弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ヨーロッパ

2023年2月21日

北アイルランド総合教育学校紀行


(霧山昴)
著者 姜 淳媛 、 出版 明石書店

 同じキリスト教を信仰しているはずなのに、しかも同じ民族なのにカトリックとプロテスタントで殺し合うという状況が生まれるのは、とても私には理解できないところです。ともかく、北アイルランドでは1970年代まで暴力とテロが横行していました。私もいくつか映画をみて、その悲惨な状況を少しだけ察していました。この本は、そんな殺し合いの状況を抜本的に変えるため、子どものころに両派を混ぜこぜにして教育し、交流体験によって争う必要なんて何もないことを実感させようという取り組みがすすめられていることを、韓国人の学者が現地に出向いて視察してきたのをレポートしたものです。
北アイランドでは1970年代から2000年ころまで、武力的対立があり、それは軍人や民兵団だけでなく、年寄りも子どもも区別なく攻撃の対象となった。そして暴力的テロは、公共の場所、街路、民家を問わず、いつでもどこでも起きた。
アイルランドの人口350万人のうち96%がカトリックで、北アイルランドでは120万人のうち40%未満がカトリック。暴力的テロの犯人たちを逮捕して刑務所に送っても、そこがさらに暴力の温床になる。
北アイルランドは、内戦に近い激しい試練の時期が続き、死傷者は15万人を超える。人口150万人のうち1割が紛争の犠牲になった。
北アイルランドでは40%がイギリスの市民権を、25%がアイルランド市民権、そして21%が北アイルランド市民権を取得している。その他の市民権は15%に近い。
ベルファストの西側は、住民の9割がカトリックで、南側は8割がプロテスタントというように、住居地も分割されている。
カトリックとプロテスタントを対話への道に導いたのは「コリミーラ」という市民団体だった。このような北アイルランドの平和を志向して活動する団体に対して、2回もノーベル平和賞が授与された。
北アイルランドでは、名前を聴くだけで、「あの人はアイルランド人だな」、「この人はブリトン人だ」ということが分かる。スポーツ、歌、食べ物が、すべて宗派分離主義文化の色に染まっている。だから、互いに共存できる統合教育が切実であり、これは早ければ早いほど、いい。それは、そうでしょうね。
統合学校が原則をきちんと守って成功し、それを拡散し、全社会に適用して初めて北アイルランドが健やかに生き返る。常に子どもたちを尊重する。それによって、学力伸長の問題は事前に解決する。自身が欲する方向へ成功する可能性を高めるためのロードマップを一緒に創るので、生徒たちは一人でなく、教員たちも生徒たちの成功を通じて自分の成就感を味わう。
統合学校のひとつ、シムナ校では、生徒指導のひとつは体罰禁止、放課後の居残り禁止、罰として宿題を与えることの禁止、休み時間や昼食時間の取り上げの禁止というものも定められた。いやぁ、いいことですよね。
テロで息子や娘を喪った親が平和と和解運動に立ち上がったのでした。そして、その取り組みのひとつが、統合教育をすすめる学校づくりだったのです。たとえば、エニスキレン校では、子どもの宗派構成は、カトリック44%、プロテスタント42%、その他16%となっている。一つの宗派が50%を超えないように配慮している。子どもたちが、自らコントロールすることができる能力をもつようになると、学力が事前に向上した。学校の成績が上がると、多くの待機者が入学順番を待つようになり、定員も次第に増えていった。
アイルランドでは11歳のとき選抜試験を受けさせるシステムがあるようです。これに落ちた子は11歳で早々に社会的落伍感を味わされることになります。11歳というと、小学5、6年生ですから、その時点で進路を選択させるというのは、少し酷すぎますよね。
そして、北アイルランドでは、学校に教科書がなく、自分の授業は教師が自分で開発し実践するもののようです。これまた、たいしたものです。日本のように文科省検定の教科書がないというのにも驚きました。
かつて暴力と混乱の社会だった北アイルランドは、今ではEU内でも安定的な社会として認められているとのこと。そして、カトリックとプロテスタントだけでなく、10%を超える移民集団も国内には存在する多文化社会になっているとのこと。
統合教育は、単一の教育の場で多様な教授法を通じて子供たちが自身の社会的アイデンティティを形成していけるようにすることであり、究極的に現在の社会の争いのある状況を克服し、態度の変化と、許し、そして和解をすることができるように教育しようとするもの。
統合学校出身の人は、ほかの文化的な背景を持った人たちに対する接し方をうまく習得すると同時に、カトリックとプロテスタントのあいだの否定的固定観念もほとんどなく、対立する集団との意思疎通に対する認識も肯定的になる。
このように、統合教育は、ユネスコをはじめとする国際社会が追及している民主的包容性を志向する教育を実現している。統合教育は、北アイルランドに京の平和と和解をつなげてくれる橋になっている。
大阪の渡辺和恵弁護士の実姉である米沢清恵さんが翻訳した本です。2月半ば、事務所にいて待ち時間ができたので、420頁あまりの大部な本ですが、論文集ではなく、ルポルタージュ中心なので、一気に読了することができました。ありがとうございました。
暴力によって分断された社会を統合するには、子どもたちの力を借りる、そのために統合教育が有効だということを実感することのできる本でした。大変勉強になりました。
(2023年2月刊。3700円+税)

2023年2月16日

シベリア抑留秘史


(霧山昴)
著者 ロシア最高軍事検察庁 、 出版 終戦史料館出版部

 元日本兵60万人がシベリアに抑留され、その1割が死亡するという悲惨なシベリア抑留は、スターリンが北海道の北半分を占領することを求めたのに対して、アメリカのトルーマン大統領が拒絶したので、その代わりとしてバタバタと決まって実行されたという説があることを最近、初めて知りました。でも、私は懐疑的です。
 8月16日、日本軍(関東軍)総司令官山田乙三大将と停戦交渉にあたっていたソ連軍のワシレフスキー元帥に対して「日本軍の捕虜のソ連領への移送は行わない」などとする指示がモスクワから来ていた。モスクワというのはスターリンの指示です。
 同日、スターリンはトルーマン大統領に対して北海道の北部(釧路と留萌を結ぶ線より北側)をソ連軍が占領することを認めるよう求めた。しかし、トルーマンは8月18日、千島列島についてはソ連領とすることは認めつつ、北海道北半分の占領は拒否した。
 8月20日、モスクワはワシレフスキー元帥に対して北海道への上陸・占領作戦を準備するよう指示した。この指示には、同時に、「本部の特別司令によってのみ開始すること」という条件がついていて、その特別司令は結局、発されることはなかった。
 8月23日、スターリンは、強い口調で不満を表明したが、結局、北海道上陸は断念した。
 この本は、以上の経緯を明らかにして、「北海道占領の断念が転じて捕虜の(シベリア)強制抑留に連なった」としています。
 しかし、私は、この説には賛同できません。なぜなら、すでにスターリンはドイツ軍捕虜300万人をソ連領内の都市の復興に「活用」していた実績があるからです。シベリアを含む極東の都市等の再生に日本兵捕虜を「活用」することは、スターリンが北海道北半分を占領してかかえこむことになる「苦労」よりはるかに上回るメリットがあることは明らかです。「シベリア抑留」と「北海道北半分の占領」とをスターリンが天秤に考えていたなんて、私からすると、あまりに非現実的です。
 この本には瀬島龍三という戦後日本で大きな役割を果たした人物、ソ連のスパイになったのではないかと疑われている人物について、好意的に紹介しています。
 また、近衛文麿首相の長男である近衛文隆の死亡に至る経緯も明らかにしています。
 1992年9月に発行された本を古書として求めました。
(1992年9月刊。税込3000円)

2023年2月10日

私はヒトラーの秘書だった


(霧山昴)
著者 トラウデル・ユンゲ 、 出版 草思社文庫

 映画『ヒトラー、最期の12日間』はみていますが、それの原作とでもいうべき本です。
 ヒトラーが結婚式をあげたばかりの妻・エーファ・ブラウンと2人、ベルリンの首相官邸の地下で自死(ヒトラーは青酸カリを飲み、ピストルで自殺)し、部下たちが爆撃で出来た凹地に2人の遺体を入れてガソリンで焼いた状況をすぐ近くにいて見聞していた秘書です。
 ヒトラーは、いまだにこの地下防空壕で影法師のごとく生きている。落ち着かず、部屋から部屋へさまよい歩く。
 「私は、もう肉体的に戦えるような状態ではない。私の手は震えて、ピストルが握れないくらだ。...どんなことがあっても、私はロシア人の手にだけはかかりたくないんだよ」。ヒトラーは、ぶるぶる震える手でフォークを口に持っていく。歩くときは、床に足を引きずってゆく。
 ラジオは、ヒトラーが不運な街にとどまって運命を共にし、自ら防衛を指揮していると繰り返している。しかし、ヒトラーがとうに戦闘から身を引き、自分の死をだけを待っていることは、総統防空壕にいる少数の側近しか知らない。
 突如、銃声が一発、ものすごい音をたてて、うんと近くで鳴った。たった今、ヒトラーが死んだ。やがて、肩幅の広いオットー・ギュンシェが戻ってきた。ベンジンの臭いがむっと立ちこめる。若々しい顔が圧にまみれて、しょぼしょぼしている。酒瓶をつかむ手が小刻みに震えている。
 「僕は総統の最後の命令を実行した。ヒトラーの死体を焼いたんだ」
 死んだヒトラーに対して、憎しみとやり場のない怒りみたいなものが忽然(こつぜん)と湧きあがってきた。我ながら、びっくりだ。
 戦後、著者(トラウデル・ユンゲ)は、『白バラ』グループに入って活動して、ナチスからギロチン刑に処せられたゾフィー・ショルを知りました。同じくドイツ女子青年連盟に入り、ゾフィー・ショルのほうが1歳下。そして、次のように考えた。
 ゾフィー・ショルは、ナチス・ドイツが犯罪国家なのだということをちゃんと分かっていた。自分の言い訳はいっぺんに吹っ飛んだ。
 「私は間違った方向に進んでいった。いいえ、もっと悪いことには、決定的な瞬間に自分で決断を下さず、人生をただ雨に降られるままにしておいた...」
 「知ろうとすれば知ることができたはずだ。知ろうとしなかったから、自分は知らなかった」と自覚した。
 最晩年のヒトラーがこれほど生々しく描かれている本はほかにありません。ヒトラー暗殺未遂のときも、その現場近くで秘書として生活していましたし、山荘そして首相官邸でのヒトラーの私生活を伝えている貴重な手記です。
 ヒトラーは酒を飲まず、食事は菜食主義者、そして薬漬けの日々でした。女性との浮いた話も意外なほどありません。犬は可愛がっていました。やっぱりヒトラーは異常人格だったと言うべきなのでしょうね...。
(2020年8月刊。税込1320円)

2023年2月 4日

羊皮紙の世界


(霧山昴)
著者 八木 健治 、 出版 岩波書店

 羊皮紙が誕生したのは紀元前2世紀に現在のトルコ西部。そして、古代世界の中心地ローマに輸出するまでになった。パピルスよりも丈夫で、そのうえ羊はどこにでもいるという手軽さから、羊皮紙はまたたく間に広まった。
 現在でも、世界30ヶ所で羊皮紙は作られている。
 羊皮紙がフツーの紙と違うのは、一枚一枚に、かつて動物の命が宿っていたということ。
 羊は皮膚にラノリンという脂分を多く含んでいるため、その脂分が酸化して、いくらか黄色っぽくなっているのが特徴。
 羊皮紙といっても、3種類ある。一つは羊。二つ目は生後6週間以内の仔牛。三つ目は山羊(ヤギ)。
 羊皮紙をつくる過程では、ツーンとしてすっぱい臭いと、どよーんとした腐敗臭が鼻をつく。1頭の羊から約1ヶ月かかって出来るのは、A4サイズで4枚だけ。この1枚が3000円ほどする。18世紀フランスの記録には、1枚が1リーブル、つまり500円から1000円ほどだった。
 羊皮紙の平均的な厚さは、千円札3枚を重ねたくらい。
 羊皮紙づくりは、部厚い皮をひたすら削っていく作業。薄くするほうが大変。
 羊皮紙には穴空きは仕方のないこと、もとから動物の皮は空いていたもので、作製造上での職人のミスではない。
 羊皮紙には、印刷用の油性インクが染み込みにくいため、紙と比べると、印刷後のインクの乾燥にかなりの時間がかかる。羊皮紙の表面をツルツルにしておくため、メノウなどの表面が滑らかな石で入念に磨かれる。
 羊皮紙という知らない世界を少しだけのぞいてみた気がする本でした。
(2022年8月刊。税込3190円)

2023年1月21日

パピルスが語る古代都市


(霧山昴)
著者 ピーター・パーソンズ 、 出版 知泉書館

 1897年、パピルスがエジプトの都市の周りの、砂で覆われたゴミ捨て場から出土した。
 パピルスの残存に必要なのは乾燥。エジプトの中部と南部では雨がほとんど降らず、砂に守られ、滅失しやすい遺物(パピルス)が数千年間も保存することができた。
 1897年に発見されたのは「イエスの御言葉」。
 エジプトのプトレマイオスの王国は、土地と職業に課税した。たとえば、ブドウ園と果樹園の収穫の6分の1が税として徴収された。油、塩、ビール、亜麻、パピルスなどの重要な生産物や輸出品は、国家が独占して売買するか、管理した。
 ローマ帝国のなかでも、豊かで肥沃で攻めるのが難しいエジプトは傑出した存在であり続けた。エジプトは都市ローマが必要とする小麦の3分の1を供給し、皇帝位を狙う人物の拠点となりえた。
あまり教育を受けてない者たちは、エジプト人のアクセントで話し、子音のLとR、またDとTを区別できなかった。こりゃあ、まるで日本人ですね。
 ミイラづくりにはお金がかかった。遺体をミイラにする処置のための費用は高かった。肖像画は生前に描かれ、死後にミイラの棺に差し込まれた。ミイラ肖像画は、古典古代世界から残存する、ほぼ唯一の肖像画。
 口絵写真に何枚かの肖像画が紹介されていますが、とても鮮明な人物画です。
 パピルス紙は、書物や記録簿のような長いテキストや日常生活に用いる短いテキストのために使われた。ナイル河谷では、貧乏人でなければ、パピルス紙は豊富に手に入れられた。
 パピルス紙の製造は、まず、パピルスの茎を収穫し、皮を剥ぎ、髄組織の内部を長く切り、スライスして、薄く細長い短冊状にする。短冊を互いに接するように平らに並べ、その上に別の層をつくるように直角に短冊を置く。この2層を押し合わせると、樹液の多い髄が融合し、隣りあう短冊が、そして上下の層が結合して、柔軟で滑らかなシートができあがる。
 文字を書くのはエジプトでは古くから行われていて、高い名声を伴っていた。神官と官僚は、ファラオの王国で職務を果たすため、書くことを求められ、異なる形の複雑な文字を習得した。
 国家は現金と穀物の形で税を求めた。それを得るためには、農民と地方の役人の労働を必要とした。なので、土地台帳、税の会計、そして定期的な戸口調査からの情報という詳細で精緻な記録に頼っていた。大量のパピルス紙、文字を書く習慣、そして増大する官僚制のおかげだ。
 浴場は、旅行者だけのものではなく、むしろ市民生活にとって重要だった。
 家にはトイレがない。家具として尿瓶(しびん)や室内用便器があった。
 都市には、エリートが存在した。都市社会のピラミッドの頂点には、公職者と都市参事会が君臨していた。
 相続により財産の集積も分散もあった。
競技祭は、都市生活にさまざまな影響を与えた。市民も競技祭に参加し、代理としてであれ、栄冠を手にする機会を得た。
 ローマ皇帝はファラオ。つまり、君主であり、神だった。ほとんどの皇帝はエジプトに姿を現さない神という存在だった。
 パンは、たいてい自家製。パンづくりは伝統的に女性の仕事で、裕福な家では女奴隷が担い、早起きが必要だった。
 手紙の形式には流行があった。プトレマイオス朝時代のギリシア人は横に長く縦に短い紙に短い手紙を書いた。ローマ時代には、横が短く、縦長の紙が好まれた。
 パピルスを判読していった学者・研究者のみなさんの地道な努力には、今さらながら心からの声援を送ります。
(2022年8月刊。税込5500円)

2022年12月23日

兵士の革命、1918年ドイツ


(霧山昴)
著者 木村 靖三 、 出版 ちくま学芸文庫

 1915年から始まった食糧配給制は、二重の意味で戦時体制の維持に打撃を与えた。一つは、不十分な量に対する不満。第二に、食糧統制が、巨大なヤミ市場の存在(生産量の3分の1がヤミに流れた)によって制度の実効性に疑義が出され、高額なヤミ価格に手の出せない労働者や低所得者層の反発は一層つのった。すなわち、「平等な」制度が、かえって社会の不平等を他の統制制度の不備を際立たせる目安として作用した。社会対立は、飢えた者と飢えざる者の対立として現れた。
 重工業の大企業には黄色組合(御用組合)が多かった。経営側と、その御用組織は、末端の労働者にとって、いずれも敵だった。
 1918年以降、ドイツ軍の兵士たちが集団的に前線への移動を拒否した。
 事実上の叛乱だが、軍当局は叛乱とすると、兵を逮捕し、それによって前線行きを免れさせることになるのを懸念して、ともかく部隊を前線に送り出すことに全力をあげた。そのため護送部隊が付いていった。
 ドイツでは、将校の権威が急速に低下していった。高級将校が街頭で脅迫的野次をあびせられ、列車内の軍人用と民間人用の仕切りが無視され、軍人用の席が民間人によって占められるようになった。
 ドイツには、もともと海軍力の伝統はなかった。陸軍の将官が海軍の指令官の地位にあった。軍の主力は圧倒的に陸軍だった。
 海軍将校団は、ブルジョワ層出身者が多数を占めた。主力艦では、比較的高齢の将校が若く未経験の将校が多くなり、乗組員がベテラン化するのと対照的に艦内の士気は低下していった。
 食事は将校用、下士官用、一般兵士用と、別立て。6月初め、戦艦「ルイトポルト」の乗組員が乾燥野菜の昼食を拒否して、ハンガーストライキに突入し、代わりの食事を要求した。そして、叛乱実行の罪で5人が死刑を宣告され、うち2名が銃殺された。
 兵士たちの内情は、乗組員の半数は無関心で、4分の1が憤激し、気の毒な連中に心から同情し、4分の1が即時行動と償いへの覚悟をもっている。死刑という厳罰に震えあがったのは、ごく少数だけ。
 海軍の兵士の不満の根拠は艦内生活への不満であり、将校への増悪だった。
 海軍の水兵は蜂起という行動に気力を見いだし、行動の正当性に確信をもった。緊張感にみちた態度と、それに蜂起鎮圧部隊は圧倒され、解体していった。11月5日、もはや水兵の蜂起に対する組織的抵抗はなかった。市内のゼネストは予定どおり実施された。将校は武装を解かれた。蜂起後の将校団の無抵抗と退却の姿勢はあとあと大きな影響を及ぼした。
 兵士評議会のメンバーは次々に交代した。そして活動的兵士の多くが、早くに軍を離れた。革命を開始し、数日で成功へと導いた海軍水平の大部分は、クリスマス前にはその家族のもとにいた。そして、兵士運動の特徴の一つに外部からの指導・監督を嫌う傾向がある。部隊構成員の意思のみを唯一の行動基準とし、それ以外の権威を認めなかった。領域的自律を志向する陸軍兵士と、横断的に行動する海軍水平は日常的に対立していた。兵士評議会が軍事的な領域から排除して、兵士の苦情処理機関に限定されていった。
 労働者評議会メンバー200人のうち、あとでナチ党のメンバーになったのは2人しか確認できていない。兵士評議会300人のうち48人(16%)がナチ党員が関連組織のメンバー6人が存在していた。
 ドイツ陸海軍兵士による1918年の革命の実際を丹念に詳しく究明していった貴重な労作だと思いました。
(2022年8月刊。税込1650円)

2022年12月21日

ナチ・ドイツの最後の8日間


(霧山昴)
著者 フォルカー・ウルリヒ 、 出版 すばる舎

 1945年4月30日、ヒトラーは結婚したばかりの妻エファ・ブラウンとともに自殺した。ヒトラーは青酸カリを飲むと同時にピストルで頭(こめかみ)を撃った。そして、あらかじめ頼んでいたように部下たちが、ガソリンをかけて二人の遺体を燃やした。ヒトラーは、盟友ムッソリーニのように死体を広場に吊るされ恥ずかしめられないようにしたかった。
 ソ連兵の一団が総統官邸にやってきて、ヒトラーの遺体を捜索した。スメルシュだ。歯科助手がヒトラーの義歯の特徴と一致していることを確認し、エファ・ブラウンのほうは歯科技工士が合成樹脂のブリッジを見て、彼女のものだと確認した。ところが、スターリンはなかなか納得しなかった。7月のポツダム会談のときも、ヒトラーはまだ生きているという考えに固執していた。最後の瞬間にヒトラーはベルリンを飛び立って、スペインに滞在している、あるいはUボートに乗って日本に逃れたのかもしれない...。疑ぐり深いスターリンならでは、ですね。
 ドイツ東部の町デミンでは自殺が大流行した。家族全員が群れをなして自殺した。毒を飲み、頭に銃弾を撃ち込み、首を吊った。大部分の人は溺死(できし)を選んだ。500人から1000人が自殺した。これほどの自殺者を出した都市町はほかにない。
 ドイツ国民の大部分はヒトラーの死の知らせを聞いても、悲しむことはなく、むしろ無関心だった。神格化されていた総統神話は、戦争末期の日々には急速に衰退していた。ナチズムも本質的な魅力を失った。魔法は消え去り、呪縛は解けた。
 ヒトラーの死によって終戦が間近になったことで、少なからぬ人々がほっとしていた。
 100万人が住むハンブルクではナチスのカウフマンがトップとして君臨していたが、ヒトラーの意向に反して無血でイギリス軍に明け渡すことを決意した。そのことによってカウフマンはいわば英雄となり、収監はされたものの、戦犯として法廷で追及されることもなく、戦後も裕福な市民として余生を暮らした。
 ソ連兵によるドイツ女性の強姦はあまりにも目にあまるものがあった。それは、女性たちをものにすることで敗者に屈辱を味あわせたいという欲求でもあった。
 これに対して、アメリカ兵やイギリス兵の場合には、暴力を使う必要がなく、少なからぬドイツ人女性がドルやタバコ・チョコレートとひき換えに進んで彼らに身を任せた。
 ドイツ軍の捕虜となったソ連人兵士は570万人のうち300万人が死亡したが、そのほとんどは意図的に餓死させられた。アメリカ軍の捕虜収容所で死亡したドイツ兵士は8千人から4万人にとどまる。アメリカ軍は、ドイツ軍のような集団虐殺の意図はなかった。
 マレーネ・ディートリッヒはハリウッド女優として有名だったが、その姉はドイツに残り、ナチス兵士向けの映画館を経営するなどしていた。それを知って、マレーネ・ディートリッヒは、自分は一人っ子として、姉の存在を口にすることはなかった。いやあ、そんなこともあったんですね...。
 ドイツ国民は敗戦後、人間の姿をした悪魔であるヒトラーに従っていただけ、自分たちこそが犠牲者だと考えるようになった。誰もが迫害を受けていたユダヤ人たちを助けていたと主張し、その説明書をもらおうとした。
 ヒトラー死亡後のドイツの様子を丹念に追って、人々の動き、目論見を明らかにした460頁もの労作です。とても読みごたえがありました。
(2022年7月刊。税込4950円)

2022年11月17日

追跡・間宮林蔵探検ルート


(霧山昴)
著者 相原 秀起 、 出版 北海道大学出版社

 北海道の北、かつては日本領だったサハリンが大陸とは別の島だというのを探検して確認した間宮林蔵の足跡を北海道新聞の記者がたどったのでした。サハリンと大陸との間は今も間宮海峡と呼ばれています(今のロシアでも呼んでいるのでしょうか...?)。
 間宮林蔵がサハリンを探検したのは1808(文化5)年から翌年にかけての2年間。そのとき間宮林蔵は30歳前後。そうなんですね、やはり若さが必要ですよね。
 伊能忠敬は50歳台から日本全国を歩いて測量しましたが、寒さの厳しさが格段に違うサハリンには、やはり若さが不可欠ですよね。
 伊能忠敬は、北海道の大部分を間宮林蔵の測量を基にしているそうです。
 北海道新聞の記者である著者は、北海道大学(北大)探検部出身とのこと。すごいですね。
 間宮林蔵が現地で実測して作成した地図は、現代の衛星データを利用してつくった地図と比べても遜色がないほどの正確さがある。
 いやあ、実に、これって、すごいことですよね。基本は人間の足ですからね...。
 間宮林蔵の描いた絵は、まるでドローンを飛ばして見たように、一定高度に視点を置いて、俯瞰(ふかん)するように描いた。間宮林蔵は、上空から見た風景を想像して絵を描いている。すごい、すごーい。
 当時、サハリンの村では女性の力がすごく強かった。女性上位の村で、女性からの誘惑を間宮林蔵はなんとか拒絶して、村の男たちとのトラブルを避けた。僻地(へきち)で女性問題を起こすのは、探検家や冒険家にとっては、今も昔もタブーなのだ。なるほど、そうなんでしょうね...。
 現在、サハリンでは犬ぞりはまったく姿を消して、スノーモービル全盛だ。日本のヤマハ製が人気だ。
 サハリンには、アイヌの子孫だという「ワイサリ」と名乗る人々が住んでいる。
間宮林蔵はアイヌの集落でアイヌの女性と結ばれて、女の子が生まれ、北海道に子孫がいるそうですが、その名前は「間見谷」です。そして、東京と茨城県にも間宮家が続いているそうです。
 この本は、北大構内の売店で購入しました。北大では、久しぶりにポプラ並木も見学しました。
(2022年4月刊。税込2750円)

2022年11月16日

村の公証人

(霧山昴)
著者 ニコル・ルメートル 、 出版 名古屋大学出版会

 近世フランスの地方に住む公証人テラードたちの生活を記録した家政書を紹介した本です。ときはアンリ4世からルイ13世のころ、1600年前後ですから、日本では関ヶ原合戦(1600年)の前後にあたります。つまり戦国時代の末期で、江戸時代初期のころのフランスです。
 場所はフランスの中心部のバ・リムーザン地方、その北部のフレスリーヌの村です。
 主人公のピエール・テラード1世は1559年に生まれ、1628年に69歳で亡くなりました。
 ピエールは村の公証人であり、書記であり、魔術師(シャーマン)だった。
 ピエールは、文字を書く技量に熟達した。文字を自在に書くことで、農村の名士をして頭角をあらわした。そして、隣人やイトコたちに貸付を繰り返して所有地を広げていった。貸し付けたのは金銭だけでなく、穀物や家畜もあった。1601年4月から翌1602年12月までに114回の貸付けを行っていて、このうち77回はライ麦の貸付けだった。
 この当時、宗教戦争の終結は、多数の農民が借金の重圧に押しつぶされて没落する事態を生み、所有地の集積を促進した。借金で首が回らなくなった債務者たちは財産を失った。ただし、彼らは先祖伝来の所有地の上で暮らし、自分たちの土地を耕し、その地は依然として、彼らの家名を冠している。彼らは追い出されることはなかった。それでも所有者としての地位は喪失した。収穫物折半による土地賃貸借が、この地方ではあたりまえ。家畜と農具を提供するのは土地所有者。家畜は投資目的で運用する。土地は、3分の1が耕作地で、3分の2が雑草地や放牧地。牧畜は重要性が高い。高地の荒野では羊の群れだけが生きていけるので、ここでは羊が圧倒的に多い。
 ここでは狼との戦いは、ありふれた現実である。しかし、危険はそれだけではない。家畜伝染病も怖い。1頭のメス牛は、数頭のメス羊よりももうかる。ソバは、ライ麦のような麦角病はなく、貴重な自家消費用穀物だ。
 家名を安定化するため、兄弟経営団を更新する。災難をできるだけ避けるには、複数の人数が得策だという打算にもとづいている。
 女性は、慣習法によって、まったく自由に相続人を指定する権利をもっている。用益権を自らの手元に留保しながら、自分の全財産を一人の相続人に譲渡することもできる。
 農民の世界では、夫婦財産制が非常に普及していた。原則として、新婦(妻)は、遺言により持参金を譲渡できる。これが、家族集団内における新婦の力の要因となっている。
 新婦に持参金は、しばしば婚家の借金返済に充当される。そして、婚姻関係が解消されると、持参金は原則として「妻」側に返還される。
 新しい家庭の懐(ふところ)に入った持参金は、災厄の折に利用できる資本としての価値しかない。家族にとって新婦の持参金とは、危機的な財政難を立て直したり、それまでの債務の相殺を容易にしたり、ときには土地の購入に投資するのに、とりわけ有用だった。
 潤沢な持参金をそなえを娘であれば、相続人の妻の座は射程のなかにある。
 2番目の結婚から生まれた娘たちは母親の権利と父親の遺留分だけである。
 職業訓練は、子どもたちの出生順による。長男は文字を書く訓練をし、公証人の官職を継承して共有財産を管理しなければならない。次男も文字を書く訓練をし、長男の代わりを務める可能性と家族集団に奉仕すべく司祭になる可能性に備える。三男以下は、意欲と適性があれば文字を習うが、それは破局的な人口減少が起きたとき、自分に財産の相続権が生じるかもしれないからだ。娘たちは、文字の習得をしないが、この措置もタブーでなくなるのは遠くない。
 読み書きができることは、法律専門家になるためだけでなく、聖職につく条件でもある。司祭になるのは、個人の意向より、一家の決断が優先する。その全権は家長に委ねられている。
 公証人は、人口1000人から1500人につき1人の割合でいる。公証人は、家庭や村落における社会の安全装置だった。
 344頁もの大作ですが、近世フランスの公証人であり、農民である人の記録から、この当時のフランス人の生活の全体像が浮かびあがってくる気がしました。少々値がはりましたが、読んでなるほどと思いました。やはり、いつだって読み書きは必須なんだねと実感もしました。
(2022年5月刊。税込6380円)

2022年10月29日

裏切り(上・下)


(霧山昴)
著者 シャルロッテ・リンク 、 出版 創元推理文庫

 著者はドイツ在住のドイツ人なのに、イギリスを舞台とするミステリー小説です。文庫本で2冊の分量ですが、次々に起きる残虐な殺人事件の動機が不明なのです。被害者の1人は、イギリスのスコットランド・ヤード(警視庁)の独身女性刑事の父親の元警察官(警部)。いったいなぜ元警部が残虐な殺され方をしたのか...。その動機の解明は下巻の最後にまで先送りされます。
 途中で浮かびあがった犯人は典型的なDV男。我が子に無関心な両親から捨てられたという思いでいた女性が、DV男の見かけだけの優しさから、ついには隷従状態と化してしまいます。どんなに叩かれ、馬鹿にされても、この人なしでは自分は生きていけないという思いからDV男の言うなりについていくのです。それはまるで統一協会の信者のようです。他人の忠告もききめがなく、目が覚めることがありません。
 警察のなかの人間関係も寒々とした印象です。殺人犯人を検挙して成績をあげなければいけないので、とてもストレスがたまる職です。アルコールに頼ってついに中毒患者にまでなってしまう警部が登場します。
 ドイツでは2015年に160万部と、もっとも売れたミステリー小説だそうで、その評判どおりなのか、そこに関心があって読んだのでした。時間がつくれる方には一読をおすすめします。それだけの価値はあります。
 残虐な殺人の動機がこの本の最後で、やっと解明されます。なーるほど、...、そう思って初めからストーリー展開をたどると、あまり無理のない動機におさまっています。ネタバラシはしません。最後に、この本の末尾の文章を紹介します。
 「人は極限状態を体験したあとでは、決して元の生活を完全に取り戻すことはできない。いちど受けた損傷は、もう治らない。これからは、ひとつの重荷を背負って生きていかねばならない。その重荷は二度と降ろすことができないかもしれない。でも、どれほど辛かろうと、これは今なお私たちの人生なんだから...」
 最後まで、ハラハラしながら読ませますので、ドイツで大ベストセラーになったのも当然だと思いました。
(2022年6月刊。税込1320円)

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