福岡県弁護士会 宣言・決議・声明・計画

2013年2月 7日

会長日記

会長日記

平成24年度福岡県弁護士会  会 長 古 賀 和 孝(38期)


 灰色の雲が押し潰すように空を覆い、寒風が吹きすさぶ本格的な冬が到来しました。九州場所が始まった頃は、さして厳しい冬でもなかろうと高を括っていたわけではありませんが、寒さのあまり、無意識にコートの襟を立て、身を縮めてしまいます。
 私は、6年ほど前に福岡家庭裁判所某支部からダウン症の方の後見人に選任されました。まん丸顔で丁度寒い今頃にはほっぺを赤く染める小学生のような35歳の女性です。時折とてもかわいい笑顔をみせてくれます。両親は相次いで亡くなられ、被後見人の将来を気遣い経済的支えとなる財産を残されました。後見開始前から障がい者福祉施設で生活しておりましたが、自分の身の回りの世話はある程度できることから、昨年7月末頃この障がい者施設が運営する独立したケアホームで生活をすることになりました。寮母さんのような方を含め5名の同様な障がいを持った人達と共同生活を行い、日中は郊外の授産施設で極めて軽度な作業をすることとなりました。先日、1時間ほど自家用車を走らせ様子を見に行ったのですが、どうしてどうして以前と比べ動きが活発になっております。様々な協力の手を差し延べてくれる人と出会ったこと、自分の力量に応じた作業を行うようになったことによるものでしょう。この授産施設は地産地消を地でいく所で、地元で取れた野菜類を使った総菜風の手作り料理をお客様に提供しております。心のこもった品数豊富な料理の提供だけではなく、障がい者が健常者と共に働いていることへの共感もあるのか、近所の評判を呼んでいるようです。彼女は厨房での手伝いなど裏方さんの仕事を行ったり、時には、興味を持って電話応対も行い簡単な挨拶をしているようです。また、今時でしたら、缶詰用のミカンの皮むきなどの作業を行っております。たまに自分でむいたミカンをつまみ食いするなどおちゃめなところもあるようです。お店で世話をして頂いている管理者の方と一緒に面談したのですが、最初はいつものようにはにかみ俯いているのですが、しばらくして慣れてくると澄んだ目で上目遣いに私を見やり、にやりと笑ってくれます。30分ほど面談する時間のなんと有意義なことか。私自身が今風の言葉で言えば、癒やされていることを実感します。当会においては、先般、後見監督人に就任している当会会員が被後見人の財産を詐取した事件が発生し、後見業務はもとより弁護士業務全般に大打撃を与えました。綱紀委員会に会自ら調査請求を行い、同時に、公表に踏み切りましたが、後見人、後見監督人としての生きがいに思いを致して貰えば、このような不祥事にはならなかったのではないかと思慮され、誠に残念でなりません。
 話は変わりますが、11月22日から3日間釜山地方弁護士会との交流会に臨むため釜山を訪問しました。初日午後8時ころ到着したのですが、張俊棟(ジャン・ジュンドン)会長自ら空港に花束を持って出迎えに来ておられ、恐縮してしまいました。友好協定を結び今年22年を迎える当会および釜山地方弁護士会の絆の強さを実感したところです。翌日は釜山刑務所、同地方法院(裁判所)、同地方検察庁、同地方弁護士会を順次訪問しました。前2か所では日本からの来訪者に見せるため自分たちが日頃どのような活動を行っているのか詳細にプレゼンテーションするためのビデオが作成されており、よくもまあここまで手配準備されているものだと訪問団員こぞって驚いたものです。地裁、地検はほぼ同程度の大規模建築物で、道を挟み地方弁護士会のこれまた大きな建物が位置しております。法曹三者を意識した配置と見受けました。両会交流会では後見制度について新たに法律を制定した韓国の報告がなされ、また当会岡部信政会員から日本の後見制度の運用等が発表されました。後見制度の比較法的な議論に熱が入り他にも議題があったのですが時間切れで簡潔な形でまとめられました。夕刻の晩餐会では優雅な韓国の伝統音楽の演奏に聞き惚れ、その後は大宴会となりました。多くの会員が二次会に参加し、例の瞬時にして酩酊の境地に誘う名だたるお酒、「ばくだん」(早い話がウイスキーをビールで割ったものです。)という飲み物の洗礼を受け、さらには、三次会へ。ここで若手を含む参加会員のほとんどがテーブルに突っ伏して寝てしまいました。両会会長の意気地を示すべく、私、ジャン会長、通訳さんの3人は最後まで弁護士会の在り方、友好協定の意義などにつき大いに歓談を続け、来年の再会を意識朦朧のうちに確認してやっと午前2時過ぎ頃終宴となりました。22年の交流は半端な終わり方はしません。

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