弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2010年4月29日

山田洋次を観る

著者 吉村 英夫、 出版 リベルタ出版

 日本の大学生も、まだまだ捨てたもんじゃないなと安心できる思いのする本です。
 山田洋次監督のつくった映画を大学の教室で見て、教授からその解説を聞き、さらに学生同士でディスカッションできる。なんてすばらしい授業でしょう。羨ましい限りです。この学生たちはみな幸せです。
 この本には、授業に出た学生の感想文が紹介されていますが、それがまた実によく出来ています。なんといっても感受性が鋭いのです。感嘆、感心、感激というしかありません。その学生たちの前に、本物の山田洋次監督が登場し、対話形式による公演が展開します。
 山田監督のつっこみが実に鋭い。学生たちがオタオタするのも無理はありません。うーん、私だったらなんて答えるかなあ……。自信ないなあ、と、つい頭を抱えてしまったことでした。
 映画『男はつらいよ』は、観客を教化するという姿勢をもたない。人間は善なる存在であり、人と人とはつながっており、家族の絆が人間社会の原点であり、仲間たちがいつくしみ信じあうところから、心休まる世の中は生まれてくるという作者の心情がにじみ出ている。
 映画は、もちろん楽しむために観る。音楽は楽しむために聴く。小説は楽しむために読む。これは当たり前のこと。でも、どういうふうに楽しいかという問題がある。楽しみの質の問題がある。そして、人を楽しませるには、すごい才能と努力と修練がいる。
 『男はつらいよ』の第1作で、さくらが兄に対して結婚したいと言ったときの渥美清のシーン。最初は10秒だったのを、2秒のばすためだけで大騒ぎして撮影した。
 この2秒にこめられたさまざまな思い。ああ、妹が俺に許可を求めている、俺が妹にいったい何をしたのだろうという、そんな寅の後悔と悲しみと、もう一つは喜び、ああ、妹がこんあ幸せな顔をしている、ああ、よかったんだ、そんな内面の葛藤をこの12秒の画面で表現した。
 映画は、そんな想像力を観客に伝える芸術なのである。
 うむむ、たしかに、寅の顔はすごく微妙な表情です。なんとも言えません……。
 大学生の反応が生き生きと伝わってくる本です。それ自体に感動します。良い映画は、10年とか20年たっても、感動があせて消えてしまうことはないのですよね。
 私が『男はつらいよ』第一作を観たのは1969年5月のことでした。五月祭のとき、大教室で観たのです。大爆笑でした。1年近くの大闘争後、まだ殺伐とした雰囲気の色濃い大学で、清涼感あふれるさわやかな風が吹き抜けていきました。
良い本です。一気に読みました。
 
(2010年1月刊。2200円+税)

2010年4月25日

ゲゲゲの女房

著者:武良布枝、出版社:実業之日本社

 「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげるの奥様による自伝です。NHKで連続テレビ小説になっているそうですが、私はテレビは見ませんので、そちらは分かりません。
 しみじみとした、いい本です。人生の悲哀を感じさせます。人生は、終わり良ければ、すべて良し。この言葉は奥様のつぶやきです。なんだかホッとさせられますね。
 「少年マガジン」にデビューしたとき43歳、猛烈に忙しくなったのが44歳、それから必死で走り続けて50歳をすぎ、心と体がついに悲鳴をあげた。
 水木しげるは睡眠をとても大切にしてきたようです。それでも、モーレツ時代は、さすがにそうもいかなかったようですが・・・。
 少し前まで、お金になる仕事がほしいとずっと思い続けてきたけれど、ここまで忙しい事態は想像していなかった。成功しても、水木の体がボロボロになってしまったのでは、幸せとはいえない。
 睡眠時間は、すべての健康の基本である。いつもふらふらの寝不足ではいけない。
 水木しげるは、心配する奥様に対してこう答えた。
 オレも眠りたい。ノンキな暮らしがしたい。でも、また貧乏をするかと思うと、怖くて、仕事を断ったりすることは、とても出来ない。締め切りに追われる生活も苦しいが、貧乏に追われる生活は、もっと苦しい。それに、いまが人生の実りの時期なのかもしれない。だから、後にひいてはダメなんだ。
うむむ、力を感じます。すごい言葉ですよね。
 人気商売なので波はあり、1981年(昭和56年)ころ、仕事が急に落ち込んで、連載は一本になってしまった・・・。
 うむむ、そういうこともあったのですか。
 精魂込めてマンガを描き続ける水木の後ろ姿に奥様は、心底から感動しました。
 ひたすらカリカリと音を立てて描く後ろ姿から、目を離せなくなることが、しばしばあった。背中から立ちのぼる不思議な空気、オーラみたいなものに吸い寄せられるような気がした。この人の努力はホンモノだ。
 すごい奥様の言葉です。奥様も偉いですよね。
 貧乏な生活でした。質屋に次々に身のまわりの品を入れて借金し、そんな生活をしながら、ひたすら売れない漫画を描き続け、それを奥様が支えたのでした。ひたすら真面目に努力を重ね、ついに報われたわけですが、それに至るまでの過程が実に明るく、むしろあっけらかんと書きすすめられていて、心に深い余韻を残しています。
 境港にあるという「水木しげるロード」に一度行ってみたいと思いました。
(2009年9月刊。1200円+税)

2010年4月24日

介護の値段

著者 結城康博 、 出版 毎日新聞社

 国を守るためと称して軍事予算は惜しみなく使われています。新型戦車、ヘリコプター空母、アメリカ軍のための空中そして海上給油、思いやり予算などなど・・・。ところが、国を構成しているはずの国民生活のほうはちっとも守られていない気がしてなりません。
 病院に入院しても、20日以内に退院させられる。入院費の負担額は毎月18~25万円もかかる。個室に入ったら35~50万円になる。リハビリのための入院だったら、3~5ヶ月で転院させられる。なぜなら、病院が減収するから。中小病院は相次いで倒産している。
65歳以上は2900万人。75歳以上の後期高齢者は1300万人いる。一人暮らしの高齢者は433万人、うち男性117万人、女性316万人。在宅介護の対象者は男性28%、女性72%で、3割以上が70歳以上。
 高齢者のなかには特養ホームで個室を好む人は多いが、4人部屋を好む人も少なくない。個室だと夜になると、不安になったり新しくなって徘徊してしまう人がいる。有料老人ホームの入居金は数百万~1000万円。そして、1ヶ月に都内では25万円、その他の県で20万円ほど必要となる。
誰だって、みんな老人になっていくわけです。老後が安心して過ごせない日本って、困りますよね。こんな国を愛せなんて押しつけられたら反発する人が出てくるのも当然です。
 介護施設にもっと国は投資すべきだと思います。いえ、私が還暦を過ぎたから叫んでいるというのではありませんよ。ほら、あなただって、もういいとしになったでしょ……。
(2009年12月刊。1000円+税)

2010年4月15日

灘校

著者 橘木 俊昭、 出版 光文社新書

 日本の現代貧困を分析する第一人者である著者がかの灘高校出身とは……。そして、灘高校を卒業して東大に入らなかった人は人生の落後者ではないのか、という疑問にこたえるのが、本書です。灘高校を出て東大に入らなかった自らの体験もふまえていますので、ともかく実証的ですし、説得力があります。
 私の中学の同級生にも一人だけ、灘高校に入った男がいました(石田君は、いま、どうしているかな…?京都大学に入ったことまでは知っていますが…)。
 1968年、私が大学2年生のときです、灘校はそれまでナンバーワンだった日比谷高校(都立校)を抜いて、東大合格者132人と、全国1位になった。これは、絶対数でも全国1位になったというのですから、すごいものです。
 灘校では、1年生の時から成績順にクラスを編成する。これは毎年変わることになる。徹底した競争主義を実践することで、生徒に努力を喚起するのだ。
 教師の配置も、上位のA・B組には優秀な教師の授業を多く、C・D組にはそれなりの教師を配置し、教材や進度にも変化をつける。
 成績に応じて差を設けるのには、メリットとデメリットがある。メリットは、一部の優秀者と努力家の学業成績がますます上昇すること。デメリットは、差別的な教育を嫌う生徒からやる気を次第に失わせ、勉強をしなくなっていくこと。遠藤周作は、その落ちこぼれ組だった。教師は、ずっと生徒と一緒に持ち上がる。これは、先生のあいだで、学年をグループとした競争意識を生み出す。
 良い生徒がいれば、良い先生も集まる。灘の教師は、出来のいい子を邪魔しないことが責務である。
 灘校の東大合格者の8割は現役生だった。ある学年では、220人ほどの卒業生のうち、東大へ進んだのが150人を超した。7割の生徒が東大に合格するというのは、驚異的な数字である。しかし、多数派の150人と少数派の70人という2組の間に溝があるのでは……?
 勉強ができると言うレッテルを貼られた生徒は、学校生活でも活発だが、できないというレッテルが貼られると、ずっとおとなしくしている。
 灘校には、入試科目に社会がない。無味乾燥な暗記科目は不要だというわけだ。そこで、灘校の生徒の7割強は理科系である。
 灘校の卒業生は、大半が大企業に勤めていて、社長・重役・部長に就いている。卒業生に官僚は意外に少ない。国会議員も少なく、2010年時点で6人しかいない。
 ところが、医師は多い。これは、学生の親の4割が医師ということにもよる。東大理Ⅲ(医学部)90人(1学年)のうち、20人ほどが灘校出身。1962年から2009年までの灘校出身の累計は588人。2位のラ・サール校の292人の2倍という断トツの1位。
 中高一貫校は、良いことづくめなのか?
高校の時から入ってくる新高生のなかに、潜在能力・学力の高くない生徒が入学してくる。そのため、新高生の募集を停止したところがある。その一方、中学校から入った生徒のなかに伸び悩む生徒が少なからずいる。小学生のときに塾などで過度に受験勉強をやりすぎて、燃え尽きてしまったということである。
 そして、中高一貫校に入ってしまうと、生徒の育った家庭環境も生徒もかなり均質であるため、世の中の現実を知る機会が限定される。世の中には、貧乏人や勉強の不得手な人など、いわゆる弱者がいる。それらの人の存在を知る機会がなくて大人になると、偏った人生観をもつ危険がある。
 いろいろなことを深く考えさせる、良い本でした。私は市立中学、県立高校の出身ですが、とりわけ市立中学での経験は、今となっては得難いものだと考えています。殺傷事件を起こして少年院に入った同級生がいて、勉強より歌唱力を伸ばすのに必死の同級生がいました。1クラス50人以上で1学年に13クラスもありましたので、騒然とした雰囲気でした。すぐ隣にある中学校の生徒との番長同士の対決も身近なものであり、暴力事件は日常茶飯事だったのです。世の中の荒波に少しはもまれていたのかな、と今は思うのです。
 そして、それは弁護士になってから、世の中にはさまざまな生き方、考えの人がいることを多少なりとも受け容れることにつながっていて、役に立っています。
 
(2010年3月刊。760円+税)

2010年4月11日

日本でいちばん大切にしたい会社2

著者:坂本光司、出版社:あさ出版

 鳩山首相が国会の所信表明演説で引用・紹介したこともあって、大変人気を呼んでいる本の第2弾です。
 トヨタやキャノンのような、労働者を人間(ひと)と思わず使い捨てにすることしか考えない経営者にこそ、ぜひ読んでもらいたい本だと思いました。
 この本の良いところ、読んで感動を呼び起こすところは、日本はアメリカのように株主優先であってはいけない、社員とその家族、今と将来のお客さん、そして地域住民とりわけ障がい者や高齢者を大切にするのが本当の企業経営だと実例をあげて力説しているところです。
 株主(出資者)の幸福・満足は結果としてもたらされるものであって、追及する必要はないものなのだ。本当にそうですよね。株主へ高配当しようとして短期の業績を追い求めると、ろくなことは起きません。
 もうかっていない会社は、例外なく本社機能が大きい。総務・人事・経理の社員が多すぎる。本社の社員は、社員が多すぎると思わせないように、「管理」という仕事を考え出す。管理しようと、本社がいろいろと口出しをしたり、手を出しすぎたりすると、現場の思考能力が停止する。すると、社員は自発的にものを考えなくなり、モチベーションが下がって、結果としてもうからなくなる。
 二流、三流の会社は本社が大きく、一流の会社は本社が小さい。本社が小さいと、よけいな口出しができなくなるため、自然に分権がすすむ。何より、本社部分のコストが下がり、低コスト経営ができる。
 ホウ(報)レン(連絡)ソウ(相談)をもてはやす企業は多いけれど、ホウレンソウを禁止し、なにより自分の頭で考えろという会社がある。
 うへーっ、ホウレンソウというのは経営向上マニュアルのなかでも必須のものだと思っていましたが、企業によっては禁止しているところもあるのですね。
 たしかに、社員一人ひとりが自分の頭で意欲的に考えたほうが企業の業績を上げ、その長続きに貢献する結果を生み出すだろうことは大いに賛同できます。
 第3弾にも、大いに期待したい本です。
(2010年2月刊。1400円+税)

2010年4月 4日

すきやばし次郎、鮨を語る

著者 宇佐美 伸、 出版 文春新書

いやあ、とても美味しそうな話です。今すぐにでも鮨屋に飛んでいきたくなるような本でした。もちろん、そこらの回転鮨ではありませんよ。残念なことに、この店には行ったことがありません。1コース3万円という高さもさることながら、3ヶ月先まで予約で満杯だというのです。
 ミシュラン三ツ星を獲得した日本を代表する鮨屋の大将の話ですから面白くないはずがありません。うむむ、なるほど、なるほど、そうだったのかと、ついつい何度もうなりながら、実際に鮨をつまんで味わうことのできないもどかしさを感じつつ、読みすすめていきました。
 84歳でありながら、毎日800貫、40人分も鮨を立って握り続けているのです。もう、それだけで恐れ入りますよね。
「すきやばし次郎」はビルの地下にある。テーブル席は3つあるけれど、つかわれていない。つけ台の10席のみ。10坪ばかりの店に3人の職人が10人の客と相対する。
 本日のおまかせを一気呵成に腹へ詰めこむ時間は、なんと20分足らず。ここではアルコールは主体ではないし、そのための刺身も出ない。この店では、居心地の良さを期待してはいけない。ダラダラと話をするところではないのです。ひたすら、鮨を堪能する店なのです。
 店は狭いし、トイレも自前ではなくビルの共用。支払いにカードは使えないし、ワインも置いてない、お酒をすすめることもしない。
お鮨は握り立てが一番おいしい。握ったら、すぐに食べてほしい。鮨ダネはいいものを河岸(かし)の言い値で仕入れる。握りの良さは、酢飯に負うところが大きい。客が来客する二十分前に羽釜で炊き上げ、半酢、塩、少々の砂糖と手早く合わせて仕上げる。客がつけ台に座るころに、ちょうど人肌の温かさに落ち着いている。
鮨は人を食うものだ。なにしろ鮨職人という赤の他人が素手で酢飯をとり、握り、そのまま置いたものを手にとって食べるわけである。
 40歳を過ぎてから、外出するときには真夏でも手袋を欠かさない。 鮨職人にとって、手は命より大切なものだ。
 お客にまず出すおしぼりは、持つとやけどするんじゃないかと思うくらいの熱々のものを出す。
「すきやばし次郎」で働いた鮨職人は150人になる。このうちモノになったには9人。そのうち2人は息子。はっきり卒業生といえるのは7人だけ。
 いやぁ、これには厳しいですね。残る141人には「次郎」で修行したとは言わせないというのですから、大変なことです。鮨職人の世界がこんなにも厳しいとは・・・。
 いいマグロがなかなかない。欲しいマグロは、とにかく香り。鮨職人にとって嗅覚がまず大切だ。一口かむと、ふっと艶めかしい香りがツーンと鼻を抜けて、力強いのに押し付けがましくない脂や甘み、酸みや渋みがジワッと口に広がっていく。大海を巨体で悠々と泳ぐ。王者の鮮烈な血の香り。ただし、脂がしつこくてはいけない。しっかり脂が回っているけれど、サラッとしている。そんな軽快さが欲しい。蓄養マグロは生臭みばかり残っていて、マグロ本来の香りがない。だから、輸入マグロは使っていない。
 いやはや、ぜひ一度、この店で食べてみたいものだと思いました。
(2009年10月刊。700円+税)

2010年4月 3日

欧亜純白(Ⅰ)

著者 大沢 在昌、 出版 集英社

 世界の麻薬ビジネスを扱った、スケールの大きな小説です。小説と言っても、単なる想像による創作ということではなく、統計的な事実も踏まえたフィクションですから、正直言って怖い話のオンパレードです。途中で読むのを止めようと思ったほどです。
 それにしても麻薬ビジネスといい闇の世界といい、次から次に人が殺されていくシーンは気持ちのいいものではありません。ソ連からロシアに移行して無法地帯となった国の状況を描いているように思いますが、いやいや、アメリカだってマフィアが裏社会を支配してきたじゃないかと思いなおしました。
 ところが、これを書いているとき、新聞を見ると、元警察官で暴力団対策の仕事をしている大牟田市の職員が、オートバイに乗った二人組からピストルで足を撃たれた事件が起きたことを知りました。つまり、暴力団対策なんてほどほどにしておけよ、深入りしたら命の保障はないぞという警告を暴力団がしたというわけです。
 暴力団抗争事件がまだ終結もしていないのに、一方を賛美する映画がつくられてDVDで大々的に売られています。しかも、主役は有名な俳優とか歌手です。日本の社会は、暴力団追放を叫びながらも、裏では暴力団をのさばらせているという現実があります。そうでありながら、死刑制度に国民の9割もが賛成するというのは、矛盾そのものではないでしょうか……。
 ロシア。この国の犯罪者には、無限の可能性がある。社会機構が安定していない国には、普通犯罪者がお金を稼げるほどの旨みのある産業は確立していないものだが。この国はそうではない。近代国でありながら、社会機構が混乱しているのだ。人類の歴史のなかで、敗戦を経験したわけでもないのに、このような混乱に陥った国はない。表舞台にあるべき産業と犯罪が直結している。この国では、アメリカで必要な偽装や取り繕いは必要ない。
 人とものを動かせる組織ならば、それが犯罪者の集団であっても、代替機関が存在しない以上、産業は手を組まざるを得ない。国家が敵にまわる心配もない。それどころか、この国では、犯罪者が国家そのものを動かす可能性すらある。
 麻薬がこの地上から消えてなくならないのには快楽とは別の理由がある。現金に代わる決済の手段となることだ。武器取引や反政府組織への援助物資として、麻薬が使われるのは常識である。
 麻薬は、現金と違ってその流れが発覚しにくく、金のように価値が下落することもない。しかも、インフレにも強いという利点がある。そのため、CIAはアメリカ国外での非合法な取引の支払い手段として麻薬を使うことがたびたびあった。
 麻薬犯罪の捜査において、密告はもっとも大きな情報源である。麻薬犯罪の摘発は、常に物(ブツ)の存在がものをいう。誰それが麻薬をやっている、という情報は、それこそ腐るほど入ってきても、実際に麻薬を所持しているところを押さえなければ、立件は難しい。そして、所持している麻薬の量が多ければ多いほど、捜査官の功績となる。
 密告をもとに内偵を進め、容疑者がもっとも大量の物を所持していているときを見計らって踏み込むのが麻薬捜査の基本である。だから、麻薬捜査官は一度でもひっかけた容疑者を決して手放さない。すべてを密告者に仕立て、利用する。というのも、麻薬中毒者の周囲には、潜在的な中毒者が必ずいるからだ。
 10年前に『週刊プレイボーイ』に連載されていたものですが、今日なお、状況にそれほど変化はないのではないかと思いつつ(実のところ変化があってほしいと願いはしましたが)読みすすめ、読了ました。背筋の凍る思いのする犯罪小説でもあります。現実から目をそむけたくない、勇気あるあなたにおすすめします。
 
(2009年12月刊。1700円+税)

2010年4月 1日

がん患者、お金との闘い

著者 札幌テレビ放送取材班、 出版 岩波書店

 がんにかかったときの治療費がこんなに高いということを改めて認識しました。そして、がん保険があまり役に立たないことも知りました。
 がん保険は入院に対しては手厚いが、通院治療はほとんど対象としていない。1日の通院保障は最大1万円までが多い。この金額では、1回の通院で3万5千円とか5万円かかるのに対しては十分ではない。がんといえば。手術と入院だった時代から、化学療法による通院が増える時代となった今日、がん保険も入院を保障するだけでは、ニーズにこたえられない。そうなんですか……。ちっとも知りませんでした。
 抗がん剤の開発は日進月歩。ここ10年で種類が一気に増えた。北大病院に常備されている抗がん剤は、120種にのぼる。
 治療費が100万円かかっても健康保険をつかって自己負担が9万円ですむのはありがたい。4回目からは1回あたり5万円ほどの自己負担になる。これは高額医療費の支給を受けているとき。ところが、高額医療費は、なんと3ヶ月後に払い戻されるもの。それまでは自己負担を強いられる。なんと患者に冷たい医療行政でしょうか……。せめて窓口で利用できるようにすべきだと思います。スペインやイギリスのように窓口負担なしにすべきです。
 日本にお金がないわけではありません。1隻1000億円を超すヘリ空母を作ったり、日本に駐留しているアメリカ軍への思いやり予算をはじめ、ムダな軍事予算を削るべきではないでしょうか。
 がん患者の年間の自己負担額は、平均101万円である。
 がん患者にも、障害年金の支給がありうることが意外に知られていない。これは20年以上も前、1980年からのことである。
 日本でも、かつては、健康保険の自己負担は初診料200円だけという時代があった。ところが、1984年に1割負担、1997年に2割、2003年に3割へと、患者の自己負担はどんどん引き上げられていった。家計の負担が増えたにもかかわらず、国の負担は1980年度の30.4%から24.7%へと、6%も削減されている。
 アメリカのマイケル・ムーア監督の、『シッコ』を思い出しました。同じ資本主義国でも、イギリスは病院での窓口支払いはゼロ。それどころか、病院の窓口では通院費用を支払ってくれるというのです。ところがアメリカでは、オバマ大統領が国民皆保険を目ざすと、たちまち、社会主義者、アカというレッテルを貼られ、けたたましい非難を浴びせられかけているのです。もちろん、その背後には、高額の収益を上げている民間医療保険会社が潜んでいるわけです。それにしても、まだまだアメリカの国民の少なからぬ人々が、自己責任の原則を信奉し、弱者切り捨ての論理にどっぷり浸っていて、哀れとしか言いようがありません。
 日本はアメリカを手本にするのではなく、イギリスやフランスなどを見習うべきです。
(2010年2月刊。1600円+税)

2010年3月31日

離婚で壊れる子どもたち

著者 棚瀬 一代、 出版 光文社新書

 面会交流権について、私はこれまでかなり消極的でした。その法制化にも反対で、せいぜいい運用で考えたらいいと考えてきました。子どもにとって、別れた父親(大半がそうです)に会っても、あまりいいことはないというのが根拠でした。それが、この本を読んで大きく変わりました。やはり、子どもにとって、その成長過程で父親との交流は不可欠かもしれないと思うようになったのです。この本は、アメリカと日本の実践にもとづいていますので、とても説得力があります。
 現在の日本では、3組に1組の結婚が離婚に至っている。年間26万件にのぼる。そのうち4割が乳幼児を抱えている。
 離婚ケースの8割で、母親が親権者となり子ども全員を引き取って育てている。子どもが3人以上いても、7割の母親が全員を引き取っている。
日本の離婚の9割は協議離婚である。
 離別した母子世帯の平均年収は、202万円(1992年度)と低い。別れた夫から養育費の支払いを受けているのは15%でしかない。養育費の取り決めをしても、1年で半分は約束を守らなくなり、2割だけが履行しているにすぎない。2003年の法改正によって養育費の給料天引きが認められるようになったが、それでも19%に過ぎない。
 両親が離婚騒動をひき起こしたとき、子どもが強迫的に学業に励み、「良い子」に徹することで大変な時期を乗り越えようとする過剰適応の子どもがいる。こういう子どもは、後になって「良い子症候群」になり、学業に集中できなくなる危険性をはらんでいる。
 両親が別居すると、ほとんどの場合、子どもは抑うつ状態に陥るが、この状態のときにはいじめにあう危険性も高まる。
 1歳半から3歳児までのあいだ、子どもが父親との接触がないときには、父親の面会申出に対して、子どもは「両親そろった家族」の記憶がないので、「別に会いたくない」と拒否することが多い。それは、たしかにその時点での子どもの正直な気持ちではあるが、その気持ちに母親が便乗して会わせないと、子どもは父親像を欠いたまま育ってしまう。
 性同一性の模索を始める思春期になると、必ず「自分のお父さんは、どんなお父さんだったのだろう?」と気にかかりだす。女の子であれば、青年期になって異性との親密性を求める段階になって、同世代の異性にはまったく興味がわかず、父親世代の異性に父親像を追い求めるという問題になって現れてくることが多い。
 男の子であれば、性同一性の確立が困難になったり、結婚後に自分の子どもに父親としてどのように向き合ったらいいのか分からないという問題となって現れる。
 したがって、父親が面会を求めてきたら、母親は自分の気持ちはさておいて、父親と子どもが会う機会を設定する方向に協力することが、子どもの発達にとって望ましい。
 3歳から5歳児までの子どもは、基本的に道徳的な判断をしないのが特徴である。離婚に際して、両親のどちらが悪いのかという判断をしない。そして、自己中心の心性がある。離婚によって家庭が壊れたとき、それは自分が悪い子だったからだという自責の念から極端に良い子になってしまうことがある。自分が頑張って良い子になれば、親はまた元に戻るかもしれないという幻想を抱く。
 そこで、極端に良い子になっている子どもに対して、離婚したのはあなたのせいじゃないのよと繰り返し繰り返し言って聞かせる必要がある。
 片方の親が意図的に子どもの世界から消えることを選んだときには、子どもがその傷から完全に癒えることはないだろうと言われている。父親に対する抑えがたいノスタルジーとともに、自分を見捨てた父親への許しがたい怒り、そして見捨てられたという癒しがたい傷、悲しみが成人してまで残る。
 6歳から8歳児までの子ども、親に見捨てられたという気持ち、悲しみがどの時期よりも深い時期である。この時期の男の子は、去っていった父親への思慕が強く、一緒に暮らす母親に対して結婚を壊したことや、父親を追い出したことに対して怒りを向けることが多い。父親がでていったあと、虐待的だった父親とまったく同じことを母親やきょうだいにし始め、母親がショックを受けることがある。
 9歳から12歳の子は、道徳観、正義感が強く、白黒をはっきりさせ、グレイゾーンを許せない発達段階にある。離婚の責任はどちらにあるのかを判断し、「良い親」と同盟して、「悪い親」へ復讐することがある。
 しかし、この子どもの心性を利用して味方に取り込み、他方の親を子どもの世界から排除するならば、やがて、子どもが青年期になったときに、自分を片親から疎外させた親に嫌気がさし、良い関係を維持することができなくなる危険性が高い。
 13歳以上の思春期・青年期にある子どもにとっては、もっとも安定した家庭を必要としている時期であるので、片親が突然に家を出ていったりして家庭の基盤が不安定になることは、子どもにとって大きなショック体験である。子どもの反応として、親に向けるべき怒りを打ちに向けて抑うつ状態に陥り、不登校やひきこもりになる場合と親への怒りが置き換えられて外に向けられ、学校で攻撃的行動をとったり、非行に走ることがある。
 子どものために争っているつもりが、いつのまにか子どもを置き去りにして夢中でいがみ合い、闘いをエスカレートさせていくことがある。同居する親への気遣いと忠誠心から、別居している親への思いを語れずにいる子どもから、そのホンネを聞き出すのは非常に難しいことでもある。
 子どもに虐待などの直接的な危害が及ぶような例外的な場合を除いて、原則的には、子どもには離婚後も両親との継続的かつ直接的な接触を保証するという方向に向かうべきである。別居している父親と良い関係を継続させることが子どもの精神的な健康にとって決定的に重要なのである。
 子どもの発達段階に応じて、親との関係が具体的に語られていますので、実務的にも大いに勉強になりました。目下、同種のケースの裁判を担当していますので、よくよく話し合ってみたいと思います。

 
(2010年2月刊。860円+税)

2010年3月30日

山谷でホスピスやってます

著者 山本 雅基、 出版 じっぴコンパクト新書

 山田洋次監督の映画・最新作『おとうと』に登場するホスピスのモデルは大阪ではなく、東京の山谷(さんや)にあったのでした。いやあ、すごい人たちがいるんだなと映画を見て感嘆したのですが、この本を読んでその感嘆は驚嘆というべきものに変わりました。まさしく、こんな善意の人々が少なからずいるので日本社会はまだ成り立っているのだと、胸の内が震えるほどの感動をじっくり味わいました。こんな素晴らしい本に巡り合えてよかったなと思う半面、自分は今どれだけのことが出来ているのかと、ついつい反省させられたことでした……。
 学生のころ東京に10年ほど住んでいたことのある私ですが、山谷のドヤ街には一度も行った事がありません。なんだか怖いところというイメージがあったから、近寄りがたかったのです。
 ドヤとは、宿(ヤド)をひっくり返した言葉。宿は簡易旅館のこと。ドヤは1泊2000円。平均年齢60数歳の単身男性3500人が生活している。
 「きぼうのいえ」の居室は、すべて個室。部屋にはテレビがあり、事務所にあるビデオ・ライブラリーから毎日2,3本のペースでビデオを借りることができる。
 ここでは、喫煙も飲酒も、本人の健康に多大の悪影響を与えない限り、規制しない。消灯時間もない。入居者は、みな生活保護を受けている。
 居室のベッドのシーツにできたタバコの焦げ穴の数と、その施設の住みやすさは正比例する。
 入居者の過去は問わない。入居者が語りたい過去は聞くけれど、それ以上は踏み込まない。
 「きぼうのいえ」は40坪の土地に建っている。銀行からの借金、1億2千万円でつくられた。
 ワンカップのお酒を買って飲むのは、お金の問題もあるけれど、「いまは、これだけ」という、自制のきっかけにするため。経済的かつ身体的な自衛手段なのである。
 うむむ。なるほど、そういうことだったんですね。1升ビンを買ってしまうと、どうしても際限なく呑んでしまいますからね……。
 山谷に住み続けて生きていくためには、次々に起こる事件や物事におうようであることが欠かせない。
 入居者には、驚くほど歯のない人が多い。歯を治すことと縁遠い生活を送ってきたからだ。
 それはそうですよね。健康保険が使えず、すべて自費だなんて、ぞっとします。
 この「きぼうのいえ」が始まってから3年間のうちに、看取った人(入居していて亡くなった人)は、34人。すごいホスピスです。感動しましたという言葉では軽すぎます。
 「きぼうのいえ」は、年に数千万円以上の赤字を出しながらも、ボランティアにも支えられて続いています。著者夫妻は、何回となく、もうやってられないと投げ出しそうになり、また、うつ病にもかかりながらも、今日までなんとか、やってきたということす。すごい努力ですね。漫然と生きているのが恥ずかしくなってしまいます。
 不思議なことだが、「きぼうのいえ」では、「死にたくない」と言いながら亡くなった人がまだいない。もはや奪い取られるものがなく、すべてを失ってきた入居者にとって、この世は積極的に生きる意味を見いだせない場所となっている。しかし、ここに入って希望を見出すと、やはり命の継続を望むように変わる。
 いい話ですよね。こんな施設をいつまでもボランティア頼りにしていていいとはとても思えません。戦車や航空母艦より、こんなところにこそ国はお金をつぎ込むべきではないでしょうか……。映画『おとうと』とあわせて、一読を強くおすすめします。
 
(2010年1月刊。762円+税)

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