。私がこうやって文章を書いているのも、この地球上に存在したという証しを、せめてひっかき傷ほどのものでもいいから残したい、そんな秘やかな願望にもとづきます。いずれは星くずになって消滅してしまう、ちっぽけな物体かもしれませんが、そして存在自体もたちまち忘れ去られてしまうのでしょうが、なんとか私という人間が存在したという痕跡だけでも残せないか、と願っているのです。渡橋さんのような明鏡止水の境地は、まだまだ今の私にはとても無理です。
渡橋さんは、自分では痛みは弱いと言っていたが、実はまれにみる辛抱強い人で、かなりの苦痛でも表情も変えずに黙ってガマンしていた。食欲は最後までまったく衰えず、ひどいウツ状態になったり、投げやりになって周囲の人にあたりちらすというメンタルな問題もなかった。
渡橋さんは、ホスピス病棟、緩和ケア病棟に入院して42日で亡くなった。これは平均的な日数。ホスピスでの時間を十分に楽しめた理想的な期間だろう。渡橋さんを精神的に支える「チームわたはし」が十分に機能していたことを、この本はあますところなく明らかにしています。チームのみなさんの献身的な努力に頭が下がります。
入院した当初は、胸水がたまっていて呼吸困難がひどく、最悪の場合は、あと一週間と思われていた。ところが、思いがけず小康を得て、天使の時間と呼ばれる不思議に明るいホスピスでの交流の期間がひと月近く続いた。
ビールは一日平均1ダース、客人があればワインの栓が抜かれ、日本酒や泡盛も追加され、まるで居酒屋のような状況になった。渡橋さんも、ベッドに座って酸素呼吸しながら、仲間たちの歓談する様子を黙ってうれしそうに眺めていた。体調のよいときには、渡橋さんもビールをグラスに一、二杯はつきあった。
たくさんの弁護士が常連として登場します。北九州の横光、角南、石井、福岡の久保井、宮下、そして東京の内野の各弁護士たちです。そして、たくさんの女性が次々に病室へやってきたのです。
横光弁護士は、「ここはハーレムか?」と絶句したといいます。「おとなしい渡橋に、ガールフレンドがこんなに一杯おったんか・・・」と。
渡橋さんの食欲が落ちなかったのは、化学療法しなかったこと、どんな状況でも平常心を保とうとする精神的な強さと健やかさ、消化器や脳にがんが転移しなかったこと、緩和ケアがうまくいったこと、など幸運な条件が重なったことによる。
渡橋さんが化学療法もふくめて積極的な治療をまったくしなかったことについて、問いつめる友人に対して久保井弁護士は、次のように説明した。
渡橋君はね、セカンドオピニオンを求めて、本当に入手できる限りの膨大で正確な情報を集めて、考えに考えた結果、こうすることを決めたの。治療のために入院したり、副作用に苦しむ時間を、もったいないと思ったわけ。決していいかげんな気持ちや投げやりな気持ちで、この道を選んだわけではないの。
うむむ、そうなんですよね。なかなか出来ないことですが・・・。余命6ヶ月ないし12ヶ月と診断されてから、しっかり情報を集め、ついに自分で決断し、一切の積極的治療をしなかったわけです。渡橋さんは亡くなる直前まで外出してお店でワインを口にしていました。1ヶ月前には石垣島へ旅行もしています。
私の尊敬するI弁護士も、医療分野の第一人者ですが、同じようなことを言っています。下手に手術して副作用で苦しむより、貴重な余生だと割り切って海外旅行ざんまいするなど、好き勝手な日々を過ごすのが一番だ、と。これには私もまったく同感です。
心にしみいる、本当にいい本でした。肩から力がすっと抜ける爽快感があります。
タイトル、表紙、本文の構成、そして挿入された幸せそうな渡橋さんの写真、どれをとっても素敵な本でした。こんないい本を読ませていただいて、ありがとうございます。心よりお礼を申し上げます。
(2007年7月刊。1680円)
2007年8月28日
安倍政権論
著者:渡辺 治、出版社:旬報社
自民党の52年前の結党以来、政権についた22人の首相のなかで安倍首相は初めて改憲実行を口にした。そのほかの首相の大半は、自分の在任中は改憲しないと約束して政権を運営した。自民党は、結党以来、憲法改正を掲げていたにもかかわらず・・・。
安倍政権の半年の外交は、安倍本来の反中国、反北朝鮮、日米同盟路線で動いた。桜井よし子たちは、中国とは干戈を交えることも辞さない覚悟が必要だ、中国は日清戦争のリターンマッチを策している、このままでは日本が中国の属国になる、こんなことを言って安倍をけしかけた。
うむむ、ひどい。これはまさしくひどい排外主義、ひとりよがりの認識です。桜井よし子たちが、こんな愚劣なことを主張していたとは知りませんでした。
アメリカのラムズフェルド国防長官は、日本の自衛隊はボーイスカウトだと高言した。イラクのサマワにいた自衛隊は、ゲリラの掃討に参加できなかったばかりか、他国の軍隊に守ってもらう有り様だった。
小泉前首相は、テロ対策特措法、イラク特措法を制定し、国際貢献や人道復興支援を口実にして強引に海外派兵した。これによって日米同盟は明らかに新しい段階に突入した。しかしなお、大きな限界がそこにあった。憲法9条を残したままの派兵では、武力行使はできない。アメリカと組んで、世界の警察官として「ならず者国家」の鎮圧に派兵するという軍事大国化を実現するという目標からすると、小泉は9条の大きな壁を改めて自覚させられた。
小泉政権は外交上もう一つの大きな限界を抱えた。小泉首相の靖国神社参拝によって日中と日韓関係が悪化し、財界が切望する東アジアの外交的リーダーシップを握るという目標から大きく後退した。
というのも、今や中国に進出している日本企業は既に3万社にのぼる。日本企業は、国内生産優先という発想を捨て、東アジアの最適地で生産するという方針を固めている。日本経団連も、その方向を確認した。
それにもかかわらず、安倍晋三は『美しい国へ』のなかで、次のように強調したのです。
間違っていけないのは、われわれはアジアの一員であるというそういう過度な思い入れは、むしろ政策的には、致命的な間違いを引き起こしかねない危険な火種でもある。
このように安倍のナショナリズムには、アジアとくに中国との連帯、そして反欧米という視点がない。なるほど、これではアジアの一員としての日本の前途はないとしか言いようがありませんよね。
安倍は、従来から、一国の政治力の背後には軍事力があるということを高言してはばからなかった。つまり、自国の国益を軍事的力によって確保・拡大することを積極的に承認していた。安倍は、強い日本、頼れる日本を掲げた。世界とアジアのための日米同盟を強化させ、日米双方が「ともに汗をかく」体制を確立する、と。「ともに汗をかく」とは、アメリカが求めている「血を流す同盟」を品よく言いかえたものである。
ホント、怖い同盟です。安倍首相が憲法改正理由としてあげるのは次の三つ。
一つ目は、現行憲法はニューディーラーと呼ばれた左翼傾向の強いGHQ内部の軍人た
ち─ しかも憲法には素人だった ─ が、短期間で書き上げ、それを日本に押しつけた
ものであること、国家の基本法である以上、やはりその制定過程にはこだわらざるをえない。
二つ目は、昭和から平成へ、20世紀から21世紀へと、憲法ができて60年たって、9条を筆頭に、明らかに時代にそぐわなくなっている。これは日本にとって新しい時代への飛躍の足かせとなりかねない。
三つ目は、新しい時代にふさわしい新しい憲法をわれわれの手でつくるという創造的精神によってこそ、われわれは未来を切り拓いていくことができるから。
えーっ、これって、いかに薄っぺらな理由ですよね。侵略戦争をすすめて、敗戦してもまだ十分に反省しているとは言えなかった当時の日本支配層に業を煮やして連合軍が世界の民主主義国家の到達点を「押しつけ」、日本国民がそれを大歓迎して定着したのです。安倍首相は祖父岸信介の血筋をそのまま受け継いでいます。
しかし、安倍首相の祖先にはもう一人いますよね。そうです。佐藤栄作です。
核兵器をつくらず、持たず、持ち込まずという非核三原則を堅持する決意を再三表明したことにより、佐藤栄作は1974年、ノーベル平和賞を受けた。ところが安倍首相はこの佐藤栄作にはまったくふれることがありません。本当に危険な戦後生まれの首相です。
(2007年7月刊。1500円+税)
2007年8月24日
千夜千冊、虎の巻
著者:松岡正剛、出版社:求龍堂
この「弁護士会の読書」がはじまって何年になるのでしょうか。私が弁護士会で書評をのせはじめたのは、9.11があった年ですから2001年4月のことです。はじめのうちは恐る恐るでしたから、今のように年に365冊というわけではなく、200冊ほどだったのではないかと思います。1年に読んだ本は当時のほうが多かったのですが、書評としては当時のほうがボリュームは小さく、今のほうがたっぷりしています。今は長すぎるので、もっと短くしてほしいという声がありますが、どうなのでしょうか。このところ年間に読む単行本は500冊ほどですので、だいたい7割程度をここで紹介していることになります。私の場合には、書評というより抜粋という感じなので、本を読んだ気になってしまうという反応はうれしいことでもあります。赤エンピツで傍線を引いたところを紹介し、簡単な感想を記すということでやっています。1冊40〜50分ほどかかります。すべて手書きです。モノカキを自負する私にとっての文章訓練にもなっています。模倣は上達の常道だと信じてやっているのです。
ところで、この本の著者が紹介する1000冊は、ちょっと私とは断然レベルが違う(高い)という感じです。1000冊のうち、私が読んだ本はせいぜい1割もあるでしょうか。うひゃあー、上には上がいるもんだと、つい思ってしまいました。この本自体は、若い女性編集者との対談ですから、読みやすくなっています。でも、紹介されている本はかなり高度です。
本は、なんでも入る「ドラえもんのポケット」のようなリセプタクル、なんでも乗せられるヴィークルである。
本は、どんな情報も知識も食べ尽くすどん欲な怪物であり、どんな出来事も意外性も入れられる無限の容器であり、どんな遠い場所にも連れていってくれる魔法の絨毯なのである。ある日、突然、渦中に飛びこんで読みふけることができる。これが読書の戦慄であり、危険であり、また法悦である。
本は、無理に読む必要はない。気が向けば読む。できるだけ好きなものを読む。それでいい。それが原則。読書は食事なのだ。読書の基本は楽しみ。読書は交際でもある。
本は、二度読んだほうがいい。そこに読書の醍醐味がいくらでもひそんでいる。2度目は速く読める。
電車や喫茶店のなかで本がよく読めるのは、他人が一定いる密度環境が箱ごと一定の音響とリズムで走っているためだ。
たしかに、私の読書は基本的に電車と飛行機のなかです。車内アナウンスはまったく耳に入らないのですが、面白い内容の世間話がそばであっていると、耳がそちらにひきずられ、目のほうが働かなくなってしまいます。その点、飛行機のなかは、そういうことはまずなく、読書に集中できます。
読書は、リラックスするときも、忙しいときも、疲れきっているときも、すべてがチャンスである。
私にとって読書は、忙しいときが一番です。一番、よく頭に入ってきます。昼寝したあとなんて、まるでダメです。気がゆるみ過ぎだからです。
もちろん、本をたくさん読めばいいなんて、私も思っていません。でも、数多くの本を読むと、それこそヒットする確率は高いのです。至福のときを何度も味わうことができます。やっぱり読書は貴重な宝物です。
(2007年6月刊。1680円)