福岡県弁護士会 宣言・決議・声明・計画
2006年1月18日
弁護士に対する「疑わしい取引」の報告義務の立法化に反対する声明
声明
2006(平成18)年1月18日
福岡県弁護士会 会 長 川 副 正 敏
政府の「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」は、2005(平成17)年11月17日、資金洗浄(マネー・ロンダリング)及びテロ資金対策の一環として、2006(平成18)年中にいわゆるゲートキーパー規制の法律案を作成して、2007(平成19)年の通常国会に提出することを決定した。
しかしながら、弁護士に対するゲートキーパー規制制度の本質は、下記のとおり、依頼者の秘密情報を密告する捜査機関の手先としての役割を弁護士に担わせるものにほかならない。それは、健全な弁護士制度とこれを不可欠とする司法制度への信頼を根底から覆すものであって、国民の基本的人権保障を著しく危うくし、民主主義社会の維持及び発展にとって、得ようとする成果に比して失うものが余りにも大きいというべきである。
当会としても、マネー・ロンダリング対策の重要性を一般的に否定するものではないが、今回の政府決定は到底容認できず、この問題についての国民の理解を得る努力を尽くしつつ、日弁連及び他の弁護士会とともに反対運動を展開していくことを表明する。
記
ゲートキーパー規制とは、犯罪収益やテロ資金の移動に利用されうる一定の取引の代理人や助言者として、これらに関与する弁護士や会計士等の専門家を取引のゲートキーパー(門番役)にし、マネー・ロンダリングやテロ資金の移動を見張らせ、政府の金融情報機関(略称「FIU」)に対してその疑いのある取引の報告をさせることにより、これらの犯罪行為を抑止しようとする制度である。これは、先進8カ国(G8)から委ねられた「金融活動作業部会」(OECD内に事務局を置く政府間組織。略称「FATF」)がOECD加盟国を中心とする31の国・地域等に対して行った勧告で、その実施を求めているものである。
政府は2004(平成16)年12月、このFATF勧告の完全実施を方針とする「テロの未然防止に関する行動計画」を策定したが、今回の決定はこれを具体化するものである。
しかし、弁護士に対して、刑事罰その他の制裁を背景として、依頼者の「疑わしい取引」に関する情報を政府当局に報告する義務を課すという制度は、守秘義務と公権力からの独立を不可欠とする弁護士職の本質とは到底相容れないものである。それゆえに、日本を含む関係各国の弁護士・弁護士会は一致してその導入に強く反対してきた。現に、FATFの有力な加盟国であるアメリカでは未だ立法化されておらず、その動きも見られない。また、カナダでは弁護士会が起こした違憲訴訟によって、マネー・ロンダリング法の弁護士への適用が見送られ、ベルギーやポーランドでも違憲訴訟が提起されている。
弁護士という職業の中核的価値は、単に法律に関する専門知識を有するというだけではなく、公権力から独立して依頼者の人権と法的利益を擁護することにある。その職責を全うするため、弁護士は、依頼者に対して、職務上知りえた依頼者の秘密を保持する義務があり、これは国家機関を含む第三者に対する関係では、重要な権利でもある。
弁護士に厳格な守秘義務があり、かつそれが法的に保障されているからこそ、依頼者は弁護士にすべての情報を包み隠さず開示することができる。そして、そのような依頼者の全面的な情報開示があってはじめて、弁護士は効果的にその任務を遂行することができるのであり、すべてを打ち明けてもらうことで依頼者に合法的な行動をするよう指導することができる。これを依頼者である市民の立場から見ると、秘密のうちに弁護士に相談し、適切な法的アドバイスを受ける権利を有しているということにほかならない。それは弁護士としての依頼人に対する重大な職責であって、このことは、1990年12月に行われた国連の第45回総会決議『弁護士の役割に関する基本原則』の中でも、「完全に秘密を保障された相談において、適切な方法で依頼人を援助し、彼と彼らの利益を守るための法的行為を行うこと」をもって、弁護人の依頼人に対する義務である旨を述べているところである(同原則8項、13項等)。
しかるに、弁護士に対する「疑わしい取引」の通報義務制度の下では、「疑わしい」という多分に主観的な要件に基づいて、弁護士は依頼者を裏切ってまでも密告せざるをえないことになる。そうなれば、依頼者は胸襟を開いて弁護士に相談することはできず、依頼者の弁護士に対する信頼を損ない、弁護士職の存立基盤を突き崩し、ひいては市民の弁護士へのアクセスを著しく阻害するという事態を引き起こす可能性が大きい。
その意味で、弁護士の守秘義務と公権力からの独立性保障は、弁護士自身の職業的利益というよりは、市民が弁護士から適切な法的助言ないし援助を得るのを確保するためのものであって、法の支配を実現するうえで必須の制度である。
また、FATF勧告は、「疑わしい取引」に関する情報が「弁護士の職業上の守秘義務又は法律専門家の秘匿特権に服する状況下において得られたものである場合」には、届出を行うことを義務づけられないとしている。しかし、その具体的な適用範囲を明確に画することは極めて困難であって、前記の「疑わしい」との要件該当性の判断と合わせて、まさに、「疑わしきは依頼者の不利益に」なるような密告を余儀なくされることになる。
加えて、今回の政府決定では、報告先としての金融情報機関(FIU)について、従来金融庁としていたものを警察庁に移管することとした。しかし、弁護士は刑事弁護活動等を通じて、捜査ないし治安・警備機関としての警察と時に厳しく対峙することをその職責上不可避としている。そのような弁護士をして、ほかならぬ警察に「疑わしい取引」の密告をさせるというのは、弁護士・弁護士会の存立基盤である公権力からの独立性を構造的に脆弱化して、国民の信頼を失わせ、弁護士制度の根幹を大きく揺るがすものである。
以 上