弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
裁判と社会
著者:ダニエル・H・フット、出版社:NTT出版
聖徳太子の「十七条の憲法」に「和をもって貴しとせよ」とあることを根拠として、日本人は昔から裁判が嫌いだったというのが常識になっています。しかし、この常識は間違っていると私は考えています。この本も同じように考えています。
聖徳太子という人物が本当に存在したのかということも疑われていますが、その点はおいても、「十七条の憲法」には、裁判があまりにも多すぎるので、減らしなさいとあるのです。日本人が争いごとを好むのをいさめた言葉なのです。言葉の表面だけをとらえて昔から日本人は裁判が嫌いだったなんて、まったくの見込み違いです。実際、30年以上弁護士をしていて、裁判が好きな日本人の男女を数多く見てきました。いわゆるインテリではない人たちにも、けっこう裁判マニアがいるのです。
この本では、日本とアメリカと中国でアンケート調査をして、日本がとくに裁判を嫌うということはなかったという結果を紹介しています。
日本では、津の隣人訴訟が有名です。お隣同士で親しい間柄の二家族があり、子どもたちが近くの貯水池で遊んでいたところ、一人が溺死してしまったことから、死んだ子の親が隣人を訴えて裁判を起こし、裁判所は損害賠償を命じました。すると、マスコミが取り上げ、原告となった親を非難し、ついに訴訟は取り下げられました。そして、そのあと今度は、訴えられた隣人まで嫌がらせの電話や手紙が集中したのです。
これは、日本人が裁判を嫌う例証として、よく取り上げられるケースです。
ところが、この本によると、1994年のアメリカのベストセラー小説にも同じようなテーマを扱ったものがあるそうです。そして、アメリカ人の親は、隣人に対して訴訟することを考えもしなかったというのです。津の隣人訴訟は、日本人の特異な訴訟観を証明するものではないのです。
アメリカ人は、友人とのあいだでは、借用証などの書面なしに、握手の信頼関係でお金の貸し借りをすることが多い。
著者はこのように述べています。なーんだ、これじゃあ、日本人と同じではありませんか。日本人とアメリカ人と、いったいどこが違うのでしょうね
著者は、裁判所の人事配置について、日本の大企業の人事慣行とよく似ていると指摘しています。なるほど、そのとおりでしょう。
雇用主に忠実でない労働者はどこか居心地の悪い場所に左遷される。ただし、解雇されるまでにはいかない。それには特別の理が必要とされるから。
この本で、著者は、交通事故と破産事件の処理をめぐって、裁判所が意識的に政策形成したことを指摘しています。なるほど、と思いました。交通事故では賠償基準表をつくり、破産事件でも少額管財事件をふくめて簡易・迅速処理を実現しました。
これについては、熱心かつ創造性豊かな弁護士が訴訟を追行し、その熱意を熱心かつ創造的な裁判官が受け容れたという事情がある、という指摘です。まったく同感です。
日本法の本質は3分で喝破できるものではないという著者の言葉に私も賛成です。何ごとも、そんなに簡単なことはないのです。
公安化するニッポン
著者:鈴木邦男、出版社:WAVE出版
著者は早大出身の新右翼のリーダーです。公安警察で活動していた何人かの元警察官との対話からなっている異色の本です。
過激派のセクトの中にも公安に通じているスパイがいる。バレそうになったら、公安が手配してアメリカへ逃がす。
革マルは内ゲバで殺された人が78人いると書いているが、そのなかに実は警察官も混じっていた。ええーっ、本当なんですかー・・・。ところが、実は、とうやら本当のことのようです。
機動隊がエンジンカッターで鍵を切って過激はセクトのアジトを襲撃する。ドアを開けて盾と警棒を持って突入していく。マスコミも中までは撮れないので、中に入ったらやり放題。その場にいた人間の頭を叩く。歯向かう人間は警棒で鎖骨を折ってしまう。機動隊の装備は重厚で、鉄も入っているので、殴りかかられても平気だ。
中にいた人間が「おれもサツカン(警察)だ」といっても、機動隊員は「うそだろ、うそだろ」と言って信じず、叩き続ける。危篤状態で病院に運ばれ、本人が職員番号を言って本物(潜入スパイ)だということが分かる。それで大至急、蘇生するオペレーションをやってもらうけれど、手遅れになる。これで死んだのが何人もいる。
遺族が、「スパイみたいなことをさせて、どうして守ってくれなかったのか。殺したのは警察官じゃないか」と激しく抗議したので、潜入スパイは下火になった。
こうやって10人は死んでいる。殉職したら、4500万円もらえる。このほか裏ガネももらえて、階級も特進するので、合計8000万円くらいは支給される。そして、警察の弥生廟にまつられる。
そうだったんですかー・・・。警察官も内ゲバの被害にあって殺されていたんですね。でも、これって、亡くなった人には申し訳ありませんが、ほとんど無意味、いわば犬死にみたいなものではありませんか。
スパイ(組織内協力者)に求められるのは、「頭がいい」が「意志が弱い」こと。これが理想的な人物の条件。意外にもトップに近い人間ほど脇が甘い。末端は上部の査問を恐れて治安機関と接触することに恐怖を感じるが、トップは全部自分の腕三寸だと思ってしまうから。
公安警察は全国に1万人いる。公安調査庁は、わずか1500人。スパイを摘発する防諜能力はほとんどない。もっぱら組織内部のスパイから聞き出した情報を評価している。
私の親しかった弁護士(故人)は、父親が公安刑事でした。オヤジは昼間は家でブラブラしていて、夕方から出勤していた。なんだか暗い家庭の雰囲気だったという話を聞いたことがあります。なるほど、スパイ・ハンドラーとして、フツーの警察官が味わえるような社会正義の実現はできなかったのでしょうね。スパイの獲得って、要するに人間を堕落させることですよね。そんな仕事で生きていくなんて、みじめな人生じゃないでしょうか。そう思いませんか。