福岡県弁護士会 裁判員制度blog
2010年4月15日
裁判員裁判における最終弁論
裁判員裁判を傍聴したとき、事前のしっかりした準備がもちろん必要なのは当然ですが、公判廷では何が飛び出すか分かりませんので、それに応じて当意即妙の機敏な対応が必要だと痛感しました。
最新の『季刊・刑事弁護』62号に「裁判員裁判の弁護活動を検証する」という裁判員裁判を実際に体験した弁護士による座談会が開かれていますが、この点についての指摘もあり、大変勉強になりました。(な)
○ 前科がないという事情について、検察官は、「運び屋というのはだいたい前科がないから、前科がないことは良い事情にならない」という。
たとえば、子どもが本国にいるということも、「子どもがいる人といない人で刑に差を設けては不平等だ」という論告をした。そういうのを弁護人がまったく予測せずに、「彼には子どもがいて、子どもを養わなきゃいけないから、かわいそうだから刑を重くすべきじゃない」という弁論をしても、太刀打ちできない。
検察官の論告を適正に予測し、それに対応した弁論をしないと意味がない。
○ 予測が当たるとは限らないから、そのときに臨機応変に対応できるだけの余裕が必要になってくる。
○ 検察官の論告は、第1に「行為の評価」、第2に「被害者・被告人それぞれの事情」、第3に「被告人の善い情状」、第4に「求刑」という組み立てが非常に多い。
そして、第3の「善い情状」の項目の中で、検察官は裁判員に共感を持たれるような論証で必ず善い情状を攻撃する。
求刑18年で懲役17年が下された殺人事件で、前科がないことについては、「職場を捨ててホテルを転々、サイトで知り合った女性とみだらな関係に及ぶなどし、警察沙汰にもなっている。重要視すべきではない」という論証がそのまま判決に採用された。道徳的に問題はある人ですけれども、刑事責任に直接には結びつかない。ただ、裁判員が聞くと、「この人は、前科がなくても悪い人なんだな」と思う。
前科がないこと、古い前科であること、若いということに関しての、裁判官と国民の意識の違いを検察官はうまく利用して論証している。
論告を初めて聞いた弁論側が即座に十分な対応ができなくて、論告の論証がそのまま判決に取り入れられているというケースが目につく。
○ 正面から的確に対応しておかないと、不意を突かれることになる可能性がある。