弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ヨーロッパ

2022年8月 6日

特捜部Q


(霧山昴)
著者 ユッシ・エーズラ・オールスン 、 出版 早川書房

 デンマークの警察小説。過去の未解決の事件を扱うという警察小説は、前にも読んだことがあります。迷宮入りしていた事件を、刑事部の「お荷物刑事」が助手の力を借りながら、少しずつ謎を解き明かして、ようやく犯人にたどり着くというストーリーです。
 ネタバレはしたくありませんが、ストーリー展開は復讐小説という体裁をとっています。
 どこの国の警察にも「ハグレ刑事」のような一匹狼的な刑事がいて、上司はもてあましたあげく、「一人部署」を創設までして、そこに閉じ込めようとしたのでした。
 ところが敵もさるもの、ひっかくものということで、デンマーク語もろくに話せないような、シリア系の変人が、謎解きで、奇抜なアイデアの持ち主だったという突拍子もないアイデアが生き生きと語られます。それで、また話がふくらみ、次回作品への期待が高らむのでした。
 警察小説は、あくまで殺人事件が重要なファクターであり、その登場人物の性格や部署の設置、脇役(人種的)配置、事件捜査、物語の構成、脇筋のからませ方などについて、細かい配慮を工夫、創造に解説者(池上冬樹)は感心していますが、まったく同感です。
 570頁もの文庫本の警察小説なので、いったい次はどういう展開になるのか、目が離せない思いで一気に読みすすめました。この「特捜部Q」は少なくとも5冊シリーズになっています。その想像力と描写力に驚嘆してしまいます。
(2018年9月刊。税込1210円)

2022年7月 1日

13枚のピンぼけ写真


(霧山昴)
著者 キアラ・カルミナ―ティ 、 出版 岩波書店

ところは北イタリア、ときは第一次世界大戦のころ。平和な村に戦争が急に押し寄せてきた。オーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに対して宣戦布告した。1914年7月のこと。
オーストリアに出稼ぎに来ていたイタリア人一家は急に帰国を迫られた。最初に一家が失ったのは仕事だった。男だろうが、女だろうが、おかまいなしに...。
出稼ぎに行っていた大勢の村人がいっぺんに帰郷したから、北イタリアの村は、お祭りさわぎになった。みんなと再会できて、毎日が村祭りのようだった。
だけど男たちには仕事がなかった。何週間かたつと、戦争が恐ろしいかぎ爪をむき出しで、家々の戸を引っかき、村から男たちを連れ去った。
そして、教会の司祭は人々に説教した。
「祖国は今、人民の忠誠心と勇気を必要としていて、誇りとともに祖国を守り抜く必要がある。戦争は、それほど長くは続かないだろう。祖国のために死ぬことを恐れてはならない。それにより、永遠の英雄になれるのだから...」
しかし、こんなことを言う司祭の声は、どこか変だった。いつもなら、自分の言葉でしっかり伝えようとするのに、今日の言葉は、なんだか自分でも心の底では信じていないみたいだ...。主人公の女の子は、おかしいと思った。
主人公の母親はオーストリアに味方するんだろ、とわざわざ文句を言いにくる者がいた。まず長男が軍隊にとられ、次に父親も軍隊にとられた。こちらは戦士ではなく、工兵として働かされる。村には、女性と子ども、そして老人だけが遺された。すぐに終わるはずの戦争は、長く続いた。
主人公は13歳の少女イオランダ。イタリアの村に戻りますが、やがて父も兄たちも軍隊にとられ、少女に恋する少年まで軍隊に入ります。そして村はオーストリア軍が占領して、逃げ出し、母と絶縁した祖母のもとへ...。
戦争は、男の人たちがはじめるものなのに、それによって多くを失うのは女の人たちなの...。
ロシアがウクライナへ軍事侵攻して4ヶ月になります。大勢の市民が殺され、傷ついています。そして、双方とも何万人もの若い兵士たちが死んでいったようです。戦争は、本当はむごいものです。
ドローンが上空から撮った動画によって戦車が爆撃され、焼失していく映像を見るたびに、この戦車には4人か5人の若者たちが乗っていたんだよね...、と悲しみを抑えられません。
戦争の不合理さを少女の眼からじんわりと伝えてくれる小説です。
タイトルからは、とても内容が想像できません...。いいのでしょうか...。
(2022年3月刊。税込1870円)

2022年6月19日

ブランデンブルグ隊員の手記


(霧山昴)
著者 ヒンリヒボーイ・クリスティアンゼン 、 出版 並木書房

ブランデンブルグ部隊とは、第二次大戦中にドイツに存在した特殊部隊のこと。
少数精鋭の将兵により、敵の急所に痛打を与え、作戦的・戦略的な効果を上げることを目的とする特殊部隊。1939年9月、対ポーランド戦を見すえてドイツ国防軍最高司令部の外国・防護局によって創設された。
私服あるいは敵の軍服を着用し、主力部隊に先んじて敵地深くに潜行し、橋梁やトンネルなどの作戦・戦術上の要点を押さえていく部隊。はじめの大隊規模から連隊へ、さらには師団規模の兵力を擁した。決死隊の性格を帯びていたため、ブランデンブルグ隊員の死傷率は通常部隊をはるかに超えていた。
1949年2月、ソ連軍との戦闘において、著者たちの部隊は、偽装作戦、つまりソ連軍を制服を着用して作戦に従事した。指揮をとるのは、ロシア語を流暢に話す上等兵だった。
戦場に住む村人たちは、永年にわたって培われた生き残り術によって、はしっこくなっていた。戦場の住民は、単純ながら天才的なアイデアを思いついた。兵隊は、どこの国も常に空腹で喉も渇いている。そこで、村の両端にパン、肉、自家製のウォッカとたっぷり置いておき、しかも接近してきた両軍部隊に、それぞれ敵はいないと見せかけ、大いにもてなした。両軍の兵士は、腹を満たして満足し、安いウォッカを飲んだあと、さらなる任務を中止して、「敵影なし」との報告をかかえて戻っていった。
なーるほど、戦場となった村人たちの生き残るための必死の作戦ですね。
あと、どれだけ生きられるか分からないという極限の状況の中に置かれた人間は、乾いたワラの上で身を丸めて眠れるときに満たされる動物的幸福感というものは、自らそれを体験したものでなければ理解不能だろう。
著者はドイツ敗戦のあと、ソ連に抑留され、10年ものあいだ、「戦犯」としてソ連の刑務所や労働収容所に入れられ、幸いにして生きてドイツに戻ることができたのでした。
こんな特殊部隊がドイツ軍に存在していたことを初めて知りました。ドイツ軍にはユダヤ人絶滅を主任務の一つとした特別部隊がありましたが、それとは別のようです。
(2022年4月刊。税込2640円)

2022年6月16日

英語の階級


(霧山昴)
著者 新井 潤美 、 出版 講談社選書メチエ

イギリスで生活するって、大変なことなんじゃないかなと、つい思ってしまいました。なにしろ、最初に話した一言を聞いて、相手は、「あ、この人は、このくらいの階級だ」と無意識のうちに考えてしまうというのです。
なので、1922年にBBCがラジオ放送をはじめたとき、アナウンサーがどんな英語を話すべきかが問題になった。誰からも反感をもたれない英語は何かということです。だから、「アッパー・クラス」(上流階級)英語ではいけないのでした。もちろん「コックニー」英語でもいけません。「コックニー」とは、ロンドンの人間というより、ロンドン人のなかでもワーキング・クラスのロンドンっ子が話す独特の発音と表現のこと。
RP(標準英語)を普及させるのは大変だったようです。
著者が寄宿舎仕込みのRPを話すと、相手は、「だいじょうぶ、お嬢ちゃん?」と話していたのが、「どうぞ、奥様」と、がらりと態度を変えるのだそうです。すごいですね、これって...。
イギリスには、「アッパー・クラス」、「アッパー・ミドル・クラス」、「ロウワー・ミドル・クラス」、「ロウワー・クラス」、「ワーキング・クラス」が現存している。
「礼儀正しい」英語を話す人は、必ずしも「アッパー・クラス」ではない。
小説や演劇では語り手が使う単語や、表現・文法などによって、語り手の階級や社会的地位がはっきり示される。
自分の社会的地位に対する自信のなさから「上品さ」を目ざすのが「ロウアー・ミドル・クラス」だ。
イギリスでは、言葉のなまりは、話者の出身地という地理的な要素だけでなく、話者の出身階級をも表す。
「アッパー・クラス」と「アッパー・ミドル・クラス」の人は、どの土地に住んでいようと、どこの出身であろうと、地方のなまりのない、「標準英語」を話す。
イギリスでは、ある階級以上の人間は、どの地域にいても、同じ種類の英語を話す。それは、子どもたちが学んだ私立の寄宿学校・パブリックスクールで身につけることによる。
イギリスの一断面を知ることができる、面白い本でした。
(2022年5月刊。税込1705円)

2022年5月28日

ソーニャ、ゾルゲが愛した工作員


(霧山昴)
著者 ベン・マッキンタイアー 、 出版 中央公論新社

第二次大戦後、イギリスの田園地帯に住む平凡な「主婦」が、実はソ連赤軍の大佐であり、受勲歴もあるスパイだった。この女性はソ連のスパイ養成学校で厳しい訓練を受けたあと、中国、ポーランド、スイスでスパイとして活動し、東西冷戦下では、原爆情報をソ連に提供するスパイ網のリーダーだった。彼女の名前はウルズラ・クチンスキー。ドイツ系ユダヤ人。彼女の子ども3人は、全員、父親が違っている。彼女は無線技師であり、秘密文書の運び屋であり、爆弾製造者でもあった。彼女の暗号名は、ソーニャ。彼女の父親はベルリンに住む裕福なユダヤ人であり、もっとも著名な人口統計学者だった。母親は、同じくユダヤ人不動産開発業者の娘。
ウルズラは中国に行き、上海で活動するようになった。そして、そこで憧れのアグネス・スメドレーに出会った。ウルズラは『女一人大地を行く』を読んでいた。スメドレーは共産党に入らない共産主義者であり、ソ連のスパイだった。そして、上海で、ウルズラはリヒャルト・ゾルゲに出会った。ゾルゲは日本に来る前は中国・上海でスパイとして活動していたのですね...。
ゾルゲは第一次大戦時の戦闘で負傷していて足を引きずって歩き、左手は指が3本、欠けていた。ゾルゲは、上海にいるなかでは、もっとも高位のソ連側スパイであり、赤軍情報部の将校だった。同時に、経験豊富なプレイボーイでもあった。ゾルゲはドイツ人の父とロシア人の母とのあいだに、ソ連のアゼルバイジャンのバクーで1895年に生まれた。
女性の暗号名のソーニャは、動物のヤマネ、「眠たがり屋」、そして、上海では「ロシア人売春婦」を意味していた。上海で、ウルズラはゾルゲの愛人となり、ゾルゲのスパイグループの活動に場所を提供し、見張りをし、また、文書を届け、武器をかくした。ウルズラは、安全と安定のある生活には物足りなく、スパイ活動に心が惹かれた。スパイ活動は依存性が高い。秘密の力という薬物は、一度でも味わったら断つのが難しい。
ウルズラにとって、スパイ活動は経済的報酬を得ることではなかったようです。そして、共産主義の実現を目ざすというのでもなかったようです。それは、家族との関係もあり、彼女自身の欲求にこたえたものだったということです。つまり、彼女の心の中に潜んでいた野心とロマンと冒険心が入り混じった並々ならぬ気持に突き動かされたものというのです。
ウルズラは中国に戻り、満州の奉天に住むようになった。日本軍が支配し、隣にはドイツ人の武器商人、ナチ党員が住んだ。そして、ウルズラは、赤軍将校として、現地の中国共産党の軍事破壊活動に爆弾を提供するなどして援助した。そして、中国、奉天から次はポーランドに活動の舞台を移した。どこも危険と隣りあわせの生活だった。
このころ、スターリンの大粛清が進行していて、ウルズラの上司や同僚たちが、次々に消されていった。なにしろ、スターリンはNKVDの「第4局全体がドイツ側の手に落ちている」と言っていた(1937年5月)のですから、どうしようもありません。ゾルゲも召還対象になったが、日本から戻るのを拒否したので、助かった。その上司たちは、次々に粛清されていった。
ウルズラが助かったのは、ウルズラに、「相手を誠実にさせるという稀有な能力があった」からだと著者はみています。スターリンの犠牲になった誰一人としてウルズラの名をあげなかったというのです。まことにまれにみる幸運の持ち主です。
ウルズラは、イギリスにいて、女性であり、母親であり、妊娠していて、表向きは単調な家庭生活を送っていることが、全体として完璧なカムフラージュになっていた。
ウルズラがイギリスにおける最大のスパイ網を運用しているのを見破ったのは、イギリスのMI5の女性、ミリセント・バゴットだった。
ウルズラは、2000年7月に93裁で死亡した。プーチン大統領は、亡くなったウルズラを「軍情報部のスーパー工作員」だと宣言し、友好勲章授与した。
よくぞここまで調べあげ、読みものにしたものだと驚嘆しながら、休日の一日、読みすすめました。
(2022年2月刊。税込3190円)

2022年5月25日

ハレム


(霧山昴)
著者 小笠原 弘幸 、 出版 新潮選書

ハレム(ハーレム)は「酒池肉林」につながります。
ハレムという言葉はアラビア語(その元はアッカド語)の「ハラム」から来ている。聖なる、不可視の、タブーとされたという意味。
オスマン・トルコの前、アッバーズ朝は改宗の時期を問わず、ムスリムであれば信徒はみな平等とした。そこで、イスラム帝国とされている。その前のウマイヤ朝は、アラブ帝国だった。
アッバース朝のカリフの寵姫たちは、ほとんど奴隷身分の出身だった。アッバース朝のカリフ37人の母親のうち35人は奴隷身分の出身だった。イスラム教では、女奴隷の子は認知されたら、正妻の子と変わらない権利が認められていた。また、ムスリムを奴隷にすることは禁じられていた。逆に奴隷はムスリムになった。
君主にとって、みずからにとって代わる可能性のある親族よりも、奴隷の側近はよほど信頼のおける臣下だった。イスラム世界の諸王朝では、「君主の奴隷」が国や軍事の中心を占める例がしばしば見られた。
ハレムで働く女官や宦官も、基本的に奴隷身分だった。ハレムはまさしく奴隷の世界だった。奴隷はイスラム世界の諸王朝の発展の原動力のひとつだった。
ハレムには400もの部屋があり、一見すると無秩序のように見える。しかし、実際には、住人と役割に応じて、きわめて合理的に空間が分割されていた。スルタンの区画、母后の区画、使用人の区画(女官の区画と黒人宦官の区画もある)という三つの空間から成り立っている。母后の区画は、中央に位置し、スルタン・黒人宦官・女官の区画とそれぞれ個別に直接つながっていた。すなわち、母后は、ハレムの最高権力者だった。
奴隷は、戦争捕虜と有力者からの献呈によって入ってきた。たとえば、ムラト3世の母后は、ベネチア船に乗っているところを海賊に捕らえられて奴隷になった。
女官になると、まず、イスラムに改宗し、新しい名を与えられた。トプカピ宮殿のハレムで働く女官の人数は、残された俸給台帳の記録から500人を上回ることはなかった。
ハレムの女官たちが料理をつくることは基本的になかった。スルタンに叛逆したとされた女官は袋に詰めて海に沈められた。
ハレムで働く女官は25歳までが多く、7年間から9年間ほど働いた。その後は官邸の外で市井の帝国臣民として人生を過ごした。奴隷身分から釈放され、自由人として新しい人生を歩みはじめた。
ハレムから出廷(卒業)した女官はまず、第一に改名した。そして多くは結婚した。その多くは時計を所有したが、それほどステータスが高く、豊かな財産を有するものもいた。ハレムは、管理された後継者生育の場だった。
アッバース朝の宮廷には、1万1千人の宦官がいた。その内訳は7千人の黒人宦官、4千人が白人だった。
ハレムは王位継承を円滑に運用するため、厳格に運用された。ハレムは、王位継承者を確保するといいう目的に最適化された組織だった。ハレムは、まぎれもない官僚組織だったが、王位継承者の生育という目的に奉仕する、特異な性格を持つ、官僚組織だった。
江戸城の大奥という、女性ばかりの空間に好奇心をもっていますが、同じようにオスマン帝国のハレムについても知りたくて一読しました。基本的に目的を達成しました。
(2022年3月刊。税込1815円)

2022年4月21日

ノブレス・オブリージュ、イギリスの上流階級


(霧山昴)
著者 新井 潤美 、 出版 白水社

イギリスやフランスには、今でも実は上流階級が厳然として存在していると聞きました。今でも貴族が実在しているというのです。驚きます。日本でも旧華族が幅をきかす社会が東京のどこかにあるのでしょうか。昔は学習院大学がそのバックボーンになっていたようですが、今はどうなんでしょうか...。
イギリスの上流階級って、いったいどんな生活をしているのか興味本位で読みはじめました。
イギリスの貴族がヨーロッパの貴族ともっとも違うのは、爵位が長男しか継がれないこと。イギリスの貴族は、息子たちはみな長男と同じ教育を受けるが、成人に達したとたん、勝手に自活するようにと、家を追い出される。次男以下の息子は、「ヤンガー・サン」と呼ばれ、爵位も財産も継げない。かといって、彼らはどんな職業についてもいいわけではない。そこで、聖職者や、軍の士官、外交官そして法廷弁護士を目ざすことになる。
貴族の息子であっても、次男以下は、爵位がなく、土地の相続もできずに、何らかの職業につかざるをえない。したがって、ミドル・クラスの仲間入りをする。
そうすると、同じ家族であっても、アッパー・クラスとミドル・クラスが混在することになる。
同じ家族でも、親戚でも、さまざまな階級に属し、異なった境遇に身を置くことになる。
貴族たちは、19世紀の終わりころから、屋敷と土地の維持のため、アメリカの富豪の娘と結婚するケースが少なくなかった。相続した屋敷と土地を維持し、社交を怠らず、毎週末にハウス・パーティーを招く。
このような「ノブレス・オブリージュ」には、相当の財力と、それをなしとげるだけの気力、体力そして資質が伴わなければならない。しかし、19世紀後半、土地からの収益は減る一方だった。
アメリカの富豪の娘たちが19世紀後半から20世紀初めにかけて次から次へと(100人以上)、イギリスの貴族と結婚したのは、持参金もさることながら、彼女たちの育て方からくる魅力が大きかった。彼女たちは外見にお金をかけていただけでなく、社交的で自信にあふれていて、ヨーロッパの社交界に入っても臆するところはなかった。
アメリカの富豪の娘は、イギリスと違って、相続人の一人であった。そして、アメリカの女性は、イギリスと違って、結婚しても自分の財産をもっていたし、アメリカ人の夫は仕事以外は妻の決断にまかせていた。
イギリスのアッパー・クラスの人々は、所有するカントリー・ハウスを一般公開した。有料で観光客を迎えた。生活しながら、観光客をもてなした。
日本人だったカズオ・イシグロはナイトとなった。このナイトは一代限りで、世襲制ではない。カズオ・イシグロは、ナイトになったので、名前の前に「サー」がつく。ロード・サー・レイディの称号が名前につくのか、名字なのか、結婚後はどうなのかなどによって、その人物が貴族のどの爵位なのか、長男なのか、次男以下なのか、妻なのか、未亡人なのか、または離婚した妻なのかといったことが、ある程度わかる。
アッパー・クラスの人は、大きな屋敷や土地の維持に苦労していて、経済的に困窮している。そして、経済的な理由だけでなく、アッパー・クラスの人は他人(ひと)の目など気にしないので、身なりにもかまわないし、衛生にも無頓着。
イギリスの上流階級の実情、そしてイギリスの庶民がどうみているのかを知ることができました。でも、嫌ですよね、皇室とか貴族(華族)とか...。早く廃止してほしいです。万民が本当に平等の世の中に早くなってほしいです...。でも、その前に経済的な格差のほうを少しでも克服するのが先決でしょうね。
(2022年3月刊。税込2420円)

2022年4月 8日

ロシアトヨタ戦記


(霧山昴)
著者 西谷 公明 、 出版 中央公論新社

ロシアがウクライナ侵略戦争を始めて1ヶ月あまりたって、こんなときにロシアに関する本を読んでどうするんだ...、と思いつつ読んだ本です。
まったく期待せず、さっと読み飛ばすつもりだったのですが、意外や意外、とても興味深い内容の本でした。なるほど、今のロシアって、そんな国だったのか、ウクライナへの侵略戦争を始めた理由、そして、ロシア国民の7割がプーチン大統領を支持しているという理由が、やっと理解できました。つまり、ロシアにトヨタが進出していったとき、どんな扱いを受けたのかを通じて、ロシアというのは、どんな国なのかがよく分かったということです。
ロシアという国に正義など存在しない。そのことはロシアでの苦い経験から、身をもって学んだ。裁判による企業側の勝訴率は20%以下と言われていた。下手な取引(ディール)に応じてしまえば、いずれもっと大がかりなたかりの標的にされ、将来に取り返しのつかない禍根を残してしまうことになりかねない。
当時のロシアは粗野で、不条理にみちていた。「当時」と、今では違うと言えるのでしょうか...。それが問題です。
ロシアで土地を取得し、そこに社屋を建設するとなれば、きれいごとだけですまない。これは分かっていた...。実際に社屋建設に向かって動きだしてみると、ロシア社会の実態が分かってきた。その社会の無法ぶりに泣かされた。資材や機材を輸入するとき、厄介な通関手続の代行をふくめて、巨大な輸入ビジネスのすそ野を形成していた。認証料や手数料などの名目で、あちこちへお金が落ちるしくみになっていた。どこでも「袖の下」が求められた。
ロシア人は請負師であって、自らは仕事せず、中央アジアからの出稼ぎ労働者に仕事をさせる。ロシアは、まぎれもなく階層社会だった。
ロシア経済は、原油への依存に大きく偏りすぎていた。貿易では輸出の65%以上、財政では歳入の50%以上を石油とガス、その関連製品が占めていた。
ロシアは経済危機におちいると、いっとき高級車が飛ぶようによく売れる。それは、ロシア人が自動車を換金性の高い資産と考えているから。
ロシアの人々は、家族と自分自身の日々の生活だけを重んじて、政治や社会、他人については無頓着で、無関心だった。他人を押しのけて生きるのはあたり前。
残念ながら、ロシアは、今もって成熟しておらず、欧米や日本の通念に照らして「ふつうの国」からほど遠い。
ロシアでは犯罪は容易につくりあげられ、正義はなきに等しい。
ロシアでは貧富の差が拡大し、社会のひずみが身近に感じられる。経済のそこここに利権がはびこり、行政の腐敗、汚職と賄賂が蔓延している。交通警察の陸送へのいやがらせもひどかった。
プーチン大統領は、国家に管理された資本主義の方向に向かった。それは中央集権的な政治を目ざすということ。ところが、ロシア国民にとって、プーチンは、祖国を分裂と崩壊の淵から救い出し、国家としての一体性を回復させて、ふたたび大国へと導くための道筋をつけた恩人だった。だから、支持率70%は当然だった。
ウクライナへの侵略戦争を始めた今日でも、なお70%もの支持率だといいます。マスコミがプーチンによって統制されて、ほとんど戦争の真実をロシアの人々に伝えていないからでもあるでしょうが...。
近代ロシアの歴史は、一貫して権威主義的な専制君主国家として、上からの垂直的な統治があり、下には上に従う多数の国民がいる。
トヨタは、ロシアでレクサスをふくめて多くの車の売り込みに成功したようですが、その内実がいかに、大変だったのか、この本を読むと、その大変さのイメージがつかめます。
ロシアのウクライナ侵攻の背景にある、ロシアという国の本質を垣間見ることができる本として、一読をおすすめします。
(2021年12月刊。税込2420円)

2022年4月 6日

ユダヤ人を救ったドイツ人


(霧山昴)
著者 平山 令二 、 出版 鷗出版

ナチスがユダヤ人を迫害し、大量に虐殺したことは歴史的事実です。
ところが、少数ではありますが、迫害されるユダヤ人を身の危険をかえりみず救ったドイツ人もいたのです。本書は、それを丹念に掘り起こして、詳しく紹介しています。そのような人たちは「静かな英雄たち」と呼ばれています。
映画「戦場のピアニスト」は実話を描いていますが、そこに登場しているドイツ軍将校の素顔が紹介されています。気まぐれとか偶然とかでユダヤ人ピアニストを救ったのではないことを初めて知りました。
ヴィルム・ホーゼンフェルトは、教師の父、両親とも厳格なカトリック教徒であり、本人も父と同じく教師となり、ペスタロッチの教育観の影響を受けた。ホーゼンフェルトは突撃隊に入隊し、ナチス教師連盟にも加盟しているが、次第にナチス党に違和感をもつようになった。反ユダヤ主義に共感できなかった。そして、アウシュビッツ強制収容所のガス室の存在を知り、「こんなひどいことを見逃しているなんて、なんと臆病なことか、我々も全員が罰せられるだろう」と1942年8月13日の日記に書いている。
「ユダヤ人のゲットーはすべて焼け跡になった。獣の仕業だ。ユダヤ人の大量虐殺という恐ろしい所業をして戦争に敗北するというわけだ。拭いようのない恥辱、消すことのできない呪いを自らに招いた。我々は恩窮に値しない。みんな同罪だ」(1943年6月16日)
「労働者たちはナチスに同調し、教会は傍観した。市民たちは臆病すぎたし、精神的な指導者たちも臆病だった。労働組合が解体され、信仰が抑圧されることを我々は許した。新聞やラジオでは自由な意見表明はなくなった。最後に、我々は戦争に駆り立てられた。理想を裏切ることは報いなしではすまない。我々みんなが尻拭いをしなければならない」(1943年7月6日)
これって、今のロシア、いえ、日本にもあてはまりませんか...。
ホーゼンフェルトがユダヤ人ピアニストのシュピルマンに出会ったのは1944年11月17日、そして、かくまい続けた。
ホーゼンフェルトは、ドイツ軍が敗走するなかで、ソ連軍の捕虜となり、白ロシアの軍事法廷でワルシャワ蜂起弾圧の罪で懲役25年の刑が宣告された。ポーランドで著名な音楽家となっていたシュピルマンは、ホーゼンフェルト救出に尽力したが、ホーゼンフェルトは2度目の脳卒中でついに1952年ン8月13日、死に至った(57歳)。
ドイツ軍大尉として、ヒトラーを支持しながらも、ユダヤ人救済者でもあったというわけです。
1943年2月末、ベルリンには2万7千人のユダヤ人が暮らしていた。そして、戦争中、6千人のユダヤ人が潜行していた。1人のユダヤ人を救うのに7人の救済者がいたとすると、単純計算ではベルリンだけで4万人もの救済者がいたことになる。
救済者の一人として、ベルリン警察署長がヴェルヘルム・クリュッツフェルトがいた。そして、その部下も署長とともにユダヤ人を救っていた。
多くのユダヤ人を救ったドイツ国防軍の軍曹もいました。シュミット軍曹です。大胆にも軍のトラックを利用してユダヤ人を安全地帯に移送した。それがバレて、軍法会議にかけられ、シュミット軍曹は死刑に処せられた。このアントン・シュミット軍曹は思想的背景はなく、他人の苦しみに同化し、必要とされたら他人を助けるという本能に従って行動した。処刑される寸前に妻あての別れの手紙にシュミット軍曹はこう書いた。
「私は、ただ人間たち、それもユダヤ人たちを、死から救っただけ。それで私は死ぬことになった。愛するお前たちは、私のことは忘れてくれ。運命が望んだような結果にまさしくなっているのだから」(1942年4月13日)。
この本には、保守的で閉鎖的と思われていた農村でも、ユダヤ人が隠まわれ、戦後まで生きのび例があることも紹介されています。それは、裕福な自立した農民であり、家族の絆(きずな)を大切にし、敬虔(けいけん)なキリスト教徒だった。
ユダヤ人救済に身を挺したドイツ人が少なくないことを知ると、心がいくらか安まります。
(2021年9月刊。税込3520円)

2022年3月27日

ファーブル伝


(霧山昴)
著者 ジョルジュ・ヴィクトール・ルブロ 、 出版 集英社

『ファーブル昆虫記』で名高いファーブルの評伝です。著者はフランスの医師であり、国会議員もつとめた政治家でもありますが、生前のファーブルと親交があったようです。なので、ファーブルの昆虫観察ひとすじの生活ぶりが詳しく紹介されています。
そして、とてもこなれた日本文になっていますので、476頁もある大著ですが、スラスラと読みすすめることができました(私は、日曜日の昼に読みましたが、3回で読了しました)。
ファーブルの人生においては、何もかもが真剣で、常にある一つの目標に向かっていた。
ファーブルの90年あまりの長い生涯は、3つの時期に区分できる。
その一は、60年近くにわたるもので、「荒地」を手に入れるまで、その二は、孤独と深い沈黙の時期。しかし、この時期がいちばん活発で、収穫も豊か。その三は、人生の最晩年の10年間で暗闇のなかにいきなり光があたったような時期。
ファーブルは、どんなときでも、何もしないで時間を過ごすということがなかった。
ファーブルにとって、子どもと虫、この二つこそが大きな喜びだった。子どもたちに、毎日(木曜日と日曜日を除く)午後2時から4時まで講義した。
何より必要なのは、生き物に対する強い共感。
優れた観察者というものは、実際には想像力をはたらかせてものを創り出す詩人だ。
ファーブルは、本能とは何かを定義したり、その本質を深く掘り下げたりはしない。本能は定義できないし、その本質もまたはかり知れないからだ。しかし、ファーブルは、『昆虫記』において、本能と、その無限の多様性について、多くのことを学ばせる。
昆虫は、やり慣れた作業や習慣的な行動から逸脱することができない。なので、ファーブルは、虫には知性がないとした。
ファーブルは、何事もこまかく突きつめていく性格だった。実証的で、厳格で、独立心が旺盛だった。
ファーブルは、ダーウィンと同世代の人で、手紙のやりとりをしていた。ファーブルはダーウィンの進化論を否定して賛同せず、表向きは敵というか、論争の相手だった。しかし、この二人は、互いに深く尊敬しあっていた。
ファーブルは、あらゆる動物、たとえば犬や猫、家で飼っているカメだけでなく、ぷっくりと膨れて、皮膚のべとべとしたヒキガエルとさえ仲良くしていた。
生きとし生けるものは、みな神聖なつとめを果たしている。この教えをファーブルも大切にした。
ファーブルは、ごくフツーの、誰にでも分かるコトバで語ろうと努力した。
ファーブルは、素朴でイメージの富んだ呼称や、ありふれた俗称など、一般やの人々がつかう生き生きした用語のほうを使うのを好んだ。
ファーブルの最晩年は「貧窮」のうちに生活していた。
フランスには、日本ほど大の男がチョウチョウなどの昆虫を愛していると公言する人はいないようです。日本には有名な俳優にも政治家にも、昆虫大好きだと公言してはばからない人がいますし、世間が受け入れていますよね。私も、その一人です...。
(2021年5月刊。税込4620円)

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