福岡県弁護士会 宣言・決議・声明・計画
2022年8月26日
「大崎事件」の再審請求棄却決定に抗議する会長声明
声明
1 鹿児島地方裁判所(中田幹人裁判長)は、2022年(令和4年)6月22日、いわゆる「大崎事件」第4次再審請求事件において、再審請求を棄却する旨の決定(以下「本決定」という。)を行った。
2 「大崎事件」は、1979年(昭和54年)10月、原口アヤ子氏(以下「アヤ子氏」という。)、同人の元夫(長男)及び義弟(二男)の3名が共謀して、別の義弟であった被害者(四男)の頚部に西洋タオルを巻き、そのまま絞め付けて窒息死に至らしめて殺害し、その遺体を義弟(二男)の息子も加えた4名で被害者方牛小屋に運搬した上、堆肥内に埋没させて遺棄したとされる事件である。アヤ子氏は、逮捕時から一貫して無実を主張し続けたものの、別に起訴されていた元夫、義弟並びに義弟の息子の3名の「自白」、その「自白」で述べられた上記犯行態様と矛盾しないとする法医学鑑定、「共犯者」とされた義弟の妻の目撃供述等を主な証拠として、1980年(昭和55年)3月31日、懲役10年の有罪判決を受けた。その後、アヤ子氏のみは、控訴・上告したが容れられず、当該判決が確定したことにより、服役した。
3 しかし、そもそも、「大崎事件」は、被害者の殺害を裏付ける客観的な証拠に乏しかった。殊に、殺害の用に供されたとする「西洋タオル」については、アヤ子氏方にあった「西洋タオル」が証拠として取調べられたものの、事件との関連性が肯定されなかったことから証拠の標目にも掲げられず、刑法19条に基づく没収の対象ともならなかったのであり、このことはひいては西洋タオルで被害者の首を絞めて殺害したという「自白」の信用性に疑問を差し挟む余地を残していたのである。そして、元夫、義弟そしてその息子はいずれも知的能力に問題があり、その供述はいわゆる「供述弱者の自白」であったことや、それらの供述はいわゆる「共犯者の自白」であり、とりわけその信用性の吟味が不可欠なものであったが、元夫、義弟については公判廷における証言に代えて検察官に対する供述調書が刑訴法321条1項2号後段書面として証拠採用されたのである。さらに、法医学鑑定も、当初は僅かに被害者の頚部付近に外傷性の痕跡が認められるということで、「窒息死を推定する。仮に窒息死したものとすれば他殺を想像させる。」としたものであったが、第1次再審請求審において、当該鑑定人本人により「他殺か事故死か分からない」と当初の見解が変更されるというように極めて曖昧な内容であった。
4 アヤ子氏は、服役・出所後の現在に至るまで一貫して無実を訴え続けており、1995年(平成7年)4月19日に申し立てられた第1次再審請求においては、2002年(平成14年)3月26日に再審開始決定がなされたが、即時抗告審(福岡高裁宮崎支部)で取り消され、最高裁への特別抗告も棄却された。その後も、2015年(平成27年)7月8日に申し立てられた第3次再審請求において、2017(平成29年)6月28日に再審開始決定がなされ、2018年(平成30年)3月12日、即時抗告審でも検察官の即時抗告が棄却された。今度こそ再審が開始されるのではないかと期待されたが、検察官から特別抗告の申立てが行われ、これを受けた最高裁は、2019年(令和元年)6月25日、検察官の特別抗告には刑訴法433条(同法405条)の理由がないとしながらも、再審開始決定及び即時抗告棄却決定のいずれについても「取り消さなければ著しく正義に反する」として、自ら再審請求を棄却するという決定を行った。
当会は、最高裁のこの暴挙を看過することができず、同年8月8日付「再審制度の制度趣旨を没却する最高裁判所の大崎事件第三次再審請求棄却決定に対し抗議する会長声明」を発出し、本来誤判えん罪の被害者を救済するための制度であるはずの再審制度の制度趣旨を没却し、また、刑訴法435条6号の新証拠の明白性に関する判断基準のハードルを著しく引き上げるもので、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事司法制度全体の基本理念をも揺るがしかねない危険な判断であるとして、強く批判していたところである。
5 このような中においても、アヤ子氏の「再審無罪」の強い願いを受け止めた親族において、同氏と元夫のために2020年(令和2年)3月30日に第4次再審請求を申し立てた。第4次再審請求審においては、確定判決が認定した殺害行為時よりも早い時点で既に被害者が死亡していたことを明らかにする新証拠として救急救命医の鑑定書が提出され、片側が溝となった道路に寝かせられていた被害者を発見して同人方に搬送した近隣住民である2名の救護者の供述の信用性に関する新証拠として鑑定書などが提出された上、5名の専門家の証人尋問が実施された。
しかしながら、本決定は、上記の救急救命医の鑑定についてその証明力を不当に低く評価して被害者の死亡時期の検討を十分に行わず、また、その余の鑑定についても個別に問題点を指摘するにとどまり、それらの立証命題に係る旧証拠の証明力をどの程度弾劾するのかといった評価や、さらには新旧全証拠の総合評価を適切に行うこともなく再審請求を棄却したものであり、到底是認できない。
すなわち、上記救急救命医の鑑定は、被害者が非閉塞性腸管虚血による広範な小腸の急性腸管壊死等により全身状態が悪化していたところに、道路脇の溝に顔面から突っ込むような態様の転落事故により負った非骨傷性頚髄損傷が2名の救護者の不適切な救護により悪化して高位頚髄損傷を生じるに至ったことなどにより呼吸停止に陥り、被害者宅に運ばれた時点では既に死亡していたことは確実であるというものであった。この点、2名の救護者は、被害者を自宅に運んだ時点で被害者は生きていたと供述しており、また、元夫らの「自白」も、被害者が自宅に運ばれた後、被害者の頚部に西洋タオルを巻きつけて殺害したというのであるから、被害者が自宅に運ばれた時点で既に死亡していたのだとすれば、2名の救護者の供述は信用できないことになり、元夫らの「自白」は論理的にあり得ないことになるのであって、確定判決の認定は支持し得ないものとなる。そして、本決定も、被害者が起こした転落事故が上記のような態様のものであった可能性があることを認め、また、「仮に被害者が転落により非骨傷性頚髄損傷を負っていたとすれば」という条件付きではあるが、2名の救護者が被害者を発見してから軽トラックの荷台に乗せるまでの過程でその症状が悪化し、高位頚髄損傷に陥って呼吸停止を来した可能性があるという限度では上記救急救命医の鑑定の証明力を認めていた。それにもかかわらず、本決定は、結論として上記救急救命医の鑑定の新証拠としての価値を否定した。曰く、被害者が自宅に搬送されたときには既に死亡していたとなると、2名の救護者が被害者の死体を遺棄したということにもなりかねないが、そのような可能性はおよそ考え難いとして、上記救急救命医の鑑定をもって、被害者を自宅に搬送した時点で被害者は現に生きていたという2名の救護者の供述の信用性を減殺するものではないと結論したのである。
しかし、大崎事件の再審請求の核心は、2名の救護者が被害者を同人方に搬送したときには、被害者が既に死亡していたということである。そうであれば、アヤ子氏はもとより、元夫及び義弟が被害者を殺害したという犯行自体が完全に覆されることになるということであって、被害者の死体を遺棄したのは誰であるかということを詮索することではない。もとより、上記2名の救護者による死体遺棄の事実が認定できなければ、アヤ子氏らが被害者を殺害した疑いが揺るがないというような関係には断じてないのである。この点において、本決定は重大な誤りを犯していると言わざるを得ない。
本決定の判断は、再審請求において、新旧全証拠の総合評価と「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則の適用を求めた白鳥・財田川決定に反するとともに、無辜の救済という再審制度の趣旨を没却する不当なものであって、到底是認できず、第3次再審請求における上記最高裁決定に無批判に追従したものと言うほかない。
6 「大崎事件」においては、上記のとおり既に三度も再審開始を認める判断がなされているにもかかわらず、検察官の即時抗告や特別抗告により未だ再審公判に至っていない。
したがって、当会としては、本決定に対して改めて強く抗議するとともに、アヤ子氏が95歳の高齢に達していることからして、同氏の生あるうちに汚された名誉の回復を図るべく、即時抗告審が係属する福岡高裁宮崎支部に対して可能な限り迅速に審理を遂げ、本決定を取り消した上で再審を開始する決定をするよう求める。
同時に、当会としては、再審開始決定に対する検察官の不服申立の禁止をはじめとする、えん罪被害救済に向けた再審法改正の早急な実現を求める次第である。
2022年(令和4年)8月24日
福岡県弁護士会
会 長 野 田 部 哲 也