弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
アメリカ
2018年9月24日
連邦陸軍電信隊の南北戦争
(霧山昴)
著者 松田 裕之 、 出版 島影社
アメリカの南北戦争は1861年から65年まで続き、戦死者が実に62万人という、とんでもない近代的消耗戦でした。大砲や新式連発銃が戦場で威力を発揮したわけですが、南北戦争の勝敗を決めたのは、モールス信号をはじめとする情報戦における北軍の優位だったことを知りました。
そして、リンカーン大統領を暗殺した犯人を逮捕するにも、この電信連絡がフルに生かされたといいます。
太平洋戦争で日本軍はレーダーその他の情報網を軽視していたため、後半戦では圧倒的敗北を重ねていきましたが、南北戦争のときの南軍が同じでした。
南北戦争は、情報の収集・共有・分析にかかわる戦力が勝敗の帰趨に決定的な影響を及ぼした最初の戦争だった。最新鋭の情報通信技術であるモールス電信を軍事領域において、どれほど広範囲かつ効果的に駆使できるのか、USA(北軍)とCSA(南軍)の力量差は、文字どおり、この点に凝縮された。
CSA(南軍)政府は電信によって最前線からもたらされる情報を自国民に公表せず、徹底した秘密主義をとり、情報操作もおこなった。ゲチスバーグとヴィックスバーグの両会戦で大敗したのに、CSA領内の新聞は「CSA軍の大勝利」と報道した。
これって、戦前の日本軍の大本営発表と同じですね。
これに対してUSA(北軍)政府は、軍用電信網が刻々ともたらす戦況報告を包み隠さず国民に周知させることで、国民に戦争の当事者たる意識をもたせ、挙国一致の気運を高めていった。まさしく両者は対照的だった。
リンカーンは、南北戦争のとき絶えず電信室に顔を出し、最新の軍需情勢を絶えず頭に叩き込んだ。
大変な知的刺激を受けた本です。アメリカの南北戦争についての知見が増えました。
(2018年4月:東京・蒲田宅)
2018年9月22日
新時代「戦争論」
(霧山昴)
著者 マーチン・ファン・クレフェルト 、 出版 原書房
戦争をする者は、あくまで勝利を得るために戦うのであって、ありとあらゆる理論を試すために戦うのではない。なーるほど、それはそうでしょうね・・・。
二つとして同じ戦争はない。人間の歴史と切り離せない戦争そのものが絶えず変化しており、今後も変化し続けるだろう。うむむ、なるほど、そういうことですか・・・。
時代を問わず、多くの兵士が、敵を殺すのはセックスするようなものだと語っている。人間のどんな行動も、それを愛好する人こそが、それをもっともうまくやる。
経済問題のみが原因で起きた戦争は、ほとんどない。とはいえ、経済的な原因が、おそらく大半の戦争に関わっていることも真実である。
戦闘部隊が全兵力に占める割合は、1860年は90%だった。その100年後の1960年には25%にまで減少した。そして、1990年ころから、民間への業務委託が始まり、割合が増加しつつある。
第一次世界大戦までは、軍事物資の大部分は何より食料と飼料だった。現代では、弾薬や燃料、潤滑剤、戦場で運用される装備品の予備の量が大幅に増えている。戦場で兵士1人の1日の活動を支えるのに必要な物資の量は、以前の30倍に増えている。
アメリカ軍に、ドローン運用者にストレス症候群を訴える人が多い。これは、戦争がビデオゲームになっていないことの証明だ。戦争は今もって人間的なこと(古代ギリシアのツキディデスの言葉)なのだ。
サイバー戦争から身を守る最善の方法は、コンピューターに頼らないこと、少なくともコンピューター同士をつなぐネットワークを使わないこと。しかし、これってかなり無理ですよね。
核兵器の偶発的な爆発が起きなかったのは奇跡と言ってよいくらいだ。核兵器の抑止と強要のゲームは、じつに愚かしく、非道なものである。核兵器の使用は瞬時に、ほぼ完全に人類が滅亡してしまうレベルのものだ。
朝鮮半島で戦争が終結することの意義は限りなく大きいものがあります。日本政府は「圧力」ではなく「対話」に路線を転換すべきです。それが出来ないアベ首相は辞めてもらうしかありません。
(2018年5月刊。2600円+税)
2018年9月21日
「マーチ」 2・3
(霧山昴)
著者 ジョン・ルイス、アンドリュー・アイディン 、 出版 岩波書店
アメリカという国が、いかに暴力と偏見に満ちた国であるか、心が震えてくるマンガ本です。でも、それに非暴力でたたかった黒人集団がいて、ともに歩んだ白人たちがいたことも知り、アメリカはまだ捨てたもんじゃないな・・・、とも思わせます。
それにしても、アメリカでの黒人差別はすさまじいものがあります。白人と対等な口をきこうものなら、ボコボコ乱暴されるのはまだいいほうで、殺されても殺した白人は逮捕もされないというのです。今でも、200万人いるというアメリカの刑務所人口の半分以上は黒人が占めているのでしょう。
黒人は「白人専用」と書いたトイレを利用することは許されない。
白人と同じようにカウンターに座って商品を注文しても無視されるだけ。
投票するために有権者として登録しようとすると、黒人だけは読み書きテストを受けさせられて、不合格とされる。いえ、その前にテスト自体も受けることができない。
差別主義者の白人が黒人の教会を爆破して黒人の少女たちが亡くなります。黒人が平和に行進していると、白人の警官隊が警棒をもって非武装・無抵抗の黒人の男女を殴る蹴る。そして抵抗したといって拘置所に収容する。
法治国家どころではありません。野蛮な国です。
黙っていると殺される。現に何人も、何住人も野蛮な白人たちに仲間が殺されるのを前にして、このまま非武装・無抵抗の行進(マーチ)を続けていいのか。それにどれほどの意義があるのか・・・。それでも、生命の危険を賭して、平和行進を続けるのですから、本当に勇気があります。心が震えます。
映画『ミシシッピー・バーミング』の話も出てきます。黒人の権利を擁護するためにミシシッピ州に入った白人青年たち3人が警察の検問を受けたあと行方不明になった事件です。FBIなどの捜査によって3人の遺体が発見されました。犯人は州の権力者仲間だったのです。
ケネディ大統領が暗殺され、マルコムXも暗殺される大変な状況のなかで、ジョンソン大統領は公民権法の制定についに踏み切った。
バラク・オバマがアメリカの大統領として、いったい、どれだけの実績を上げたというのか、振り返ってみると、いささか疑問がないわけではありません。ノーベル平和賞に本当に値したのか、いささか疑問はあります。でも、それでも今のトランプ大統領の知性のなさには呆れ、かつ恐れます。ちょうどアベ首相の無知蒙昧と同じレベルです。そんなアベ首相が三選されそうだというのですから政権党の知的劣化はとどまるところを知りません。
マンガ本で知る、アメリカの黒人運動、公民権運動といったおもむきがありました。
マンガ本にしても少々値がはりますので、ぜひ図書館で借りてお読みください。
(2018年5月刊。2400円+2700円+税)
2018年9月14日
レッド・プラトーン
(霧山昴)
著者 クリントン・ロメシャ 、 出版 早川書房
Il doesn't get better.
今よりマシにはならないぜ。
これがレッド小隊(レッド・プラトーン)の合言葉。
今から9年前のアフガニスタンでの出来事です。アメリカ軍がアフガニスタンの東部山中につくった前線基地がタリバン軍に強襲され、辛うじて撃退した経過を現地で指揮したロメシャ2等軍曹が詳しく語った本です。その戦闘場面の描写は大変な迫力です。
前線基地を戦闘前哨と呼ぶのですね。ともかく孤絶した山中にアメリカ兵50人あまりがいて、タリバン兵300人を迎え撃ち、強力な航空兵力の助けを得て、なんとか絶滅の危機を免れたのでした。
タリバン軍は、周囲の山頂からこの戦闘前哨をよく観察していて、きわめて効果的に強襲し、アメリカ軍に不意討ちをくらわせた。攻撃はアメリカ兵の大半がまだ眠っていた午前6時前に開始され、緒戦は防御側にとってきわめて不利に推移していった。航空支援を受けながら、アメリカ軍は14時間の死闘に耐え抜いた。
アメリカ軍の死者は8人、負傷者22人。つまり、50人のうち死傷者30人ですから、大変な損耗率です。対するタリバン側は150人の死者を出したと推定されています。
でも、そもそも、なぜこのすり鉢の底のような不利な地にアメリカ軍が戦闘前哨をつくり、50人もの兵がいたのか、それが根本的な疑問です。
近くに小さな村もあり、タリバン兵が戦闘前に占拠していましたが、アメリカ軍と村民とが交流していたような気配は感じられません。むしろ村民はアメリカ軍にとって非友好的存在だったように思われます。そんなところに軍隊を置いて、いったいアメリカ政府(軍を指揮するものとして)は、どうするつもりだったのでしょうか、まったく訳が分かりません。
アメリカ兵50人の救援に向かった航空兵力のなかでは、アパッチ攻撃ヘリコプターが活躍していますが、この近代兵器も悪天候と燃料切れには勝てないのですね。
そして、B1戦略爆撃機の投下する巨大な爆弾です。そして、それは精密誘導爆弾キット付きなのです。ベトナム戦争のときのような友軍を誤爆するようなことは避けなければいけません。
そして、アメリカ軍は戦死した兵士の遺体の回収に全力をあげる、そのために犠牲者がでても仕方がない。こういう考えでアメリカ軍は運用されているようです。
この戦闘で死んだタリバン兵士150人にも、それぞれの人生があったと思いますが、それが文章化されることは恐らくないでしょう。死んだアメリカ兵士8人については、著者が写真とともに、その人柄を紹介しています。
なぜ人の好きそうなアメリカの青年が、こんなアフガニスタンの山中で死ななくてはいけなかったのか、彼らの死に果たしてどれだけの意味があるのか、そのあどけない生前の笑顔を見ながら大いに考えさせられました。
『ブラックホーク・ダウン』、『アフガン、たった一人の生還』に続く本だと思います。
(2018年3月刊。2100円+税)
2018年9月 7日
ギャングを抜けて
(霧山昴)
著者 工藤 律子 、 出版 合同出版
中央アメリカのホンジュラスのスラムで生まれ育ち、ギャングに入った一人の若者が、なんとか故国から脱出してメキシコで再生しようとする苦難の歩みが、分かりやすい文章といくつかの写真で紹介されています。
ホンジュラスで2番目に大きな都市がサン・ペドロ。亜熱帯気候なので、1年中、ランニングシャツ1枚で過ごせる。ところが、町の大部分は貧しい人々の質素な家が並ぶスラムで、活気がないし、しかも危険な空気に満ちている。
サン・ペドロは、世界で一番、殺人事件の発生率が高い。いたるところに、「マラス」と呼ばれる若者ギャング団がいて、町のスラムを支配している。
マラスは、メキシコやコロンビアの麻薬密売組織(麻薬カルテル)と手を組み、マリファナやコカインを売ったり、ライバルのマラスと縄張り争いをして殺し合っている。
ホンジュラスには、マラスのメンバーが3万人以上いる。スラムにいるマラスのメンバーに指示を出しているのは、刑務所に入っている大ボスたち。指示は、外で活動している「ホーミー」と呼ばれるリーダーに伝えられ、その下の「バイサ」へ伝えられていく。
ホーミーからケータイで指示を受けながら、支配地域で実際にギャング団の仕事をしているのは、バイサやその下っ端の連中。それから、特別な命令で動く暗殺部隊。
ギャングたちが10代の少年たちの前で、こう言った。
「このあたりは、これから俺たちの縄張りだ。おまえたちも仲間にならないか」
そして若者はギャングの仲間になることを選んだ。その環境では、それがもっとも現実的な答えだった。ほとんど唯一の選択肢だった。もし、「仲間にならない」と言ったら、ここから逃げるか、殺されるか、しかない。
このスラム街に入ってくる車は窓を開けていないと攻撃される。窓を開けていないと誰が乗っているか、外から分からないから。この決まりごとを知らないと、命を喪う。
学校でいじめられっ子の若者はギャングに入った。いじられないし、むしろ恐れられ、リスペクトされるから・・・。
ギャングの犯罪を取り締まるはずの警察や軍の内部にもマラスのメンバーが潜入していた。
マラスのメンバーに昇格するためには、敵あるいは自分の家族や知人を一人殺さなければならないことになっていた。
「霧社事件」を起こした台湾の現地民(タイヤール人など)は、一人前の男として認められるためには、首ひとつを村にもち帰る必要がありました。このことを思い出しました。
それにしても苛酷過ぎるルールです。この若者は、自分は殺したくない、そう決意してギャングのいる故郷のスラムから脱出したのです。そして、今では難民認定も受けてメキシコ・シティでがんばっています。
小学生時代に一緒に遊んでいた幼なじみの大半は、もうこの世にはいない。生き残った人間の一部は塀の中にいる。麻薬密売や強盗・殺人などで警察に捕まった。残りは国内の別の地域にひっこして息を潜めて暮らしている。
いちどギャングになってしまえば、まわりの人々の抱く恐怖心が、ギャング少年たちをいい気分にさせる。単に恐ろしがられているだけなのに、リスペストされていると勘違いしてしまう。
この若者は、物事が思いどおりに運んでいるときは、実に賢く立派に振る舞う。ところが、いったん歯車が狂いはじめると、周囲の支えがなければ、自暴自棄に陥ってしまう。これは、幼いころ、誰かにしっかりと守られ、愛されたという経験がないため、本当の意味の自信が育まれていないからだろう。
暴力と殺人が日常茶飯事の中央アメリカのスラムに育った若者が人としてまともに育つことの難しさも証明しているように思いました。現代日本の若者の生育状況と対比させながら読むと、さらに新しい知見がきっと得られます。
(2018年6月刊。1560円+税)
2018年8月14日
マーチ 1
(霧山昴)
著者 ジョン・ルイス 、 アンドリュー・アイディン 、 出版 岩波書店
先日、マルティン・ルーサー・キングの伝記を読みましたが、同じように黒人牧師として活躍し、アメリカ下院議員でもあるジョン・ルイスの半生をマンガで紹介した本です。
冒頭のシーンは、有名な「血の日曜日事件」です。黒人の集団が橋を渡ろうとしているところへ、白人警察隊が襲いかかってきます。
黒人は、住む地区が白人とは別、学校も店も乗るバスや列車も白人とは別なのです。
黒人が、そのルールに従わなかったときには、白人による凄惨なリンチが待ち受けています。黒人が殺されても、リンチした白人は晴れて堂々と無罪になります。全員が白人の陪審員団は、「ニガー」殺しで白人を有罪にするなんてとんでもない、そんな考えにこり固まっているのです。
そこへ、黒人の学生たちが無抵抗・非暴力主義で立ち上がります。少数の白人も応援しますが、見つかると大変な目にあいます。白人だからといって容赦なんてありません。コーヒーショップのカウンターに座って、じっと耐えるのです。白人の暴徒に襲われます。非暴力だから、やられっ放しです。でも、応援に次々にやって来ます。みんなブタ箱に入れられます。
バスに乗る人がいなくなり、商店で商品を買う人がいなくなります。
アメリカの自由と権利を守るたたかいのすさまじさ、これを実感させてくれるマンガ本です。
(2018年6月刊。1900円+税)
2018年8月12日
旅する街づくり
(霧山昴)
著者 伊藤 滋 、 出版 万来舎
1931年生まれの著者が、東大の都市工学科の助手時代にアメリカに渡って、アメリカ各地の都市計画の実態を見聞した楽しい旅行記です。今から50年以上も前の写真なのに、くっきり鮮明なカラー写真なのにも驚きます。
著者の父親は有名な伊藤整で、同じように旅行記(『ヨーロッパの旅とアメリカの生活』新潮社)を書いています。
古き良き時代のアメリカ、そしてイギリスをハーバード大学の研究者として訪問していますので、思わずよだれの出るほどうらやましいいい思いをしていることも率直に書きしるされています。今では、こんな旅は無理なのでしょうね。いや、今もあるのかも・・・。
多くの日本人がそうであるように、著者もまた東大を出て英語の本は読めても、アメリカで旅行し、生活するうえでは英語力が決定的に足りませんでした。そこをなんとかしのいでいく様子は、同情するはかありません。
アメリカの都市問題はマイノリティー問題だ。マイノリティーの社会は不安を、どれだけ緩和させられるか、どうしたら彼らが安定した生活を送れるようにできるのか、というのが都市計画の新しい領域になりつつあった。
当時のアメリカの都市計画では、基本的に住民間のフリクション(摩擦)をどのように起こさずにすませるか、起きたとしたら、どのように最小限に食い止めるか、ということが一番大切な仕事だった。
住宅地のなかで、建築協定があり、建物は木造、壁の色は・・・と住民が決める。そうすると、おのずとその地域に住める人種が決まってくる。上流階級の住宅地は、そのようにして出来あがっていく。
アメリカでは、市民同士が初めから意見を衝突させる。そのなかに都市計画家が入りこんで、皆を仲良くする術を考える。それがアメリカの都市計画だ。
モルモン教の総本山のソルトレイクシティで、役所のおじさん(白人)がこう言った(1964年の話です)。
「黒人は白人とは別種の人間。黒人は能力が低い。可哀想だから、白人が助けてあげなければいけない」
モルモン教は、日本では来日聖徒イエス・キリスト教会と呼び、私の住む町にも教会があります。黒人差別だけでなく女性蔑視が徹底していることでも有名です(地域を折伏してまわるリーダーは必ず男性でなければいけません)。
ところが、ケネディ大統領の就任式のとき、モルモン教徒の合唱団が選ばれたのだそうです。それほど優れているということなんですが、私は知りませんでした。
一般に、アメリカ北部では、人種差別をなくすように地域性を運用する。しかし、南部では逆の運用をしているところがある。
ビジネスチャンスの多い都市再開発や郊外開発では、必ず地元の実力者の圧力がかかる。
今の日本のモリ・カケ事件も本質的に同じことなのでしょうね。アベ首相案件として、官僚たちが優遇したことは明らかです。ところが、それを当のアベ首相本人が認めずに開き直っていることから、今日の長い混迷が生まれ続いています。日本の民主主義のために早くアベ首相は退陣してほしいです。440頁ある大著ですが、大変面白く最後まで読み通しました。
(2018年1月刊。4000円+税)
2018年8月 9日
インターネットは自由を奪う
(霧山昴)
著者 アンドリュー・キーン 、 出版 早川書房
全世界に水洗トイレを利用できる人は45億人であるのに対して、ケータイをもつ人は60億人。
インターネットのユーザー30億人が毎日、1分あたり2億400万通のメールを送り、72時間分の動画をユーチューブに投稿し、400万回の検索をグーグルで実行し、246万点のコンテンツをフェイスブックでシェアし、4万8000点のアプリをアップルストアでダウンロードし、8万3000ドル分の商品をアマゾンで購入し、27万7000回のつぶやきをツイッターに投稿し、21万6000点の写真をインスタグラムに投稿した。
このうち、私もメールを送受信し(私のできるのはメールを読むだけ)、フェイスブックを開いて眺めること、アマゾンで本を注文する(事務職員に頼みます)ことです。入力はできませんし、しません。ブラインド・タッチの入力なんて練習したくもありません。
アマゾンは雇用を生みだすどころか、雇用をつぶしている。2012年だけで、アマゾンは正味2万7000人分の雇用を破壊した。アマゾンには労働組合がなく、投資会社には金のなる木であっても、労働者にとっては悪曹のような職場だ。
グーグルは、2014年に時価総額4000億ドルで、世界の企業価値ランキングで、アップルに次いで2位を占めた。グーグルのオーナーであるブリンとペイジは、それぞれ300億ドルの資産をもつ世界屈指の大富豪だ。グーグルの従業員は4万6000人。ゼネラルモーターズの従業員は20万人をこえる。
フェイスブックは2014年に時価総額が、コカ・コーラ、ディズニー、AT&Tを上回る1900億ドルだった。
IT企業のオーナーは、頭脳・魅力・先見の明、知性、カリスマ性をもっている。ただし、彼らには、自分ほど成功していない人々への思いやりというものは欠如している。
ネット上で、女性軽視・嫌悪の犠牲となった女性はとても多い。ネット上の憎悪にみちた攻撃によって少年少女たちの心が傷つき、その結果として自殺してしまう少年少女が少なくない。
テロ集団、たとえばISISはソーシャルメディア(ネット)を効果的に利用している。
イスラエルとハマスとの紛争では、双方とも、それぞれ専門チームを編成して攻撃しあった。プロパガンダ、嘘の応酬があった。
これって、怖いですよね。何が真実か、容易に判明しませんので・・・。
ウィキペディアの医療関係項目の9割に間違いがあり、そのほとんどに「多くの誤り」があった。ネットを簡単に信用してはいけないっていうことなんですよね。それでも、手軽なものですから、つい信じ込んでしまいがちです。
IT企業のエンジニアのうち女性の占める割合はわずか3%ほどでしかない。
サンフランシスコは、全米でも格差の大きい四大都市の一つとなっている。極端な勝ち組が多く集まり、多数の負け組は狭い地区に閉じ込められているのです。
ネットは必要ですし、使いこなさなければなりませんが、階級差を一層拡大させる危険なものでもあることがよく分かりました。
(2017年8月刊。2300円+税)
2018年8月 7日
核戦争の瀬戸際で
(霧山昴)
著者 ウィリアム・J・ペリー 、 出版 東京堂出版
アメリカ国防長官をつとめていた著者は、核兵器に抑止力なんてないと断言しています。まったく、そのとおりです。
著者はキューバ危機以来、核兵器を扱う政府の指導中枢にいた。核戦略を選択する場に身を置き、それに関する最高機密に直接アクセスできる人生を歩んできた著者の出した結論は、核兵器は、もはや我々の安全保障に寄与しないどころか、いまや、それを脅かすものにすぎない。
9,11同時多発テロは数千人レベルの死者を出したが、核爆弾テロは即死者8万人、重傷者10万人超となり、9,11テロの100倍の犠牲者を出すだろう。
世界の人々は、今や偶発の事故にせよ人間の判断ミスにせよ、核のひきおこす大惨事の可能性にさらされるようになった。この危険性は、決して単なる理論上のものではない。アルカイーダが宣言した目標は、9,11のような、単にアメリカ人を数千人殺害するのではなく、数百万人を殺害することにある。そのため、核兵器を入手すべく懸命の努力を続けている。
キューバ危機のとき、全世界は核兵器によるホロコースト、つまり人類滅亡の瀬戸際まで追い込まれた。世界を未曾有の破滅から救ったのは、キューバからの撤退を決断したフルシチョフのおかげである。
大規模な核攻撃の破壊力に対して、何ら可能な防御手段は存在しない。
唯一意味のある防御手段は、それを起こさせないこと。
我々が優先すべきは、核攻撃からの防衛という無意味なことに資源を投入するのではなく、むしろ攻撃を未然に防止することに投入すべきである。
アメリカ陸軍は、信じられないことに、戦術核兵器をほかの爆弾と同じように使える大型爆弾と見なし、おかげで正常の爆弾ほど数はなくしてすむくらいに考えていた。
アメリカの国防長官だった人が核兵器の抑止力なんて全然ないし、核兵器はなくすべきだと公然と主張している画期的な本です。南北会談そして6月12日の米朝会談の意義を過小評価したがる人は少なくありません。そうは言っても少なくとも朝鮮半島での戦争の復活はなさそう(あったら困ります)し、朝鮮半島の平和が確立したら、アメリカ軍基地が日本国内にある「必要」はないでしょうし、日米安保条約だって無用となるでしょう。ところでイージス・アショアが当初1基800億円だったのが3000億円かもしれない(2基で6000億円)というニュースが流れました。呆れてモノが言えません。必要のないものに、効果だってないのに、こんな大金を投入するなんて、馬鹿げています。アメリカ軍需産業は喜ぶでしょうが、日本の福祉・教育予算がますます削られてしまいます。
本書の一読を強くおすすめします。
(2018年1月刊。2500円+税)
2018年7月20日
マーティン・ルーサー・キング
(霧山昴)
著者 黒崎 真 、 出版 岩波新書
私にとっては、マルティン・ルーサー・キングですので、そう呼びます。彼がメンフィスで凶弾にたおれたのは1968年4月のこと。私は大学2年生です。東大闘争が2ヶ月後の6月に始まりました。全世界がなんとなく騒然としていたころのことです。
といっても、日本の学生デモはまだ平穏な状況にありました。アメリカのような黒人の群衆がたちあがり、白人がいらだって武力で弾圧するというのは、対岸の火事でしかありませんでした。ヨーロッパ、フランスやドイツが騒がしくなるのも5月以降のことです。
等身大のキングが描かれていると思いました。英雄として美化されすぎることもなく、その苦悩の日々が紹介されています。
キングは、アメリカにおける黒人解放運動が、インドのガンジーのような非暴力主義路線で成果をあげることができるのかという難問に直面していたのです。白人側は野蛮な、むき出しの暴力で襲いかかってくるのです。それを非暴力で迎えたら、しばり首で木に吊り下げるだけではないのか・・・。とても重い問いかけです。生半可なことではやってられません。
南部において、黒人教会は黒人の社会生活の全領域に密着した最も重要な社会組織だった。都市では、黒人自身が黒人教会を所有しており、黒人牧師は白人に解雇される心配がなかった。黒人牧師は概して白人社会に経済的に依存しない分、言論と行動に関して相対的に自由な立場にあった。
キングは、3世代にわたる牧師の家系に生まれた。祖父アダムが教会を父が引き継いだ由緒ある黒人教会だった。家庭環境は、キングの人格形成に大きな影響をもった。それは何よりも、キングが心身ともに健康に成長し、肯定的な世界観をもつことを助けた。
黒人会衆がもっとも聴きたい説教とは何だったか・・・。それは、神は確実に自分たちの自由の問題に関与していること、そして最後には自分たちは確実に自由になれると説く説教だ。「神の臨在」の体験こそ、過酷な環境を生き抜き、たたかう霊的活力を黒人たちに与えてきたものだった。
キングの説教は、抽象論に陥ることなく、人々の日々の経験や生活に即して語るように努めたものだった。
キングは、神のご臨在を体験した。「マルティン・ルーサーよ、大義のために立て。正義のために立て。真理のために立て。見よ、私はおまえと共にいる。世の終わりまで共にいる」
キングは、たたかい抜けと呼びかけているイエスの御声をたしかに聞いた。イエスは決して一人にはしないと約束してくださった。1956年1月27日の夜、自宅のキッチンでの出来事だ。
1877年から1950年にかけて、南部では4000人(大半は黒人)がリンチされている。
キングは27歳のとき、公民権問題における全国的シンボルになった。
キングはガンジーの非暴力に共鳴した。①非暴力は、勇気ある人の生き方である。②非暴力は友情と理解を勝ちとろうとする。③非暴力は、人ではなく、不正を打ち倒そうとする。④非暴力は自ら招かざる苦しみが教育し、変容させると考える。⑤非暴力は憎悪の代わりに愛を選ぶ。⑥非暴力は、宇宙が正義の側に味方すると信じる。
1963年8月28日、ワシントンでの大集会でキングは演説の最後に5分間のアドリブを加えた。有名な歴史的演説です。先日、キングの孫娘が、銃をなくせという大集会で感動的な演説をしました。
私には夢があります。イエース。それは、いつの日か、この国は立ち上がり、すべての人間は平等につくられているという、この国の信条を生き抜くようになるだろうという夢です。イエース。私には夢があります。ウェル。それは、いつの日か自分の4人の小さな子どもたちが、皮膚の色によってではなく、人格の中身によって評価される国に住むようになるだろうという夢です。
このキングの演説を聞いた聴衆は万雷の拍手でこたえた。少しのあいだ、あたかも神の国が地上に出現したかのようだった。
何度きいても、また読み返しても素晴らしい演説です。残念なことに、その夢の実現はアメリカでも、そしてこの日本でも、ほど遠いのが現実です。ヘイト・スピーチなんて、やめてほしいです。
キングは、ベトナム戦争に公然と反対したのですが、それはアメリカ国民の反発を買ってしまったのでした。アメリカ国民の多くは、このころ、まだベトナムで正義の戦争をしているという幻想に浸っていたのです。
きびしい人種差別と貧困のため、黒人の若者は軍隊のほうがましだとベトナム戦争に志願し、その多くが戦死していった。しかも大義のない、間違った戦争のために・・・。
キング暗殺の実行犯は白人男性。共謀者がいたのではないかと疑われているが、真相は今なお不明。
キングは財産をほとんど残さなかった。5000ドル(50万円)の預金しかなかった。長く借家ずまいで、4人のこどものために買った家は1万ドル(100万円)だった。
キングは黒人の公民権運動だけでなく、経済的正義や貧困問題についても取り組んでいた。このことを忘れてはいけない。
キングは「普通の人」だった。子どもが大好きだったし、女性関係という矛盾もかかえていた。
それでも、キングを今の私たちは忘れてはいけない。強く思ったことでした。
240頁の新書です。ご一読を強くおすすめします。読むと、勇気というか元気が出てきます。
(2018年3月刊。820円+税)