弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ヨーロッパ

2023年4月25日

アウシュヴィッツを破壊せよ(上)


(霧山昴)
著者 ジャック・フェアウェザー、 出版 河出書房新社

 アウシュヴィッツ絶滅収容所に志願して潜入したポーランドの工作員がいることは前に本を読んで知ってはいました。 『アウシュヴィッツを志願した男』(小林公二、講談社)、『アウシュヴィッツ潜入記』(ヴィトルト・ピレツキ、みすず書房)を読みました。
この本は上下2分冊で、本人の手帳などをもとにして、とても詳細です。ともかくその置かれた困難な状況には圧倒されます。よくぞ、生きて収容所から脱出できたものです。もちろん、これはヴィトルト・ピレツキがユダヤ人ではなく、ポーランド人の将校だったからできたことではあります。ともかく大変な勇気の持ち主でした。
 この上巻では、ヴィトルト・ピレツキがアウシュヴィッツ収容所に潜入する経緯、そして収容所内の危険にみちみちた状況があますところなく紹介されます。
残念なことは、この深刻な状況をせっかくロンドンにまで伝達できたのに、受けとったロンドンの方があまりの深刻かつ非人道的状況を信じかね、また、イギリス空軍がドイツ・ポーランドへの爆撃体制をとれず、報復爆撃が一度も試みられなかったことです。
ヴィトルト・ピレツキは、1940年9月19日の早朝、ワルシャワにいてナチス・ドイツに逮捕され、収容所に連行された。それは自ら志願した行為だった。
 この本は、ヴィトルトの2人の子どもにも取材したうえで記述されています。収容所のなかでは、教育を受けた人々は真っ先に文字どおり打倒された。医師、弁護士、教授。
カポは収容者の中から収容所当局が任命した「世話係」。かつての共産党員が転向し、ナチス以上に残虐な行行為を平然と行った。
 カポは、収容所当局に対して、常に自分の非情さを証明しなければいけなかった。
 収容所内で生きのびるためには、息をひそめて大人しくしていること。目立たないことは何より重要な鉄則。自分をさらけ出さず、最初の一人にも最後の一人にもならず、行動は速すぎても遅すぎてもいけない。カポとの接触は避ける。避けられないときは、従順に、協力的に、人当たりよく接する。殴られるときは一発で必ず倒れる。
 収容所内では1日1000キロカロリーに満たず、急激な飢餓状態に陥った。
 この本のなかに、カポが収容者とボクシングをしたエピソードが紹介されています。少し前に映画をみましたが、その話だったのでしょうか...。
 ミュンヘン出身の元ミドル級チャンピオンで体重90キロ、筋骨隆々のダニング相手では、かなうはずもありません。ワルシャワでバンダム級のトレーニングを受けていたテディがダニングに挑戦した。ところが、試合では、ダニングの拳をするりとかわし、むしろダニングを打ち、ついにはダニングの鼻を血まみれにしたのです。ボクシングって、巨体なら勝つというのではないのですね...。ダニングは潔く、テディの勝ちを認めて、賞品のパンと肉を渡したのでした。テディはそれを仲間と分け合ったのです。
こんなこともあったんですね...。すごいノンフィクションです。一読をおすすめします。
(2023年1月刊。3190円+税)

2023年4月23日

極光のかげに


(霧山昴)
著者 高杉 一郎 、 出版 岩波文庫

 日本攻戦後、50万人以上の元日本兵がソ連軍によってシベリアに連行され、強制労働させられました。その4年間のシベリア生活が淡々と記述されています。
 森の中から幼稚園の子どもたちが出てくると、「こんにちは」と挨拶する。「こんにちは、子どもたち」と返すと、次の子たちは「こんにちは、日本人」と言い、次々に握手していく。そして、山ぐみの小枝を差し出し、「おじさん、これあげる」「おいしいよ」と言う。保母さんはもらっていいと言うので、受けとった。やがて、遠ざかっていく子どもたちの合唱の声が聞こえてきた。ソヴィエトの民衆の民族は偏見のなさは、どんな頑(かたくな)なロシア嫌いをも感動させる。
 いい情景ですね。心が温まります。
ノドが乾くと、ロシア人はそこらあたりの雪をほおばったり、雪どけ水を飲む。それを真似すると、必ず下痢してしまう。ロシア人の野性的な生活力には、驚嘆するしかない。
 目の前に次々に立ち現れる人間がみなソ連の否定的な面を語る。
 ピオネールの幸い大きなネクタイをした子どもたちの前で、「同志スターリン、万歳!」と叫ぶと、ひとりの少年が「スターリンは良くないよ」と文句を言った。「なぜ」と尋ねると、「パンが少しだからさ」という答えが返ってきた。
 ユーモラスで、明るい、すぐに誰とでも友だちになる態度は、ロシアの民衆に独特なものだ。一般に古い世代のロシア人は底抜けに善良だ。
収容所のロシア人所長が言った。
 「きみたちがここでやっている民主運動は、全部、無意味だよ、無意味。そして、日本の港に上陸して1週間たったら、そのときこそ、民主運動の意義を本当に理解するだろう」
 収容所当局に迎合して進められている民主運動は一過性のもの、その本当の試練は日本に上陸したときにやって来るだろうというのです。まことにその通りでした。
 著者たちを護送するソ連の警戒兵は、小銃を地面に置き、その上にうつ伏せになって、銃を抱いて寝た。関東軍の形式主義ではなく、ソ連軍の実戦本位がこれひとつでも分かる。
ドイツ軍の捕虜になった経験もあるロシアの囚人は、自分の経験から一番人間らしい民族はイタリア人だと言う。毎朝、自分の方から先に挨拶するし、煙草はいかにもうまそうに吸うし、牛乳があれば大騒ぎだし、いつでも陽気で、女性たちに出会うと、決まってからかう。
 ドイツ人は、むやみに威張るし、世界で一番愚劣な民族だ。アメリカ人は決して労働しない。
オレたちは、まず、何より人間であればいい。ロシアの囚人と日本の捕虜が向きあってるんじゃなくて、ひとりの人間ともう一人の人間が向かい合ってるんだ。
世界で何人かの男が、とんでもない大間違いをしでかした。その間違いのおかげで、オレはヨーロッパに行って働き、キミはシベリアで働くというような馬鹿げたことになった。何人かのアホのほかは世界中、誰ひとりとして、こんな馬鹿げた結果を望みはしなかったのに...。
これは、ロシアで平凡に働く人々の口からよく聞かされた。いわばスラブ民族独特の人生哲学だ。書物からではなく、人生の中からしみ出してきた思想・哲学である。
4年間もの辛いシベリア抑留生活を、このように静かに深く掘り下げた本があったとは驚きです。
1991年5月に第1刷が刊行され、私は2022年3月の第13刷を読みました。
(2022年3月刊。970円+税)

2023年4月19日

シチリアの奇跡


(霧山昴)
著者 島村 菜津 、 出版 新潮新書

 シチリアの産業界でマフィアに支払うみかじめ料について公然と語るのは完全なタブーだった。
 私は、これは現代日本でも同じだと考えています。大型公共工事で、暴力団に「寄付金」、「地元対策費」「周辺調整金」など、様々な名目で今なおゼネコンはみかじめ料を支払っているのではありませんか...。そして、建設業者の談合はなくなっていないのではありませんか...。
イタリアのマフィアが最初に管理したがるのは選挙。これはマフィアの武器でもある。これまた日本でも似たような状況ではないでしょうか。暴力団と合わせて統一協会の動き(策動)もありますし...。
シチリア島のマフィアは、3200人から6800人と推定されている。人数に2倍もの開きのあるのに驚きますが...。
シチリア島のパレルモ県には1540人のマフィアがいて、15の縄張りに82の組織がある。といっても、組織は3人から10人ほどで、最大でも30人という。シチリア島の人口は480万人なので、5000人のマフィアがいたとしても、1000人に1人でしかない。なのに、シチリア島といったらすぐにマフィアを連想してしまうのは、島民にとっては心外なこと。
この本は、マフィアから取り上げた土地をオーガニックの畑に変え、ワインやオリーブオイルを作るという意欲的な試みを紹介しています。
マフィアはシチリア島でも、キリスト教民主党とともに成長した。シチリア島では、戦後、共産党と社会党が共闘した人民ブロックが90議席のうち29議席を獲得し、農民運動も盛り上がったので、島はほとんど共産化した。これにブレーキをかけたのが、1947年5月1日のメーデー集会を山賊が襲って、11人が亡くなった事件だった。
マフィアはただの殺人集団ではない。表面的には平和な時期にこそ、マフィアは活動している。マフィアは、暴力を行使することで、経済活動を行う組織だ。恐喝、みかじめ料、誘拐の身代金、公共事業の不正入札、違法薬物の密輸、選挙活動への介入など、その活動は多方面に及ぶ。そして、巨万の富を手に入れると、それを資金洗浄することで、金融業界に介入する。純然たる経済組織でもある。
マフィアが人を殺すのは、組織の掟を裏切った者や組織の利益を阻止する者への罰であり、暴力は、その経済活動を動かす燃料だ。
現在のシチリアでは、あからさまな暴力は、すっかり影を潜(ひそ)めた。しかし、マフィアによる闇(ヤミ)の経済規模は1380億ユーロ。国家予算の7%に相当する。その収益の中でみかじめ料が占める割合は16%(2011)。個人商店は月に2万8千円から7万円(200~500ユーロ)、スーパーは月70万円(5千ユーロ)、建設業界で140万円(1万ユーロ)。
そんなマフィアから押収した土地でワインやオーガニックのオリーブオイルをつくって販売しているというのです。
さらに驚いたことに、マフィア大裁判の裁判官の1人であるサグートという女性判事が、なんと、反マフィア法を悪用したとして詐欺の疑いで捕まり裁判中だというのです。いやはや...。そして、この摘発には、盗聴大国イタリアがあるのです。警察の盗聴によって、個人のプライバシーまで、すっかり暴かれてしまうようです。これも、日本も同じ状況なのでしょうか。
シチリア島の現実の一断面を知った思いがする本でした。

(2022年12月刊。820円+税)

2023年4月16日

セリエA発アウシュヴィッツ行き


(霧山昴)
著者 マッテオ・アラーニ 、 出版 光文社

 セリエAで優勝するのをスクデットと言うようですが、この本の主人公アールパード・ヴァイスは、インテル時代に史上最年少でスクデットを獲得した監督。スクデットの獲得回数は計3回、インテル時代に1回、ボローニャ時代に2回。それにパリ万国博覧会カップのタイトルが加わる。
アールパードは、強い意志の力で、イタリアのサッカー界に多くの決定的な新しさをもたらした。練習方法、プロ意識、科学的データの導入など、あらゆる面において、確固たる地位を築いた。
アールパード・ヴァイスは、エレガントな服装、上品な物腰、何より読書が大好きで、サッカーの指導書も書いた。
イタリアのファシストの親玉だったムッソリーニは、当初(1932年)、ユダヤ人排斥はしないと高言していた。イタリアの人口4000万人のうち、ユダヤ人はわずか4万人ほど。ところが、1938年にはイタリアでもユダヤ人排斥が始まった。ユダヤ人は、医師・弁護士・大学教員など、社会的地位の高い職業において割合が高かった。反ユダヤ主義者の動機はいろいろで、日和見主義、個人的打算、野心、経済的関心。
ドイツでは一般市民がユダヤ人家族が追放されると、その家に堂々と入り込んで、ユダヤ人家族の所有物を我がものにしていった事実があります。この「利益」が反ユダヤ・キャンペーンを支えたのでした。イタリアでも同じようなことが起きたのでしょう。
ユダヤ人について、事実に反するグロテスクなイメージが流布され、広がりました。
「血走った目をしていて、やせている。肌の色は黄色ばんでいて、髪はボサボサ」
「カトリック文明はユダヤ人高利貸しに支配されている」
「ユダヤ人の金銭への愛着は尽きることがない」
アールパードはユダヤ人でありながら、子どもたちにはカトリック式の洗礼を授けさせた。恐怖の1938年、ユダヤ人は公職から追放されるだけでなく、大企業の重役、銀行員、そして消防隊員などから排除された。当時のボローニャでは人種差別はほとんどなかった。ところが、沈黙の壁が広がった。
1939年1月、アールパードはフランスに行った。そこで落ち着けず、次はオランダのドルトレヒトへ。
ユダヤ人をドイツでは「ユーデン」と呼び、イタリアでは「エブレイ」と呼んだ。
ユダヤ人には迫害に抵抗するだけの能力の高さがある。
ナチスドイツがオランダに攻め込んできたとき、わずか5日間でオランダはナチスドイツに降伏した。1938年8月、イタリアではユダヤ人の財産がすべて没収された。ユダヤ人の国外追放を利用して、その財産をかすめとった者も少なくなかった。1942年8月2日午前7時、オランダ警察ではなく、ドイツ警察がやってきてアールパードを連行していった。オランダから搬送されたユダヤ人は4万人。ところが、彼らは切符を買わされた。死にに行くのに、お金を払わされたのだ。
西欧諸国のなかで、最も多いホロコーストの被害者を記録したのがオランダだった。「アンネの日記」のアンネも、オランダに潜んでいたのでしたよね・・・。
ナチス親衛隊の目標は、ユダヤ人を証拠を残さず消すことだった。なので、逮捕・連行は一般市民がまだ寝ている早朝に行なわれた。アウシュヴィッツに向かったオランダのユダヤ人のうち生還できたのは1000人弱でしかない。ソビボル強制収容所に連行されたユダヤ人3万5000人のうち、生存者はわずか19人。
イタリアの栄光のサッカー監督がユダヤ人であるというだけで逮捕・連行され、一家もろとも殺害された事実を掘り起こした労作です。ファシズムのうねりは目のうちに積まなければ止めようがなく暴走してしまうこと、このことを日本人の私たちも「戦前」になろうとしている今、歴史の教訓として深く学ぶ必要があると改めて思ったことでした。
(2022年10月刊。1800円+税)

2023年4月11日

ワグネル、プーチンの秘密軍隊


(霧山昴)
著者 マラート・ガビドゥリン 、 出版 東京堂出版

 アメリカのイラクやアフガニスタン戦争のとき、アメリカの軍事会社が問題となりました。軍事会社の戦闘員が何人死んでも、アメリカ軍の戦死者としてはカウントされない、そして、アメリカ軍のトップ級にいた軍人が営利企業をダシに使って、ガッポガッポもうかっている状況が問題視されました。同じことを、ロシアのプーチン大統領も、シリアそして今のウクライナでやっているようです。その軍事会社がワグネルです。
 この本はワグネルで指揮官をつとめていた元兵士がシリアでの活動状況をリアルに報告しています。巻末の解説によると、その様子は「小説」として読むべきだとされていますが、なかなか迫真の内容です。同じく、ワグネルという確固たる組織が実在しているのか、実は複数の傭兵グループと経済利権グループとを組み合わせた「ネットワーク」なのではないかとの指摘もあります。まったく闇の存在ですので、そうかもしれませんね・・・。
 ロシアのウクライナ侵略戦争について、著者(元ワグネル指揮官)は、間違っているのは常に侵略した側だ、戦争を始めた側だけに報復を招いた責任があるとして、ロシアとプーチン大統領を厳しく弾劾しています。そのとおりですよね。
 そして、ロシア兵がウクライナで戦死しても、身元の確認されていない遺体は「戦死者」としてカウントされず、すべて「行方不明者」とされる。うむむ、なるほど、そうなんでしょうね。ロシア兵の遺族が騒ぎ立てないようにするためですね。
 ロシア内ではプーチン政府の公式見解と異なる報道は許されていない。ロシア国民は当局のプロパガンダによって、ウクライナの「非ナチ化」や「非武装化」を抵抗なく受け入れている。また、国際的孤立から生じる経済的打撃は、裕福な暮らしをしたことのない大多数のロシア国民にとって恐れるに足りるものとはなりえない。なーるほど、残念ながら、きっとそうなんでしょうね・・・。
 ワグネルはロシア軍ではなく、民間の「軍事会社」であり、非公式な「会社」。そこには階級がなく、ロシア政府は存在自体を否定している。そして、ワグネルの活動は、常にプーチンのクレムリンだけに奉仕することを目的としている。
 ワグネルの構成員の大半は元兵士で、絶えずロシア正規軍と緊密な連携をとりあっている。
 ロシアでは、傭兵制度は公式に違法とされている。ワグネルに法的実体はなく、公には経営陣も社員もいない。その創設者の名前にちなんでワグネルと呼ばれている。
 ワグネルの傭兵の30~40%が原始信仰(ロドノヴェリエ)の信奉者である。そして、ネオナチの極右思想を信じている人間もいる。
 ワグネルの兵士は、基地での訓練期間中は月に950ユーロ、国外派遣のときは1500~1800ユーロ。社会保険ナシ、死亡したときの遺族金の対象にもならない。ただ、戦闘に参加したら、特別手当がもらえる。
 死を恐れない元兵士たちが、戦場に出かける。それも高給とりになって・・・。殺し合いなんですよね、嫌ですね・・・。
 この本の体験記(「小説」部分)では、友軍から爆撃された話、また、斥候に出た兵士2人が敵と見間違えられて射殺されたというケースが紹介しています。ベトナム戦争のときにも、アメリカ兵が頻繁に友軍から殺され、大問題になったことを思い出しました。戦闘と軍隊は、まさに不条理の存在なのですよね。
一刻も早く、ロシア軍はウクライナから撤退してほしいです。
(2023年2月刊。3200円+税)

2023年4月 6日

プーチンの過信、誤算と勝算


(霧山昴)
著者 松島 芳彦 、 出版 早稲田新書

 ロシアのウクライナへの侵攻が昨年2月に始まり、1年以上たつのに、いつ戦争が終わるのか、どうやって終わるのか、誰にも予測できない状況が続いています。私はプーチンのロシアがウクライナに攻め込んだのは絶対に間違いだと考えています。でも、アメリカもヨーロッパもウクライナに軍事支援を強めるだけで、ロシアのプーチンとの外交攻勢が弱いと思われてなりません。うがった見方をすれば、アメリカの軍事産業の好景気を続けさせるため、戦争が早く終わるのを望んでいないのではないかとさえ思われます
今やプーチンは核兵器を使うと脅しています。これは自分の身の保全のためには世界を破滅させてもいいというのと同じです。絶対に許せません。
それにしても、日本は今度もアメリカ追随だけ、なさけない限りです。私は岸田首相がゼレンスキーにしゃもじを贈ったのは許せますが、「非軍事援助」と称して莫大な経済援助を約束してきたのには疑問を感じます。どうして、岸田首相はロシアに行ってプーチンに会って話そうとしないのでしょうか・・・。もちろん、ただ話しただけで何か成果がすぐに上がるなんて私も期待しません。でも、行くだけのこと、行って話そうとすることはそれなりに国際世論を動かす意味があると思うのです。
ゼレンスキーは今ではロシアと戦うウクライナの先頭に立ってがんばっていますが、ロシアの進行する前、大統領の支持率は下がっていたようです。
ゼレンスキーは、有力なオリガルヒ(財閥)と協力関係にあった。ゼレンスキーは、キーウ大学で法律学を先行し、喜劇集団の一員として芸能界で活躍していた。
プーチン大統領によると、昨年(2022年)2月24日にウクライナに侵攻したのは戦争ではなく、「特殊軍事作戦」だ。
ロシアではメディアが「戦争」として報道すると、「虚偽の情報を拡散した」罪に問われ、最長15年の懲役刑を科される恐れがある。
ロシア軍は19万人もの兵員がウクライナとの国境線を踏み超えてなだれ込んだ。ロシア軍が大挙して攻め込めば、すでに支持基盤が揺らいでいて、政治・軍事の素人であるゼレンスキーは首都キーウからすぐに逃げ出すとプーチンは踏んでいた。しかし、プーチンの目論見は外れ、ゼレンスキーは国内に踏みとどまり、ウクライナ国民にロシアに対する徹底抗戦を呼びかけた。そして、初戦でロシア軍は大打撃を受けた。
ロシア軍はウクライナ領内に侵攻して、120万人ものウクライナ国民をロシアに強制連行した。そのうち50万人近くが子どもだった。
ロシアは深刻な人口減少に悩んでいる。アメリカのバイデン大統領は、オバマ政権が発足した2009年からウクライナ情勢に深く関与していた。これもロシアのプーチンと確執を深めた。
アメリカとロシアは、水面下でウクライナの奪いあいを展開していた。このアメリカ側の司令塔は、今のバイデン大統領だった。
プーチンは、「ロシアは過去も未来も大国である」と断言する。プーチンは、ロシアの核兵器に言及するとき、決して「核保有国」とは言わない。常に「核大国」とする。ロシアが生来の大国であるが故に当然のように核兵器を有していると言わんばかりだ。
プーチンにとって、現在のウクライナは真の意味での国家ですらない。プーチンは、「近い外国」つまり旧ソ連圏に加えて、「スラブの同胞」には手を出すなと宣明した。
第二次チェチェン紛争当時のロシア国民は、プーチンの「男ぶり」を熱狂的に支持した。プーチンのいう「強いロシア」を体現するのが核兵器だ。核兵器で相手を威圧するためには、核使用が現実的な選択肢であることを繰り返し見せつける必要がある。アメリカはプーチンが核を使うかもしれないと警戒している。プーチンのほうはアメリカが核を使うとは考えていない。
アメリカもロシアも核保有国として核兵器禁止条約に反対している。そして、日本はアメリカの言いなりに、この条約の署名・批准を拒み、締約国会議にオブザーバー参加すらしなかった。
裏切り者は決して許さない。これがプーチンの支配する世界の掟だ。娘が戦争反対する絵を描いてニュースになると、その父親を逮捕し、娘は施設に放り込む。これがプーチンのロシア。
チェルノブイリ(チョルノービリ)原発もロシアに占拠されていますよね。ザボロジア原発もです。原発への攻撃は冷戦時代からの悪夢だったが、プーチンは悪夢を現実に変えた。核兵器の使用と原発への攻撃は、どちらも核による威嚇という点で変わりがありません。
プーチンは、ロシアの若き経営者との面談のなかで、自分をピョートル1世になぞらえたとのこと。350年も前の皇帝を夢見ているということ。
プーチンにとって、ウクライナは「奪う」のではなく、「取り戻す」だけの存在。いやぁ、怖いですよね、これって・・・。プーチンとは何者かを知ることができる新書です。
(2022年8月刊。990円+税)

2023年3月23日

亡命トンネル29


(霧山昴)
著者 ヘレナ・メリマン 、 出版 河出書房新社

 かつて、ドイツは東西、2ヶ国に分かれていた。ベルリンにも東西があり、そびえ立つ壁で遮断されていた。この本は、そんな壁の下にトンネルを掘って、東から西へ脱出するのに成功した人々の苦難の取り組みを改めて掘り起こしています。
 ときは1962年夏のこと。1962年9月14日、トンネルを総勢29人の東ドイツ市民が西ベルリンへの脱出に成功した。
 すごいのは、このトンネルは4ヶ月間、学生を中心とするボランティアのグループが機械ではなく、手で掘りすすめていたこと、トンネルの長さは122メートル(400フィート)あったこと、そして、掘り進む途中からアメリカの報道機関NBCが撮影していて、脱出成功の瞬間も映像として残していること、これだけ大がかりの脱出なのに、東ドイツの秘密警察シュタージに発覚しなかった(別のトンネルは発見され、40人が逮捕)こと、です。
 380頁もある大作なのですが、シュタージへの情報提供者(つまりスパイ)がトンネルを掘るグループに潜入していて、シュタージへ情報を流していたので、そのスパイとの駆け引き、トンネルを掘りすすめる苦労話などがあって、手に汗握るほどの臨場感があり、車中と喫茶店で一気読みしてしまいました。
 東ドイツでは、シュタージへの情報提供者は17万3000人にのぼった。東ドイツの人口の6人に1人は「スパイ」だったというほどの密度だった。たとえば東ドイツの教会指導者の65%がシュタージの協力者だった。
 東西ベルリンを分断する壁がつくられたあと、1961年末までに8000人が西側への脱出に成功した。うち77人は国境警備兵だった。
 NBCはトンネルを撮影したが、トンネルがあまりに狭いため、持ち込めるのは、最小・最軽量のカメラだけで録音できなかった。そして、カメラは150秒分のフィルムしか使えなかった。
 シュタージの前に連れてこられた人間は、それまで誇りと自信にみちていたのが、たちまち自分はとるに足らない人間、人でなしの無価値な人間だと思うようになった。昔からの価値観がガラガラと音をたてて崩れ去っていった。そして、尋問官自体が、別の尋問官から「のぞき見」され、監視されていた。
 東ドイツの政権が倒れていくなかで、市民は自由に東西を往来できるようになり、ついで壁自体が破壊され、ついに撤去されたのです。映画『大脱走』(スティーブン・マックイーン)は捕虜収容所からトンネルを掘って救助されたというストーリーだったように思います。
 それにしても、市民監視の網の目のこまやかさには驚嘆するほかありません。最後まで面白く読み通しました。私もドイツのベルリンに一度だけ行ったことがあります。大きなブランデンブルグ門を見学し、ここらに壁があったと言われましたが、もちろん何もなく、想像できませんでした。
(2022年10月刊。税込3740円)

2023年3月17日

ソ連核開発全史


(霧山昴)
著者 市川 浩 、 出版 ちくま新書

 ロシアがウクライナに侵攻して1年以上たちました。プーチン大統領は核兵器を使うぞとたびたび脅していますが、その前にチェルノブイリとザポロージェ原発(原子力発電所)のほうは、すでに現実的な脅威となっています。
 ウクライナは豊かな穀草地帯ではあるものの、燃料資源には乏しいところから原発の大量導入が期待され、1970年代後半から1980年代にかけて、多くの原発がウクライナに立地した。ウクライナ電力産業の原発依存率は高く、電力の55%が原発によっている。
 チェルノブイリ原発は1986年4月26日、大惨事を引き起こしたが、すぐには閉鎖されなかった。ようやく閉鎖されたのは2000年のこと。ウクライナの電力事情が即時閉鎖を許さなかった。
 ザポロージェ原発はチェルノブイリ原発と同じくロシア軍の支配下にあり、外部電源を喪失したり、ウクライナとの戦火の下で危うい状況が続いている。第三の巨大原発災害、カタストローファにならないか、著者は大いに危惧しています。
 ソ連の核開発は、アメリカのそれとエコーした、時代の狂気なしでは理解できない現象だった。
 チェルノブイリ原発事故に先行して、ソ連市民の原発への疑問・不信は高まり、ソ連政治体制の危機のひとつの要因となった。それにもかかわらず、ソ連の後継国家ロシアの原子力産業は21世紀になって、したたかに息を吹き返し、国際的にビジネス展開するに至った。
 ソ連時代、市民の原発への疑問・不信は高まりを見せ、計39ヶ所で原発の建設・操業を阻止した。
 ソ連時代の核実験場であるセミパラチンスクやカプスチンヤール周辺では、大量の放射性物質が飛散した結果、住民のなかに白血病、種々のガンの罹病率、先天性障害のある子どもの出生率に明らかに有意な増加が認められている。
 ソ連時代、船用の原子炉からの放射性廃棄物は、未処理のまま長く海洋投棄されていた。地下深くに廃棄物を埋没しようとする試みもまったく一部でしかなかった。
 ロシア領内にある採掘可能なウランの埋蔵量は世界の5%にあたる17万トン超。ロシアは低品位ながら毎年3500トンのウランを供給し、カナダ、オーストラリア、カザフスタンに次ぐ、世界第4位のウラン産出国。そして、ロシアは、世界のウラン濃縮能力の40%以上、3.5%濃縮ウランを2万4000トン製造する能力を有している。核燃料の加工は2ヶ所で行われ、年間2600トン可能。ロシアの原子力工業「ロスアトム」は、世界有数の国際原子力企業集団としてよみがえっている。
 日本も原発大国です。日本で戦争なんてはじまったら、たちまち日本は終わりです。敵基地攻撃を反撃能力と言いかえてごまかしていますが、要は戦争しようというのです。でも、日本はウクライナと違って海に囲まれた日本は逃げることもできませんし。1週間も戦争したら、私たちは完全にアウトなんです。ともかく原発再稼働には反対です。戦争にならないよう、外交力を向上させるよう、私たち国民が声をあげるしかありません。
(2022年11月刊。税込964円)

2023年3月12日

ヒッタイトに魅せられて


(霧山昴)
著者 大村 幸弘 ・ 篠原 千絵 、 出版 山川出版社

 残念なことにトルコには行ったことがありません。先日の大地震による被害は壮絶でした。明らかに人為的な手抜き工事の結果としか思えない高層ビルの崩壊は痛ましすぎて、声も出ません。
この本は、トルコの遺跡を発掘している日本人学者にマンガ家が質問して展開していく本です。これまた残念なことに、このマンガ家によるマンガ(「天河」)も読んでいません。「天は赤い河のほとり」(小学館)は、まさしくこの遺跡あたりを舞台としている(ようです)。
 トルコでは昔も今も女性の力は強い。まあ、これは日本でも同じですよね...。
 マンガでは、ヒッタイト帝国の最盛期、紀元前14世紀ころを舞台として、ラムヤスⅠ世などが登場する。少女マンガなので、史実を忠実になぞっているわけではない。それにしても、たいした想像力ですよね。
 ヒッタイトが当時、最強の武器だったはずの鉄と軽戦車をもっていたのなら、簡単に滅ぼされるはずはない。ああ、それなのに...。この疑問からスタートした。それにしても、遺跡の発掘には、信頼できる仲間が必要。
 ドイツ人にとって、アナトリアのヒッタイト帝国には、民族的、語学的に自分のもの。なのに、なんで日本人ごときが、ここで発掘なんかするのか...。なので、ドイツ調査隊からは、完全に無視された。いやあ、こういうこともあるんですね...。
 発掘調査は、継続できて、初めて考古学という学問が成り立つ。なので、発掘場所が政治的に安定しているかどうかは、とても大きな問題となる。
 大事なことは、黙って、地味にやる。発掘調査には、年間に数千万円単位のお金がかかるのですよね。いったい、どうやってこれをまかなったのでしょうね...。
 発掘して出てきた遺物をきちんと整理、保存する。そして、次世代の若手研究者を育てる工夫もする。小学生を招いてレクチャーし、質問の時間もとっておく。大切なとですね。
 発掘調査は6月中旬から9月下旬までの3ヶ月ほど。発掘より整理のほうが時間を要する。
 発掘調査をする人は、現地の労働者とうまくやっていけることが、ものすごく大切。
 そして、毎週、子どもたちの前で授業をする。そして、研究室にも子どもたちが自由に出入りできるようにしている。盛大な拍手を送ります。
 発掘調査のなかで、毎年、数十万点ほどの遺物が出てくる。その収蔵庫が5棟ある。すべて開放して、誰でも自由に使えるようにしている。これはすごいですね。といっても、日本からだとあまりに遠い、遠すぎるのです...。
 ヒッタイトのヒエログリフ、そして楔形文字を読めるというのは、容易なことではない。残念なことに、ヒッタイトが使っていたという軽戦車は、まだ1台も発見されていない。ツタンカーメンの軽戦車は、ほとんどが木製で、儀礼用のヒッタイトのそれは、3人乗りで、エジプトのは2人乗り。見てみたいですよね、ぜひ。
エジプトとヒッタイトとは、まったく異なる世界。エジプトのファラオ(王)は、生きているときから、神として崇(あが)められる。絶対的な権力者。これに対して、ヒッタイトの王は、生前中は、神ではなく、限りなく人間。ヒッタイトの王は、あくまでも人間で、死んでから神様になる。
ヒッタイトの副葬品は、エジプトの金銀財宝のようなものは一切ない。本当に地味。
ヒッタイトでは、死者はおおむね火葬にされる。
ヒッタイトは分権的で、とても合理的。
ヒッタイトでは「鋼」がつくられていた。
ゾロアスター教は、日本にも影響を与えていた。
ヒッタイトの謎に迫りたくなってくる本です。読むと世界が広がります。
(2022年11月刊。税込1980円)

2023年2月22日

クレムリン秘密文書は語る


(霧山昴)
著者 名越 健郎 、 出版 中公新書

 ソ連がなくなったのが1991年ですから、もう32年にもなります。ソ連時代の秘密文書が公開されて、だんだん歴史の真実が明らかになってきました。
 私が1995年3月に発行された本書を読んだのは、元日本兵のシベリア抑留に関連して、その真相を知りたいと思ったからです。
 スターリンの極秘指令によりソ連が元日本兵をシベリアに送って強制労働させたのは、北海道の北半分をソ連が占領することをスターリンがアメリカのトルーマン大統領に提案したのをトルーマンが拒絶したので、その腹いせに元日本兵をシベリアに送ることにしたという仮説(有力説という表現もあります)があるのです。
 6月26日、クレムリンで対日参戦問題をめぐる重要会議が開かれた。このとき、メレツコフ第一極東方面軍司令官が北海道占領を提案し、フルシチョフが支持した。モロトフ外相やジューコフ元帥は反対。ジューコフ元帥は北海道を占領するなら、戦車と大砲を完全充足した4個師団が必要だとスターリンに説明した。
 スターリンは8月9日の満州進攻作戦の直前、北海道北半分の占領に備えて4個師団を北海道に投入する計画を策定したうえで、8月16日付の書簡で、トルーマン米大統領に北海道北半分の占領を認めるよう要求し、同時にサハリン南部に対して北海道上陸の出発準備をするよう通達した。しかし、8月25日にサハリン南部の解放(占領)が終了したあとも、北海道上陸作戦の出動命令は出されなかった。
 このように、ソ連軍が北海道北半分の占領を目ざして準備し、進攻しようとしたのは事実のようです。もし、そうなったら、朝鮮半島で起きた紛争、とりわけ朝鮮戦争のような事態が北海道で起きたかもしれません。ぞぞっとしますよね...。
 しかし、ソ連の国防委員会が8月22、23日に開かれ、元日本兵のシベリア抑留が決められた。8月16日の時点では、満州に19の収容所が設営され、そこに武装解除された元日本兵が集められて、そこから日本に送還する予定だった。それが1週間後の8月23日にシベリア抑留が決定された。
 しかしながら、スターリンの極秘指令文書をみると、ソ連への全10地域47収容地を列挙し、投入する人数から移送・収用条件まで綿密に描かれていて、ソ連当局はかなり前から元日本兵の抑留と強制労働を決め、周到な準備をすすめていた。
 私も「1週間で大転換があった」という説には乗りません。というのも、元ドイツ兵の捕虜を100万人以上も使役してソ連の都市の復興に役立たせていたわけなので、それをスターリンが知らない、忘れていた、なんてということは考えられないからです。
 歴史の真実を知るのは容易なことではないことが、しっかり伝わってくる本でした。
(1995年3月刊。税込720円)

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