弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2008年4月 2日
生活保護、「ヤミの北九州方式」を糾す
著者:藤藪貴治・尾藤廣喜、出版社:あけび書房
飽食の現代日本で餓死する人が後を絶たない現実。行政の現場で、いったい何が起きているのか。元ケースワーカーと元厚労省のキャリア公務員だった弁護士の共著である本書は、現代日本の現実を鋭く告発しています。
せっかく頑張ろうと思っていた矢先、切りやがった。生活困窮者は、はよ死ねってことか。小倉北(福祉事務所)のエセ福祉の職員ども、これで満足か。貴様たちは、人を信じることを知っているのか。市民のために仕事せんか。法律は飾りか。書かされ、印まで押させ、自立指導したんか。
腹減った。オニギリ、腹一杯食いたい。体重も68キロから54キロまで減った。全部、自分の責任です。人間、食ってなくても、もう10日生きています。米、食いたい。オニギリ、食いたい。ハラ減った。オニギリ、食いたーい。25日、米、食ってない。
このように日記に書いた52歳の平野さんは、日記の途切れた6月5日から1ヶ月たった7月10日に餓死した状態で発見されました。遺留品のなかには46円しかありませんでした。2007年の小倉北区での出来事です。前の年、2006年5月にも、北九州市門司区で56歳の男性が市営団地でミイラ化した状態で発見されています。地元の門司福祉事務所に生活保護を申請しようとしたけれど、申請書すらもらえなかったのです。
さらに、その前の2005年1月にも、八幡東区の自宅で68歳の男性が餓死しています。2006年1月に刑務所を出所したばかりの74歳の男性が小倉北福祉事務所で生活保護を申請しようとしても、わずかに下関市役所までの交通費が支給されただけでした。
ホームレス状態であっても、生活保護利用の要件に欠けることはない。
北九州市は、福祉事務所からベテランのケースワーカーを排斥し、係長試験合格前の30代の男性職員に入れ替えた。当局は、福祉事務所から北九州市職労の組合員を排除していった。まず役員クラスの組合員が外へ配転され、次に熱心な組合員たちが追い出された。それまでの北九州の福祉事務所は、福祉をやりたい人を人材を迎え入れていた。ところが、福祉ではなく、「惰民取締まり」に変質していった。1967年に北九州市長となった谷伍平市長は、生活保護は怠け者をつくると高言し、厚生省から多くの天下り官僚を迎え入れ、生活保護の切り捨てをすすめ、保護率を急激に下げた。
ケースワーカー、職員側の声が紹介されています。
過去は自由気ままに税金も国保料も払わずに好き勝手に生きてきた人間が、高齢になって働けず、お金がないと申請してきたとき、何の懲罰もなくて保護を認めるのか、納得できない。これまで好き勝手にしてきて、最後に保護とは、いかがなものか。
うーん、そうは言っても、人生いろいろあるわけです。過去を問題にして目の前の困っている人を救わなくていいのでしょうか?
1982年より北九州のすべての福祉事務所に面接主査制度が導入された。昇任試験をパスしたばかりの若手係長が新規申請の窓口業務を担った。その結果、わずか5年間で申請率は半減し、全国最低の申請率(15.8%)となった。
1998年から2003年までの政令市の生活保護関連予算の平均伸び率は52%であるのに対して、北九州市だけはマイナス0.12% と、唯一減っている。
北九州市の特徴は反省がないこと。厚労省の生活保護行政の実験場となっていること、ヤミの北九州方式が日本全国に広げられていることにある。
いやあ、格差社会日本のひずみをよくよく垣間見る思いがしました。北九州のひどさというのは、国の冷たさの象徴なんですよね。許せません。
やっと桜が満開となりました。耕耘機が動いて水田づくりも始まりました。わが家のチューリップは今朝かぞえると117本咲いていました。まだまだです。紫色のムスカリ、あでやかな赤紫色のアネモネも咲いています。よく見ると、ハナズオウも花をつけていました。
(2007年12月刊。1500円+税)
2008年3月28日
風の天主堂
著者:内田洋一、出版社:日本経済新聞出版社
久留米にある聖マリア病院は国内最大規模の民間病院。その理事長で病院長だった井手道雄医師は、晩年になって天主堂巡礼に心血を注いだ。人工透析を受けながらの旅だった。フランスのピレネー山麓にある、有名な巡礼地のルルドにまで行ったというのですから、たいしたものです。
『西海の天主堂路』(新風舎)には、この天主堂巡礼がまとめられています。といっても、本にまとめたのは道雄氏が亡くなられたあと、奥様でした。道雄氏は、福岡県三井(みい)郡大刀洗(たちあらい)町の出身。この大刀洗は南北朝時代の勇将菊池武光が合戦で勝利したあと、太刀を洗った川を太刀洗川と呼ぶようになったという故事にもとづく地名である。
この大刀洗町には、江戸時代から隠れキリシタンが綿々と続いていた。ええーっ、どうして、と思います。道雄氏の奥様が、実は、私のフランス語の勉強仲間なのです。といっても、奥様は大阪万博で通訳をしたこともあるほどの語学力の持ち主ですから、語学音痴の私なんかとはレベルが違います。
長崎、とりわけ島に残る隠れキリシタンの伝統と、明治になって建立された天主堂の美しさは思わず息を呑むほどのものです。
明治12年に赴任してきたマルコ・マリ・ド・ロ神父は天主堂建設に取り組んだ。ここに鉄川与助という大工が登場する。与助自身は仏教徒であるが、ド・ロ神父の導きにより多くの天主堂を建設した。
長崎から天草にかけて、こんなにも多くの天主堂が建てられているのかと思うと、信じられません。20もあるのです。それも、五島列島だけで8つの天主堂があるというのですから、驚きです。
私は、弁護士になって一年目に、何も分からないまま、日教組弾圧事件の対策のために上五島に派遣されましたが、その奈良尾あたりにまで天主堂があるというのです。信仰の力の偉大さを思い知ります。
たまに、このような本を読み、写真を眺めると、心の洗われる気がします。ありがとうございました。
(2008年3月刊。2000円+税)
2008年3月27日
古典への招待
著者:不破哲三、出版社:新日本出版社
学生時代にマルクスやレーニンの本に出会ったとき、本当に世界が広がる思いがしました。ものの考え方が目新しく、天と地がひっくり返るというか、物事をここまでつきつめて考えることができる人がいるのかと、何度も感嘆したものです。私が学生時代以来ずっと読書ノートを書いているのも、その衝撃の大きさからだと思います。
この本には、学生時代に読みふけったなつかしい本がたくさん紹介されています。マルクスなんて古い。死んだ本だろ。そう思わずに、ぜひ手にとって読んでほしいと思います。アメリカをみてください。資本主義、万歳!だなんて、今どき、誰か叫んでいる人がいますかね。サブ・プライムローンの破綻なんて、その実情を知れば知るほど、ひどいものですよね。お金のない人に高いローンを背負わせておいて、その高い金利でマネーゲームしていて、やっぱり破綻したということなんですね。行き詰まってしまった資本主義の最後の徒花(あだばな)でしかないようなものです。
アメリカ全土の刑務所にいる囚人が230万人だという記事を先日読みました。人口が半分の日本では6万人くらいです。日本に120万人もの刑務所人口をかかえているようなものです。しかも、それだけ刑務所人口をかかえていて、アメリカの実社会は安全になったかというと、ますます危険な社会になったというではありませんか。
150年前のマルクスが古いなんて言うのなら、2000年前のキリストはもっともっと古いのですよ。それでも、今も立派にキリスト教は生きているではありませんか。やはり、いいものは、いつまでたってもいいのですよね。
今、アメリカでもヨーロッパでも、マルクスは生きていると言われ、雑誌で特集が組まれたりしている。100年以上も前の人々ではあるが、その著作は時間的な距離をこえて、読む者をひきつけてやまない魅力がある。先日も、ドイツでマルクスが見直されているという新聞記事を読みました。
まずは、エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』です。これは、1842年から44年までイギリスにいた青年エンゲルスが24歳のとき(1845年)、書いた本です。産業革命がイギリス社会をどう変えていったかを描きだした画期的な本です。
川崎のコンビナート地帯で学生セツルメント活動を一生けん命やっていた私は、この本を何回となく読み返したものです。本当に大いに学ばされました。社会を見る目を養ったと言える本です。エンゲルスは、この本を、イギリス人のためでなく、ドイツ人のために、ドイツ語で書き、ドイツで出版した。うひゃー、そうだったんですか・・・。
エンゲルスは、耐えがたい生活苦が多くの道徳的退廃を生むことをリアルに描き出した。同時に、同じ苦難が労働者階級をきたえ、知的に発展させ、成長させるバネとなっていることを明らかにした。実は、後者の解明と確信がセツラーである私の追究すべきテーマだったのです。道徳的退廃はすぐに分かりました。でも、知的発展とか成長とかいうと、それは対象の人々に相当深く食いこまないと見えてこないものです。
資本主義社会における搾取と窮乏という苦難は、労働者をきたえ、この現状に抵抗し挑戦する階級へと成長させていく。
ここらあたりが、学生としてなかなか確信のもてないところでした。たたかう労働者階級と言われても、目の前にいるのは、私と同じような欲望もあり、いかにも人間的な若者でしかありません。どうやって、何を学ぶのだろうと、正直いって悩みました。
次の『ドイツ・イデオロギー』は、マルクス27歳、エンゲルス25歳のときの共同執筆の本です。この本にも、深い思いいれがあります。ともかく難しいのです。でも、ひきつけるものが、同時にあるのです。
哲学者たちは、世界をさまざまに解釈しただけである。これはマルクスの言葉です。
支配的階級の諸思想は、どの時代でも、支配的諸思想である。すなわち、社会の支配的な物質的力である階級は、同時にその社会の支配的な精神的力である。思考する者として、諸思想の生産者としても支配し、その時代の諸思想の生産と分配を規制する。意識が生活を規定するのではなくて、生活が意識を規定する。
人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定する。なーるほど、そうですよね。
マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』を書いたのは1848年。
日本は第二次世界大戦前に、マルクス・エンゲルス全集が刊行された世界で唯一の国だった。しかし、その全集から『共産党宣言』だけは除かれていた。日本で、この本を自由に読めるようになったのは、敗戦後のこと。
ひゃあー、ちっとも知りませんでした。大学生時代に、当然のことのようにして手にとり読んだものです。いまの大学生には、どれくらい読まれているのでしょうか。『宣言』は、マルクス29歳、エンゲルス27歳のときに書かれています。私は、ぜひ今の若い人にも読んでほしいと思います。
共産主義者は、これまでのすべての社会秩序の強力的転覆によってのみ、自分の目的が達せられることを公然と宣言する。
私の学生のころは、強力ではなく、暴力とされていました。すなわち、暴力革命を起こすべきだということです。すると、過激派(当時は全共闘と呼んでいました)のいうバリケード封鎖や街頭でのゲバ棒をふるう暴力を容認することになります。それでいいのかな、そうだったらいやだな、と思っていました。
著者は、それはマルクスの時代には、まだ普通選挙が一般化していなかったことによる制約だと指摘しています。なーるほど、そういうことだったのですね。
マルクスは女性に対しても参政権を認めることを要求しています。まったく当然のことです。だけど、当時は、当然のことではありませんでした。
この本を読んで初めて知ったことですが、『共産党宣言』の書かれた1847年〜48年ころのドイツでは、社会主義とか共産主義というのに対して異様なほどの人気があったというのです。むひゃー、そうだったのですかー・・・。
1848年、ヨーロッパの広大な地域が革命の波におおわれていた。2月にフランスで2月革命、3月にウィーンで蜂起、同じく3月にベルリンでも蜂起、そしてイタリアでの独立革命。そんな状況で、共産主義への期待が高まっていたわけです。
経済状態は土台である。しかし、上部構造のさまざまな諸要因が、歴史的な諸闘争の経過に作用を及ぼし、多くの場合に、著しくその形態を規定する。これらすべての要因の相互作用であり、そのなかで結局は、すべての無数の偶然事をつうじて、必然的なものとして経済的運動が貫徹する。この指摘は鋭いと、いまも感嘆します。
現代日本を分析するときに、140年前の古典の指摘は、こんなに役立つものなのです。古典は古いから、現代日本に生きる私たちにとって役に立たないなんて、とんでもない間違いです。
今朝、庭に出て花の咲いたチューリップを数えてみました。29本でした。まだまだです。今年は例年より少し遅い気がします。紫色のムスカリ、あでやかな赤紫のアネモネ、白や紫のヒヤシンスが咲いています。あっ、純白のシャガの花も咲いています。色とりどりの花に囲まれていると、なんだか幸せな気分です。桜のほうは、まだ二分咲きから三分咲きです。ウグイスのホーホケキョという澄んだ鳴き声も春の情感を味あわせてくれます。田舎に生活するのもいいものですよ。
(2008年3月刊。1900円+税)
2008年3月21日
団塊世代の2万2千日
著者:江波戸哲夫、出版社:リベラルタイム出版社
団塊世代の私にとっては、なつかしい話のオンパレードです。
紙芝居なんて言っても、いまの若い人には何のことか分からないでしょうね。もっとも、最近、私の知人でもある政治家(まだ候補者でしかありませんが・・・)は、パワーポイントの映像を電気紙芝居だなんて言っています。
近くの空き地に紙芝居のおっちゃんが来たとき、親の考えから小づかいをもたされなかった私は、買い食いを許されず、はるか遠くで眺めて指をくわえていたのでした。もちろん、紙芝居のおっちゃんはアメなどを買ってくれる子どもだけを対象にして紙芝居を演じたのです。「黄金バット」など、ハラハラドキドキの冒険物語が語られ、佳境に来たところ、ハイ、このあと次回のお楽しみ、となってしまうのです。よく出来ていました。
わが家にテレビが登場した日もよく覚えています。それまでは、内風呂があるのに、近くの銭湯に出かけました。銭湯に入らないとテレビを見れないのですから、仕方ありません。大勢の子どもたちで満員盛況でした。「怪傑ハリマオ」とか「月光仮面」に胸おどらせました。
高校に入り、そして大学では学園紛争の洗礼を受けました。『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)が、1968年の東大闘争を刻明に再現しています。なーるほど、そういうことだったのか、と思う状況の日々が詳細に語られているのですが、そんなことは思い出したくもないという人が意外に多いようで、さっぱり売れていないとのことです。
でも、自分たちの通り過ぎてきたことを一度はふり返ってもいいんじゃないかしらん、と私は思います。もう、あれから40年たちました。既に現代史のなかに入った出来事なのです。
この本を手がかりに、団塊世代が自分たちの生きてきた時代を大いに語ってもいいように思います。『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)について、先日、西日本新聞の書評ページに小さく紹介されていましたが、ぜひ、買って読んでみてください。
庭のチューリップが1本だけ黄色い花を咲かせています。第1号です。これから続々と咲いてくれると思います。
デパ地下でアスパラガスを買いました。珍しいことに佐賀産のホワイトアスパラガスもありました。アスパラガスを食べると春を実感します。わが家の庭のアスパラガスはまだ芽を出してくれません。
登山用品店で登山靴を買いました。親切な店員さんから、靴のはき方、歩き方を教えてもらいました。かかとを地面につけてヒモを結ぶ。歩くときは地面に足を押しつけるように歩くということです。春ののやまを歩くのも楽しいですよね。
(2008年2月刊。1800円+税)
2008年3月14日
貸し込み
著者:黒木 亮、出版社:角川書店
オビには、モラルなき銀行の実体を暴く超一級の経済ミステリ、と書かれています。脳梗塞患者への過剰融資、書類偽造、元上司の偽証・・・。濡れ衣を着せられた元行員が、組織悪に敢然と立ち向かう。
いやあ、銀行マンって、ホント、大変な職業なんですね。バンカー、とも呼ばれますが、この本を読むと、なんだか気の毒になるほどダーティー・ワークをさせられるようですね。とりわけ、アンダーワールド(要するに暴力団、ヤクザ)とのつきあいは、大変だろうと思います。
岩淵頭取は、周囲との調和を図るあまり、実行力に欠けた。個々の案件の問題点を指摘されると、妙に物わかりが良くなって、引き下がってしまうことが多かった。しかし、多少の波風を立ててでもリーダーシップを発揮してほしかった。頭取として成功しなかった理由の一つは、そこにあった。
アメリカにはディスカバリー(証拠開示)という制度があり、訴訟を提起したら、原告は被告側の文書を広範囲に閲覧し、被告側の役員や従業員に対して質問する権利が認められている。ディスカバリーの対象は、企業の文書にとどまらず、従業員が別に保管している文書、Eメールや会議の非公式メモなど関連するすべての文書に及ぶ。
しかし、日本には、このような制度はない。そのうえ、裁判官が、文書提出命令の適否が争われるのを避けようとして、提出命令をなかなか出さない。
銀行がまともに対応してこないため、主人公は週刊誌や月刊誌にとりあげてもらって銀行の非を社会的に明らかにしようと決意します。しかし、銀行側も、お金の力もふまえて機敏に対応し、編集部に圧力をかけます。
果たして、このあとどうなるのか、ハラハラドキドキの展開です。さすがプロですよね。読ませる本です。
貸し込め。あらゆる理由を見つけて、貸し込むんだ。
これは、実際にバブル前までの日本の銀行のモットーだったのでしょうね。恐ろしいことです。
(2007年9月刊。1400円+税)
2008年3月13日
ネットカフェ難民と貧困ニッポン
著者:水島宏明、出版社:日テレノンフィクション
現代日本の青年を取り巻く状況を一語であらわす言葉、それがネットカフェ難民です。フリーターとかハケンとか言っているうちはまだ良かったのです。ネットカフェも、単なる流行語でしかありませんでした。ホームレスも中高年の話だと思っていました。ところが、青年たちがネットカフェで寝泊まりしている。社会のなかに定着できない青年が大量に存在する。そのことを、たったひとつの言葉であらわしたのです。衝撃的な言葉でした。私は、福岡・天神にあるネットカフェを、恐る恐るのぞいてみました。いえ、もちろん暴力団事務所をのぞくような怖さがあったわけではありません。夜10時ころでしたが、たしかに、若い男性も女性も次々に入ってきます。背広姿のサラリーマンもやって来るのです。ええーっ、まさか、帰るところがないはずはないだろうに、なんで、こんな夜遅くに、ネットカフェなんかにやって来るのだろう、不思議に思いました。なんとか全身を伸ばせるようなブースがいくつもあります。でも、こんなところで寝ても、安眠できないでしょうし、身体の節々がきっと痛くなることでしょう・・・。
著者は、このネットカフェ難民という言葉をつくったジャーナリストです。テレビの世界で報道ドキュメンタリーの制作と、ロンドンとベルリンに9年あまり海外特派員をしていました。日本の東京で、1晩1000円で過ごせるネットカフェで暮らす人たちがじわじわと増えている現象は、なんだかおかしいぞという問題意識をもったのです。なーるほど、ですね。私も、日テレの特集番組はビデオでみましたので、この本に紹介されている写真は記憶があります。
ネットカフェは、韓国に3万店ある。日本には、まだ4000店ほどしかない。東京・蒲田にある格安ネットカフェは、1時間100円。安くしたところ、店の回転率は上がり、客の入りは倍近くになった。200席ある店内の一日の延べ利用客は300人。ネットカフェを利用する人の食費は、1日1000円。チェーン店の牛丼380円。格安外食レストランのハンバーグ定食380円。ハンバーガー1個100円。赤飯弁当180円。弁当屋の豚汁120円。これを一度でなく、2回に分けて食べる。
ネットカフェ生活は、アパート暮らしよりも効率が悪い。外食代、コインロッカー代、コインランドリー代、シャワー代など、アパート生活ではかからない費用がかさむ。
さらに、新品の下着を使い捨てにしたり、意外に高くつくのがネットカフェ生活だ。ほとんど、その日暮らしの自転車操業状態になっている。
徹底して、自尊感情がない。必死さがなく、無気力で、可愛げがない。できれば放っておきたいタイプ。怠情けとも目に映る。自分はダメな奴・・・、と思っている。
いま、日本に起きているのは、一般社会の寄せ場化である。かつての山谷などで見られた光景が、いまや日本全国津々浦々に広がっている。それも、日雇い派遣という形をつかって、合法的に。しかも、ケータイ、メールをつかって現代的に・・・。
専門的なスキルのないハケンが急増している。派遣の対象業種が拡大し、単純労働にまで派遣が恒常化している。日雇い派遣のように細切れで低賃金の労働では、何年やってもスキルの向上や経験の蓄積につながらない。
1985年に労働者派遣法ができて、派遣は解禁された。1999年の労働者派遣法の改正によって、派遣は原則自由化された。2003年には、製造業への派遣も解禁された。
そして、日本の大企業は空前の利益を得ている。4年連続で過去最高となった。景気回復にともなう企業業績は好調だ。人材派遣業は、2006年度は4兆351億円で、前年比41%増。01年度の2倍だ。
働く者が、部品みたいに兵器で使い捨てされる社会。正社員も安心できないし、非正規だともっと人間扱いされない。一度落ちると、トコトン落ちてしまって、はいあがれない。ネットカフェ難民は、そんな社会の象徴だ。とくに若い人たちがボロボロにされている。こんな状態に無関心でいてよいわけはない。社会全体が意識して取りくんでいくべきだ。
私もまったく同感です。お互い、できるところから、やっていきましょうよ。それにしても、日テレも、たまには、いい番組をつくるものですね。心から拍手を送ります。
とりたての竹の子が届きました。シャキシャキとした歯ざわりで、美味しくいただきました。食べながら春を実感したことです。
隣の家のハクモクレンの白い花が咲いています。朝、庭に出ると、ウグイスがあちこちで澄んだ声でホーホケキョと鳴くのが聞こえます。メジロの姿は見えますが、ウグイスのほうは、声はすれど姿は見えず、です。
鼻づまり解消のため、鼻うがいを始めました。塩を入れると、そんなに苦しくはないのですね。昼間のポカポカ陽気はいいのですが、花粉症には悩まされます。
(2007年12月刊。952円+税)
2008年3月 3日
ホモセクシャルの世界史
著者:海野 弘、出版社:文藝春秋
ヒンズー教は同性愛を一般的に受け入れている。イスラム教徒キリスト教には同性愛の項目がない。ユダヤ教は、ゲイは一般に認めないが、このごろは認めようとする派もある。
アメリカに渡った宣教師は、ネイティブアメリカンの部族の中に、女装して女の仕事をしている男がいるのを見て驚いた。女装した男たちは、部族の最高会議で助言者の役をつとめ、重大な決定は彼の意見を聞く。占い師、預言者、語り部、ヒーラーでもある。
ギリシアのスパルタが軍隊組織を発達させたといっても、必ずしも男性社会だったわけではない。アテネよりも、むしろスパルタの方が女性の社会的地位は高かった。
18世紀、ヨーロッパではホモセクシャル(ソドミー)を処罰する法律が次々に廃止された。とくに啓蒙君主のいた国で早かった。フリードリヒ大王のプロシア、レオポルト2世のオーストリア、エカテリーナ2世のロシアである。先進国のはずのフランスとイギリスは遅れた。フランスでは1791年に犯罪でなくなり、1810年のナポレオン法典で、それが確認された。しかし、ソドミーは犯罪ではなくなったが、差別意識は残り、警察はひそかに監視を続けた。
イギリスでは男色による死刑は1861年まで残った。この年、それは無期懲役となった。エリザベス女王がつくった男色処罰法は、1967年まで残った。
アメリカでは、2003年、ホモセクシャルを罰するテキサス州法を連邦最高裁が違憲とし、州刑法が廃止された。
イギリスのオスカー・ワイルド(1854〜1900)は世界一有名なホモセクシャルであり、その典型だ。
フランスのランボーとヴェルレーヌもホモセクシャルの関係にあった。ヴェルレーヌのそれは少年時代からだった。ヴェルレーヌもランボーも、圧倒的な母の庇護下にあったことが共通している。2人は、しばしばそこから逃れたが、また引き戻された。母から、女から逃れるため、2人はひかれあった。ヴェルレーヌは言葉を取り戻し、詩を書けるようになった。
アンドレ・ジッド、プルースト、コクトーはいずれもホモセクシャルの作家である。ジッドは、そのことをもっとも明確に告白した。プルーストとコクトーは、内部では公然の秘密だったが、告白はせず、あいまいにし、言い訳もしなかった。
ジャン・コクトーは隠れなきホモ・セクシャルであるが、多くの女性を愛し、一緒に暮らしたりもした。だが、結婚はせず、子どもはつくらなかった。人を愛することにおいて、男とか女とかの区別はしなかった。しかし、芸術的な美しさの点で男にひかれた。
うむむ、なんということでしょう。私には、よく分かりません。
アメリカ。ハリウッドでは、ホモセクシャルの人々をトワイライト・メン(薄明の人々)、ラヴェンダー・バディ(紫の兄弟)などと呼んだ。彼らは目立たないように暮らしていた。
サマーセット・モームもキューカーもホモだった。ロック・ハドソンは、1959年から1964年まで、アメリカの人気ナンバーワンの男優だった。多くの女性は、結婚するなら、彼のような男と思った。しかし、ハドソンはホモセクシャルだった。
YMCA!という歌は、アメリカのゲイ賛歌である。
ニューヨークのゲイの領土はハーレムである。黒人街ハーレムが、白人たちのもっとも自由にふるまえる場所だった。
FBI長官のフーヴァー、副長官のクライド・トルソンの2人とも独身であり、ホモセクシャルだと疑われていた。そのウワサを振り払うため、この2人はホモへの厳しい態度を示した。アカ狩りで名高いマッカーシーも、ホモセクシャル問題には深入りしなかった。というのも、彼自身、その疑いがあったから。
この本を読むと、いかにホモセクシャルに生きる人々(ゲイの人々)に文化人が多いか、驚くべきほどです。いったい、これはどういうことなんでしょうか・・・。
(2005年4月刊。3200円+税)
2008年2月29日
雪解け道
著者:青木陽子、出版社:新日本出版社
団塊世代の青春を描く大河小説。あの「大学紛争」とは何だったのか。「政治の季節」を駆け抜けた情熱が、今よみがえる。これは、オビに書かれている言葉です。
団塊世代は、いま、私をふくめて還暦を迎えつつあります。私には、残念ながらまだ孫はいませんが、この本の主人公のように孫をもつ人もたくさんいます。
多くの団塊世代が大学生のころに直面した「大学紛争」とは、いったい何だったのか。革命を議論していた、あの熱気、そして情熱は、いったいどこに消え去ったのか。不思議なほどにおとなしいのが、今の団塊世代の大きな特徴です。ええーっ、おいおい・・・。
ぼくら、20歳(はたち)前後のころは野放図に語り、行動して、世間の顰蹙を買うほどの存在だったんじゃないの?今、どうして、そんなに分別臭い顔をして、横丁の楽隠居みたいに引っこんでいるの・・・。たしかに、私はそう叫びかけたくなります。
著者は私とまったく同年の生まれのようです。1967年に大学に入学し、私の入ったセツルメント・サークルに似た児文研に入部します。
児文研は100人近い部員をかかえた大所帯のサークルで、戦前からのセツルメント活動に端を発しているという。
私の所属していた川崎セツルメントは、20ほどの大学から学生が150人ほども参加していました。もちろん、いろんなパート(部)に分かれていました。子ども会、青年部(若者会)、定時制高校パート、労働文化部、法律相談部、栄養部、保健部といったパートです。子ども会は、いくつもの地域で、そして、青年部はいくつもの若者サークルに入って活動していました。
実に多くの出会いがあり、発見がありました。私なんか、大学でよりも、このサークルで学んだことのほうが大きいと、今でも思っています。というか、2年生のときに無期限ストライキに突入して、まともな授業を受けていないことも原因のひとつです。でも、授業があっていたとしても、果たして、どれほど真面目に授業に出ていたかは疑問です。
寮生活をしていましたが、昼と夜とが逆転したような学生は、いくらでもいました。まあ、それはそれでいいような気がします。
「ぼくは大学に革命をやりに来ました。・・・いろいろ考えた結果、日本には革命が必要だと考えています。学生運動をやりながら、そこから革命の道筋を考えたいと思っています」
この本に出てくる学生のセリフと同じような言葉を下級生(43年入学)から聞いて驚いたことを覚えています。彼は、寮内にあるセクト全部をまわって論争したというのでした。ええーっ、そんなことをする学生がいるのか・・・、と驚きました。
デモの中にいて、機動隊とぶつかると、身体も気持ちも、くしゃくしゃになって、すごく昂揚してくる。自分自身がなくなるくらいに周囲に溶け込んでいく。それで、生きているという実感が強く湧いていくる。
自分たちを今の状況に追いつめている元凶が国家権力なら、権力の暴力装置とじかにぶつかるというのは、すごく納得できる。でも、怖い。自分が自分でなくなるような、あの状況が・・・。あれだけのことで、あんなに充実感を感じてしまうなんて・・・。
『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)とまったく同じ時期の大学内の様子が描かれています。団塊世代はもっともっと力を発揮すべきではありませんか。そのためにも、これらの本を読んで、若さを取り戻してほしいものです。
(2008年1月刊。2400円+税)
2008年2月26日
統一協会信者の救出
著者:全国原理運動被害者父母の会、出版社:れんが書房新社
勝共連合が大学内で活発に活動していたというのは昔の話だと思っていましたが、どうやら違うようです。教祖の文鮮明はソ連のゴルバチョフや北朝鮮の金日成とにこやかに握手したり、今や反共の闘士でもなく、アメリカで脱税して刑務所に入っていたような典型的な詐欺師だと思うのですが・・・。
この本によると、なんと、原理運動にのめりこむ学生が九州で増えているというのです。オウム真理教と同じで、悩める学生に巧妙に近づいて欺しているようです。
九州ブロックの統一協会の学生信者数は、ここ数年で何倍にもふくれあがっている。全国的に信者は大幅な増加傾向にある。ええっ、そうなんですか・・・。信じられません。
統一協会は40年にわたってマインドコントロールを続けているので、とても巧妙だ。時代とともにマインドコントロールの方法も変えている。
統一協会に入信しやすいタイプは、自分の将来があいまいで、選んだ学部が果たして自分にあっているかどうかよく分からない、4年間で自分の適正や夢を見きわめたいと思いつつ、大学に淡い期待を寄せて入ってくる学生である。果たして、自分はこのままでいいのだろうか、という漠然とした不安をもっている。
自分がここで潰れたら、日本は、世界は、どうなるのかと思いこむ。もはや日本の大学は乱れきっている。一人でも多く救おうではないか。と信者たちを伝道にかりたて、信者が増えていく。一部の心ない人たちの身勝手な行動や性関係をあおる風潮が、統一協会の基盤となり、存続の後押しをしている。
統一協会の「教義」の確信は堕落論にあります。
アダムとエバのうち、エバがサタン天使(天使長ルーシェル)と性交して汚れ、その後、エバはアダムを誘惑して性交してアダムも汚れてしまい、2人とも罪人になった。以来、この罪が血統と遺伝を通じて全人類に連綿と伝わってきている。
現代社会にエイズ、レイプ、売春、テレクラなどの性犯罪が起きる原因は、人類始祖が淫行による罪を犯したため、その子孫である人間に血統・遺伝として伝わった証明である。
神とメシア(文鮮明)は責任を果たしているにもかかわらず、いまだに地上天国が実現しないのは、人間が責任を果たしていないのが原因だと、信者に責任転嫁することができる。人類の始祖であるアダムとエバの堕落によって、人間も物もサタンの支配下に入ってしまった。そして、人間はそれ以降、物より下の地位になってしまった。物以下の人間が物以上になるためには、サタンの支配下にあるすべての物(万物)を神側に取り戻さなくてはならない。
この万物を神側(統一協会)に取り戻す行為を万物復帰という。万物復帰は、実際には資金獲得活動を指している。
エバ国家日本はアダム国家韓国に貢ぐことを義務づけられている。韓国がアダム国家である理由は、神に選ばれた民族の国であり、世界に真理を発信したメシアの国であるから。日本がエバ国家である理由は、朝鮮を植民地にして多くの人民を苦しめてきた事実などによる。戦後、日本が経済大国になったのはメシア(文鮮明)が神に日本の罪をとりなし、エバ国家として神に認めさせたからだ。
金と人物の両面で韓国と全世界の統一協会を支えることがエバ国家である日本の責任である。日本人に多く伝道して信者として、その信者を全世界に送り出していくこと、日本で莫大な資金を調達してそれを全世界に供給していくこと、それがエバ国家日本の使命だ。
ええっ、こんなばかげた教義に洗脳されている日本人大学生が九州で増えているなんて、とんでもないことですよね。
私も、かなり前のことですが、統一協会のビデオ・センターに乗りこんだことがあります。そのときは、統一協会のほうが「110番」して、パトカーとともに警察官5、6人がやってきました。こんな騒動のおかげで、私の依頼者が騙されて買わされていた多宝塔の代金300万円を取り戻すことができました。
先日受験した仏検(準一級)の口頭試問の結果が送られてきました。なんと、不合格でした。ガッカリです。22点で合格のところ、わずか1点足りない、21点でした。とても残念でした。たしかに3分間のプレゼンはあまりうまくいかなかったのですが、そのあとの問答でカバーしたつもりでしたから、今後は合格できたと思っていたのですが・・・。これで準一級の受験成績は1勝4敗となります。私が選択した問題は、ラジオとテレビのあと、今後はインターネットによって活字媒体が脅威にさらされていることをどう考えるか、というものでした。インターネットは莫大な情報があって便利だけど、政府によるコントロールは十分に可能なものだということを述べたのです。
まあ、めげずにフランス語を続けます。
(2007年10月刊。1800円+税)
2008年2月22日
梅の屋の若者たち
著者:加藤 長、出版社:同時代社
タイトルになった「梅の屋の若者たち」というのは、最近、残業代の不払いを問題としてパート社員がファーストフードの「すき屋」を相手にたちあがったケースを小説にしたものです。フリーターを簡単に切り捨てる企業を許さない。そのために労働組合に加入する。個人加盟の労組、その名も首都圏青年ユニオン。ちょっと前には考えもしないネーミングです。
実は、この本を読んだのは広島の廣島敦隆弁護士の紹介です。東大闘争を小説にしているので、読んでみたらということでした。
この本のなかに小説「東大闘争」という150頁ほどの中編があります。東大文学部は、東大闘争のとき、革マル派に牛耳られていました。まさしく暴力的支配に等しい状況でした。それを民青の側で正常化していく過程が生々しく描かれています。
東大闘争から40年たった現在、その記憶は多くの人の頭の中で風化しつつあり、時代も当時とはまったく様変わりしているが、誰かがこういうものを残さなければ、という義務感が執筆の動機となった。
まあ、読んでみると単に義務感だけで書かれたとは言えないように思いました。
早乙女勝元氏の推薦の言葉は、「旺盛な筆力に、青春のロマンが躍動している。東大闘争を扱った一篇が特に力作で、四昔も前のその日そのときの緊迫感に、胸がときめく」とあります。
いろんな人との出会い、輝いている女性たちとの出会いが余韻深く語られているので、その顛末はどうなるのかなあ、と思ったことでした。
そして、40年後の今日の状況も少しだけ語られています。やはり、そこがぜひ知りたいところですよね。40年前に最前線で活躍していた人たちが今、どこで何をしているのか・・・。
『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)を読んだ人から、東大闘争は壮大なマイナスという印象が強く、あまり思い出したくないものだという感想を聞かされました。そして、学生時代に講義を受けることもなく、まったく勉強しなかったので、今、勉強しているが、けっこう楽しんでいるということでした。
そうなんですよね。私がいまフランス語を毎朝勉強しているのも、学生時代に真面目にやっていなかったことを取り戻したいという気持ちもあるのです。
青春を取り戻せ、とまでは私も言いませんけどね。
(2008年1月刊。2000円+税)