福岡県弁護士会 裁判員制度blog
2010年11月12日
最高裁判所は、いま・・・?
裁判員裁判が始まって1年あまりが経過するなかで、最高裁判所が従来と違った傾向の判決を出していることに注目すべきだという指摘がなされています。37年間の裁判官生活のほとんどを刑事裁判官として過ごし、5年のあいだ最高裁調査官をしていた本谷明教授の講演は大変読みごたえがあります。全文は『救援情報』(日本国民救援会)67号(2010.11.1)にあります。ぜひ、お読みください。(な)
5件の破棄判決
「2009年になって突然5件、破棄事件が出た。びっくりした。今年に入ってからは死刑事件について、原審の死刑判決を破棄して差し戻すという大きな判決をした。布川(ふかわ)事件では再審開始決定を維持したし、名張(なばり)事件では再審請求棄却決定を取り消して差し戻すという決定をした。
最近の刑事裁判の動向は、従来とはちょっと違った傾向が出ているのが一つの特徴だ」
「20年前(1989年)にも5件の破棄判決が出ている。20年ぶりの 2009年に、同じく5件の破棄判決が出た」
最高裁調査官
「私が調査官をしていた当時は、調査官が破棄の意見を出さない事件については、裁判官の方から破棄がいいんじゃないか、というような意見で返ってくるということはまずなかった。最高裁の裁判官は、多方面の事件をたくさんもっているから、それぞれの裁判官が記録を一から下級裁判所の裁判官のように完全に読みこなすというのは事実上無理だ。裁判官の仕事を手伝うために最高裁には調査官が置かれている」
「調査官の報告書が、原判決を是正するとか、動かすという方向の意見だったり重要な判断事項を含むものだったりすると、裁判官の方でもかなり慎重な審議をする」
弁護士出身裁判官の奮闘
「民事裁判官あるいは弁護士出身の裁判官が割と自由奔放に意見を述べている」
「5人の裁判官がそれぞれの立場から、熱のこもった、大変詳細な個別意見を、法廷意見だけでなく、一人ひとりがみんな意見を書いている。各裁判官が詳細に自分の意見を書いている。これには驚いた。こんなことは今までかつてなかった。
小法廷の構成員全員がこんなに詳しい意見を書いたというのは見たことがない。前代未聞だ。それぞれの裁判官が自分の立場の重要性を自覚して、事件に全力投球した結果で、大変うれしい」
「弁護士出身の裁判官、民事裁判官出身の裁判官が非常に積極的に意見を述べている。那須裁判官、田原裁判官、滝井裁判官、いずれも弁護士出身で、事実認定について非常に詳細な個別意見を書いている。こういうことは私が調査官をしていた時代にはなかった。弁護士出身の裁判官は、言っては悪いけれども飾り物だった。評議をリードするのはキャリアの裁判官で、弁護士出身の人は多数説についていくのが精一杯。
それから、民事の裁判官ががんばっている。近藤裁判官、泉裁判官、金築裁判官が割と柔軟な意見を述べている。下級審の刑事裁判官がした硬直した事実認定を直そうとする裁判官が、依然と比べると増えているように感じられる」
映画『それでもボクはやってない』の影響
「動機としてまず考えられるのは、周防正行監督による映画『それでもボクはやってない』の影響。あれは痴漢冤罪事件に関する映画だが、捜査の状況を大変リアルに描写していて迫真性がある。あの映画によって、痴漢事件についても本当に杜撰な処理がされているということがはっきりした。
あの映画を最高裁判事も見たのではないか。その結果、『ちょっと、これはこのままじゃまずいよ』という気持ちが出たのではないか」
足利事件の影響
「足利事件の影響も考えられる。足利事件では、最高裁で無期懲役刑が確定していた菅家さんが、再審の結果、『真っ白無罪』になった。最高裁は、『被告人を真犯人と認めた原判断に事実誤認の違法はない』と言い切っていた。
紆余曲折を経て、結局、『真っ白の無罪判決』になった。さすがに最高裁も困ったんじゃないかと思う。自分が有罪間違いないといった被告人が『真っ白』であると判明してしまったのだから。これでは最高裁も立場がない。捜査機関は、警察も検察庁も総懺悔した」
「ところが、最高裁は何も謝っていない。最高裁は、謝ってこそいないけれども、内心、立場に困り、今後こういうことが二度とおきないようにしたいと遅まきながら考えだしたのではないか。それで、一、二審の判決については、もう少し厳格に審査しなくてはならないのではないか、調査官の言うとおり『間違いない。間違いない」と太鼓判を押してばかりいると、今後も大恥をかくことになるのではないか、ということを裁判官自身が考えだしたんじゃないかという気がする」
裁判員裁判の影響
「裁判員裁判の発足も影響しているのでないかと思う。裁判員裁判は今の長官と前の長官が積極的に推進して作り上げた制度だ」
「最高裁は、一般の裁判員に対し『この程度の証拠の場合には有罪にしてはいけませんよ』という暗黙のサインを送ろうとしているのではないか」
「真犯人とそうじゃない人を真っ二つに分けるということは人間のする裁判では出来っこないこと。どこかで必ず間違いが必ず起こる。どうせ間違うのであれば無実の人を処罰しない、有罪の人を取り逃がしたとしても無実の人を処罰しないという方向に間違えるべきだ。『疑わしきは被告人の利益に』であるとか、『10人の罪人を逃すとも1人の無辜(むこ)を罰するなかれ』というのは、そういう意味だと思う」
「無実の人を処罰することは、そのことのほかに真犯人を取り逃すことも意味するのだから、それは、単純に真犯人を取り逃がすということより格段にいけないことだと言ってきたが、その考えはまだ必ずしも一般に十分浸透していない。それが残念なところだ。最高裁でもそういうスタンスは従来取り入れられてこなかったけれども、最高裁の最近の傾向を考えると、今後は最高裁でも事実認定について厳格な審査がされることが多くなるのではないかという希望が出てくる」