弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2012年11月10日
ちいさいひと 1
著者 夾竹桃ジン 、 出版 小学館
青葉児童相談所物語というマンガ本です。あまりによく出来ているので、ついつい涙が抑えきれなくなりました。
幼い子どもたちが虐待(ネグレクト)されています。でも、親がそれを認めようとしません。そこに、児童相談所の新米児童福祉司が登場します。
子どもたちは、ひたすら親をあてにしています。でも、若い親は夜の仕事に忙しく、また、大人の世界の交際にかまけて、子どもたちは放ったらかし。
食べるものも食べられず、まったく無視されてしまいます。親の親は、それを見て見ぬふりするばかりです・・・。
そのあいだにも、子どもたちはどんどん衰弱していきます。食事どころか、満足な医療も受けられずに放置され、死ぬ寸前・・・・。
近所の人々は異変を感じますが、誰も何か行動するわけでもありません。男親が子どもに厳しいせっかんをしても、母親は子どもにガマンさせるだけ。何も悪くないのに子どもは自分が悪いからと言い聞かせています。そんなとき、ついに児童相談所の出番です。
こんな実情を知ると、一律に公務員を減らしたら、子どもの生命・健康も守れないということに、よくよく思い至ることができます。
残念ながら、こんな現実が日本中にありふれていると弁護士生活40年近くになる私は痛感します。
本当によく出来たマンガ本です。ぜひ、手にとって読んでください。
(2011年11月刊。419円+税)
2012年11月 9日
督促OL修行日記
著者 榎本 まみ 、 出版 文芸春秋
ブラック企業で働かされているような辛い仕事も、長く続けると世の中と人間が見えてくるという話です。とてもしんどい話を面白く読ませてくれる本でした。
サブタイトルに日本一つらい職場で生き抜く技術とあります。
一日中、テレコールする。しかも、お金をもたない人を相手に、お金を支払えという電話をかけまくるのです。考えただけでも、いやな仕事ですよね。
キャッシング専門の督促部署に配属された。1時間に少なくとも60本の電話をかける。
体重が半年で10キロ減。ストレスが原因のニキビが火傷でもしたかのように顔じゅうにできた。
毎月、誰かが職場を去っていく。心を病んでしまう人も多い。会社に行くことは、イコール怒鳴られに行くこと。
朝8時から電話をかけはじめる。そのためには朝7時に出社して準備を始める。夜9時すぎて電話をかけれなくなったら、今度は督促状を発送する作業が待っている。
朝7時から夜11時まで会社に閉じこめられる。
入金の約束をした客が守る確率は6割。4割は約束を破る。
恐怖心、義務感そして罪悪感の三つをうまく刺激して返済してもらう。そのためには約束の日時・場所・金額を相手の口から言ってもらうことが重要である。
「お金を返して」と言うのではなく、「何日に払えるの?」と尋ねる。それとも、「いくらだったら払えるの?」と質問を変えてみる。これで、相手とのフンイキを悪くせずに入金の督促ができる。
いきなり客に怒鳴られてビクッと体が固まったら、その瞬間、思いっきり足をつねる。もしくは、小指をもう一方の足で踏んでけるなどして、下半身を刺激する。痛いと感じると同時に、怒鳴られたショックによる金縛りは解ける。そこから客へ反撃することができる。
足には本当の気分があらわれやすい。不安な人は足が落ち着かない。
ゴールデンタイムは、朝の8時と夜の8時台。
怒っている客には、溜めずに発散させてやる。落ち着いたところで、入金の目途をきくとうまくいく。
論理タイプの客から回収するためには、決してうえから督促しないこと。相手のプライドをみたすことが攻略のカギ。
クレジットカードのコールセンターに所属するオペレーター300人は、朝、昼、夜のシフトで勤務し、1日4万件の電話をかける。回収するのは月170億円、年に2000億円。
うひゃあ、す、すごい金額ですね。
オペレーターは、パートやアルバイトという非正規雇用で働いている。コールセンターの離職率は高く、30人が採用されても研修を終えるときに20人、配属されて2ヵ月で10人になる。
一人で1日に200件から300件の電話をかける。どんなに理不尽な要求であっても、オペレーターは感情的に反論することは許されない。自分が悪くなくても謝らなければいけない。
ゆっくりしゃべると、穏やかなフンイキで交渉することができる。
督促やコールセンターの仕事は「感情労働」と呼ばれる。感情労働は、自分の感情を抑制することでお金を得る。「心を売る」と同じこと。代表的な感情労働として、航空機の客室乗務員と募金人がある。
感情労働する人は、たとえ客に一方的に罵倒雑言を浴びせかけられたとしても、反論せず黙ってそれに耐え、相手のプライドを満たし満足させることを求められる。
感情労働は、心の疲労の問題が深刻となる。感情労働による心の疲労は、一日寝たからといって解消される保証はない。こうして心に疲労を蓄積させた結果、感情労働をする人が心を痛む確率はほかの労働よりも高い。
テレコール、とくに督促テレコールという非人間的労働を乗り切ったフツーの女の子の、たくましい体験記でした。人間の社会の現実を知る本として、興味深い内容になっています。
(2012年10月刊。1150円+税)
2012年11月 8日
脱原子力国家への道
著者 吉岡 斉 、 出版 岩波新書
3.11のあともなお、脱原発への道が一直線でなくジグザグしているのが信じられません。日本経団連とアメリカが日本の脱原発を妨げている主要な勢力なのでしょうが、少なくない国民が脱原発に踏み切れていないのも残念ながら現実です。
日本政府は福島原発事故が起きるまで、きわめて積極的な原子力発電拡散政策をとってきた。それは国家計画にもとづいて電力業界に原発拡大を進めさせるとともに、原発拡大という国策への協力の見返りとして手厚い保護を電力業界に与えるという、封建時代の主従関係を彷彿させるものであり、原子力施設の立地地域の自治体に対しても巨額の金銭的見返りが与えられてきた。
福島原発事故の経済的損失として数十兆円が追加されることが確実となった。この事故によって原発の発電原価は当初見積の2倍、火力発電の2倍となる。
日米原子力同盟の民事利用面における特徴は、日米の原子力メーカーが密接な相互依存関係を結んでおり、製造面ではアメリカのメーカーは日本メーカーに強く依存している。もし、日本で脱原発シナリオが進行すれば、日本メーカーは原子力から撤退するかもしれない。しかし、アメリカのメーカーは単独では原子炉を製造する能力を失っているので、日本の撤退は重大な打撃になる。つまり、日本の脱原発は、ドミノ倒しのように、アメリカでの脱原発への波及する可能性が高い。
だから、アメリカ政府は日本の脱原発を必至に止めさせようとしているのですね。まさに、自分たちの利益のためなのです。まあ、アメリカがいつもやっていることですが・・・。
日本はアメリカの「核の傘」のしたにいるから安心だというのは、いささか被害妄想的だ。日本は北方から侵略の脅威にさらされている。その仮想敵国が核兵器を保有するなら、こちらも核兵器で対抗するしかない。しかし、こんな考えは、よくよく考えてみたらバカげている。
どうせ脱原発は無理だろうと第三者的に語る者は、そのこと自体が脱原発を目ざす人々を黙殺する立場、つまり原発存続を擁護する立場に立つ。何もしないと言うこと自体が、原発存続にくみするのだ。そうなんですよね。よく考えてほしいところです。
脱原発は決して不可能ではない。原子力は産業技術としては、決して誰の助けもなしに生きていけるような強靱な技術ではなく、むしろ国家の手厚い保護・支援なしには生きていけない脆弱な技術である。
過酷事故が福島第一原発だけですんだのは不幸中の幸いであった。福島第一原発以外の原発も危機一髪だったのである。
福島第一原発事故から1年以上たってもまだ収束していない。原子炉の状態は安定しておらず、原子炉からの放射性物質の流出も止まっていない。原発周辺の広大な地域に莫大な放射性物質が飛び散っている。
原子炉災害はいったん起きたら、半永久的に収束しないものである。福島原発事故によって、チェルノブイリ級の超過酷事故は、世界で何度も起きるノーマル・アクシデントであることが立証された。
日本の原子力政策の特徴は原子力事業全体が民間事業も含めて、国家計画(国策)にもとづいて推進されてきたことである。「国策民営」体制は原子力発電事業についてのみ機能しているのではなく、電力事業全般に関しても機能している。いわば、原子力を「人質」として、両者が包括的な「国策民営」関係を構築し、維持してきたとみれる。学者とマスメディアを準主役メンバーに加えて、核の8面体構造と呼んでよい。
アメリカにとって「日米原子力同盟」の解体は、もっとも信頼できるパートナーを失うことである。日米両者の関係はイコール・パートナーであり、アメリカが主として設計を日本が主として製造を担当している。日本で脱原発がすすめられると、日本メーカーも原子力ビジネスのリストラを推進することになる。そうなればアメリカの原子力ビジネスそのものが不可能となる。つまり、米国国内の原子力ビジネスだけでなく、海外展開も不可能となる。アメリカの原子力ビジネスにとって、「日米原子力同盟」はまさに生命線なのである。
福島第一原発事故によって、原子力発電が優れているとされてきた安定供給性、環境保全性、経済性のいずれも否定されてしまった。
原発の代替エネルギーを探すまでもなく、脱原発は今でも可能なのである。
脱原発に安心して日本が踏み出せることをキッパリ断言した本です。
(2012年6月刊。1800円+税)
2012年11月 7日
東電福島原発事故、総理大臣として考えたこと
著者 菅 直人 、 出版 幻冬舎新書
福島第一原発事故がいかに恐ろしいものだったのかを、当時の菅首相が暴いています。今も日本人の多くがぬくぬくと暮らせているのは、まったくの幸運にすぎなかったこと、3.11の直後、日本の首都が壊滅状態となり、日本経済が完全に行き詰まる寸前だったのです。
そして、首相が浜岡原発の操業を許さないと指示すると、法律上の明文の根拠はなくとも電力会社は操業できないという関係にあることも明らかにしています。だからこそ脱原発を叫んだ菅首相は、よってたかって首相の座から引きずりおろされてしまったのでした。
誰が引きずりおろしたのか?
それは、アメリカであり、日本の財界であり、その意を受けて動いた民主・自民などの政治家です。まだまだ隠されているところは多いのでしょうが、かなり真実を暴いているのではないかと思いながら読みすすめました。
原発事故は、たとえば火力発電所の事故とは根本的に異なる。
火力発電所の火災事故だったら、燃料タンクに引火しても、いつかは燃料が燃え尽き、事故は収束する。ところが、原発事故では、制御できなくなった原子炉を放置したら、時間がたつほど事態は悪化していく。燃料は燃え尽きず、放射性物質を放出し続ける。そして、放射性物質は風に乗って拡散していく。厄介なことに放射能の毒性は長く消えない。プルトニウムの半減期は2万4000年だ。いったん大量の放射性物質が出してしまうと、事故を収束させても、人間は近づけなく、まったくコントロールできない状態になってしまう。
原発事故が発生してからの1週間は悪夢だった。福島原発事故の「最悪のシナリオ」では、半径250キロが人々を移転させる地域になる、そこには5000万人が居住している。
もしも5000万人の人々が避難するというときには、想像も絶する困難と混乱が待ち受けていただろう。そして、これは、空想の話ではなく、紙一重で現実となった話なのだ。原発事故は、間違った文明の選択に酔って引きおこされた災害と言える。
人間が核反応を利用するには根本的に無理があり、核エネルギーは人間の存在を脅かすものだ。現在の法体系では、基本的には、原発事故の収束を担うのは、民間の電力会社であり、政府の仕事は住民をどう避難させるかということになっている。原災法上、総理大臣である原子力災害対策本部長は東電へ指示できることになっている。原子力事故を収束させるための組織がないのは、事故は起きないことになっていたから。そんな組織をつくれば、政府は事故が起こると想定していることになり、原発事故にあたって障害になるという理由だ。
福島第一原発には、6基とも手がつけられなくなったら、どうなるのか。ぼんやりとしていた地獄絵は、次第にはっきりとしたイメージになっていた。東電本店では、当時、福島第一原発の要員の大半を第二原発に避難させる計画が、トップの清水社長をふくむ幹部間で話し合われていたことは証拠が残っている。
しかし、東電の作業員たちが避難してしまうと、無人と化した原発からは、大量の放射性物質が出続け、やがては東京にまで到達し、東電本店も避難地域にふくまれるだろう。
原発事故の恐ろしさは、時間が解決してくれないことにある。時間がたてばたつほど、原発の状況は悪化するのだ。だから、撤退という選択肢はありえない。
誰も望んだわけでなはないが、もはや戦争だった。原子炉との戦い、放射能との戦いなのだ。日本は放射能という見えない敵に占領されようとしていた、この戦争では、一時的に撤退し、戦列を立て直して、再び戦うという作戦をとれば、放射性物質の放出で占領が上界し、原子炉に近づくことは一層危険で、困難になる。そして、全面撤退は東日本の全滅を意味している。日本という国家の崩壊だ。
私たちは、幸運にも助かった。幸運だったという以外、統括のしようがない。そして、その幸運が今後もあるとは、とても思えない。
中部電力に対して、稼働している原発を止めろと命令する権限は、内閣にはなかった。そのため「停止要請」という形をとったが、許認可事業である電力会社が要請を断る可能性はないと考えていた。実際、中部電力は浜岡原発の停止を決めた。
「イラ菅」と呼ばれていた首相ですが、原発の危険性は本当に身にしみたと思います。多くの日本人が読むべき本だと思いました。原発なんて本当にとんでもない存在です。
(2012年10月刊。860円+税)
2012年11月 6日
震える学校
著者 山脇 由貴子 、 出版 ポプラ社
本のタイトルは学校のホラー映画でも紹介されるようで、なんだかとっつきにくいのですが、読みはじめると、とても真剣に子どもたちのことを考えているのがビンビン伝わってくる本です。わずか120頁ほどの本ですが、たくさんの親と教師に読んでほしいと思ってことでした。
教員も子どもたちからいじめられるのです。しかし、校長は教員がいじめの被害にあっていたなんて、大人として恥ずかしいことだし、ましてや教師なんだ・・・。今まで対処できなかった学校の責任だって問われることになる。それに、教師の質が悪いからだと責められても仕方がない。と言って、見て見ぬふりをしようとするのです。
現代のいじめは、教師すらもターゲットになりうる。ネット社会の匿名性が、「子どもから大人へ」のいじめを可能にしている。
いじめの解決に大人が取り組みはじめたとき、子どもたちは、まず疑う、そして罵倒する。これが本音だ。
保護者から学校への苦情は増え続けている。学校と保護者のコミュニケーション不足で悪循環に陥っているケースが少なくない。苦情が頻発すると、学校は対処に追われる。ネガティブな言葉を浴びせかけられ、心身ともに疲弊し、早く「片付けたくなる」。謝って許してくれるのならと、むやみに謝る。すると今度は、今度は別の苦情が出る。「謝り方が悪い」「誠意が感じられない」。そのうち、教師の仕事が「教育」ではなくなり、「処理」業務に終始することになる。
もともと対話のないところで一方が不満を言い出すと、あっという間に関係性は悪化してしまう。「子どものため」にできることは、一方的な要求や文句ではなく、話し合いと互いに協力することだ。
静まりかえった職員室の意味するものは何か?
校長は現場の教師をかばっているように見えるが、実はかばっているのではない。問題を起こしたくない。問題として認めたくないだけ。何か問題が起きても放置される。教師は何もしない。それを生徒も保護者も、十分に体験していた。この学校は悪が悪としてまかり通ってしまっていた。思いはただひとつ、卒業までの我慢だ。
教師は生徒に関心がない。教師同士は同僚ではなく、他人同士だ。だから職員室は静かだったのだ。生徒に関心がなければ、教員としてのつながりは持てないのだから当然だ。校長も、生徒にも教師にも関心がない。
現代のいじめの典型的なパターンは、「いじめっ子」と「いじめられっ子」という固定した関係ではなく、いじめの被害者がしばらくすると加害者にまわる。加害者だった子が、今度は被害者になる。一度いじめが起こると、「傍観者」でいることは許されず、被害者以外は、全員が「加害者」となっていく。
いじめがひどい学校ほどいじめのターゲットは次々に変わり、すべての子どもが、「今度は自分かもしれない」と怯えることになる。安心していられる子はいない。この構造こそが、子ども社会のいじめの現実である。
インターネットとケータイは、子ども社会のコミュニケーションを二重構造化した。現実の対面的コミュニケーションは、常にネット世界の目に見えない悪意に脅かされている。
多くの子どもは「親友にだけはホンネが言えない」と言う。どんなに親しげにふるまっていても、ネットでは悪口を言われているかもしれない。そんな不安が消えない。いつも怯えている。子どもたちは、人と人の心と心のつながりを信じられなくなっている。継続的で、安心できる人間関係がないのだ。だから、学校でいじめが起こっていても、子どもはどこにも頼る相手がいない。
いじめは異常な集団ヒステリーであり、善悪の判断は倒錯してしまっている。集団の中では善と悪とが完全に逆転し、子どもは時として、楽しんで、いじめを行う。人に対する痛みも、共感も、想像力も、善悪の判断も奪い去り、猛威をふるう。人間を非人間化するのが、いじめだ。
だから、問題の当事者を排除するだけでは、いじめの本当の解決にはならない。大人社会の信頼の復興こそが、なによりもいじめ防波堤になる。
改めて問題の本質と対処法を考えさせてくれる本でした。
(2012年9月刊。880円+税)
2012年10月30日
オスプレイとは何か?
著者 石川厳、大久保康裕 ほか 、 出版 かもがわ出版
オスプレイとは、ミサゴという島の名前。ミサゴは魚をとって食べる島。獲物を見つけると、空中に静止し(ホバリング飛行)、その後、急降下して両足で獲物をとらえる。
オスプレイはアメリカ軍(主に海兵隊)が導入した新しい軍用機。
海兵隊の作戦では、垂直に離着陸する軍事的な必要性が高い。戦争の初期の段階で、強襲揚陸艦に乗って適地に近づき、兵員と物質を上陸させて、アメリカ軍の作戦を遂行する拠点を築きあげる。
オスプレイは、GH-46というヘリコプターの代替機だが、行動半径は4倍、積載量は3倍、速度も2倍である。オスプレイは、イラクとアフガニスタンに派遣されている。オスプレイは、開発段階で事故が多発し乗員30人が命を失っている。「未亡人製造機」というあだ名までつけられている。
オスプレイは、輸送機なので対人兵器は着陸時の自衛用のライフル1丁、機関銃2丁しかもたない。重量がある割に、揚力があまりないので、兵器で機体の重さを増やせない。だから、作戦時は戦闘機の護衛が必要になる。
海兵隊のオスプレイが海外に配備されるのは、日本のみ。海兵隊がまとまった戦闘部隊を配置しているのは、海外では日本だけだから。
オスプレイの回転翼(ローター)は一般ヘリより小さい。これは強襲揚陸艦に積む場合の限度があるから。
オスプレイは臨機応変の戦闘機動性に欠ける。これはコンピューター操縦のため。
CH-46ヘリの機体には、その平衡感覚を保つバランサーに劣化ウランが使用されている。
オスプレイが日本で事故を起こしたら、公務中だと考えられるので日本で裁判はできない。
オスプレイの低空飛行訓練は、地上の武装勢力の仕掛け爆弾設置とか、特攻自爆車が突っ込んでくるのを監視する。だから、低い上空を30分も40分もぐるぐる旋回する訓練をする。
日本地位協定にも、アメリカ軍は日本の法律を尊重する義務がありことを定めている。ドイツでは、ドイツ側の同意があって、低空飛行訓練のルートが設置されている。日本でも同じように交渉できないはずがない。
アメリカの言いなりで、何もものの言えない日本政府、民主党政権のだらしなさには呆れてしまいます。民主党政権とまったくかわりません。こんなことで日本人の生命・財産を守る政府と言えるはずもありません。腹立たしい限りです。
(2012年9月刊。1000円+税)
2012年10月24日
災害派遣と「軍隊」の狭間で
著者 布施 祐仁 、 出版 かもがわ出版
戦う自衛隊の人づくり、というサブタイトルのついた本です。
3.11災害で出動した自衛隊に対する国民の肯定的評価が圧倒的に高まりました。もちろん、それは自然な流れだと私も思います。でも、自衛隊って本当に災害救助隊なのでしょうか・・・。いえ、もちろん違います。この本は、その違いを多方面から迫っています。
自衛隊の最大の任務は「国防」であり、災害派遣は「従たる任務」の一つにすぎない。そして、「同盟国アメリカの要求」を加えた三つの狭間(はざま)で揺れているのが現在の自衛隊である。
陸上自衛隊がアメリカの要請でイラクのサマワに行ったとき、その宿営地に対して迫撃砲やロケット弾攻撃は13回22発もあり、移動中の陸上自衛隊の車列がIED(仕掛け爆弾)攻撃を2回も受けた。いずれも幸いなことに死傷者は出なかったが、その可能性は高かった。小泉首相(当時)は、イラクへ「戦争に行くのではない」と断言したが、実際には自衛隊が「武力行使」に踏み込む危険性がおおいにあった。
イラクへ自衛隊を派遣した費用721億円の大半は600人の部隊を駐留させるために使われた。そして、費用対効果の面からいったら「自衛隊でなければならなかった」理由はない。
結局、陸上自衛隊のイラク、サマワ派遣は、日米同盟の下での「派遣のための派遣」だった。つまり、災害派遣は日々の訓練のおまけでしかない。
アメリカ軍は、このところ新兵募集に成功している。2009年度は17万人近い新兵の獲得に成功した。景気が悪くなって志願者が増えたのだ。同じことは日本でも言える。2007、8年度は8万人台だったが、2009年度には10万4000人にまでなった。
なにしろ、高卒で衣食住がついて月16万円というのですから、たとえば母子家庭の子が早く親孝行したいと思って応募する気持ちは分かりますよね。
そして、自衛隊の募集ポスターには銃などの武器がどこにも見あたらない。自衛隊は「軍隊色」を隠している。そこはアメリカ軍の募集ポスターとまったく異なる。
自衛隊員のストレスは増大し、自殺者が増えている。年間50人だった自殺者が今では、80人から90人台へと増加している。イラクに派遣された自衛隊員については3倍の割合で自殺している。全体で5600人のうち16人が在職中に自殺している。
これについて、「自殺者は自然淘汰として対処する発想も必要」という内部文書があるのを知って、驚きました。「軍」になると、自殺も損耗率の一つにすぎないということなのでしょうね。
自衛隊に若者を送り込むために学校、とりわけ中学・高校がターゲットにされているようです。そして、そのとき、若者に安定した仕事がないことが格好の材料にされているという悲しい現実があります。
20万人をこえる自衛隊を一挙に解消することができない以上、大災害救助隊に再編成するにしても、いろいろ考えることがあるというわけです。
(2012年7月刊。1500円+税)
2012年10月18日
「橋下総理」でいいんですか?
著者 小西 進 、 出版 日本機関紙出版センター
日本に新しい政治が生まれる。アメリカのような二大政党が選挙の結果で政権交代していくシステムが出来た。
こんな大きな期待を背負ってスタートして二大政党制ですが、今ではすっかり期待はずれの感があります。日本人の忘れやすさを代表するのが橋下徹・大阪市長が代表も兼ねる日本維新の会です。この本は、今や人気絶頂にある橋下徹の内実・真相に迫っています。
橋下徹の言葉は、いつも、いつもながらシンプルである。
橋下徹は、TPP賛成で、ブレない。労働市場は基本的に自由化すべしと主張する。
橋下徹は、昔から核武装論者を自認していた。日本は、アメリカの核の傘の中で守ってもらい、原子力空母や潜水艦によって守ってもらっていると主張する。
橋下徹は次のように演説した。
「自分でしっかり生きていくことができる力を持つ。分かちあい、助けあい、弱者切り捨てだけ、このような甘い言葉こそ、本当に危険。国民が自立することを忘れてしまい、他人を頼ることを根本原則にすれば、もはや国家として地域として成り立たない。社会保障は、もうもたない。もたれあい、たよりあい、依存しすぎ、悪しき流れをきちっと絶つ」
驚くべき冷たさ、弱肉強食そのもの超保守政治家です。非正規社員、派遣社員ばかりで、とりわけ若者が自立できない労働環境になっていることを橋下徹は、すっかり忘れてしまっています。こんな政治家は無用です。
高校生に向かって、「いまの日本は、自己責任がまず原則」と開き直る橋下徹。これほど政治家として無責任な放言はありません。「自己責任」ではどうしようもなくなっている現実をなんとかすることこそ、政治家の果たすべき使命ではありませんか・・・。
橋下府政は、その前の太田府政のときの借金2848億円(年平均)を上回る3587億円を借金した。
大阪府の財政危機の大きな原因は、関西空港2期事業などの巨大開発。りんくうタウン、阪南スカイタウン、水と緑の健康都市の3事業だけで4440億円の赤字を生んだ。そして、同和対策事業に年50億円も投入して継続した。
その反面、橋下徹の弱い者いじめは徹底しています。
敬老パスの有料化、コミュニティーバスへの補助費削減、国保料減免の縮減、障害者スポーツセンターの統廃合、などなど・・・。
橋下徹は、能や文学が好きな人を「変質者」と呼んだ。
2011年6月29日、橋下徹は有名な演説をした。
「日本政治で一番重要なのは、独裁だ。独裁と言われるくらいの力、これが日本の政治に一番求められている」
橋下徹の政治の中身は、民主党や自民党とまったく同じ、いや、もっとひどい政治を一気にすすめようとしています。右側から民主主義を攻撃する突撃隊の役割を果たしているのです。
「決める政治」と言っても、悪い方向にどんどん強引に決められ、すすめられたら大変なことになりますよね。もう、いいかげんマスコミが橋下徹をもてはやすのは止めてほしいとつくづく思います。
(2012年8月刊。1143円+税)
2012年10月17日
地熱エネルギー
著者 江原 幸雄 、 出版 オーム社
この夏、電力不足で停電になると電力会社と政府・財界からさんざん脅されましたが、猛暑のなかでもなんとか停電もなく耐え抜きました。原子力発電所に頼らなくてもやっていけること、原子力発電所に頼ってはいけないことが次第に国民に浸透していることを実感します。
原発以外のエネルギーとして、地熱発電にもっと力を注ぎこむべきだと強調している本です。先日、同じことを伊藤千尋氏(朝日新聞)も言っていました。九州には、既に九重に大きな地熱発電所があります。それを大いに活用すればいいのです。
地熱発電所の歴史は古く、いま世界各地で地熱発電も非常に熱心に進めている。世界最初の地熱発電は、1904年、イタリア北部のラルデレロに始まった。
現在、世界中30ヶ国で地熱発電がおこなわれ、2010年には世界の地熱発電所は1000万kwをこえた。2015年には1850万kwをこえる見込みである。
日本では、1999年までに全国18ヶ所、54万kwの地熱発電国になったが、その後は原発推進のため、すすんでいない。日本の地熱資源ポテンシャルは2000万kwをこえると推定されている。
地球の中心は6000度Cと推定されており、偶然だが、太陽の表面温度と同じ。地球も堆積の99%は1000度C以上、100度C以下は0.1%にすぎない。したがって、地球は巨大な熱の塊と言うことができる。
日本の地熱ポテンシャルが2000万kwというのは、アメリカ、インドネシアに次いで世界第3位。日本は世界に冠たる地熱資源大国なのである。ところが、現在、わずか2%、54万kwしか利用されていない。
安全で安いと言われてきた原発が、実のところ、人類がコントロールできないほど危険なものであり、その始末することが不可能なことを考えたら、コストは無限大のようなものだ。このことが明らかになってきた今、私たちは地熱エネルギーのコストが少しくらい割高でも、これを活用しない手はないと思います。
とってもタイムリーな本でした。
(2012年3月刊。2800円+税)
2012年10月14日
舟を編む
著者 光浦 しをん 、 出版 光文社
辞書は、モノ書きを自称する私にとっては必須不可欠なものです。いまも本の最終校正の真最中ですが、辞書を引く手間を惜しまないようにしています。思い込みによる間違いも多々ありますし、何より同じ言葉を繰り返さず、異なった表現にするためには辞書を引いておかないと、とんだ恥さらしをしかねません。
この本は、辞書づくの過程を面白く、ドキドキワクワクの世界に仕立て上げたものです。思わず応援したくなります。なんといっても、言葉との名義性には目を大きく見開かされます。
めれんという言葉をはじめて知りました。慌てて私の愛用する角川国語辞典で探しましたが、幸いのっていませんでした。酩酊を意味する言葉です。「仮名手本忠臣蔵」に出てくる言葉のことです。
それにしても、声という言葉に、季節や時期が近づくけはいという意味があったなんて。信じられません。でも、たしかに「四十の声を聞く」という文章はありますよね・・・。
辞書は、言葉の海を渡る舟だ。だから、海を渡るにふさわしい、舟を編む。
ここに、この本のタイトルは由来しています。
辞書を作るのに、何年、いや10年以上かかるのは珍しくない。そして出来上がった辞書は出版社の誇りであり、財産だ。人々に信頼され愛される辞書をきちんと作れば、その出版社の屋台骨は20年は揺るがない。
山にのぼるとは言うが、山にあがるのが、まず言わない。天にものぼる気持ちといっても、天にもあがる気持ちとも言わない。なぜか?
「こだわり」の本来の意味は、拘泥すること、難癖をつけていること。だから、いい意味で使ってはいけないのだ。そうだったんですか・・・。これまた、知りませんでした。
辞書用の紙は特殊なもの。厚さは50ミクロン。重さも、1平方メートルあたり45グラム。そして裏写りはしない。問題は、ぬめり感。指に吸いつくようにページがめくれる。しかも、紙同士がくっついて複数のページが同時にめくれてしまうことがない。
辞書づくりの人は用例採集カードを常時もって歩いている。何か目新しいコトバに出会うと、その場ですぐにカードに書きとめる。
うむむ、辞書の作成にかかわる人々は、相当重症のオタクとみました。でも、そんなオタクの人々が、日本の文化を下支えしているのですね。とても面白い本でした。
(2012年2月刊。1500円+税)