弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2007年7月13日
ダイナスティ
著者:デビッド・S・ランデス、出版社:PHP出版社
ファミリー企業とは、創業者あるいはその家族によって所有され経営されている企業のこと。同族経営と言われると、マイナス・イメージもある。
しかし、このところ欧米ではファミリー企業は再評価されている。『フォーチュン』誌の選んだ世界のトップ500社のうちの3分の1をファミリー企業が占めており、EU(ヨーロッパ連合)では国民総生産と労働市場の3分の2をおさえ、あなどりがたい勢力となっていて、その優位性は明らかである。日本では、245万社ある企業の94%は同族企業で、上場企業でも4割はファミリー企業である。
この本は、世界のトップ巨大企業のうちのファミリー企業の内情を描いたものです。ファミリー企業は、一族が多産かどうか、その生命の再生産能力にかかわるところが大きい。
また、風習や文化によっては、直系の男性だけを後継者とみなし、女婿はおろか実の娘でさえも会社に参加させず、彼らを部外者としてしまうファミリー企業も多い。反対に、トヨタ自動車のように、血統については寛大で、姻戚だけでなく、養子縁組でもよいとする文化もある。
銀行業は二つの理由からファミリー企業向きである。銀行業で成功するには、基本的に人間関係が大切で、誰と知りあいで、誰を信頼し、誰から信用されるかというコネクションである。しかも、生産企業と違って銀行では絶えず発達する技術にそれほど依存することもない。一年単位でも技術革新に対応できるような有能な技術者は必要としない。つまり、家族以外の人材に頼る必要性に乏しい。
ダイナスティ(王朝)は、愚者であっても支配でき、また、しばしば愚者が支配した。
ユダヤ教の習慣では、おいとおばとの結婚は禁じているが、おじとめいの婚姻は認めている。ロスチャイルド家の孫たち18組の結婚のうち16組はおじとめいかいとことの結婚だった。一族のなかの婚姻は、社会的にも文化的にも利点があった。習慣や秘密を外部から守ることができた。
逆境のなかで不屈であることこそ、ダイナスティを支える力である。ロスチャイルド家は外部からの支援は受けたが、その核心はあくまでも一族だった。
フォードは反ユダヤ主義者で、ナチスから堂々と勲章をもらった。そして、ニューディール政策をとったルーズベルト大統領を毛嫌いした。工場内の労働組合をつぶすために暴力団に頼んで殺させることもした。
アイアコッカは、フォード社でめざましい成果をあげた。会社の経営は好転し、社会でのフォードのイメージは定着した。アイアコッカが社長になってもおかしくなかった。しかし、彼は一族でなかった。精力的で野心家で、家族の手に負えなかった。強大になりすぎたため、アイアコッカはフォード社から排除されてしまった。
ファミリー企業の継承は世界各国でも必ずしもうまくはいっていないようです。偉大な父親の下では虚弱な息子が生まれがちなのは、世の東西を問わないからです。
メディアと政治
著者:蒲島郁夫、出版社:有斐閣
日本のテレビ報道の特性は5つ。
1.一つの事柄が視聴率をとれるとなれば、各局ともそれに話題を集中する洪水報道化すること。
2.時間的制約があるため、善玉・悪玉の二項対立で番組をつくる傾向があること。
3.視聴者に提供される情報はカメラがとらえた映像に限られるため、制作者の意図に誘導しやすいこと。
4.テレビは映像が命であるため、映像のない事柄はニュースになりにくいこと。
5.放送は一定の時間内に終わらせなければならないこと。
これらの制約をのがれて番組を制作することは、物理的な事情もあって難しい。そのうえ、民法では、ある程度の視聴率が見込めない番組はつくることができない。
そうなんですよね。テレビのワイドショーをふくめて、ある時期に一つのテーマに集中して報道し、しばらくすると、さっぱり取り上げなくなる。その後、どうなったのか、後追い記事(報道)はほとんどされません。私も、その点がすごく不満です。いろいろ多角的な視点からの報道をしてほしいものです。
大嶽秀夫・京大教授は日本におけるポピュリズムの特徴について、次の3点をあげる。
1.新聞のテレビに対する批判姿勢が弱く、テレビの人気を新聞が増幅する傾向をもつ。2.メディアの横並び体質と、視聴者にこびる性質がとくに強い。
3.テレビでの意見表明は大きな権威をもっており、無批判に受けいれられる傾向がある。 テレビをまったく見ず、新聞を丹念に読んでいる私にも、この指摘はまったくあたっていると思います。一般紙がテレビ報道を批判することは、まずありません。
新聞で社説は社論である。これを執筆しているのは論説委員。これは、経営にはしばられない社長直属の独立機関である。論説委員は、記者歴20年以上で、専門性が高く、各部から複数選ばれる。トップである論説委員長(論説主幹)の下に、デスクワークもする論説副委員長が数人いて、総勢20人はいる。結論は全会一致が原則。どうしても意見がまとまらないときは、論説委員長が最終判断を示す。重大な決断は主筆(社長)が下すが、そこに至るケースはめったにない。
政治改革(小選挙区制の導入)のとき、郵政改革のとき、マスコミが誤った方向に世論をリードしていった責任は重大だと私は考えています。
情報戦の時代
著者:加藤哲郎、出版社:花伝社
著者の個人ウェブサイト「加藤哲郎のネチズンカレッジ」は、累計100万件近いアクセスを記録しているそうです。
IT技術が、それ自体として分権化をうながし、ネットワーク型コミュニケーションをもたらすというのは幻想である。むしろ、市民による活用と抵抗がないならば、地球的規模での独占・集積化も可能である。
つまり、インターネットや携帯電話のような個人単位のコミュニケーション手段が広がることで、一方でさまざまな個性のネットワーク型結合が可能になると同時に、他方で、その大元を押さえ、個人情報や私的コミュニケーションまで集権的に管理し支配しようとする動きも現れる。
私も、そのとおりだと思います。インターネットは大変便利なものですが、情報統制する怖いものでもあると思います。
改憲論議は、世論レベルではムードが先行しており、賞味期限を論ずるよりも、まずは立憲主義と現行憲法の中身を知る知憲こそが国民的規模で必要なのだ。逆に言うと、護憲勢力の主張も、「昔の名前で出ています」風の保守的イメージでしか浸透していない。
新聞の調査で「改憲」についてのイメージを問いかけたところ、現実的29%、未来志向28%、自主独立14%、軍拡10%、復古的8%という回答だった。
このように、かつての護憲=恒久平和、改憲=軍拡・復古という構図では、今日の改憲ムードの流れは変えられないのである。
うむむ、そうなんですか・・・。いろいろ考えさせられる本でした。
6月17日に受けた仏検(一級)の結果を通知するハガキが届きました。45点でした。自己採点は50点でしたから、5点も下まわりました。合格基準は90点ですから、とてもとても足りません。ちなみに、150点満点です。今回はいつも以上に難しかったのですが・・・。めげずに毎朝フランス語を勉強しています。仏和大辞典を愛用しています。ボキャブラリーを増やし、なんとか用例を覚えて仏作文も少しはできるようにがんばりたいと思います。
2007年7月11日
おいしいハンバーガーのこわい話
著者:エリック・シュローサー、出版社:草思社
毎日、アメリカ人の14人に1人がマックを食べている。毎月、アメリカの子どもの 10人のうち9人がマックにやって来る。アメリカ人は年間130億個のハンバーガーを食べている。地球を32周できる量だ。1968年にマクドはアメリカにしかなく、1000店だった。今は、世界中に3万1000店ある。
1900年代のはじめのアメリカではハンバーガーは、貧しい人の食べもので、不潔な、安全ではないものと考えられていた。次のように言われていたのです。
ハンバーガーを食べるなんて、ごみ入れの肉を食べるようなものだ。
2007年の今、私は、今こそ、マックって、そんなものだと叫びたい気分です。
マクドナルド社は、新しい店の用地を選ぶとき、セスナ機に乗って学校を探し、その近くに店を出した。そのうちヘリコプターをつかい、校外の広がる方向を割り出し、道路沿いの安い土地を探した。今は、宇宙からの衛星写真をつかっている。
マックのマニュアルは1958年当時は75ページだった。今は、その10倍、重さが2キロもある。これは、一人ひとりの社員の能力をたたえることはせず、ひたすら取りかえのきく従業員を求めるということ。すぐに雇えて、すぐにクビにできて、すぐに取りかえられる人間をマックは求めている。一般にファーストフードの店員は3〜4ヶ月でやめるかクビになる。賃金がひどく低いからでもある。
内容がつまらなくて、賃金が低くて、手に職のつかない仕事を、マックジョブという。辞書には、マックジョブとは、賃金が低くて、出世の機会がほとんどない仕事だと書かれている。マックジョブとは、将来性のない仕事のことだ。
マックは労働組合がない。ただし、日本では2006年5月にマック労組ができた。ケンタッキーフライドチキンにも2006年6月に労組ができた。
マックのフライドポテトは店にとって割がいい。生のジャガイモの代わりに冷凍ポテトをつかったので、コストが下がった。ハンバーガーより、ずっと割がいい。
アメリカの冷凍フライドポテト市場の80%を巨大な三つの会社が支配している。仕入れた値段の20倍で売っている。しかし、生産農家はもうかっていない。
フライドポテトの味を左右する大きな要素は、揚げ油だ。大豆油7、牛脂93の比率で混ぜた油だフライドポテトを揚げる。
加工食品をピンクや赤・紫色に染めるためのカルミンは、ペルーなどでとれる小さな虫の死骸からつくられている。
アメリカの公立高校1万9000校、これは全国の高校の5つに1つにあたる、で特定ブランドのファーストフードが売られている。学校が金もうけの土俵となっている。売上げの一部を学校が受けとるのだ。
30年前、アメリカのティーンエージャーは清涼飲料の2倍ほど牛乳を飲んでいた。今では、牛乳の2倍の清涼飲料を飲んでいる。清涼飲料の缶1本に含まれる砂糖の量は茶さじ10杯分だ。
現在、アメリカでもっともたくさん牛肉を買っているのはマックだ。精肉業界の大手4社で、市場の84%を占めている。そのため、個人牧場主は生計を立てるのが難しくなった。
チキンマックナゲットは牛肉と同じ不健康な脂肪を多く含んでいた。牛脂で揚げていたからだ。
牛を処理するスピードは、1時間に400頭の牛を処理するというもの。ファーストフード・チェーンに供給するための精肉システムは、病気をまき散らすのにも有効なシステムだ。アメリカでひき肉にされる牛のうち4分の1は乳の出なくなった乳牛。その乳牛は病気にかかっていることが多い。マックはひき肉の多くを乳牛から得ている。割合に安くて、肉の脂肪が少ないからだ。
私の自慢は、20年以上もマックを口にしたことがないということです。コーラも飲みません。赤坂の交差点にあるマックに若い人たちが群がって買い求めているのを見るたびに、彼らの口とその精神の貧しさに哀れみを感じてしまいます。だって、マックって、いかにも人工的な美味しさでしょ。子ども時代、マックに口が慣らされてしまうと、素材の良さなんか分からなくなってしまいます。
2007年7月10日
岐路に立つ日本
著者:後藤道夫、出版社:吉川弘文館
明仁(あきひと)天皇は、即位したあと靖国神社に一度も参拝していない。ええーっ、そうだったんですか。そう言われたら、聞いたことありませんよね。父親である昭和天皇が靖国神社に参拝したのは1975年(昭和50年)11月21日が最後で、そのあと1978年にA級戦犯が合祀されたからは一度も行っていない。
宮内庁は、議論の分かれているところには行かれないと説明する。なーるほど、ですね。
明仁天皇は1996年に栃木県の護国神社に参拝したことがあるが、そのときも、事前にA級戦犯が合祀されていないことを確認したうえのこと。
このように、A級戦犯の合祀は、天皇と靖国神社、護国神社との関係を切断する結果をもたらしている。
明仁天皇は戦後的価値観をそれなりに身につけている。たとえば、昭和天皇時代と異なり、天皇単独の行幸(ぎょうこう)が減り、天皇と皇后はそろって行幸啓(ぎょうこうけい)が増え、皇后の役割の増大が目立っている。記者会見を受けるときにも、天皇と皇后が並んで坐り、記者の質問も「両陛下にうかがいます」となっている。天皇と皇后はまったく平等に扱われている。
また、1999年11月の在位10年記念式典の際に民間代表として選ばれたのは、阪神・淡路大震災の被災者(女性)と、障害者スポーツの代表(女性)だった。
明仁天皇は、韓国のノテウ大統領が訪日したときの宮中晩餐会で次のように発言した。
「わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛恨の念を禁じ得ません」
この発言は、右派のナショナリストに大変なショックを与えた。このあと、彼らは天皇を政治の局外に置くべきだと主張しはじめ、天皇の天首化を主張することはしなくなった。
世論調査によると、若年層は皇室に親しみを感じず、無関心層が分厚く存在している。尊敬20%、好感41%、無感情36%となっている。
女性週刊誌がこのところ一部に雅子さんバッシングを相変わらず書いていますが、あまり皇室の提灯記事を見かけないのは、このことの反映でもあるのでしょうか。
小沢一郎はアメリカと日本財界の意向を受けて、日本の軍事大国化を目ざした。そのためには社会党をつぶすか変質させなければならない。そこで、小選挙区制を導入することにした。中選挙区制ならともかく、小選挙区制で社会党が生き残るには共産党でなく民主・公明党と組むしかない。そうなると、社会党は安保・外交政策を転換させる必要がある。小選挙区制が導入されたら、社会党は少数政党へ転落するか、変質するか、どちらかを選ばざるをえない。いずれに転んでも障害物としての社会党は消える。この小沢の狙いはあたった。
いま、その小沢一郎は民主党の代表です。自民党と民主党と名前の違いこそあれ、政策的にはまったく同じ。憲法改正をすすめる点も違いありません。いつだってアメリカ言いなりです。にもかかわらず。マスコミは相変わらず、あたかも違いがあるかのように二大政党制をもちあげるばかりです。いやになってしまいます。
日本人のなかにも多種・多様な考えがあることをふまえて、少数野党の言い分をきちんと報道するのは公器としてのマスコミの責任ではないでしょうか。
まやかしの二大政党論は、もううんざりです。
2007年7月 6日
公明党VS、創価学会
著者:島田裕巳、出版社:朝日新書
公明党は2005年9月の衆院選挙で900万票近くとった。2000年6月には 776万票だったので、120万票も伸ばしている。しかし、創価学会の会員が100万人も増えたという事実はない。この120万票は、自民党との選挙協力によるものである。
創価学会の会員数は実数で256万人。有権者数でいうと220万人。学会員は選挙になると、F取りによって会員一人あたり外部から2.5票をとってくる。220万に2.5をかけると550万で、それに会員数の220万を足すと770万になる。これは、連立以前の参院選での公明党の得票数。
このようにして、創価学会は「てこの原理」をつかうことによって、実際の力以上の政治力を発揮している。
「F取り」とは、公明党の票をとってくること、「Kづくり」とは、活動していない創価学会員に働きかけて活動家にすること。
公明党の議員のなかに、いわゆる二世議員はほとんどいない。
公明党は、独自の経済政策というものを持っていない。公明党が独自の経済政策を提唱したことはなく、連立以降は、経済政策にかんして、自民党に任せきりになっている。公明党選出の大臣は、現在、経済政策を決定するうえで重要な役割を果たしている経済財政諮問会議のメンバーに入っていない。
創価学会の多様化がすすむことは、公明党を支持する会員が減っていくことを意味する。創価学会は現世利益の実現を説くことで巨大教団に発展したが、皮肉なことに、その目標を達成すると、公明党の支持者から外れていく可能性が出てくる。実際、学会員だからといって必ず公明党に投票するわけではない。
創価学会にはエリートに力をもたせない仕組みが備わっている。エリートが幅を利かすことは難しい仕組みだ。エリートにとって創価学会は居心地の悪い組織である。学会はエリート会員を組織に引きとどめることに躍起になっている。
学会員にとってもっとも重要なものは本尊でもなければ、教義でもなく、学会員同士の人間関係である。与党である公明党と創価学会の関係について、鋭い分析がなされている本だと思いました。
いま政権与党として我が世の春を謳歌しているように見える公明党もいろいろと大きな矛盾をかかえていることがよく分かる本です。
春の日の別れ
著者:長瀬佳代子、出版社:手帖舎
著者は岡山に住む元ソーシャルワーカーです。私が30年前まで関東にいたときに知りあいました。もう永くお会いしていませんが、古希を迎えられたそうです。その記念に作品集を一冊の本にまとめられました。自分で装丁を考えられたそうですが、とても上品な味わいある本です。
岡山文学選奨賞に入選した「母の遺言」など、12篇の随筆を思わせるような淡々とした展開を示す作品が掲載されています。
長く地方自治体の職員として働いてこられただけに、その職場での体験を生かした情景の描きかたが迫真的でみごとです。人情の機微をよくとらえていると感心しました。
----- ぼくには福祉の仕事が向いていないんです。
----- みんな、そう言うな。本当は嫌なんだよ。考えてみりゃ、福祉って他のことが面倒な比べて仕事に比べて面倒なことが多いからな。それに最近は厚生省の指導が厳しいし、仕事がやりにくくなって嫌気がさすのも無理はないが・・・。
------- 長く続けてするのは大変ですが、でも、勉強にはなりました。
------- そうさ、社会の縮図を実際に見られるのだからな。役所の仕事をしていくうえでは、絶対、福祉現場を体験しなくちゃいけないんだ。ところが、だいたい三年でさよならしてしまう。福祉に生き甲斐をもって仕事しようという人間なんかほとんどいない。役所の仕事に上下なんかないのに、福祉というと低くみるんだ。おかしいと思わんか。
------- 分かりません。
------- お前なんか、まだ先のことと思っているかもしれんが、おれたちの年齢の者が考えてるのはポストのことばかり。今度は誰があのポストにいくか、自分は出世コースに乗ったか、はずれたか。そんな話を、飲みながら探りあうんだ。
ホントに今夜もこんな会話が、全国にある市役所近くの一杯飲み屋で、かわされているのでしょうね。著者の今後ますますの健筆を祈念します。
2007年7月 4日
雇用融解
著者:風間直樹、出版社:東洋経済新報社
液晶テレビ「アクオス」をつくるシャープ亀山工場では、総就労者2800人のうち、少なくとも200人の日系ブラジル人が請負労働者として働いていた。ところが、彼ら日系ブラジル人の社会保険未加入が発覚したため、今では、外国人労働者はゼロになったという。しかし、これはシャープ工場内だけのこと。隣接する関連・下請企業には相変わらずブラジル人などが働いている。その一つ、日東電工には1700人の就労者のうち 1000人が請負労働者であり、そのうち800人が日系ブラジル人である。ほかにフィリピン人労働者も別の工場で働いている。
亀山市はシャープを工場誘致するため、前代未聞の45億円もの巨額の補助金を交付した。別に三重県も90億円の補助金を拠出している。この補助金は固定資産税の9割相当を15年間にわたって交付するというもの。交付限度額が45億円ということである。
では、シャープは地元に雇用効果をもたらしたか。
2006年6月、シャープの正社員は2200人。非正規雇用は1800人。その内訳は請負労働者1100人、派遣労働者700人。正社員は、よそから来た社内異動組であり、三重県内出身者で新規に正社員として雇用されたのは、のべ130人のみ。亀山市に増えたのは、他県や南米出身者で、この地に定住することのない請負労働者だった。
これでは地元に批判が高まっているというのも当然ですよね。地元住民の福祉の向上にこそ地方自治体のお金はつかわれるべきですからね。
請負労働者は1日12時間拘束勤務。それで年収は300万円。正社員の半分以下でしかない。さらに問題は、何年はたらいても、正社員ではないので昇給することなく、この低賃金にずっと固定されるということ。これで果たして結婚し、子育てすることが可能だろうか。
業務請負業として有名なクリスタルはグループ全体の従業員が7〜8万人いる。創業したのが1974年で、2002年度の売上高は3590億円。
『週刊東洋経済』はクリスタルについて報道したところ、クリスタルから名誉毀損として訴えられました。請求額は10億円あまり。2006年4月25日、東京地裁は一部の記事取消と300万円の賠償を認める判決を下しました。ところが、控訴審で、和解が成立し、クリスタルは訴訟を取り下げて終結しました。自信がなかったのでしょうね。
業務請負会社の活用にもっとも積極的なのがソニーだ。正社員と請負社員とが同数いて、全工場で同じく製品を正社員ラインと請負社員ラインの両方でつくらせて、生産性を競わせている。
ええーっ、これって、なんだか露骨すぎる労務管理ですよね。そのあまりに前近代的なセンスを疑ってしまいます。
厚労省の労働政策審議会の労働条件分科会委員であるザ・アールの奥谷礼子社長は次のように言い切りました。
はっきり言って労働省も労働基準監督署もいらない。ILOというのは後進国が入っているところ。ドイツもアメリカも先進国はほとんど脱退している。下流社会だと何だの、これは言葉の遊びでしかない。社会が甘やかしている。結果平等というのは社会主義のこと。社会主義に戻すなんて、まったくナンセンス。何のために規制改革をやり、構造改革をやろうとしたのか。昔と違って、今の時代は労使は対等だ。むしろ、労働者のほうが対等以上になっている。経営者は、誰も過労死するまで働けなんて言ってない。過労死をふくめて、労働者の自己管理の問題だ。
ええーっ、いくらホンネの放談とはいえ、信じられないほどのひどさです。経営者の優越感に酔って、過信しているとしか思えません。こんな頭の人が労働条件を考える審議会のメンバーだというのですから、労働条件はひどくなるのも当然です。
いま日本経団連会長を出しているキャノンも請負・派遣労働者に大きく頼っています。
日本の労働現場の問題を鋭く告発する本です。
2007年7月 2日
自販機の時代
著者:鈴木 隆、出版社:日本経済新聞出版社
日本全国にある自動販売機の数は550万台。アメリカに次ぐ。人口一人あたりではアメリカの2倍、世界一の普及率。世界中、どこの街にも自動販売機があるわけではない。自動販売機は世界の中で、日本の特別なシステムだともいえる。
たしかにそうですよね。フランスでは全然見かけませんでした。駅の切符売り場などは自動化されていますが・・・。
自動販売機を通じて売られる飲み物やタバコ、切符などの総販売額は年間7兆円。コンビニの総売上とほぼ同じ。全国のデパートの売上げ総額に迫る。
コカ・コーラの普及と停滞の歴史は、自動販売機のそれと一致している。コカ・コーラは、日本に自販機を定着させる役割を果たした。
ところで、このコカ・コーラは、2005年末に、ニューヨーク株式市場で、時価総額においてペプシコーラに抜かれた。
三菱重工業、日立製作所、三洋電機は、この自販機メーカーであったが、今では撤退している。松下はまだ残っている。
富士電機と三洋電機とが自販機をめぐって激しく争い、富士電機が勝った。なぜか。
富士には「あと」がなかった。三重工場に働く1500人の労働者にとって生き残りをかけたたたかいだった。しかし、三菱にも日立にも三洋にも、「あと」どころか、手が回りきらないほど「未来」があった。
客の要望にこたえるべく富士電機家電は、設計の子会社をつくった。はじめ50人、やがて100人の大所帯となった。設計陣をそろえたことが富士の自販機躍進のキーポイントだった。
瓶から缶へ。瓶入りは瓶を製造元に送り返さなければならない。ツー・ウェイである。缶入りは消費者が缶を処理してくれるワン・ウェイであり、流通上の大きな革命であった。
このワン・ウェイは日本に大きな公害問題をひき起こすことにもなりました。ちまたにアルミ缶やペットボトルが氾濫し、その収集と処理は、消費者と自治体にまかされ、製造・販売メーカーは何の責任もとらず、負担もしなかったのです。便利なものには、深い落とし穴もあるという見本です。
1972年にホット・オア・コールド機が出来、1976年にホット・アンド・コールド機が出来ました。ホット・アンド・コールド機は、季節ごとに機械を置き換えなくてすんだ。ホット・アンド・コールド機では、一台で、同時にホットコーヒーもアイスコーヒーも提供できた。値段は40万円。コーヒー自販機中心に自販機が普及した。1971年の17万4000台から、1776年の31万5000台、1979年の51万6000台へと飛躍した。
私は今でも不思議です。あの大きくもない自販機が一台で、ホット缶もコールド缶もボタンを押すだけで手に入るカラクリが不思議でなりません。
1974年、自販機の普及台数は513万9000台と、500万台の大台に乗せた。出荷台数も1989年には73万5000台を記録した。しかし、これが頂点だった。
1991年ころ、酒店などの店頭にある自販機が道路にはみ出していることが全国的に社会的な大問題となった。たしかに歩道上に我が者顔で自販機がのさばっていましたね。
そこで、1992、1993年には、自販機をいかに薄型化するかについて、メーカーは激しく競争した。そして、1994年を境として、自販機価格は暴落の時代に入った。
自販機は、各国、文化によって好まれる設計・仕様がちがう。アメリカでは簡単・頑丈な機械が好まれ、日本では精巧・緻密な機械が普及した。
これからの問題は、中国に自販機が根づくかどうかだ。
また、ノンフロン対策の問題もある。松下はプロパン、富士は炭酸ガスをつかっている。炭酸ガスを圧縮するのにはプロパンより高圧が必要となり、その分コストが高くなる。
自販機を開発し、普及するまでの苦労話がよくまとめられています。欲を言えば、もう少しメカニズムについての初歩的な解説もいれてほしいところです。私はアンチ・コンビニ派ですが、アンチ自販機ではありません。よく利用しています。それにしても、夏を迎えた今、街頭にあるほとんどの自販機がコールド一色なのが不満です。熱いコーヒーを飲みたいことだってあるのです。幸い、弁護士会館内の自販機はいつもホット・アンド・コールド機となっています。デミタス・コーヒーを愛飲しています。
2007年6月27日
子どもの脳を守る
著者:山崎麻美、出版社:集英社新書
日本ではまだ数少ない小児脳神経外科医として30年間働いてきた医師によるレポートです。貴重な、胸うつ体験のかずかずが紹介されています。
まず最初は虐待です。幼児虐待には身体的虐待、養育放棄(ネグレクト)、性的虐待、心理的虐待がある。小児脳神経外科医が扱うのは、身体的虐待のうちの頭部外傷。
児童相談所における虐待相談件数は、2004年には1990年の30倍にまで増加した。これには児童虐待防止法も寄与している。虐待の疑いがあったら、とにかくすぐ通報することを求めているからでもある。
子どもの脳は頭蓋骨の縫合のゆるさ、頭蓋骨と脳の成長のアンバランスさにともなう架橋静脈の緊張など、ハードの面から見れば大人よりも弱く、傷つきやすい。しかし、機能面からみると、リカバリー能力や代償性にすぐれているため、それだけ可塑性は高い。だから、子どもの脳は傷つきやすく、悪くなるときも急激に悪化するが、いったん良くなりだすと、その回復力は目を見張るものがある。
少なくとも3歳児までの子どもの養育は母親が行うべきだという「3歳児神話」がある。しかし、これは正しいだろうか。むしろ、母親と子どもが密着しすぎているために起こる問題がある。父親をはじめとする他の養育者のかかわりの薄さが大きく影響している問題でもある。母親だけが子どもの養育にかかりっきりになる必要はない。
この点は、私もまったく同感です。子育ては楽しいものと思いますが、お互いたまには息抜きが必要ですよね。保育園に子どもを預けるなんて可哀想だという人がまだいますが、私にはとても信じられません。
母親が生き生きしていること、それが子どもにいい影響を与える。大切なことは、母親だけに養育の義務や負担を押しつけないこと。いたずらに「3歳児神話」を喧伝して、母親に子育ての不安をあおりたててほしくない。子どもは子どもでたくましく育っていくし、自ら状況を乗りこえていく力がある。
現実にひどい虐待を受けて育った子どもに、将来、大きくなったときに、今度は虐待の加害者になる可能性は高いですよ、というのは傷口に塩をすりこむようなもの。
うーん、なるほど、たしかに、そうなんでしょうね。
子どもが死んでいく病気に直面させられるとき、子どもにとっては、病気そのものや手術そのものではなく、自分がこれから何をされるのか分からないことが怖いのである。その分からなさが不安を生む。手術室はどうなっていて、そこでどんなことをするのかをきちんと教えてあげれば、手術という状況への適応は、子どもにとって案外、難しいことではない。むしろ、どうせ子どもだから言っても分からないだろうと何の説明もしなかったり、妙にごまかすような態度をとることのほうが、余計な不安や恐怖を与えてしまう。
うむむ、この指摘は、ナットクです。
日本の現在の出生数は年間100万人。そのうち800人に先天的な水頭症がある。妊娠中に55%が発見される。では、そのとき、どうするか。水頭症だと分かっても、48%の子どもは普通に生活できる。
たしかに、なかなか悩ましい事態ですよね。
いま、医師国家試験の合格者のうち3人に1人が女性。2002年と比べて、2004年には20歳代の男性医師が750人減り、女性医師は500人増えた。30歳代の男性医師は1400人減り、女性医師は1150人増えた。
いまだに日本の医療の現場では、女性が子育てをしながら医師を続けるのが難しい現実もある。さて、弁護士の場合はどうでしょうか・・・。
この本は、著者が私のフランス語学習仲間の女性の妹さんだということでいただきました。医療現場の実情がよく分かる本でもあります。