福岡県弁護士会 宣言・決議・声明・計画
2021年3月24日
特定商取引に関する法律等の書面の電子化に反対する意見書
意見
消費者庁は,消費者委員会2021年1月14日会議において,特定商取引に関する法律が定める通信販売を除くすべての取引と特定商品等の預託等取引契約に関する法律が定める取引について,オンライン契約か対面契約であるかを問わず,消費者が承諾すれば,電磁的方法により契約書面や概要書面を交付することを容認する内容への改正を検討する旨の方針を示し,同年3月5日,同方針を踏まえ,「消費者被害の防止及びその回復の促進を図るための特定商取引に関する法律等の一部を改正する法律案」が閣議決定され,国会に提出された。しかしながら,同改正法案は,特定商取引に関する法律及び特定商品等の預託等取引契約に関する法律がこれまで担ってきた消費者保護機能を損なう危険のあるものであるため,以下のとおり意見を述べる。
1 意見の趣旨
電磁的方法により契約書面や概要書面を交付することを容認することは,消費者保護の根幹たる特定商取引に関する法律及び特定商品等の預託等取引契約に関する法律上の書面交付義務を軽視し,各法の果たしてきた消費者保護を大きく後退させるものであり,今後オンライン取引が拡大していくことを踏まえても,拙速というべきであって,反対である。
2 意見の理由
(1) 法定書面の機能及び重要性
特定商取引に関する法律(以下「特商法」という。)及び特定商品等の預託等取引契約に関する法律(以下「商品預託法」という。)は,訪問販売等の方法により消費者と契約をする事業者に対して契約書面及び概要書面の交付義務を課しており(特商法4条等,商品預託法3条,以下「法定書面」という。),法定書面の記載事項について特定商取引に関する法律施行規則等において極めて厳格に定められている。これは,消費者に対して,自らの行った契約の内容を明確に認識させる機会を保障するとともに,クーリング・オフ等の手続により,契約関係からの離脱をする機会を保障するためであって,事業者の法定書面交付義務は,特商法及び商品預託法における消費者保護の柱ともいうべき極めて重要なものとして位置付けられてきた。
実際の相談現場においても,消費者自身が,誰と,いつ,どのような内容の契約を締結したのかを明確に認識していない事例は枚挙に暇がなく(そしてその原因については,消費者の注意不足に起因するというよりも,契約内容自体が複雑であることに起因する事例が多数見受けられる。),消費者の手元に残された契約書面等から上記の情報を確認していくという手法がとられている。また,クーリング・オフは一定の期間内に行わなければならないところ,契約書面等がそもそも交付されていない場合や,記載事項が法定の要件を満たさない場合には,この期間が進行しないため,相談現場においては,法定書面交付の有無,交付の時期及び記載の不備の有無などから,クーリング・オフの可能性を検討しており,紙面として残された契約書面等は事案解決のための重要な資料となっている。
さらに,当該消費者自身が消費者被害にあっている認識を持てないような場合(若年者や高齢者であって判断能力が充分でない場合や,言葉巧みに勧誘されてその認識を阻害されているような事案など)でも,家族や知人,福祉関係者や地域の方など周囲の者が,当該消費者が保有している契約書面等をきっかけとして被害に気付くという事例もあり,被害発覚の端緒としても機能している。
(2) 法定書面の電磁的方法による交付を認めた場合に生じる弊害
ア 電磁的方法で交付することに対する同意承諾の問題
ここで,まず,消費者の同意を前提に法定書面を電磁的方法によって交付することができるとした場合に,その同意が真意に基づいていることをいかに確保するかという点が重要な問題となる。クーリング・オフ自体,不意打ち的要素を有する勧誘方法が行われる場合に認められているものであるから,法定書面の交付方法についても,仮に消費者が同意したとしても真意に基づかない場合の救済措置が必要である。
次に,この同意についての保存義務及び立証義務を事業者に負わせるとしても,当該資料が改ざんないし偽造されることをいかにして防止するのかも問題となる。
この点について,消費者委員会は,2021年2月4日付け特定商取引法及び預託法における契約書面等の電磁的方法による提供についての建議において,消費者の承諾の取得を実質化することが求められているが,具体的な方法には及んでおらず,未だ十分に検討されているとはいえない。
イ 契約条項の見落とし
電磁的方法で契約書面等を確認する際,消費者は,スマートフォン等の端末で契約条項を確認することになるが,端末の小さな画面では一覧性に劣るうえ,高速に画面をスクロールしてしまうと必要な条項を見落としてしまったり,理解できない条項を読み飛ばしてしまうおそれがあるため,契約内容を十分に認識できない可能性が高まる。
また,端末上でしか契約条項が確認できない場合に,目を惹く広告表示に気を取られ,契約条項がほとんど読まれないということは,相談が急増し高止まりしているネット通販の定期購入トラブルにおいて,一応は表示されている解約制限が認識されていないという相談内容が多いことからも明らかである。
ウ 契約書類の保存と改ざんないし偽造の危険性
さらに,消費者側における電磁的方法で交付された書面の保存,閲覧をどのように確保するのかという点も問題となる。
考え方としては,事業者のサイト上に自らのアカウントを作成して契約内容を確認する方法をとる方法や,メール等で送信する方法が考えられるが,前者の場合にはサイトの閉鎖,退会(事業者が強制的に行う場合を含む)のみならず,IDやパスワードの失念等により,後者の場合には当該データの消去(端末の故障等により意図せず消えてしまう場合も含む)や端末の紛失等によって,契約書等の電磁的記録を確認できなくなるという事態が生じることも十分に想定される。
また,事業者側においては技術的には消費者が契約時に確認した契約内容とは異なる内容が契約書として保存したり,メール等で送信することは充分に可能である反面,消費者側でそのことを確認するのは著しく困難となる。
エ 家族や見守りの方が消費者トラブルを発見できなくなること
さらには,スマートフォン等の端末については,第三者がその端末内のデータを見ることは基本的に想定されていないため,前述のような当該消費者自身が消費者被害にあっている認識を持てない場合,第三者が消費者の保有している法定書面を発見してその契約の問題点に気付くといったことも起きなくなってしまう。
オ 従前の関係省庁の見解
さらに,官邸の高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT戦略本部)第5回情報通信技術利活用のための規制・制度改革に関する専門調査会(2011年1月20日開催)の参考資料1「各省庁に対する書面調査結果」の通し番号41番において,当時,消費者庁及び経済産業省は,「消費者側が自ら主体的に電磁的交付に係る明示的な意思表示を行い得るものか疑義がある。」,「特に,昨今,訪問販売や電話勧誘販売においては,高齢者の判断力・交渉力不足に付け入る悪質な手口も多く,事業者側に有利なかたちで消費者の意思形成が誘導され,消費者被害が生じている実態を踏まえると,不意打ち的に勧誘を受ける高齢者を含む消費者が,電磁的交付について積極的な承諾の意思表示を行う取引形態になっているとは考えにくい。...したがって,高齢者を含む消費者が,電磁的交付について積極的な承諾の意思表示を行い得る環境であるとは言い難いと考えられる。」ということや,クーリング・オフ制度について「その起算日(書面交付日)は,手交,書留や配達証明等を利用することで客観的な立証が行われ,書面受領の時期についての消費者及び事業者の無用な争いが生じることが避けられているが,電磁的交付においては,送受信時期を偽ることや,受信機器の故障などにより。書面受領の時期をめぐる消費者トラブルを惹起する危険性もあると考える。」として極めて慎重な意見が示されてきた。
現状,上記の問題点を覆すような状況の変化は見受けられないばかりか,事業者と消費者の間の技術力等の格差は拡がるばかりである。
(3) 立法事実の不存在
訪問販売等の対面で勧誘及び契約が行われる取引について,契約書面等を電磁的方法で交付する必要は乏しい。
実際に,2021年1月20日の消費者委員会本会議において,質問を受けた訪問販売に関する事業者団体の説明者は,電磁的方法で契約書面等を交付することについて質問を受けた際,「青天のへきれきみたいなものがあって...そういった議論はしてきた経緯はございません」と回答している。
このように,以上の法定書面の機能及び重要性と電磁的方法による交付を認めた場合に生じる弊害にもかかわらず,なお電磁的方法による法定書面交付を広範に容認する必要性を裏付ける立法事実の存在は明らかでない。
(4) 結論
取引の態様によっては,契約書面等を電子化していくことは消費者にとっても便宜になる場面もあり,いずれは契約書面等が電子化されていくこともありうる。
しかし,デジタル社会の進展とともに,現時点では,消費者と事業者の間の情報の質及び量並びに交渉力の格差は縮まるどころか,むしろ拡大しており,事実関係の確認および把握という点で,事業者から交付された法定書面は依然として消費者にとって極めて重要な意義を有している。
したがって,少なくとも現段階においては,電磁的方法により契約書面等を交付することについての同意の真意性の確認,契約書面等の改ざんないし偽造のおそれ,契約書面等の保存,閲覧の確保の点で具体的な検討がなされておらず,拙速であり,消費者庁の示した改正方針には反対である。
以上