弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
警察
2011年11月27日
警察の条件
著者 佐々木 譲 、 出版 新潮社
警察小説シリーズです。今回は読んでいると、『新宿鮫』を髣髴とさせました。ハード・ボイルド調なのです。私の好みは前作「警官の血」です。警官三代の生き様を描いていて、世相もよく反映した迫真のストーリーには息を呑みました。
潜入捜査員が登場します。まさに生命かけの仕事ですよね。耳が柔道によるタコが出来ているのを見られて警察官と見破られたという話を読んだことがあります。警察官が柔道場でいつも練習していることで出来る耳のタコなのです。たしかに暴力団員には少ないのでしょうね。
刑務所は、暴力団にとって重要な会社説明会の場だ。懲役刑を受けた暴力団員は刑務所内で、どれほど稼ぎがよいか、どれほど派手で華やかな生活をしてきたかを、おおげさに吹聴する。一日にどれだけ遊びに使ったか、どれほど女にもてたか、どれほど快楽ざんまいの日々を過ごしてきたかを自慢する。
そして、これぞと思う囚人に、出所後は面倒を見るぞと声をかける。収監者の中には、ならば自分も暴力団員として生きようと決める者が必ず出てくる。暴力団員としての「資格保証」は国家がやってくれている。暴力団の側も安心して使うことができる。
ましてや組が解散して行きどころのないような暴力団員は大歓迎だ。いきなり戦力になる。この業界でも、身元のしっかりした経験者は優遇されるのだ。
そうなんですよね。刑務所の中では悪の道へますます深まっていく危険があります。決して単純に更生の機会が保障されているというものではありません。
多くの暴力団は、覚せい剤の売買を構成員に禁じている。しかし、巨大な利益を生むビジネスであり、シマの中で素人や外国人の好き放題にさせるほど、どの組も甘くはない。準構成員にやらせて、その後ろ楯になる。上がりを組として吸い上げる。こんなシステムをつくっている。
覚せい剤事件を国選弁護でよく担当しますが、いつも末端の売人か使用した人間のみが被告人となります。上層部のほうを担当したことは、自慢じゃありませんが、一度もありません。
この本には不祥事を起こした幹部警察官がやがて現職当時の地位のまま復職するという場面が出てきます。たしかに、現実にもそんなことがあったように思います。それでも、それってなんだか割り切れない疑問を感じます。
それにしても、現場の警察官は毎日大変なんだなあと概嘆してしまいました。
(2011年9月刊。1900円+税)
2011年10月29日
密売人
著者 佐々木 譲 、 出版 角川春樹事務所
うまいですねぇ・・・・。いつ読んでも、この著者の警察小説はほれぼれしてしまいます。情景描写といい、ストーリーといい、なるほど、そうか、そうだろうなと思わずうなずき、ぐいぐいと作中の部隊に引きずり込まれてしまいます。
本書のタイトルからすると、覚せい剤とか拳銃の密売人を扱っているかと思わせますが、違います。では、何を売ったのか・・・・?
暴対法ができて、そのあと6、7年前が、警察庁が全国一の暴力団の徹底し壊滅を指示して以来、やつらは本当に食えなくなっている。私文書虚偽記載で組長逮捕だ。型式犯だ。子分が銃刀法違反で、何も知らない組長が6年の実兄だ。以前なら考えられないような微罪で逮捕、刑務所送り。昔ながらのしのぎも成立しなくなっている。上の連中は逮捕覚悟で俠客の看板を掲げているが、日々、実入りは少なくなっている。義理かけもままならなくなっているが、いまの組長クラスだ。
こんなセリフがありますが、本当でしょうか。
福岡県内は暴力団の密度が日本有数に高いので有名です。中州も、北九州も、そして、筑豊も筑後も、至るところで鉄砲の弾が飛びかっています。それは、暴力団同士というのもありますが、主としてゼネコンなど土木・建築会社がターゲットになっています。公共工事の3%ルールをこれまでどおり守れというヤミ社会からの催告かつ警告の弾丸です。
いま九州新幹線の乗車率の低さが問題となっています。事前の予想乗車率の3割しかない駅があります。田舎の田んぼの真ん中に忽然として誕生した新幹線駅は、まさしく政治家と暴力団が私たちの血税を喰いものにしている象徴です。
そんなことを考えたとき、暴力団が不景気だというのも、にわかに信じる気にはなません。先日の久留米の組長宅襲撃事件では、ついにマシンガン(機関銃)まで登場してきました。恐ろしい世の中です。
この本では、警察の上層部と暴力団の癒着も暴かれています。お互い、持ちつ持たれつの関係があるというのです。これまた許せないことです。そう言えば、この間の一連の発砲事件で、犯人が警察に逮捕されたなんて、聞いたことありませんよね。どうなっているのでしょうか・・・・。もっと、しっかりしてくださいな、警察官の皆さん。
(2011年8月刊。1600円+税)
2011年10月27日
公安は誰をマークしているか
著者 大島 真生 、 出版 新潮新書
公安警察というと、今でもなんだかうす汚い、陰でコソコソ、スパイをあやつっている陰気な集団というイメージがあります。
かつては共産党をスパイし、企業に共産党員情報を高く売りつけて存在意義を誇示していました。ところが、今では企業内での露骨な差別待遇が裁判所によって弾劾されてやりにくくなり、公安警察の存在意義もすっかり薄れてしまいました。とりわけ公安調査庁という、人間の盲腸みたいに不要な機関が今でも残っているのは常識では理解できないところです。
警視庁公安部は、公安警察最強の実働部隊で、「公安の中の公安」とも言うべき存在。桜田門にそびえる18階建ての警視庁本部庁舎の13階から15階まで、3フロアーを占めている。公安部の人員は1100人。このほか各警察署の警備・公安担当が1200人いる。
公安警察は、警察庁警備局を中心に、戦前の特高警察時代のシステムを密かに残している。それは、たてまえとして自治体警察だが、警視庁公安部や道府県警警備部は予算を握る警察庁警備局から直接指示を受ける立場にある。上意下達の国家警察システムがそっと残されているのかが公安警察である。指示系統は、縦に統一されていて、そのなかには道府県警本長や警察署長は入っていない。つまり、署長の部下という意識は希薄だ。
警視庁の刑事は、公安部員を「ハム」と侮辱的に呼んでいて、「ハムの奴らは信用できない」と、よく口にする。これに対して、公安部員は、自らを「オレたちは国を守る仕事をしている」という意識が強く、刑事警察より高い次元にいるというプライドを持っている。
公安総務部(コウソウ)は公安部の筆頭課であり、共産党対策を主とする。公安部の部長、参事官2人、総務課長の4首脳のうち3人はキャリア組で、残る1人は「たたき上げ」と決まっている。
公安部はスパイをつくる作業に従事している。この作業は警察庁警備局が報告を受けながら管理している。公安部の作業班の名称は4係、ナカノ、サクラ、チヨダ、ゼロと変遷した。
スパイ(協力者と呼ぶ)にできるかどうか、何度か会って感触を確かめるのを「面接」、協力者にスパイ活動させることを「運営」するという。協力者と密かに会うことを、「接触」、運営にかかる資金は「運営費」、接触にかかる資金は接触費用などと呼ぶ。運営費とは、要するに報酬だ。接触費用は協力者に飲み食いさせる代金である。
公安の担当範囲は、近年恐ろしく広くなっている。NHKの次期会長候補にスキャンダルがないかまで調査にあたった。公明党情報をふくめて、幅広く政治家などの情報を集めている。ただ、これも肝心の共産党の活動が下火になったため、組織を維持するために対象範囲を広げざるをえなかったということにもある。
一般には知られざる公安警察の活動の一端を知ることのできる本です。
(2011年9月刊。720円+税)
今、全世界で「1%が支配する社会でいいのか」という問いかけとともに若者たちが行動を起こしています。日本ではまだまだ動きが鈍いのがもどかしくてなりません。
ところで、先日の新聞に日産のカルロス・ゴーン会長の年間報酬が9億8200万円であり、これは昨年より9100万円もの「賃上げ」があったこと、ソニーのハワード・ストリンガー会長は8億6300万円で、これまた昨年より3850万円も「賃上げ」されていることが報じられていました。ひどいですよね、許せませんよね。「99%」の労働者には賃下げ、首切り、非正規雇用を押しつけておいて、自分たちは8億円とか10億円近い年収をもらっていながら、さらに9千万円とか4千万円近く「賃上げ」をお手盛りで決める。これは異常な社会と言うべきではないでしょうか。もっと私たちは怒るべきですし、怒りを行動に示すべきだと思います。
2010年11月23日
くにおの警察官人生
著者 斉藤 邦雄、 共同文化社 出版
2004年、北海道警の裏金問題を初めに告発したのは、元警視長で元道警の釧路方面本部長でもあった原田宏治氏でした。著者は、原田氏に続いて裏帳簿を提供して告発を裏付けた弟子屈(てしかが)警察署の元次長です。まことに勇気ある人々です。心より敬意を表します。
このお二人が趣味のサイクリングで仲間だったことは、本書を読んで初めて知りました。著者は私と同じ団塊世代です。警察学校の教官を2回も経験していますので、警察官として優秀であったことは間違いありません。
この本は、「市民の目フォーラム北海道」のホームページにブログ「くにおの警察日記」を連載していたのを一冊の本にまとめたものですので、肩のこらない、大変読みやすい内容になっています。
裏金づくりに加担させられ、ニセ領収書を作成した口止め料として、北見警察署に着任早々、防犯課長から毎月3千円をもらった。1973年のことである。裏金づくり、そしてその利用は古くからあり、また広い範囲で根づいていた。このことが、体験をふまえことこまかに具体的に紹介されています。
裏金を使うのは、あくまでも上層部の特権である。書類をもっともらしく作らなければならないのは、下っ端の庶務係だった。いやはや、すまじきものは宮仕え、ですよね。
暴力団組長に捜査情報を流し、かつ暴力団組長とゴルフで遊びまくる。そんな警察官が全国優秀警察職員表彰を受けることがある。なんとなんと、そんなこともあるのですか・・・・。
いま、新しい裏金づくりの手口がある。物品が納められていないのに納入されたことにして代金を支払い、業者にそのお金を管理させる、いわゆる「預け」。このほか、業者に事実とは異なる請求書を出させて別の物品を納入させる「差し替え」などである。民間企業を巻き込む手口は、止まるところを知らず、エスカレートする一方である。
警察官の仕事の大変さも知ることのできる本でした。
(2010年8月刊。1600円+税)
2010年11月 6日
はまゆう
著者 小坪 哲成、 海鳥社 出版
タイトルも何のことやら見当がつかず、冴えないセピア色の昔の街頭風景写真をつかった表紙で、手にとって読みはじめたとき、正直言って期待していませんでした。ところが、案に相違して、この本はとても面白いのです。
私より少し若い著者は、今年、60歳で警察を定年退職しました。福岡県警で40年あまりを勤めあげた、その経験がこの小説に見事に結実しています。
暴走族特別捜査班長時代には、「鬼班長」として暴走族から恐れられていたといいますが、その文体はきめ細かく、読み者の心をつかむ秀逸な文章になっています。私も職業柄、警察小説を多読していますし、元警察官の書いた本もたくさん読んでいますが、この本は、ピカイチの部類に入ると私は思います。なんといっても、捜査の現場にいたことのある体験を生かした描写には圧倒的な迫真力があります。オビに、「実際の捜査現場を、リアルに再現した“本当の”警察小説。容疑者との根くらべ。ひたすら脚を使った地道な捜査。わずかな手がかりを頼りに、倦むことなく犯人を追う―」とあります。
実際の捜査現場は、こんなものなんだろうな、大変だなと思いつつ読みすすめていきました。殺人事件が起きます。その犯人が迷宮入りするなかで警察官を志望する二人の青年。警察のなかで鍛えられ、やがてひょんなことから、犯人の目星がつきます。しかし、どうやって口を割らせるか・・・・。思案のしどころです。そこは足を使うしかない。聞き込みにまわります。
捜査とは、そ・う・さ、である。「そ」とは犯罪現場では、掃除をするように、小さなごみ一つでも見逃さない。なぜ、それがそこにあるのか、自分で納得できるまで追及する。「う」とは、嘘をつかないこと。「さ」とは、最後まであきらめないこと。
これって、弁護士の仕事にも通じる大切なことです。
(2010年8月刊。1300円+税)
2010年10月26日
封印
著者 津島 稜、 出版 角川書店
1982年(昭和57年)秋に発覚して、世間で大問題となった大阪府警のゲーム機汚職事件について、当時、産経新聞大阪社会部にいて事件を追及していた著者の体験をもとにしたノンフィクションのような小説です。さすが迫真の描写です。逮捕者5人、現職警官ら124人が処分された史上最大の警官汚職事件の発端から最後までが生々しく描かれています。
とりわけ、スクープを抑えようとする新聞社の経営幹部の言動、そして、当時の府警本部長だったキャリア警察官(警察大学校の校長)の自殺に至る経過などが強く印象に残りました。ただ、「あとがき」に府警内部の「餞別・祝儀」という習慣がなくなり、網紀粛正が徹底している、と書かれていますが、本当にそうなのか、私には信じられません。今も巧妙に形を変えて残っているのではないでしょうか。狙撃された国松元警察庁長官が超高級マンションになぜ住めたのか、その謎はいまもって明らかにされていません。
そして、この本は、大阪地検特捜部を評価する本でもあるのですが、現在進行形の証拠偽造事件を知るにつけ、当時から無理な捜査をしていなかったのか、知りたいところでもあります。それはともかくとして、地検特捜部と警察との微妙な関係もよく描かれていて、大いに勉強になりました。
大阪特捜は、事件捜査について、土肥氏らが培った伝統を継承した時代から、合理的かつ効率的な立件を重視する時代へと移行しつつある。大阪特捜にも時代の転換期が訪れたのかもしれない。
府警幹部にからむ裏金の処理問題などを警察庁に正直に報告しても意味はない。自分の首をしめかねない。全国に同じような事情があることは警察庁も十分承知のところである。バカ正直な報告を受けると、建前上、警察庁も処分なり改善を指示しなければならない。だから、警察庁もそんなことは期待なんかしていない。
警察庁のホンネは、第一に無用の捜査は速やかに終結せよ、第二に、捜査の過程で予測できる疑惑については無視して凍結せよ。府警本部長が多数の業者団体から接待を受けようが、祝い金や餞別を受け取ろうが、問題ではない。それを問題にしたら、本部長は今後、異動も昇進もできなくなる。
そして、マスコミの内部ではスクープを止める力が働いた。ある経営幹部は次のように言った。
こんな特ダネはいらん。うちの社は府警に世話になっている。本社主催のイベントで大掛かりな交通整理をしてもらっているし、印刷工場周辺に信号機も設置してもらった。最近も販売局が購買部数で協力を頼んでいる。
そうですよね。マスコミと警察の癒着は目に余ります・・・・。30年近くも前の出来事ではありますが、古くて新しいテーマだと思いました。
(2010年月刊。1900円+税)
2010年9月19日
北帰行
著者:佐々木譲、出版社:角川書店
いつもの警察小説ではありませんでした。長編クライム・サスペンスと銘うった小説です。
ロシアから送りこまれたヒットウーマンが大活躍します。といっても、次々にピストルで男たちを殺していくのを活躍と名づけるのは、少し気が引けます。
暴力団がもちろん登場します。六本木を縄張りにしています。このところ、我が福岡でも拳銃発射事件が相次ぎ、しかも犯人もピストルも検挙・押収されていませんので、治安上の不安がつのります。
警察には、もっと頑張ってほしいですし、私たちも、本気で暴力団依存体質から脱却すべきではないでしょうか。
そのためには、大型公共土木工事優先の政治を転換する必要があります。大型公共土木工事が暴力団の喰いもの、最大の資金源であることを知らない市民が多すぎると思います。マスコミは、そのことをもっと大々的に、かつ、連続的に報道すべきではないでしょうか。
先日の西部ガスへの連続発砲事件についての解説記事のなかで、工事受注額の1~5%を暴力団へ上納するシステムがあり、西部ガスがそれを拒否したことによる嫌がらせだという指摘はそのとおりだと思います。そんなこといって、おかしいでしょ。これは、みんなで声をそろえて、おかしい、許せないと叫ばないと、いつまでたってもなくならないと私は思います。
だって、誰だって、自分一人がピストル向けられたら、何も言えませんからね。ともかく、この不景気な世の中で、ひとり暴力団だけがぬくぬくとしているなんて、とんでもないことですよ・・・。
新潟、稚内に巣喰うコリアン系のロシアン・マフィアも脇役として登場してきます。
今回は警視庁組織犯罪対策部は、後手後手にまわっていて、ほんの刺身のツマとしてしか登場しません。
そんなことじゃあ、困るんだよな・・・。そう思わせる内容でした。
車中で読みふけっているうちに終点に着いてしまいました。まだ読み終わっていませんでしたので、喫茶店に入って好きなカフェラテを飲みながら読了してしまいました。
だって、結末がどうなったのか知らなくては、次へ仕事への頭の切り換えができませんからですね・・・。
(2010年1月刊。1800円+税)
2010年7月22日
時効捜査
著者:竹内 明、出版社:講談社
警察庁長官狙撃事件が起きたのは1995年3月30日の朝。そして15年たった今年、2010年3月30日に公訴時効が成立した。
警察トップが狙撃され、日本警察のメンツがかかっていた事件で、警察は犯人を検挙することが、ついに出来ませんでした。この事実の前に、何人と言えども、もはや日本の警察は世界一優秀だなんて言うことは許されないでしょう。
警視庁本部庁舎14階、最高の眺望を誇る区画には公安部幹部が陣取っている。皇居を望むエリアには、公安部長(キャリア)、公安部ナンバー3にあたる部付(ノンキャリア)、筆頭課長である公安総務課長(キャリア)が執務室を構える。ナンバー2である参事官(キャリア)は公安一課長(ノンキャリア)とともに、桜田通りを見おろす窓側に個室を持つ。公安捜査員は1200人いる。いやはや、大変な人数です。それでも、無能だとのそしりを免れません。共産党の合法ビラ配布の尾行捜査は得意のようなんですがね・・・。
国松長官は狙撃されて死線をさまよっている状況にあった。このとき、警視総監の井上幸彦(昭和37年入省)は、公安部をモトダチ(捜査の中核となる部署)とした。刑事部と公安部の捜査は、警視総監が一元化する。オウムとは全庁あげて闘うという井上総監の主張に、一期下の関口警察庁次長は異論を封じ込められた。現場での捜査経験のないまま公安部の幹部ポストに就任する警察キャリアが捜査に首を突っ込んで方向性を示してしまうと、真実とはかけ離れた事件の構図を作り出してしまうことがある。
うへーっ、これって恐ろしいことですよね。そしてまた、これって警察キャリアの存在意義を否定するものでもありますよね・・・。
この事件では、オウムの信者である公安警察官が犯人として執拗な取り調べを受けました。その点について、次のように指摘されています。
ヨコガキの世界に生きてきた公安捜査員の弱点が露呈した。ヨコガキとは、供述内容をまとめた取り調べメモや捜査報告書のこと。つまり、刑事事件の捜査で作成する「タテガキ」すなわち司法警察員面前調書の書き方など、刑事訴訟法にもとづいた手続を学ばずにきた公安幹部が、刑事事件捜査を進めることになったとき、その弱点を露呈してしまった。刑事警察と公安警察の違いは根深いものがあるようです。
「現場警官が国松長官狙撃を供述」と新聞に大々的に報道した。しかし、このとき警察庁は警視庁に対して激しく怒っていた。
刑事と公安の捜査員の気質は違う。刑事は捜査方針をめぐって上司にかみつくことも辞さない。信じるべきは現場に残された証拠のみ。
公安の指揮官は現場の捜査員に余計な情報をインプットしない。公安捜査員は捜査の全体像を求めることなく、与えられた任務のみに機械のように没頭し、与えられた範囲内で任務を着実に遂行しようとする。公安は組織を重んじ、個人の意思は存在しない。情報を獲得し、上司の命令に忠実に働く者が評価される。
時効完成の翌日、警視中は「捜査結果概要」なるものをインターネット上に掲載した。前代未聞の行動である。そこでは、「オウムの犯行であると認めた」と明記されている。しかし、これは、司法手続をまったく無視したものであり、警察権限を無視した暴挙としか言いようがない。
まったくもって、そうですよね。私は、オウム教団を擁護するつもりなんて、まったくありませんが、警察が、立件できなかったくせに「犯人はやっぱりあいつだ」なんてインターネット上で言うなんて狂気の沙汰です。これでは、裁判なんて不要だということ、つまり私刑の世界に逆戻りしたことになってしまいます。
それほど警視庁(公安部)の実力低下と、それによる不安感を裏づけるものはありません。ですから、警察のためにも残念な行為だったとしか言いようがありませんよ。
(2010年4月刊。1900円+税)
白いアサガオの花が咲きました。純白無垢で、すがすがしさを感じます。アサガオには黄色い花が無いそうですね。黒いチューリップや青いバラがないのと同じのようですが、植物にも色との相性があるわけなんでしょう。これも自然界の不思議です…。
2010年6月23日
違法捜査
著者 梶山 天 、角川学芸 出版
志布志事件の全貌が、ようやく分かった。この本を読んで、そんな気になりました。まず、登場人物が2頁にわたって紹介されています。逮捕され、結局のところ無罪となった住民のみなさんは実名です。強引な取調をした警察官とそれを支えた検察官たちは、県警本部長や検事正などを除いて大半が仮名です。これは不公平というべきでしょう。だって、警察官にあるまじきことをした人たちは、被害者がマスコミで誤って大々的に報道され、親子断絶にいたった人たちだっているのですから、全員の氏名を明らかにせよなんてことは言いませんが、検事正と県警本部長以外はみな仮名というのは、あまりに不公平だとしか思えません。とりわけ、捜査責任者だった警部と担当検事まで仮名にされているのは納得できないところです。
事件は2003年4月の統一地方選挙に「発生」しました。現金を住民に配って投票依頼したという公選法違反ですから、事実だとしたら、今どき、とんでもないことで、厳罰に処すべきだと思います。ところが、それがとんだぬれぎぬ、でっちあげだったというのです。ひどい警察があったものです。しかも、これを「摘発」した警察官たちは部内で大々的に表彰され、盛大な祝賀会までやっていたというのです。あきれてしまいます。
この本は、こんなひどい捜査手法に反発していた警察内部の人から貴重な資料を提供してもらって書かれていますので、弁護士の私にも大変参考になりました。たとえば、事件の構図を描いたチャート図、取り調べの調書の下書きにあたる「取調小票(とりしらべこひょう)」、鹿児島県警と鹿児島地検との裁判対策の協議会議事録などでです。そのコピーがそのまま紹介されています。すごいことです。これを見ただけでも、この本を読んだ意味がありました。
取調小票というのは上司の決裁権もある、ちゃんとした内部文書である。単なる個人的メモではない。
鹿児島県警には、「たたき割り」という取り調べの手法がある。これは、被疑者を押しつけて、大声で怒鳴りながら、相手に威圧感を与えながら自白させるというもの。
3、4日も取り調べたら、自供なしの手ぶらでは帰さない。結果を出せば評価されるし、ダメなら刑事失格の烙印を押される。自供させられないと、「おまえはダメなヤツだ」と怒鳴られ、転勤か配置換えで飛ばされる。勤務評定に響く。これが鹿児島県警の体質である。志布志事件では、被告人の拘留日数が驚くほど長い。中山信一さんは395日。その奥さんも273日。次いで185日など、大半が100日をこえる。一番短い人でも3ヶ月。保釈申請しても8回も却下された。これでは、裁判所も同罪ですよね。否認したら保釈が認められないのを、私たち弁護士会では「人質司法」と呼んで糾弾しています。
大原英雄判事と前澤久美子裁判官も検察庁の無謀な起訴に手を貸してしまったと言われても仕方がないように思われます。
そして、冤罪で逮捕された人たちが弁護人を信じられずに、解任したり、面会を拒んでしまうのです。というのも、弁護人と面会すると、そのあと決まって、弁護士との会話について根掘り葉掘り訊かれて嫌になるのです。弁護人とはいえせいぜい1時間の面会。取調の刑事のほうを、長く接しているうちについつい信用してしまうのでした。被告と弁護人との接見内容を調書にするよう指示したのは、麻生興太郎検事だった。
うへーっ、ひ、ひどいものですよ、これって・・・・。弁護人は秘密に被告人と交流できないとこを知らないはずはないのに・・・・、ですね。
接見内容を調書に取られたのは最高17回もあったのでした。許せませんよね。
現代日本の警察の実態を知るうえで欠かせない本だと思います。とりわけ若い弁護士のみなさんには、ぜひぜひ読んでもらいたいと思いました。
(2010年2月刊。2000円+税)
初夏の庭にグラジオラスが次々い咲いてくれます。ピンク、白、黄色と華やかな花々に心が騒ぎます。
梅雨に入ったので、アガパンサスのブルーの花も開いてくれました。地上に花火が打ち上げられた格好の素敵な花です。
ちよこさん、私のブログまでご覧いただきありがとうございます。
2010年5月23日
警察庁長官を撃った男
著者:鹿島圭介、出版社:新潮社
国松孝次・警察庁長官が暗殺されようとした事件が、ついに時効を迎え、迷宮入りが確定してしまいました。日本警察の完敗です。
この本は、捜査にあたっていたのが警視庁公安部であったから犯人検挙ができなかったのだと口をきわめて再三再四、厳しく弾劾しています。
先ごろ、日曜日、マンションに日本共産党の赤旗新聞号外を配布した人(公務員でした)を強引に検挙して、あげくの果てに無罪になった事件がありましたが、その事件の主役も同じ警視庁公安部でした。マンションへのビラ配布事件では。1ヶ月ほどもその人を尾行していて、ビデオで撮影していたと言います。よほど警視庁公安部ってヒマなんですね。とても犯罪にならないような事件を何十人もの公安係の刑事が尾行していたというのです。全部、これって税金でまかなわれる公務なんですよね。ひどいムダづかいです。ところが、自分のボス(親玉)の暗殺未遂事件では犯人検挙ができなかったというわけです。警視庁公安部って、どっか狂っている感じですね。
時効が完成したあと、やっぱりオウムが疑わしいんだという報告書を警視庁公安部が主体の捜査本部が発表してマスコミから叩かれていましたが、その批判はもっともだと思います。強力な権力を握っていながら、立件もできなかったのに、あいつは疑わしかったんだ、なんて犬の遠吠えみたいな言い草はないと思います。
この本の恐るべきところは、暗殺(未遂)犯を実名であげ、その背景と経過を明らかにしたうえ、なぜ立件されなかったのかを追及しているところです。
結局、警視庁公安部がオウムを犯人に仕立てあげるのに固執していたため、すべては狂ってしまった。このように著者は言いたいのです。
警察庁長官狙撃事件で犯人とされていたのは、オウム真理教の現役信者であった元巡査長でした。この人は、なんと3回も警視庁公安部から取り調べを受けたのです。これは、たしかに異例すぎます。
この異例の大失敗を重ねた責任者は、2010年1月に警視総監を勇退した米村敏明氏だと、著者は厳しく弾劾しています。この本を読むと、それもなるほどと思わせます。米村氏の弁明を聞いてみたいと思いました。
警察庁長官狙撃事件が発生したのは1995年3月30日のことです。その10日前の3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生しています。
そのころ私は弁護士会の役員をしていましたから、上京することも多く、地下鉄の霞ヶ関駅にもよく行っていました。事件にぶつからなかったのは運が良かったとしか言いようがありません。
国松長官が住んでいたマンションは、超高級マンションであり、国家公務員の給料だけで買えるはずはないという指摘もされていました。私も、そうだと思います。県警本部長を退任すると巨額の餞別金をもらえる。また、警察の裏金の支給もある。こんなお金で、この超高級マンションを購入したのではないか・・・。この疑問のほうも解明されないまま、事件は時効を迎えてしまい、本当に残念です。
日本の警察よ、もっとしっかりしてくださいね。お願いしますよ。
(2010年4月刊。1500円+税)