福岡県弁護士会 宣言・決議・声明・計画

2024年9月26日

「袴田事件」再審無罪判決を一日も早く確定させることを求めるとともに、改めて速やかな再審法改正を求める会長声明

声明

1 本日、静岡地方裁判所(國井恒志裁判長)は、いわゆる「袴田事件」について、袴田巖氏(以下「袴田氏」という。)に対し、無罪を言い渡した。二度にわたる再審請求を経て再審開始が確定し、再審公判が開かれ、本日、無罪判決が言い渡されたものである。当会は、本判決を高く評価し歓迎する。
2 「袴田事件」は、1966年(昭和41年)6月30日未明、静岡県清水市(現:静岡市清水区)のみそ製造販売会社専務宅で一家4名が殺害され、同宅が放火されたという事件である。静岡県警は、1966年(昭和41年)8月18日に同社従業員であった袴田氏を本件の犯人として逮捕した。袴田氏は、当初無実を主張していたものの、その後関与を認める自白をしたことなどもあり、起訴された。袴田氏は一審の公判では否認していたものの、静岡地裁は、1968年(昭和43年)9月11日に袴田氏に死刑を言い渡した。控訴及び上告も棄却され、1980年(昭和55年)12月12日に同判決が確定した。
しかし、その後も、袴田氏は無実を訴え、再審請求を続けてきた。その再審無罪判決までの闘いは非常に長期に及んだ。
3 第1次再審請求は約27年間もの長期に及んだが、棄却されて終わった。第2次再審請求について、静岡地裁(村山浩昭裁判長)が再審開始を決定し、併せて死刑及び拘置の執行停止を決定したのは2014年(平成26年)3月27日のことであった。
ところが、この再審開始決定に対して検察官が即時抗告をするなどしたため、同決定の確定まで9年もの期間を要した末に再審公判が開かれ、本日、無罪判決がなされたものである。
逮捕当時30歳であった袴田氏は現在88歳である。実に逮捕から58年以上もの長きにわたって犯人であるとの汚名を着せられ続けたことになる。人生の大半を自己のえん罪を晴らすための闘いに費やさざるを得なかったその余りの残酷さは筆舌に尽くしがたいものがある。このような残酷な立場に袴田氏を置き続けたことについて、検察官はもとより、刑事司法に携わるすべての者が深く猛省せねばならない。
4 そこで、当会は、検察官に対し、更なる有罪立証がもはや許されないことを自覚し、本日の無罪判決を尊重して上訴権を放棄し、直ちに無罪判決を確定させる所要の措置を講じることを強く求める。
5 なお、わが国では、死刑判決が確定した後、再審によって無罪判決が出された事件が過去に4件ある(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)が、今回、「袴田事件」がこれに加わることとなる。
死刑は、人の生命を奪う不可逆的な刑罰であって、死刑判決がえん罪であった場合、これが執行されてしまうと取り返しがつかない。「袴田事件」は、その危険性に改めて警鐘を鳴らすものである。
誤った死刑判決に基づく死刑の執行を防ぐには、死刑制度を廃止する以外に途はない。当会は、引き続き死刑制度の廃止を強く求める。
6 同時に、「袴田事件」は、現行の再審法の不備を改めて浮き彫りにしている。現在の再審法には再審請求審の手続をどのように進めるかという再審請求手続における手続規定が定められておらず、証拠開示のルール(再審における証拠開示の制度)も設けられていない。
現に、第1次再審請求の即時抗告審である東京高裁(安廣文夫裁判長)は、事実の取調べ(刑訴法43条3項、445条)として証人尋問等を実施するか否かは裁判所の合理的な裁量に委ねられるべき問題であり、証拠開示についても同様であるとしていた。
このような問題は、他の再審事件でも同様に見られるところであり、まさに制度的・構造的な問題であるといわざるを得ない。
そこで、当会は、「袴田事件」のみならず、「大崎事件」や「日野町事件」などについて、繰り返し再審請求手続における証拠開示の制度化、再審開始決定に対する検察官の不服申立ての禁止、再審請求手続における手続規定の整備を含む、再審法の全面的な改正を求める会長声明を発してきた。
ここに改めて、政府及び国会に対し、再審法の改正を強く求める。

2024年(令和6年)9月26日

福岡県弁護士会

会 長  德 永   響

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