弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

中国

2009年12月27日

中国・文化大革命の大宣伝(上)

著者 草森 紳一、 出版 芸術新聞社

 すごい本です。上巻だけで600頁近くあります。たまがりました、と書こうとしたらこれは方言でした。辞書を引くと、たまげる(魂消る)とあります。いずれにしても、よくぞこれだけの資料を集めて描いたものだと思います。
私にとって、中国で起きた文化大革命は高校生のころにはじまり、大学生そして弁護士になってしばらくまで続きましたから、大いに関心があり、それなりに関連する本を読んできました。ところが、この本は資料の集め方が半端じゃありません。恐れ入るばかりです。蔵書7万冊だということです。私も蔵書は1万冊くらいにはなるのかなあと思っていますが、数えたことはありませんので、よく分かりません。ただ、私個人のブログに『私の本棚』シリーズで写真付きで蔵書の紹介を始めています。すでに30号以上になるのですが、1回10冊ほどですし、まだまだほんの序の口程度でしかありません。ついでのときに、私のブログものぞいてみてください。
 毛沢東は自己宣伝に天才的才能を発揮した。
 ヒットラーは、オープンカーで全国の都市の中を疾走してみせた。「見たか」「見た」の効果は、「疾走」がポイントである。顔を群集に見せるためにゆっくりではダメなのだ。見えたか見えなかったか分からぬ、この危うさがヒットラー神話を作りだすのに大いに貢献した。同じように天安門上の毛沢東は、豆粒のように見えるところに大きな効果がある。天安門広場を埋める百万の群集に対して、見えたと言えば見え、見えないと言えば見えない。人間の視力では無理である。この無理が「接見効果」なのである。クローズアップはテレビにまかせればいい。テレビの中で動く毛沢東効果よりも、テレビに映る豆粒のような百万の紅衛兵に若者はしびれ、同化する。
 ふむふむ、これって、なんとなく分かりますよね。
 当時、中国の青少年は、子どものときからその頭の中に「毛沢東崇拝」の心がしみこむように絶え間ない洗脳を受けている。途中で権力を把握した劉少奇のグループも、その方針を変えなかった。統治の便法として、毛沢東を崇拝させておいたほうが良いからである。
実際には、紅衛兵の独走も多かった。彼らを操ろうとする江青らの文革小組も、指示どころか彼らの行動の後を追っかけるかたちにしばしば陥り、困惑していたのも事実である。つまり、指示による行動と独断による行動とが、見極めにくかった。独走したとき、宣伝に逆利用もできるが、逆宣伝にもなりうる。逆利用できなければ、後手に回るだけである。
 破壊という自分たちの仕事をしている紅衛兵たちは、とても幸せそうだった。
 造反という文字は従来の伝統的な漢語にはなかった。白話運動がおこってからの中国でつくられた新しい言葉である。有理も同じで、慣用の熟語ではない。このような、分かりにくい耳慣れない言葉は、かえって利用価値が高い。大衆は暴力に弱いからだ。革命とは造反のことである。造反は毛沢東思想の塊である。
 下放は都会青年にとって地獄であり、食糧を配分しなければならない農民にとっては歓迎すべからざる客でしかなかった。そして、下放青年たちは豊作踊りを余儀なくされた。この豊作踊りとは、自給自足が原則の知識青年たちが飢えをしのぐため、生産隊の食糧を盗むこと。いやはや、餓死寸前にまで都市青年は追いやられたのですね……。
 毛沢東の死の直後、その遺体を前にして江青と秘書兼愛人だった王海容が取っ組み合いのケンカをしたことが紹介されています。恐らく本当のことでしょうが、ひどいものです。
 中国の文化大革命の真実は、もっと日本人も知ってもいいように私は思います。

 
(2009年5月刊。3500円+税)

2009年12月 5日

三国志談義

著者 安野 光雄・半藤 一利、 出版 平凡社
 私は「三国志」も「水滸伝」も大好きです。胸をワクワクさせながら読みふけりました。豪傑たちへのあこがれは、今もあります。
 魏の曹操は、徹底的に悪者になっている。しかし、『正史』を読むと、立派な人だということが分かる。人材の使い方にすぐれ、適材適所の登用により各人の能力を存分にふるわせた。感情を抑え、計算をしっかりとし、その人物の過去にこだわらなかった。戦略戦術は実に見事で、天下を大きく動かした。まさに絶賛に価する。
 しかも、曹操は大武将であるうえ、息子の曹丕(そうひ)、曹植の親子三人が、いずれもすぐれた詩を残している。そして、曹操は、いつも陣頭指揮の人であった。自分の部下もきちんとほめる。
 いやあ、知りませんでしたね、曹操って本当は偉い人物だったのですか……。かの魯迅が曹操を評価しているということも初めて知りました。
 曹操は非常に才幹のある人物であり、一個の英雄として、非常に敬服している。
 なーるほど、曹操って、実に偉い人なんですね。
 うむむ、なるほど、これもたいしたことですよね。
 曹操の詩に、人生というものは、日が出るとたちまち乾いて消える朝露のようにはかないものであるというものがある。なーるほど、そういうものなんでしょうか……。
 呉の孫権は、人をつかうとき、疑いがあるなら使ってはいけない。しかし、使った限りは疑うな、こう言った。孫権はずっとこれを守った。それで、孫権は19歳のときに王になってから、71歳までの52年間、トップに居続けることができた。
 「白浪五人男」の由来。「白浪」というのは盗賊を意味する。これは、「三国志」の冒頭、黄巾の乱で、大将の張角が戦死したあと、残党の白波(はくは)賊が、白波谷に籠って抵抗したことに由来している。つまり、白波を白浪に変えたのだ。
 危急存亡の秋(あきではなく、とき)。進退谷まる(たにではなく、きわ)。日本語の読み方はとても難しいですよね。
 『三国志』をめぐって、大家の放談を聞くと、いろんなことを知ることができます。
(2009年6月刊。1400円+税)

2009年11月23日

蘭陵王

著者:田中芳樹、出版社:文藝春秋
 時代は中国の6世紀後半、南北朝のころです。随が中国を統一する少し前のことになります。
 中国の歴史書である『資治通鑑』に「北斉の蘭陵王・長恭(ちょうきょう)は、才たけくして、貌(かんばせ)美しく、常に仮面をつけ、もって敵に対す」とあることをもとにした小説です。
 同じく中国の歴史小説を得意とする宮城谷昌光と似てはいますが、文体が少し異なります。何がどう違うのか、私の貧弱な言葉では言い表しにくいのですが、宮城谷昌光のほうが一日の長があって話の深みが優っている気がします。かといって、著者の本がダメということでは決してありません。よくぞここまで調べあげ、また、想像力をたくましくしたものだと感心しながら読みすすめました。
 「蘭陵王」というのは日本でも広く知られていて、古典的な舞楽として、国立劇場で上演されているとのことです。恥ずかしながら、私は知りませんでした。
 勇壮華麗で人気の高い作品なんだそうです。知っている人には申し訳ありません。
  蘭陵王は実在の人物であり、『アジア歴史事典』にも登場する。「蘭陵王高長恭、中国は北斉の皇族。文襄帝の第4子。容貌は柔和であったが、精神は勇敢で、武成帝、後主のもとで、しばしば戦功をたてた。北周の軍が洛陽を攻囲したとき、大将軍斛律光とともにこれを救い、邙山で激戦し、500騎を率いて2度までも北周軍に突入して、ついに金墉の城壁下に達したが、城上の斉兵は高長恭であることを知らず、彼は甲を脱いで顔を示し、城中に迎え入れられた。こうして周軍は囲みをといて退走したので、北斉の将士らは、蘭陵王入陣楽なるものを作って、その勇武を歌った。
 戦功により世の威望高く、ために後主の嫌疑を受け、ついに毒薬を賜り、没した」
 この本には、皇帝が疑心暗鬼となっていて、武勲大なる功臣を次々に謀殺していく情景が描かれています。きのうまで栄華の席にあった皇族や功臣が、たちまち逆賊として殺害されていったのでした。まことに封建主義、皇帝独裁制というのは怖いものです。
 著者は熊本県生まれで、私より少しだけ年下です。これまでも中国史関連の本をたくさん書いているようですが、私は初めて読むような気がします。
(2009年9月刊。1500円+税)

2009年9月 9日

記憶に出会う

著者 大野 のり子、 出版 未来社

 中国黄土高原、紅棗(なつめ)が実る村から。こんなサブタイトルのついた写真集です。中国の辺地を紹介する写真集かなと思って手に取ると、そこはなんと、あの日本軍が三光作戦を展開した地域だったのでした。そこに、私と同じ団塊世代の女性が、単身、現地にでかけて生活しながら、地元の人々の生活と顔写真を撮り続けていたのです。いやはや、すごい勇気です。
 この村にも民兵がいた。民兵は10代後半から20歳くらいの青年で組織され、八路軍を支援した。民兵は武器をもたなかったので、日本軍が来ると隠れるしかなかった。民兵の主な任務は、村人の逃げ道を確保し、八路軍を支援すること。
 女性も婦女隊を結成した。主な仕事は、糸を紡ぎ布を織ること。八路軍が身に着けていたものは、すべて婦女隊が織った粗布だった。
 日本軍と戦って犠牲になった一人の農民兵士の生命の値段は、180元、わずか2700円でしかなかった。
 中国は公式には一人っ子政策をとっているが、農村ではだいたい2人か3人、多いと子どもが5人もいる。罰金を払ってでも子供をつくる。
 中国では子どもが2歳か3歳になって、言葉をしゃべるようになってから名前をつける(起名)のが普通。それまではドンドンとかバンバンとか適当な名前で呼ぶ。
 子どもが12歳になる前に死んだときには、棺にも入れず、服も着せず、裸のまま川に流すか、山や河原に放置して自然のままに任せる。これは、お金のあるなしとは関係ない。
 うむむ、果たして、本当にそうなんでしょうか……?
 日本軍がやってきていたとき、この村では7年間、まるまる7年間、隠れて住み続けた。
 日本人は2、3日に1回、この村にやってきた。その目的は、焼き、殺し、奪い、破壊することだった。
 日本軍は中国軍(八路軍)の倍以上いた。村を包囲し、機関銃で攻撃してきた。ある村人は、日本人と刀による白兵戦となって腕を斬り落とされた。足もやられた。日本軍は強く、八路軍の300人いた部隊は7,8人をのぞいて全滅してしまった。
 1945年夏、日本軍が投降したあと、閻鍚山はひそかに1000人の日本兵を残留させ、八路軍との戦いに参加させた。この中国軍に参加させられた日本兵が「自発的に」中国軍に参加したという不当な扱いを日本政府から受けていることは前に紹介しました。このときの八路軍兵士だった人からの貴重な聞き取りもあります。
 中国のお葬式は、にぎやかにすすめられる。お墓には墓碑というものはなく、土盛りは風雨にさらされて、やがて大地と一体化する。
 私も、敦煌の近くの砂漠地帯で、そのような墓地を見ました。人は土から生まれ、また土に還っていく存在なのですね。
 この村は、中国山西省中部にあります。北京から高速バスで7時間、そして乗り換えたあともバスに乗って、合計14時間ほどの行程のところです。
 焼き尽くし、奪いつくし、殺しつくす。残虐な三光作戦を繰り返した地に、日本人女性が一人で現れたわけですから、地元の拒絶反応はすごいものがありました。それも当然ですよね。自分の身内が殺されているのですからね。それでも次第に村の生活に溶け込んでいくのがすごいです。村の人々の生活と、おだやかな顔写真がよく撮れていました。

(2009年5月刊。1500円+税)

2009年6月12日

中国貧困絶望工場

著者 アレクサンドラ・ハーニー、 出版 日経BP社

 チャイナ・プライスはブランドと化している。そのブランド・イメージとは、安価な衣服、アメリカの流通大手ウォルマートの陳列棚に目いっぱい並べられている家電製品、職を失いつつあるアメリカ国内の工場労働者、工場で働く中国人女性などの断片を寄せ集めたもの。
 そして、このチャイナ・プライスに対してアメリカの経営者は、東方でたちあがった新興勢力としての脅威を覚える一方で、大幅なコスト削減を約束してくれる頼もしい味方のようにも感じている。ウォルマートは、中国から毎年少なくとも180億ドル相当の製品を仕入れている。韓国のサムスンは中国から150億ドル相当の部材を購入した。
 中国はアメリカ向けの輸出シェアを41分野で拡大した。2006年、アメリカの対世界貿易は、全体として1780億ドルもの輸出超過となった。
 製造業界に関しては、中国は1億400万人という世界最大の労働力を抱えており、これは、アメリカ・カナダ・日本・フランス・ドイツ・イタリアそしてイギリスの労働力を合計した人数の2倍である。
 中国には、「ガン村」と呼ばれる村が点在する。1600万社で働く2億人の中国人従業員は、危険な労働条件の下で働いている。2005年現在、中国には職業病にかかった人が66万5千人と記録されていた。そのうち9割、61万人ほどがじん肺症である。実際には、じん肺症患者は100万人をこえていると推定されている。
 中国は職業病の予防と処置に関する法律を2002年に施行している。だが、実際に法を執行するのは、地元の政府である。出稼ぎ労働者の働く工場を監視する人員は絶対的に不足している。2006年末で、7億6400万人の職場を監督するのに、フルタイムの労働検査官は2万2千人しかいない。たとえば、580万人もの人々が働く深圳に、検査官がわずか136人しかいない。
 労働争議は増加の一途をたどっている。2005年に、仲裁委員会は前年比20.5%増の31万4千件の申請を受理した。
 出稼ぎ労働者は3種類の書類を常時携帯することが求められている。身分証・暫住証・就業証である。これを持たない人は、「三無人員」と呼ばれる。「暫住証」のヤミ市場価格は3万元もする。
 1994年以来、深圳の居住者は、郵便局を通じて1600億元もの仕送りをしている。経済成長の早さは全国トップであり、1980年以降は、毎年平均28%もの伸びを示している。深圳の不動産価格は、2006年だけで30%の伸びを示すほど急騰した。
 中国の労働市場のすさまじい実情の一端を知ることができました。

浦上天主堂に行ってきました。久しぶりのことです。
 ひょっとしたら、中学生以来かもしれません。グラバー邸には何年か前に行きましたが……。浦上駅から歩いて15分。坂を登ったりおりたりして、いい運動になりました。
 天主堂の前の花壇に首の取れた聖人像があります。原爆の威力のすさまじさを感じます。聖人像のかたわらに紫陽花の青い花が咲いていました。
 天主堂のなかをのぞくと、暗い堂内にステンドグラスが怪しく輝いていました。
 オバマ大統領が原爆投下の道義的責任を認め、核廃絶への取り組みを呼びかけました。とても画期的なことです。まさしくチェンジの実践です。日本人として、拍手を送りたいと思います。ところが、なんと日本政府は核の傘をはずさないように申し入れたとのことです。明らかに逆行していると思います。
 それどころか、北朝鮮が衛星を打ち上げたり(失敗しました。アメリカはミサイルではなかったとしています)、核実験するなどひどい事をしているのに対して、自民党のなかに北朝鮮の基地を先制攻撃しろという声が出ているそうです。それって、戦争を始めろというのと変わりません。恐ろしいことです。

(2008年12月刊。2200円+税)

2009年5月22日

兄弟(下)

著者 余 華、 出版 文芸春秋

 猥雑極まりない本です。でも、現代中国の本質的断面を小説として戯画的に鋭く描き出したことから、中国人の共感を招いたのでしょう。上巻が40万部をこえるベストセラーになり、上下巻合わせて100万部をこえたといいます。しかし、失望や批判する声も少なくなく、賛否両論、中国内での議論が沸騰した。なるほど。読むと、それもうなずけます。
 この開放経済篇は、喜劇である。しかし、その中に悲劇の音符をさんざん飛び跳ねさせた。悲喜こもごもの物語を書きたかったから。
 そのとおりです。悲劇があるかと思うと、立身出世物語があり、その裏で悲劇が進行し、また、俗悪な現実が展開するのです。まさしく現代中国の病弊にみちみちた社会の断面を目の当たりに見ている実感にさせられます。
 440頁もの長編です。あまりにめくるめき展開なので、目が回り、吐き気まで催しそうです。
 秋田県熊代市には、海岸に面して風の松原という広大な松林があります。長さ14キロ、幅1キロと書かれています。そのなかに遊歩道があります。チップを敷き詰めた、とても歩きやすい道です。アスファルトとか合成の道ではなく、着地した感触が柔らかく、歩き心地のすばらしい遊歩道です。松の木は、どれもひょろひょろと長いのですが、風が強いせいでしょうか、内陸の方に向かって傾いています。雨上がりの朝、そこを30分ほどかけて歩きまわりました。姿の見えない小鳥が爽やかな鳴き声を響かせてくれるなか、たっぷり森林浴をすることができました。
 すぐ向こうに海があり、波の音も聞こえてきます。ケータイの万歩計に1万2000歩歩いたと表示されました。熊代は静かないい町です。福岡から熊代に移った中野俊徳弁護士の応援団の一人として、熊代に行って来たのです。弁護士過疎解消のため、東北の地で九州男児ががんばる。その決意は大したものです。少しスリムなボディーになって、秋田美人との出会いが実ることを期待しています。

(2008年6月刊。1905円+税)

2009年4月18日

兄弟(上)

著者 余 華、 出版 文芸春秋

 狂乱の文化大革命を生き抜く少年の話から始まります。母親はその前に北京の病院に入院しています。父親は文化大革命を歓迎していたのに、地主の子として、糾弾の対象とされてしまいます。地主といっても、ほんとに大した地主ではなかったのに、仕事を奪われ、収容所に入れられ、妻に会いに行こうとして、路上で殴る蹴るの暴行を受けて、ついに死んでしまいます。哀れ、子どもたちは、どうやったら生きていけるのか……。
 あまりに猥雑な出だしですので、とても女性にはおすすめできません。紅衛兵運動というのが、いかに理不尽なものであったのか、その体験が生かされているのでしょう。文化大革命の美名のもとで、中国古来の文化を台無しにしていった事実は消し去ることができません。今では、文化大革命というのは、要するに、失脚したも同然だった毛沢東による権力奪還闘争だったことがはっきりしています。
 それを新しい文化を創造する試み、そのために古い文化を破壊してもかまわないんだという理屈付けがなされていました。日本人の中にも、毛沢東の言うことならなんでも信じるという人々がいましたが、今となっては信じられない現象です。
 下巻は欲望の開放済のなかで主人公たちが生き抜いていくというのですから、楽しみです。
 それにしても、本当に中国は社会主義国なんでしょうかね。私も中国には何回か行ったことがありますが、とても社会主義国とは思えませんでした。観光客である私の前には、まさしく資本主義国家として登場していました。
 アメリカと違って、中国の治安は抜群に良かったし、今もいいようです。これも、アメリカの方が貧富の格差の増大が一歩先んじて際限もなく続いていることによるのでしょうね。
 
(2008年6月刊。1905円+税)

2009年1月12日

甲骨文字に歴史を読む

著者:落合 淳思、 発行:ちくま新書

 中国の殷(いん)王朝は、今から3000年以上も前に存在した実在の王朝である。文字史料である甲骨文字によって、殷王朝の社会、税や戦争などを知ることが出来る。甲骨文字は、形こそ大きく違うが、現在の漢字と同じ構造をしている。甲骨文字は、亀甲や牛骨に記されている。
 当時の中国には、黄河中流域にも象が生息していた。占いだけでなく、殷墟遺跡から象の骨も発見されている。
 甲骨文字でつかわれた数字は十進法であり、桁(けた)の概念も存在している。
 殷代には、工業や土木建築の技術が進んでおり、数千人の人員を動員することがあるため、数字を使う機会も多かった。
甲骨文字には時刻の表記も見られる。ただし、時刻というより、時間帯といった方がいいだろう。殷代には季節は春と秋のみ。1年はあったが、季節が循環するものとみていた。ただし、暦は正確なものがあった。
 中国の殷代に、奴隷は社会階層をなすほど存在しておらず、戦争捕虜しかいなかった。
 殷代の王は、祭祀権、軍事権、徴税権、徴発権を持っていた。
 巨大な城壁の建築は、一般の農民を徴発して行った公共事業によって作られた。
 殷の最後の紂王は、暴君の代表とされていて、酒池肉林で有名だ。しかし、甲骨文字によって殷の歴史を見ても、紂王が暴君であったという証拠は見つからない。
 殷が滅びた原因は、実際には酒ではないのだが、そのあとの周王朝は酒によるものと主張した。事実よりも、戦勝国である周王朝の宣伝が「歴史」として定着したのだ。それに何百年もかかって尾ひれがついて、最終的に「酒池肉林」という伝説が形成された。
 ふむふむ、そういうことだったのですか。なるほど、なるほど、これって、よくあることですよね。それにしても3000年も前の甲骨文字をスラスラと解読し、それを歴史の事実に当てはめていくという作業は大変なことだろうと思います。学者って、すごいですよね。いつものことながら、感心してしまいます。

(2008年7月刊。720円+税)

2008年12月20日

中国社会はどこへ行くか

著者:園田 茂人、 発行:岩波書店

 中国の階層形成にとって、教育はもっとも重要な要素の一つになっている。幼稚園や小学校のレベルでも階層分化の問題が顕在化している。幼稚園や小学校のあいだで序列化が進んでいる。よい幼稚園や小学校は、しばしば政府機関の肝いりでできる。政府部門から支援されているため、設備や教員の資質がきわめて高いものの、学費は安く抑えられている。一種の特権である。
 最近、経済力と学歴取得が結びつつある。
 生活費や住宅費が上昇しているので、中産階級では子どもに教育を与えるのが徐々に苦しくなっている。農村では、子どもが中学や高校に通っているときには、世帯収入の半分が教育費にかけられている。
 中国政府は、みずからの政治理念を広く普及させようとしているが、共産主義教育は明らかに失敗してしまった。文革中の理念を紹介しても、誰も聞こうとはしない。中国の多くの市民は、社会主義の理念を信じていない。
中国の三大問題は、教育費の高騰、不動産価格の上昇、医療費の高額化である。これにもっとも敏感に反応しているのが、中産階級である。なかでも、もっとも深刻なのは不動産価格の上昇だと考えられている。
 インターネットでの議論をリードしている若者たちは、一定の教育水準があり、中産階級予備軍である。
人々の多くは現在の中国の指導者である胡錦濤、温家主の悪口を言うことはほとんどない。なぜか、大変に良いイメージをもっている。
 私営企業家は、共産党員にならなくても政治に参加できるルートが広がっている。現在の中国で、富を生み出す最大の源泉は土地である。
 中国の今の青少年は、労働者になりたがらない。若者たちは、お金持ちになりたい気持ちと、金持ちになるのはいけないことだという気持ちを同時に抱いている。つまり、ニューリッチは裕福な人として人々の羨望の対象となっている。しかし、同時に、人々には「金持ちは汚い」という感情が渦巻いている。
 家庭教育の貧困がもっとも深刻な問題である。汚職でも、住宅問題でもない。受験勉強しか生み出さない家庭教育こそ、中国社会のかかえる最大のアキレス腱である。
 イデオロギーとしてのマルクス主義は生命を失ってしまった。一般庶民も共産主義の理念を信じていない。だからといって、共産党は自由主義的価値観を受け入れることはできない。となると、どうしても伝統的な価値観を利用せざるをえない。そこで、儒教が登場してくる。共産党の統治を正当化するイデオロギーは儒教しかあり得ない。儒教抜きに共産党の存続は不可能である。
 中国の行方を中国人の若手学者がいろんな角度から指摘している本です。いろいろ考えさせられました。
(2008年5月刊。1800円+税)

2008年11月29日

中国、静かなる革命

著者:呉 軍華、 発行:日本経済新聞出版社

 著者は、2022年までに中国は共産党一党支配の現体制から民主主義的な政治に移行するが、それは、農民・大衆の反乱という下からの革命に触発されてではなく、中国共産党のイニシアチブによって粛々と進められていくとみる。その理由が詳細に述べられていますが、なるほどとうなずくところが多くありました。でも、まだ中国は一応は社会主義社会を目ざしているのだと思うのですが……。
 旧ソ連の社会主義体制の崩壊は、ソ連邦の解体とともに進んで行った。これは、伝統的に「中国は一つ」という思想の影響を強く受けてきた中国人、とりわけ知識人をふくむ人口人の絶対多数を占める漢民族(全人口の92%)の人々にとって、感情的にとても受け入れがたいことだった。
 そこで、共産党体制に対する人々の考え方は、共産党に強い不満と怒りを持ちながらも、とりあえず共産党体制のままほうが無難だという方向に大きく変わった。
 現在の中国においては、金銭的なゆとりを持っている層が予想を超えてはるかに大きくなっており、その生活実態は、裕福さが日本の平均的サラリーマンと比較して決して遜色のない水準にまで達している。
 中国では、中産階層は現体制の安定を支える大きな柱の一つとして期待されている。
 2007年現在、中国の中産階層は、人口の1割を超える1億5000万人以上に達しているとみられている。2020年には、全人口に占める中産階層の比率が45%に達するという予測がある。中国は、いまや、アメリカに次いで世界でもっとも多くの億万長者を輩出する国になっている。
 程度の差こそあれ、中産階層入りしたほとんどの人は、所得を増やし、富を蓄積する段階において、共産党一党支配体制の恩恵を受けてきた。つまり、中国の中産階層は、共産党の「育成」があってはじめて、ほぼ皆無の状態から短期間に、ここまで急拡大することができた。
 1990年代に入って、北京、上海、広州といった大都市だけでなく、地方都市まで不動産開発ブームが巻き起こった。中国は、いまや世界の土建国家となった。
 中国の富豪の多くは、不動産業に携わっている。不動産業が蓄財産業となったのには、まさしく権力と資本の結託があった。
 経済的利益を上げるに際しての国民の自由度は大きく拡大された。これを受けて、中国社会は劇的に変化した。
 政権の維持が至上命題になったのに伴い、政党としての共産党の政治的目標と行政の目標との一体化が急速に進み、政治は実質的に行政化した。
 そして、中国社会は脱政治化に向けて大きく動き出した。
 政府レベルでGDP至上主義、個人レベルで拝金主義が蔓延した結果、中国社会の脱政治化は急速にすすんだ。
北京オリンピックを成功させることによって、長い文明の歴史を有しながらも、アヘン戦争以降、列強に蹂躙された過程で鬱積してきた中国の人びとは、その民族的屈辱感をかなり晴らすことができた。
 かつての共産党は、上層部から末端までの利益が一致していたが、今は、こうした構造が大きく変わった。党員数7730万人という巨大組織のうち、ほとんどの人は党員であっても、自らの専門知識・技能をベースに官僚やエンジニア・教師などの職業についた専門家、または労働者、農民である。共産党という組織の一員になることは、彼らにとって、よりよい出世につながるキャリアパスになりえても、生活に不可欠な要件ではない。
 共産党は、一見するとひとつの利益集団になっているが、その内部では利益の多元化が急速に進んでいる。
中国社会の現状分析として、なるほど、と思うところの多い本でした。私も中国には何回か言っていますが、行くたびに、その近代化、大変貌ぶりに驚かされます。 
(2008年8月刊。2000円+税)

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