弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2019年10月11日
自衛隊の変貌と平和憲法
(霧山昴)
著者 飯島 滋明、寺井 一弘ほか 、 出版 現代人文社
憲法尊重擁護義務のある首相や国会議員が、多くの国民が求めてもいないのに、憲法改正を声高に叫んでいる現状はあまりにも異常です。ところが、マスコミは何の問題もないかのように「政府発表」をたれ流すばかりです。それで、いつのまにか国民は安倍首相が何かというと憲法改正を唱えることに慣れて(慣らされて)しまいました。本当に危険な状況です。
しかも、憲法のどこか具体的に問題なのか明確にせず、自衛隊員が可哀想だからとか、憲法学者が自衛隊の存在を違憲だというから改正する必要があるなどと、心情論に訴えたり、責任転嫁したりして、まさしくずるい(こすからい)手法を使うばかりなのには呆れてしまいます。
どこにどんな問題点があるから、こう変える必要があるという点は、いつまでたっても具体的に明らかにはしないのです。まさしく国民だましの改憲あおりの手法です。
私が、この本でもっとも目を見張らせられたのは、宮古島などの沖縄・南西諸島への自衛隊配置が「日本防衛」のためではなく、アメリカの軍事戦略「エアシーバトル構想」の一環であり、「対中国封じ込め作戦」の一端をアメリカ軍の代わりに自衛隊が引き受けるものだという指摘でした。
自衛隊は、石垣島をめぐる攻防戦をシュミレートしている。石垣島に「敵」4500人が攻めてきたとき、自衛隊2000人のうち残存率30%まで戦闘を続け、奪還作戦部隊1800人が追加されると、自衛隊員は3800人のうち2901人が戦死するものの、奪還できるという。そして、「敵」は上陸してきた4500人のうち3801人が戦死する。
では、このとき。一般市民はどうなっているのか・・・。島は「捨て石」となり、住民の多くは犠牲になるだろう。まあ、それにしても「敵」が4500人だなんて、ありえないでしょう。
アメリカ軍は沖縄にも本土にも核ミサイル基地をつくる計画があると報道されました。辺野古の新基地も、そのためのアメリカ軍の拠点となるようです。日本がアメリカの「下駄の雪」のように、捨てられるまでどこまでもついていくという安倍政権の構想は絶対に許せません」。
安倍首相の率いる自民・公明連立政権は、アメリカの下でひたすら戦争への道を突っ走しているようで、心配です。
日本の現状、とりわけアメリカ軍と日本の自衛隊、そして日米安保条約とアメリカ軍基地の存在、そして安保法制について考えるときの具体的材料が満載のブックレットです。
ぜひ、あなたも手にとってご一読ください。
(2019年9月刊。1800円+税)
2019年10月10日
教育と愛国
(霧山昴)
著者 斉加 尚代・毎日放送取材班 、 出版 岩波書店
若者たちの投票率が3割とか4割しかないというのは、現代日本において文科省の統制下にある学校教育の「成果」なのではないでしょうか。いえ、「成果」というのは、アベ首相の思う教育「改革」が効を奏しているという意味であって、子どもたちの自主性が押し殺されてしまっている、ひどい状況の結果だということです。子どもたちの自主的なの伸びのびとした動きを上から抑えつけているのは、身近な教員集団ですが、その教員集団が上からの指示・強制によって自由に伸びのびと子どもたちに接することができない弊害が、子どもたちの政治的無関心を助長しているのだと思います。残念でなりません。
政治的圧力に対する教職員の反応は、4:4:2。政治的公平性・中立性からみておかしいと正面から唱える人は2割しかいない。4割は、首長や議員の意向を忖度(そんたく)し、こびる。残る4割は、自分の持ち場に逃げ込んで問題に関わらないようにする。
小学2年生の「道徳」教科書。
①「おはようございます」と言いながら、おじぎをする。
②「おはようございます」と言ったあとで、おじぎをする。
③おじぎのあとで、「おはようございます」と言う。
この3問のうち、正解は②。
ええっ、ウ、ウソでしょ。こんなことを小学生に学校で教えるなんて、バカみたいでしょ・・・。信じられません。
「学び舎」の歴史教科書は、考える歴史に挑戦し、全国各地の灘や麻布といった難関進学校で教科書として選択された。すると、「反日教育」やめろという抗議ハガキが何百枚も殺到した。これに対して、かの有名な灘中・高の和田校長が冷静に反論した。
学校教育に対して有形無罪の圧力がかかっている。多様性を否定し、一つの考え方しか許されないという閉塞感の強い社会に現代日本はなってしまっているのか・・・。
それにしても、大阪の橋下徹、そして吉村洋文という2人の弁護士の言動はひどすぎます。この2人が司法試験で憲法の問題をクリアーしたというのは、まったく信じられません。
次の日本をになう子どもたちが伸びのび自由に、自分の頭で考えている環境をつくることこそ市長(知事)以下の行政の責任だと思いますが、この弁護士たちは子どもを自分の思うどおりに操れるロボットにしたて上げたいようです。政治家としても、人間としても失格ではないでしょうか・・・。
(2019年5月刊。1700円+税)
2019年10月 8日
ケーキの切れない非行少年たち
(霧山昴)
著者 宮口 幸治 、 出版 新潮新書
非行少年のなかには、小学2年生くらいから勉強についていけなくなったという子どもが少なくない。彼らは簡単な足し算や引き算ができず、漢字が読めない。自己洞察が必要だといっても、そもそも、その力がない。反省以前の問題がある。非行化を防ぐためには、勉強への支援がとても大切だ。「ほめる」だけでは問題は解決しない。
朝の会で1日5分をつかってさまざまなトレーニングをすれば、子どもたちは十分に変わっていく可能性がある。非行少年たちは学ぶことに飢えている。認められることに飢えている。
今の社会では、対人スキルがトレーニングできる機会が確実に減っている。SNSの普及によって、直接、会話や電話をしなくても、指の動きだけで、瞬時に相手とコンタクトがとれる。
知的障害はIQが70未満とされているが、これは1970年代以降のもの。IQ70~84の、境界知能の子どもたちも少なくない。つまり、クラスで下から5人ほどは、かつての定義では知的障害に相当していた可能性がある。
知的障害をもつ人は、後先(あとさき)のことを考えて行動するのが苦手。これをやったらどうなるのか、あれをやったらどうなるのか、と想像するのが苦手なのだ。
ところが、知的ハンディをもった人たちは、ふだん生活している限りでは、ほとんど健常者と見分けがつかない。違いが出るのは、何か困ったことが生じた場合。
刑務所の新しい受刑者1万9363人のうち、3879人は知能指数に相当する能力検査(CAPAS)が69以下だった。つまり20%の受刑者は知的障害者の受け入れなくなり、故郷でホームレスの生活をしている。
著者は、児童精神神経科の医師。画用紙に丸いケーキを描いて3等分するよう非行少年たちに頼むと、公平な3等分とはかけはなれたものを描いた。その絵をうつした写真が紹介されていますが、本当に驚くべき事実です。
口先だけで非行少年に反省の言葉を言わせたり、反省文を書かせても意味はないのです。
(2019年9月刊・6刷。720円+税)
2019年9月26日
神主と村の民俗誌
(霧山昴)
著者 神崎 宣武 、 出版 講談社学術文庫
村のなかで神主が村人とどんな関わりをもっている(いた)のか、とても興味深く読んでいきました。途中で、これって、最近のことではないよね、いつのことだろうと疑問に思いました。
すると、この文庫本はごく最近(19年7月)に出たばかりなのですが、実は30年近くも前の1991年(平成3年)に出た復刻版でした。なるほど、30年前なら少しは分かる気がしました。
今では村の絶対人数が減って、神輿(みこし)かきをするだけの人数を確保できない。イノシシが出没して、農作物やタケノコ・クリなどの被害が増えている。
それでも、村祭りを復活させるところもあって、一路、消滅をたどっているわけではない。
平成の大合併は中央集権化をもたらし、葬祭場が出来て、葬儀や法要そして家祈祷までが個人の家から離れてしまった。
では、30年前はどうだったのか・・・。それが、ことこまかに嫌になるほど詳しく再現されているのが本書です。
著者は終戦直前の1944年生まれで、実家は代々、神主業を世襲してきて、著者も父親にたのまれて承継しました。東京から、新幹線で郷里・岡山の美星町まで通ったのです。
そこは、古くから自給自足の生活が営まれていて、集落の自治も古くから安定していた。
神主が太鼓を叩く技術は、一朝一夕に習得できるものではない。30歳になって習いはじめても難しい。幼いときから聞き慣れていて、若いときに叩きはじめないと、音に説得力が出てこない。
なーるほど、そういうものでしょうねえ・・・。分かる気がします。
世の中が好景気のときには、お神楽(祈祷料)が増大傾向にあり、また不景気のときには、神だのみから信心が盛んになる傾向がある。
仏教と神道は、日本では昔から両立してきた。神道と仏教は、その基本的な思想が似ている。基本的な思想としては、祖霊信仰である。
神道でも仏教でも、そのときどきに崇める神仏はその基本的な思想が似ている。
一神教ではなく、多神教であり、その中心に祖霊がある。
祭りとは、祖霊と現世とが交流する場でもある。
「神様、仏様、ご先祖様」とは、まさにいいえて妙である。現代日本人の信仰の形態は、果たして信仰といって良いのかどうなのか・・・。そもそも、日本人の信仰の形態は、はたして宗教といってよいのかどうか。
面白い本です。ほんの少し前までの村の生活がイメージできます。図書館で注文して読んでみてください。
(2019年7月刊。1070円+税)
2019年9月11日
大量廃棄社会
(霧山昴)
著者 中村 和代、藤田 さつき 、 出版 光文社新書
現代日本社会は衣料も食料も、まだ使えるのに、まだ食べられるのに、惜し気もなく捨てているのですね・・・。呆れるというより、寒気がしてきました。
バングラデシュの8階建てのビルが崩壊して、1000人をこす縫製工場の労働者が生命を落とした。日本の安い衣料を縫製しているのはバングラデシュの低賃金労働者なのだ。
ユニクロ・GAPなど、低価格の衣料品ブランドがバングラデシュに生産拠点を置いている。
1年間に10億枚の新品の服が一度も客の手に渡ることないまま捨てられている。日本で供給されている服の4枚に1枚は、新品のまま捨てられている計算だ。
ブランド品のタグを外して定価の1割で買って、17%ほどで売る企業も存在する。
待ってまで買ってもらえる商品は、そう多くない。だから、やっぱり多目につくるしかない。
高級ブランドの商品だと、安売りはせず、処分費用がかかっても、すべて破砕して焼却する。証拠写真をとって、確実に処分する。そうやってブランド価値を守る。
洋服の需要調整は難しい。どんな商品をつくるか企画して、発注から販売まで半年から1年はかかる。その間に、トレンドが変わってしまうことがある。需給ギャップは、ふたを開けてみないと分からない。
日本で1年間に発生する食品ロスは646万トン。1人あたり茶碗1杯のご飯を毎日捨てている計算になる。節分当日、全国のコンビニでは売れ残った恵方巻きが大量に捨てられた。
この本では、食品ロスをなくすパン屋さん、手づくり衣料品をつくる試みも紹介されています。何でも安ければいいという発想を変えたいものです。値段は、それをつくる人たちの生活を支えているわけなのですから・・・。
現代日本社会の悲しい現実を知ると同時に、怒りを覚え、また、ほんのちょっぴりだけ希望をもてる内容の新書でした。やっぱり、コンビニとかファーストファッション店ばかりになってしまってはいけないと改めて思います。
(2019年4月刊。880円+税)
2019年9月 6日
福島の記憶
(霧山昴)
著者 飛田 晋秀 、 出版 旬報社
3.11で止まった町。こんなサブタイトルのついた写真集です。
まずは、大津波の恐ろしさに圧倒されます。
大きな船が陸に打ち上げられ、無残な船体をさらけ出しています。そして、建物はスッポンポン、もぬけのカラです。
駅があり、電車が停車したまま。
地震で火災も起き、津波に流されて火災が広がった。久之浜町では、家の今に車が突っ込んだまま。
3.11の恐ろしさは津波の被害だけではなく、放射能汚染にある。
楢葉町(ならはまち)では、津波の被害があったところが広大な空き地となり、そこに除染土壌を入れたフレコンバックが置かれている。
川内(かわうち)村は、原発事故のため中心地は無人。人の姿は見えない。至るところにフレコンバックが置かれている。
都路(みやこじ)町では、放射能被害が影響したのか、元気だった中年の女性が6年後に亡くなった。
葛尾(かつらお)村は、地震の影響は少なかったが、原発事故のため、全村避難した。村の風景を写真にとると、ありふれたフツーの田舎の光景だ。しかし、どこにも人がいない。牛も鳥もそして犬や猫の姿も見かけない。村全体で3000頭の牛を飼育していたのが、今や、雑草に家がのみこまれている。
富岡町の目抜き通りに桜が見事に咲いた。しかし、この桜も放射能に汚染されている。
除染作業をしたあとでも、1.62とか1.67マイクロシーベルトという高い線量だ。
町なかでもイノシシが出てきて徘徊している。除染したあとでも3.15マイクロシーベルトを示しているのを見ると、除染作業って本当に有効なのか疑問をもってしまう。
大熊町では放置された家の玄関先がなんと24.2マイクロシーベルト。かつてはにぎわった商店街は、今や完全な無人街。不気味だ。
双葉町(ふたばまち)には、有名な「原子力、明るい未来のエネルギー」という大看板があった。原発の「安全神話」は、今なおなくなってはいない。日本経団連は、幸いにも実現しなかったが、これほど危険な原発をベトナムやトルコなどの海外へ輸出しようとしていた。正気の沙汰ではない。
無人の商店街のキャプション(説明書)は、「地震被害だけなら復興が進んでいたはず」と書かれている。
抜けるような青空の下に広々とした草原が延々と続いています。いやはや東北地方も狭い平野ばかりではないのです。アベ首相の「アンダーコントロール」宣言をせせら笑うかのようにフレコンバックがあちこちに広がっています。
よく出来た写真集です。全国の図書館には必携ですね。
(2019年2月刊。1800円+税)
2019年9月 1日
物流危機は終わらない
(霧山昴)
著者 首藤 若菜 、 出版 岩波新書
日本のトラック業界には、200万人が働いている。
私も宅急便には大変お世話になっています。東京への出張は日帰りせず、必ず一泊出張とし、最低でも6冊は読み上げることにしています。そして、行きはなるべくかさばる本を読み、読み終わったら宅急便で自宅へ送ります。1回1500円もかかりませんので、私にとっては安くて便利なものです。東京の弁護士会館の地下にある本屋で、読むべき本、必要な本を仕入れますが、これはいくら重くても持ち帰るしかありません。ともかく、便利な宅急便は私にとって必須不可欠で、いかに地球環境を破壊していると言われても、やめられないのです。
佐川急便は、2013年にアマゾンジャパンの運送をとりやめた。
ヤマト運輸は、2006年から2016年の10年間で、取扱個数が1.54倍、6億700万個も増えた。そして、いま日本を流れる宅配便の半数を握っていて、「ヤマト一人勝ち」の状況にある。
トラック運転手には、労働時間の短縮より、収入の増加を求める声が少なくない。
「ドライバーズ・ダイレクト」は、ドライバーの労働条件を悪化させる要因の一つ。
ヤマト運輸は、グループ全体で20万人の従業員をかかえる巨大企業だ。
ヤマト運輸、佐川急便、日本郵便の3社でシェアの9割以上を占める。
高速道路料金は、荷主から支払われない。
深夜の運転は睡魔とのたたかい。ドライバーたちは、常に時間に追われている。
パレットを使うと、積載効率が下がる。
長距離ドライバーの労働現場では、連続運転時間も、拘束時間も、休息時間も、国の基準がことごとく守られていないという現実がある、ドライバーは、1週間で10時間、1ヶ月で40時間、年間で460時間も長く働いている。つまり、1週間あたり、平均より1日も多く働いている。
トラック業界は、一手に非効率を引き受けてきた。現代社会は、無駄に車両を走らせる物流を基礎として、便利で効率的な仕事や暮らしを獲得していった。
日本郵便は本業(中核)である郵便事業について、赤字が続いている。
働く人々の高学歴化は、ドライバーのなり手不足に拍車をかけた。
かつては、トラック運転手は、「きついけど、稼げる」仕事だった。ところが、今ではきついうえに、稼げない仕事になってしまっています。
ネット通販が急激に拡大するなかで日本の物流が危機的状況にあることがひしひしと伝わってくる新書でした。
(2018年12月刊。820円+税)
2019年8月29日
ふたつの日本
(霧山昴)
著者 望月 優大 、 出版 講談社現代新書
在留外国人は、昭和の終わりの1988年に94万人だったのが、平成の終わりの2018年には3倍ほどの264万人になった。ところが、多くの日本人は今なお外国人や移民の存在を「新しい」もの、「異なる」ものとして捉えている。つまり、大きく変化した現実に対して、多くの日本人の感覚は追いついていない。
日本では長らく、「移民」という言葉自体がタブー視されてきた。日本政府は、深刻な人手不足に悩む経済界からの要請に応じて、外国人労働者の受け入れをさらに拡大しようとしている。しかし、その政策について、今なお、かたくなに「移民政策ではない」と言い張っている。
日本にいる更新不要の「永住権」をもつ外国人は100万人をこえている。韓国・朝鮮籍の人は全体の2割未満でしかない。
日本には、109万人の「永住移民」がいて、155万人の「非永住移民」がいる。そして、少なくとも131万人の「移民背景の国民」がいる。その合計は400万人だ。このほか、7万人の超過滞在者(非正規移民)がいる。
今や、日本は、世界第7位の移民大国になっている。アメリカ、ドイツ、イギリス、イタリア、スペイン、フランスに次ぐ。それでも、日本は、他国と比べて外国人が総人口に占める割合が1.7%と小さいため、目立たない。
日本政府は、永住権もつ人を増やさずに、出稼ぎ労働者を増やしたいと考えている。これをローテーション政策という。日本にいる在留外国人の6割は労働者だ。製造業の割合が低下し、コンビニなどの小売業や居酒屋などの飲食業で多く働いている。
外国人を「モノ」ではなく、「人」として扱うのには相応のコストがかかる。医療や年金などの社会保障システムの対象とするのかどうか・・・。
フィリピンからの女性は相対的に高齢化が進んでいて、もっとも多いのは40代後半だ。
技能実習生は、2011年に14万人だったのが、2018年には倍の28万人をこえている。来日前につくった大きな借金のせいで、多くの実習生は、「進むも地獄、退くも地獄」の状況に追い込まれている。しかも、多くの技能実習生が頼れる人・場所がなく、孤立している。
日本語指導が必要な児童生徒は4万4千人。そのうち1万人近くは日本国籍。日本国籍をもつ「日本人」の子どもにも日本語指導が必要な者がいて、その数はどんどん増えている。
日本における外国人、移民労働者のおかれている現実と、それへの対応が緊急に必要だということを痛感されられた新書でした。
(2019年3月刊。840円+税)
2019年8月26日
東京大学駒場スタイル
(霧山昴)
著者 東京大学教養学部 、 出版 東京大学出版会
私の大学生のころにも、金もうけが一番と考えている学生は少なくなかったと思います。でも、それを公然と言うのは恥ずかしいこと、はばかれる雰囲気がありました。
「貧乏人」の寄せ集まる駒場寮で私たちは読書会をやり、卒業後どう生きるかを真剣に議論していました。いえ、これは政治的に色のついたサークル(部室)のことではありません。いわば、ノンポリの寮生が岩波新書を素材として社会との関わり方を議論していたのです。そしてサークルノートを6人部屋で記帳し回覧していました。今も私はそのノートを持っています。
この本を読むと、教養学部長(太田邦史教授)が、「自分のことだけ考えてお金が入ればいいという感じの学生が増えてきているように思う。今の学生は優しい、いい子たちなんだけど、もうちょっと社会や世界のために生きるということも考えてほしいという気持ちがある」と嘆いています。
この発言にノーベル賞を受賞した大隅良典・名誉教授が共鳴して、「われわれの時代だったら、授業がなくなるくらいストライキがいっぱいあっていいはずのことに対して、今の学生はまったく敏感でない」と指摘しています。また、石田淳・前教養学部長も「学生は、もっと社会に対して関心をもってほしい」と注文をつけています。
幸いなことに、私のころには戦前からあったセツルメントサークルが戦後再建されて、地域に出かけて社会の現実に触れ、大いに議論する仲間がいました。社会との関わりも考えさせられました。そして、大学当局が無茶したり、政府が学費値上げを企むと、学生投票で過半数の賛成を得てストライキに突入して、授業がなくなりました。
まあ、無茶といえば無茶なのですが、学生のころには、そんな無駄も許されるし、必要なのだと今では思います。
大隅名誉教授の次の言葉は味わい深いものがあります。
「年齢(とし)をとるということは、切り捨てることなんだよ」
「失敗してはいけないという感覚は、科学とは相容れないもの。科学というのは、ほとんどが失敗の連続」
「いまの社会には、1回だって失敗してはいけないという感覚が若者にある。とくに受験に勝ち残った東大生には、失敗したらマイナスのスパイラルに落ち込んでしまうという恐怖感がすごく強い」
「『できました、先生』、『次は、何をやりましょうか』・・・。こんな感じの学生が東大生にも増えている。自分で課題を発見するより、提起された課題をいかに早く手際よく解く力が大事なことだと思い込まされている。それが問題だ・・・」
これって、本当に大切な指摘だと私も思います。弁護士だって同じことで、自分で物事を考え組み立てる能力が求められます。
この本のなかに、中世フランス語辞典を1人で、5年かけて完成させ、アカデミー・フランセーズから大賞を授与されたという松村剛教授の話があります。これは、すごいことです。学者って、すごいですね。9世紀から15世紀までの北フランス語を中世フランス語と呼ぶのですが、著者は十字軍時代のエルサレム周辺の文献まであたったようです。
毎日毎朝、NHKラジオのフランス語応用編を聞いて書きとりしながら、なんでこんなに進歩しないのかと自らを嘆いている身として、驚嘆するほかありません。学問の道は深く険しいことを少しばかり実感することができました。
駒場寮はなくなりましたが、1号館や九〇〇番教室そして話題の8号館は健在のようです。毎朝、学生気分に戻って浸るつもりでNHKフランス語講座を飽きもせず、聴いています。
(2019年6月刊。2500円+税)
2019年8月23日
「誇示」する教科書
(霧山昴)
著者 佐藤 広美 、 出版 新日本出版社
先日の参議院議員選挙の投票率は全国平均で48.8%、私の住む町は43%でしかありませんでした。かつては強固な労働組合運動があり、革新市長も誕生していた町ですが、労働運動の存在感は薄れ、革新陣営は市長候補も立てられない状況が長く続いています。そして、20代、30代の有権者の投票率は30%ほどでしかないと報道されています。私は、その原因の一つに学校教育があると考えています。
教師は真面目な性格の人が多いけれど、同時に上からの指示に逆らえない人が多数。考える有権者づくりより、親孝行をしましょう、整理整頓しましょうというレベルの道徳教育しかなく、日本史では近現代史をまともに教えない。
そして、大学は学費が高くて、奨学金は学費にみたない。何をやってもダメ、どうで世の中はジタバタしても変わらないという、あきらめムードが蔓延している。なので、若者をはじめ日本の有権者の6割が投票所に足を運ばず、安倍一強政治を与えている気がします。
学校の教科書が今、何を子どもたちに教えているか・・・。知れば知るほど、暗然たる気分になってしまいます。
戦前の教科書は、日本人の国民性は優秀であることを強調していた。それは欧米への敵意と、アジアの人々への蔑視と裏腹の関係にあった。そして、今日の育鵬社版の教科書は、日本人のすぐれた国民性を絶えず強調している。まさしく戦前回帰です。
「新しい歴史教科書」は、朝鮮半島にある植民地を近代化し、アジアを解放したと強調する。本当にそう言えるものでしょうか・・・。
扶桑社の『新しい歴史教科書』では、韓国併合は、「宿命的な矛盾であり、併合以外の道はありえなかった」ことを教えているというのです。韓国の王妃を日本軍が虐殺したことなどに目をつぶって、日本に都合のよいように事実をねじ曲げて子どもたちに教え込もうとしています。
帝国日本のアジア政策にあった植民地主義を消し去り、日本はアジア諸国に近代化をもたらしたという一面だけを強調する。鼻もちならぬ自慢話でしかありません。では、日本人がフィリピンやマレーシアで戦後、近代化をもたらした恩人として評価されていたとでもいうのでしょうか・・・。そんな声は残念ながら聞いたことがありません。日本軍の残虐行為しか聞こえてこないし、それ自体は否定しがたい事実でした。アジアの人々に対して日本(軍)は加害者として君臨していたし、各地で罪なき人々を虐殺していたので、謝罪するしかなかったのです。それも表面上の「お詫び」ではなく、心からの謝罪が必要でした。前の天皇はそのことをよく理解していたのだと思います。
いずれにしても、戦前の日本(軍)がアジアで良いことをしたなんて、そんなことを言っていたら、世界の笑いものになるだけです。日本の子どもに嘘を教えて、日本人としての誇りをもてと押しつけても、海外に出たら、たちまち化けの皮をはがされてしまいます。子どもたちが可哀想です。
教科書って、子どもたちにとって大切な存在なんだと、改めて認識させられました。
(2019年1月刊。1700円+税)