弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2014年2月13日

初日への手紙


著者  井上 ひさし 、 出版  白水社

 作家の創作過程とは、かくも壮絶なものなのか・・・。読んでいて、何度となく、思わず息を呑みました。
 この本は東京の新国立劇場で公演された「東京裁判三部作」(「夢の裂け目」「夢の泪」「夢の痂」)の制作過程で、作者である著者から担当プロデューサーに送られてきたファックスを中心とするものです。私は残念ながら演劇をみていませんし、脚本もあらスジも知りません。そのうち読もうと思います。
 恒例の人間ドックに持ち込んだ本のうち、東京裁判について書かれたものがあり、それをたまたま読んでいましたので、内容の理解が早まりました。これはまったくの偶然でした。
 著者の人物設定は実に詳細である。土台となる登場人物がおおよそ決まったところで、次は物語、ドラマの展開に着手する。人物は「劇」の展開を背負って登場させる。
 これからの10日間が戯曲の生命が宿るとき。だから、あまり人に会わず、ただただ内側から知恵と力が湧くようにやっている。
 旅館にこもって書くときには、長い経験からあまり資料をもっていっては失敗する。そこでは、物語の発展に集中する。
話の展開をつめているとき、著者は盟友であり、「先生」と呼ぶ作曲家の宇野誠一郎と電話で2、3時間はなし、聞いてもらう。これは著者の戯曲制作の過程で必要な儀式の一つだ。
 ホンモノの東京裁判に登場した証人400人のなかに「日本紙芝居協会の会長」がいたのでした。信じられない気がしますが、著者はドラマの主人公として取り込むことにしたのです。そして、紙芝居に関する資料を猛烈に集め、作成しました。
 いま最後の仕上げに、昭和20年8月から1年間の朝日新聞をサーッと読んでいるところ・・・。
 私も、実は、同じようなことをしたことがあります。1968年6月に始まった東大闘争の1年間を小説にするため、この年の4月から翌年の3月までの1年間の朝日新聞縮刷版を図書館から借りてコピーし、読み通しました。
 著者は登場人物の小さな写真を三角形の人形につくり、机上に置き、人形を眺め、動かしながら物語の展開を考えていった。
 「ほんとうに切羽詰まった状況ですが・・・。いまは、この芝居を果たして成立するだろうかという不安と恐怖で、1字打つたびに、緊張のあまり吐きそうになっております」
 これは午前4時09分のFAXの文面です。
 著者は、構想段階で、多様かつ綿密なプロットをつくる。だた、プロデューサーとしては、いつ著者が戯曲本体の執筆を始めるのか、気が気ではなかった。
著者から午前4時にFAXが届くと、担当プロデューサーとしては、とにかく早く返信しなければいけない。相手は天才、しかもギリギリまで自分を追い込み、いわば普通でない状態になっている。いい加減なことは書けないし、執筆が順調にいくように配慮もしなければいけない。ほぼ24時間体制で対応する。
 部屋に閉じこもりきりの著者にとって、プロデューサーからのFAXは現場をのぞく鍵穴のようなもの。現場で感じたことは貴重な情報にもなる。ただ、その書きかたは非常に微妙で難しい。ストレートに書けばいいというものではないし、かといって伝わらなくては意味がない。
 著者の作品を担当したプロデューサーは基本的に自宅に帰れない。劇場近くに部屋を借りる。
 著者の遅筆は有名です。初日まで10日間(5日間しかないこともあった)の稽古しかできない、ギリギリのタイミングでの脱稿。それから、初日に向けてのスタッフ・キャストの死に物狂いの戦いが始まる。
 井上新作劇を上演するのは、井上作品に精通した百戦錬磨の優秀なスタッフ軍団にしかできない。そして、キャスト・スタッフを統括する演出家は、ごく限られてくる。
 帝国ホテル地下の寿司屋「なか田」の中トロ丼が著者の好物だったとのことです。私も一度、味わってみたいと思います。
 眠ることができれば、頭がよくなるのに・・・。がんばれ、集中せよと自分に声をかけながら、深夜の庭をうろうろ歩き回っているばかり。マクベスのように「眠りがほしい」と切なく祈る。
 今夜は思い切って薬をつかって寝よう。そして、明朝から、最後の勝負をかける。それでも打開できなければ、私財を投げうって自爆するしかない。いえ、死のうというのではなく、一切、家に閉じこもって、また最初のスタート台に立つ覚悟ということ・・・。
 まことにすさまじいばかりの格闘です。圧倒されてしまいました。いくら著者が天才といっても、これほど身を削る努力をしていたとは・・・。すごい本です。
 著者の戯曲創作のスゴさは人間業とは思えないもの。天才こそ努力家だという、まさに見本だ。膨大な資料を読み込み、年表など克明な資料をつくり、俳優にあわせて登場人物を考えて物語を構想し、綿密かつ大量のプロットを書き、ようやく戯曲本体を書き出しても、さらに推敲のうえに推敲を重ねる。
こんないい本をつくっていただいて、ただただ、ありがとうございます、としか言いようがありません。
(2013年9月刊。2800円+税)

2014年2月12日

愛の話、幸福の話


著者  美輪 明宏 、 出版  集英社

 ヨイトマケの唄で多くの人を久しぶりに感動させた著者の本です。
 テレビを見ない私は、その唄を聞いたこともほとんどありませんが、社会に真剣に向き合って生きている著者を尊敬しています。
 このごろ疲れがたまっているな。そんな思いをかかえている人には、きっと一服の清涼剤になる本だと思います。
 「ヨイトマケの唄」をつくったのは、著者が24歳のとき。
 著者には、20歳のころから、養わなければいけない多くの家族がいた。病気の父、兄や弟たち8人への仕送りをしていた。そうして信じていた人に全財産をだまし取られた。
 25歳から29歳までの5年間は、本当に地獄だった。
 別れた相手を憎しみ続ける人は、自分に誇りをもっていない。愛される女とは、余裕のある思いやりのある女のことを言う。
 セックスだけの恋は、長続きしない恋。セックスを切り捨てたところから始まる恋愛感情こそ、本物。それが質のいい恋なのだ。恋愛は、しょせん他人との関わりあい。
 女のランクは、洋服や化粧で飾るだけで上がるものではない。中身がスタイリッシュでないと、相手の心をとりこにはでいない。自分を否定しまいそうなとき、好きになれないときには、体内にはほかにもっと素敵な自分がたくさんいると考えたらいい。そして、その可能性を引き出す。
 結婚はレジャーでもなく、自分を変えてくれる人生の大イベントでも、お祭りでもない。
著者は霊視できるといいます。そして、困ったときには、純粋な気持ちで、観音様のエネルギーを自分の中に注入するつもりで、「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)、念彼観音力・・・」と唱えるというのです。
 宿命と運命は違うもの。占いで分かるのは宿命だけ。運命とは、自分の意思と力で、設計図を変更することができる。
 17歳でプロになり、銀座でシャンソンを歌いはじめた著者の味わい深い本でした。
 赤木圭一郎とのロマンスがあるというのを知って、驚きました。
 「ヨイトマケの唄」がヒットしたのは私が高校生のときでした。そのとき著者は31歳です。
(2013年3月刊。1500円+税)

2014年2月11日

陽のあたる家


著者  さいき まこ 、 出版  秋田書店

 マンガで分かる生活保護、となっています。なるほど、本当は生活保護の必要な家庭がなぜ生活保護を受けていないのか、よく分かります。
 そんな制度があることを知らない(無知)、行政が受理しようとしない(冷たい行政)、生活保護を受けるなんて恥ずかしい(権利だということの無自覚)、世間の冷たい目(生活が苦しい人のなかには妬みから足をひっぱり、中傷する人がいる)、などです。
 私が相談を受けたときに生活保護をすすめると、ためらう人の多いのは、もう一つ現実的な理由があります。自動車の保有が原則として認められないということです。これでは現代社会では不便きわまりありません。安い中古自動車は、今や生活必需品です。決してぜいたく品ではありません。就職だって出来ません。
 夫が過労から病気になってしまったとき、一挙に生活苦に陥ってしまう危険があることがよく分かるストーリーです。子どもたちも、お金がないことから、学校で肩身の狭い思いをさせられます。もう生きていく資格すら内容にまで思わされるのです。でも、生活保護は憲法にもとづいた国の義務なのです。国民には、誰だって最低限度の文化的生活を過ごす権利があるのです。
 ですから、必要なら堂々と胸をはって申請すればいいのです。ところが、「不正受給」があることを口実として、当局が生活保護の受付をしぶり、多くの人がバッシングに加担しているという現実があります。
 先日、私のまわりで起きたことは、生活保護を受けている人が店でうどんを食べている。税金で暮らしているくせに外食するなんて、けしからんという通報が保護課にあったというのです。それを聞いて、私はぞっとしました。店でうどんを食べるのがぜいたくだなんて・・・。
 マンガで生活保護のことがよく分かる本です。子どもたちもふくめて、みんなが安心して生活できる日本にしたいものです。その意味でも、いまの安倍政権がすすめている生活保護の切り捨て策は許せません。一読をおすすめします。
(2013年12月刊。700円+税)

2014年2月 9日

にぎわいの場・富山グランド・プラザ


著者  山下 裕子 、 出版  学芸出版社

 楽しいマチづくりにとって、とても役に立つ本です。読んでいると、元気が湧いてきます。
 マチづくりはハコモノづくりではないのです。やっぱり、人が集まり、楽しめる場をつくることこそ大切です。富山駅の近くに稼働率100%の公共空間がつくられ、市民がゆったり過ごせる場となっているそうです。すばらしいアイデアです。そして、それを運営している人々の実行力にも敬意を表したくなりました。
 2007年9月、富山市まちなか賑わい広場(グランドプラザ)が誕生した。まちなかに広場空間を形成しているガラスの建物。富山市は百貨店と駐車場ビルのあいだにある広場に、ガラスの屋根をつくらえた。東西21メートル、南北65メートルの広場。
 当初は富山市直営の運営。現在は第三セクターによる。平均年齢30代前半の若者が運営を担っている。富山は雨雪の多い気候風土。だから屋根付の広場が発案された。グランドプラザの総工費は15.2億円。厚さが15ミリメートルの強化合わせガラスを使用。屋外空間として認められたので、スプリンクラーなど、防火設備は不要。使用料を支払えば、だれでも活用できる広場。最高額は土日休日の1日(12時間)の20万円。
 このグランドプラザでは、年間100件以上のイベントが開催され、休日のイベント実施率はほぼ100%。休日はいつも賑やかな光景にするため、イベントを仕掛け続ける。子どもの来街促進に重きをおいている。
 広場には、いつもカフェテーブル、椅子がある。そのおかげで、人が佇み、くつろぐ人がいる。そこに交流が生まれ、その光景が賑わいとして人の目に映る。間仕切りのための壁やテントはなるべく立てず、会場の隅々まで一望できる。
 木の植栽5台、カフェテーブル25セット(100席)、ベンチ3本が常設されているが、すべて移動が可能。スタッフは、全員が同じ物を身につける。そして、スタッフ全員が拍手して盛りあげる。倉庫(収納庫)は、地下からせり上がってきて、舞台としても使える。
 人工芝を設置し、つみ木を毎日おいていく。しかし、夜にはすべて撤収し、朝には広場に何もない。
 277インチの大型ビジョンは、あえてローカル情報に徹した映像を流す。
 つみ木広場では、子どもたちは靴を脱いで遊ぶ。ベンチも壁際に置くと、疲労感漂う人が座る。拠り所のない真ん中に置くと、笑顔の素敵な母親が座る。
 グランドプラザが2日間だけのみの市に変身する、ココマルシェ。県内のフラダンサー1000人が集結する発表会、アロハ・ヘブン。高校生ダンスライブ。そして、本物の人前式の結婚式。そして、夕方からは、カジュアルワイン会に人が集う。
 楽しい、ワクワクする広場ですね。ぜひもう一度、富山市に行ってみたくなりました。
(2013年10月刊。2000円+税)

2014年2月 8日

食の戦争


著者  鈴木 宣弘 、 出版  文春新書

 食料の安さだけを追求することは、命を削ることと同じである。
 私も、まったく同感です。生活が苦しくなっているなか、なんでも安ければいいという考えが広まり、強くなっています。でも、食料を得るには大変な苦労がいります。安全かつ安心して食べられる食料を安定的に確保するのは国の最低限の責務でしょう。それを安倍政権は放り投げようとしています。TPP参加です。
 日本全国の郵便局でアフラックの保険を売り出すといいます。アメリカの民間保険会社に郵便局が乗っとられようとしています。郵政民営化とは、実は、アメリカ資本への市場開放だったのです。小泉純一郎に大勢の日本人がうまうまとだまされてしまいました。そして、今なお、だまされたことを自覚していない日本人が多数います。
中国の富裕層は、日本へ輸出している自分の国の野菜は食べず、日本から輸入した5~10倍の値段の日本の野菜を食べている。なぜか?
 安い粗悪な農薬が使われているから。
 日本の食は徹底してアメリカの戦略下に置かれ、変わるように仕向けられてきた。アメリカは、第二次世界大戦後、余剰小麦の援助輸出なども活用しながら日本の食生活をじわじわと変革していった。
 巧妙な食料戦略は功を奏し、いつしか、アメリカの小麦や飼料穀物、畜産物なしでは、日本の食生活が成り立たないような状況がつくられていった。食糧自給率が39%にまで低下しているのはその証である。
 日本政府は、国内の肉牛農業者や酪農業者には成長ホルモンの使用を禁じている。しかし、輸入については何の制限もしていない。
アメリカの企業であるモンサントは、1990年代半ば以降、次々と大手種子企業を買収し、現在では、世界のトウモロコシ種子市場の41%、大豆種子市場の25%、主な野菜市場の2~4割を占めている。
 モンサントは、遺伝子組換え(GM)作物の開発をすすめ、大豆で93%、トウモロコシで92%、綿花で71%、菜種で44%をGMが占めている。
 日本の農業は「過保護」ではない。日本の農業保護制度は、世界的にみて、かなり低い。日本農業は過保護だから高齢化したのではない。むしろ、関税も国内保護も削減し続けてきたために高齢化などの問題が生じた。
 TPPに参加して、この流れを加速させてしまったら、日本の農業は完全に崩壊してしまう。輸出で経営が成り立つ農家はいないし、考えられない。
 アメリカのスティグリッツ教授は来日したとき、次のように言った。
 「TPPはアメリカ企業の利益を守ろうとするもので、日米国民の利益にはならない。途上国の発展も妨げる」
 TPPとは、人口の1%ながらアメリカの富の40%を握る多国籍な巨大企業中心の、「1%の、1%による、1%のための」協定であり、大多数を不幸にするもの。
 たとえ99%の人々が損失をこうむっても「1%」の人々の富の増加によって統計としての富が増加すれば効率的だという、乱暴な論理である。
 安倍政権がすすめているTPP交渉参加は、「今だけ、金だけ、自分だけ」の典型です。
農産物を安く買いたたいてもうかったと思う企業や消費者は間違っている。それによって、国民の食料を生産してくれる産業が疲弊し、縮小してしまったら、結局、みんなが成り立たなくなる。
 本当にそのとおりです。私よりひとまわり若い著者の講演を聞いたことがありますが、本当に明快な話でした。TPP参加は阻止しなければいけないという熱意がひしひしと伝わって来る本です。ぜひ、ご一読ください。
(2013年8月刊。710円+税)

2014年2月 7日

ネットと愛国


著者  安田 浩一 、 出版  講談社

 日本を愛しているのは自称右翼の専売特許ではありません。むしろ、素直に愛せる日本を子や子孫に守り伝えたいと思っているのが左翼ではないでしょうか・・・。
 ザイトク会という特異な団体がマスコミを騒がしています。「在日特権を許さない市民の会」というのですが、「在日」の人に「特権」があるなんて、まともな人の主張とは思えませんが、本人たちはいたって本気のようですから、怖いです。
 そして、その「ザイトク会」は会員が1万1000人というのです。それだけ、世の中の真実をまともに見れない人がいるということですから、悲しくなります。しかも「ザイトク会」の幹部のなかに祖父が在日韓国人だったという人物もいるというのです。そう言えば、ユダヤ人を大虐殺したナチス・ドイツのトップにもユダヤ人の血が混じっている人が何人もいたようです。
 在特会のリーダーの桜井誠の本名は高田誠。北九州八幡西区の出身。高校生までは影の薄い男だった。
 在特会は2007年1月にスタートした。幹部のほとんどが本名ではなく、ペンネームをつかっている。本部事務所の住所も公表していない。在日の人の通名を「特権」と批判しながら、自らは通名を名乗るというのは、どういう神経でしょうか・・・。
 新右翼団体「一水会」は、在特会を「まるで弱い者いじめで、とうてい賛同できない」ときびしく批判する。
 在特会のメンバーは既存の右翼を嫌う者が多い。右翼と混同されないよう、「特攻服」を着ない。
 在特会はソフトバンクを攻撃する。オーナーが元韓国籍だから。
 私は、これだけで、なんと心の狭い人々なんだろうかと哀れに思いました。これでは世界平和も何もあったものではありません。
この本は、「在日特権」なるものが、全くのデマだということを事実をあげて証明しています。私もまったくそのとおりだと思います。
 在日の人に生活保護が多いというのも「特権」ではなく、そういう現実があるという悲しい状況を反映しているだけなのです。それを「特権」だなんて、話がアベコベです。
 そして、ヘイトスピーチは単なる言論の域をこえて(逸脱していて)、もはや犯罪(コトバによる暴力)です。京都地方裁判所などが犯罪としたのは正当な判断です。
 「ザイトク会」の実態を明らかにした労作です。それにしても、こんなにも心の狭い人が増えている日本は心配です。マスコミは、きちんと犯罪(現行犯)とみて扱うべきです。間違ってもヘイトスピーチを言論の自由のレベルで論じるべきではありません。その点では、判例にしたがう必要があります。
(2013年6月刊。1700円+税)

2014年2月 3日

ザ・タイガース、花の首飾り物語


著者  瞳 みのる 、 出版  小学館

 グループ・サウンズのザ・タイガースといえば、私の大学生時代には大変な人気でした。
 なかでも、この「花の首飾り」という歌は、私も大好きでした。
 そうは言っても、若い人たちと話すと、「なんですか、それ?」という反応があり、ちょっぴり悲しくなります。
花咲く娘たちは  花咲く野辺で
ひな菊の花の首飾り
やさしく編んでいた
 この歌詞は、なんと月刊『明星』で懸賞募集されてつくられたものだったのです。それも、なんと、1ヵ月あまりのうちに13万通も応募作品が殺到したというのですから、驚きます。
 当選発表は1968年(昭和43年)1月に発売された。『明星』3月号。当選者は当時19歳の北海道の女学生、菅原房子。1等の賞金は5万円。私が大学1年生のころのことです。ようやく東京での生活にも慣れてきました。月に1万5千円ほどで生活していましたから、5万円というと、3ヵ月も生活できることになります。大金です。3月に武道館で1万2000人を集めてザ・タイガースの新曲発表があったのでした。ヒットチャート首位を7週連続で続けたほど売れました。大変なブームでした。
 著者はザ・タイガースで「ピー」と呼ばれ、ドラムを叩いていました。ザ・タイガースの解散後、出身地の京都に戻り、芸能界と縁を切って勉強し、慶応大学に入り、卒業後は慶応高校で40年間、漢文を教えていたそうです。すごい人です。
 そして、作詞をした女子学生を、北海道まで飛んで探りあてるのでした。
 菅原さんは当時、定時制高校生。チャイコフスキー作曲のバレエ音楽「白鳥の湖」をモチーフにして書いた。国語が嫌いで、文章を書くのも嫌いで、詩など作ったこともなく、決して文学少女でもなかった。友人に誘われて、みんなで書いて応募することになって送ったという。もちろん、熱心なタイガースファンだった。
菅原さんの当時の住所は、北海道の八雲町。函館の近くになる。私も一度、行ってみたくなりました。
 菅原さんの送った歌詞は今のものとはかなり違っています。なかにし礼が補正して、すっかり変わっているのです。
 でも、なかにし礼が次のように言っているのは、私もそのとおりだと思いました。
菅原さんのつづり方がなかったら、これは生まれなかった。サッカーで言えば、10人の選手は菅原さん。最後のゴールを決めたのが、僕(なかにし礼)。
 物語として、断トツだった。しかし、それは詩になっていなかった・・・。
 そして、メロディーのほうは、わずか5分で出来あがったというのです。さすがプロは違います。なつかしい青春の歌のひとコマをたどることが出来ました。ありがとうございました。
(2013年12月刊。1500円+税)

2014年1月28日

しんがり、山一證券、最後の12人


著者  清武 英利 、 出版  講談社

 1997年11月、山一證券は自主廃業を迫られた。
 山一證券は1897年(明治30年)に「小池国三商店」としてスタートした老舗。日清戦争の「戦勝相場」に便乗して成長し、日露戦争から関東大震災、太平洋戦争へと、恐慌、好景気の大波の狭間で100年間、兜町の雄として在った。
 「人の山一」と呼ばれ、身分の上下に関係なく、社長以外は互いに「さん」づけで呼びあった。
 「社員は悪くありません。悪いのは我々なんですから・・・。お願いします。再就職できるようお願いします」
 野澤社長が泣きながら頭を下げる写真は全世界に配信された。
 後軍(しんがり)とは、戦に敗れて退くとき、軍列の最後尾に踏みとどまって戦う兵士たちのこと。後軍に加わった社員たちは、会社中枢から離れたところで仕事をしてきた者ばかりだった。
 証券会社では、人柄や倫理観よりも数字が優先する。人格的に少々問題があっても稼げる社員に稼がせ、出世させるという不文律で固められている。そうした空気に疑問を投げかけたり、上司に不正や疑問を直言したりすると、業務管理本部(ギョウカン)に追いやられる。
 「旗をとる」という言葉が山一證券にあった。営業ノルマを超えて優秀な成績を上げた支店は、「優績営業店」と呼ばれた。その営業店の支店長が半期に一度、本社に集められ、社長から表彰状と金一封、そして「第○期社長表彰」という刺繍の入った小さな旗を授与された。それを「旗をとった」という。
 旗をとるほどの成績を上げるということは、自分を追い込み、どこかで部下に無理をさせているということ。證券知識の乏しい個人顧客に株や投資信託商品を売り付け、勝手に売買を繰り返して売買手数料を稼ごうとする者が現れる。これを「客を痛める」と言った。ときには、「客を殺す」こともあった。
 これは、証券会社特有の恥ずべき体質だ。手数料収入を上げるために値上がりが予想されるときでも買いを勧め、ときには客に無断で売買して損させる。相手が悪く、ねじ込まれれば、損失補償する大口顧客なら、あらかじめ「ニギリ」という利益保証をしておき、どこかで儲けさせ、つじつまを合わせた。損失補填や利益保証は水面下の裏取引である。
 「仕切り販売」とは、証券会社が投資家の注文なしに大量の様式を買っておいて、組織的に何人もの顧客にはめ込む違法な営業手法である。よりわずかでも株価が上昇していれば「もうかる株がある」などと言って売り、すでに下落している株についても、知識の乏しい顧客に売りつける。
 野村證券の酒巻社長は総会屋の小池から「もうけさせてください」という要求をのんだ。
 当時の金融界のトップは、総会屋やフィクサーたちに自ら会うことが珍しくなかった。むしろ、彼らはうまくあしらうことが力量のうちと考えられていた。しかし、あしらうどころか、逆に要求をつきつけられ、トップと総会屋が癒着し、闇の勢力をさらに会社の奥深くへと引き入れ、不正や悲劇の連鎖を招いていった。
 「あんこ」とは、証券会社の儲けをそのまま顧客の口座に移す証券界の隠語。
 客にも受けさせる手口には、値上がりが確実な証券類を提供する方法と、もうけが確定した証券会社の売買益を提供する方法の二つがある。会社は、同調しない人間を排除する組織である。抵抗する者を中枢から追い出し、同調する人間を出世させていく。この「同調圧力」という社内の空気のなかで時には平然と嘘をつくイエスマンを再生していく巨大なマシンでもある。
証券会社が社内に異常がないかどうかをチェックするのが「監査」、特別に調べるときに限って「調査」と呼ぶ。役所側が実施するのが「検査」。
 山一證券が倒産したあと、優秀な山一社員を採用しようとする会社が殺到した。求人数は社員数の2倍以上、2万人をこえた。
握り(ニギリ)とは、法人顧客の資金運用に関して、取引を事実上、一任させてもらい、その代わりに一定の運用利まわりの獲得を強く匂わせる勧誘行為。握りを実行する証券会社の営業マンにとっては、巨額の資金を一任的に運用できることから、積極的な様式売買で多額の手数料収入を稼ぎ、優績営業マンとして人事評価を高めた。もちろん、証券会社は、これで大きな手数料収入を得た。
 握りは株価が永久に上昇し続けることを前提とする。株価が長期反落期を迎えると運用ファンドに損失が発生し、顧客法人の期待にこたえられなくなる。そこで、顧客法人と担当営業マンとのあいだに「約束を守れ」「守れない」といったトラブルが発生する。
 会社という組織をどうしようもない怪物にたとえる人は多い。しかし、会社を怪物にしてしまうのは、トップであると同時に、そのトップに抵抗しない役員たちなのである。
 山一の社長も会長も逮捕され、有罪判決を受けている。
 山一證券のあと始末の顛末記として興味深く読み通しました。
(2013年12月刊。1800円+税)

2014年1月27日

生き延びるための思想


著者  上野 千鶴子 、 出版  岩波現代文庫

 女は平和主義だろうか?
 歴史は、その問いにノーと答える。日本の女性は「聖戦」の遂行に熱心に協力したし、英米の女性も戦争の「チアガール」をつとめた。女だからというだけで、自動的に平和主義者だということにはならない。
アメリカでは保守派の女性たちと家父長的な女性たちが女性の兵役からの排除を支持し、フェミニストの女性が兵役の男女平等を要求するという、ねじれた構図が生まれた。
軍隊とは国家暴力を組織化したものであり、国防軍とは市民社会で犯せば犯罪になる暴力行為が、非犯罪化される特権をもった集団である。
 戦闘訓練とは、より効果的に敵を倒す殺人訓練にほかならない。
 1991年の湾岸戦争は、大量のアメリカ軍女性兵士が登場して全世界に大きなショックを与えた。参戦した女性兵士は4万人、全体の12%にあたる。アメリカでは女性の参戦の歴史は長い。1783年の独立戦争において女性は銃をもってたたかい、戦傷者は年金を受けている。
 第一次世界大戦は3万4000人、第二次世界大戦は40万人が参戦した。これが兵員不足のせいではなかったことは、日本やドイツが女性の兵力化をすすめなかったことと対照的である。
 1972年に、アメリカ軍には4万5000人の女性兵士がいた。全体の2%。これが湾岸戦争直前の1990年には22万人、全体の11%に達した。1997年には33万人、13%。海兵隊にも5%いる。
 女性兵士の参戦は、湾岸戦争を「きれいな戦争」とフレームアップするために、象徴的に利用された。女性が軍隊を変えるのか、それとも軍隊が女性を変えるのか。
 兵士は、ある程度ゲタモノになる必要がある。なぜなら、戦闘は非人間的なものだから。だから、軍隊が女性を変化させる。
 この本は、女性にまつわる視点を根本から問い直そうとするものです。新しい発見というか観点がいくつもありました。
 さすがに鋭い分析だと驚嘆しながら、読みすすめていきました。
(2012年10月刊。1300円+税)

2014年1月23日

魂の経営


著者  古森 重隆 、 出版  東洋経済新報社

 フジ・フィルムがコダックを抜いたかと思うと、写真の現像はなくなり、コダックはついに倒産してしまいました。そして、富士フィルムとして、見事に経営を立て直した社長が力強く経営哲学を展開しています。その指摘には共感できるところが多く、勉強になりました。ただ、あまりにも自信満々の社長(CEO)のようで、従業員の受けとめはどうなのだろうか、その評価を聞いてみたくなりました。また、日本のTPP参加を当然とし、農業の在り方を変えろという主張は、実は、足が地に着いていない主張なのではないか、メーカー側の経営者として、あまりにも勝手なことを言っているという気がしました。安倍首相のお気に入りの経営者だそうで、少しガッカリもしました。
 写真フィルム市場は、10年間で世界の総需要が10分の1以下にまで落ち込んだ。
 かつて、カラーフィルムなど写真感光材料は富士フィルムの売上げの6割、利益の3分の2を占めていた。
 かつては、2700億円の売上げがあったのが、750億円と4分の1になった(2007年)。印画紙をふくめた写真事業全体で6800億円あったのが、380億円にまで激減した。
そうなんですよね。私はまだフィルムカメラも使うのですが、フィルムが店で買えなくなってしまいました。本当に不便です。でも、安心したのは、富士フィルムはこれからもフィルムは作り続けるということです。よかった、よかった、です。
2012年、長年のライバルであったコダック社は、アメリカ連邦破産法11条の適用を申請した。
世界で最初に、フル・デジタルカメラを開発したのは富士フィルムである。これは知りませんでした・・・。
 どれほど業績が良くても、来るべき危険性を予測し、それに備えなければならない。
 これは、私にとっても少しばかり耳の痛い話でした。私の事務所も、ひところ過払いバブルで「恩恵」をこうむっていました。ですから、バブルがいずれ終わるのが分かっていたのですが、それなのに何も手をうっていなかったのです。今、大いに反省しています。
 富士フィルムは、デジタル・ミニラボを写真店に設置して、デジカメの現像を引き受けている。自宅のプリンターでプリントするよりも、はるかに美しく、ハイクオリティで保存性の高いプリントができる。
 3.11の被災地の写真復旧についても、しっかり再生できるのは、水でインクが流れてしまう家庭用インクジェットプリンターで印刷した写真ではなく、表面にコーティングが施されている銀塩写真であり、写真店でプリントされた写真だった。なーるほど、ですね・・・。
 富士フィルムは写真文化を守り続けることを宣言した。企業は算盤勘定だけで存在しているわけではない。写真文化を守ることは富士フィルムの便命である。もうかる、もうからないの話ではない。頼もしい宣言です。
経営者が最終的な判断を外部の人材の助言に頼ろうとしているのであれば、そんな経営者はすぐ辞めたほうがいい。
 富士フィルムは年間2000億円を研究開発費に充てている。先進研究所には、1000人近い研究者が一堂に会して研究している。
円高がもたらした一番深刻な影響は、大多数の日本人経営者や社員から、仕事に向かう気迫をかなり奪ってしまったことにある。
会社の史上最大の危機に直面したとき、社長が学級委員のように、「多数決で決めましょう」などとやることは、ありえない。悠長に民主的に議論している場合ではない。誰かが皆を引っ張っていくしかない。それがリーダーの役割であり、リーダーシップの本質なのだ。
 決断すべきときがきたなら、たとえ、まだ迷っていたとしても、とにかく決断するのだ。そして決断したなら、選んだ道で成功すればいい。たとえ、はっきり答えが見えなくても、決断し、それを成功させるのだと確信し、皆を引っ張っていく。そして実際に成功させる。それがリーダーの力量であり、仕事なのだ。すごい迫力です。
いくら本能、直感が備わっていても、健康でなければ機能しない。いくら体力、気力があっても、精神的に疲れていれば、やはり判断に支障をきたす。
 だから、リーダーは、日々、リフレッシュにつとめ、活力を養い続ける必要がある。
 基盤になる力とは、人間の根本の力とも言える。物事に誠実に向き合う力であり、感じる力であり、考える力であり、実行する力である。
 基盤になる力は、どのようにすれば身につくのか。一つは、社会や会社で体験するあらゆる機会を学びにすることだ。そして、もう一つの方法が、哲学、歴史あるいは文学などの教養書を読むことだ。これらは、歴史観や大局観、価値観を養ってくれる。大事な決断をするときには、これがなければ出来ないのだ。
 部下に役割を与え、悪かったときは、「ここが悪かった」と必ず厳しい評価を与えなければならない。そうすることが、人が育つうえでは欠かせない。叱らない上司は無責任なのだ。ほめるところはきちんとほめる。しかし、ほめてばかりでは、やはり成長はない。
 著者は、ニーチェの著作をほとんど読んだそうです。これには参りました。降参です・・・。
(2013年11月刊。1600円+税)

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