福岡県弁護士会 裁判員制度blog
2010年10月20日
弁護士の体験記
裁判員裁判が始まって1年あまりがたちました。『自由と正義』の最新号(2010年10月号に弁護士の体験談が載っています。
大変勉強になる内容ですので、私の目をひいたところをピックアップして紹介します(な)。
まずは、壱岐にもいた浦﨑寛寿弁護士(千葉県)です。
「弁護人としては、本件チョコレート缶の重さに関する争点を中心的争点と位置づけ、この争点で勝敗が決まるのだと裁判員に印象付けるよう、弁護側の立証活動の資源を集中投下させることとした」
「冒頭陳述では、裁判官・裁判員に対し、本件チョコレート缶の重さの評価いかんがこの事案の重要な争点であるということと、重さは決して不自然ではないという弁護人の主張に興味を持ってもらう必要がある。
一般的に、冒頭陳述では、弁護人のケース・セオリー(事件の説明)を物語として時系列で語ることが多い。実際、本件でも、AさんとD氏との関係から始まり、D氏からの依頼でマレーシアへ渡航して、本件チョコレート缶を受けとり、成田空港で発覚して逮捕されるところまでを、時系列で語った。
しかしながら、本件のような間接事実型の事実認定が問題となっている事案では、単に弁護側のストーリーを時系列で語るだけでは、検察官が主張する間接事実に対する弁護人の主張に興味を持たせるという点では不十分であると考えた。間接事実は必ずしも時系列に対応したものではないし、また、事実からやや離れた一般論・経験則も含まれているので、弁護人が単純に時系列でストーリーを語るだけでは、(ストーリーの中に事実としては組み込まれていたとしても)どういう点に着目して審理に臨めばいいのか分かりづらい。
私が見聞した限りでは、検察官は、覚せい剤密輸事件で故意が争われる事案では、必ず、冒頭陳述で間接事実を1つずつ指摘している。ならば、本件でも、検察官の主張する間接事実に対する弁護人の主張(反論)を冒頭陳述で明らかにする必要があると考えた」
「検察官が主張する他の間接事実についても、同様に1つずつポイントを指摘して、審理で注目すべき点を説明した」
「複数の間接事実の総合評価で勝負が決まるような事案では、時系列でストーリーを語る以外にも、検察官の主張する間接事実に対する反論のポイントを弁護人の冒頭陳述の中で触れることは必要ではないかと思う」
弁護人の冒頭陳述の組み立てに工夫したところがとても参考になりました。
「検察官は、冒頭陳述も論告も、A3用紙1枚程度のカラフルな図面(「1枚図面)を提出するのが一般的である。私が見聞した限りでは、検察側は、どんな事件でもおおむね似たような1枚図面を作成しており、内容も一見してわかりやすいものが多い。検察官ごとのばらつきもあまりなく、検察庁全体で1枚図面の作成ノウハウが共有されているようである。
それに対して、弁護側は、どのようなビジュアルエイドを利用するかについて、(事案の個性もあるが)弁護人によって考え方も技術も能力も様々である。なかには、一見して検察官の1枚図面よりも見劣りするものもあると聞く。報道等で見聞する限りでは、検察官よりも弁護人の説明が分かりにくいという感想を述べる裁判員が相当数存在するようである。
分かりやすい1枚図面を作成する技術という点では、組織をあげて取り組んでいる検察庁の方がずいぶん先を進んでいる印象を受ける。弁護人としては、虚心坦懐に検察庁の見習うべきところは見習って、技術を身につけるほかない」
いま、検察官は当初のパワーポイント一本槍のプレゼンを見直しているそうです。
次は、裁判官から弁護士になった安原浩弁護士(兵庫県)です。
「裁判員選任手続きの理由なし不選任権を行使してみたが、そのようなことが良いのか、どの程度効果があるのかは結局わからずじまいであるから、この制度の運用はなかなか難しいと感じた。
弁護側の冒頭陳述と弁論には、補助弁護士の作成したパワーポイントが大活躍した。陳述者の話の進行に合わせて要点をモニターに映すことは裁判員の理解を大いに助けたと思う。技術的に工夫すべきところは多いとは思うが、検察官の派手なパフォーマンスに見劣りしないようにするためにも、弁護側のビジュアルな弁論は不可欠と思った。
ただ、冒頭陳述と弁論ともわかりやすい書面を作成することにも努力した」
やはり、分かりやすい書面が大切なんですよね。
「検察官側はできるだけA3一枚に要点をすべて書き込み、あとは口頭で説明する手法に徹していたが、その場ではわかりやすくとも、記憶に残りにくい、従って裁判員に考えてもらうには不十分ではないか、と感じた。
被告人質問については、事件の性質からも、できるだけ被告人のこれまでの人生と被害者との長年の生活実態を詳細に語ってもらうことに努力した。2時間近くの弁護側の質問時間だったが、裁判員の熱心に聞く姿勢に感銘を受けた。
プロの裁判官のみの裁判と異なり、一生に1度の経験だからと身を乗り出して聞いてもらえる感じがあり、長い質問時間にもかかわらず、法廷には心地よい緊張感が継続していた」
裁判員の真面目な態度は頼もしい限りです。
「論告の際に、検察官が強い殺意を主張するため、突然『逃げ回る被害者を追いかけて陶器製置物で殴打を続けた』とこれまでの主張にも証拠にもない事実を突然加えたのにはびっくりした。
弁論は前日に完成していたが、急遽・口頭でその部分について反論し、翌日までに弁論要旨の修正をせざるを得なかった。
公判中心主義の場合には、事前準備とともにこのような突発的事態に臨機応変に対応することも極めて重要であると痛感した。
また、このような証拠にない事実を平然と主張することは、裁判員の強い反発を招くおそれがあり、弁護人側としても特に自戒すべきことと感じた」
私が傍聴した事案でも、予期しないものが出てきて、臨機応変の対応が必要となりました。
「求刑の半分を下回る判決結果に正直驚いた。それとともに、求刑には必ずしもとらわれない(もちろん重い方向にあらわれることもあるわけだが)裁判員裁判という制度、すなわち国民参加の裁判の正当性に裏付けられた強さを感じた。
また、裁判長が、判決宣告にあたり、基本的姿勢について、検察官の論告が弁護人の弁論による批判に耐えうるかを中心に検討した、と発言されたのにも敬服した。
ともすれば、真相発見のためと称して、検察官の主張を補うような不意打ち判断が少なくない、というこれまでの実態から脱却したいとの真摯な姿勢が感じられた」
「若い頃に勉強した刑事訴訟における公判中心主義が復活しつつあるとの印象を受けたし、また弁護人が熱心に訴えることについてまじめに聞こうとする姿勢のある法廷の出現に新鮮な驚きを覚えた。
裁判員裁判が供述調書に頼らない裁判を目指さざるを得ないとすれば、自白調書やわかりにくい鑑定書を盲信することに起因するこれまでのタイプの冤罪の発生の防止にもつながる可能性があると思う。
裁判員裁判は生まれたばかりの制度であり、修正すべき点も多いとは思うが、これまでの供述調書に依存した刑事訴訟法の運用を現実的に改善できる大きな可能性を秘めていることに期待し、これからも積極的に関与していきたいと考えている」
裁判員裁判には克服すべき問題点があっても、基本的に評価できる制度だと思える指摘であり、同感です。
最後は森晋介弁護士(徳島)です。
これを読んで、裁判員って、そして日本人って本当に真面目なんだなと改めて認識しましたし、裁判員裁判が、これまでの固くて冷たい法廷をすっかり変える力をもっていることを知り、うれしくもなりました。
「判決言渡し後、被告人が退廷していく裁判官、裁判員に向かい『ありがとうございました』と言って深々と頭を下げるという印象的なシーンがあった。
当日の記者会見では、判決言い渡し後の被告人の姿を見て、法廷から控室へ戻った裁判員全員が涙を流したというエピソードが紹介された。1日延期されたことで考える時間ができ、それにより一人ひとりが被害者の立場に立ったり、被告人の心情を考えたりしながら、ときに白熱した議論を交わしつつ、真剣に時間をかけて話し合うことができた、と全員が一致して述べていた。記者会見でも、多くの裁判員が涙ぐみ、声を詰まらせながら、『被告人の姿を見て涙が止まらなかった』『判断を下すのにすごく苦しかった』と胸中を語ったことが、大きく報じられた。裁判に血が通ったことを実感した瞬間であった」
「従前、生い立ちから始まる犯行に至る経緯を詳しく主張、立証しても、一顧だにされず、『動機及び犯行に至る経緯は、短絡的かつ自己中心的で酌量の余地はない』と決まり文句で断罪されてきた経験が、本件の弁護方針に迷いを生じさせたこともあった。
これまでに弁護人(自分)の主張が一蹴されてきた数多の事案と本件との間に質的な違いはないように思われ、おそらく裁判所の重視するところではないだろう、と悲観的に考えていた。
結果的には、裁判所が被告人の思いをくみ取ってくれた点も多く、自分の見込み違いを反省する一方で、裁判員裁判の可能性を感じ素直にうれしかった」
「判決から数日たった後、被告人と面会をした。法檀に深々と頭を下げ御礼を述べたときの心境を尋ねると、『裁判を通じ人の心に触れた気がし、自然と体が動いた。判決内容に感謝しています』と語ってくれた。後日送られてきた手紙にも、人の『温もり』を感じた、それに応えるためにも自分は変わらなければならない、一生懸命に刑期を務めたいとの決意が記されていた。
被告人は、自らに懲役刑を言い渡した裁判で人の温もりにに触れることになったが、それは彼がこれまでの人生で感じたことがないか、あっても遠い昔過ぎてわすれてしまっているものであった。
私自身も本件を通じ、裁判は人を変えることができる、ことを実感した。
これも裁判員が真剣に考え、時間をかけて議論をし、その凝縮された思いが判決として被告人に届けられた結果であると思うと、十分な時間が確保された中で充実した評議が行われることの重要性を、改めて痛感した」
ぜひ、『自由と正義』の原文にあたってみてください。
2010年10月28日
サマーセミナー
8月27日、自由法曹団東京支部が「裁判員裁判、どう取り組む、どう闘う」というテーマでセミナーを開きました。そのときの助言者としての田岡直博弁護士の指摘(抜粋)を紹介します。(な)
○ 量刑傾向は不変
「求刑を超える判決を受けた。これは公判期日に被告人が不合理な弁解を始めたために反省していないと判断されたから。被告人が不合理な弁解をしている事件は難しい。
裁判員裁判になってからの量刑傾向はほとんど変動していない。基本的には求刑の7割から8割程度であり、当初予測されていたほどには重くなっていない。裁判所は、行為責任を原則として量刑の幅を設定し、その範囲内で特別予防的考慮を加味するという考え方をとっているので、量刑データベースが絶対的な影響を与えているのだろう。
もっとも、性犯罪については、量刑傾向がやや重くなっている。姦淫未遂、わいせつ未遂の事案は、精神的被害を考慮して、重くなっている」
「自白事件については、量刑データベースが利用されているため、検察官の求刑は低めに推移している。検察官は、論告でも被告人に有利な事情にかならず触れており、フェアの姿勢に徹している。そのため、求刑越えの判決は2件しかない。性犯罪は重罰化していると言われるが、極端に重罰化しているとは言えない。通り魔的な犯罪なども、重罰傾向にある。被害者参加の事件は、裁判員は『被害者なのだから、怒るのは当然』などと冷静に受けて止めており、重くなっていることはない」
「量刑傾向は変化していないが、個々の量刑要素の評価はかなり多様化している。若年、反省、謝罪、示談、前科なしといった裁判官裁判であれば当然に刑を軽くする情状として考慮されていた量刑要素が、裁判員裁判では必ずしも考慮されていない。示談しているといっても、示談するのは当たり前やないか、示談しなかったら重くするのは分かるが、なぜ示談すると軽くなるのかとなってしまうことがある。したがって、なぜ軽くすべき事情なのかを丁寧に説明する必要がある」
○ 更生可能性に着目した判決
「裁判員は、更生可能性に着目している。保護観察付き執行猶予の比率が飛躍的に増えている。反省して二度と犯罪を犯さない人については以前よりも軽くなっている。家庭内の殺人事件などで、同情できる事情があるときは、執行猶予判決も出ている。
不合理な弁解をしているときは、重くなる。これまでに出された求刑超えの判決は、いずれも多数の同種前科があった事件である。
裁判員は、法的な主張よりも、事実を重視している。殺意はないから傷害でもいいが、殺人未遂と同じくらいの刑にする、と考える」
「無罪判決(一部無罪、認定落ちを含む)が少なくとも6件出ている」
○ 事件数は予測を下まわっている
「事件数は、予測を下回っている。1年間の新受件数は、1898件で、予測件数2324件を下回っている。5年間で半減した。昨年、急に減少したのではなく、一貫して減少傾向にある。
強盗致傷事件は1100件から500件に減っている。覚せい剤取締法違反はいったん減少したが、最近また増えており、以前と同程度になっている。その結果、千葉地裁だけが予測件数に届いており、それ以外の地裁は軒並み減っている。東京本庁は事件数が少ないので、4部減らして、21部から17部にするという。その分の人員は千葉へまわすことになる」
「検察庁は事実認定が厳しい事件でも、起訴に踏み切る姿勢である」
○ 審理期間は4日以上が多い
「実際には、3回以内で終結できる事件は多くない。もっとも多いのが4日間であり、10日を超えるものもある」
「審理期間は、起訴から判決までの期間は6,7か月、否認事件は7,5か月であり、当初の予測より短くなっている」
○ 裁判員の選任
「裁判員に選任されたいと言っている人は、法学部出身の人で法律論をふりかざすなど、あまり良くない人も多い。ところが、選任されたくない、不安であるという人は、慎重に判断をするから、評議でも良いことを言うということもある。なので、選任されることを希望していいないからと言って、不選任にする必要はない」