弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2009年10月14日

小沢一郎、虚飾の支配者

著者 松田 賢弥、 出版 講談社

 ついに政権交代が実現しました。政権が変わることによって、すべてがたちまちバラ色に変わるなんて、まったく思いません。でも、長く続いた自民党政治を、一刻も早く終わらせたいとは、大学生のころから、つまり40年間、ずっと思い続けてきました。それがようやく実現して、感無量です。
 アメリカでは一足早く、チェンジつまり変革を叫んだオバマ政権が誕生しました。どうせ同じアメリカ帝国主義じゃないか、そんな冷めた見方もあります。だけど、オバマ大統領は核廃絶を真剣に呼びかけているじゃないですか。環境問題についても、前のブッシュとは比べものにならないほどの真面目な取り組みをすすめています。イラクから撤退するという方針も評価できます。ただし、なぜ今もってアフガニスタンにこだわるのか、その点はさっぱり理解できません……。
 いいものはいいと、高く、きちんと評価する。それは、オバマ政権であれ、今度の民主党政権であれ、必要なことだと思います。無用なダム建設をやめる。後期高齢者医療制度を見直す。子ども手当を支給する。いろいろ、いいことを打ち出しています。私は、大歓迎です。教育予算を増やして、高校だけではなく、大学まで授業料も無料とし、学生には生活費も補助するというように、日本は人材(人間)育成にもっとお金をかけるべきです。ダム建設よりも、よっぽど有効なお金の使い方だと思います。
 それにしても、気になるのが、「ダーティ小沢」です。この本は、次のように叫んでいます。
政権交代の前にはすべてが許されるのか。政権交代という看板を掲げていれば、ゼネコンから巨額なカネをもらい、その金も化けた政治資金で10億円にのぼる不動産を買い集めたことに一片の釈明もしなくていいのか。
 小沢は、「やましいことは一点もない」という。果たして、本当なのか……。
 小沢にとって、権力とはカネだ。小沢にとって、政治とは自身のあくなき権力欲を満たすためのものではないのか……。
 民主党の幹事長という要職を占める小沢一郎は、今こそ国民の前で自らの疑惑について語る必要があると思います。秘書に責任をなすりつけてはいけませんよ。
 西松建設の裏金の総額は、20億円をこえる。うち、国内分が10億円、海外分が10億円。国内分は、全国の支店が下請業者から工事費を還流させたり、架空経費を計上したりする手口を使っていた。
 ところが、小沢は次のように開き直っている。
 「ゼネコンから選挙の応援を受けたり、資金提供を受けてなぜ悪いのか。応援してもらうのは、あたりまえでしょう」
 小沢一郎の政治団体は、政治資金パーティを開いて、4年間で4億円近くも集めた。ところが、そのパーティ券は、どこの誰が買ったか明らかにされていない。これではまったくのザル法ですよね。
 小沢は、陸山会の政治資金によって、1994年から都内にマンションを買い始めた。今や、10億円を超える。すべて小沢一郎名義である。
 虚飾に覆われた小沢の支配者の仮面は、いつか剥がれおちる日が来るだろう。小沢一郎の仮面が剥がれたとき、民主党も政権を手放すことになるのか、それは今のところ予測がつきません。脱ダム、脱公共工事をすすめていったら、脱小沢一郎になってしまいます。それを小沢一郎が許すのかどうか。そのせめぎあいが当分つづくのではないでしょうか。
 民主党の暗黒面、自民党と同じ利権体質の政治家が生き延びるのか、ぜひとも注目していきましょう。

 連休中に、青空の下、モズの甲高い鳴き声を聞きながら、庭にチューリップの球根をせっせと植えつけていきました。畳1枚半ほどのスペースに、200個の球根を植え付けました。スコップで一個一個掘るので、ついに親指の付け根のところに豆ができて、つぶれてしまいました。
 いま、庭には黄色いリコリス、そして同じく黄色のエンゼルストランペットが咲いています。地面の足もとにはピンクかかった白いゼフィランサスの可憐な花もあちこちで咲いています。
 空を見上げるとピンクの芙蓉もまだまだ咲いていて、そのそばを赤とんぼが悠々と飛んでいました。稲刈りも間近です。秋も深まりました。
 
(2009年7月刊。1500円+税)

2009年10月 9日

1968(上)

著者 小熊 英二、 出版 新曜社

 1968年というのは、私が初めて東京で過ごすようになって大学生活の2年目でした。安田講堂を突然占拠した学生を排除するために、起動隊が導入されたのが6月のこと。それから長いストライキ闘争が始まりました。翌69年3月まで授業はなくこの年4月に東大は新入生を迎えることができませんでした。
 この68年4月から69年3月までの1年間の学生たちの動きを、体験をもとにして丹念に追って小説としたのが『清冽の炎』1~5巻(花伝社)です。残念ながら反響がなく、ほとんど売れませんでした。この本は、その『清冽の炎』も何回となく引用しながら、東大闘争とはなんだったのかを論じています。
 しかし、いやはや、さすがは学者です。上巻だけで1090頁もあります。東大闘争の部分だけでも300頁もあります。そして、引用できるあらゆる活字資料にあたったようです。とくにすごいのは、当時の週刊誌にまであたって、引用していることです。
 東大全共闘とセクトの関係について、私はセクトの影響力というか支配力は、著者の指摘よりは強かったように見ています。
 各セクトの勢力は拮抗状態で、一つのセクトが東大全共闘を支配することはできなかった。東大では支配的セクトがなく、ノンセクト活動家も発言力を持つ柔軟な運動が可能となった。
 ここでいう柔軟な運動というのは何なのでしょうか。私には思いつきません。全共闘は全学バリケードストライキを一貫して狙っていました。そして、東大解体をスローガンとして叫んでいたのです。
 ノンセクト活動家が中核に位置したことは、セクト嫌いの学生を、東大全共闘に引きつける効果をもたらした。
 たしかに、こう言える面はあったかと思います。東大解体、帝国主義大学解体、自己否定しろという叫びを聞いて、胸に手をあてて考えた東大生がいたことはたしかです。でも、東大をやめて行った人は、ほとんどありませんでした。私の知る限り、たった一人だけです。彼は、中退して工場労働者として働きはじめ、組合活動をしていました。やがてバレて経歴詐称として解雇されたので、裁判闘争に持ち込みました。彼はタカ派の自民党代議士の息子でした。いま、彼は一体どうしているのでしょうか……。
 東大闘争では、運動の副産物であった「主体性の確立」が目的化したのと似て、「自己の生き方を問う」ことが主題として浮上してくるという特異な展開をとげていった。
 「自己否定」とは、エリートによる、エリートのためのスローガンであった。東大全共闘が占拠した安田講堂は、大学側が電気・水道・ガスを供給し、東大の代表電話にかけたら、安田講堂内の全共闘メンバーを呼び出せた。大学当局の保護下での占拠なのは明白だった。
 東大全共闘の闘争は、彼らが避難した日本の「大学の自治」の通念に守られていたからこそ可能だった。
 日大闘争が終わったとき、日大への絶望感から、1万人の中退者が出たのに対して、東大闘争で東大を中退した学生は少数だった。
 宮崎学の『突破者』は、私も面白く読みましたが、図書館前で激突したのが宮崎学の指揮する「あかつき戦闘隊」、著者のいう「共産党の行動隊」というのは、いささか事実に反しています。そこには駒場から駆けつけた大勢の学生が主力だったのです。もちろん民青ばかりではありません。全共闘による占拠に反対する声はかなり強く、身体を張ってでも阻止しようという学生は少なくありませんでした。これは、よく考えてみれば当たり前のことではないでしょうか。
 何の手続きも踏まずに一方的に暴力的に図書館などの建物を占拠して、出入りを禁止しようという動きがあるのに怒って、それを阻止しようと考える学生は多かったのです。もちろん、あとで聞いて知りましたが、宮崎学の「あかつき戦闘隊」も背後に控え、ときに前面に出てきていたのかもしれません。しかし、東大全共闘対「共産党の行動隊」という図式で描かれてしまうと、その場に居合わせた多くの駒場の学生は、ええっと驚き、のけぞってしまうと思います。
 ただ、東大全共闘が一般学生から指示を失いつつも、3割台で一貫していたという点は、たしかにそうだというのが私の実感でもあります。というのは、69年3月になって、ようやく授業再開しようというときに、まったく新手の全共闘のデモ隊が来るのに驚き、かつ、呆れた覚えがあるからです。でも、本格的に授業が始まると、直ちに平静になり、民青やクラ連だけでなく、全共闘の学生までみんな授業に出て、半年間の遅れを取り戻そうとしていました。もちろん私も、ご多分にもれません。
 ともあれ、1968年に何があったのか、そこでは何が問われていたのかを知るためには、必須、不可欠の本だと言わなければなりません。私も大いに勉強になりました。
 
(2009年7月刊。6800円+税)

2009年10月 5日

ラブホテル経営戦略

著者 山内 和美、 出版 週刊住宅新報社

 ラブホテルは不況に強い投資物件だ。そうかなあ、いや、そうだろうな・・・。ラブホテルのプロデューサーが若い女性だというのにも驚きました。そして今や、ラブホテルには、美味しい料理があり、リピーターで持っているのだというのです。世の中、変わりましたよね。
 ラブホテルとは法律上、風俗営業法の規制及び業務の適正化等に関する法律(風営法)の届け出をして営業しているホテルのこと。
 ラブホテルには昼間からたくさん客が来る。宿泊より昼の休憩の利用客が多い。昼は不倫が多い。不倫の客はラブホテルにとって大切なお客様である。
 もう一つの大切なお客様はデリヘルなどの玄人。1部屋が3回転、1回転あたりの客単価は平均7000円。1日あたりの1部屋の売り上げが2万1000円。月にして63万円。つまり、1部屋あたりの平均売り上げは50~60万円。これが20室で、月1000~1200万円。これが並より少し上のランク。
 一般的にラブホテルとしてもっとも効率が良いのは、20~30室。
 20室で月1200万円の売り上げだと、経費は半分なので利益は月600万円。3億6000万円でホテルを買収して、2~3年で投資金額は回収できる。
 仕入れも在庫もない。そして現金商売である。これが儲かる仕組みだ。
ラブホテルのお客のメインは、20歳代~30歳、40歳代。若い世代。安い部屋を多く利用する若い層をどれだけ固定客にするかでホテル経営の成否を分ける。
 ラブホテルのお客様はリピーターが7~8割。ラブホテルは、リピーターがつきやすい商売である。ラブホテル代を割り勘にするカップルや、女性が支払うケースは普通にみられる。ラブホテルは野立看板で誘導する。
 全国のラブホテルで稼働しているのは2万軒。そのうち、コンピュータシステムは半分。残り半分はまだアナログ系。ラブホテルの備え付けのアメニティとして化粧品やシャンプーを置いているが、不倫が勘づかれないよう匂いのあるものは置いていない。
 なーるほど、そうでしょうね…。
コンピュータシステムを入れていないホテルでは、従業員の不正に頭を悩ませることになる。不正を防止するため、オーナーは、24時間、365日営業のラブホテルでいつも監視していなければならなくなる。疲れて病気になってしまう。
 実際、私も同じ話を聞いたことがあります。
ラブホテルのことが少し分かりました。それにしても、ラブホテルを経営して儲かるためには大変な苦労が必要のようです。

北九州へ行ってきました。スペースワールドのすぐ前のホテルに泊まったのですが、土曜日の昼というのに、スペースワールド駅から降りる人はほとんどいません。そして、日曜日も快晴でしたが、駅に人はパラパラとしかいません。大きな観覧車に乗っている人もごく少なく、これでは動力代のほうが高くつくでしょう。
北九州市が鳴り物入りで始めたスペースワールドがこんな悲惨な状況にあるのを実感しました。
 そもそも、地方自治体がテーマパークに大金を投入すること自体が間違いだと思います。大牟田のネイブルランドは30億円も大牟田市が借金返済していますが、当時の市長も誰も、責任をとっていません。こんな税金のムダづかいは許せません。

(2009年8月刊。1700円+税)

2009年10月 3日

北の反戦地主、川瀬氾二の生涯

著者 布施 祐仁、 出版 高文研

 矢臼別演習場のど真ん中で生ききった反戦地主の等身大の実像を素直なタッチで紹介しています。
 矢臼別演習場の広さはなにしろJR環状線内の大阪市街と同じほど。1万7千ヘクタールもある。155ミリ榴弾砲をフル射程で撃てる。陸上自衛隊だけでなく、最近では、沖縄に駐留するアメリカ海兵隊も訓練している。これはイラクのファルージャ掃討戦をやった部隊です。白リン弾を使ったとして国際的に非難されましたが、その白リン弾の射撃訓練も矢臼別でやったようです。
アメリカ海兵隊の輸送は行きは自衛隊機、帰りはチャーターした民間機が使われた。武器、弾薬の輸送は日通が請け負った。警備を担当した北海道警察は900人の警官を動員した。町の公民館や体育館が、その宿舎に使われ、その間、住民は利用できなかった。
 射撃情報警告塔は電光掲示板付きで17億6000万円。食費6億4500万円。宿舎3億6500万円。野外トイレ6200万円。次々に豪華なアメリカ軍事用施設が作られていった。すべて日本政府の負担。つまりは、日本国民の税金によって建てられたもの。ここでも思いやり予算は生きている。
 馬を飼っていた。その馬は演習場の中を自由に駆け回り生きる。馬舎というのはないのです。馬は塩を与えると寄ってくるのだそうです。
 川瀬さんは農民組合の書記長もしたが、実は食えなくて出稼ぎにも行ったし、ストレスから自律神経失調症となった。奥さんとも離婚する寸前までいった。
 そんな川瀬さんが自分のことをこう語った。みんな、俺のことを強い信念を持った立派な人だから、ここまで頑張っていると思って来る。しかし、そういう人間だったら、多分、ここにおれなかった。ここに残ったのは、ここを出て行く勇気がなかったからとしか言いようがない。馬を演習場の中に野放しにするなんていうずぼらなやり方は、いい加減な人間にしか出来ない技だべな。だから、ここにおれたのは、グズで、ぐうたらで、どうしようもない人間だったからだと本当に思っている。オレの意思でここにいたわけではなくて、ここにおらされたんじゃないか。そのときどきいるようにいるようになってたんだ。こうゆうのを運命っていうのかな。
 とても素朴な述懐です。なるほど、そうだったのかもしれないなと思いました。まったく気負いというもののない率直な人柄のにじみ出てくる言葉です。
 でも、それが世の中を少しずつ動かしていったのですね。いい本でした。ありがとうございます。

(2009年6月刊。1600円+税)

2009年10月 2日

壊れても仏像


著者 飯泉 太子宗、 出版 白水社

 仏像の修復作業に携わっている著者による本です。仏像について、いろいろ教えられました。美術院国宝修理所というのがあることも初めて知りました。
 本物の仏像の前に立つと、何かしら時間とは何かということと同時に考えさせられるものがありますよね。
 アフロ仏と呼ばれる、頭がアフロヘアーになった阿弥陀如来(あみだにょらい)像がある。人々をどうやって救おうかとあまりに長く考えていて、髪の毛が伸びてしまったのだそうです。五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏というそうです。一度見てみたいものです。
 平安時代の仏像は一木作りの仏像が多い。単純な一木作りのほうが、江戸時代の寄木作りよりも遙かに耐久性に優れている。寄木作りは、小さい木材でも大きな仏像を作ることが出来る利点がある。しかし、木材と木材とを接合するために一手間かかり、時間が経つと接合面の接着部が弱まって外れてしまう欠点も持っている。
 一木作り(いちぼくづくり)は、頭の先から足底までを一本の木から彫りだした像のことで、ほとんどの場合、両腕や足先については別材を剥ぎつけている。この一木作りは、干割れやねじれが出やすいという問題点がある。そこで、内側を取り除いて中空にしてしまう。
 仏像を修理するときには、そこにあるホコリも粗末に扱えない。その中に仏像の破片が埋もれているかもしれないから。そして、修理が終わったら、ホコリも元あったお寺に残しておく。ホコリも粗末に扱えないのですね…。
 仏像を博物館や美術館に並べる前にはもちろん、修復するときも「魂抜き(たましいぬき)」とか「御霊抜き(みたまぬき)」ということをする。修復が終わり、展示が終わると、魂入れをする。これは、一般の法事と考えていい。
 なるほど、ですね。一般人だって家を建てるときには地鎮祭という儀式をするのが通例ですから、当然でしょうね。手書きイラストもあって分かりやすい、親しみやすくもあり、仏像の修復のことを少しばかり知ることが出来ました。
 まだ35歳と若い著者ですが、5年ほど前に、夫婦で1年半ものあいだ世界中の文化遺産を見てまわったということです。すごいことです。たいしたものですね。還暦を迎えてしまった私なんか、とてもそんな元気はありませんが、あこがれてしまいます。

(2009年7月刊。1700円+税)

2009年10月 1日

ベトナム戦場再訪

著者 北畠 霞・川島 良夫、 出版 連合出版

 アメリカのベトナム侵略戦争反対。こんなシュプレヒコールを何度と叫んだことでしょうか。東京・銀座の大通りを、夜中、両手を大きく広げてデモ行進したこともあります。なぜだか知りませんが、これをフランスデモと呼んでいました。元気一杯、私がまだ20歳になる前のことです。
 私が大学に入った1967年はアメリカ軍が50万人ものアメリカ兵をベトナムに送り込み、ジャングルでベトコン(ベトナム解放民族戦線)と死闘を繰り広げていました。
 テト攻勢で、ベトコン(これはアメリカの呼び名です。私は解放戦線と呼んでいました)の決死隊がアメリカ大使館を数時間にわたって占拠し、それがテレビで大々的に実況中継され、ベトコン強しを強く印象づけたものです。この決死隊は、やがて反撃に出たアメリカ海兵隊によって全滅させられました。
そんなベトナム戦争を毎日新聞の特派員として現地で取材中、カメラマンとともにベトコンに身柄を確保され、やがて釈放されたという体験を持つ記者が、そのときの写真を手がかりとして、40年ぶりに現地を再訪したのです。そして、驚くべきことに、写真に写っている一番若い兵士が生存していたのでした。
 ベトナム戦争を支えていたベトコンなるものの実体が、実は、どこにでもいるフツーの農民であったことがよく分かります。舞台はクチの近くです。クチはホーチミン市の郊外にある有名なベトコンの拠点であり、今では観光名所となっているところです。
 著者たちがベトコン兵士に拘束されたのは1967年6月のこと。私は東京で大学生活を始めたばかりです。ベトナム戦争ってアメリカが悪いと素朴な気持ちで思っていました。記者とカメラマンは銃も何も持っておらず、まもなく日本人ジャーナリストと判明して、数時間後に解放されます。そして、その帰り際、パイナップルをおみやげに持たされたのでした。この体験を著者は記事にして早速、日本に届け、6月27日の夕刊に大きな記事が毎日新聞に掲載されたのでした。脳天気な2人の笑顔写真まで載っています。といっても、この原稿はテレックスで送信検閲に引っかかるので、たまたま東京に帰る人をつかまえて、手荷物で運んでもらい、東京で投函してもらったのでした。
 40年後、ベトナムの現地にこのときの写真をもって訪ねたのです。この写真は、カメラが2台あり、自分たちを撮ってくれるカメラのシャッターと同時に別のカメラでベトコンの人たちを膝の上から撮ったものです。よくぞベトコンに気がつかれなかったものです。それにしても、ピントがよくあった写真です。
 写真に写っている4人のうち2人は死亡し、一人は消息不明で、一番若い兵士の所在がつかめました。不思議な縁です。まあ、人生、何事もあきらめずに試みてみるものだ、ということでしょうね。
 今では、ベトコンに拘束されたあたりはすっかり様変わりしていました。私が2年前にベトナムに行ったときもあまりににぎやかな大都市でしかなく、ここで、かつて戦争があっていたなんて、そんな印象はまったくありませんでした。
 生き延びた兵士は、サイゴン軍(アメリカ軍)の近くにいた方がかえって安全だったと言うのです。爆撃にあう心配がないからです。なるほど、ですね。
 いま、ベトナムは人口8520万人、そのうち30歳以下が6割、20歳以下で4割を占めている。若い世代が圧倒的に多い。ということは、長生きできないということなのでしょうか。それともベトナム戦争の後遺症なのでしょうか。
 ベトナムの若者に前に紹介しました『トゥイーの日記』が大変よく読まれているそうです。なんだか、ほっとしました。やっぱり過去は忘れてしまえばいいというものではありませよね。『トゥイーの日記』は実に泣けてくる本です。まだ読んでいない人は、ぜひ読んでみてください。ベトナム戦争の大変さがひしひしと伝わってきますから…。

(2009年2月刊。2200円+税)

2009年9月30日

金融システムを考える

著者 大森 泰人、 出版 金融財政事情研究会

 民主党はしきりに脱官僚をとなえていますが、私はなんだか素直には信じられません。胡散臭いものを感じてしまいます。前の自民党も、何かというと悪政は官僚のせいにしていましたが、同じことになるのではないでしょうか。本当の悪は隠しておいて、国民の目に見えやすい官僚を悪人に仕立て上げている。そんな気がしてなりません。
 実は、私も高校生の頃は官僚志向でした。大学に入って、川崎でセツルメント活動として若者サークルに入って同年○○の労働者と遊んだり話したりしているうちに、官僚になることを考え直したわけです。でも、同じセツルメント活動をしていた仲間で官僚になってからも「変節」「転向」などしなかった人が何人もいます。ですから、官僚が悪だというのは、単純な誤った、ためにする見解・考え方だと私は思うのです。だって、官僚システムなしに国家が動くわけはないのですから。天下り禁止とか、具体的なことについては私も必要だと考えています。
 年収2億円の取締役を何十人もかかえている大企業の経営者が、悪いのは官僚なんだと言うとき、ええっ、本当に悪いのはあんたでしょ。そう言ってやりたくなります。そして、日本にもある軍事産業、アメリカ軍と自衛隊に結びついて利権を吸い続けている防衛族という政治家たちではないでしょうか。おっと、この本の紹介に入る前に長話をしてしまいました。今の官僚にも、こんな気骨のある人がいたのですね。たいしたものです。すごい自信家のようですが、その自信は一体どこから来ているのか、教えてほしいものです。うらやましい限りです。
 著者は、貸金業規制法を改正して貸金業法に変わったときの立役者の一人です。貸金業法の完全施行の期限が目前に迫っている今日、貸金業界は最後の巻き返しに必死になっています。それを許さない取り組みが今求められています。
 現在のアメリカという国家に対する著者の認識は次のようなものです。私も、まったく異論がありません。
無辜の市民がテロリズムの犠牲になったのを契機に、周囲の反対を押し切って力に訴え、無辜の市民を犠牲にし続けているうちに、どこかこの国がおかしくなったように感じる。社会保障制度や税制においても、現在のアメリカの国内政策でもっとも欠けているのが、貧しい者への視点であり、格差是正につとめる代わりに、宗教的蒙昧や盲目的愛国心を鼓舞しているようだ。
 そして、著者はカウンセリング体制の充実にも目配りしています。この点も、私が意を得たりという気がしました。
 これまで、多重債務問題に取り組んで成果をあげてきた組織や自治体を拝見すると、例外なくそこには、強い問題意識と使命感を持ち、借り手の悩み、苦しみに真摯に耳を傾け、人生をやり直すべく強烈にインスパイアするカリスマっぽい人がいるのである。
 借金とは私人間の問題であるにとどまらず、地域住民の貧しさを背景とする構造的な問題なのだという認識が深まってきた。貧しい人たちに生活保護を提供するのか自治体の仕事であるなら、貧しい人たちが多重債務に苦しむのを救うのか自治体の仕事でないはずがあろうか。
 不安が鬱積する社会においては、身分の安定した公務員への風当たりが強まるのは避けられない。
 この本を読んで、キャリア官僚が世の中の現実を知るために、ブログをよく読んでいることを知って驚きました。パブ・コメ(パブリック・コメント)なるものがありますが、世の中にあまたあるブログを歴訪して世間の動きを知っているというのです。
 ここには詳しく紹介しませんが、「大森十戒」と呼ばれるものも載っています。すごい内容です。
 行政官の仕事は結果がすべてである。結果とは、国民への貢献である。国民に貢献しないすべての努力は無駄である。
 あらゆる固定観念や従来のしきたりにとらわれることなく、無駄と偽善としたり顔を憎み、しなやかに柔軟に考え、行動する必要がある。
 国民のためではなく、上司のためと考えた途端、膨大な無駄と精神の退廃が始まる。上司とは、部下の仕事に国民にとっての付加価値を加える能力を有する者をいう。この意味での上司でない者は、意志決定プロセスから事実上除外し、階層をフラット化する必要がある。
 働くとは、傍を楽にすることである。はたを楽にしているつもりで消耗させているだけの人間には、通例、自覚症状がない。このような場合には、階層をこえて直訴し是正させることが部下として正義人倫にかなう行動である。
 ええーっ、ここまで、こんなことをキャリア官僚が言っていいのかしらん、腰を抜かすほど驚いてしまった私でした。
 市場とは、自分だけは得したい欲張りの集まりであり、そこでの不正や弊害は「起こってはならないこと」ではなく「起こったら摘発されるべきこと」である。
 よくぞ言ってくれました。そのとおりです。キンザイの伊藤洋悟さんから贈呈を受け読みました。期待した以上に大変面白い本でした。ありがとうございます。
 
(2008年3月刊。2800円+税)

2009年9月29日

自衛官の人権を求めて

著者 出版社  海上自衛艦「さわぎり」の人権侵害裁判を支える会

 1999年11月8日、海上自衛隊佐世保地方総監部所属、当時21歳の3等海曹が護衛艦「さわぎり」内で自死した。その日は彼の誕生日であり、結婚して子どもができたばかりだった。両親は息子を自死に追いやった責任を追及すべく裁判を提起した。一審は敗訴したものの、福岡高裁は国の安全配慮義務の怠慢を認めた。
 自死した海曹は高校を卒業し、競争率12.3倍という一般曹候補学校の試験を突破して海上自衛隊の曹候補学生として入隊した(1997年4月)。
 曹候補学生は、一般入隊の隊員と比較すると、昇進が数年は早い。3曹になるのに一般隊員からだと6年から8年かかるのに対して、2年ですむ。このことがたたき上げ組と曹候補生組との軋轢を生んでいる。
 同じ分隊内部で、こいつは出来ないというレッテルを貼られると、大変なことになる。護衛艦のような閉鎖社会の中では、当事者に必要以上の劣等感を植え付けることになる。艦内生活は心理的にも物理的にも閉鎖された社会である。そこは完全にプライバシーのない集団生活の場である。
護衛艦「さわぎり」の乗組員は180人いた。古参海曹が曹候補生から若くして3等海曹に昇進する隊員を妬みやいじめの対象とすることは何ら不思議なことではない。そして、狭い艦内に逃げるところは残されていない。
 自衛隊内で人権、人権と言っていたら、戦争は出来ない。
 これは、国会内で審議中に飛ばされた自民党議員の野次。しかし、日本国憲法の下、自衛隊も日本人である限り人権は保障されている。
 防衛庁の高官が共産党の国会議員に対して「自衛隊が軍国主義にならないように頑張ってくれ」と声をかけてきた。その議員が何が軍国主義なのかと問い返すと、「自衛隊が自分の思うことはみんな通そうとし、自分の主張があると不満を持つようになることだ」という答えが返ってきた。
 なるほど、それって怖いことですよね。
自衛官の自殺は増加の一途にある。過去の自殺者数は年間30~50人で推移していたが、2000年に過去最高の81人になり、2004年度から2006年度は100人台を記録した。この10年間で846人もの自衛官が自殺した。その原因の主要なものに「いじめ」がある。
 自衛隊員でイラクなどに派遣された人は延べ2万人にのぼるが、任務中の死亡は42人いる。そのうち20人が自殺である。
 ちなみに、自衛隊から脱走をする隊員が年に300人を越えている。
 戦前の軍隊でもいじめがあり、かなりの自殺者がありました。自衛隊内の人権無視の訓練が「しごき」と称するいじめになっている気がします。
 自衛隊というのは日本最大の国家公務員集団ですから、日本人みんなが注目し、監視すべき存在ではないでしょうか。この本は、その点を考えさせてくれます。

(2009年9月刊。1000円+税)

2009年9月28日

夜中にチョコレートを食べる女性たち

著者 幕内 秀夫、 出版 講談社

 20代、30代の若い女性に乳癌、子宮癌、卵巣癌、子宮筋腫、子宮内膜症、卵巣のう腫などの病気が増えている。それらの女性は決して肥満体ではなく、見た目の言いスマートな女性に多い。やはり、その原因は食生活にある。もっとも多いのは、きちんとした食事をしないで甘い菓子類で胃袋を満たしているケースだ。
 乳ガンは、食生活の影響が大きい。食生活80%、遺伝20%。アメリカで生活している日系アメリカ人女性が乳ガンになる確率はアメリカ人と比べてほとんど変わらない。
 チョコレートは、もともとドラッグそのものだった。気分を高めたり、高揚感をもたらす、興奮剤としての役割がある。戦争に際して、士気を高めるために兵士に飲ませていた。
 チョコレートの魅力の一つは、テオブロミンという成分にある。これが中枢神経に働くと幸福感をもたらしてくれる。最近、目立つようになったのが夜中にチョコレートを食べる女性たちの一群である。
 生物であることを押し殺すとまではいかないとしても、それを抑えて生きている。その息苦しさを、売春やショッピングではなく、もっと安全で安価な快楽「食べる」という行為に走らせている。乳ガンは結婚している女性よりも、結婚していない修道女に多い。
 女性の高脂肪型食生活の最大の原因はパンの常食にある。食パンはお菓子である。そして、朝食は1日中、体に影響する。
 そこで、著者は一日に2回は白いご飯を食べようと提唱しています。
朝食は、ぜひ、ご飯を食べる習慣をつけてほしい。昼食は、そばやうどんの「ひらがな主食」をすすめる。パン、パスタ、ラーメンなどの「カタカナ主食」は、脂肪過多になりやすいので、すすめない。
 ついでにサラダを買うのもやめる。マヨケソ(マヨネーズ、ケチャップ、ソース)はなるべく使わない。夕食と呼べるのは夜8時までで、そのあとは夜食となる。そのときは、できる限り軽くするしかない。夕食のおかずは野菜を中心とする。
 どうしてもチョコレートを食べるなら、なるべく高級なものにする。少し食べて幸福感を味わうのである。なるほどですね。実はうちの娘も忙しさの余りきちんとした食生活ができず、お菓子で空腹感を紛らわせているといっていました。なるべく町の定食屋さんに行くように言っているのですが…。
 うちの庭には、今、リコリスともいうのでしょうか、淡いクリーム色の曼珠沙華の花が咲いています。色気たっぷりのピンク色の芙蓉の花も元気いっぱいです。
 ナツメの木があまりに高く伸びていましたので、枝の途中から切りました。ついでに、隣のスモークツリー(かすみの木)も切って、天空がすっきりした感じになりました。
 夜が早くなりましたね。6時すぎると暮色が濃くなります。虫の音とともに秋の深まりを感じます。

   (2009年6月刊。1400円+税)

2009年9月25日

市民輝く狛江(こまえ)へ

著者 矢野 ゆたか、 出版 新日本出版社

 東京都にある人口8万足らずの小さな市で13年間にわたって市長を務めている著者による体験レポートです。大変面白く、うんうんと共感しながら読み進めました。読み終わってさっぱりした爽快感があります。
市長としての気苦労は大変なものがあると思いますが、著者はかなりの楽天家のようです。表紙にある顔写真の屈託のない笑顔がとても素晴らしく惹きつけられます。
 この本を読んで感銘を受けたところは多いのですが、なかでも挨拶についてのこだわりというところはさすがだと思いました。
 政治家として言葉を大切にしてきた。言葉や活字にどれだけ自分の思いを込められるか、言論を通してどれだけ市民に伝えられるか、政治家はここで勝負すべきだと思っている。
 職員の書いた挨拶原稿を棒読みにするのでは市民と市政との溝は埋まらない。挨拶を大事にするため、担当課に下原稿を書いてもらう。これは、その事業の正しい実態をつかみ、職員の見方も念頭に置いて話すためだ。そのうえで自分の言葉に直し、話しやすい流れに書き換え、持ち時間に字数を合わせる。したがって、挨拶原稿は職員との合作で完成する。そして、前の晩に原稿内容を頭に入れ、当日は原稿なしで話す。
 すごいですね。たいしたものです。実は私もなるべくこの矢野方式を実践しています。原稿を書いたうえで、当日は目の前の聴衆の顔を見ながら、即興を交えて話すようにします。もちろん予定時間は厳守します。
 裁判員制度が始まりました。福岡の第一号裁判でも、弁護人は原稿を見ずに、メモを手にすることなく、裁判員に語りかけるように話していったそうです。簡単なようで、とても難しいことです。
 著者は、市長になる前、日本共産党公認の市会議員として6期目に入っていました。ところが、現職市長が突然、賭博で莫大な借金を作ったことを告白し、失踪してしまったのでした。バカラ賭博で40億円もの借金を抱えたというのです。そんな状況で、市民からの要請を受け、投票日の1ヶ月前に出馬表明して、ついに当選したのでした。
 大型公共事業を減らし、生活道路など中小零細業者ができるレベルの事業を増やしたため、市内業者の受注率は上がった。
 狛江は犯罪の発生件数が東京でも一番と言っていいほど少なくなっているそうです。市民による防犯パトロールの成果だということです。しかも、これが市の予算措置はなく、ボランティア活動として続いています。
 多数野党の横暴に抗しつつ初心と政策を貫いていった著者のたくましさには感嘆するばかりでした。同じ団塊世代ですが、私より少しだけ年長です。ぜひ、これからも元気にご活躍ください。
 連休中、久しぶりに近くの山に登りました。しばらくは森のなかを歩きます。薄暗く、ひんやりした空気のなかを歩いていきます。やがて、胸突き八丁の昇り口にさしかかります。急な崖を一気にのぼります。ツクツク法師が鳴いていました。この山はクマこそ出ませんが、イノシシはいます。急に遭遇しないことを願いながら、一歩一歩歩きます。久しぶりに登山靴をはいたので、踵がこすれて痛みがあります。ようやく尾根に出ました。珍しく誰にも会いません。尾根の両側は見晴らしがいいはずなのですが、夏草が高く生い茂っているため、外界を見下ろすことができません。向こうから中年の女性が一人でおりてきました。「絶景を先ほどまで一人占めしていました」とのこと。そうなんです。388メートルの頂上の少し先が、開けた草原になっていて、そこから360度、四方八方が眺められるのです。リュックをおろして、上半身裸になって汗を拭きます。裸のままおにぎりをほおばりました。山上の草原を吹き渡る風の爽快さがなんとも言えません。梅干しのたっぷりはいったおにぎりをかみしめ、紅茶で喉をしめらします。至福のひとときです。

(2009年6月刊。1500円+税)

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