弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2014年4月15日
生活保護で生きちゃおう
著者 雨宮処凛・和久井みちる 、 出版 あけび書房
楽しいマンガ付きの、生活保護を受けるための手引き書というか入門講座です。
生活保護を受けとるのは恥ではない。
生活保護を受けている人を叩くのは、自分の首を絞めているようなもの。国民が、もっと自由に健康で文化的な最低限度の生活を過ごせるようにするのは、国の義務である。
そんなことが、マンガをふくめて、とても分かりやすく解説されています。
生活保護の利用者は、現在、216万人いる(2013年8月現在)。
その理由となった事情は、それこそさまざま。適応障がいのために仕事が長続きしない若者、ずっと精神疾患のために家族と別に暮らしている若者、アルコールなどの依存症のため、仕事が出来ない中年男性、身体障がい者なので、まともな仕事と収入がない40代の女性など・・・。
そんな人たちが自分の体験を通して、生活保護を受けるためのテクニックや、生活の大変さなどを率直に語り合う座談会が紹介されています。
市役所のケースワーカーから、「子どもはつくってくれるな」と言われたとのこと。この言葉は本人にショックを与えました。そうですよね。人間らしい生活をするなというのと同じコトバです。
「生活保護をもらっている人は、好きなだけ病院に行けて、いいよね」
これも間違いです。誰が好きで病院に行くものですか・・・。みな、仕方なく病院に通っているのです。
本当は生活保護を受けてもいい、受けるべきなのに、実際に生活保護を受けているのは、わずか2割でしかない。
生活保護を受けている人を責める側の人々は、自分たちもこんなに生活が苦しいのに、高い税金を払っているのだ、その税金で保護を受けている人は食べているという感覚だ。
しかし、世の中は助け合いですよね。生活に困っている人を放っておいていいのですか。航空母艦やら「海兵隊」創設につかう税金があったら、人間を育てるほうにお金をまわすべきですよね。
生活保護を受けにくくしているのは、いま流行のバッシングにある。
自分たちの家族がバッシングの渦の中に入ってしまう恐怖心がそこにあった。
本当は生活保護を受けるべき人が8割、実際に受けているのは2割。この現実を変えて、もっと多くの人が、気楽に気軽に生活保護を受けられるようにしたいものです。
また、保護を受けるのは恥ずかしいことでも何でもありません。大きく叫びましょう。
(2013年10月刊。1200円+税)
庭に植えているアスパラガスに大きく伸びていました。一度に7本も収穫できたのは初めてです。しかも、みんな店頭に並んでいるほどの太さでした。
早速、春の味覚をかみしめました。
2014年4月12日
谷善と呼ばれた人
著者 谷口 善太郎を語る会 、 出版 新日本出版社
京都に谷口善太郎という、戦前の労働運動家であり、文学者であり、戦後は代議士を長く務めていた有名な人がいました。その人の生きざまが生々しく紹介され、読み手の心を温め震わせる本です。
京都選出の代議士として6期15年あまりも務めた谷善(たにぜん)ですが、学歴は高等小学校を出ただけです。しかも、小学校の途中から製陶所で働いています。それほど家は貧しかったのです。
石川県出身で、九谷焼の製陶所で働いていたのでした。といっても、学校での成績は良く、父親が学校にやらなくていいと言うのを、校長や教師たちの援助で高等科に進学して卒業したのでした。そのころから、教師に恵まれ、作文を書いていたようです。
この本は、谷善がペンネームで発表した本を詳しく分析していますので、モノカキ志向の私にも大変参考になりました。というよりも、その描写のすごさに圧倒されました。
労働運動を描いた小説では、高揚した場面や警官と対決する緊張場面などを、ハードボイルド調で生き生きと描いている。
これも谷善の実体験があったからでした。谷善は、治安維持法下の戦前の日本で何回も逮捕され、警官の拷問を受け、身体の健康をこわしていたのです。
谷善は『貧乏物語』で有名な河上肇にカンパしてもらった。高名な京都帝大教授である河上肇は、谷善に50円をカンパして、こう言った。
「こういうことしかできなくて、恥ずかしいです」
すごいですね。大学教授が一面識もない労働組合活動家にこう言ったというのですから・・・。もちろん、50円というのは、当時とすれば、とんでもなく大金だったのです。
1928年(昭和3年)の普通選挙のとき、京都2区で山本宣治が当選した。
この山本宣治も、谷善が立候補を決意させたのでした。そして、3.15の共産党弾圧が始まり、谷善も逮捕され、拷問を受けるのです。
私は申し訳ありませんが、谷善の小説を読んだことがありません。
『綿』は1931年に発表された。宮本顕治や中村光夫がこれを絶賛した。そして『清水焼風景』。ペンネームによって、谷善が書いたと思われないように配慮しつつ、谷善は自分の労働運動の体験をもとに小説を書いた。しかし、当局の検閲によって、6頁も削られてしまった。それでも大いに売れて、評判になったというのですから、すごいです。さらにすごいのは、映画のシナリオ・ライターにもなったというのです。大映の『狐のくれた赤ん坊』の原作は谷善の手によるものです。
この映画について、山田洋次監督は、「日本の名作100本」の一つとしている。
谷善が政治家になってから、その選挙のときには、あの松本清張も応援にかけつけました。これまたすごいことですね。ちなみに、谷善は日本共産党の国会議員です。
蜷川虎三・京都府知事が7選するのにも、谷善は大きく貢献しています。
文学者としての谷善の本の解説が主となっています。それだけに、ぜひ原典にあたってみたいという気になりました。とてもいい本でした。ありがとうございます。
(2014年1月刊。1800円+税)
2014年4月 9日
原発広告
著者 本間 龍 、 出版 亜紀書房
あの3.11から早くも3年がたちました。今でも原発はクリーンなエネルギーだと信じている人が少なくないのに驚きます。それは、東電など、電力会社と政府の広告・宣伝がそれだけ国民の間に浸透し、定着していたということです。
この本は、電力会社と電通などが漠大な広告費をかけて日本人が洗脳されてきたことを立証しています。恐ろしいばかりの現実です。
そして、そのお金をもらって日本人を洗脳していく材料(広告)をつくったのが、かの電通と博報堂です。この本ではデンパクと呼ばれています。初めて、こんな略称があることを知りました。原発が安全だとか、クリーンだとか、安あがりだなんて、3.11のあと、まともな人の言うセリフではありませんよね。
原発広告は、2000年代には少なくとも年に300~500億円以上という巨額なものだった。だから、日本のあらゆるメディアが、こぞって、その恩恵に浴していた。しかし、3.11のあと原発広告は一斉に姿を消した。
原発広告は、その費用はすべて電力料金に上乗せされていた。だから、事実上、まったくの青天井だった。
大手電力会社は、1970年から2011年までの42年間で、トータル2兆4000億円をこえる広告宣伝費を支出した。
しかし、実は、もっと多く、少なくとも4~5兆円という巨額の広告費が費やされていた。
トヨタは年間広告費が1000億円をこえた。そのトヨタが2兆4000億円の広告費をつかうとすれば、24年間かかることになる。
朝日新聞に原発広告が初めて掲載されたのは、1974年(昭和49年)のこと。
これは、私が弁護士になった年です。オイルショックの後遺症で、広告が減って、新聞社は、新しい広告主の開拓に必死だった。各社の広告収入が下がって、経営問題が発生したとき、安定的で社会的評価の高い一流の広告主として、電力会社が台頭してきた。
原発は、発電するときにCO2を発生することこそないが、発電によって行き場のない大量の放射性廃棄物を発生させるのだから、原発はエコでもクリーンでもない。これを、今なお誤解している人の、なんと多いことか・・・。
テレビ局は収益の7割を、新聞社も広告収入が3割と依存している。
有名な田原総一郎がテレビ東京の番組に出ていたところ、原発批判の言動について問題とした人がいた。通電に逆らうとは、何ごとか・・・。というものだった。
読売新聞は3.11のあとも全頁を使って原発推進広告を出している。年間、4億円ほどの収益がある。
原発広告は気前が良いというだけでなく、高いギャラで世間によく知られた俳優を使った。脳科学者の茂木健一郎、エッセイストの岸本葉子氏、ジャーナリストの白河桃子(しらかわとうこ)。原発のCMには、渡瀬恒彦、星野仙、草野仁、玉木宏などが出演している。
荻野アンナまで原発推進事業に手を貸していたのですね。だまされたのかもしれませんが・・・。
(2013年10月刊。1600円+税)
2014年4月 8日
ヘイト・スピーチとは何か
著者 師図 康子 、 出版 岩波新書
今の日本は、残念なことに、ヘイト・スピーチが蔓延しています。その対象は、在日朝鮮人だけではありません。ブラジル人など、さまざまな外国籍の人々、そしてアイヌや障がい者、性的マイノリティもターゲットになっています。
ただ、著者が「沖縄の先住民族」も対象としているのには、いささかの違和感がありました。「沖縄の先住民族」って、一体、いるのでしょうか.アイヌのような人々が沖縄にいるとは思えないのですが・・・。同じような主張をする人がいるのは私も知っています。しかし、どれだけ客観的な根拠があるのか、私には疑問です。もし間違っていたら、ごめんなさい。この主張を裏付ける文献を教えていただければと思います。
東京でのオリンピック開催が決定される直前は、排除デモは行われなかった。あんな排外デモがやられている都市(東京)で、和の精神を前提とするオリンピックが実施できるのかという疑問を封殺するための措置がとられていた。
石原慎太郎・東京元知事は、ほとんどあらゆるマイノリティを攻撃対象としている。日本国籍をとろうととるまいと、朝鮮人や中国人は信頼できないという、悪質かつ差別的な煽動を好んで実行してきた。
在特会が攻撃するような「在日特権」というものは存在しない。
ヘイト・スピーチは、単なる「悪い」「不人気」「不適切」「不快」な表現ではない。ヘイト・スピーチは人権を侵害する表現であり、許してはならないものである。ヘイト・スピーチは、それ自体が言動による暴力である。マイノリティの尊厳、平等権、脅迫を受けずに社会に参加して平穏に暮らす権利、これらを直接的に侵害する。ヘイト・スピーチ自体が、マイノリティに実害をもたらすものである。
少し前まで東京都知事だった石原慎太郎の責任は、本当に重大だと思います。彼には、少なくともヘイト・スピーチを煽った責任があります。
西日本新聞の一面下の本の広告として、ヘイト・スピーチではありませんが、韓国人をバカにしたような本の広告が何回も大きくのりました。売れるためなら、どんな本でも書くという著者がいて、出版社があります。それを新聞社が後押ししているというのは情けない現実です。でも、それは、差別の煽動であり、戦争への一里塚ではないでしょうか。なんで、もっと仲良くしようと呼びかけないのでしょうか。
それぞれの国には抱えている大きな問題があるのです。日本だって、韓国だってもちろん中国だって、たくさん困難な問題をかかえています。それを嘲笑するようなことを許してはいけません。自分が苦しい境遇に置かれていると、ついつい他人を引きずり落としたくなるものですが、それは間違いなのです。ヘイト・スピーチは犯罪です。
(2013年12月刊。760円+税)
2014年4月 4日
21世紀のグローバル・ファシズム
著者 木村 朗 ・ 前田 朗 、 出版 耕文社
先日の都知事選挙で61万票も取った候補は、東京裁判を否定していたようです。そして、ネット社会では人気を集めたというのですから怖いと思いました。
うっぷん晴らしから強いものにあこがれ、武力と軍隊賛美につながっているようで、恐ろしさをひしひしと感じます。
「在特会」のデモ行進に若者が参加している。不況、失業、疎外感、既得権益への反感が社会変革ではなく、排外主義と弱いものいじめに転化している。
ザイトク会の異常な差別煽動デモに対して、安倍首相は具体的な対処はしない。ヘイト・クライムの法規制には無関心を貫く。
「カレログ」とは、つきあっている男性が、今どこにいるのか、女性のほうに分かるもの。
「カレピコ」とは、つきあっている男性が風俗街とか、元カノの家のそばに行くと、女性のケータイが「ピコピコ」と鳴る仕掛け。
石原慎太郎は、差別するためなら何でもする。露払い役が彼の役割。強きにへつらい、弱気に酷薄。それが石原慎太郎。
安倍首相は世界中で原発のトップセールスを重ねている。同じく、リニア・モーターカー。それで、日本国内をショールームにしたがっている。
避難民の誘導は民間人が行うのが常識。それを軍隊がしたら、攻撃の対象になってしまう。メディアが自由を失ったときには、「発表」と「美談」であふれかえる。戦争中の報道が、まさにそうだった。
独裁と独裁の生まれる全課程が、まずなによりも注意をそらせることだった。とにかく考えることをしたくない人びとには、独裁は、考えないでいい口実になった。
安倍首相は、「先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃は完全に否定しませんよ。要するに、『攻撃に着手したのは攻撃』とみなす」と言った。恐ろしいコトバです。
「領土紛争」をめぐって、マスコミは自国の主張を絶対視する意識を読者に刷り込む。そして、相手の主張に耳を傾ける姿勢を摘みとってしまう。
「国家と国家の争い」という思考の枠組みだけに、人びとの意識を追い込む。大手メディアも、領土ナショナリズムの魔力にとらわれ、自覚のないまま、知的退廃がすすんでいる。
安倍政権は、「日米同盟を強化して中国を包囲する」政策をとり、多くの大手メディアも、それを支持している。
しかし、アメリカのオバマ政権の主要な関心は、中国包囲網の形成にはない。日中対立が不測の事態を招き、武力衝突に発展するのを止めること、それこそがアメリカ政権の関心事だ。
ヘイトスピーチが傷つけるもの、それは在日韓国・朝鮮人だけではない。社会的少数派だけではない。なによりも平和に生きようとする人びとの精神に対して、コトバと物理的な暴力で憎悪を投げつけ、悔辱し、傷を負わせる。なるほど、そうなんでよね・・・。
台湾は、1950年以来、37年間蒋介石によって戒厳令下に置かれ、1987年に戒厳令が解除されてから、民主化運動の爆発があり、現在、政治的禁忌はほとんどない状態にある。週600便以上の飛行機が大陸から250万人の訪問客を運び、500万人が両岸を往来している。
100万人の台湾人が大陸に居住しており、台湾の輸出額の4割を中国が占め、中国へ進出した台湾企業は10万社に及んでいる。5万人の台湾の高卒者が大陸の大学に進学し、来年からは徴兵制が廃止される。
考えるべき素材を、たくさん提供してくれる本でした。
(2013年12月刊。2000円+税)
2014年4月 3日
氷川下セツルメント史
著者 氷川下セツルメント編纂委員会 、 出版 エイデル研究所
私は、大学1年生から3年余りセツルメント活動に全身全霊で打ち込んでいました。18歳から21歳までのことです。まさしく多感な学生時代というか、青春まっさかりのころでした。それだけ私を魅きつけるものがあったということです。
1967年4月に18歳で上京し、意気高く大学生活を始めたものの、バラ色の学生生活が始まったなんていう気分ではありませんでした。それほど得意でもない英語の授業のレベルは高度すぎてついていけませんでした。なにしろ、ギリシャ悲劇がテキストなのです。高校までの英語とはレベルが違いすぎて、途方に暮れました。第2外国語として選択したフランス語も、初めこそ入門編でしたが、すぐに応用編になったのには驚きました。あまりの急テンポに、とまどうばかりだったのです。そして、法学概論の講義を大教室で受けましたが、教授は、はるか彼方の演壇です。いやはや、とんだところに来たものだと思いました。
そのうえ、クラスでは、自家用車で登校してくる学生がいて、いかにも格好のいいブレザーを着こなしています。私といえば、詰め襟の学生服で入学したのです。学生気分で自家用車を運転するなんて、考えたこともありません。
そんな私にとって、救いは6人部屋の寮生活でした。さすがに九州弁丸出しは出来ませんでした。関西弁は臆することなく丸出しです。東北弁はおずおずと話している感じでした。でも、みんな真面目でしたから、お互いの方言をけなすなんていうことはありませんでした。
そんな屈折した思いに沈んでいるとき、私の目の前に出現したのがセツルメント・サークルだったのです。
そこには、なにより生きのいい女の子があふれていました。まばゆいばかりの光を発散しています。たちまち私は、そのとりこになってしまいました。そして、司法試験の受験勉強を始めるまで、大学の授業そっちのけでセツルメント活動にいそしんだのでした。まさに、人生にとって大切なことはすべてセツルメントで学んだと言い切ることができます。それほど、ショッキングなサークル活動でした。正直いうと、今ではもっと大学で授業に出ていれば良かったと思うことが、実はあるのです。でも、かと言って、後悔しているわけではありません。
セツルメントって、いったい何なのですか。このように問われると、実は、答えるのに窮するのです。
セツルで何を学んだのか?
何も知らないことを・・・。これ以上の大きな収穫があるだろうか。
本当に、そうなのです。何でも知っているようで、実は何も知らないことをしっかり体験させてくれる場でした。自分という存在が、他人とは大きく異なることがあること、そして、それは親と地域の影響による違いが大きいことを認識させられました。それまで親に頼って生きてきたのに、その親を小馬鹿にしていた自分という人間の愚かさも認識させられました。さらに、物事の本質をしっかり認識するためには、自分自身が、自分の問題意識をもって変革しようと働きかけて、その結果の体験を経る必要があることも体得しました。じっと、受け身でいても、何も分からないのです。
セツルメントが最盛期を迎えたのは、私が大学生のころではありません。実は、もっと後なのでした。
1970年代には、全国に4000人というセツラーがいて、全セツ連大会には、1100人もの参加者があった。全セツ連には全国66のセツルが加盟していた。
ところが、1980年代に入ると、セツルメント活動は、時代の変化に応じて急速に消滅してしまった。まさしく、時代の変化なのです。でも、どんな変化があったのか、十分に分析しきれているわけではありません。
私は川崎セツルメント、幸区古市場にあったセツルメントです。そこで青年部に所属し、若者サークル(山彦)で活動していました。フォークダンスをしたり、キャンプをしたり、何という活動をしていたわけでもありません。でも、世の中の仕組みをじっくり考えさせられる契機とはなりました。ほかに、子ども会があり、栄養部や保健部、もちろん法律相談部もありました。
全国から1000人以上もの学生セツラーが年に2回集まって、交流する全セツ連大会は本当に活気あふれるものでした。新鮮な刺激を大いに受けたものです。語り明かすことが楽しい日々でした。そして、大いに歌もうたいました。音痴の私ですが、声をはりあげたものです。
我妻栄や穂積重遠などの著名人たちが、戦前・戦後のセツルメント活動を支えてくれました。
氷川下セツルメントの活動の歴史を通じて、日本史の一断面を知ることのできる貴重な歴史書になっています。セツルメント活動に関心のある人には、ぜひ読んでほしい本です。
(2014年3月刊。3500円+税)
2014年3月25日
マンション再生
著者 増永 理彦 、 出版 クリエイツかもがわ
私は幸いにして庭付きの一戸建てに住んでいます。これまで、マンションに住んだことはありません。
弁護士として、隣人とか、上や下の階の住人とのトラブルの相談を受けたことが何回もありましたので、マンション生活って、案外、大変なんだなと思っています。そして、マンションの管理組合の運営も大変そうです。
この本は、老朽化したマンションを建て直すのか、修理・修繕でなんとかなるのかという切実な問題を扱っていて、とても実践的な、役に立つ本だと思いました。
著者自身が私と同じ団塊世代なのですが、団塊世代は、もっとマンション再生のためにがんばるべきだと、強いエールを送っています。
日本のマンションは590万戸、居住者は1450万人(2012年末)。全国の住宅総戸数と総人口の10%をこえる。とりわけ、東京・大阪ではマンションは住宅戸数の過半数を占めている。
公共・民間の賃貸集合住宅までふくめると、全国の低・中・高層の集合住宅は2000万戸をこえ、4000万人以上の人が集合住宅に居住している。建設後30年以上の年月を経たマンションを「高経年マンション」と呼ぶ。全国に100万戸ある。
マンション再生の一つとしての建て替えは、全国で129件、1万戸程度でしかない。これから、建設後30年をこえる高経年マンションは、毎年10万戸以上ずつ増えていく。
15階以上ある超高層マンションは1980年代以降、急増している。2001年からは、年間3万戸以上が供給されている。日本のマンションの平均床面積は70㎡ほど。1970年ころまでは40~60㎡。1990年ころに60~80㎡、2000年には70~90㎡と拡大傾向にある。
マンションにおける居住者の高齢化がすすんでいる。65歳代以上が25%、31%、39%と増えている。高経年マンションの居住者の半分が65歳以上である。マンションに永住したいという人が着実に増加しており、半分ほどになっている。
もはや建て替え一辺倒ではなく、リニューアルを中心とする再生へ舵(かじ)を切らなければならない時代になっている。
鉄筋コンクリート造(RC造)について、建築学会は、一般論としてRC造集合住宅の総合的耐久性について、大規模補修の不要期間を65~100年としている。100年もつのでしょうか・・・。
リニューアルだと、同じマンションに住み続けることができる。
老後に、慣れない土地で、友だちもいないというのでは、寂しいですよね。
マンションの自治がどれだけ機能しているのかを見きわめるためには、自転車置き場の整理整頓状態をみるとよい。その状態を見れば、マンション居住者のマンションへの思いやりや、関わり具合が判明する。
マンションを建て替えではなく、リニューアルによって、みんなで住み続けられるようにするためには、日頃の管理組合の運営や自治会のつきあいが大切のようです。
とても参考になりました。
(2013年10月刊。1600円+税)
2014年3月22日
反原発へのいやがらせ全記録
著者 海渡 雄一 、 出版 明石書店
事故から丸3年がたちましたが、今なお、福島第一原発事故は「収束」していないどころか、大量の放射能が空中に、海中に広く拡散し続けています。マスコミのとりあげ方が弱くなって、なんとなく「おさまっている」かのように錯覚させられているだけなのです。
それにもかかわらず、政府は着々と原発再稼働に向けて手続を進めていますし、海外へ原発を輸出しようとしています。まさに、日本が「死の商人」になろうとしているのです。
この本は、これまで原発にかかわる関連事業者などが、反原発運動を押さえ込むために、いかに卑劣な手口をつかって嫌がらせをしてきたか、具体的に暴いています。本当に貴重な記録集です。
いやがらせの手紙は、集めただけでも4000通にのぼる。全体では、数十万の手紙が投函されたと考えられる。
高木仁三郎氏など、著名な反原発の活動家について、本人の名をかたって、「死んだ」とか「逮捕された」と書いたり、反原発運動の内部に混乱をひき起こすような内容の書面を大量にばらまいた。
また、子どもが公園で遊んでいる写真を同封し、「危害を加えるぞ」と脅すケースもあった。
いやはや、なんとも卑劣です。
これらは、警察の公安か電力会社内の住民運動対策部局の追尾作業の「成果」と思われる。
高木仁三郎氏は、道を歩いていて車にひかれそうになったり、高価な宝石が届いたり、その名前で下品な内容の手紙を出したり、集中的に狙われた。
真夜中に無言電話がかかってきたり、集会に公安が潜り込んで参加者の顔写真をとったり、いろんなことが紹介されています。本当に許せない話ばかりです。
著者の一人である中川亮弁護士が久留米の出身なので、贈呈を受けました。朝日新聞の記者だったこともある人です。元気にがんばっているようです。これからも、ぜひ大いに情報を発信してください。
(2014年1月刊。1000円+税)
2014年3月15日
国家のシロアリ
著者 福場 ひとみ 、 出版 小学館
『週刊ポスト』で連載した記事を本にしたもののようです。
復興予算と称して、まったく3.11復興とは関係ない人件費や公共工事に莫大な公金が費消されている事実を暴露し、糾弾しています。
国会議事堂の改修費にも復興予算が投入されている。照明のLED化に1億2000万円。耐震補強のために7億円。中央合同庁舎4号館の改修のために12億円。
19兆円という莫大な復興予算の大半が被災地とは無関係の事業に使われている。
復活した自民党政権は、民主党政権よりもさらに大々的に復興、防災を名目として公共事業を推進している。
復興予算書のなかには、法務省の検察運営費2500万円も入っている。
これにも、私は驚きました・・・。
会計検査院の調査によると、被災者や復興のために必要と思われる予算の執行率は低く、せいぜい6割くらいなのに対して、復興と関係の薄いほうは100%に近い執行率だった。
そして、新聞・テレビそして雑誌にまで、「政府公報予算」として復興特需が流れていた。
これでは、「復興予算」の「流用」をマスメディアが取りあげるはずもありませんね・・・。
この復興予算の流用を主導した犯人は民主党政権だった。そして、それを強く推進したのが自民党と公明党であり、深く加担した。さらに、その背後には流用を先導した官僚がいた。
復興予算の流用のひどさを知り、むらむらと怒りが沸きあがってきました。
(2013年12月刊。1300円+税)
2014年3月 9日
混浴と日本史
著者 下川 耿史 、 出版 筑摩書房
日本では混浴風景は当たり前のことでした。いえ、戦前の話ではありません。少し前のことですが、二日市温泉で旅館の内湯に入ると、脱衣場こそ男女別でしたが、湯舟は区別がありませんでした。残念ながら、私たち以外は誰もいませんでした・・・。
40年前、司法試験受験のあと東北一人旅をしたとき、山上の露天風呂に入っていると、隣に女子校のワンゲル部員がどやどやと入ってきたので、あわてて湯から上がった記憶もあります。
もっと前、私が小学校低学年のとき、大川の農村部にある親戚宅に毎年行っていましたが、そこは部落の共同風呂があり、夕方になると入っていました。そこも男女共同でした。家には五右衛門風呂がありましたが、みんなでワイワイ楽しそうに世間話をしながら入っていました。
この本は、日本人にとって混浴というのが戦後にいたるまで、なじんだ風景であったことを写真とともに明らかにしています。
『伊豆の踊子』(川端康成)や『しろばんば』(井上靖)にもその情景が描かれているそうです。すっかり忘れていました。
ところが、実は、昔から当局は混浴を禁止しようとしていたのでした。
奈良から平安時代にかけても混浴が流行していました。奈良の街には坊さんが1万5000人、尼さんが1万人もいた。当時の奈良の人口が10万人と推定されているので、4人に1人は僧尼が占めていた。そして、朝廷は大和守・藤原園人を検察使として奈良に派遣した。藤原園人は混浴禁止令を発した(797年)。
鎌倉時代に入り、有馬温泉には「湯女」(ゆな)というサービスガールが登場した。そして、源頼朝は「1万人施浴」を実施した(1192年)。うひゃ、知りませんでした。
江戸時代の銭湯は混浴だった。江戸の女性の多くは田舎から出てきていたが、田舎では混浴があたりまえだったから、江戸の街でも男性との混浴に抵抗がなかった。
明治になって、外国人が日本の混浴風景に驚いているのを知り、あわてた日本政府は混浴禁止令を出した。
老若男女は、まるで市場や街角で出会うように気兼ねなく挨拶する。初めて目にする外国人は、この驚くべき素朴さにびっくり仰天だったのです。
今も全国には混浴温泉は、実のところ、少なからずあるようです。
(2013年7月刊。1900円+税)