弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2011年6月 3日

不破哲三・時代の証言

著者  不破 哲三    、中央公論新社 出版   

 日本共産党のトップが、あのヨミウリで自分の半生を語った新聞連載が本になりました。
 「意外な新聞社からの意外な話」だと著者も述べていますが、いかにも意外な組み合わせです。しかし、準備に半年かけ、1回の取材に3時間をかけて10回ものインタビューに応じたというのですから、共産党や国会の裏話をふくめて密度の濃い内容になっていて、とても読みごたえがあります。
30回の連載をもとに、さらに記述を膨らましてあるようですので、新聞を読んだ人にも、恐らく重複感は与えないと思います。日本の現代政治史を考える資料の一つとして大いに役立つ内容だと思いながら、私は一気に読了しました。
著者は、幼いころ、虚弱体質、腺病質だったとのこと。泣き虫で、悲しいにつけ、うれしいにつけ、床の間に行ってこっそり泣くので、「床の間」というあだ名がついた。うへーっ、そ、そうなんですか・・・・。とても感情が豊かな子どもだったのでしょうね。私は小学校まで笑い上戸だといって、家族みんなから笑われていました。
そして、著者は本が好きで、小学校3年生のときから小説を書いていたというのです。どひゃあ、恐れ入りましたね。いかにも利発そうなメガネをかけた当時の顔写真が紹介されています。
 戦争中は、ひたすら盲目的な軍団少年だったとのこと。まあ、これは仕方のないことでしょうね。それでも、やはり早熟なんですよね。なんと、16歳、一高生のときに日本共産党に入党したというのです。そして、婚約したのも早く、19歳のときでした。いやはや、早い。
会費制の結婚式を駒場の同窓会館で挙げたとのこと。私も大学一年生のとき、そこで開かれたダンスパーティーに恐る恐る覗きに行って、尻込みして帰ってきました。踊れないので、輪の中に入る勇気がなかったのです。本当は女子大生の手を握って踊りたかったのですけど・・・・。
 著者が共産党の幹部になってから、ソ連や中国共産党からの干渉と戦った話は面白いし、さすがだと感嘆します。大国の党の言いなりにならなかったのですね。アメリカ政府の言いなりになっている自民党や民主党の幹部たちのだらしなさに改めて怒りを覚えました。
 著者は国会論戦でも花形選手として活躍したわけですが、対する首相たちも真剣に耳を傾け対応したようです。
質問していて一番面白かったのは田中角栄だ。官僚を通さず、自分で仕切る実力を感じさせた。このように、意外にも角栄には高い評価が与えられています。大平正芳も真剣に対応したようです。
 この本で、私にとって興味深かったのは、宮本顕治へ引退勧告するのがいかに大変だったか、それが語られていることです。私の敬愛する先輩弁護士のなかでも、引け際を誤って、老醜をさらけ出してしまった人が何人もいます。本人はまだ十分やれると思っていても、周囲はそう見えていない、ということはよくあるものです。老害はどこの世界でも深刻なんだよなと、つい思ってしまったことでした。
 かつて共産党のプリンスと呼ばれたことのある著者も今や80歳。70歳のときにアルプス登山は卒業しました。そして、今、インターネットを通じて社会科学の古典を2万5千人の人に教えているそうです。すごいことですよね。
 先日、毎日新聞の解説員が絶賛していましたが、原発問題についての講話はきわめて明快で、本当に出色でした。目からウロコが落ちるとはこのことかと久しぶりに実感したことでした。小さな小冊子になっていますので、ぜひ手にとってご覧ください。老いてますます盛んな著者の今後ともの活躍を期待します。
(2011年3月刊。1500円+税)

2011年6月 1日

日本語教室

著者    井上 ひさし 、 出版   新潮新書

私の深く敬愛してきた井上ひさしが日本語について語っています。その蘊蓄の深さには驚かされますし、改めて惜しい人を日本は喪ってしまったものです。残念でなりません。
外国語が上手になるためには、日本語をしっかり、これはたくさんの言葉を覚えるということではなく、日本語の構造、大事なところを自然にきちっと身についていなければならない。母語は道具ではない、精神そのものである。母語より大きい外国語は覚えられない。あくまで、母語を土台として、第二言語、第三言語を習得していく。
言葉というのは常に乱れている。言葉は完璧な多数決なので、どんな間違った言葉でも、大勢の人が使い出すと、それが正しい言葉になってしまう。
ズーズー弁は、東北と出雲と沖縄に残っている。
日本人は3種類の言葉を微妙に使い分けている。「きまり」はやまとことば、「規則」は漢語、「ルール」は英語。日本語は大変だ。やまとことばと漢語と外来語の3つを覚えなければならない。そして、日本人の生活の基本になっているのは、ほとんどやまとことばである。漢語が入ってくる前から、寝たり起きたり食べたりしているのだから、当然である。
「権利」という言葉のもともとの意味は、「力ずくで護る利益」ということ。仏典や中国の『荀子』という道徳書では、「権利」は「権力と利益」という意味で使われている。
日本人は、地上ユートピア主義である。日本人は自分の国が一番いいとは思っていない。たえず、いいところは他にあると思っている。しかし、完璧な国などありえない。必ずどこかで間違いを犯す。その間違いを、自分で気がついて、自分の力で、必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来がある。過ちを隠し続ける国民には未来はない。つまり、過ちに自分で気がついて、それを乗り越えて苦労していく姿を、他の国民が見たときに、そこに感動が生まれて、信頼していこうという気持ちが生まれる。
日本の悪いところを指摘しながら、それを何とか乗り越えようとしている人たちがたくさんいる。そんな人が売国奴と言われる。でも、その人たちこそ、実は真の愛国者ではないだろうか・・・。
日本語の発言は非常にやさしく、会話はすぐ上手になれる。しかし、本格的に読んだり書いたりする段階になると、世界でももっとも難しい言葉の一つになる。
うふん、そんな難しい言葉を自由に操れる私って天才かな・・・、と思うのは単なる錯覚でしかありませんよね。日本語と日本人を考え直させてくれる、いい本でした。
(2011年3月刊。680円+税)

2011年5月22日

ニッポンの書評

著者   豊崎  由美  、 出版   光文社新書

私が書評を書き始めたのは2001年のことですから、もう10年以上になります。初めのころは毎日ではありませんでした。そのうち1年365日、書評をアップするようになりました。単行本を最高で年に700冊以上、このところ年に500冊ほどは読みますので、題材には不自由しません。面白くなかったら書評は書きませんし、著者の悪口を書くつもりはまったくありません。だいたい読んだ本の7割について書評を書いていることになります。
この本によると、書評ブロガーのなかには著者をけなすのを生き甲斐にしている人もいるようですが、私はそんなことはしたくありません。悪口なんて書くのは時間がもったいないとしか思えません。読んだ本で、感動を覚えた箇所や、なるほどそういうことだったのかと認識させられた部分などを紹介したくて、こうやって書評を書いています。私自身はパソコンの入力作業はまったくしません。すべて手書きです。秘書に入力してもらって、それに赤ペンを入れるのが私の楽しみなのです。
読んだ本のこれというところには、いつもポケットの中に入れている赤エンピツでアンダーライン(傍線)を引きます。書評を書くときには、赤い傍線の部分を抜き出しながら文章を整えてきます。ですから粗筋を追うのは二の次となります。
著者は三色ボールペン(主として赤と黒)を使い、付箋を貼っていくということです。まあ私とだいたい同じやり方です。
書評家の果たしうる役目は、これは素晴らしいと思える作品を一人でも多くの読者に分かりやすい言葉で紹介すること。
小説を乗せた大八車の両輪を担うのが作家と批評家で、前で車を引っぱるのが編集者(出版社)、書評家は後から大八車を押す役割を担っている。
書評にとって、まず優先されるべきは読者にとっての読書の快楽である。書評は、まずなにより取り上げた本の魅力を伝える文章であるべき。読者が、「この本を読んでみたい」と思わせる内容であってほしい。
書評と批評は異なるもの。書評は、対象となっている本を読む前に読まれるものであり、批評は読んだあとに読まれるもの。
書評においては、読者から本を読む愉しみをほんのわずかでも奪うことがあってはならない。プロの書く書評には、背景がある。本を読むたびに蓄積してきた知識や語彙や物語のパターン認識、個々の本の出版が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づける。それが書評と感想文の差だ。
書評をかくとき、一番気をつかうのは書き出しの部分だ。書評だって読みもの、文芸の一ジャンルだ。読んで面白くないものになってはならない。
この書評を一体どれだけの人が読んでくれているのか分かりませんが、私の力が及ぶ範囲で、これからも無理なく続けていくつもりです。どうぞ応援してやってください。
(2011年4月刊。740円+税)

2011年5月21日

しまむらとヤオコー

著者   小川 孔輔  、 出版  小学館 

有名な専門スーパーの発祥地が、なんと同じ埼玉県小川町にあったなんて、不思議な話です。どうしてそうなんでしょうか。たまたま、ほんの偶然ということなのでしょうか。そして、この本の著者も小川さんなんですよ・・・・。
しまむらもヤオコーも、どちらも東証一部上場企業。しまむらは全国展開し、福岡県にも店舗がある。ヤオコーは、関東地方のみで、そこでは100をこえる店舗をかまえている。そして、この二つとも、埼玉県比企郡小川町に生まれ、お互いに500メートルと離れてはいなかった。
 両社とも、売上高成長率は年間10~15%。一度出店した店はむやみに閉じることはなく、ほとんどが営業を継続している。
ヤオコーは、ディスカウント路線とは一線を画し、人々に豊かな食生活を提案する「価値提案型企業」としてのポジションを崩さず、増収増益を確保してきた。ヤオコーの目ざす「個店経営」は、できるだけ店舗に自主性を持たせ、店ごとに品ぞろえを変えることをいとわない。「セントラルキッチン方式」一辺倒ではなく、作業効率を犠牲にしてでも、店内で食材を加工できる余地を残しておく。最終加工の作業プロセスを店内に残しておくのは、働く人のモチベーションを高め、来店する顧客に商品の新鮮さと売り場のにぎわいを提供するため。そのため、メニュー開発などに、パート従業員の知恵を積極的に活用している。
 しまむらは、一貫して右肩上がりの成長を続けている。2010年の売上高は4296億円、経常利益は381億円である。しまむらの店舗は、店内の床もトイレの床も御影石だ。トイレはホテルなみに豪華にするというトップの考えによるが、そうすると掃除が楽という効果もある。うむむ、なーるほど・・・・。しまむらでは。仕事のマニュアルが確立していて、従業員は定時出社、定時退社で残業はない。うへーっ、これって、本当にそうなんですか・・・・?
 しまむらの店長は、全員が正社員である。しまむらが店舗を探すときには、セスナをチャーターして上空から観察する。うひょーっ、これってすごいですよ。しかも、出店候補地の周囲2キロ圏内に小学校が3つあることを条件とする。3つの小学校があれば、5000世帯が商圏内に住んでいる。小学校の数は、世帯数や商圏人口を推計するもっとも優れた指標になる。
 むむむ、これは、す、すごいです。さすが、ですね。
 しまむらの商品の90%は中国製。しまむらで買った客は、隣の人と同じ服を着ることは、まずない。すごいですね。商売に成功するというのは、ここまで考えるものなのですか・・・・。とても勉強になりました。
(2011年1月刊。1400円+税)

2011年5月20日

TPP亡国論

著者   中野 剛志 、 出版   集英社新書

いま、日本のマスコミは全体としてTPP推進一色に染まっています。かつての「郵政民営化」推進とまるで同じです。そのおかげで「郵政民営化」すれば日本の経済状況として国民の懐具合が好転するかのように錯覚してしまった人も少なくないと思います。でも、決してそんなことにはならず、身近な郵便局が閉鎖され、郵便の公共性は雲の彼方に消え去って行きました。そして、「郵政」解体をアメリカ財界は依然として狙っています。
日本の多くの庶民にとって、結局のところ「郵政民営化」って百害あって一利なしだったのではないでしょうか・・・。それでも、マスコミはそんな反省の弁を述べませんから、依然として「小泉人気」は高止まりのままです。これって、おかしなことだと私は思います。
TPPに関する議論が世論のレベルでは「開国か、鎖国か」といった単純きわまりない国式の中で進められているのに恐怖すら感じる。そもそも現在の日本は鎖国などしていない。全品目の平均関税率は、日本は韓国はもちろんアメリカよりも低い。
日本の食糧自給率(カロリーベース)は4割程度しかなく、小麦、大豆、トウモロコシはほとんど輸入に頼っているのだから、日本の農業市場は鎖国的どころか、開けっぴろげに開かれてしまっている。
TPPの交渉参加国といえば、ヨーロッパはもちろん、中国も韓国も、さらにインドも参加していない。だから、TPPによってアジアの成長を取り込むなどというのは、まったくの誇大妄想としか言いようがない。
アメリカは農産品輸出国であり、日本の農業市場の開放を望んでいるが、日本からの輸入の増加は望んでいない。TPPはしょせんアメリカの、アメリカによる、アメリカのための貿易協定にすぎない。
アメリカは、日本に輸出の恩恵を与えず、国内の雇用も失わず、日本の農産品市場を一方的に収奪することができる。これがTPPのねらいである。TPPという贈り物は、実は、日本の農業市場の防壁の中から打ち破るための「トロイの木馬」なのだ。
現在、日本経済は、企業部内に貯蓄が累積している。デフレ不況で資金需要がないため、企業がお金の使い道を見つけられずにため込んでいる。そんななかで法人税を減税しても、企業は貯蓄を増やすばかりで投資にまわさない。企業が投資しなければ、景気は上向きにはならない。法人税の減税は景気を刺激する効果をもたないまま、国の税収を減らすだけに終わる。すなわち、法人税が減税されても国民にはほとんど何のメリットもない。
日本のマスコミについての国家統制は、テレビが一番ですが、新聞だって同じようなものですよね。もう少しマスコミはキャンペーンではなく、自由な議論を呼びおこす努力をしてほしいものだと思います。
(2011年4月刊。760円+税)

2011年5月18日

正しいパンツのたたみ方

著者   南野 忠晴  、 出版   岩波ジュニア新書

タイトルをみて、まさか本当にパンツのたたみ方が図解されているとは思いませんでした。
洗たくものを洗たく機からとり出して干し、乾いたところでたたみます。ところが、これって案外むずかしいのですよね。だから独身時代の私は、いつもハンガーにかかったまま、乾いたものをそのまま着ていました。いえ、洗たく自体は昔からこまめにしていたのです。
親元を離れて初めて寮生活をしたときには、一週間分の洗たくを、深夜に2台の洗たく機を使ってしたこともありました。まだ乾燥機もなんてありませんでしたから、広い室内にロープを張って吊して干していました。寮は6人部屋だったので、広々としていたのです。ベッドと机と本棚しかなく、間仕切りのカーテンもありませんでしたが、のびのびと寮生活を謳歌していました。
この本は家庭科を担当する男性教師が書いています。高校1年生を担当した年、この3年間、自分で弁当を作ってみてください。それをやり通せたら、どれだけの自信になるか計り知れない、ぜひ挑戦してみてくださいと挨拶したのだそうです。たぶん誰もやらないだろうと半ば思っていたのでした。
ところが、3年後、それを見事にやり通した女子生徒がいたというのです。いやあ、それはすごい、すごいですね。その生徒が著者に言いました。
「先生のことを、恨みに思ったこともあったけど、今は続けて良かったと思っている。先生が言っていたとおり自信になった。先生、ありがとう」
そりゃあ、そうですよね。3年間、1日も休まずに弁当を作りつづけたなんて、これは何でもないようで実はたいしたことですよ。私も、こうやって毎日休まずに書評を書きつづっていますけれど、たまに、それなりにたいしたものだと自分をほめてやっているのですよ。なにしろ、始めたのは、あの9.11のあった年ですから、もう10年も続いているんです。それだけ健康管理にも気をつかっているということでもあります。ぜひ、みなさん続けて読んでくださいな。あるとき、誰かが、1日に200人は読んでくれているらしいと教えてくれたことがあります。モノカキののはしくれとして、残念ながら売れないモノカキではありますが、1日に1万人の読者がついて、ついにやったぜベストセラー、と叫んでみたいという夢を私も抱いているのですけど・・・。ノーベル文学賞はダメでも、せめてどこかの文学賞はもらえないのかと内心ひそかに真面目に狙っているんですよ、これでも。
すみません。弁当の話でした。私は公立中学校でしたが、給食は小学校で終わり、中学・高校と母親のつくった弁当を当然のように食べていました。自分でつくるなんて考えたこともありません。母、つくる人。私、食べる人。そんな型を疑ったこともありません。
弁当づくりのポイントは、どうしたら手軽に、短時間に、楽しんで出来るか、その方法を発見すること。著者は、前の日のおかずの残りも活用し、朝の手間は10分か15分位しかかけていないそうです。
さわやかな朝の目覚めのために、校長先生は次のようにすすめます。目覚まし時計がなったら、まず、両手を布団から出してバンザイの格好をする。すると寒くなって目が覚める。次に上半身を布団から出す。その状態だと寒くて長くは寝ていられない。さっさと起きて服を着たくなる。そうやって毎朝起きている。なーるほど、ですね。
朝、自分の力で起きると、一日を自分で考えてやりくりしていく力がついてくる。これは、自立した生活者のなるのに、とても大切な力だ。時間と、どう折り合いをつけていくかで、自分の生活が快適に送れるかどうかが決まる。そのためには、起きる理由、その目的や楽しみがあることが大切だ。
私は、平日は朝7時に、休みの日はなるべく朝6時には起きるようにしています。休みの日はごろごろ寝ていたいなんて思ったことはありません。むしろ、休みの日こそ自分の日なんだから自分のために有効に使おう、もったいなくて寝てなんかいられない。そんな感じでスパッと起きます。
起きるのが楽しくなってきたら、人生は半分成功したようなもの。一日の始まりを、自分でコントロールできるようになったら、おのずと時間とのつきあいも濃厚で深いものになっていることうけあいだ。
 著者のうけあいに、私も大賛成です。一度きりの人生なんですから、時間は大切に使いたいものです。高校生向けの本のようですが、大人、しかも還暦を過ぎた私が読んでも、いいこと、大切なことが書いてある本だな、そう感嘆しながら読んでいきました。ぜひ、あなたも読んでみてください。
(2010年10月刊。1800円+税)
 日曜日に梅ちぎりをしました。紅梅、白梅のうち白梅のほうです。小ぶりの梅の実がたくさんなってくれました。必死にもぎると、大ざるに2つ山盛りとなりました。2.8キロもあり、梅酒が3瓶できました。
 下の田んぼで蛇が昼寝をしているのを見つけました。初めは死んでいるのかもしれないと、泥団子を投げてみると、動き出し、舌をチロチロさせて怒っています。こんなところで昼寝なんかしたらダメだと泥を投げ続けると、走って逃げていきました。1メートルはある、茶色の若い蛇です。マムシではないと思います。

2011年5月17日

米軍基地の現場から

著者   沖縄タイムズほか  、 出版   高文研

東日本大震災で在日米軍がトモダチ作戦ということで救援活動をしていることから、日本のマスコミは日米安保条約をますます無条件肯定の報道をしています。しかし、本当に日米安保条約のあるおかげで日本は助かっているのか、私は大いに疑問を感じています。イラクやアフガニスタンで大々的な侵略戦争を展開しているアメリカ軍が、急に日本で平和活動のみに従事しているなんて、そんな思い込みはあまりにもお人好しとしかいいようがないのではないでしょうか・・・。
この本では、日本安保は、本当に日本の平和を守ってきたのかという疑問で貫かれています。私は、この疑問を日本人は忘れてはいけないと思います。
横須賀基地に配属されているアメリカの原子力空母ジョージ・ワシントンは、放射性廃棄物を1トンも貨物船で搬出した。放射能の心配がある。
アメリカ軍のグアム移転の費用について、アメリカ軍は実際より過大な人員と費用を計上していたことが暴露されました。これは日本側の負担割合を小さく見せるための工夫だというのです。実に日本国民を馬鹿にしています。自民党そして民主党政権も、きっとそんなことは知っていたでしょうから、日本国民だましでは共犯関係にあります。日本政府だけでなくアメリカ政府の言うことも、そのまま信じてはいけませんよね。トモダチ作戦でアメリカ軍が実際には何をしたのか、一部の新聞に少しずつ実相が明らかにされています。
アメリカ本土から海兵隊の放射能対処専門部隊150人が派遣されて日本に来たことは大きく報道されました。しかし、結局、福島県内に入ることもなく、アメリカに帰っていきました。アメリカ政府が福島第一原発から80キロ圏内を退避区域として設定したことによるようです。
アメリカ軍が最大時で人員2万人、艦船20隻、航空機160機を動員したことは事実です。そして、これらの部隊の大半が4月上旬には撤退しました。アメリカ政府による作戦の予算上限8000万ドル(68億円)に近づいたためです。
そして、ここで見逃せないのは、アメリカ軍と自衛隊が指令部機能の一体化が急速に進んだという事実です。そして、日本のマスコミと世論のなかで、アメリカのおかげで助かったというムードを醸成し、日米安保肯定論を強化できました。
この本を読んで改めて日本人として腹が立つのは、アメリカ軍人が日本国内で犯罪をおかしても、まともに逮捕も捜査もされないという事実です。これでは、日本はアメリカの植民地のようなものです。
2004年8月の沖縄国際大学にアメリカ海兵隊のヘリコプターが墜落炎上した事故についても、結局、アメリカ軍の整備士4人は全員が不起訴処分となっています。公務中の事故なので、そもそも日本には裁判権がありませんでした。くやしいです・・・!!
1995年から2008年までにアメリカ軍関係者の起こした凶悪事件は110件、逮捕者
152人。このうち日本が起訴前の犯人引き渡しを求めたのは横須賀のタクシー強盗殺人など、6件、6人にすぎない。事実上、日本に裁量権はない。いやはや、ぐやじー、許せない・・・!!!
そして、アメリカ兵が逮捕されて実刑となって刑務所に入っても、見事に優遇されます。この本では朝食しか紹介されていませんが、フレンチトーストにシリアル、ベーコン、オムレツ、さらにミルクとバナナ持つく充実ぶり。夕食にはステーキもつくといいますから、日本人の収容者とは比べものになりません。
 アメリカ軍の飛行機の出す爆音がひどすぎるというので、これまで日本の裁判所は何回となく受忍限度をこえる違法な爆音だとして損害賠償を命じてきました。ところが、アメリカはまったく賠償金を負担せず、すべては日本政府がアメリカ軍に代わって日本国民の税金でまかなっているのです。なんとひどいことでしょう。
 アメリカ政府もアメリカ軍も日本国民を守るために日本に基地を置いているわけではないと再三再四、高言しています。ところが、日本政府と日本のマスコミだけは相変わらず、アメリカ軍がいるおかげで日本の平和と安全が保たれていると言い続けています。こんなことって奇妙ですよね。アメリカ軍が本気になって日本を守る気があるなんて、私にはとても思えません。
(2011年5月刊。1700円+税)

2011年5月13日

原発と地震

著者   新潟日報社特別取材班 、 出版   講談社

今からわずか4年前のことでしかありませんが、東日本大震災が起きた今では、なんだか古い過去の出来事のように思えてなりません。
2007年7月16日、中越沖地震によって東京電力の柏崎刈羽原子力発電所で動いていた原子炉が7基すべて緊急停止した。
原子炉は停止すれば安全というわけではない。炉水温度を百度以下に冷やして初めて安全が確保される。そうなんですね。今回の福島原発事故でも、この「百度以下」というのが容易に達成できずに推移しています。とても心配な事態です。
地震から5ヶ月たったころ、東京電力は新潟県に対して30億円もの寄付を申し出た。このお金で県民の感情を斉めようとしたわけですよね。でも今回は規模がケタ違いですから、こんな金額ではすみません。何兆円、何十兆円もの損害の補填が求められています。
この柏崎刈羽原発の建設用地の売買には、かの田中角栄が関わっていたようです。
1971年に、土地売却益の4億円が東京、目白の田中角栄邸に運んだことを認める証言を取材班は引き出しています。
「不毛」の砂丘地帯がお金にかわった代償が有力政治家の懐に入っていったというわけです。そして、そのツケを払わされたのは新潟県民でした。
現在の東電・清水正孝社長は、当時副社長でもあり、勝俣会長が社長でした。このコンビは、経費削減を優先して安全を無視したわけです。歴史に記録されるべき人名でしょう。なんといってもトップの責任は重大です。
班目春樹委員長が私と同世代だということも確認しました。原発の「安全神話」をふりまいてきた学者の一人のようですね。大学生のころはどんな考えだったのか知りたいものだと思いました。
原発は、今すぐ廃止の方向に動き出さないと日本全体が沈没してしまうのではありませんか。今なお原発にしがみつこうとしている人がいるのに驚くばかりです。
(2011年4月刊。1500円+税)

2011年5月11日

原発と日本の未来

著者   吉岡 斉、 出版  岩波ブックレット

3.11の直前に発刊されたブックレットです。3.11のあとに出た二刷版には、次のような簡単ではありますが、恐るべき内容のコメントがついています。
この原発震災の処理には、原子炉の解体・撤去だけでなく、広大な汚染地帯の除染もふくめ、数十年の歳月と数十兆円の費用がかかるとみられる。これは原子力発電コストを2倍に押し上げる。そのうえ、数十万人の被曝要員が必要となるかもしれない。原発はクリーンだという言説はブラックジョークと化した。復旧のための人的・金銭的負担は子孫にも及ぶ。
うむむ、これって、まさしく「想定外」の見通しですよね。原発を推進してきた政府と自民党にはきちんと責任をとらせる必要があります。いえ、もちろん、東電をはじめとする電力会社の杜撰さを免責するつもりはありません。
原子力発電技術は、原子核分裂連鎖反応によって生ずる熱エネルギーで高温・高圧の水蒸気をつくり、それを蒸気タービンに吹きつけて回転させ、タービンと直結する発電機も動かす技術である。
原子力発電は大量の放射性物質を生み出す。それが事故や自然災害によって大量放出される危険は無視できない。
まさに、この危険から今回、現実化したわけです。そのうえ、破壊工作や武力攻撃などによって大量の放射能物質が飛散する危険もある。
アメリカがオサマ・ビン・ラディンを暗殺したことによって、一気にテロが拡大する危険が現実化しています。「フクシマの危機」を逆に利用しようとして世界各地の原発がテロの対象となったとき、この地球は大変な事態に突入します。報復の連鎖は地球の破滅を抱くだけなのです。
原子力発電は、他の発電手段とは質的に異なる巨大な破壊力を生み出す危険性をもっており、それは文明社会の許容限度を超えている。
ところが、日本政府は、原子力発電事業を長年にわたって偏愛し続け、過保護状態に置いてきた。それも、ただの過保護ではなく、巨大な破壊力を抱えるという重大な弱点をかかえる事業に対する過保護なのである。
原子力発電は、1980年代末から、20年以上にわたる停電状態を続けている。今や、事実上の新増設停止に近い状態となっていて、構造不況産業と化した。
1960年代から80年代までに建設された原子炉の老化が進行し、2010年代から廃炉ラッシュが始まっている。いま、アメリカに104基、フランスに58基、日本54基、ロシア27基、ドイツ17基となっている。建設中でみると、中国20基、ロシア10基、インド6基、韓国6基、日本3基である。ヨーロッパで建設中の原子炉はわずか2基のみ。フィンランドとフランスの各1基である。建設中のところは、いずれも順調に進んでおらず、建設費は当初予算の2倍にまで膨れあがっている。
日本の原子力政策の特徴は、官庁、電力業界、政治家、地方自治体有力者の四者による談合にもとづく政策決定の仕組みである。そこには、市場原理や競争原理が働く余地はない。
福島第一原子力発電所の深刻な状態が依然として続いているわけですが、それは原発が人類の容易にコントロールできる存在ではないことを如実に示しています。一刻も早く脱原発に踏み出すべきだと思います。
わずか60頁ほどの薄い冊子ですが、手軽に読めてわかりやすい解説でした。
(2010年10月刊。1800円+税)

2011年5月 6日

日本一の秘書

著者 野地  秩嘉      、 出版  新潮新書   
 
 弁護士である私は、サービス業の一員だと自覚しています。ですから、サービスの極意を極めたいという気持ちが常にあります。この本は、そういう意味で読みました。今さら私が秘書になろうというのではありません。この本は秘書のことも書かれていますが、要するにサービス業界で頂点に立つ人々を紹介していて、大変参考になります。
 トップバッターで登場するのは、横浜港に面したホテルニューグランドの名物ドアマンです。私も、このホテルには、昔、一度だけ入って、レストランでカレーライスを食べた気がします。戦前の1927年にオープンしたクラッシック・ホテルです。このドアマンさんは私と同世代のようです。ドアマン37年といいますから、まったく私の弁護士生活と同じです。このホテルに来るお客さんのほとんどの顔と名前を覚えているそうです。だいたい4万人の顔と名前が一致する。うひゃあ、す、すごいです・・・・。
 耳で聞いただけでは人の名前は覚えられない。はじめて来た人とは必ず握手をする。そのとき、相手の顔を見つめ、挨拶し、「お名前をうかがえますか?」と尋ねる。相手の人が「小泉です」とか言ってくれると、それで名前は忘れない。手を握りながら話をするから、相手の顔を忘れない。ええーっ、そうなんですか・・・・。
 ホテルに不倫のカップルが来たときには、タクシーのドアを開けてはいけない。男性が先に車から降りてフロントで手続をし、女性は一拍遅れて車から降り、ロビーで待つのが定法だから。その見極めが難しい。
 秘書は、カレーの「CoCo壱番館」の社長秘書が登場します。すごい秘書です。
 秘書の仕事でもっとも煩雑で、手間のかかるのがスケジュール調整だ。いかに上司にスケジュールを守らせるかが秘書の役割である。秘書検定の合格者が320万人もいると知って大変驚きました。
事務所のフロアで電話が鳴ったときには、電話を取るのは仕事に精通しているものだけで、しかも、一番、二番と順番まで決まっていた。そして、社長は客の名前を聞き直すのを許さなかった。名前を聞き直されたら、客は不愉快になるからだ。一度で、ちゃんと覚えないとダメ。
うむむ、これは難しいですね。発音の悪い人もいますしね。
 秘書は、いろいろ知っていても、ぺちゃくちゃしゃべってはいけない。秘書は、上司より目立ってもいけない。ところが、今では、パワハラやセクハラ防止のためか、一人の人間(社長など)を長く世話する秘書はいない現実がある。そうなんですよね。難しいところです。
 犯人の似顔絵を描き続けた警察官がいます。多いときには年に167枚もの似顔絵を描いたというのですから、たいしたものです。
 被害者から犯行状況の話を聞くときには、常にエンピツを動かす。そうすると、被害者は協力的になる。描くことに集中してはいけない。あくまで、聞くことが主体だ。いちばん大切なことは、絵を完成させようなど思わないこと。描きすぎてはいけない。また、本人が見て、怒るような絵を描いていけない。自分そっくりと驚くような絵を描く必要がある。似顔絵は、雰囲気と表情を描くものだ。
 写真は顔の造作を表現したようなもの。だから、絵のほうが、本人の生(ナマ)の姿をとらえている。目鼻立ちと雰囲気と表情のすべてを短時間で一枚の似顔絵につくりあげる。
 この似顔絵を活用する事件の大半は、強制わいせつと強姦罪だけである。
秋田のなまはげ素人一座の話も面白く読みました。子どもたちはサンタクロースは、小学校にあがる前には、本物のサンタクロースが来たわけじゃないことを知る。ところが、なまはげは小学校の高学年になっても、まだ本当にいると考えている子どもは多い。
 子どもだからといって、手抜きはできない。子どもは手抜きに敏感だ。子どもたちは、ヒーローが窮地を脱するところを見たいのだ。そして、ショーのあとに握手会。実は、これが大切。ショーよりも大切なのは握手会。子どもが本当に好きなのは、ヒーローと握手すること。
ふむふむ、なるほど、そうなんですよね。
 博多の焼鳥屋も登場します。さっと読めて、なるほどと参考になる、ひらめきの本です。
(2011年3月刊。700円+税)

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