弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2017年9月13日

崩れた原発「経済神話」

(霧山昴)
著者 新潟日報原発問題取材班 、 出版  明石書店

世の中には不思議な、信じられないような現象が多々ありますが、今なお「原発」がなければ日本経済は成り立たないと信じ込んでいる(信じ込まされている)人が少なくないのには驚き、かつ呆れてしまいます。
3.11のあと、「福一」の原子炉は今なおまったく手つかずで放射能を出し続けていて、人間が近づくのを許しません。たまる一方の放射能廃棄物は地下に埋めようもないのです。
原発をつくるときには地元は景気が良かった。しかし、その恩恵は一過性にすぎなかった。原発が出来ても、思ったほど人口は増えなかった。原発は装置産業なので、装置をつくってしまえば、その後は保守管理に関わる雇用しか生まれない。原発誘致で地域経済が活性化するというのは幻想だ。
大都市に原発は今もない。なぜか・・・。大量の冷却水を得られるような海岸地域に未開発地はほとんどない。要は、事故が起きたとき、大都会の住民に補償なんてとても出来ないからだ。つまりは、原発の危険性を電力会社も国も承知のうえなのです。知らない(知らされていない)のは、「田舎」の住民だけ。
3.11福島事故で東電が被災者に支払った賠償額は、5年間で6兆円をこえた。でも、自分の家に住めないときに、たとえ1000万円もらってもどうしようもありませんよね。それが何十万円だったら話にもなりません。
そして、日本は原発に頼る必要はないのです。火力発電所では、LNGが52%、石炭が37%、石油が8%。LNGの中東依存度は29%でしかない。LNGの輸入先は、オーストラリア、マレーシア、インドネシアと分散している。アメリカ産シェールガス由来のLNGも日本は輸入しはじめている。
ひとたび事故がおきたら人間の手の及ばない原発は経済的に見合わない。
私は、一刻も早く、ドイツのように政府は脱原発宣言をして、全面的廃炉に向けて着実に手をうつべきだと思います。
東電の柏崎刈羽原発をかかえる地元新聞社として、原発「神話」に真正面から取り組んだ力作です。
(2017年6月刊。2000円+税)

2017年9月 6日

暴走する自衛隊

(霧山昴)
著者 纐纈 厚 、 出版  ちくま新書

自衛隊は今日、世界有数の実力をもつ武力組織にまで成長している。24万人の自衛官から構成される自衛隊は、高度に組織化された専門職能集団でもある。自衛官は国家防衛を目標とし、きわめて強固な団結心で結ばれている。自衛隊を特徴づける高度な技術性・一体性という性質は、日本国内における諸組織のなかでも際だっている。
安倍首相は、本来なら「自衛隊は・・・」と言うべきところ、思わず「わが軍は・・・」と国会(参議院予算委員会)で答弁した。安倍首相は、自衛隊が名実ともに軍隊以外の何ものでもないと捉えていると思わせるに十分な発言だった。
自衛隊の正面装備を外観すれば、先進諸国の軍事大国の軍と肩を並べるに十分な質と量を備えていて、国際社会ではすでに「軍隊」として通用している。
2007年1月に、防衛庁が防衛省に昇格した。これは単独予算編成権を獲得したということ。
そして、事実上の文官統制廃止が実現した。
シビリアン・コントロールといっても、シビリアンなるものが稲田朋美のような、政治による統制に積極的に服従する、軍人以上のミリタリズムへの信奉者であったり、非妥協的で露骨な軍事政策を強行しようとする政治家であれば、ほとんど意味がない。
海上自衛隊は、陸上自衛隊と違って、旧日本軍の組織論や教育論がストレートに持ち込まれた。したがって、文民統制という政治による統制には、強い抵抗感を示してきた。
田母神論文は、自衛隊の国防軍化への強い要求があることを意味している。自主防衛・自主独立の志向がある。つまり脱アメリカへの転換を目ざす。
現行憲法を正確に読めば、自衛隊は明らかに憲法違反の存在である。
安倍首相の加憲論は、自衛隊の違憲性を払拭するだけだと言いつつ、実質的な国防軍化を目ざすものですから、まさしくアベ流ごまかし政治です。
自衛隊の本質は、効率的な大量人殺しを任務とする軍隊です。ところが、世間一般がそう思ってはいません。大災害のときにいち早く出動して被災者を救助する救助隊という善意のイメージが本質を見えにくくしています。そして、見えないものは存在しないことになるのです・・・。
(2016年2月刊。820円+税)

2017年8月27日

日本の夜の公共圏

(霧山昴)
著者 谷口 功一 、 出版  白水社

スナックについての本格研究書です。もちろん、私もスナックには行ったことがあります。でも、カラオケ嫌いの私には、あまり近寄りたくない場所でしかありません。うるわしき美女との出会いを期待したい気持ちは少なからずあるのですが、むくつけきおっさんの下手なカラオケの蛮声を聞かされるかと思うと、足が遠のいてしまいます。
スナックは、今では都市部ではなく、地方においてこそ身近な存在となっている。
先輩が後輩を連れてスナックへ行くという文化は、70年代生まれの世代の前後で断絶している。
ガールズバーは、女の子のドリンク代に店側の実入りは大きく依存している。
スナックは、時間無制限で、女性(ママ)は、若くても30代以上。
スナックの名称は、軽食(スナック)による。スナックの前身はスタンドバー。
現在、スナックは10万軒、美容院23万店、不動産屋12万軒、居酒屋8万店。
人口比でのスナック軒数は、上から順に①宮崎、②青森、③沖縄、④長崎、⑤高知、⑥大分、⑦鳥取、⑧秋田、⑨山口、⑩佐賀。つまり、九州方面が圧倒的に多い。最下位は奈良。なぜ・・・。
田舎では、どんな小さいところにも、スナックとフラダンススタジオがある。うひゃあ、そ、そうなんですか・・・。
スナックは始めるのは簡単で、やめるのも難しくない。大きくもうかることは期待できないけれど、ほそぼそとやるにはいい。
スナックのママが女をウリにしていると、案外にうまくいかない。おっさんたちがライバル同士になってしまうから。ウリは、ママかマスターの人柄だけ。
スナックにとって恐るべきは、警察とあわせて税務署。ただし、これも、はやっている店に限る。税務署がおしのびでやってきて、領収書をもらい、あとで台帳に載っているかチェックする。
スナックでは階級差がない。基本は飲んで歌うこと。社長もサラリーマンも、いろんな人が混交している。
私は、見知らぬ土地に行って、ふらっと食べ物屋に入る元気はあるのですが、夜のまちに、知らないスナックに入る勇気はもちあわせていません。カラオケが歌えないからだとは思いますが・・・。
それにしても、なぜ、スナックが九州、西日本にそんなにかたよっているのでしょうか・・・。不思議でなりません。学者の先生方による、真面目なのか、本気なのか、よく分からなくなってくる貴重な研究書です。
(2017年7月刊。1900円+税)

2017年8月26日

いつも子どもを真ん中に

(霧山昴)
著者 上田 精一 、 出版  青風舎

私と同じ団塊世代はだいたい定年退職し、嘱託として学校教員を続けている人がいるくらいになってしまいました。
著者は、私たちよりさらにひとまわり上の世代になります。中学校の教員(国語)として、子どもたちと格闘していた日々の出来事が昨日おきたことかのように語られているのに驚かされます。
学級通信では、子どもたちの言葉、それに2行か3行そえたコメント、そして親の反応が紹介されています。そして、大切なものは製本して保存してあり、昔の生徒たちが10年、20年して集まったときに贈呈して喜ばれているというのです。こんな教師にめぐりあえた生徒は幸せです。
学級運営で、口を開かなかった子と交流できるようになった話、つっぱっていた生徒との対話、そして、女子生徒たちから、差別しないように申し入れられた経験・・・。どれをとっても、子どもたちを主人公として大切にしてきた教師としての貴重な体験談です。
さらに、沖縄へ修学旅行に行ったときの様子、平和をテーマとして子どもたちが文化祭で劇に取り組み、成功させた様子など、教師冥利に尽きる話のオンパレードで、読んでる私の心を熱くしてくれました。
やっぱり、教師って、人の生き方を変える力をもっている。これって聖職だよね、そう思わせる本でした。
著者は八代市に生まれ、長く人吉の中学校につとめていました。学校教育の現場に関心のある人には強く一読をおすすめします。
(2017年5月刊。2000円+税)

2017年8月 9日

女性と労働

(霧山昴)
著者 日本弁護士連合会 、 出版  旬報社

2015年10月に千葉の幕張で開かれた日弁連人権擁護大会のシンポジウムの報告書を要約・加筆して出来あがった本です。
シンポジウム実行委員会はオランダへ現地調査をしたようで、巻末資料として、その報告書がのっています。アムステルダム市はセックスワーカーの権利保護に乗り出しているというのが、私には目新しい話でした。写真で見たことしかなく、現地に行ったこともありませんが、アムステルダムには「飾り窓」で有名な地域があります。そこで働くセックスワーカーは全市5000人から8000人のうち、2000人。今は東欧出身の女性が多い。顧客は年間20万人に近く、アムステルダム在住者は3分の1以下で、半分以上が独身、5人のうち2人はパートナーがいると推測されている。
アムステルダム市の売春政策は①合法的な売春をノーマル化する、②非合法の売春を察知する、③ワーカーのエンパワーメントとケア、④予防という4つの目的がある。ライセンスがなくても、自宅で週に何回か売春することは合法扱いされている。そして、18歳以下の子どもがセックスワーカーになるのは禁止されている。
では、日本はどうなっているか。売買春はもちろん法で禁止されているが、現実には、女性が性的サービスをしている性産業の営業所数は2万2千ケ所ほどあり、1ケ所平均20人として、40万人以上の女性が働いている。ここは、他の職業とは比較にならないほど生命・身体に危害を及ぼすリスクの高い特殊な労働である。
学費が高く、奨学金が貸与制のために、大学生(女性)が性産業で働くケースが多いことは前から指摘されている。
それにしても日本の「人づくり」政策は根本的に間違っていますよね。大学の入学金が国立大学で82万円、私立大学で132万円するなんて、信じられません。
私のときは月1000円でした。ヨーロッパでは学資はタダどころか、学生に生活補助しています。これこそまさしく「人づくり」ですし、「国づくり」です。大型ハコモノづくりとかムダな軍事予算を削って、人材養成にこそ国はお金をつかうべきです。
女性が働きながら子育てしようとするときに直面するのが保育園の確保です。この本によると、保育士の資格をもちながら働いていない潜在保育士が60万人もいるとのこと。もったいない話です。それほど、保育現場の労働環境は劣悪なのです。
そして、教員にも非正規が年々増えている。2005年にして、3%だったのが、2011年には16%になった。
看護師は9割以上が女性で、深刻な過重労働が横行している。
では、日弁連はどうしたらよいと考えているのか・・・。この本では、いろいろ、たくさん問題提起されていますので、かえって要点、ポイントが分かりにくくなっている気がしました。
もっと、男も女も、個性ある人間として社会が大切にしていることを実感させてくれる世の中にしたいものです。そのための貴重な現状告発と問題提起の本です。
委員長の中村和雄先生、よくぞ本にまとめられました。お疲れさまです。
(2017年4月刊。2000円+税)

2017年8月 8日

コブのない駱駝(らくだ)

(霧山昴)
著者 きたやま おさむ 、 出版  岩波書店

「帰って来たヨッパライ」そして「イムジン河」で有名な(といっても、若い人は知らないのかもしれませんが・・・)フォーク・クルセイダーズの一員として音楽活動をし、その後は、作詞家になり、さらには医科大学を出て精神科医になって、九州大学で精神医学を教えてきた著者が、自らの歩みを精神分析してみた、面白い本です。
タレント本とはまったく異なり、一味(ひとあじ)違った、スルメのようにかみしめるほどに味わい深い本です。
「きたやまおさむ」の名で活動してきた自分を、精神科医の「北山修」がながめて書いている。この出演する自分をながめて、その台本を読みとり、味わうという仕組みは、実は、人が生きていくうえで、とても重要なシステムだ。それで、自らの人生をいわば、「劇」のように、ながめて考えてみることを「劇的観点」と呼んで、提唱している。
精神分析家は、自らを積極的には語らない。いえ、そうしてはならないのだ。精神科医の仕事は、自らが「白紙」になることによって、患者に自由に想像してもらい、正直に思うところを語ってもらうのが基本だ。もし、精神科医が、「私は、こういう人間です」と公言してしまったら、患者にとって、目の前の精神科医は「白紙」ではなくなってしまう。
「劇的観点」を成り立たせるには、それを描き出すための言葉や文章が必要となる。そして、比喩(ひゆ)をうまく使うことは、生きていくうえでも大切なことだ。
「遊び」は、とても重要。仕事だけでなく、食べる、寝るといった生理的な部分だけでもなく、それらとは関係のない時間をもてている人。内的にも外的にも、道草できる領域をもっている人。そうした休息や趣味の領域を確保していることが、実は、人間の健康や創造性にとっても大切なのだ。
人には、暴力的な欲求がある。それを人はコントロールしなければいけない。人間のなかの暴力性をコントロールするためにも、罪悪感をもち続けることは大切だ。
『帰ってきたヨッパライ』はなんと、280万枚を売りあげたとのこと。すごいことです。私が東京で大学生活を始めた年の12月のことです。町を歩いていると、いつでも、どこでも、この曲が流れていました。レコード盤なんか買う必要もなく、音痴の私だって覚えてしまったほどです。
翌1968年10月には、グループは解散します。東大闘争が始まっていて、授業がなくて、私は集会とデモ、そしてセツルメント活動に明け暮れていました(決して全共闘ではありません)。
著者は、1968年10月にヨーロッパ旅行に出かけるのでした。大学2年生のころの私は貧乏でした(1ヶ月1万3000円で生活していました。親は大変だったと思いますが、当時は、親が子どもへ仕送りするのは当然だと考えていました。スミマセン)から、海外旅行なんか、夢みることすらありませんでした。
作詞家と精神科医には似たところがある。作詞は、人間の心の中と交流し、その中にあるものを言葉として紡(つむ)ぎ出していく行為である。精神医学もまた、本人や周囲の理解できない心の現象を言葉で、分析、説明する仕事でもある。
いやはや、さすがは精神分析医だとうならせる言葉に圧倒されてしまいました。かつて歌ってましたという軽佻浮薄なところは、微塵もありません。
心の宇宙は、空よりも広く、海よりも深い。まだまだ、その意味は読みとられて、言葉になるのを待っている。
うひゃあ・・・、そ、そうなんですね。それって、まだ、ぼくの出番だって、あるっていうことなんですよね・・・。そんな読後感が、しばし幸福感をもたらしてくれました。
(2017年5月刊。1800円+税)

2017年8月 1日

めぐみ園の夏

(霧山昴)
著者 高杉 良 、 出版  新潮社

著者の経済小説は、かなり(全部とは決して言いません)読みました。その丹念な取材による状況再現力(想像力)には、いつも驚嘆してきました。
今度は、自伝的長編小説というのです。どんなものかなと、あまり期待せずに読みはじめたのですが、思わずストーリーの渦中にぐいぐいと引きずり込まれてしまい、裁判の待ち時間も使って、その日の午前中に読了してしまいました。
ときは昭和25年(1950年)夏、両親の別居・離婚に至る過程で4人姉弟が孤児を収容する施設に無理して入れられます。まだ3歳ちょっとの末娘は、まもなく養子にもらわれていくのですが、主人公は兄妹がバラバラにされるのを怒ります。
いま、弁護士として離婚にともない兄弟がバラバラにすることの是非を絶えず問い返しています。幸い、本書では養子縁組は幸せな結果をもたらしたようです。胸をなでおろします。でも、いつもそうとは限りませんよね。「レ・ミゼラブル」のように下女か下男のような扱いを受け、こき使われるばかりというケースも少なくないのではないでしょうか・・・。
主人公は小学生(11歳)の亮平です。スポーツが出来て、成績も良くて、何より人から好かれるという性格なので、施設から学校に通っても、クラスで級長をつとめるようになるのです。
施設生活では、理事長と園長のワンマン経営、そして、そのわがままな暴力息子が孤児たちを脅しまくります。
両親に見捨てられた孤児たちは施設を出てから、まともに仕事をし、家庭生活を送るのに大変な苦労をさせられると聞きます。楽しい家庭生活を体験していないことからくる強い不安があり、これを乗りこえるのに大変な努力を要するのです。
幸い、この施設には、優しい指導員が何人もいて、孤児たちを温かく包容し、励ましてくれるので、主人公はまっすぐに伸びていくことが出来ました。その苦難を乗りこえていく過程がとてもよく紹介されていて、なるほど、それで、次はどんな展開になるのだろうかと、頁をめくるのがもどかしくなります。
結局、主人公は中学生になって母親ではなく、愛人と暮らす父親のもとで生活することを選択するのですが、それに至る葛藤の描写に迫真性があります。
親の離婚が子どもたちにもたらす影響、そして子どもがそれを乗りこえていく力を秘めていること、そのためには周囲の温かい支援が必要なんだということがよく分かる本でした。
読んで、じんわり、ほっこりする小説として、よく冷房のきいたなかで一読されることをおすすめします。
(2017年5月刊。1500円+税)

2017年7月30日

12人で「銀行」をつくってみた

(霧山昴)
著者 岡田 晴彦 、 出版  ダイヤモンド社

私自身は銀行に行ったことは久しくありませんし、ATMを利用したことは一度もありません。ですから、振り込め詐欺の被害者にはなりようがありません。また、コンビニも、出張したとき以外に入ることはありません。ケイタイはもちろんガラケーで、スマホはつかっていませんし、使う気もありません。
この本は、インターネットバンキングの創立過程の「生みの苦しみ」を明らかにしたものです。
2000年(平成12年)10月に開業したジャパネット銀行は日本初のインターネット専業銀行だった。インターネット専業銀行とは、実際の店舗をもたないで、インターネット上で各種サービスを提供する銀行のこと。インターネット銀行は実店舗がないし、預金通帳も発行されない。そのため業務コストが低く抑えられるので、預金金利はいくらか高く、手数料も少し安い。なにしろ24時間、365日、いつでも振込、振替そして残高照会などのサービスが利用できる。
インターネット専業銀行は1999年10月、メンバー12人による準備室の発足から始まった。非対面での本人確認のやり方について、試行錯誤を重ねた。
インターネット専業銀行であるジャパネット銀行は、決済手数料を収益の柱としている。し
たがって、たくさん残高のある人よりも、たくさん利用してくれる客のほうがありがた。
インターネット専業銀行では、取引回数こそが重要になってくる。つまり、インターネット銀
行とは、顧客のターゲットが異なるということ・・・。
ジャパネット銀行では、銀行員のやることをすべてユーザー自身にやってもらう。そのことに
よって、客が取引に自覚するようになる。
ジャパネット銀行では、毎月の月初めに利息をつけるというサービスをしている。
ジャパネット銀行の自己資本比率は、30.1%で、国際基準を大きく上回っている。
いやあ、世の中の進歩についていくのは本当に大変なことです。
(2017年2月刊。1500円+税)

2017年7月19日

不発弾

(霧山昴)
著者 相場 英雄 、 出版  新潮社

東芝を連想させる「大手電機企業」の粉飾決算について、小説仕立てで内情を暴露する経済小説です。
ところが、この本では東京と並ぶ第二の舞台が、なんと福岡県大牟田市なのです。大牟田駅のすぐ近くに「年金通り」と呼ばれる目立たない飲食店街があります。まったく偶然にも、この本を読む前日に、私はちょっとした相談を受けていました。売上が10年前の3分の1にまで減っているので、飲みにきてくださいと誘われたばかりだったのです。年金生活者が乏しい年金で飲んで歌って半日すごせるというのが「年金通り」の由来だと聞いています。昔は、店の二階の小部屋で売春が横行しているという噂が立っていました。この本にも、それらしい状況が書き込まれています。そして、暴力団とのつながりも深いとされています。今はともかく、昔は恐らくそうだったのでしょう。昔の大牟田では、利権争いからの暴力団同士の殺人事件が絶えませんでした。
サブの主人公は、そんな大牟田から脱出して、証券会社に入り、無知な人々から大金を騙しとり、次には大企業の使い走りのようにして、利益保証・補填し、役員個人の蓄財にまで狂奔し、そのおこぼれにあずかるのです。
ホンモノの主人公は東大法学部を卒業した警察キャリア。ところが、なんとしてでも自分の手でホシをあげたいという個人的野望につき動かされて行動するのです。さすがに、その行動力とあわせて、各界にのびている広いネットワークのおかげで、大牟田出身の男の実像に迫っていきます。そして、いよいよ大手をかけたところ、アベ首相とモリカケ理事長の個人的関係と同じように、「政治的に処理され」無罪放免されるのです。なんと理不尽なことが起きているのかと、憤慨するばかりです。ところが、先日の都議会議員選挙の投票率は、わずか51%でしかありませんでした。日々、きつい労働に直面している人たちは、投票所に行く元気もないのでしょう。それでも投票所に足を運ばないと、日々の生活がますます暮らしにくくなるだけなのです。やはり怒りの声はあげて、叫ぶ必要があります。
証券取引で、個人投資家は自己責任として、損を出しても平然と見捨てられます。しかし、企業投資家だったら、「損失」は証券会社がカバーしてくれるのです。まことに不公平な仕組みです。許せません。ゼニカネ一本槍の人間はそれでいいのかもしれませんが、やはり世の中は、それだけですまされたくはありません。
国政を私物化するような政治家、目先の利益しか念頭にない大企業には退職・廃業してもらう必要があると私は思います。この本を読んで、ますますそう思いました。
(2017年2月刊。1600円+税)

2017年7月 6日

寅さんの世間学入門

(霧山昴)
著者 佐高 信  早野 透 、 出版  ベストブック

山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズが始まったのは、私が大学3年生のとき、1969年でした。マドンナ役は光本幸子です。私はその前にテレビで放映されていたというのは残念ながら見ていませんし、知りません。DVDにも全部は残っていないようですね・・・。
1969年以来、1997年の特別篇まで49作という超長シリーズです。なにしろ、お盆と正月に新作が封切られていたのですから、すごいことです。
私の子どもたちが一緒に映画をみてくれるようになってからは、正月に家族みんなでみていました。高笑いしながら、しみじみ泣けてくるという映画ですが、やはり観客みんなで笑うところに大きな感動がありました。東京・銀座の高級封切り館でみたときには、観客の笑いが、さすがに上品でしたから、もう、こんな上品な映画館では「寅さん」映画はみないと固く心に誓ったことを覚えています。
対談する二人は、私たち団塊世代より少しだけ年長です。一人はサユリスト(早野)、対する一人はリリー派(佐高)です。
サユリストの私ですが、寅さんの恋人役にふさわしいのは、なんといってもリリー(浅丘ルリ子)です。寅さんが肩の力を抜いて話せる女性だということが画面からよく伝わってきます。
リリーが登場するのは5作もあります。「ハイビスカスの花」は、筑豊の映画館でみましたが、ちょうど「オンボロ旅館」(失礼します)に泊まって弁護団合宿をしていましたので、みんなで腹をかかえて笑ってしまいました。
それにしても、渥美清が亡くなって20年にもなるなんて、信じられません。
この20年間に生まれた人は、寅さん封切り映画をみれなかったわけで、お気の毒としか言いようがありません。
最新の『家族はつらいよ』が、寅さん映画の雰囲気を伝えていますが、やはり面白みでは寅さんにはかないません。そこは、なんといっても渥美清という役者の奥深さです。
この本を読んで久しぶりに寅さん映画の感動に少しばかり浸ることができました。
(2017年3月刊。1400円+税)

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