弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2015年8月19日

ものいわぬ人々に

(霧山昴)
著者  塩川 正隆、 出版  朝日新聞出版

 なつかしい名前が登場してきます。
 故國武格(くにたけいたる)弁護士です。久留米大学の顧問弁護士でした。「温厚な性格で、大学の不当労働行為を訴えた事件でも、嫌らしい質問は一切いなかった」とありますが、まさにそのとおりの人物でした。
 國武弁護士は「組合が正義ですよ」と言ったそうです。その労働組合の中心人物こそ、この本の著者なのです。
 当時の久留米大学には、労働組合つぶしのために文部省官僚だったY氏が理事長として送り込まれてきて、労使紛争が絶え間なく起こっていたのです。物言わぬ労働組合をつくりあげると、当面はいいかもしれません。表面的には「正常化」するでしょう。ところが、その水面下では、従業員のやる気が損なわれ、企業(組織)は停滞し、活性化しなくなるのです。
独断専行のY氏は、まさに紛争を多発して組織の活性化の重大な阻害要因となったのでした。
 Y氏が理事長を退陣したとき、著者も大学をやめました。なかなか真似のできない英断ですよね。
この本には、沖縄で32歳の若さで戦死した父親の遺骨を探すために、150回をこえて沖縄に通っていること、そして、叔父(父の弟)が戦死したレイテ島へ遺骨を探しに行っていることも記されています。
沖縄の父親からは、戦時中に来た軍事郵便が30通も残っているとのことです。ところが、沖縄のどこにいたのかまでは書かれていません。軍歴簿には「昭和20年6月22日、沖縄本島米須 戦死」と書かれているだけ。
また叔父の遺骨を探しに、著者はレイテ島に何回も渡っています。
 実は、私もレイテ島には日弁連の公害現地調査で行ったことがあります。タクロバンにも泊まりました。かつての激戦地跡には原生林がなく、みな戦後になって植林したと聞きました。うっそうと茂ったジャングルは今はないのです。
 父親は、著者が生まれて1週間後に兵隊にとられています。我が子に会いたいというのが毎回のハガキに書かれていますが、その気持ちは本当によく分かります。
 戦争こそ最大の人権侵害。著者は、安倍政権の戦争法案の廃案を強く訴えています。
 著者の裁判も担当した福岡の川副正敏弁護士より贈呈を受けました。いい本を、ありがとうございました。
(2015年8月刊。1389円+税)


幼鳥2羽をダンボールに入れる。ヒヨドリは、かまびすしく周囲を飛びまわって鳴いている。
  どうしよう。2羽もいる。買ってきて、練り餌を与えてみるか、、、。やるだけのことはやってやろう。お盆休みで店は閉まっているかもしれない。心配したが、店は開いている。鳥カゴとペースト状になる幼鳥向けのエサを買う。
鳥カゴの組立は簡単なようで難しい。なんとか組み立て、ダンボール箱から2羽の幼鳥を鳥カゴに移し、ペースト状の練り餌を注射器みたいなもので幼鳥の口に押し込もうとするけれど、なかなかうまくいかない。
幼鳥2羽は、明らかに大きさが異なる。これも自然の掟だな。まずは大きいほうを無事に育て上げるのだ。
ヒヨドリの親がしきりに鳴いているので、鳥カゴのフタをはずして木の枝にぶら下げてみる。

2015年8月14日

正楽三代

(霧山昴)
著者  新倉 典生 、 出版  インプレス

 寄席・紙切り百年というサブ・タイトルのついた本です。高座にかしこまって座っていながら、身体をゆっさゆっさ揺らしつつ、紙を動かしてはさみで器用に切っていく。紙切りは、本当に芸術だと見とれていました。
 この本は、初代、二代そして三代正楽の生きざまを刻明に追っています。
 高座で切り抜いたものを、その場で客に見せ、見せた瞬間に客をうならせるものでなければ、寄席芸にはならない。
 絵心はないほうがいい。紙切りは、見てすぐ分かるのがいい。一目見て分かるように切る。それが寄席の紙切り。
 短い時間で、いかに客を感嘆させる一枚を切り抜くか、いわば時間との勝負でもある。熟練の域に達したら、ひとつ切り抜くのに2~3分。客に見せた瞬間はもちろん、あとでじっくり鑑賞するのにも耐えてくれる作品に昇華させるのが理想的なのだ。
 上手く切ることよりも、客を喜ばせること、これは寄席芸の鉄則。寄席の紙切りは、高座に上がってから降りるまでが芸である。切った作品の良し悪しもさることながら、切っている姿も、また切った作品を客に見せる瞬間を演出するのも芸のうち。
 ちょっと身体を揺らすと、紙も揺れて、途中経過が分からなくなる。途中経過を見せないほうが、出来あがりを見たとき。客の感動は大きくなる。身体を揺らすと、躍動感が出る。
ふつうの人が紙を切るときは、ハサミの股の部分で切る。紙切りはもっと刃の先のほうで切る。ハサミのネジをゆるめて、刃の動きを自由にして、切るときの支点を刃先に近づけていく。紙との接点も刃先に近い。そして、その支点を微妙に変えながら、ハサミではなく、紙を動かすことで切っていく。いや、切れていく。
 初代の正楽は、ハサミを使うときに出来るタコが出来たが、しばらくして、すっかり消えてなくなった。ハサミを使うのに、力がいらなくなったからだろう。
線を引いてから切る癖をつけると、一人前の紙切り師にはなれない。
 世間が知っている世の中の物事を常に仕入れ、デザインを考え続け、高座で優雅に身体を揺らしながら、いとも簡単に注文にこたえる。しかし、その裏には、病気療養中でも、1日に30~40枚は切って勉強(練習)を欠かさなかった。そして、高座で失敗しないように、若いとき酒は飲まなかった。
 芸人の厳しさが、ひしひしと伝わってくる本でした。
(2015年4月刊。2100円+税)

2015年8月 6日

キラキラネームの大研究

(霧山昴)
著者  伊東 ひとみ 、 出版  新潮新書

 光宙と書いて、ぴかちゅうと読む。
 近ごろ子の名前は、本当に読めません。私は、いつも、相談を受けるときに家族(子ども)の名前の読みかたを教えてもらっていますが、いつも驚きの読み方です。
 1993年(平成5年)に我が子を「悪魔」と名づけようとした親がいて裁判となったのは有名です。ちょうどそのころ、私は「飛虎」という名前をつけようとした子どもの祖父から相談を受けました。ヒトラーを崇拝した暴走族の兄ちゃんが父親になったのです。
 ヒトラーは、ご承知のとおり日本人をふくめて黄色人種を劣等民族としていました。そんな人物を命名するなんて、間違っています。幸い、このときには町役場が受け入れず、また裁判にもなりませんでした。
 最近のキラキラネームは、フリガナがないと読めないし、フリガナがあっても読み方に違和感が残るものがほとんど。
 女の子の名前は、かわいらしさと呼びやすさから「ゆい」「ひな」「ゆあ」のように二音するのが流行。やわらかくて易しい響きがある。音の響きに、最近の親は、かなりこだわっている。
 徳川家の最後の将軍である徳川慶喜は、「よしのぶ」と思っていました。「けいき」とも読みますが、実は、「よしひさ」という読み方もあるそうです。知りませんでした。
 忠臣蔵で有名な大名内蔵助良雄は「よしお」ではなく、「よしたか」また「よしかつ」とも読むそうです。
 明治の初めまで、日本では個人の名前は、ころころ変わるものだった。
 典型的な一人として徳川家康が紹介されています。幼名は竹千代、そして人質のころは松平元信。それから、松平元康。そして徳川家康となった。通称は、二郎三郎。官職は、いろいろついて、将軍を引退したあとは、大御所様。没後は、「神君」(しんくん)。神号としては、「東照大権現」。
江戸時代にも、難読名乗りがブームになっていて、本居宣長が嘆いた。
 古く、日本人は実名を他人から呼ばれると、もともとの実名がもっていた神秘的な呪術性が失われてしまうと考えていた。だから、容易には読まれないようにする意図があった。
 仮名(けみょう。通称)は、実名ではないから、他人に知られ、万一、呼ばれても安心だと考えられた。
古代の女性にとっては、相手の男性に自分の名前を教えることは、身を許すことと同義であり、名前を知られることは、文字どおり相手の支配下に置かれることを意味していた。だから、そうそう簡単に教えるわけにはいかなかった。
この世で一番短い「呪」とは、名前なのである。それは、親から子への最初のプレゼントだが、その名前は子どもに生涯つきまとい、その子の運命をも左右する。
昔から、日本人は、他人が他称の違和感を覚えようとも、子どもの名前はこの音の響きでなければならない。他人には読みにくくても、この漢字で表記しなければ・・・。そんなやむにやまれぬ衝動は、現代のキラキラネームをつける親の心理に直結している。
 漢字で書くからこそ表せる意味の世界と、さまざまに読むことのできる多様な音訓。このズレのなかで名前を付けてきたのだ・・・。
 キラキラネームが、単なる一過性のブームではないことがよく分かりました。
(2015年5月刊。780円+税)

2015年8月 5日

カジノ幻想

                (霧山昴)
著者  鳥畑 与一 、 出版  ベスト新書

 世界一のパチンコ普及率であり、ギャンブル依存症が蔓延している日本へ、今度はカジノ産業を誘致して日本経済を復興させようという人たちがいます。カジノ法案を推進する議員連盟の多くは、安保法制法案、つまり戦争法案を推進する人たちでもあります。
 要するに、金もうけが出来れば、自分さえよければ、他人がどんなに不幸になろうとも、社会不安がひどくなっても、そんなことは知ったことじゃないという我利我利妄者の連中です。悲しくなります。
 アメリカでは、カジノは典型的な「略奪的ギャンブル」と言われ、ビンゴや宝くじといったギャンブルに比べても、ギャンブル依存症に誘導する危険性は非常に高い。
 カジノは、大金を得る快感と失う喪失感を交互に味わわせることで、脳内に物理的依存症と同じ状態をつくり出す。
 イギリスでは、カジノは長く会員制が原則だったし、カジノに認められるテーブルの数やスロットマシンの数は、きびしく規制されていた。ところが、IR型カジノは高収益の確保を必須とするので、このような規制は考えられない。
 カジノは、客がほとんど負けて終わるように商品設計されたギャンブルを提供するビジネスである。地方都市にカジノが出来たら、その客はほとんど国内顧客で占められることになる。
 すでにアジア市場でカジノは飽和化がすすんでいる。したがって、中国北部のギャンブラーが韓国・台湾を飛び越して大挙押し寄せるというのは、ほとんど期待できない。
 結局、日本にカジノが出来たら、そのほとんどは国内客だのみにならざるをえない。
 カジノ・ギャンブルは、客が負けるほど収益が増大するビジネスである。それは、地域の経済を衰退させ、ほとんどの客を負けに追い込むことで顧客を貧しくするビジネスなのだ。
 そのうえ、ギャンブル依存症という病を中心に、大きな社会的犠牲とコストを地域社会に押しつけるものである。
 現代のスロットマシンは、コンピュータプログラムで、長くプレイするほどカジノ側がもうけ、顧客側は必ず負けるように設計されている。いま、アメリカのギャンブル収益の80%以上はスロットマシンからである。
カジノにおける「もうける力」とは、より多くの顧客を負けさせる力のことである。
 カジノの「もうける力」の追求とカジノの厳格な規制は相反する。
 日本をこれ以上ギャンブル依存症患者の多い国にしてはいけません。日本にカジノはいりません。
(2015年4月刊。840円+税)

2015年7月31日

さらば、ヘイト本

                               (霧山昴)
著者  大泉 実成・加藤 直樹 ほか 、 出版  ここから

 嫌韓・反中本ブームの裏側を探った本です。
 福岡の本屋には、今でも嫌韓・反中の本が店頭に平積みしているところがあります。まさしく安倍首相の思うツボの状況があります。
なんとなく、韓国はいやだな、中国は怖いぞと思わせておいて、だから突然、自衛隊は海外へ武器をもって出かける必要があるのですと、論理を飛躍させるのです。
 そこにあるのは、思考の停止です。まともに自分の頭で、じっくり考えることなんて求められていませんし、許されません。まるで、オウム真理教の世界です。
 ヘイト本は、それをあおりたてた、タチの悪い本です。売れたらいい、あとがどうなろうと自分は知らない。お金ほしさになんでもやるという編集者たちの頭のなかは、いったいどうなっているのか・・・。
 ヘイト本のブームは2013年から2014年までの2年間。累計して200冊以上の嫌韓・反中の本が刊行された。
 月刊「宝島」は、ほぼ毎号「反日叩き」を特集してきた。しかし、2014年11月号を最後として、大特集はしなくなった。
 漫画誌の「ガロ」は、私も大学生のころ、まわし読みしていました。なにしろ、白土三平の「カムイ外伝」など、目を見開く思いでマンガを読んだものです。いわば、反権力の「ガロ」の出版社である青林堂が、いつのまにかヘイト本の出版社になっていただなんて・・・。信じられません。
 「在特会」だけでなく、他者を排撃していく運動というのは、その根底にあるのは、自分の存在に対する不安だ。個々が切れている。切れてしまっているから、不安になって、何かに結び付きたくなる。彼らが攻撃しているものは、実は、自分の内面にあるものなのだ。
歴史的事実を無視して、一方的に虚妄の主張をくり返すのは、かつてのルワンダの虐殺扇動を思い出させます。
言論人も責任があることを少しは自覚すべきですよね・・・。いい本でした。
(2015年5月刊。900円+税)

2015年7月26日

汽車ぽっぽ判事の鉄道と戦争

                               (霧山昴)
著者  ゆたか はじめ 、 出版  弦書房

 汽車や鉄道の好きな人を「鉄ちゃん」とか「鉄子」と呼びます。私の身近にも「鉄ちゃん」がいて、たまに見事な写真を披露してくれます。
 この本の著者は、福岡でも裁判官をしていました。引退したあと、東京のほか沖縄にも自宅を構えています。東京の自宅には、なんと払い下げてもらった汽車ポッポ客車コーナーまであります。4人掛けでボックスシートには網棚まであるのですから、本格的です。
 著者は祖父の代から裁判官をつとめてきました。そして、著者は幼いころからの筋金入りの鉄ちゃんなのです。小学生のころ、母ともども学校に呼び出され、「電車好きもいいが、ちょっと度が過ぎる。もう少しつつしむように」と訓戒されたというのです。これは、すごいことですよね・・・。
 父親は、裁判官だったのですが、広田弘毅首相の秘書官になり、著者は晴れて都内を電車通学するのです。
 戦前、終戦間近のころに、父親が東京から長崎地裁署長へ赴任するので、家族総出で汽車で移動したときの写真が紹介されています。
 1945年4月のときですから、アメリカ軍によって列車まで空襲されるのです。そして、父親は、官舎で被曝します。幸いにも、次は京都地裁署長へ栄転します。どうやら被曝による障害は軽かったようです。その経験から、平和を愛してがんばったものと思われます。
 そして、著者は、裁判官をしながら、全国の鉄道を踏破していき、ついに、昭和52年(1977年)に国鉄全線を乗り終わったのでした。最後は秋田県の角館(かくのだて)線の終点の松葉駅。角館の武家屋敷には行ったことがありますが、指宿や島原の武家屋敷よりスケールが大きいと思いました。
 エリート裁判官としてのコースを歩みながらも、趣味に生きている著者の楽しい思いの詰まった本です。福岡の岩本洋一弁護士からすすめられて読みました。今後ますますのご健勝を心より祈念します。
(2015年15月刊。1800円+税)

2015年7月23日

国際法学者がよむ尖閣問題

                              (霧山昴)
著者  松井 芳郎 、 出版  日本評論社

 尖閣諸島について、国際法学者が冷静に議論している本です。日本政府の間違いもきちんと指摘したうえで、中国側の主張に合理性のないことも明らかにされています。
 いずれにしても、「領土紛争」があることを認め、平和的に外交的措置で解決すべき問題です。武力による「紛争解決」だけは絶対に避けなければいけません。安倍首相の誤った姿勢は日本の平和を脅かし続けています。
 尖閣諸島は、中国では釣魚台群島などと呼ばれている。4つの無人島からなるが、そのいくつかには第二次大戦前、日本人が居住していた。
 尖閣諸島をめぐる紛争は1970年代初頭に発生したのであり、その前に中国政府が抗議の意思表明をしたことはない。
 尖閣諸島、釣魚台群島について、日本政府は中国とのあいだに「紛争」はないという見解をとっている。しかし、このような日本政府の主張を支持する国は皆無である。
 そりゃあ、そうでしょう。日本政府、とりわけ安倍首相の考えは出発点から間違っています。
 尖閣諸島についての日本の領土権は1895年にまでさかのぼるが、この日本の領土権をめぐる両国間の紛争が具体化したのは1970年前後の時点だった。すなわち、1895年ではなく、1971年が日中間の紛争が具体化した時点であり、したがって後者が本件紛争にとっての決定的期日である。領域紛争において、この決定的期日がいつであるかというのは、とりわけ重要である。
 1896年(明治29年)、沖縄県知事は尖閣諸島を八重山郡に編入し、国有地台帳に登載した。そして、うち4島を古賀辰四郎に30年のあいだ無料貸与した。そして、1932年に、その後継者である古賀善次に払い下げられた。
 アメリカ軍は、1955年から尖閣諸島のいくつかを射爆撃訓練のために使用しはじめたが、このとき、日本と合意書をかわしている。すなわち、これらの島について日本に主権があることを前提とした合意である。
 釣魚台群島は、石垣島と台湾の間にあるのではなく、石垣島と沖縄本島との間にある。
 井上清の主張は、中国の毛沢東に追従していた当時のものであり、客観的な根拠はない。日本側の主張は、1985年より前は尖閣諸島は無地主だったというものであり、それらが琉球に属していたと主張したことはない。
 中国は決定的期日である1971年まで、いかなる請求も提出していなかった。日本による実効的支配の行為は先占の要件を満たすのに十分なものだった。
 尖閣諸島に関する紛争において、日本は中国に対して権原の凝固の理論を主張できる。
 1895年の日本による領域編入以来、1971年の決定的期日に至るまで、日本は尖閣諸島に対して実効的支配を継続しており、それに対して中国側からは日本による領有に対していかなる抗議も対抗請求もなかった。したがって、日本による尖閣諸島についての「領域主権の継続的かつ平和的な表示」は否定できない。
 なるほど、なるほどと思いながら読みすすめました。あとはこのような領土的紛争を武力によらず、外交交渉や国際司法裁判所などを利用するなりして、平和的にじっくり腰を落ち着けて取り組むべきものです。拙速はいけません。
 安倍首相の間違った政策は危険きわまりなく、直ちにやめさせる必要があります。
(2014年12月刊。2200円+税)

2015年7月19日

葬送の仕事師たち

                               (霧山昴)
著者  井上 理律子 、 出版  新潮社

 人間の死にかかわることを仕事としている人たちの現場に出かけて取材した本です。その捨て身の現場取材のたくましさに圧倒されました。葬儀屋、遺体復元師、エンバーマー、火葬場で働く人々、そして現代的なお葬式のあり方を考える・・・。
 葬儀社への就職を目ざす2年制の専修学校があるのを初めて知りました。2年間の授業料は182万円(教材費は別)というのですから、安くはありません。
 今の日本のお葬式は昭和のはじめからのものなので、わずか90年の歴史しかない。
 その前は葬列があったし、参列者は白い喪服を着ていた。
 葬祭ディレクター技能審査(1級・2級)をパスした人が、全国に2万5千人いる。
 「村八分」のとき、許された「二分」は、火事と葬儀だった。
 エンバーミングは、アメリカで南北戦争(1861年~1865年)のとき、亡くなった兵士を遺体を遺族のもとに長距離搬送する必要があったことから始まった。今では、アメリカ、カナダで7割以上、ヨーロッパでも6割以上の遺体に施術されている。
 エンバーミングの費用は、搬送費をふくめて12万円ほど。
 葬儀業界の市場規模は、返礼品や運送・飲食費をふくめて1兆6千億円。
 お寺へのお布施は、地方だと20~30万円。東京では戒名代をふくめて60~70万円。
 エンバーミングの薬液は、防腐・殺菌・修復の三つの効果を狙っている。体の中のたんぱく質を固定し、まだつながっているアミノ酸の鎖の力を強める。
 日本で亡くなった外国人を母国に帰すためには、エンバーミングが必要なことが多い。日本には、3時間ルールがある。3時間内にエンバーミングを終えて、遺族に遺体を返すべしというルール。
 全国の火葬場は公設が95%。東京だけでは例外的に民営がある。
 欧米には、骨上げという習慣はない。遺族は2~3日後に、「灰」を受けとる。
 よくぞ、ここまで葬送の現場に踏み込んで調べあげたものだと驚嘆しました。
(2015年6月刊。1400円+税)

2015年7月15日

老人たちの裏社会

                              (霧山昴)
著者  新郷 由起 、 出版  宝島社

 ここで老人とされているのは、まさしく団塊世代である私の世代以上のことです。とても複雑な気持ちに陥りながら、我慢して最後まで読み通しました。ため息ばかりの本です。
 万引き犯の3人に1人が65歳以上。未成年者1万6千人より高齢者2万8千人のほうが断然多い。かつて、青年犯罪の代表格だった万引きは、今や8割が成人の犯行となった。
 今や、万引きする年寄りをアルバイト店員の学生がたしなめる時代なのである。再三味わった刺激と染みついた衝動が、絶え間なく襲ってくる。
 男性は生活困窮者が多く、盗品はもっぱら総菜や酒類。女性には常習犯が大変多い。万引きは、非常に成功率の高いギャンブルなのである。クレプトマニア(窃盗癖)がいる。
 特殊詐欺の被害にあうのは実は、高齢の男性が多い。しかし、被害を届出しない。それが明るみに出たほうが、よほど屈辱で、バツが悪いから。
 ストーカーの加害者には60代以上が目立って多い。ストーカー加害者の9割は男性。性的に衰えるのを極端に恐れて焦る男性が増えている。「次はないかもしれない」という焦りから、目の前の異性にしがみつく習性による。
 激高すると手がつけられない高齢者は非常に多い。難癖をつけたり、力にまかせて面倒をおこすことでしか人にかまわれず、おのれのフラストレーションを晴らせない。恥やはしたなさという咎めを自ら打ち捨ててしまえば、恐れるものは何もない。ヤンキーのような老人が巷(ちまた)にあふれている。
 DVの加害者は、家庭でわがままに育てられた人が多い。
 一人暮らしより、家族と同居しているのに身内から疎外されている老人のほうが、ずっと孤独なのである。独居よりも、同居しているほうが、ずっと孤独である。独居よりも、同居世代のほうが自殺率は高い。
人間は一日に最低1回は必要なドーパミンが脳内で分泌されないと生きていく意欲が生まれず、むしろ生きることを苦痛に感じる生き物である。
 毎日、その人なりの悦びを見出し、満たされないと、生き続ける活力の減退につながる。
 毎日、やることがある幸せ、そして心はずませて生きる充実感を大切にしよう。
 いつのまにか66歳になってしまった団塊世代の私です。毎朝、毎晩、今日はこれをした、明日はこれをしようと思って生きています。やるべき仕事があるって、ホント、とても幸せです。
(2015年7月刊。1300円+税)

2015年7月 9日

亡国の集団的自衛権

                                (霧山昴)
著者  柳澤 協二 、 出版  集英社新書

 著者は、内閣で危機管理・安全保障を負担する官房副長官補として、2004年4月から5年半にわたって、政府の中枢にいた人です。自衛隊のイラク派遣のときの実務を担った官僚トップの一人でもあります。そんな経歴の著者が、いまの安倍政権の安全保障法成案に対して真向から反対しています。
安全保障法成案は、あまりにも問題が多すぎる。軍事常識からも、戦略的考察からも整合性がない。
 安倍内閣には、自衛隊を出動させることの重みが感じられない。戦争は政治の延長であり、政治の失敗が、本来なら防げるはずの「ムダな戦争」を引きおこしかねないという自覚が、安倍政権にあるのか・・・。
 集団的自衛権というのは、友だちが殴られているから、出かけていって殴ってやろうというもの。そもそも殴られるような理由をもつ友達と付き合わないこと。アメリカは、いつだって殴られる理由を自らつくり出している「友だち」ではないか・・・。
 「日本人を助けるためには、集団的自衛権が必要」と誤解している人がいるけれど、戦前の日本も、中国大陸にいる日本人を「救出」するために日本軍を派遣した。これは、戦争するときに使う政府の常奪手段の一つでしかない。
 中国が軍事大国化している現実があるけれども、それに対して感情的に反発して、日本の軍事力を増強すればいいというのは、まったくの間違い。それでは際限のない軍拡競争の泥沼に陥る。集団的自衛権は、日本の防衛にとっては、むしろ有害無益なもの。
 今回の安保法制法案は、結局、世界中どこでもグローバルにアメリカ軍と協力できるようになり、自衛隊がアメリカ軍と一緒になって戦闘行為をすることが可能になる。その可能性が、地域的にも、機能的にも無限に拡大した。
 この法律が現実のものとして動き出したとき、日本はテロ攻撃のターゲットになる。このマイナス要素を安倍政権は、どれだけ認識しているのか。とりわけ、日本全国54カ所にある原子力発電所(原発)が、テロリストから一発でもミサイル攻撃を受けたら、日本という国は消滅してしまうことになります。
 日本は、いわば「人質」をとられた国なのです。
 安倍政権の暴走ストップのために、今こそ声を上げましょう。
(2015年2月刊。700円+税)

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