弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2016年2月21日

泣くのはいやだ、笑っちゃおう

(霧山昴)
著者 武 井  博 、 出版  アルテスパブリッシング

 昔なつかしいHHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」について、担当ディレクターだった著者が裏話をたっぷりふくめて書いています。
 『ひょうたん島』が始まったのは1964年4月のこと。私が高校に入学した年です。それから5年間続いて1969年4月に最終回をむかえました。私がまだ大学2年生、本当は3年生に進級するはずでしたが、例の安田講堂攻防戦が1月にあり、ほぼ1年ぶりに授業が再開されましたので、4月進級はありませんでした。
 高校生のときですから『ひょうたん島』をじっくり見た記憶はありません。でも、そのパンチのきいた人形劇はとても印象に残っています。
 博士、ダンディ、ガバチョ、トラヒゲ、サンデー先生という個性的な人形と声優、そしてセリフがすごく印象に残っています。
 毎年1回、かつての弁護士会役員仲間が奥様同伴で全国を旅行してまわっていますが、そのグループの名前が『ひょうたん島』なのです。そして、博士とガバチョがメンバーにいます。私は、そこではモノカキと称しています。
『ひょうたん島』は東京オリンピックそして東海道新幹線と同じ年にスタートしたのだそうです。ええっ、そうだったっけか・・・。
 テーマソングを歌ったのは、なんと当時はまだ中学1年生だった前川陽子。これはすごいですね。そして、テーマソングの歌詞をつくる生みの苦しみが紹介されています。丸2日間、なんのアイデアも出ずに苦しみ、ついにNHKへ戻っていく列車の中で、井上ひさしが、「まるい地球の水平線」という言葉を思いついた。「丸くて水平」。実に非凡な夢ふくらむ発想だった。そして、列車のなかで歌詞が完成したのです。
 泣くのはいやだ。笑っちゃおう。井上ひさしにとっても、これはこれからも生きていくうえでの、人生のモットーだった。
 5年間の番組の脚本を書いたのは井上ひさしと山元護久。どちらも同時はまだ20代。二人がケンカすることなく共同執筆を続けたというのも、すごいです。遅筆堂で有名な井上ひさしですが、5年間、一度も空白をつくらなかったというのもすごいですね。井上ひさしは、実は大変な速読ができたようです。私も本を読むのは早いほうですが、はるかに上回る量と内容です。とてもかないません。
 そして、この二人には、どちらもカトリック施設育ちという共通項があったのでした。
 二人は、人形劇に対する不信感から、その限界を乗りこえようと、「せりふ」で勝負した。
 NHKで、この50年間でもっとも良かった番組の人気投票をしたら、『ひょうたん島』は『おしん』に次いで堂々の第二位だった。これまた、すごいですね。それほど、私たちの心に残っているのです。
 惜しむらくは、その放送がほとんど残っていないことです。当時はテープが高価だったため、上書きされていて保存されていないのです。本当に残念なことです。この本は、その良さを再確認する手がかりとなっています。


                           (2015年12月刊。1800円+税)

2016年2月18日

それでも企業不祥事が起こる理由


(霧山昴)
著者  國廣 正 、 出版  日本経済新聞出版社

 コンプライアンスと聞くと、なんだか法令を形ばかり守っていればいいんだろうというマイナスのイメージがありますよね。著者は、その体験を通して、そんなものではないと力説しています。
 重箱の隅をつつく形式的な法令遵守(じゅんしゅ)の強制が、コンプライアンスの名のもとで横行している。コンプライアンスという言葉は誤解されている。コンプライアンスは単なる法令遵守ではない。危機的状況にある企業は、弁護士の法律的意見にしがみついてはいけない。
 パロマの教訓は、人が死亡するという重大事故が続発しているという重大リスク情報をもつ企業は、それを公表して次の事故を防ぐべきだというのが今日の日本社会における企業に対する社会的要請なのである。
企業の管理とは、裁判所を相手にするものではなく、消費者やマスコミなどの社会を相手にするものである。日本社会はルール重視の社会に変わっている。ところが、企業がそれに対応できずに、従来と同じ行動を続けていることが、多くに企業不祥事を生み出している。
 公正取引委員会に談合やカルテルがあったことを通報したら、申告1番目の企業については課徴金が全額免除されるという法律が既に10年前(2006年1月)に施行されているのですね。ちっとも知りませんでした。
 コンプライアンスを「法令違反に問われないこと」と考える企業は、「法令に触れない限り、少しばかり行儀が悪くてもかまわない。ビジネスチャンスはそこにある」という経営姿勢をとりがちだ。これは、合法的に法の網をかいくぐって利益をあげる手法。しかし、いつかは必ず失敗し、取り返しのつかない制裁を受けることになる。
 ダスキンは、「積極的には公表しない」というあいまいで成り行きまかせの方針でのぞんだ。この姿勢が危機を拡大させた。危機管理広報で大切なことは、報道されないことではなく、報道を1回で終わらせ、連続報道を防ぐこと。報道されないことを追及するあまり発覚したときに、いかに対応するかがおろそかになってはいけない。
 第三者委員会に入って苦労した体験を踏まえていますので、新人ではない私も大変勉強になりました。ありがとうございます。
(2010年7月刊。1600円+税)

2016年2月17日

会社という病

(霧山昴)
著者 江上 剛 、 出版  講談社α新書

 会社がらみの不正が頻発している。なぜか・・・?
 社員が疲れきっているからだ。会社でストレスがないのは経営者だけ。社員は、誰もが「助けてくれ!」と悲鳴をあげている。多くの会社は、一見、社員を大事にするホワイト企業の顔色をしているが、その内実は「死ぬまで働け」というブラック企業になってしまっている。かつての日本企業は社員を大切にすると言っていたし、外国からそうしていると信じられていた。今では、非正規社員が雇用者の4割近くになったし、社員の多くが将来に不安を抱きながら働いている。
 東大卒は、大企業での出世に強い。それは「潜在能力が高い」からだという。
 うひゃあ、なんということでしょう。「潜在能力」だなんて、誰にも分らない「能力」ですよね・・・。
 長くサラリーマン人生を送ってきたものとして、学生に出来るアドバイスは、ただ一つ。出世なんかするな。出世欲にとりつかれ、そのためだけに他のすべてを犠牲にし、本来の自分の人生を失うことが非常に多い。ある程度の年齢になったら、出世欲は抑えたほうがいい。
派閥会社を生き抜く第一の鉄則は、絶対に浮気をしないこと。あっちふらふら、こっちふらふらというのは最悪だ。そして第二は、派閥に入った以上は、お茶くみ、雑巾がけをいとわないこと。
部下は育てるものではない。育つものである。
嫌な上司とつきあうには、ストレスをためこまず、上手に付き合っていく方法を考える。
会社の業績は、勉強のできる人材だけでは絶対に伸ばせない。バラエティに富んだ人材がいなければ、イノベーションは起きないし、馬力ある営業活動もできない。
サラリーマンにとって、定年とは、なかなか辞めどきを自分で判断できない愚かな組織人にとって、辞めどきを教えてくれる重宝なシステムだ。
社長経験者が相談役だの顧問だのといって会社に残ってプラスになることは一切ない。定年をもっとも必要とするのは、社長や相談役という経営トップなのだ。
日本の会社の成果主義というのは、ひとにぎりの老獪な経営者グループが、欧米なみの超高額の報酬を受けとり、少ない残飯を社員に配っているようなもの。会社の成果の大部分を経営者層がとってしまう欧米のシステムは日本には合わない。巨額の報酬をもらって居座るというのでは、社員のモラル(士気)は低下するばかりだ。
 銀行員として長くつとめた著者が、会社の病(やまい)を切れ味も良くバッサリ切り捨てています。会社づとめの経験がない私は、資格をとって良かったなと思うばかりです。


                           (2016年2月刊。880円+税)

2016年2月16日

「脳疲労」社会

(霧山昴)
著者 徳永 雄一郎 、 出版  講談社現代新書

 ストレスケア病棟から見える現代日本、というサブタイトルがついた本です。著者は、全国初のうつ病専門病棟を開設した精神科の医師です。福岡と大牟田で診察・治療にあたっています。私も海の見える開放病棟に見学に行ったことがあります。
アベ内閣が推進している残業代ゼロ法案は、ますます際限ない長時間労働へと勤労者を追いこんでしまう危険があると著者は指摘しています。
 仕事による強いストレス原因で心の病気になったとする労災請求件数は2014年度は過去最多の1456件、うち支給決定が397件だった。前年を61件も上回っている。
 ホワイトカラー・エグゼブションを導入するのは現状に逆らうもので、過労死をさらに増やしてしまう危険がある。
 日本人は、家庭のストレス(20%)よりも職場でのストレス(50%)から体調を悪化させ、病気になる。この四半世紀で、ますます多くの職場が長時間労働や過重労働で疲労している。労働環境が悪化している。若い勤労者のIT化による脳疲労がすすんでいる。
不知火病院のストレスケア病棟に入院した患者は4000人をこえた。
クレーマーの心理的背景には、淋しさや悲しさがある。大事にされていない淋しさが潜んでいる。だから、逃げない姿勢が大切。逃げれば追いかけてくるが、向き合えば次第におさまってくる。心の奥底には、話を聞いてもらいたい願望が横たわっている。
クレーマーは攻撃しながら相手を細かく観察している。怒りながら、相手が嫌がっていないか、逃げてはいないか、手足の動きまでも細かく見えている。クレーマーには、逆に頼りたい感情が隠されている。そうなんですね。そんな人としっかり向きあうのは大変ですが、避けられませんね。
 上司も部下も、ゆとりをなくすと、感情をコントロールしづらくなる。上司はパワハラをはじめ、部下は上司を攻撃するという逆パワハラを起こす。
 風邪は、うつ病のもと。慢性的な脳疲労の最大の要因は、長時間の労働にある。
 うつ病は、世界的にみても有病率が高い。WHOによると、全世界の人口の5%、3億5000万人以上がうつ病に苦しんでいる。
うつ病治療の基本は、一に休養、二に薬物療法、三に再発防止のためのカウンセリング。
脳疲労を防止するためには、70%のエネルギーを会社で使い、30%のエネルギーを家庭のために残すこと。
著者は、私と同じ団塊世代です。実は、中学校の同級生なのです。これまで、たくさんの啓蒙書を出しています。今回も贈呈してもらいました。ありがとうございました。お互い、引き続きがんばりましょう。


                           (2016年1月刊。760円+税)

2016年2月13日

水中考古学

(霧山昴)
著者  井上 たかひこ 、 出版  中公新書

  海底に人類の遺産が、こんなにたくさん眠っているのですね・・・。
エジプトのツタンカーメン王への積荷が海底に沈んでいた。硬い木材である黒檀(こくたん)は、エリート階級のためのもので、象牙のように加工されていた。そして象牙の代用品としてカバの歯が使われていた。
蒙古襲来のときの元寇船の遺物として、「てつはう」が発見された。直径15センチの陶器で出来ている。中には、火薬や石つぶてが詰められた。そして、厚さ1センチほどの小さな鉄片が詰まったものが発見されており、殺傷能力の高い散弾式武器でもあった。
「てつはう」のサイズは、15センチ、重さ2キロなので、人力ではなく、投石機を使って炸裂させていたはず。
タイタニック号が沈んだのは、氷山が船体に突をあけた結果ではない。氷点下で鉄板がもろくなり、衝突のショックで鋼板がはがれたから。船は二つに折れて、海中に没した。
海底に沈んだ遺物を引き揚げても、そのまま空中に放置しておくと、ボロボロになってしまうようです。塩気を抜いたり、何かと大変なんですね。でも、その苦労と工夫のおかげで私たちは居ながらにしてこんなことを知ることができるわけです。
(2015年10月刊。800円+税)

2016年2月12日

誰が「橋下徹」をつくったか

(霧山昴)
著者 松本 創 、 出版  140B

 私からすると、ウソ八百の政治家であり、同じ弁護士なんて言ってほしくありません。ところが、大阪では依然として高い人気があるというのですから、世の中は不思議です。
 まあ、憲法無視のアベの支持率が5割前後をキープしているのと同じ現象なのでしょうね。要するに、共通点は、今の政治に不満はあるけれど、誰かが良い方向にひっぱっていってくれるだろうという「他力本願」なのです。でも、自分が出来ることをしなくて世の中が良くなるはずはありません。
この本は、作られた「橋下」人気を懺悔をしながら解明しています。
「大阪維新の会」の動きや政策は、橋下徹が着火源の種火(たねび)だとすれば、松井一郎は、おが屑のような役割を果たす。つまり、松井は党内調整や他党との交渉を仕切って火を広げる役回りだ。そこへ空気を送り、さらに燃え広がらせるのが、マスメディア、主として大阪の新聞とテレビだ。
橋下徹は、詭弁と多弁で煙に巻き、自らの責任は決して認めず、他者を攻撃することでしか主張できない。これにマスコミの記者たちは、うんざりし、そして丸め込まれる。 
橋下は自分たちの側の問題は何ひとつ省みないまま、メディアが悪い、反対した他党が悪いとしか言わない。
 若い記者は橋下の多弁・能弁に圧倒される。会見の言葉をパソコンで書き留めることを聞きとりテキストを縮めて「トリテキ」と呼ぶが、そのトリテキ作業で手一杯になってしまう。
 話も長いし、トリテキをつくるのに精一杯で、記者は考えている時間がない。これでは困りますよね・・・。マスコミも流されないようにしてほしいものです。
ポピュリズムの核心は「否定の政治」にある。既存の権力を敵とみなし、「人々」の側に立って勧善懲悪的にふるまう。ポピュリストは、いつも素人っぽさや庶民感覚を売りものにする。  
橋下への「囲み取材」は、完全に橋下に支配されている。それは「取材」ではなく、ありがたく橋下のお言葉を聞く「放談会」になっている。
マスメディア以上にマスメディア的手法を心得て巧妙に使いこなすテレビ育ちのタレント政治家に記者たちは、すっかり足下をみられている。
橋下は、新聞の単独取材をほとんど受けない。その反対に、勝手知ったるテレビの情報番組やニュースショー的なものには頻繁に、しばしば生放送で出演している。
橋下は、「今」「この場」にしか生きていない。そんな橋下のペースに乗っていては、いつまでも橋下の術中から逃れることは出来ない。
橋下は難しい質問も口先で難なくかわし、うんざりするほど過剰な多弁で煙に巻く。
論点を瞬時にずらし、話をすり替え、逆質問に転じ、責任をほかへ転嫁してともかく「自分は悪くない」「議論に負けていない」ことだけを示す。その反射神経とテクニックは恐るべきものがある。ここぞというときには、大勢の報道陣やカメラの前で特定の記者を口汚く罵り、吊るしあげる。そうやって、この場を支配しているのは自分だと見せつけ、恫喝する。
ホント、橋下もアベも嫌な奴ですね。こんな政治屋をマスコミが天まで持ち上げるなんて、マスコミの自殺ですよね・・・。

                           (2015年12月刊。1400円+税)

2016年2月10日

日本を壊す政商

(霧山昴)
著者  森 功 、 出版  文芸春秋

 人材派遣業で名を成しているパソナの南部靖之の実像に迫っている本です。
 人材派遣って、昔の口入れ業ですから、ヤクザな稼業です。そんなのは違法に決まっている。私が弁護士なりたてのころには、そのことに疑問の余地はありませんでした。
 ところが、それは少しずつ自由化され、今や原則と例外が逆転してしまいました。
若者が大学を卒業しても正社員になれない。派遣社員であったり、アルバイトやパートであったり、長期安定雇用が期待できなくなってしまいました。その結果、結婚できそうもない低賃金・長時間労働を余儀なくされ、過労死するのも珍しくない社会になってしまいました。
 すべては「規制緩和」のせいです。そして、超大企業とそのトップたちは、アメリカ並みのとんでもない超高級取りになっています。格差の増大です。
パソナの南部靖之が切望してきた労働の自由化という政策転換は、非正規労働の増加と格差の拡大という暗い社会変化を招いている。
 戦前からある口入れ業は、暴力団と深いつながりをもっている。日本社会に人材派遣という言葉が定着したのは、1973年の第一次オイルショック以降のこと。パソナの前身であるワンパワーセンターが設立されたのは1976年。1993年に今のパソナという社合になった。
 パソナの会長は、あの竹中平蔵。典型的な御用学者です。いつだって権力のお先棒をかつぎ、莫大な利権を自分のものにするのに長けた男として有名です。前にもこのコーナーで本を紹介しました。思い出すだけでも腹が立ちます。
 労働者派遣法は1986年に施行された。これもアメリカの強い圧力の下で実現したもの。日本の支配層は、ここでもアメリカの言いなりになって動き、その「成果」を自分のふところに入れて、ぬくぬくとしています。
 労働者派遣法は、スタートしたときには、それなりに業種が制限されていたものの、やがて、原則と例外とが逆転させられるようになりました。
 労働の自由化という旗印の下、将来の展望が開けないまま、日本社会が壊れていく・・・。
 そうならないように、私も微力を尽くします。
                           (2015年11月刊。1500円+税)

2016年2月 4日

東大駒場寮物語

(霧山昴)
著者  松本 博文 、 出版  角川書店

私も18歳から2年間、この寮に入って生活していました。月1000円の学費と同額の寮費でした(と思います)。
6人部屋で生活していましたが、まったく自由気ままな毎日を過ごしました。同じ部屋から3人が司法試験を受けて合格し、私が弁護士に、あと二人は裁判官になりました。あと三人は企業に就職しましたが、うち一人とだけは今も交流があります。
この本は1973年生まれの著者が自分の寮生活を振り返っていますが、駒場寮の廃寮にも直面しています。今は、駒場寮はないのです。まだ跡地には行ったことがありません。
 駒場寮に「中央記録」なるものがあるというのを初めて知りました。寮の正式な記録を残す係があって、廃寮になった今もそれが民家に保存されているというのです。著者は、その記録を読んでいますから、個人的体験をこえています。といっても、東大闘争については誤りがあります。
 「民青は明寮の屋上にピッチングマシンを持ち込んで、全共闘系の学生に向かって石を投げていた」
これはまったくの誤りです。そのころピッチングマシンなるものが使われたことはありません。私も明寮の現場にいましたが、すべて人力です。東大野球部の学生の投げる石は強力なので要注意だったという話はありますが、それは全共闘にも民青側にも、どちらにも言えることです。
この本の著者は、残念なことに『清冽の炎』(花伝社)を読んでいないようですが、そこには東大闘争と駒場寮生のかかわりが生々しく紹介されています。600人もの生活の拠点としていた駒場寮は、基本的に「平和共存」していたのです。
駒場寮は不潔だったと著者は強調していますが、私のころは部屋替えも定期的にあっていて、それほどでもありませんでした。私は今も整理整頓が大好きですが、当時も同じです。ゴミ部屋なんて、あったかなという記憶です。また、こまめに洗濯だってしていました。決して私だけではありません。600人もの寮生がいれば、さまざまだったようですから、すべて不潔だったかのように決めつけられると、私にはいささか抵抗があります。
寮フを35年間もつとめた門野(かどの)ミツエさんのことが触れられています。私もお世話になりました。手紙そして電話の取次ぎを一人でしていたおばちゃんです。その妹さんがあとを継いだということも初めて知りました。
寮食堂では夜9時すぎに残食(ざんしょく)を売り出していました。夕食のあまったものを安く寮生に提供するのです。私も何回となく並びました。育ち盛りは、お腹が空くのです。
私は大学一年生の秋(9月)に1ヶ月を1万3千円で過ごしたという家計表を今も持っています。最低どれだけで生活できるか試してみたのでした。
九州弁丸出しで恥ずかしい思いをしましたので(寮内ではなく、家庭教師先で・・・)、速やかに東京弁を身につけました。東北弁の寮生も同じです。ところが、関西弁の寮生は、いつまでたっても一向に平気で関西弁を話しているので、その違いに圧倒されました。
 私の大学生活は自由な駒場寮での生活の楽しい思い出とともに始まったのです。

                     (2015年12月刊。1800円+税)

2016年1月31日

「日本会議」の実態、そのめざすものⅡ


(霧山昴)
著者  菅野 完 、 出版  立憲フォーラム

いま、アベ首相のいる首相官邸は日本会議に乗っとられているという表現が少しもオーバーではない。首相補佐官をふくむ25%のうち、神道政治連盟に22人、日本会議に16人が所属している。
日本会議が目ざすものは、皇室中心、改憲、靖国神社参拝、愛国教育、自衛隊海外派遣。日本会議は、「昔ながらの街宣右翼と変わらない」「なんら新規性のない古臭い主張」を、確実に政策化、現実化している。
ちなみに、日本会議の会長は、最高裁長官だった三好達です。最高裁元長官の看板が泣きますよね・・・。そして、日本医師会の横倉義武会長も代表委員の一人です。情けないですね・・・。これでは医師会の社会的評価が低下しているのも当然ではないでしょうか・・・。
日本会議は、宗教団体の連合体として発足したようなもの。ところが、今では「生長の家」はなぜか抜けている。ところが、長崎大学で「生長の家学生会」のメンバーとして活動していた人物たちが、日本会議の中枢にすわっている。椛島有三は、長崎大学で活動していたリーダーだった。百地章、日大教授など「生長の家学生運動」出身者が中心にいる。
日本会議に所属する国会議員は289人もいて、国会議員の4割を占める。
日本会議はテレビに出ない。会合のあいだ、会員は写真をとることが許されていない。
日本会議に「抵抗」している日本の有力な人物に天皇と皇太子がいる。これでは「皇室回帰」はおぼつかない。天皇夫婦も皇太子も、戦争の歴史が正しく伝えられることを望んでいる。逆説的に、今や皇室が日本の自由民主主義の最良の盾となっている。
知らないことがたくさんありました。わずか30頁もない薄っぺらな冊子ですので、ぜひご一読ください。

(2015年11月刊。100円+税)

2016年1月30日

芥川賞・直木賞をとる!


(霧山昴)
著者  高橋 一清 、 出版  河出文庫

 モノカキを自称している私の野望は何か一つの文学賞をとることです。
 この一年は、40年前の司法修習生の生態を描く小説に挑戦してきました。
 今ようやく最終校正を終えて、編集者に手渡そうとしています。これから編集のプロから見て不要な叙述を削ったり、足りないところを加筆する作業を経て、春には出版にこぎつけたいと願っています。文庫本となった「法服の王国」に刺激を受けての小説です。ぜひ、本になったときにはお読みください。
 私の本の話はさておき、この本は、芥川賞や直木賞をとらなくても本を書くことの意味と、本を書くときの心得をきっちりおさえていて、大変参考になりました。
 芥川賞は、時代の歯車をまわす作品に与えられるもの。直木賞は、あとあとまでエンタテイメント作家として作品を生み出し、世の中に楽しみを与えてくれる作家の作品に与えられるもの。
 うむむ、こんな違いがあるのですね・・・。 知りませんでした。
 最後の一字まで書き込み、読みこむ作家であること。やっぱり、手抜きはいけないのですよね。推敲に推敲を重ねなくてはいけません。
 作家は創作の現場を見せたりはしない。
 土日必死で書く「土日作家」ほど、生活のための正業には、ちゃんと向かい合っている。
 松本清張は、1日に3時間、電話に絶対に出ない時間をつくっていた。その間、本を読んでいた。旺盛な執筆をしている作家ほど、読書をしている。
小学校、中学校の教師と作家を両立させている人は非常に少ない。具体的な言葉のもちあわせは、作家の読書量と正比例する。語りを豊かにするのに、類語辞典にまさるものはない。これは、大いに反省しました。今度、私も買ってきましょう。
 作家として、生かせない経験はない。作家にとって、ムダなものは何ひとつない。
 私の知らないことが書いてあると読者を喜ばせるのがエンタテイメント小説。今日を生きている者の愛と苦悩を書き、まるで私のことが書いてあるみたいと読者を共感させ喜ばせてほしいのが芥川賞と純文学
多くの作家がペンネームを用いているのは、親がつけた名前とは違う名前を名乗ることによって、自分ではない何者かになり、存分に筆をふるうため。
私もペンネームは高校生のころをふくめて、少なくとも四つはもっています。想像力を自由に働かせたいからです。ペンネームは必須です。
出し惜しみしている作品は弱い。そこに書き手の全てが込められている必要がある。
私もモノカキを脱出して作家になりたいと思い、こうやって毎日、書評を書いて日々精進しているつもりなのですが・・・。


(2015年12月刊。760円+税)

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